事件解説 伍
中岡編集はふうと大きく息を吐いた後、改まり説明を続ける。
「さて、では今度は、時間的なものに則して話を続けていきたいと思います。確か図書館で、正一郎さんが席を立たれていたというのが十一時少し前のことだと聞いています。時間にして大よそ二十分程だという事でした。十時五十分頃、図書館を出られ、走って藤林家の屋敷に戻ったとします。僕は伊賀上野城のベンチと図書館のある位置の丁度中間辺りから、ここ藤林家の屋敷まで小走りで走ってみました。時間としては、三十五分で到着しました。なので十一時二十五分には到着出来たと思います」
一緒に走った脇坂刑事が小首を傾げながらも小さく頷いた。
「となりますと、おおよそ十一時四十分にこの家を出れば、図書館には十二時十五分に図書館に戻って来る事が出来ると思われます。その間の将太さんはと八百屋の後、すぐに図書館に駆け込み、トイレで軽く着替え、鬘を被り、化粧を施し、眼鏡を掛け、付け髭を付け正一郎が座っていた席に座り込みます。前に衝立があり、俯いて本を読んでいれば、気が付く人はいないのではないかと思われます。犯行が行われた十一時半の前後は将太さんが図書館の椅子に座り続け、その後、十一時五十五分頃トイレで着替えてから図書館を出て、果実店に向かったのではないでしょうか?」
将太は、唇を噛んだまま顔を下げていた。
中岡編集は将太に視線を送る。
さあ、ここからが関門だ。店員に質問したり、絵馬を探したりし始めたのは私だ。どう転化するつもりなのだろうか?
「実は、僕は果実店の方で坂本に指示をして店員さんにある質問をさせてみました。藤林家の使いの人はいつもより赤ら顔ではなかったでしょうか? という質問と、領収書ではなくレシートで良いと言われたのではないですか? という質問をです」
将太はピクリと肩を振るわせた。
「その質問の答えは「そうです」というものでした。なぜ赤ら顔だったかは、化粧を取る為に、恐らく洗顔をした。もしくは持っていた濡れ手拭等で顔をゴシゴシ擦ったからではないかと思います。そして、領収書ではなくレシートを希望したのは、時刻が刻印されたものが欲しかったからでないかと考えられのです」
その中岡編集の説明に、刑事達は驚いた顔をしていた。私の推理だぞ。
「そうして、その後、将太さんは買い物を続け、上野市駅から列車に乗り帰宅。正一郎さんも図書館を出て、いつものように上野市駅から列車に乗り帰宅したのではないかと予想されます」
その説明を聞いた正一郎は、顔を上げ一瞬何かを言いかけて、すぐに口を噤んだ。
その場には沈黙が広がっていた。皆、何をどう話して良いのか解らないのだろう。そこで石田警部が中岡編集に質問した。
「な、中岡さん、一応、第一の殺人事件の密室の謎、そして犯行時刻にどうやれば現場に居られるかの説明はよく解りましたが、その証拠はあるのですかな?」
「今の段階では、証拠はまだありません。なので、これは今の段階ではあくまでも仮説です。正一郎さんや将太さんの部屋から、鬘や付け髭、正一郎さんの着替え用の服などが発見されれば証拠となるでしょうが、恐らくそのような危険な物をいつまでも発見し易い所に残しているとも思えません」
「とすると、道中どこかに捨てたという可能性があられると?」
「いえ、道中で捨てたとしますと、鬘などは、普通にどこにでもある物ではなく、捨ててあれば奇妙な物体になります。目に付き発見される恐れもあるでしょう。なので道中に埋めたとするならばありえるとは思いますが、安易には捨てる事はしないと思います。なので誰にも見つからない場所に隠したとする方が自然なのではないかと思います」
「誰にも見つからない場所に隠す。ですか…… そんな場所があるのですかね?」
石田警部は頭を掻きながら聞いてきた。
「えーと、それはですね、第二の事件に係わる所もありますので、そちらの方を先に説明していこうと思います」
中岡編集が説明すると、石田警部は気が付いたような顔をした。
「そ、そうだ、確かにそうだ、まだ第一の事件は、考えられる余地があったと思うが、第二の事件はさっぱり解らない、中岡さん、あなたはそれも解っているというのですか?」
「ふふふ、大凡ですがね……」
中岡編集がやたら自慢げに答えた。
「な、なんと、一体どうやって?」
石田警部は驚いた顔をした。
「では、第二の事件の謎を説明していきたいと思います。ただそれは実際に御主人慶次郎さんの部屋で説明した方が解りやすいと思いますので、もし差し支えなければ、そちらの部屋まで御移動願えるとありがたいのですが……」
「御主人慶次郎さんの部屋で説明ですか、それはそれで構いませんが」
石田警部は頷き、皆を見た。母親と百合子は同意といった顔をしていた。使用人の徳次郎と富子、真奈美は何とも言えないといった表情、容疑が色濃い正一郎と将太は俯いたまま何の反応も示さなかった。
