考察 肆
中岡編集は改まり話し始める。
「そろそろ歴史の流れの説明へと戻るとしよう。え~と、そうして織田家は長篠で大勝を得ていながらも、尚武田家の力を恐れ、調略は続けるも手を出さなかった。しかし、天正十年ついに織田方の武田征伐が本格的になる。勝頼は防衛力向上の為新府城を築城するも、築城を任された西信濃を抑える木曾氏が経済的負担が大きいと織田方に寝返る事となる。逆にその木曾氏を先鋒として信長嫡男の織田信忠率いる織田軍が木曾口から攻め込んできた。その後ろから信長本隊が六万の軍勢で進出してくる予定だったらしい」
「六万ですか、長篠以上ですね、相当な兵力ですよ」
「しかし武田軍はもう脆かった。勝頼率いる軍は鳥居峠で信忠の支援を受けた木曽氏と相対するも敗北してしまう。諏訪で再度抑え込もうという考えもあったようだが、情勢から無理と判断して勝頼は新府城に撤退する。高遠城が落ち、そして梅雪も徳川家康を介して織田方に寝返ってしまった。相次ぐ国人衆の裏切りに、武田家は総崩れとなってしまう。勝頼は新府城で籠城するつもりだったが、新府城では無理だという小山田信茂の進言に従い、小山田信茂の都留郡を目指して落ち延びる。そこで小山田信茂の裏切りにあい、行き場を失った勝頼は天目山で自刃して果てる事になるのだ……。戦で果てる訳でもなく、さぞ無念な最期だったに違いない……」
「小山田信茂はちょっと酷いですよね。何もそこで裏切らなくても……」
私は憮然として云った。
「確かにその裏切りは信長からも非難され、梅雪は離反を許されたが、小山田信茂は信用できないと処罰される事となるんだ。そして、武田勝頼の死後、武田家の名跡(名を継いでいく権利)は梅雪に引き継がれる事となった。云ってみれば穴山梅雪は武田梅雪となったといっても良い状態だ。一応、梅雪が寝返る条件として旧領の安堵と、その武田の名跡を引き継ぐ事が条件だったらしい。そして勝頼が死んだ天正十年五月には信長へのお礼言上の為、家康と共に安土を訪れ信長に謁見する事になる……」
「ああ、先程聞いた鯛の接待の時ですね」
「そして、その一か月後に本能寺の変が起こる事となった。その時堺見物をしていた家康と梅雪は本能寺の変を聞きつけ、家康は伊賀を抜け、梅雪は京都と奈良の県境辺りを抜ける経路を取る。その途中、盗賊に命を狙われ、ついに梅雪は四十一年の生涯を終える事になるんだ」
「う~ん、何だか冴えない最後ですよね……」
「因果応報というのを感じるね」
中岡編集も同意らしく小さく頷いた。
「……それでなのだが、梅雪には勝千代という嫡男がいた。その他は女児ばかりだった。梅雪亡き後、折角武田家の名跡を穴山氏が引き継いで良いという条件を得ていたにも関わらず、その勝千代は天正一五年に急死してしまい、梅雪の血筋はそこで途絶えてしまう事になってしまった。しかし、穴山氏や甲斐武田氏の名跡の断絶を残念に思った徳川家康が、天下を取った後に自分の五男を養子として武田家に出し、自分の子に武田の名を継がさせる事にした。ここに徳川家の血筋の武田家の人間が出来る。だが、その武田信吉も子孫を残さず二一歳の若さで死んでしまい、再び武田家、穴山家は断絶してしまう事になるんだ……」
「あれ? どういう事ですか。穴山家、いや武田家の氏族も含めて断絶してしまっているならば、今、私達がいるこの穴山家は一体?」
私は断絶という言葉を訊いて腑に落ちない気分に捉われた。
「そうだな、その事は僕もよく解らない。だが確か武田家の子孫が存在しているという話は聞いた事がある。そちら側から良く調べてみよう」
