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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第三章
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考察  弐

 そこまで説明し終えると、中岡編集は料理を摘み始めた。私も刺身、揚げ物などを口に運び、お腹を満たしていく。


 しばらく食べ進めるも、埋蔵金の事が気になるのか、中岡編集は別の本を手に取り、それを片手に読み始めた。その本は穴山氏の歴史に関する物だった。


 ある程度、資料を読み進めてから、中岡編集は再び声を上げた。


「さて今度は、穴山氏に関して説明してみよう。梅雪を知るにはその成り立ちを知る必要があるからね」


「いよいよ戦国時代の部分ですね。私はそっちの方が興味深いです」


「まあ、君は一応歴女だからね、だが正直云って君の知識は有名どころしか知らない俄か仕込みとも云える。因みに穴山梅雪が長篠の合戦以前に何をしたかを詳しく知っているかね?」


「……い、いえ、よくは知りませんけど……」


「ふっ、君はミーハーなのだ。真田幸村、正確には真田信繁、石田三成や、武田信玄などの特定の人物には詳しくても、余り有名どころではない人物には見向きもしない偏った知識の持ち主だ。つまり、歴史の流れにそった歴史には詳しくないのだ」


「……」


「歴女を名乗るなら、そういった時代の流れから発生する事件、そして、その事件を元に戦に至っていく過程なども説明できないと駄目だ。そういった事を説明出来ないのでは、龍馬にも顔が立たんだろう」


「ち、ちょっと待ってくださいよ、なんでそこでわざわざ龍馬が出てくるんですか? 龍馬は関係ないじゃないですか!」


「だって似ているじゃないか、それに好きだろ、龍馬の事」


「好きでも嫌いでもありませんでしたが、今は嫌いになってしまいました」


 私は剥れて云う。


「何故だ? 龍馬のような顔貌をして龍馬を意識した袴のようなスカートを履いているのに?」


「な、中岡さんが、私の事を龍馬だとか、龍馬子だとか云うからでしょう! それに袴のようなスカートじゃありません。長い襞付きスカートです!」


 私は溜まっていた憤りをぶちまける。


「……」


 中岡編集は恨めしそうな顔で私を見た。


「ま、まあ、兎に角、歴女ならば脇の歴史も詳しくないといかんよ……」


 龍馬という部分だけ除けて、歴女という事で誤魔化しやがった……。


「い、いずれにしても、穴山氏に関しての説明していこう……」


 そう云って中岡編集は話を逸らすかのように本に視線を落とした。


「……まず、穴山氏は南北朝時代に甲斐守護の武田氏当主の武田信武の子、善武が巨摩郡逸見郷穴山を本貫として穴山姓を称したのが始まりらしい。昔の武士に良くあることなのだが、木曾に住んでいる源義仲が、木曾義仲と呼ばれたように、穴山に住んでいる甲斐源氏武田流の源善武が、穴山義武と呼ばれたのが始まりという事だ」


「……穴山氏は武田氏族だという訳ですね」


 私は気を取り直して口を開く。


「……さっきも少々説明したが、明徳四年、一三九三年に河内地方を領する南部氏が陸奥の国へ移ったのを期に、穴山氏が富士川中流域である河内地方に入部したとされている。その後、穴山氏は代々河内地区を領し、駿河の今川氏に帰属していたようなのだが、信玄の父信虎の代に、甲斐の国の安定強化を図る為、梅雪の父である穴山信友の元に、信虎の娘である南松院殿が正室として送られてきたのだ」


「確かにこの付近ならば、駿河の国に近接していますし、今川氏の影響を受け易い事は否めませんね、一方、武田側からすれば、元々の性は甲斐源氏武田流ですから穴山氏を甲斐武田氏の一門に入れておきたい訳と」


「そういう事だな。さて、この辺りからが梅雪の生涯に関わってくる部分なので、梅雪の一生に沿いながら穴山家の流れを見ていくことにしてみよう」


 私は頷いた。


「その穴山信友の嫡男として天文十年に梅雪こと信君は誕生する。父の代に武田家の親族となっていたので、信君もそれに習い武田家の親族として武田家に接していく事になった。幼少の頃は人質として甲府館に住み、十七歳頃、父である信友が出家、その後他界した事をもって、穴山家の家督相続をしたらしい。そして正室は信玄の娘である見性院を迎え入れる事となる」


