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歴女作家 坂本龍馬子の奇妙な犯科録  作者: 横造正史
第一章      ● 其ノ一 武田埋蔵金殺人事件 
1/539

身延へ  壱

 ああ、妻女山が見える。


 左手には海津城跡、そして私の手前には川原の広い千曲川が横たわっている。山本勘助が考えたという啄木鳥戦法で、海津城から出た武田軍別働隊があの妻女山に陣取る上杉謙信の後方に回り込んだのだ。しかし謙信はその裏を掻き、千曲川を渡り、千曲川の北側に位置する八幡原に陣取る信玄本隊の正面に迫る……。


 凄い、凄い、私は今猛烈に感動している。私は今歴史の舞台に入り込んでいるのだ。


 私は目を閉じ鼻から大きく息を吸い込んだ。土と草の折りなす大地の匂いが鼻腔に広がる。


 嘗てこの場所、私が居るこの場所に、上杉謙信、宇佐美定満、柿崎景家、武田信玄、穴山梅雪などの歴史上の武将達が大地に立ち、そして合間見えていたのだ。私は時代を超えて、その同じ場所に立っているのである。こんな感慨深い事は無いだろう。


「車懸の陣で襲い掛かるのだ!」


 私は思わず謙信になりきったつもりで声を発してみた。


 午前八時、濃霧が晴れたと同時に、鶴翼陣で迎えつつ武田軍に、上杉勢はいくつもの車輪軸がグルグル回転しながら襲い掛かるような車懸の陣で突入した。別働隊に一万二千程の兵を回していた武田本隊は約八千。それに対する上杉勢は一万三千である。武田本隊は苦戦を強いられ、戦いの最中に信玄の弟信繁やその他の重鎮が戦死してしまう。後半には妻女山の後方へ回り込んだ別働隊が到着し、武田軍は盛り返すが、戦の勝敗は前半は上杉の勝ち、後半は武田の勝ちだとされている。


 正直どちらの勝ちとも云えない戦いではあるが、その後、信濃の支配権を得た武田軍は戦略的には勝ちを収め、多くの武将を討ち取り、雑兵の被害しか出なかった上杉軍は戦術的な勝ちを収めたとも云われている。


 そうなのだ。私は歴史が大好きなのである。そして、それが高じて気が付くと歴史的な舞台などに足を運ぶまでになってしまった。今居る川中島は勿論の事、関が原古戦場にも赴いた事もあれば、安土城跡にも登ったり、長篠の設楽ヶ原にも足を運び連吾川の土手の構造を見たりもしている。そのような行動は大分以前から取っていたのだが、最近ではそういった行動をする女子を歴女と呼ぶようになったらしい。つまり私も歴女と呼ばれる身だと云うことだ。


 私は特に戦国時代が好きで、よく戦国時代の舞台になった場所へと赴く。戦があると色々な情勢の変化が起こり時代として大変興味深くなる、色々な興味深いドラマが生まれるからだ。戦国時代はその最たる物で、武田信玄には武田信玄のドラマ、はたまた上杉謙信のドラマ、山本勘助のドラマと、それぞれの生涯の織り成すエピソードが面白いのである。そんな各々のエピソードが重なりあり、より複雑でより興味深い歴史を魅せてくれるのだ。


 また、幕末の頃も同じような理由で興味深い。幕府と薩長の駆け引きが情勢の変化を齎し、日本という国がどんどん変わっていく様にはこれまたドラマがある。


 ただ残念な事に、私はとある理由から、今では幕末がそれ程好きでは無くなっていた。以前は好きだったのだが、取るに足らないような理由で幕末が好きでは無くなってしまったのだ……。


 その理由と云うのは……。


 実は、私は歴史好きが高じて二年程前に歴史のミステリーと絡めた推理小説という物を書き、それを推理小説の新人賞へと送ってみたのである。事は上手く運び、一次審査を通過、二次審査も通過、なんと受賞するまでに至ったのだ。


