リザード襲来
農村での生活でたくましく成長したクロム少年。
今日は楽しい夏祭り!のはずだったのだが・・・。
凄惨な悲劇が村を襲う。
クロム少年の運命やいかに!?
かーん。かーん。かーん。
十一月の陰鬱な曇り空の下,ネザーランド王国王都アムステル郊外の墓地に,牧師の鳴らす鐘の音が物悲しく響いた。
「故人の魂が安らかならんことを」
牧師の祈りに続いて,喪服をまとった参列者たちが一様に頭を垂れた。
さくさくと音を立てて,参列者たちがすくった土が,墓穴に納められた棺にかぶさっていく。
棺に納められているのはクロムの父,ヤン・カレンバッハの亡骸である。
ネザーランドにおいて医学は魔法を応用することによってかなりの難病も治療することができるのだが,進行性の癌に侵されていたヤンの身体は臓器のほとんどに転移を発していて,発見されたときは如何に魔法の力をもってしても手の施しようがなかった。
喪服に身を包んだクロムは,土に覆い隠されていく棺をただじっと見つめていた。
歯を喰いしばり,こぼれおちそうになる涙を必死にこらえながら。
「鉄のような男になれ」
あの,オレンジ色の衣服を身にまとった女魔法使いの言葉が彼を支えていた。
勁く,剛く。
そして,主を失ったカレンバッハ一家はアムステルで開業していた時計店をたたんで,母エルサの実家のある農村に居を移した。
ヤンはかなりの遺産を残していたのだが(蓄財はネザーランド人にとって美徳である),エルサの女手ひとつで子供たちを育てながら時計店を経営するのはかなりの苦労が予想されたからだ。実家に帰ったエルサは娘時代に帰ったかのように嬉々として実家の農業の手伝いをした。
農村においては子供たちも貴重な労働力だ。クロムも,妹のクリスティンも,小学校から帰ると真っ先に農作業に駆り出された。しかし,野良着と手先を土まみれにして日々の糧を得ながらも,クロムは『魔法使いになる』という夢を捨ててはいなかった。村の学校で抜群の成績を収めながら,夕食後はランプの灯りでアルテア・ブロッテの魔道入門書を熟読する毎日が続いた。
聖歴一九四二年七月七日。
「おにいちゃんおにいちゃん!起きて起きて!」
カレンバッハ一家が農村に移り住んで二回目の夏だ。
クロム少年は十五歳になり,身長は百七十五cmを超えていた。
毎日の農作業と,豊かな大地の恵みが亡父ヤンから受け継いだ頑強な身体を育ててくれたのである。
「おはようクリス・・・」
ねぼけまなこをこすりながら応えた。
「もう,お兄ちゃんたらあいかわらずお寝坊なんだから!今日は夏祭りよ。さっさと起きて!」
クロムはやや長めに伸びた栗色の髪に指を突っ込みながら起き上がった。
今日は村の夏祭りが開かれる。
ネザーランドの冬は長いため,金色に輝く短い夏はとても貴重であり,みなが夏祭りを盛大に祝い,生きる糧としているのである。
また,夏は恋の季節でもある。
村の少年少女たちはほとんどみながみな夏祭りをカップルで楽しむのだが,あいにく一年前にこの農村に移り住んだばかりのクロムにはそんな相手はいなかった。
農作業に学校の予習復習とさらに魔法の独学のおかげで恋人を作るひまがなかったのである。
もっともおしゃまな妹クリスティンは,ちゃっかりお相手の少年がいるらしい。
半そでのシャツとひざまでの長さのパンツに着替え,スキャバードに収めた刃渡り十五cmほどのナイフを一振りベルトにはさみこんだ。農村の子供にとってナイフは必需品である。
母エルサが用意してくれていた新鮮な卵と肉,野菜の朝食を食べておもてに出る。
母は今ごろ夏祭り会場である村の広場で働いているはずだ。
クリスティンはとっくにでかけていた。
ネザーランドの夏の空は青く澄み切っていて雲ひとつない。草木をなびかせる風は優しく陽射しもおだやかである。
すばらしくすごしやすい黄金の季節こそがネザーランドの夏だ。
家を出てしばらく歩くと,うっそうと茂る森のそばを灌漑用の川が流れている。
ふと,森の木陰に何かが動いたような気がしたが,気のせいだろう。
