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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第一章       ● 其ノ四 伊賀屋敷殺人事件
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伊賀へ  弐

 車窓に写る茶畑、浜名湖などを眺めながら、清水、掛川、浜松、三河安城と過ぎ、私と中岡編集を乗せた列車は名古屋駅へと到着する。更にそこから二車両の関西本線の列車に乗り変え、亀山、柘植駅などを経て、伊賀上野駅まで進んで行った。


「ふーっ、ようやく伊賀上野まできましたね」


 長い列車旅に疲れた私は伊賀上野駅のホームで大きく伸びをしながら声を上げた。


 時間を有効に使う為にと始発の東海道線に乗り込んだものの、ここまで随分掛かった。経費削減らしいが新幹線を使わせてくれよ……。


「あ、あれ、どこに行くんですか? 降りるんじゃ?」


 駅を出ることなく別のホームに進んでいく中岡編集に、私は声を掛ける。


「いや、ここはまだ目的地じゃないぞ、ここはまだ伊賀盆地の北の方なのだ。ここから更に伊賀線に乗り換えニキロ程南下して上野市駅まで向かわなければならない。その辺りが伊賀の繁華街で伊賀上野城の城下町となるのだ」


「そ、そうなんですか…… 伊賀上野って名前だからここが目的地かと思っちゃいましたよ……」


「残念ながらまだだな」


「とすると、また列車に乗るのですか…… もう列車には乗り疲れましたよ……」


 私は大きく息を吐く。


「まあ、あと少しだから頑張りたまえ」


「解りましたよ……」


 そうして、私と中岡編集は伊賀線のホームで列車の到着を待った。ホームには私と中岡編集以外には、青年が一人いるだけだった。


 しばらく待っていると三両編成の濃緑色の列車がホームに入ってくる。私達は車内に入り、端の方の席に腰を下ろした。私達以外に七人ぐらいの乗客が乗っているだけだった。


 程なくして列車はゆっくりと出発する。


「さて、伊賀に入ったことだし、到着まで時間があるから伊賀の国について少々説明しようかな」


 列車が動き出し、少し落ち着くと中岡編集が声を掛けてきた。


「え、ええ」


「まず、旧律令国の伊賀の国というのは北は鈴鹿山脈の御斉峠辺りで南近江に接し、東は布引山地の笠取山辺りで伊勢の国に接し、南は高見山地の倶留尊山辺りで同じく伊勢の国に接し 西は島ヶ原村付近で奈良に接している。一応、上野盆地全域がほぼ昔の伊賀の国と云って良い範囲になる。そして、周囲を山で囲まれていることから隠し国とも呼ばれていたのだ。石高は十万石丁度とされている」


「あれ、丁度なんですか? 随分キリのいい数字なんですね、確か尾張が五十七万二千石位だったような気がしましたが……」


「ほう、中々知っているな」


 中岡編集がにやりと笑う。


「慶長検地の際にこの石高が算出されたらしいのだが、隠し国だからか雑な検地が行われたように感じられる……」


「キリが良過ぎて、そんな感じに思えますね」


 そこまで云って、中岡編集が不意に私の顔をじっと見た。


 な、なんだ一体?


「さて、それでは今度は君に、伊賀の歴史を説明してもらおうかな?」


「えっ?」


「いや、常々思っていたのだが、君は自分の事を歴女だ歴女だと云っている割に、余り歴史に詳しくないのではないかと感じてね」


「で、でも、尾張の石高をちゃんと答えたじゃないですか」


 私は云い抗う


「いや、いや、そこは君が好きな部分だからだろう。歴史全体としては、下手をしたら僕よりも歴史に詳しく無いのではないかと思うのだよ、ちょっと疑わしい……」


「いやいや、だってそれは中岡さんが歴男だから……」


 や、やばっ、歴男って云っちゃった。


「れきお? ん? れきおとは何だね……」


 中岡編集が憮然とした顔で聞いてくる。


「い、いえ、別に、大した事じゃあ……」


「なんだね?」


 厳しい顔で中岡編集が聞いてくる。


「いえ、ほら、中岡さんはとても歴史に詳しいじゃないですか、歴史に詳しい女子が歴女。となれば歴史に詳しい男子は歴男が良いのではないかな~と思って…… なので中岡さん歴男かなと……」


