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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第一章      ● 其ノ一 武田埋蔵金殺人事件 
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身延へ  弐

「おーい、龍馬子君。そろそろ十一時だぞ、身延の方へ行こうじやないか」


 千曲川の河原で、歴史の舞台に浸り静かに佇んでいた私に、不快な呼び名で呼びかける奴が居る。


「だ、か、ら、こんな時まで龍馬子君って呼ばないで下さいって云っているでしょ!」


 私はその方向に視線を送りキッと睨む。


 その方向にいるのは、私の事をいつまでもいつまでも失礼な名前で呼び続ける憎っくき担当編集の中岡慎一だ。


「ああ、すまん、すまん。云い慣れてしまっているから今更云わないようにするのは難しくてね」


「難しくなんかないでしょう。ま、を抜けば良いんですよ、りょうこって云えば良いだけじゃないですか、恐ろしく簡単ですよ」


「……まあ、そうなんだがね……」


 そう云いながら担当編集は頭を掻く。


「……しかしながら、何故そこまで嫌がるんだい? 龍馬の名前が入っているんだから光栄じゃないか。本当を云えば僕は君と中岡、龍馬と呼び合いたい位なんだよ。でも龍馬だと男の名前になってしまうから龍馬子君と呼んでいるんじゃないか」


「その中岡、龍馬と呼び合いたいというのはご自身の心の中だけでやっていて下さい。そんな事に私は付き合いたくないです。そして、何度も云っていますが、龍馬子と呼ばれるは嫌なんです。ペンネームを云わざるを得ない時は仕方がありませんが、二人だけの時なんかは特に云わないで下さい」


 私は再度厳しい形相で睨む。


「……わ、解ったよ、出来るだけ、君とか、ねえ、のように呼びかけるようにするよ。兎に角そろそろ身延の方へ向かわないと、約束していた時間に間に合わなくなるが……」


 固太りの担当編集、中岡慎一が腕時計に視線を送りながら云ってきた。


 この男の体形は、固太りだから別にぶよぶよという訳ではない。プロレスラーのように肉がみっちり詰まっているような感じだ。一見すると筋肉質でスポーツも得意そうではあるが、実は持久力に乏しく。内臓脂肪が多く、コルステロール値が相当高いらしい。危険な太り方と云えるだろう。


「はい、はい、もう川中島から離れますよ、離れれば良いんでしょうよ」


 私は名残惜しみながら妻女山と海津城跡を仰ぎ見た。


 実は、私は今、担当編集と次に書く小説の為の取材旅行に来ているのだ。諏訪湖を見学し、そのまま北上して、川中島までやってきたという訳だ。今度はここから南に戻り、甲府を経て、身延の地まで赴く予定になっている。


「これから向かう場所も一応歴史に関する場所なんだから楽しめる筈だぞ、この場所が歴史上重要な場所だと云うのは解るが、一つの場所に縛られるのは良くないぞ」


「はい、解りました。妻女山と海津城跡は歴史上では重要な場所ではありますけど、今回の取材旅行に於いては左程重要でないと云うわけですね。行きましょう。すぐ行きましょう」


 私は川中島に後ろ髪を引かれる思いのまま、幹線道路の方へ足を向けた。


 そうして私達は、幹線道路まで歩き進み、そこで中岡編集が捕まえたタクシーに乗りJR篠ノ井駅へと向かった。川中島古戦場跡の最寄り駅となるのが、その篠ノ井駅になるのだ。 


 タクシーに揺られる事十分程、到着した篠ノ井駅は比較的大きな駅だった。ここから篠ノ井線に乗り、列車で甲府を目指して南下する事になる。


 駅舎に入り込むと、すぐに中岡編集はお土産コーナーに直行し駅弁を買い込み始める。野沢菜入りの鳥飯弁当と、岩魚寿司、月見五味めしという名前の三つの駅弁を買っていた。随分買っているが、残念な事にその内の一つが私の物という訳ではない。


 改札を抜け、ホームまで歩み出て、しばらく待っていると、甲府までの直通列車がゆっくりと入ってきた。東海道線などでお馴染みの115系の車両だ。その車内に乗り込むと、ボックスシートが空いていたので、私と中岡編集は向かい合わせに腰掛けてみた。


 すぐに発車を知らせるベルが鳴り、列車は静々と走り始める。走り始めたかと思うと、中岡編集は早速とばかりに駅弁を広げ食べ始めた。


「……ま、また駅弁をそんなに食べるのですか?」


 私はそんな駅弁を食べる中岡編集をまじまじと見詰める。実はこの編集は川中島に至る前に駅弁を二つ平らげていた。


「ふふふ、僕は駅弁マニアだからね。その土地その土地で、その土地の色を表している駅弁を食べるのは一興だよ。胃が許す限りは僕は駅弁を食べ続けるつもりだよ」


 中岡編集は駅弁で頬を膨らませながら云った。


「よく、そんなに入りますね……」


「余裕だよ、まだまだ食べれる。この野沢菜なんかは味が濃くてとても旨いぞ。しかし、君こそ僕よりデカいんだからもっと食べないといけないと思うがな……」


 聞き捨て出来ない余計な一言が耳から入ってきたので、私は憮然として云う。


「……そのデカいっていうの止めてください。そんなに大きくはないです」


「でも五尺八寸もあるじゃないか、女性で五尺八寸あるのは相当だぞ」


「……」


「まさか君は自分が小さいとでも思っているのか?」


「……ふ、普通です。少しだけ大きい程度です」


 私は小さな声で呟く。


「いやいや普通じゃないだろ、龍馬の姉乙女は龍馬と同じく五尺八寸あったと云われているが、巨大で坂本のお仁王様と呼ばれていたんだぞ。君も身長が五尺八寸あるから、お仁王様と呼ばれても変ではない位だ。もっとも乙女さんは体重が三十貫もあったと云われているがね」