そうして、私、中岡編集、石田警部、その他の広間にいた人間は立ち上がり、ぞろぞろと廊下を伝って主人慶次郎の部屋の前まで移動する。力なく最後尾を歩いている正一郎と将太には、刑事が鋭い視線を送っていた。
部屋の前に到着すると、刑事が部屋を開け、照明のスイッチを入れた。部屋の中にあった遺体は運ばれた後で、布団の上には遺体を形取った跡だけが残されていた。部屋には、中岡編集、私、石田警部、母親、百合子、正一郎、将太、徳次郎、真奈美、富子、及び左近刑事と大谷刑事の二人が入り込み、その他の刑事は、部屋の外から中を覗いているような形になった。
中岡編集は再び皆に視線を送りながらゆっくり説明をし始める。
「えーと、第二の事件ですが、こちらは警察の方々が屋敷にいる中で起きました。何かがあるといけないという事で、各々の部屋の鍵を掛けて寝てもらい、御主人慶次郎さんの部屋の鍵は警察の方が掛けられたと聞いています。すぐ近くの正冶郎さんの部屋の前には一晩中刑事が待機していて、廊下も夜中の間刑事がうろついていた状況です。一体どうやって慶次郎さんの部屋に侵入して、慶次郎さんを殺害したのか、そしてどうやって部屋を出たのかが謎になっています」
中岡編集はふうと大きく息を吐いた。
「実の所、先程も少し申しましたが、第一の事件で犯人が敢えて見破る事が出来るトリックを仕掛けて密室を形成したのには二つの訳があります。それは主人である慶次郎さん若しくはこの家に残っていた人間に犯行の可能性がある状態を作り上げていたかったという事。そして、第二の事件の際に行った密室殺人に於ける方法を見破られたくなかったという事です」
「第二の殺人時に於ける密室の方法をでございますか……」
石田警部は確認するように呟く。
「……先程、第一の事件の際、私は密室を作る方法を三つ説明したと思います。本当は密室ではないのに心理的に密室に見せる方法と、扉などの隙間を外からは気付かれないように固めて密室にしてしまう方法、そして何らかの細工を使って鍵を閉める方法です。ただ第二の事件に当てはめてみると、これらの三つの方法はいずれも適合しません。困った事にそれらを行なった気配が全くないのです。では、どうやったかと言うと、その三つではない第四の方法がとられたと思われるのです」
「第四の方法ですか?」
石田警部が聞き返してきた。
「ええ、第四の方法です」
中岡編集は自信ありげに答える。
「その第四の方法とは、まずこの町が伊賀の町である事、この家が古い武家屋敷だという事、そして屋根が高い寺のような建物である事が、その事を教えてくれました」
「ど、どういう事でございますか?」
「ふふふ、つまり、あるという事です。忍者屋敷によくあるものがね……」
中岡編集は天井に指を向けた。
石田警部は不思議そうな顔しながら上を見た。
「……恐らく、この部屋から戸を使わずに抜け出るルートが、この部屋にあるという事です」
「ま、まさか」
石田警部は驚嘆の声を上げた。藤林家の人々も驚いた顔をしている。ただ正一郎と将太だけは肩を落として項垂れていた。
「そんな物が一体どこに?」
「ただ、それはですね、パッと見では気が付かないようになっています、よく見ないと解りませんが、実は隠された通路になっているようなのです」
そう云いながら、中岡編集は床の間へ向かって歩いて行く。
「ここです」
中岡編集は床の間の中央にある床柱を指差した。
「ここ?」
石田警部が聞き返してくる。
「ええ、ここなのです」
中岡編集は答えた。
「えーとですね、この家の床柱には殆ど槙の木が使われているようなのですが、槙の木の床柱には特徴があります。それは枝を切った跡である出節が多く見られる事や、樹洞があったりする事です」
中岡編集は確かめるように、腰辺りの高さにある縦四センチメートル、幅二センチメートル程の樹洞を指で触りながら説明する。
「見てください、この柱は上の方に出っ張りの強い出節が多くありますよね」
「そういえばそうですな、そして上の方に樹洞というのもありますな」
石田警部が天井近くにある穴を指差した。
「ただですね、このままでは通路たらしめる事は出来ません。下の方の出節は低いのが多いですから、一手加える必要があります」
「一手加える?」
「すいません、誰か、何か木の枝か、台所にあるすりこぎでもいいのですが持ってきて貰えませんか?」
「木の枝ですか?」
「ええ、この下の樹穴に刺さりそうな太さの物をです」
中岡編集が声を上げると、脇坂刑事が慌てて取りに行った。しばらくすると脇坂刑事が庭から拾ってきたのか木の枝を持って戻ってきた。
「ありがとう、脇坂刑事。ちょうど良さそうな枝ですよ」
中岡編集は木の枝を受け取り、床柱を改めて見詰める。
「……むむ、これ本当にできるのか?」
中岡編集は囁くような声で小さく呟いた。
「……お、おい、龍馬子君、ちょっと助手を頼む」
だから、龍馬子って云うなよ! それと全部自分でやるんじゃなかったのかよ!