 私は大いに喜んだ。今まで生きてきた中で一番嬉しかったかもしれない……。


 その後、授賞式、出版を臨んで、私はいよいよ出版社を訪問する事となった。


 緊張と嬉しさが交じり合う心中で出版社の門を叩く。実際には門は叩いていないが、そんな心持だった。


「いやいや、受賞おめでとう。ようこそ、いらっしゃいました」


 出版社で私を待っていた担当編集は、中岡慎一という名前で、年齢は四十歳程の眉が濃く歯が大きい男だった。ちょっと落語の噺家のような印象でもある。その歯が大きいというのは、歯の一本一本が太く大きいという事で、笑うとその歯がグイっと剥き出され、まるで歯が笑っているような印象を受ける。別に出っ歯という訳ではなく、獅子舞の獅子のような感じで歯並びは頗る良い。ある意味で云うと笑顔が魅力的な男でもある。 


 その担当編集は、出会った際に妙な反応を示した。


「ん? あ、あれ、僕は以前どこかで君に会った事があるような……」


 担当編集は頭を掻き、何かに気が付いたような表情を浮かべる。とはいえ私はその担当編集は初めて見る御面相で会った記憶は無かった。


「えーと、本名は坂本亮子、ペンネームは花園絵梨香と……」


 改めてプロフィールを読み上げる。


「……ふむふむ、花園絵梨香ねえ……随分可愛らしいペンネームを付けたんだね。う~ん、だが、君のイメージとは違うなあ…… そうだな…… 君のイメージのペンネームはというと……」


 そう云いながら担当編集はまじまじと私の顔を覗き見る。


「お、おや、君、君の姿、そのカーデガン、スカート、編み上げのブーツ、そしてパーマの掛かったその髪……」


 少し考え込んだ後、ふと、その担当編集が遠くの壁に掛かったカレンダーらしき物を指差した。


「ちょっと君、あのカレンダーに書いてある俳句を読んでみてくれないか?」


「えっ、カレンダーの俳句ですか?」


 何を指示されているか良く解らないまま、私はカレンダーに視線を送った。


 私は実は近眼であった。だが眼鏡が恐ろしく似合わないと云われ、且つ掛けたくは無いので裸眼でいた。コンタクトレンズに挑戦した事もあったが、目が細いので三時間ほど脱着練習を繰り返した挙句断念した。 


 実は眼というものは裸眼視力が仮に0.1だったとしても眼を細め、その隙間から見る事によって1.0の視力を得られるものだと云う。それを眼科医から聞く以前から、私は遠くの物を見る時には眼を細めて見るようにしていた。


 この時も眼を細めカレンダーの俳句を読み取ろうとした。しかし文字が小さすぎて中々読み取れない。


「それだ!」


 突然担当編集が声を上げた。私は意味が解らず眉根を寄せる。


「君はうりざね顔という顔を知っているかね?」


 いきなり何だと思いながらも、私はおずおずと答える。


「ええ、昔よく云われた顔付きですよね。お雛様みたいな……」


「そう、昔の美人だと言われた顔付きだよ、眼は切れ長で鼻は細く小さく、顔は少し面長で、僅かに下膨れしている顔だと云われているんだ。それで色が白ければ最高だとされているんだ」


「は、はあ」


「君はうりざね顔だよ」


「はあ……」


 何の事か良く解らないが、褒められているようだ……。


「ただ残念な事に色が黒い」


 それ、よ、余計なお世話だぞ。


「そして髪が良くない。艶やかで真っ直ぐな黒髪が美しいとされているのだが、君の髪の毛はパーマが掛かっている」


 だから何なんだよ! 


