第75話‐人生の謳歌‐
最初は、波紋だった。
足元に満ちた水の表面に、円状の波紋がゆっくりと広がっていった。
発信源は、キャプテン・ラッド。
金色の義肢を見せびらかすように両腕を広げた彼からは、キリキリキリ――という機械音がかすかに響いていた。
彼の足元から、白い蒸気が迸っている。
おそらくは彼の義肢が発する熱が、足元の水を蒸発させているのだ。
「そうだ―――煮えろ、煮えろ、煮えろ―――煮えたぎれぇええぇえええええええッ!!!」
キリキリキリキリキリキリ――――!!!!
歯車の回転音が耳障りなほどになったそのとき、ラッドが動いた。
大量の水を後ろに蹴立て、裕に向かって突進する。その動きに衒いはなかった。小細工は必要ないと言わんばかりに。そして事実、エリカは魔技でその突進を阻むことができなかった。
「はッはははァッ!!」
ラッドは破壊の愉悦を表情に浮かべ、金色の拳を放つ。
フルスロットル。その一撃は、以前にファクトリー・キャッスルの形を変えたものと遜色ない威力を秘めていた。この拳によって、怪物は再起不能に等しいダメージを負ったのだ。
しかし。
裕は、これを左手で受け止めた。
「おっ……?」
ラッドが驚愕の声を漏らすと同時、彼に蒼い拳が迫った。
失われたはずの裕の右腕。蒼い光でできたそのフックを、ラッドは左腕で受け止める。
――ビキ。
金色の義手が異音を発した。
「ッはは!!」
ラッドが反撃の上段蹴りを繰り出し裕がこれを受け止め、裕の再びの拳をラッドは回避し反撃のアッパーを首を振って避けて足払いを繰り出し脛で受けられ拳を振り下ろし受けて反撃避けて拳を蹴りと共にカウンター防がれ当たり拳を拳が打たれ打たれ打ち打たれ打ち打ち打ち打たれ打たれ打つ!!
無限に思えた打撃の応酬は、現実には一瞬のことだった。
舞い散った水飛沫が水面へ戻るよりも早く、裕とラッドは弾き合うように跳び離れる。しかしその一瞬の間に、エリカが準備を終えていた。
着地したラッドの足が何かを踏む。それは鎖。まるで蜘蛛が巣を張るように、水面下に鎖が敷かれている……!
「魔導発勁‐巣……!」
「おおっ……!?」
鎖を伝って流し込まれた動素が、ラッドの身体を真上に跳ね上げた。ダメージはない。いわば強制的なジャンプだ。しかしそれが致命の一手となる。翼持たぬ人間にとって、空中は鉄よりも頑丈な檻と化す……!
裕は水を蹴って跳び上がった。握り締められた蒼の右手は、しかとラッドに照準されている。その威力のほどは、ラッドの義手が発した異音がすでに証明している!
「しゃらくせェッ!!」
ラッドの右の義手が肘から勢いよく蒸気を噴き出した。それによりラッドは空中で独楽のように回転する。充分なモーメントを得た彼は、遠心力を乗せた拳にて裕を迎え撃つ……!
蒼の拳と金の拳が激突した。
水浸しになった床が、束の間、乾いた。否、吹き飛ばされたのだ。拳と拳の激烈な衝撃によって、一滴残さず押しのけられたのだ……!
ラッドは笑った。今この瞬間が楽しくて楽しくて仕方がないとでも言うように。
彼の目には勝利など映っていない。ただ殺し合うことそれ自体が、彼の人生の意義なのだ。これより未来に、自分の人生が続かなくても――十全な殺し合いさえあれば、それでいい。生命にとってあまりに歪んだその在り方を、裕は表情から読み取った。
これも勇者という存在が生んだ世界の歪みなのか? ――わからない。裕にわかることなんてほとんどない。
それでも。
(押しのけてやる、キャプテン・ラッド……!!)
裕の拳が、ラッドのそれに打ち勝った。
ラッドの腕が大きく弾かれ――しかし、それに留まらない。
まるで風船のように。
金色の義手が、内側から弾け飛んだのだ。
異常に高性能なラッドの義手だが、ついに耐えられなかった。バラバラの部品と化して、戻ってきた水の中に呑み込まれていく。
裕と同時に着地したラッドは、バランスを取れず水面に転倒する。裕もエリカも追撃しなかった。ラッドがふらふらと立ち上がるのを待つ。
ぽたぽたと水滴を垂らす片腕の男は、しかし、まだ笑っていた。
残った左手で右腕がないのを確認し、むしろ一層に笑みを深める。
「は、はは―――いい。いいぜぇ、神無木裕……! もっとだ。もっと殺しに来い! 俺に人生を謳歌させろォ!!」
「……惜しくはないのか。右腕がなくなったんだぞ」
二ヶ月前。ベルグダールで右腕を失くした裕だからわかる。自分の身体が欠損するということの、恐怖と喪失感を。
なのに、ラッドは言うのだ。
「惜しい? 忘れちまったなぁ、そんな感情! なにぶん、手足があったことのほうが珍しいもんでねえ!!」
「…………」
裕は無言で構え直した。サポート役のエリカも身構える。
対し、ラッドは三本の手足で四つん這いになった。
「――さらに回すぜ。ちゃんとついてこいよ……ッ!!」
キリキリキリギリギリギリ――――ッ!!