「だ、だから、なんで一々坂本家が出てくるんですか! それに江戸時代と今じゃ違うでしょう。確か、江戸時代の女性の平均身長が百四十五センチメートル位で男性の平均身長が百五十八センチメートル位だったらしいですが、その時代の百七十五センチメートルが巨大だというのは解りますけど、現代ならちょっと大きい程度ですよ、それに坂本家じゃなくてバレーボールの選手とか、モデルとかを引き合いに出して下さいよ! それとデカいとかじゃなくて、背が高いけど細くて美しいとか、そういう云い方はないんですか?」


 私は憤り叫んだ。


「……でも現在の女性の平均身長は百五十七センチメートルらしいぞ、十八センチも大きいじゃないか…… そして君は、背が高いけど細くて美しいとは云い難い気がするが……」


 くっ、失礼な! 


 私はギリリと歯を噛み締める。


「……も、もう解りましたよ、この話は終わりにしましょう。終わりです。どうぞ大好きな駅弁をどんどん食べていてくださいよ」


 そう云いながらプイっと私は窓の外に顔を背ける。


「云われなくても僕はどんどん食べるがね」


 中岡編集は鶏肉を箸で抓みながら云った。


 中岡編集がガツガツ駅弁を食い進んでいる間もどんどん列車は進み、塩尻、松本を経て、諏訪を通過し、釜無川沿いを南下して行った。乗っている列車はそのままだが、篠ノ井線、信越本線、中央本線と、区分はどんどん変わっていく。のんびりとした気分で眺める車窓からは冠雪の残る立山連峰が聳えているのが終始見え隠れしていた。


 ふと気が付くと、中岡編集は鼾を掻きながら寝ていた。ちゃんと残さず食べ尽くしており、腹が満たされ睡魔が襲ってきたと云った所のようだ。本当によく食べ、よく寝る奴だと私は思った。しかし、食べてすぐに眠くなるなんて糖尿病は大丈夫かと云いたい。


 そんな中岡編集の安眠を助けるかのように列車はガタゴトガタゴトと心地よい振動を奏でながらゆっくり進んで行った。


 中央本線のエリアに入り込んでからしばらくすると、中岡編集が僅かに身を起こし、大きな欠伸をし眠そうな目を擦りながら訊いてきた。


「……ふわああああっ、今どの辺りまで来たのかな?」


「……今は韮崎を過ぎた所ですから、あと十分程で甲府です。乗り換えですから、もう降りる準備をして下さい」


「おっ、もうそんな所まで来ているのか、急いで支度をしなければ……」


 中岡編集は少し慌てた様子で身を起こした。


 私達の座っていたボックスシートはかなり散らかっていた。空いている席には駅弁の食べ終わった後の箱が詰まれており、窓際には、飲み干したお茶、お菓子の空箱がびっしり並べられていた。中岡編集が一人でがつがつ食した残骸である。私はというとサンドウィッチを上品に食し、そのゴミは小さく纏め上げており、降り支度はすっかり済んでいた。


 中岡編集がそそくさと自分の出したゴミを集め、荷物の整理を始める。しかしながら動きが遅い。ノロノロしているうちに列車は到着し、降りそびれてしまう気配すらある。


「お、おい、少し手伝ってくれよ」


「えっ 手伝うんですか? だってそれは中岡さんが食い散らかしたんじゃないですか……」


「良いじゃないか、君の手は空いているのだろう。降り遅れて困るのは君も一緒だぞ」


 自分が汚したものぐらい自分で片付けろよ。


「もう! 解りましたよ、手伝えば良いんでしょ、手伝えば……」 


 なんて駄目男だと思いつつも、後で何を云われるか解らないので私は弁当の空き箱を片付ける。


そんなこんなしている内に、十四時二十分、私達の乗ってきた列車は甲府駅に到着した。なんとか降り準備を終わらせ、慌てふためきながらホームに降りると、眼前には舞鶴城跡が見えた。


 武田家亡き後、徳川家康の時代には、躑躅が崎館ではなく、この舞鶴城を中心に藩政が行なわれていたらしい。見た所こんもりとした形状をしているので平山城の類だと思われる。内城部分には、立派な石垣、それによって形成されている本丸や曲輪、天守跡などが見えた。残念ながら舞鶴城の天守閣は現在は無くなっているようで、天守閣の場所には尖塔のようなオベリスクみたいな塔が建てられていた。そんな舞鶴城を尻目に列車は、ホームに私達を残し、ゆっくり勝沼駅のある東京方面へ走り去っていった。



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