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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第三章
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宿坊へ  漆

 私は部屋に篭もって考えた。


 嫌な事もあったが、それ以上に嬉しい…… いや、とても胸躍るような事があった。そうだ、私があのイケメンに綺麗だと云われたのだ。それもガッシリと肩を抱かれて…… 今や私の心の中の七割がその事で一杯だった。残り三割はふっと浮かび上がってくる嘲笑の的にされた事だが、私は浮かんでくるたび顔を横に振って思い出さないようにした。次第に三割が二割に減じてきている気がする。


 ど、どうしよう…… もし、貴方の事が好きになってしまいました。お付き合いをして下さいとか云われたら……。


 私は想像して頬を赤らめる。


 あっ、となると、夜中にこの部屋に訪ねて来るかもしれない、告白は皆のいる場所ではしにくいだろう。此処にきて云われる可能性が高い。


 そう云われたらどうしよう……。当然答えは、はい。だろう。それ以外の言葉は出てこない。


 そうして、はいと答えたからには、その場でその次の段階に進んでしまうかもしれない、ああっ、それは!


 私は高まる想像を抑えるが如く、両の腕で自分の肩をぎゅっと掴み体を押さえ込む。


 いやいや、落ち着け、想像しすぎだぞ……。


 こ、ここは一応宿坊だ。それにあちらも仏師だ。その辺りは弁えているだろう。睾丸や卵巣を引き抜かれ、そこに白蝋を流し込まれるような目にあいたくは無いだろうし……。


 でも、抱き寄せられてキスぐらいはされるかもしれない…… はっ! 私、汗臭くないかしら? 今日は結構移動したし、地獄巡りもしたし……。


 私は襟元をすっと引き空け、一応確認してみた。


 ふう、ぎりぎりセーフだ。


 でもちょっと心配だぞ、今はぎりぎりだが、一時間後とかはいけないかもしれない……。万全の状態でないと心許ない……。


 そ、そうだ、早めにお風呂に行っておこう……。


 私は意を決し立ち上がった。部屋に用意されていた浴衣と手拭を掴む。壁に掛かっている時計に目を向けると午後八時になっていた。食事が終わったのが七時だったから、一時間近くも妄想していたらしい。幸せな妄想はあっという間に時間が過ぎてしまうようだ。


 部屋の戸を引き空け、私は廊下を進む。


 途中、あのイケメン仏師に会ったら何て云おうかしら、などと思いつつ説明を受けた風呂の場所まで至ると、脱衣所に至る戸があった。


 説明を受けた通り戸には鍵が付いている。そして鍵の付いている部分に使用中という文字が表示されていた。


 あれ、誰か入っている!


 予定外の状況に私は少し思案する。


 どうしようか…… 一度戻ろうか…… それとも此処で出てくるのを待ってみようかしら……。


 あっ、でも、もしかしたら、あの人が入っているかもしれない……。


 私は想像して頬を赤らめる。


 少し待ってみよう……。そうよ、これは神田川だわ、神田川と違って入れ違いだけど、あの人が出てくるのを私は待っている。


 私はやや夢心地で風呂待ちを続けた。


 しばらくすると、中からかさごそ音が聞こえてきた。そして、ガラっと戸が引き開けられた。


「おおっ、なんだ君か、何しているんだこんな所で」


 出てきたのは中岡編集だった。別のあの人だった。


「な、何でもありませんよ、お風呂に入りに来ただけですよ……」


 私は憮然と答える。


「いい風呂だったぞ、君もたっぷり汗を流すといい」


「ええ、云われなくても、そのつもりですよ」


「あっ、それともう寝るとか云っていたが、ちゃんと資料を纏めるなり、小説を進ませるかするんだぞ、一応仕事だからな、あの男の事ばかり考えていちゃ駄目だぞ!」


 むむっ!


「わ、解ってますよ! もう、早く出てくださいよ、入れないじゃないですか!」


 図星を突かれた私は、押し退け気味に脱衣所に足を踏み入れた。


 まったく、誰がより不快にさせたと思っているんだ、それと変に期待して損しちゃったじゃない!


 中岡編集が出たのを見届けると私はすぐに戸を閉め鍵を掛けた。


 そうして脱衣所で服を脱ぎ捨て、浴場へを足を踏み入れてみる。狭いながらも檜を使った良さそうな風呂だった。


 私は洗い場で丹念に体を洗う。


 綺麗に綺麗に、垢一つ残さぬようぬ……。

 

 そんな風に体を洗い終えると、湯船に近づき手桶で湯を体に掛けた。


 そうして、私は静々と湯船に身を沈める。


 ふう、いいお湯ね。私の綺麗に磨きが掛かっていく気がするわ、うふふふ。


 私は手で湯を掬い見詰めながら呟いた。


 でも、改めて考えたら中岡エキスがたっぷりだな……。


 私はぶんぶん顔を横に振り中岡編集の姿は脳裏から消し去り、イケメン仏師の顔だけを想像しつつ、のんびり湯を堪能する。


 そうして三十分程浸かってから私は部屋へと戻る事にした。


 その帰りに偶然の出会いを期待したが、残念ながらイケメン仏師と擦れ違う事は無かった。


 部屋に戻った私は部屋の隅に畳まれていた布団を敷き、枕元にノートを広げ布団に身を包みながら、今日見た奇岩群を思い出し詳細を書き込んでいった。一応だがやる事はやらねば……。


 しかしながら今日は移動が多かったのもあるし、奇岩群を見学して疲れていたのもあってか、すぐに睡魔が襲ってきてしまった。


 ああ、眠い、眠くて仕方が無い……、でも、まだあの人は来ない……、寝ている間にキスされて解るのかしら…… ああ、でも、もう駄目だ……。


 しばらく睡魔と闘っていた私だが諦めて明かりを消す事にした。


 時刻は十時半頃だった。

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