クロムがそのまま歩み去ると,背後でちゃぷんと小さく水音がしたが,それに気づくことなく,村中央にある広場へ向かった。
広場は夏祭りの会場であり,昨日のうちにさまざまな飾り付けが施され,村の大人たちが食べ物の屋台の準備をしていた。
村の少年少女たちは屋台の周りに集まってきゃいきゃいと声を上げている。
火にかけた大鍋では豚肉のソーセージが茹でられ,大量の炭を熾した傍では,水に溶いた岩塩を塗られた牛の骨付き肋肉が,大きな金串に立てかけられてじわじわとあぶられていた。牛の肋肉の炭火焼きはクロムの大好物だ。さっそく切り分けてもらい,あちあちと指がやけどしそうになりながらかぶりつく。牛の脂と骨にへばりついた部分の肉の芳醇な旨みが口の中いっぱいに広がった。応えられないうまさである。
どうやら少しお神酒を召したらしい,顔を少し赤らめた村長が壇上に立って夏祭り開催のあいさつを述べ始めた。
「ええ,先の戦争が終わって早七年!こうして夏の恵みをみなさんと分かち合えることは何よりの幸せであります!この平和が永遠に続くよう,盛大に夏祭りを祝おうではないですか!」
わあっと歓声があがった。
十六歳以上の男女たちは手にした大きな麦酒ジョッキをぶつけあい乾杯した。
ここネザーランドでは十六歳になれば法で飲酒が許可されているのである。
クロムも麦酒を飲んではみたかったのだが,クロムがまだ十五歳であることは村人全員周知のことであったので,しぶしぶ葡萄ジュースで乾杯した。
「あーあ,おれたちも早く麦酒が飲みてえなあ」
そばにいた少年がぼそっとつぶやいた。
彼の名はノエル・ビルト。
村いちばんのやんちゃ坊主である。
まだ十五歳の少年にしては大柄で,身長百七十五cmのクロムと肩を並べるほどだ。
ノエルは優等生のクロムとは正反対の性格であったが,二人は妙に馬が合った。
「まあ,しょうがないね。あと一年待てばいいんだからさ」
「そっかね」
ふたりしてがしがしとたくましいあごを動かし,汁気たっぷりのソーセージと,チーズをはさみこんだ黒パンを噛しめ,味わった。
宴たけなわとなったころ,突然,道をトラックのタイヤが踏み鳴らし,広場に無粋な客が現れた。
トラックから降り立ったのは全身カーキ色の長袖のシャツと足首までのパンツ,胴と籠手,すね当てと肩当て,編み上げのブーツと足ごしらえも万全な,完全武装した兵士たちだった。
ネザーランド陸軍の小隊である。
中にひとりだけ,魔法使いがいた。
回りの兵士たちと装備は同じだが,胸に魔法使いをあらわす稲妻のエンブレムが縫い付けてある。
「村長はいるか!?」
指揮官らしき者が大声を上げた。
村人たちがざわめく。
よく見ると,兵士たちの服も顔も土埃に汚れていた。
よほど急いでやってきたらしい。
「何が起きたんです!?」
だいぶきこしめたらしい,顔を赤くした村長が兵士たちの前に出て尋ねた。
「この村の近所の川の岸辺で,リザードが出ました」
指揮官が絞り出すようにして応えた。
「リ,リザードですって!?」
「ええ,隣村との境界近くにある川辺で,放牧されていた隣村の雄牛の惨殺体が発見されました。蹴爪の痕跡からすると,リザードであることは間違いないかと・・・。それも五体以上です!」
赤かった村長の顔が即座に真っ青になった。
リザードとは,先の大戦でゲルマニアが投入した生物兵器である。
南方の巨大トカゲを独自の科学技術と魔法で品種改良し,脳の巨大化,知性の付与,二足歩行,武器の使用を可能とした,恐ろしい怪物であった。手傷を負わせても,基本となったトカゲ特有の再生速度で見る見るうちに治してしまうし,その野蛮な生命力と野生の爬虫類そのものの殺傷本能は脚や腕が吹き飛んでも戦闘を継続できるのである。南方では沼沢地に生息していたため,先の大戦で使用された際は,前線付近のネザーランドの水辺という水辺が危険地域となった。
リザードは,人を喰らうのだ。
休戦ののち,ネザーランド国内に侵入したリザードたちは全滅させられたはずだったのだが,まだ生き残りがいたのだろうか?
