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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第五章
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再び伊賀の町へ  弐

「坂本さん、そろそろ伊賀市駅の方へ向かいましょうか」


 脇坂刑事が近付きながら促がしてくる。


「そ、そうですね」


「ああ、そういえば中岡さんも一緒に行かれる事になったのですよね、宜しくお願いし…… あ、あれ、中岡さん…… 先程と少し様子が違っているような……」


 脇坂刑事の視線は顔から徐々に中岡編集の頭部へと向けられていく。


「なにらや御髪が乱れているような…… ん? 頭の真ん中に何か付いていますよ……」


 脇坂刑事は中岡編集の頭部を指差す。


「つ、付いている訳じゃなくて、それは髷のようです……」


 私は先んじて説明する。


「えっ、ま、髷?」


「ええ、髷です」


 再び脇坂刑事の視線が頭に向けられた。頭のてっぺんに付いている物をもう一度確認するらしい。


「ぶっ、ぶはっ!」


 脇坂刑事がまた噴いた。その噴出した唾液や鼻水が霧状に中岡編集に噴きかかる。


「うわっ、な、何を! あ痛っ、目が、目が沁みる!」

 

 霧状の液を喰らったせいか、目をしばしばさせながら中岡編集が叫んだ。


「けはっ、ごほ、ごほ、す、すみません、すみません…… またツボに入ってしまって……」


 脇坂刑事は涙目で頭を下げる。


 こ、こいつは噴く癖があるようだ。嫌だな、今後は余り近付かないようにした方が良さそうだ……。


 私は一歩後じさる。


「いや、だって、変な事を云うから…… 」


 脇坂刑事がまたあのハンカチで口の回りを拭きながら言い訳がましく云った。徐々に鼻水や唾液の濃度が高まってきている気がする。


「……な、何が変な事なのでしょうか?」


 中岡編集が薄目を開けながら厳しい顔で聞き返す。まるで異人に丁髷を馬鹿にされた武士のようだ。


「あ、いや…… だって…… 髷なんて結っている人なんか現代では居ないじゃないですか…… そ、それなのに髷なんて結うから……」


 脇坂刑事は困ったように頭を掻く。


「貴方の上司が結って居られるようですが……」


 中岡編集が憮然と云う。


「あっ…………」


 脇坂刑事は口を押さえる。


「貴方は石田警部に対しても噴くのですか?」


 上司を引き合いに出され、脇坂刑事の顔が強張った。


「…………い、いえ…… 噴きません。……そうですね、し、失礼致しました…… 大変良くお似合いだと思います……」


 脇坂刑事は深々と頭を下げる。


 お、おい、あ、謝るのかよ! 謝る必要はないだろ、それにどう見てもあれ全然似合ってないぞ!


「ふっ、解ればいいです。噴くような事では無い事は認識しましたか?」


 中岡編集が堂々と髷頭を見せ付けつつ問い掛ける。


「えっ、ええ……」


 脇坂刑事は戸惑い気味に頷く。


「ふと僕は思ったのだが、脇坂刑事も髷を結った方がいい。そうすればもう少し出世できるかもしれないぞ……」


 た、確かに少し気に入られ、出世は出来るかもしれないか……。それで良いのか?