直後。
水面が割れた。
「はやッ……!?」
割れた水面はラッドの軌跡。だが、それはあまりに遅れている。勇者の動体視力ですら追うのがやっとの速度で、ラッドは正面から裕に挑みかかる!
「らァ!!」
鞭のようにしなる金色の左腕に、裕は反応できなかった。
衝撃が横ざまに突き抜け、ほぼ同時、壁に叩きつけられる。
「がッ……あっ……!?」
ここにもタンクがあったのか、壁に走った亀裂から水が漏れ出し、裕を頭から濡らしていった。
裕は脳震盪で霞もうとする意識を気力で繋ぎ止め、ゆっくりとこちらに向き直るラッドを見る。
(やっぱり、まだ……)
裕の個勇能力『拳に掴んだ勇気』は万全ではない。どうにか発動には成功したが、ベルグダールで使った時に比べれば、その出力は落ちているように思えた。
平均的な勇者を100とすれば、今の裕はせいぜい110。ベルグダールの時の裕は、少なくとも130はあった。微妙な差かもしれないが、元々の力が大きすぎる勇者にとって、20%という差は歴然と称するべきものなのだ。
(……それで言えば、セリアさんは100万くらいか)
冗談めかして考え、裕はかすかに笑った。
ないものねだりに意味はない。幸い、単純な戦闘性能で言えばラッドとの間にあまり差はない。それに――
「休憩はそこまでだぜッ!」
再び、水面が割れた。己が軌跡を置き去りに、ラッドがまっすぐ突進してくる。
だが、如何に速かろうと、鳥でない限り地面に足を着けなければならない。――エリカが水面下に張り巡らせた網を、避けることはできなかった。
「魔導発勁‐雷ッ―――あ!?」
ラッドを痺れさせようとしたエリカが、直後に動揺の声を上げる。ラッドは止まらない。動素を叩き込むことで筋肉を強制的に緊張させる『魔導発勁‐雷』ならば、完全に麻痺させることはできないにせよ、一瞬、ラッドの動きを止められるはずなのに――
原因は明白だった。
『魔導発勁‐雷』は、あくまで筋肉を緊張させる技。しかし、ラッドの足はどちらも、金属でできた義肢なのだ……!
「女子供は控えてなァ!」
瞬く間に接近したラッドは、唯一残った左の拳を振り抜いた。
裕はこれを蒼光の右手で受け止め――きれず、両手を使って押し留める。裕の背後で壁にさらなる亀裂が走り、大量の水が滝のように流れ落ちてきた。
ラッドはさらに腕を押し込みながら、間近から告げる。
「よお、女に頼らなきゃ戦えねぇのかよ? それでも男か!? ええッ!?」
裕は嘲るように笑った。
「そっちこそ―――君、自分が男じゃなかったら戦わないの?」
「あ? ――ッああ!?」
眉をひそめたラッドの左肩に鎖が巻きついた。
ラッドの背後――鎖を放ったエリカは、不敵に笑って告げる。
「腕が金属の塊でも、それに力を伝えているのは肩の筋肉――よね?」
「てめッ―――」
魔導発勁‐雷。
叩き込まれた動素がラッドの肩力を奪い去った。この状態ならば、片手でも押し返すのは容易。裕は右手でラッドの手を掴んだまま、彼の腹部に左拳を叩き込んだ。
「がッ、ぁあッ……!!」
「もう一発―――!」
裕はすかさず二撃目を繰り出した。続けざまに内臓を打たれては、しばらく動くことはできまい。ならば王手。決着に向けて拳を振り抜く―――!!
