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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第九章
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事件解説  参

「それでは皆さん、続いて下の階層に移動してもらっても宜しいでしょうか」


「え、ええ」


 横にいた源次郎は戸惑いつつも返事をする。


 隠し部屋から村上氏の寝室に出ると、その場に留まった初と呉羽、娘の飛鳥、そして鑑識の人間二人が待っていた。初と呉羽は顔を伏せたままだった。


「お待たせしました。そうしましたら今度は下の階層に移動したいと思います」


 私は初や呉羽達にも声を掛ける。


「え、ええ、畏まりました」


 初は小さい声で答えた。飛鳥と呉羽は横で小さく頷いた。


 そうして皆で連れ立ち、道場のような広間や厠、昇降機の乗り口などがある下の階層へと降りていく。

 階段を降りきり、厠の前辺りに差し掛かった所で私は足を止め再び口を開いた。


「……さて、その先で行わなければならないのは、紐を引くことと、その証拠となる紐を消し去ってしまわなければならないことですが……」 


「ここに紐が垂れていたのであれば簡単に引けますよね……」


 源次郎が厠の上のほうを見ながら云った。


「確かに、ここまで紐が導かれていますので、後は引くだけで弓曳き童子は動き出す事になります」


「じゃあ、夜中の三時頃、ここに近付いた人間が犯行を行った訳ですね」


 その源次郎の問い掛けに、私は手を挙げ言葉を制す。


「いえいえ、ちょっと待ってください。そう決め付けてしまうのは早合点になります。一応なのですが、昨夜、御殿部分で寝ていた人間の位置関係を振り返ってみたいと思います」


「位置関係ですか……」


「御殿手前側の一階に食事をした大広間があり、その場所と天守の間辺りに、私と中岡さんが泊めて頂いた部屋があります。そして、御殿部分の二階部分に初さん、飛鳥さん、呉羽さんの部屋が三つ並んであります」


「ええ、その通りでございます」


 源次郎が頷く。


「さて、その上で二階部分に寝ていた人達に焦点を当てて考えてみますと、私と中岡さんという予測できない動きをする人間の脇を抜けて天守下まで行くであろうかという部分が出てきます。そして初さんが仰られていて、私も気が付いていましたが、この本丸の建物は結構な軋み音が立ちます。しんと静まりかえった真夜中に廊下を歩き階段を昇り降りするとなると他に寝泊りしている人間に気付かれてしまう可能性が高いのではないかと思います……」


「ふん、じゃあ、犯人はあんたかそっちの小間使いと見るべきか…… あんたは龍馬子、龍馬子と馬鹿にされ殺意を抱いたと……」


 料理番が気が付いたような顔で云った。


「けえええええええい!」


 私は叫んだ。


「な、なんだよいきなり……」


 私の声が大きかったのか料理番は驚いた顔をする。


「り、龍馬子と云ってはいけません」


「だってあんたのペンネームは龍馬子って云うんだろ?」


「……そ、それはそうですが、傷付きますから云わないように……」


 そして、私は天を仰ぐ。


「……確かに龍馬子、龍馬子と馬鹿にされ、その瞬間には、嗚呼、神様、この失礼な男に何か罰をお与えくさいと、僅かに思いはしました。翌朝起きたら亡くなられていたので、唖然としましたけどね」


「えっ、き、君はあの時そんな事を思っていたのか?」


 城の住民のやや後ろに座っていた中岡編集が驚いた顔で聞いてくる。


「ええ、思っていましたとも。中岡さんにいつも龍馬子、龍馬子と云われている際にも少なからず思っています」


「えっ」


 中岡編集は顔を強張らせる。


「き、君は、ぼ、僕に罰を当てるようにお祈りをしているというのか? で、でもだね、僕は親友に対する愛情を込めて云っているのだが……」


「誰が親友じゃ! 兎に角私は龍馬だとか龍馬子だとか云われるのは嫌なんです。云われる度に少なからず思っていますよ」


「そ、そうなのか…… ば、罰は怖いから気を付けよう……」


 中岡編集は少し反省した様子で呟く。


 あ、あんた、ば、罰が怖いからって…… 私が嫌がっているようだからという発想じゃないのかよ……。


 私は憮然と中岡編集を睨む。


 そして私は改まり料理番を見た。


「……ですが私は馬鹿にされたからといって殺そうなどとは思いません。一宿一飯の恩義もありますから馬鹿にされようとも耐えます。ひーひーふーです」


「ひーひーふーだと? 何だよ、それは」


 料理番が怪訝な顔をする。


「ひーひーふーは置いて於いて、兎に角、朝に源次郎さんや幾島さんが村上氏の部屋に行ったり来たりしている際に結構な軋み音が聞こえました。真夜中のしんと静まり返った中、誰かに気が付かれる可能性がある状態で、態々紐を引きに来るという行為は、犯人からすれば危険極まりない行為です。ここまで周到な準備をしていた犯人がそのような軽率な行動を取るとは考えにくい所があります……」


「な、なるほどな……」


「それは二の丸で寝泊りされていた美津さんや福子さん、幾島さん。そして余り庇いたくはありませんが料理番さんにも同じことが云えます」


「おいおい、か、庇いたくないって、あんた私情を挟むなよ……」


 料理番は憮然とする。


「……私情は挟みません。ですが、今の言葉は、デリカシーのない料理番さんへの私の素の気持ちです」


「……」


 料理番は苦虫を噛み潰したような顔で私を見た。


「……そして、大手門の外側の平櫓で寝泊りされていた源次郎さんにも同様な事が云えます。幾島さんや料理番さん、源次郎さんは一人で寝泊りされていたとの事でしたが、いずれにしても御殿部分の廊下を通らずには天守下の厠には辿り着けませんからね……」