「みなさん,落ち着いて聞いてください!この村の近くの川辺でリザードが出現したようです!村民は自警団を残して全員家にこもり,戸締りを厳重にしてください!自警団は全員,銃をとって広場に集合してください!」
村長が震えを押し殺して呼びかけた。
突如として現れた恐怖について,口々にささやきながら村人たちは村長のいう通りに動き始めた。
村の自警団の面々は一部を除いて先の大戦に従軍したものばかりだ。
当然,リザードの恐ろしさは骨身に沁みて知っている。
自警団の面々は総じて顔を真っ青にしていた。手にした小銃が,がたがたと震えた。
陸軍小隊の隊長が声を挙げた。
「みなさん,リザードは確かに油断ならない敵です!だが,ここには完全武装した七人の兵士とひとりの魔法使い,そしてみなさんがいる!勇気を持って臨みましょう!」
だが遅かった。
突然,鈍い音を立てて隊長の額から角が生えたように見えた。
いや,角ではない。
それは掌のように平たい石を無造作に短棒に縛り付けただけの粗雑な石斧であった。
額から真っ赤な血の糸をたらして隊長は横ざまにぶっ倒れた。
「わああっ!」
すぐそばにいた兵士が大声を上げた。
「くそっ!リザードどもだ!いつの間に!」
そのとたん,横あいからいくつもの石斧がものすごい速度で吹っ飛んできた。
リザードの豪腕で投擲される石斧は,鉛筆をへし折るかのように容易に人間の命を伐り倒す。
とっさに魔法使いが防御魔法『風陣盾』を唱える。
瞬時に空間に発生した突風が石斧の進路をひん曲げ,味方を守った。弧を描いて飛び去った石斧が,広場を囲むようにして建っている家々の壁に音を立てて穴を開ける。
「きゃああああ!」
女の叫び声を発端に,我先に安全な場所へ逃げようと村人たちの暴走が始まった。
「あそこの茂みだ!撃て!」
石斧の飛んできた方向にあった灌木の一帯に対して一斉射撃を開始。
距離はおよそ一〇〇m。小銃にとっては必中距離だ。
恐怖に駆られた面々は,それぞれが弾倉に込めていた小銃弾五発をあっという間に撃ちつくした。
硝煙が立ち込める中,魔法を温存している魔法使い以外の全員が弾倉に実包を装填する。
いつリザードたちが襲ってくるとも知れない恐怖に震え,焦っているため,装填する指が震えて実包を取り落とすものが続出した。
「来る!」
見張りをしていた魔法使いが叫んだ。
茂みの手前,褐色の肌をした背丈二mほどの人型が六体,疾風のようにこちらに向けて疾ってくる。
とがった頭,長い尾から,遠目でもそれらがリザードであることが分かった。
こちらに到達するまで約五秒。
味方の装填は間に合わない。
魔法使いは攻撃魔法を使う覚悟を瞬時に決めた。
こんな街中で攻撃魔法を使用したら,周辺にどんな被害がもたらされるか分かったものではないのだが気にしている場合ではない。
口の中ですばやく呪文を唱えた。
精神の集中,長年の訓練によって脳内に形成された魔法回路の覚醒とともに,リザードたちに向けて突き出された右掌に魔力が集中する。
「焔矢!」
唇から漏れた発動語。
右掌前の空間に形成されたプラズマ火球が空間を走り,リザードの一体を瞬時に爆裂させた。
超高温のプラズマの矢は対象の血の一滴,肉の一片すら残さず瞬時に蒸発,爆散させてしまう。
輻射熱でちりちりと空気が灼け,眉毛が焦げる。
もうひとつ!
だが,初弾を喰らう覚悟で突進していた残りのリザード五体がいっせいに高さ六mほどの空間に跳躍。かろうじて二度目の発動でもう一体を空中で爆砕したものの,残りのリザード四体が魔法使いに殺到した。
リザードの怪力で振るわれる蹴爪,尻尾,石斧の打撃がいっせいに魔法使いに叩き込まれた。
骨がへし折れ,肉がひしゃげる音とともに魔法使いはばらばらに引き裂かれ,内臓と血を大地にぶちまけ絶命した。
魔法使いが斃されたあとは,もろい,ただの人間たちが残った。
接近戦では,小銃はものの役に立たない。
そして接近戦でリザードに勝てる人間などいない。
広場は一瞬にして血風吹き荒ぶ殺戮の渦と化した。
「お,おい,やべえぞ。みんな殺されちまう!」
ノエルがうめいた。声が震えている。青ざめた顔は脂汗にまみれていた。
クロムは口の中で罵りの言葉をかみ殺した。
二人は避難する老人に子供や女性たちを守ってしんがりを務めており,そのせいで屋内まで逃げることがかなわずに,村でいちばん大きな村長の屋敷の影に隠れて様子をうかがっていたのである。
数分もせぬ内に死屍累々となった広場を四体のリザードが獲物を求めて徘徊し始めた。
その3に続く
いよいよ満を持してヒロイン(?)の登場です!
お楽しみに!