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第5話‐恐怖との対面‐

 向天船ヒンメル・シッフ

 ベルグダールで運行している飛行船の正式名称だ。クジラのような外見こそ裕の知るものに似通っているが、気嚢(きのう)に軽い空気を溜めることで浮かぶ飛行船とは異なり、向天船は『向天岩』というベルグダール特産の特殊な岩石の力で浮遊する。推力を生み出すのは魔導式蒸気機関。10年ほど前に開発された画期的動力装置だ。


 ヒルダのそんな解説に相槌を打ちつつ、裕は船体下部の展望デッキからベルグダールの山々を見下ろしていた。

 標高数千メートルを飛んでいるはずなのに雲はなく、お椀型の盆地が気が遠くなるほど下に見えている。山の上よりよっぽど過ごしやすそうなのに、文明が栄えている気配はない。


「この辺りはほとんど雨が降りませんから。人が定住するには不適なんですよ」


 どうやって裕の疑問を気取ったのか、絶妙なタイミングでヒルダが言った。


「山の上なのに寒くないことに気付かれませんでしたか? ベルグダールの山々は非常に特殊な性質を持っていまして、どれだけ登っても寒くなったり空気が薄くなったりしないのです。なので、他の地方から雲が流れてきても熱で水に戻ってしまい、山脈の上や奥地にはほとんど雨が降りません――私達ベルグダールの民は、この性質を『加護』と呼んでいます」

「加護……」


 いくら寒くないからって、裕なら山の上に街を作ろうなんて考えないが。


 裕は眼下の自然から船内に目を向けた。

 レオンはデッキの中央辺りで部下の騎士達と何か話している。騎士の数はレオン含め5人だ。いずれも裕とは面識がある。

 他には身の回りの世話をしてくれることになっている侍女が何人か。そして――


 エリカの姿は、裕とは反対側にあった。

 窓際の椅子に座り、静かに景色を眺めている。絵画のように整った横顔は、物憂げなようにも、何かに耐えているようにも見えた。


「勇者様?」

「わっ!」


 ヒルダが顔を覗き込んできた。


「エリカ様に何かご用でも?」

「い、いや、何でもありません」

「そうですか? ずいぶんと視線が熱っぽいように思われましたが」


 え、と裕は固まり、ヒルダはにやにや笑った。


「あれほどお美しい方ですから、見惚れてしまうのも無理はありません。ですが、僭越ながらご忠告申し上げますと、エリカ様は縁談破棄数において歴代最高の記録をお持ちです。口説くのなら慎重に」

「そっ、そんなんじゃないですってば……!」


 別に見惚れていたわけでは――たぶん――ない。

 ただ、気になっただけだ。

 なぜ彼女はついてきたのか。彼女の『やらなければならないこと』とは一体何か。

 なぜか、気持ち悪いほどに、気になった。





◎◎◎――――――――――――――――――◎◎◎





 目的地が近付くと、裕は侍女から防寒具を渡された。


「この辺は『加護』がだいぶ薄れちまってる地域だ。さっさと着ろ。凍えておっ死ぬぞ」


 レオンに言われ、獣皮の防寒具を服の上に着込む。腰に下げた剣が少し邪魔だったが、これを外すわけにはいかなかった。


 それから程なくして、目的地――ドラント高原に到着する。


 向天船から降りた裕は頬に痛いほどの冷気を感じた。吐息は白く濁り、なるほど空気も薄い気がする。


(こんな所で戦ったりしたら、あっという間に酸欠だろうなあ……)


 しかし裕はいくら動いても呼吸が乱れることはない。どうにかなりそうだ。


 ドラント高原には大きな湖がある。その湖のほとりには小さな集落があり、少なくない人々が寒冷地用の作物や市街地での出稼ぎを糧に細々と暮らしていると言う。もっと暮らしやすい土地があるだろうに、と都会っ子たる裕は思うのだが、彼らには彼らの都合があるらしい。

 まずはその集落に挨拶に向かうことになった。


「おお……王女殿下に騎士様方……! お待ち申し上げておりました……」


 村長だという老婆の歓迎に応じたのは、意外にもレオンである。


「久しぶりだな、ばーちゃん。こっちはますます寒みーが大丈夫か」

「ほっほっほ……この婆、伊達に70年、この地で暮らしてはいませぬ。――して、団長様。勇者様は……」

「ああ、こいつだ」


 背中を押され、老婆と面と向かった。


「えーと……」


 これ、『勇者です』と名乗らなければならないのだろうか。

 迷っているうちに老婆のほうから進み出てきて、しわくちゃの手が裕の手を取った。


「お会いできて光栄です、勇者様……。勇者様ならば必ずや、あの竜めを退治できると信じております……」

「は、はい……全力を尽くします」


 何だか恐縮してしまう。何せ、光栄に思われるようなことはまだ何もしていないのだ。


「ばーちゃん。挨拶はそのくらいにして、本題に入ってくんねーか」

「おお、申し訳ありません。こちらへ……」


 そう言って、老婆は裕達を暖炉のある談話室に案内した。


「竜が現れたのは3ヶ月ほど前のことにございます……。湖の上流に何やら魔物の気配があると噂が立ちまして、村の若い衆が何人かで源流のある洞窟へ確認に向かいました。そこで……」