「つまり、信君は信玄の甥であり、且つ娘婿であった訳ですね。義理の息子ともいえる存在ですから。大分深い関係になりますね」


「そうだな、信玄からすれば家族の一員のようなものだろう。そして、穴山家の家督相続をしてから後は、永禄四年、信君二十歳の年に川中島の合戦に参戦する。武田本隊が上杉勢に本陣間際まで押し込まれる事態に陥った際、梅雪は本陣近くで信玄を守ったという記録が残っているらしい……」


「なるほど、梅雪は信玄の傍に居たと……」


「永禄十年、信君二十六歳の年。信玄は中々落とせない上杉領への侵攻を諦め、三国同盟を破棄し、桶狭間の戦いで今川義元を失い弱体化した今川領に侵攻することを決める」


「歴史の主軸に絡み始めてきた所ですね」


 私も自分が知っている辺りになり、頭の中に自然とイメージが浮かんでくる。


「この際、信玄の嫡男である義信の元に今川家から嶺松院が正室として嫁いできていたのもあり、義信は駿河侵攻を反対し、挙句、信玄暗殺を企てたとして幽閉されてしまう」


「結果、義信は謀反の疑いで切腹してしまうんですよね」


 私も歴女として口を挟まずにはいられない。


「そうだ。それにより後継者の件で揉める事になっていくんだ。いずれにしても義信死後も駿河侵攻はそのまま継続される運びとなり、今川義元の子氏真は抗議の意として塩留めを行う。ここで完全に今川家と武田家の同盟は破棄される事になった。更に信玄は徳川方と遠江割譲の約束をした上で、共同で今川領侵攻を開始する。その際、徳川家との橋渡しとして、梅雪は三河吉田城の酒井忠次の元へ赴いたらしい」


「へぇ~ 今川領の進行時の交渉役は梅雪がしていたんですか……」


 徳川と武田が共闘で今川を攻めたのは知っているが、どう交渉していったかなどは知らなかった私は新しい知識を得て高揚する。


「翌、永禄十一年。駿府城はあっけなく陥落し、駿河は武田家の領土となる。信君には徳川家との橋渡しの功労と、所領内の軍勢の通過の労などから、駿河の安部と庵原の二郡が信君の統治領として与えられる事となった。そして信君は安部郡内江尻に城を築城する事になる」


「駿河の二郡が梅雪の領土になるのですか、結構な褒美ですね」


「ああ、確かにかなり優遇されていると思う。因みに駿河というと現在の静岡県全域を想像する事が多いと思われるが、その実は意外と狭いんだ。総面積は甲斐より全然小さい」


「駿河国っていうと随分広い感じがしますけどね……」


「現在の静岡県を構成するのは遠江と伊豆、そして駿河だ。山梨県が略甲斐一国と同等なのに、静岡県は旧律令国三つ分もある訳だ。駿河だけだと狭いのが窺い知れるだろう。その駿河の範囲はというと、大井川から東で、箱根の山々より西、富士山以南だ。平地部であるなら御殿場、三島、沼津、県庁のある静岡、富士宮、清水、焼津辺りまでになる。郡で割ると、駿河郡、富士郡、庵原郡、安部郡、有渡郡、志太郡、益津郡になる。ただ七郡中の二郡と聞くと七分二だと想像してしまうだろうが、これは実は均等な面積ではないんだ。中には随分狭い郡もある。そして穴山信君が任されたという安部郡と庵原郡の二郡を合わせると、駿河の国の約半分を占め、伊豆半島程の面積を有している。それもほぼ平地だ」


「じゃあ、駿河半国を貰ったようなものだというのですか?」


 私は地理的なものを想像しながら質問する。


「ああ、それに富士山の裾野である富士郡より遥かに使い勝手が良く、旧領の河内地区と合わせれば駿河の国一国と左程変わらない大きさになる。かなり広大な支配領域だろう」


「信玄がそれだけの土地を任せたということは、相当信君を信頼していたかが伺えますね」


「まあ、家族の一員と考えていたからだろうな」




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