 源次郎は無言のまま頷いた。


「そのような事柄を踏まえ、私として色々考察してみた結果。紐は午前三時頃に厠の前で誰かに引かれたのではなく、予め仕掛けられた機巧によって、時間が来たら自動的に引かれたのではないかと考えます」


「自動的に紐が引かれるですか?」


 源次郎は戸惑った顔で呟いた。


「ええ、そしてそれが仕掛けられたのは、まだ人の出入りが激しく、軋み音などが全く気にならない時間帯だったのではないかと……」


「そ、そんな…… でも、誰が、どうやって、そんな仕掛けをしたと云うのですか!」


 源次郎が聞いてきた。


「私は最初、引くとなると昇降機の動きを利用したり、更にもう一層下層にある海水を引き上げて蒸留水に変える設備に引っ掛けたり、水車に絡ませ糸を引く方法が取られたのではないかと考えました」


「昇降機とか、水車に引かせるですか……」


「しかし昇降機は外側の戸を完全に閉めないと内部が動かない構造になっている事や紐が回収できない事が問題になってしまします」


「ああ、私が説明した所ですね」


 源次郎が思い出したように云った。


「ええ、昇降機は開いたまままでは動かす事が出来ない。それは間違いないですよね?」


 私は改めて確認した。


「ええ、開いたままでは動かすことは出来ません。それは確かです」


 源次郎はきっぱりと言い放った。


「なのでもっと下で引いたものだと思われます」


「となると水車ですか?」


「まず、ここまで下ろされた紐は、あそこにある廊下の窓か、厠側に廻され、水車近くまで更に下ろされたのではなかと思います。恐らく厠の方が紐を隠せますし、位置的にも真下になりますので、厠の穴が使われたのではないかと推測します。石か何かに紐を結んで穴から落とせば、作業をしている所を見られずに済みますしね」


 源次郎は頷く。


「ただ水車に関しては紐が絡まり巻き付いているかと確認に行ったのですが、水車そのものを動かした形跡がありませんでした。水車が動いていないということは、動力が得られませんから、海水を引き上げて蒸留水に変える設備自体も動いていない事になります」


「水車でも、濾過装置でもないとなると ……じゃあどうやって?」 


質問してくる源次郎に私はゆっくりと答えた。


「……それはですね、恐らく船を流して引いたのだと思います……」


「えっ、ふ、船ですか?」


 私の答えに源次郎は目を丸くした。


 その他の静、呉羽、飛鳥、料理番、幾島、福子、美津も驚いた表情で私を見ていた。


「確か、私がこの城に到着した際、村上氏に水車を見せて頂いた時には、水車の近くに水車の手入れの際に使われる為の物なのか盥船が桟橋に繋がれていました。しかし次に源次郎さんに水車が使われた形跡がないか確認してもらいに行った際に見た時にはその盥船が見当たらなくなっていました」


「そ、そういえば掃除用の盥船が無くなっていたかもしれません…… でもあんな物で?」


 その源次郎の問い掛けに私は頷いた。


「……そもそも、海に水車があるというのは奇妙な事です。川ならば一定方向にある程度の同一の速度で流れていますから、水車は安定した回転を得られ水車としての機能を果たしてくれますが、潮の満ち引きで波打つような水の流れをしている海では水車は水車として機能してくれません。なのに、なぜこの城では水車が上手く機能してくれているかといえば、それは瀬戸内海という周囲を仕切られた海である事が関係しています。瀬戸内海では川の流れのような潮流が所々にあるようで、丁度この城の付近も桟橋がある側から天守閣がある方向に時速五百メートル程の穏やかな潮流が流れています。なので、その潮流に船を乗せて糸を結び流したのではないかと思います……」


「は、果たして、そ、そんな事が上手くいくのでしょうか?」


 それまで黙って話を聞いていた妻の初が声を上げた。


「おそらく水車を利用するよりは簡単なのではないかと思います。水車の近くまで下ろして紐を船に結び付けるだけですからね」


「は、はあ……」


「時速五百メートルというと一時間で五百メートル、二時間で千メートル、四時間で二千メートル移動する事になります。当初私は琴糸が使われたのではないかと考えていましたが、二千メートルもの琴糸はそうそうありません。それに万が一発見された場合不自然になってしまいますので恐らく釣り糸が使われたのではないかと思います。船に釣り糸がくっ付いていてもおかしくありませんからね、昨夜の夕食後に絡まないように気を付けながら船の一部に釣り糸を結び付け、船を放流します。後は放置すれば、四時間後には糸が引かれ、からくりが動き出すといった具合です。そして船は更に進み続けますから、今頃、船は二十キロ先の海を漂っているのではないかと思います。深海用の釣り糸を二千メートル程垂れ下げながら……」


「そ、そんな方法をとったと言うのですか……」


 初は呆然とした顔で頷いた。


「……実は今、警察の方にご協力をしていただいて、その無くなった盥船を捜してもらっている状態です。もし見つかり、その船に長い釣り糸が結び付けられているようなら、その方法が取られたという確固たる証拠になる事でしょう……」


「あの盥が引いたとは……」


 源次郎が驚いた顔で呟いた。


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