「がッ―――ぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」
寸前、ラッドが咆哮した。断末魔ではない―――それは、まるで縄張りを荒らされた猛獣のような、怒りの咆哮だった。
繰り出された裕の拳が、硬い感触を捉える。
脚だ。
ラッドが金色の義足を持ち上げ、膝で裕の拳を防いだのだ。だが、この間近から、能力で強化された裕の拳を、何の準備もなく受けたのである。金属製の義足は瞬く間にひび割れ――ガラスのように、砕け散った。
「があああッ!!」
裕が予想外の行動に面食らっている間に、ラッドは首を捻る。彼はまるで犬のように肩に巻きついた鎖に噛みついた。
そしてそのまま、引っ張って噛み千切る。
「うそっ……!?」
如何に勇者であっても、尋常とは思えない光景。この男は首と顎の力だけで、金属を破砕してみせたのだ……!
戻った肩の力で裕を押し、ただ一本残った足で床を蹴り、ラッドは水の中を転がって裕とエリカから距離を取る。
「がぁ……はあッ……! っはは、やるじゃねえか……! ただのディオミール人と侮った俺のミスだな……!」
裕とエリカを獰猛に睨みながら、やはりラッドは笑った。しかし、裕から見てもわかる。彼の状態はちっとも笑えるものではない。
残る手足は左腕と右脚のみ。あれでは立ち上がることも難しい。手足というのは人体のバランスを司るスタビライザーでもあるのだ。
なのに、ラッドは笑う。獣のように四つん這いのまま。子供のように無邪気に。
「もうおしまいだ……! そんな有り様じゃ立つこともできない! とても戦える状態じゃないだろ!」
「は……!? オイオイ、シケること言ってんじゃねぇよ! 立つこともできねえだって……!? だったら這って殺し合えばいいだけのことじゃねえか!! 動物が森でやってるみてえによォ!!」
そう言ってラッドは、二本だけの手足をたわませた。走る寸前の豹のように、獲物たる裕とエリカを睨み据えて。
「冗談でしょ……!? 勝負はついたじゃない! そうまでして戦って、どんな意味があるって言うの!?」
「全部が意味だろうが!! 拳をぶつけ合って、痛みを押しつけ合って、殺意を放ち合って! あの世とこの世の間で綱渡りをするような、このヒリヒリのスリルすべてが!! ああ――最高だぜ。俺は生きてる。俺は生きてる。俺は生きてる! ―――俺はッ、人間だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
ギリギリギリギャリギャリギャリ――――ッ!!!!
二本の義肢から凄まじい音が漏れ始める。同時、ラッドを中心に白い蒸気が立ち昇った。如何なる現象が起きているのか、蒸気は竜巻のように螺旋を描き、天井にぶつかって広がっていく。
「煮えろ回せ煮えろ回せ煮えろ回せ煮えろ回せぇえええええええええええええええええええええええええええええええ――――――ッッ!!!!」
ギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリ――――――ッッッ!!!!!
金色の左腕と右脚から青白い火花が散った。内蔵された蒸気機関のあまりの回転数に、義肢はミシミシと悲鳴を上げている。近くそれらは自壊するだろう。しかしその瞬間、これまでで最大の出力を発揮することは間違いなかった。そしてラッドは、その瞬間のことしか考えてはいないのだ。
C・C・Cという組織の目的も。
自分という人間の未来も。
何もかも一切合財、眼中に入れていない。
生み出すことを考えず、続けることを考えず。
ただただ、熱を増す感情のまま。
まるで、後先考えず靴下編み機を破壊した、とある労働者のように。
「……そうだ。君は人間だ」
「裕……!?」
裕は蒼い光に形作られた右手を握り締めた。
そこに宿る膨大すぎる力を思い―――それを振るう、自分という怪物を思った。
「それが、君が人間であるために必要なことだと言うなら―――来い、キャプテン・ラッド! 僕と殺し合おう!!」
「シャアァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――ッ!!!」
―――ボウンッ!!