そう云いながら、中岡編集は別の本を手に取り食い入るように読み始めた。歴史関係の本だった。ページを行ったり来たりしながら細かく読み込んでいた。
しばらくすると中岡編集が顔を上げる。その顔には僅かに喜色が浮かんでいた。
「まあ、これは武田家に関する事で、穴山家に関する事ではないのだが、武田家が残っていれば、その氏族である穴山家の名跡が復活する事もありうると思われる。それで細かく武田家の系図を調べていくうちに、武田家の血筋が現在まで続いていることを見付け出したよ」
「どういう事ですか?」
「実は武田信玄の二男、幼少期の病で盲目になり、出家して仏門に入っていた海野信親という人物の子孫が生き残っていたんだ。海野信親は、盲目ながら、穴山梅雪の娘を妻に迎え、武田信道という子をなしていたんだ。その信道系の子孫が、江戸期に高家(儀式や典礼を司る役職)として武田家を復活させ名を引き継いでいたのさ」
「とすると、その高家武田家から派生して穴山家の名が再興したという可能性がある訳ですか? 穴山梅雪の娘の血も流れている事だし……」
「そう考えるのが一番近いかもしれないな、とすると我々がいる穴山家が、その系統だと想定して、掛け軸に書かれた先祖の名というのを考察すると、埋蔵金を埋めた時期などから考えるに、信玄とは思いにくいな、どちらかというと海野信親の可能性が高そうな気もしてくるが……」
「次男の血筋ですか……」
中岡編集は頷きながら腕時計に視線を向けた。
「……だが、それを調べていたら睡眠時間が無くなってしまう。今日は結構歩いたし、時間ももう十一時過ぎだ。そろそろ今日は終わりにして寝よう」
そう云い本を閉ざしながら中岡編集は大欠伸をした。
「本当ですね、もうこんな時間……」
見ると、中岡編集はいつの間にか松花堂弁当を綺麗に食べ尽くしていた。
「腹も満たされたし、続きは明日だ」
「解りました。そうしましょう」
と答えたものの、私には希望的なものがあった。欲求とも云えるが……。
「と、ところでこの城にはお風呂はあるのですかね?」
「お風呂? あるかもしれないが、こんな時間じゃ入れてくれないだろう」
そう説明した上で、中岡編集は探るように私を見る。
「入りたいのか?」
「まあ、出来れば入りたいですね。昨日も入っていませんし、今日も山登りしたのに、入っていませんからね」
「いずれにしても明日でないと無理そうだ。夜出歩くなとも云われているからな。明日に朝風呂にでも入れてもらうといい」
「仕方ないですね」
私は肩を落としながら応えた。
「じゃあ、昨日同様に僕はこの部屋で寝るから、君はあっちの部屋へ行きたまえ」
中岡編集は隣の部屋を指差す。
「それじゃあ、疲れたので寝ます。それでは失礼します」
私は小さく頭を下げ、隣の部屋に入り、仕切りとなる襖を引く。その際にふと頭に過ぎるものがあった。
「中岡さん。夜中にこっち来ないで下さいね」
隙間から声を掛ける。
「行かんよ。汗臭い龍馬を抱こうとは思わん」
なんだと! なんと失礼な!
「だ、だ、だ、だから龍馬って云うな! それにこっちだって抱かさんわ!」
私は頭にきて、力強く襖を閉じた。
そして、いらいらしながら押入れを開け、布団を敷き、そこに身を預ける。
そんなに汗臭くなんてないわよ! 私はそんなに汗臭くなんて無い! 七面山に登る時荷物を持ってあげたのに、なんて失礼な奴だ!
苛立っているものの、流石に疲れていたのか、布団に横たわるとすぐに強力な睡魔に襲われ始めた。今日一日散々山道を歩き、疲労していた為かもしれない。私はそのまま深い眠りに落ちてしまった。