「いやいや、実を云うと僕は木登りが苦手でしてね、ちょっと助手にやらせようと思います……」
中岡編集は頭を掻き誤魔化すように説明した。
おい、いつからあたしは助手になったんだよ?
そんなやり取りを石田警部は訝しげに見詰めていた。
「さあさあ、早くやってくれたまえ!」
中岡編集が急かすように云ってくる。
「わ、解りましたよ」
仕方がなしに私は木の枝を持ち、床柱を目の前にした。そして、その木の枝を樹洞に突き刺す。樹洞は斜め下に向かって開いており、木の枝は水平より斜め上を向いて突き刺さる。
「じゃあ、やりますよ」
私は腰辺りにある樹洞に突き刺さった枝に左足を掛けた。そして、その枝を足掛かりにして、人の肩辺りの高さにある出っ張りの強い出節に右足をかける。
「いいですか? この藤林家の屋敷は古い武家屋敷だけあって屋内の天井も高く作られています。通常の家より三十センチメートルは高いとみて良いでしょう。通常なら椅子に乗った程度では、天井に人の手が届く事などは殆どありえないと思います……」
中岡編集の説明を耳にしながら、私は木の枝、そして出節を足掛かりに登っていく。人の肩辺りの高さまで踏みあがった私の頭の位置は高さ三メートル程に達した。
そして、私は手を伸ばし天井を触った。ここ藤林家の天井は和室によくある升目状の格天井になっている。それは殆どの部屋が同じ作りになっていた。
私は床柱の真上に位置する升目状の天井板を触った。そのまま力を込めて押し上げてみた。しかし全く押し上がる気配はない。
「あれ、上がらない……」
敢えて右手前角を押し上げてみた。しかし押し上がる気配はない。続いて右手奥角を押す。ここも上がる気配は無かった。
「おい、全然上がらないぞ!」
徳次郎が私と中岡編集に非難の声を上げる。
「ど、どうした! 龍馬子君、頑張れ、早く空けるんだ! 出来る。君なら出来るぞ!」
また龍馬子って云う。それに自分の為の応援だろ。これ私にとって得るものはあるのだろうか……。
「……な、中岡さん、そんなに急かさないで下さいよ……」
少し考えてから、私は手の平を天板に押し当て、床の間の奥側へとスライドさせてみた。すると僅かにその部分が奥へとずれた。見た目には変わらないが三センチメートル程横に動いた。
私は再度力を入れ天板を上へ押し上げる。すると天板が上へと持ち上がった。
「お、おおおっ、天井が開いたぞ!」
石田警部達からは驚きの声が聞こえてきた。
「やった! やった! ほら、開いた、ほら開いたでしょう? ねえ見た?」
中岡編集が踊り出さんばかりに喜んだ。随分胡散臭い反応だ。
そのまま私はゆっくりと天板を押し上げ、石田警部が先ほど指差した天井近くにある穴に指を引っ掛け、出っ張りの強い出節を足掛かりにして身の半分程を天井に突き入れてみた。
「おお、本当に天井に入り込んだぞ!」
石田警部と刑事達は思わず声を上げた。私はホッと息を漏らす。
「いやいや、僕が思うに、藤林家はやはり、元々忍者的な活動をされていたお家柄なのではないかと思います。このお屋敷は古いとは思いますが、さすがに四百年前の物とは思えません、多く見積もっても二百年前ほどの物だと思われます。江戸中期なのに、こんな仕掛けのある家を建てられるというのはやはり伝統からではないかと……」
我に返ったのか中岡編集が、多少冷静さを取り戻し格好を付けて言及した。
「いやいや、この高い天井の天井裏とは……」
石田警部は感心したように呟いた。