 無言で私の事を見詰めている。目が笑っていない…… いけないらしい。


 中岡編集はふうと大きく息を吐いた。


「ああ、君はいつも僕が龍馬子、龍馬子と云ってしまった際に罵詈雑言の限りを尽くし僕に怒声を浴びせかけていたが……」


 そ、そこまででは……。


「……実は影で僕の事を、れきお、れきおと小馬鹿にしていたと云うのか……」


 中岡編集は憮然と云う。やばい空気だ。そして事あるごとに反芻されそうだ。


「……あっ、いえ、いや、いや、違うんです。一瞬、私の説明した歴男と思ったでしょう。あれは冗談なのです。実は違うんですよ、聞き違いです。節調ですよ」


 私は無理やり取って付けた。


「節調?」


「ええ、本当は、れきおーです。れきおーと云ったのですよ」


「れきおー? なんだね、それは」


 中岡編集は再び怪訝な顔で聞いてくる。


「ほ、ほら、雑学王とか、クイズ王とかあるじゃないですか」


「ああ」


「ほら、中岡さんは歴史全版から、仏教、百人一首、和歌まで詳しいじゃないですか、私なんてとても及ばない程詳しくてらっしゃる」


「まあな」


 まあな、って凄いな……。


「だから、歴史の王様だと、感慨と畏怖を込めて歴王と云ったのですよ、褒め言葉ですよ。最上級の褒め言葉ですよ」


「褒め言葉……」


 少し顔に喜色が浮かびだした。


「ええ、褒め言葉ですよ。ほら素敵みたいな感じですよ。素晴らしすぎて敵わない。そうです。とても敵わないから歴王と云って褒め称えているのです」


 私は必死に持ち上げた。


「……ほ、ほう、歴王か…… 中々格好が良いな。歴史の王様か……」


 中岡編集がにやりと笑った。どうやらとうとうお気に召したらしい。歴史の知識は豊富だが感情が単純で良かった……。


 私はほっと胸を撫で下ろす。


「ほ、ほら、だから、だから折角なので、中岡さんの歴史の知識を披露して下さいよ」


 私は畳み掛けるように提案する。私が披露したら何を突っ込まれるか解らない。


「ほう、聞きたいと云うのかね? この歴王の説明を聞きたいと云うのかね?」


 中岡編集は上から目線で物を云う。


「ぜ、是非とも、聞きたいです!」


 私は謙り頭を下げた。ここは逃げの一手だ。


「良かろう。では語って聞かせよう。とはいえ伊賀の国に於ける人間の歴史は隠し国と呼ばれていただけあってあまり歴史の表舞台にその名前は出て来ない。マイナーな歴史と云えるがな」


 その辺りは確かに私が苦手とする所だ。


「まず平安時代、鎌倉時代、室町時代に関しては特段目立った歴史上の出来事は見当たらない。聞いていたら、君はこの歴王に対して失礼にも船を漕いでしまうかもしれない。それは歴王の説明が下手なのではないぞ。歴史が詰まらな過ぎるのだ。なので少し動きがある所から始めるとしよう」


 随分言い訳がましい歴王だ。


「一応、戦国期になってようやく少し動きを見せ始める。それでも他の国に比べると話題は随分少ない方だがな…… まず戦国時代初期には足利系の仁木氏という豪族が伊賀の国の守護職に付いていた。しかしその守護職仁木氏は、北の六角氏と南の北畠家に押され、中央付近の二郡に影響力を及ぼす程度だったらしい」


「六角氏と北畠家は知っていますが、仁木氏の事は良く知りませんね……」


「まあ、とにかく伊賀の国では三つの豪族が凌ぎを削っていた訳だ。だが戦国末期から織田信長の台頭により、その仁木氏も六角氏も足利将軍を擁して京に登る信長にあっという間に滅ぼされてしまったのだ。また、伊賀南部を支配領域に抑えていた北畠家も領地拡大を目論む織田信長の侵攻を受ける事になってしまう」


「あれ、そういえば北畠って、信長の三男である信雄が北畠信意って名乗っていましたよね?」


「ああ、調略で北畠家の旗下であった家臣を寝返らせ、信長が信雄を無理やり北畠家の養子として送り込んだのだ。そこで北畠家はそこで織田家に乗っ取られる事になる」


「酷い話ですね」


「だが本能寺の変が起こり情勢は一変する。織田家家臣の後継者争い及び、世継ぎ問題が複雑に巻き起こってしまうのだ。伊賀の国は本能寺の変後しばらくは信雄の支配領域であり続けるも、信雄は小牧長久手の戦いの際に徳川家康と共謀して豊臣秀吉と対峙する事になる。その際、秀吉の調略で配下であった九鬼氏や秋山氏が裏切り、筒井順慶や蒲生氏卿などに激しく攻め立てられ、信雄はとうとう圧力に屈し家康に断りもなく伊賀と伊勢半国の譲渡を条件に講和を結んでしまった……」


「それで大義名分を失った家康は兵を引く事になるのですよね?」


「ああ、流れが変わった所だな。その後は豊臣政権下の支配領域となり、筒井家が旧領の大和からの国替えで伊賀へと入ってきた。だが、豊臣政権の力も秀吉の死と共に衰え、筒井家は大阪の陣の前に、豊臣秀頼や大野冶房と内通していたと徳川方に難癖付けられ改易されてしまう事となる。まあ徳川家の事情から云えば、筒井家は豊臣家に近いと考えられていたので、東海道の要衝である伊賀の地に置いておくのは危険との事で改易したと云われている……」


「信長、秀吉、家康と天下人が移り変わっていく中で、国を治める人間もどんどん変わってしまった訳ですね……」


「ああ、無情だな。その後、四国今冶を領していた藤堂高虎が伊賀の国へ入り初代津藩の藩主として、伊勢、伊賀の国を治める事となるのだ。それから先は藤堂家の支配のまま幕末まで続いていくと…… そんな感じだ」


 そこで中岡編集は静かに話を終えた。


「大変勉強になりました。さすがは歴王様です」


 私は慇懃に頭を下げた。


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