それは大気が爆発する音。ついに起こった水蒸気爆発が、空気をまとめて壁側に押しのける。
獣と化したラッドは、それと同時に来た。
もはや水面が割れるのも追いつかない。痕跡を世界に残すより速く、ラッドは裕との間合いを殺し尽くす。
迫り来る機械仕掛けの腕は、金色の流星だった。
しかし、裕は見ている。その軌道を。速度を。タイミングを。
蒼の右腕が虚空に弧を描いた。振り払うように放たれた裏拳が義手の肘裏を捉え、呆気なくバラバラに粉砕する。
衝撃で反時計回りに回ったラッドは、しかし、その回転を使って右脚をしならせた。
裕の側頭部を狙う三日月の蹴撃。やはり裕は見ている。体勢は不十分。踏ん張るべき軸足もない。その蹴りは、限界を超えて上乗せされた義肢の力のほとんどを、無駄にしてしまっていた。
迎撃はあまりに容易かった。裕は蒼の右手で金の足首を掴み、紙コップのように握り潰す。
「ガァアッ!!」
腕も足も潰した―――それでも、ラッドは止まらなかった。
足首を潰された左脚の膝から蒸気を勢いよく噴出する。それが断末魔であったかのように、左脚は音を立てて弾けた。
蒸気の勢いで、ラッドは一瞬、重力の頸木から解き放たれた。ミサイルのように飛んでくる彼には、もはや一本とて手足は残っていない。――だが、武器は残っていた。
歯――否、牙。
ラッドは裕の細い首を噛み千切らんと、鋭い犬歯を肌に突き立て、
――ようとした瞬間に、止まる。
裕の右の拳が、彼の腹部にめり込んでいた。
ガチン、とラッドの牙は空気だけを噛む。
そして彼自身は、打ち上げられた拳によって、高く高く放物線を描いた。
長い滞空時間を経て、ラッドの身体は水面に叩きつけられる。
波紋が静かに広がっていき―――それもすぐに、凪いだ。
壁から溢れ出る水の音だけが、空間を満たした。
水面に浮かぶのは、キャプテン・ラッド。
腕も足もなくした、まるでダルマのような―――しかし、人間だった。
「…………まだ、だ…………」
黙って見下ろしていた裕は、眉を上げる。
ラッドの双眸は未だ、裕を見据えていたのだ。
「まだ、だ……まだだ……! 俺は、まだ、生きてる……!! 手足さえ……手足さえありゃ、俺はまたっ……!!」
ラッドは仰向けのまま身動ぎするが、その肩口や足の付け根に残っているのは、わずかばかりの残骸のみ。もはや彼は、他者の助けなしに起き上がることすらできない。
「いいじゃない、もう……」
エリカが、泣きそうな声で言った。
「もういいじゃない……! そんなになるまで戦ったんだから、もういいじゃないっ……!!」
「まだだ―――まだだ、まだだ、まだだッ! 手足がありゃ……もっと手足がありゃ―――おおーいエジソン! どこだエジソン! 手足だ、俺の手足を持ってこい!! 手足を、手足をッ、てあしヲ―――てあし、ヲぉぉ……ぉおぉおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ……」
「…………?」
裕は眉根を寄せた。
……ラッドの様子が、何かおかしい。
「てあしヲ……てあシヲ……てアシヲ……そウダ、テアシ……おレノテアシは……? あぁああ、テアシ……テアシドコ……? えじそん、えじそン! えじそんってダレダ? ぁあイヤ、エジソンがいレバ……そウ、エジソン……ドコダ……? ドコダ……? ドコダココ……さムイ……あかルイ……ヒカリガ……ヒカリガッ……ヒカリガッヒカリガッヒカリガリカリカリガリヒヒヒカガガガガぁぁぁァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――ッッ!!!」
黒板を引っ掻いたような奇声に、裕もエリカも言葉を失った。
(何が……起こった……?)
裕を見据えていたはずの双眸は、もはやどこも見ていない。ここにはない何かを見ながら、しきりに意味不明の言葉を繰り返す。悪夢のように、寝言のように……。
そして、裕はさらに気付いた。
ついさっき、裕が殴り抜いたラッドの腹部―――そこに大きな傷ができている。
裂けた肌の、奥。
ラッドの身体の、中。
本来内臓があるべき、場所。
そこから。
―――……キチッ……キチッ……キチッ……―――
何か。
機械的な音が。
聞こえる。
「―――アァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
甲高い絶叫が空間を裂いた。
直後、濃密な白煙が爆発する。蒸気らしきそれは、裕たちの視界を一気に奪い去った。
一瞬の後―――蒸気が空気に散ったとき。
水に浮かんでいた機械仕掛けの男は、影も形も残ってはいなかった。
「き……消えた……?」
呆然と呟くエリカ。
ラッドは自分ではとても動けない状態だった。なのにどうやって……?
「一体なんだったの……? いきなり変な様子になって……。――裕? どうしたの?」
エリカが傍にやってきて、裕の表情を見るや顔色を変えた。
裕は彼女の顔を見返し、
「エリカは……気付かなかったの?」
「え? 気付くって……ラッドの様子が変だったこと?」
裕は「いや」と呟き、それきり黙り込んだ。
エリカは気付かなかったのか、あの音に。
あるいはあの音自体が、裕の空耳……?
しかし、もし空耳でなかったとすれば、ラッドは手足だけではなく――
(……まさか)
裕は頭を振り、恐ろしい想像を追い出した。
人間の身体をそんな風にするなんていくらなんでも無理だ。もしそんなことができるなら、手足をいかにも機械機械した義肢にする必要もない。
それ以上の思考を、裕は戒めた。
理由はわからない。……ただ、何の脈絡もなく、どこかで聞いた言葉を思い出した。
――深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。