 最初は褒められているのかと思いきや、段々失礼な云われようになってくる。私は憮然とせずにはいられない。


「それは天然パーマかね?」


「え、ええ。そうですけど……」


 答えたくはなかったが、私は惰性で答えた。


「そうか……」


 担当編集は腕を組んだ。そしてしばし思案した後、改まって云った。


「そのうりざね顔、天然パーマの髪、茶色いカーデガン、黒く長い襞付きスカート、それに合わせた編み上げのブーツ、そして遠くのものを見る際に眼を細めて見る癖。僕は気が付いたよ」


「気が付いた?」


「ああ、君は坂本龍馬にそっくりだよ!」


「なっ!」


 私は衝撃を受けた。生まれて初めてそんな事を云われたし、そんな事を云われるとは思ってもみなかったからだ。


「なっ、なっ、なに云っているんですか! 全然似てなんていませんよ!」


 私は必死に否定する。坂本龍馬に似ている女だなんて云われるは、さすがに嫌である。


「いや、そっくりだ。そして服装までもが龍馬を意識している」


「いや、していませんって」


「少しコスプレしているよね?」


「いえ、していませんよ」


「でも、君はプロフィールで歴女だと」


「い、いくら歴女だって、龍馬のコスプレはしませんよ! それに私が好きなのは戦国時代なんです!」


「解るよ、歴女でも甲冑を身に纏って町は歩けない。だからこそ町を歩ける格好ながら龍馬を意識した服装をしているのだろう」


 そ、そこまで勝手に想像するのか。


「君はきっと龍馬が好きなのだ。そしてコスプレをしている」


「違います」


 私はきっぱり否定する。


「いや、そうに違いない」


「違います!」


「図星を付かれて恥かしがっているようだが、本当はそうなんでしょ?」


「だ、だから、ち、違うって云ってんだろ! あっ……」


 さすがの私も切れて荒い言葉を吐いてしまった。素の顔に戻った編集は抑揚なく云った。


「……君…… 言葉使いに気を付けてね」


「は、はい、大変失礼致しました」


 私は慌てて深く頭を下げた。


「じゃあ、君はなんでそんな袴みたいなスカートを履いているんだね?」


 担当編集は探るような目付きで聞いてきた。なんだか段々言葉使いも偉そうになってきたぞ。


「そ、それは…… 足の格好が良くないのでそれを隠そうと……」


 私は恥ずかしいので、俯き少し小さい声で云った。


「ん、よく聞こえなかった。もう一度?」


 先程の荒い言葉の仕返しなのか、聞こえた筈なのに業とらしく聞き返す。


「だ、だから脚のラインを隠すためですよ!」


 私は叫ぶように云った。


「そのカーデガンは?」


「ひ、冷え性なんで良く着ます……」


「どうしてそんな黒っぽい色なんだね?」


「そ、それは地味な色が好きだから……」


 い、一体、これらの質問には何の意味が……。


「因みに君は背が高いね。百七十センチメートルの僕より高い。いくつあるのかね?」


「百七十五センチメートルです」


「五尺八寸か……」


「えっ?」


「百七十五センチメートルというのは、昔よく使われていた尺計算で、大凡五尺八寸なんだよ。そして君が似ていると云われている坂本龍馬の身長も五尺八寸だったと云われている」


 き、君が似ていると云われているって、まだお前しか云ってないじゃないか! 私は苛立ち、心の中で毒を吐いた。


「矢張り、君は龍馬にそっくりだよ」


「……」


「そう云えば君の本名は坂本という姓じゃないか、何か繋がりが?」


「……い、いえ、全く聞いた事がありませんが……」


 もうその話をしたくない私は、感情を消して短く答えた。


「家紋は桔梗かね?」


「…………は、はい……」


 私はしぶしぶ答えた。


「ふふっ、やっぱりね」


 担当編集は満足げに云った。 


「実を云うとね、僕は中岡という姓もあるけど、顔貌が中岡慎太郎に似ていると云われた事があるんだ。そして、僕はそれを光栄に思っている。陸援隊は余り取り上げられる事が少なく中岡慎太郎もあまり有名ではないけれども、僕はとても中岡慎太郎を尊敬している。残念ながら血縁関係は見出せなかったが、もしかしたら古い祖先は繋がっているかもしれない…… まあ、そんな僕だからこそ、君が坂本龍馬に似ていると見出せたのかもしれないな」


 その担当編集は目を細め嬉しそうに言及する。


 こ、この担当編集を中岡慎太郎に似ていると云った奴は一体どこのどいつだ? 余計な事を云いやがって…… 


 変な事を云われ、私は会った事もない人物にまで憤りを覚える。


 担当編集の中岡は、しばし考えると何度も頷き、やがて納得顔で口を開いた。


「うん。君の作家としてのキャッチコピーとペンネームが決まったよ」


 まさか! 


