円海寺 陸
中岡編集が少し考える。
「いや、矢張りよくよく考えると、この罪は間違っている。厳しすぎる。現代の風俗に合っていないぞ。これに従ったら殆どの人々が地獄行きになってしまう」
「まあ、確かに厳しすぎるとは思いますが……」
「なので、当て嵌まらない。僕は地獄なんて行かない!」
また始まったぞ……。
「まあ、好きなように考えて下さいよ」
私は投げやりに云った。
「あっ、適当に流したな、本当に現代の風俗と合っていないのだぞ、例えば、ここを見ろ! 団処という場所では馬と性交した罰を受けるとかかいてあるぞ、それと朱誅処という場所では羊や驢馬を相手に性交を行った罰と…… そんな奴まず居ないだろう?」
中岡編集は説明文に指を差す
「そうそう居ないとは思いますが、本当に居たら地獄行きかもしれませんね……」
「その馬や羊と性交した罪と妻以外の女性と性交した罪が同じぐらいなんだぞ、そんな筈がないだろ!」
「まあ、妻以外の女性との性交はよく聞きますしね」
「そうだ、だから、現代の風俗に合っていないと云っているんだよ!」
中岡編集は鼻からふんと息を吐く。
「もういい、此処はもう終わりだ。次に行くぞ、次だ」
「解りましたよ。先に進みましょう」
そうして、私と中岡編集は巨石の聳える衆合地獄を背にして通路を先へと進んで行った。
しばらく進むと、小さな湾になっている部分に至った。浅さや地形的にはちょっとした海水浴が出来そうな湾だ。しかし普通の湾とは趣が違っていた。湾の中の水が赤いのだ。水が赤いのか水の底が赤いのかは瞬時には判断出来ないが、とにかく赤い湾だった。
「ここ血の池みたいですね……」
私は堅い顔で呟いた。
「当然、血の池をイメージしているのだろう。しかし凄いな、どうしてこんな色をしているんだ? 赤潮なのか?」
そう呟きながら中岡編集は海辺に近づく。
「凝視しても解らないな…… 微生物でも居るのだろうか……」
「微生物?」
「ああ、赤潮はプランクトンなどの微生物が原因だと云われている。それが富栄養化に伴い大量発生して水が赤くなってしまうのだ。ほら、この湾は波が少なく、奥の方が岩場になっていて水の出口が少ないだろ?」
「ええ、一見すると、岩礁で沖のほうが囲われているように見えますね」
「水の出口が少ないから富栄養化しやすいのだろう。通年ではないとは思うが、赤潮の頻度が高くなっている地形なのかもしれない…… 岩も赤い色が色素沈着している部分が見受けられるしな……」
「色素沈着ですか…… なるほどです」
そう答えながら、赤い湾の先の方へ視線を送ると、視界に建物が入ってきた。
「あっ、中岡さん、先の方にまた立て札と庵がありますよ、あっ、それと人の姿も……」
私は指差す。
「本当だ。女性っぽいぞ、二人居る。そして作務衣みたいな格好をした男も居るぞ」
「もしかしたら御師代わりの人ですかね? それと地獄巡りが好きな女子、地女かも……」
私は中岡編集が云っていた事を反芻する。
「そうだ。あれこそ地女かもしれないぞ、よし行ってみよう」
中岡編集は嬉しそうに庵の方へ足早に近づいていく。
庵の近くにいた二人と一人も私達の事に気が付いたようで、私達に向かって頭を下げてくる。
「こんにちは、説明を受けながらの見学中でしたか?」
傍まで至った中岡編集が声を掛ける。
「ええ、ご案内差し上げていた所です」
作務衣を着た年の頃は五十歳程の男が答えた。横で女性二人が肯定するかのように頷いた。二十代程と思われる、まあ普通な感じの女性達だ。一人は私と同じうりざね顔で、もう一人は少し鼻が高く洋風な顔立ちをしていた。
「お客様方もご宿泊予定で、見学を?」
その作務衣を着た男が訊いてきた。
「はい、宿泊予定です。荷物を預けてから、見学に繰り出してきた所です。私は中岡、こっちは坂本と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
中岡編集が白い歯を剥き出し、本人的には爽やかで一番良い笑顔と思っているだろう胡散臭い笑顔を振り撒く。私は横で小さく頭を下げた。
「私は宿坊を管理しております丹羽です。こちらの方々はお客様で……」
名前まで告げるべきか躊躇っている様子の処で、その女性達が声を上げた。
「私は明智です」
うりざね顔の方が云った。
「私は細川と申します。短い間ですけど宜しくお願い致します」
もう一人も声を上げる。
中岡編集は爽やかそうな笑顔で頭を下げた。
「それでは中岡さんと坂本さんも、折角なのでご一緒に廻られませんか?」
「ええ、喜んで、出来ればご案内して頂きながら見学をしたいと思っていた所です」
「では、途中からで申し訳御座いませんが、ご一緒に」
そうして私達は案内役の男を先頭に静々と歩き始める。