「えっ、私も髷ですか?」


 とはいえ脇坂刑事は五分程の短髪だった。どう掻き上げても結べそうにない。


「……うむ~、違うな、そうだ逆に全部剃った方が良いかもしれない…… 貴方には入道の方が似合う」


「にゅ、入道ですか……」


「ああ、そうだ。脇坂安冶入道、臨松院を意識するのだよ」


「臨松院…… で、ですか……」


 中岡編集は脇坂刑事までも妙なゾーンに引き込むつもりらしい。


 いずれにしても石田警部を引き合いに出され、脇坂刑事は何だか良く解らないうちにやり込められてしまった。


 しかし、色々良く知ってるな……。私は脇坂安冶の出家後の名前なんて知らないぞ…… さすが歴男だ。


「ま、まあ、髪の事は置いて於いて、そろそろ伊賀市駅に向かいましょうよ……」


 早くこの良く解らない世界から脱したいのか、脇坂刑事が慌て気味に促してくる。


「そうですね、時間も余りないようですのですぐに向かいましょう」


 助け舟ではないが、私も頷く。


「相解った。では、行こうじゃないか」


 中岡編集も頷いた。


 そして中岡編集を先頭に私達は玄関の方へ踏み出した。


 しかしながら、玄関部に到着した所で私は二人に声を掛ける。


「あっ、ちょっと待ってください、靴はまだ履かないで下さい……」


 私はそこで靴は履かず、自分の靴を手で抓み持ち上げる。中岡編集は眉根を寄せた。


「あれ、ど、どうしたんですか一体?」


 脇坂刑事は驚いた様子で聞いてくる。


「いえ、家の裏手から出てみようと思って……」


「えっ、裏口からですか?」


「ええ、気になる点を少々確認したいと思いますので……」


「ほう、成程な、確かに確認した方が良いかもしれない……」


 中岡編集は小さく頷いた。


 私は靴を持ったまま、元来た廊下を引き返し屋内を奥へ向かって進んで行く。後ろには中岡編集と脇坂刑事が付き従った。


 母屋の裏側には裏庭部に出ることが出来る部分が二箇所ある。正面左側になる主人の部屋の前の廊下の突き当たりと、正面右側の百合子や母親の部屋の前の廊下を進んだ突き当たりにある台所からだ。母屋から裏庭に出る事はその二つの部分から出られるが、屋敷は塀で囲まれているので、屋敷内から出るには更に後方の勝手口を使わなければならない。


 廊下は母屋の後方では繋がっていないので、犯行を行なうなら玄関側から廊下を回りこんでくるか、裏庭部を伝って勝手口か、台所側からやって来るしか方法がない筈だ。


「私としましては、一応、裏道の方もこの目で確認しておきたいのですよ」


 私は脇坂刑事に説明した。


「わ、解りました」


 脇坂刑事は頷く。


 主人の部屋側の廊下の奥から外に出ると、茶室から望める小さい箱庭になっていた。話によると、そこの鍵は昼間はいつも開かれているらしい。箱庭の背となる竹で出来た衝立の裏側に通路があり、そこを進むと、漆喰塀に簡単な木で出来た戸が見えてきた。これが敷地外に出られる勝手口のようだ。


 簡単な木製の閂が付いていたが、犯行時は開いていたらしい。まあ仮に栓がされていても簡単に開く構造に見えた。


「ここから外に出られます」


「ええ、でも、ちょっと待ってください。一応、台所側まで行ってみたいと思います……」


 裏の勝手口前へ至りはするも、その木戸から外へは出ず、そのままぐるりと家の後ろ側の通路を回り込んで行くと、母屋から飛び出た形の台所部が視界に入ってきた。


 台所部の近くにはゴミを集めておく為の大型のゴミ箱が二つあった。いずれにしても茶室側の戸までは一分も掛からず行けそうである。


「どうですか? なにか分かりましたか?」


 後ろから付いてきた脇坂刑事が聞いてきた。


 私は少し考えてから答える。


「いえ、もう十分です。先程の勝手口から外へ出てみましょう……」


 そうして、私達は少し戻って勝手口から外へ出てみた。


 勝手口の外側はちょっとした登山道のようになっていた。小高い丘の上に作られた藤林家の屋敷だけあって裏側から斜めに降りられる道が左右に作られているらしい。


その山の緩やかな傾斜には段々畑が広がっているのが見えた。木々の隙間からは畑で働いている人の姿が確認できる。恐らく裏の畑は人に貸しているのだろう。


「えーと、駅はどっちですか?」


 私は左右に顔を振り質問する。


「駅は右側ですよ」


 脇坂刑事が答える。


「こちらですね」


 私と中岡編集、そして脇坂刑事は右側の傾斜を降って行った。


 畑で働いている人々はいるが、木々が生い茂っているので視界には入りにくい感じである。幸いな事に中岡編集の妙な髪形は人に見られずに済む訳だ。


 そのまま進むと山と平地の境辺りから舗装された道路へと出た。それは私と中岡編集が伊賀市方面から歩いて来た時に通った道だった。


「じゃあ駅はこっちです」


 脇坂刑事の先導で私達は駅へと向った。


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