 ここまでの流れから、嫌な予感が浮かんでくる。


「歴史ミステリーの新人、女坂本龍馬現る。ペンネームは坂本龍馬子だ」


「いっ、嫌ですよ!」


 私は叫んだ。


 何が女坂本龍馬だ。何が坂本龍馬子だ。最初に名乗っていた花園絵梨香で良いじゃないか、私はそのペンネームでずっと書き続けてきたんだから!


「嫌? どうして嫌なんだ。偉大な人物の名前じゃないか」


 編集はまるで意外だと云わんばかりの顔をする。


「それは偉大ですけど、偉大だから良い訳じゃないですよ、それにりょまこって何? 馬子って部分の響きも良くありませんよ」


「良いじゃないか、蘇我馬子のような偉大な男もいるぞ」


「だ、だから、なんで男なんですか! 坂本龍馬も蘇我馬子も…… 女にして下さいよ、私は女なんだから」


「だから現代風に子を付けたじゃないか」


「だったら、りょうこで良いじゃないですか、馬は要らないじゃないですか、もう本名の坂本亮子で良いですよ、本名を晒すのは嫌ですけど、変なペンネームを付けられるよりは余程マシです。それに、そもそもなんで花園絵梨香じゃ駄目なんですか? 私はその名前が良いのですけれども」


 私は必死に云い抗う。


「似合わんよ」


 な、なんだと! 


 余りに失礼な物云いに、私は目を見張った。


「君のようにデカく、そして龍馬そっくりな人物が、花園絵梨香などという可愛らしいペンネームが似合う筈がない」


 担当編集はなんの躊躇いもなく云い放つ。


 こ、こいつ……! 云いたい放題云いやがって……。私は奥歯をギリリと噛み締めた。


「ぺ、ぺ、ぺ、ペンネームなんて何でも良いじゃないですか、好きなように名乗らせて下さいよ。小説は内容で勝負じゃないですか、作家のキャッチコピーとかペンネームとか読者には興味ありませんよ!」


 余りの苛立ちの為か声が震えてしまう。


 そんな私の問い掛けに担当編集は静かに顔を横に振った。


「云いたくは無いがね、今回の募集に集まった作品は不作揃いだった。及第点に達していたのが君の作品だけだったから、運良く君が受賞に至ったのだよ。つまり作品としては左程の物ではなかった訳だ」


 瞬間、私は脳天を金槌で打たれたような衝撃を受けた。あまりにショックな真相だ。ペンネームがどうしたこうしたと云っていた事が何処かに消えてしまいそうな感覚だった。実力で選ばれた訳ではなく、消去法で残ったのが私の小説だったと云われてしまったのだ。


「……あ…… くっ……」


 私の口からは言葉ともつかぬ呻き声が漏れた。


「……つまり、小説は左程の物ではないが受賞に至った訳だ。内容で勝負などとおこがましい事この上ない。出版社としては、その作品を受賞作として売り出す際に、少しでも売れる為の模索をしていかなければならないのだ。つまりキャッチコピーや、ペンネーム、その他の点でも特徴を出していかなければならない。よってペンネームが何でも良いと云う事にはならないのだよ」


 担当編集は何故か勝ち誇ったように云った。


「だから、君のペンネームは僕が付ける。そして決まった。キャッチコピーは女坂本龍馬。ペンネームは坂本龍馬子だ」


 そ、そ、そんなペンネームは勘弁してくれ! 嫌で嫌でしょうがない。


「……お、お願いです。本当にお願いですから、そ、それだけは勘弁して下さいよ……」


 私は頭を下げた。もう抗議ではなく、懇願だった。そんなペンネームでデビューさせるのだけは止めてくれという、心からの願いを云った。


「駄目だ。もう決まってしまったよ」


 嗚呼……。


「光栄に思いなさい。良き名前だ」


「……」


「云っておくけど売れなきゃ印税は入ってこないからね」


 駄目押しを云われた。




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