「眠りこけてるドラゴンを見つけた、って?」


 レオンの問いに、老婆はゆっくりと頷く。


「幸い怪我人は出なかったものの、それからふた月ほどで一帯の魔物を食い尽くしてしまったようで……」

「『加護』の薄いこの辺はベルグダールの中じゃあ魔物が入ってきやすいほうだが、多いってわけじゃあねーからな。いつ人が喰われてもおかしくねーわけか……」


『加護』と魔物の繋がりがいまいちわからなかった裕に、ヒルダが耳打ちしてくれた。


「山の周囲では『加護』による暖気と外部から流れてくる冷気がぶつかり、上昇気流が生じています。それが壁のように機能して、空を飛ぶ魔物を寄せ付けないのです」


 この辺りは壁となる上昇気流が弱いから、比較的魔物が入ってきやすい――というわけだ。


「なら、ばーちゃん。そのドラゴンの鱗の色はわかってんだな?」

「ええ、もちろん。身体の芯まで凍えそうな雪の色だったと聞いております」


 またヒルダの耳打ちがあった。ドラゴンはその鱗の色によって能力が変わるそうだ。赤いのが火を噴くイグニッションドラゴン。そして白いのが冷気を噴くブリザードドラゴン。


「民の間では早くも『ヌシ』などと呼ばれて恐れられております。喰われる前に――と里から逃げ出す者まで出る始末……。勇者様、どうかお力をお貸しください。我々ではどうすることもできぬのです……」


 深々と頭を下げる老婆を、裕は申し訳ない気持ちで見ていた。





 集落を後にした裕達は、湖の源流があるという洞窟を目指し、川沿いに歩き出した。


 急斜面に雪が積もり、倍して危険な山道となっていたが、勇者の力がある裕や訓練を積んだ騎士達には造作もない。一方、エリカやヒルダにとっては厳しい道のりのはずだ。

 しかし裕の密かな心配は杞憂に終わった。特に凄いのがヒルダだ。いつものメイド服なのに、むしろ裕よりも軽快に凍てついた山道を登っている。やはり向天船に置いてきたヒラの侍女達とは格が違うのか。

 そして、エリカ。


「……何よ? 意外そうな目で見て」

「い、いや……この道は女の子にはきついかなって思ってたから……」

「私、ベルグダール育ちよ? あの不便極まりない、街じゅう階段だらけの」


 不便だという自覚は地元人にもあったらしい。


「危ないのはあんたのほうでしょ。こういう道は身体能力より慣れのほうが重要なんだから」

「そうなの?」

「あ、そこ氷」

「え? ――うわっ!」


 踏み出した足が滑り、尻餅をついた。


「勇者様! 大丈夫ですか?」

「いてて……。大丈夫です、すいません」

「余裕ぶってるからそうなるのよ」

「それは君が――あ、そこ」

「きゃっ!」


 エリカが足を滑らせた。

 転ぶ前に裕の手が反射的に伸び、エリカの手首を掴む。


「大丈夫?」

「…………」


 エリカはなぜか拗ねるようにそっぽを向いた。


「あれ? え、何?」

「……『余裕ぶってるからそうなるんだ』って思ったでしょ」

「お、思ってないよ!」


 ちょっと思った。

 エリカは掴まれた手首を軽くさすり、躊躇いがちに言う。


「……ありがと」


 そして、さっさと先に行ってしまった。

 その後ろ姿を見送っていると、ヒルダが言う。


「僭越ながら……勇者様」

「はい?」

「顔が赤いです」


 反射的に頬に手を当てると、手が異様に冷たく感じた。


「いやその、これはしもやけが、その……」

「わかっております」


 そう言いながらも、ヒルダは微笑ましそうにくすくす笑った。絶対わかってない。


 肩身の狭い思いをしつつ、一方で裕は思っていた。


 自分はこんなにも普通に、人と話せる人間だっただろうか。

 自分はあんなにも自然に、人を気遣える人間だっただろうか。


 自分でも知らないうちに、何かが変わりつつあるのかもしれない。

 勇者という肩書きに引きずられるかのように……。





「見えたぞ。あそこだ」


 絶壁の根本に開いた洞窟から清流が細く流れ出ている。あれが湖の源流があるという洞窟に違いない。


 先頭にいるレオンが振り返り、裕を指差した。


「いいか、もう一度確認すんぞ。おれらは戦闘には一切手を出さねー。これはおめーひとりで成し遂げてこそ意味があんだからな」

「うん……わかってる」

「もうひとつ。……もしおめーが失敗しておれらがドラゴンと戦う羽目になったら、もちろん全力で撤退すんが……それは、ひとりふたりの犠牲は覚悟の上で、っつー話だ」


 知らず、唾を飲んだ。


「目的がただの実績稼ぎだからって油断すんじゃねーぞ――おめーの肩にはしっかり、他人の命が乗っかってんだからな」


 言葉で返す余裕はなく、無言で頷いた。

 失敗は許されない。そう、失敗は許されない――こればかりは、取り返しがつかない。深く深く、肝に銘じる。


「エリカねーちゃんは洞窟の外で待っててくれ。頼むな、ヒルダさん」

「お任せを」


 それから装備品のチェックを行なう。騎士達の装備は盾であったり槍であったり、はたまた身の丈以上ある大剣であったり様々だが、裕は1メートル半ほどの長剣が1本のみだ。どうせ使い方もろくにわからないのだから、ごてごて持っても邪魔になるだけという判断である。


「よし。んじゃあ行くぞ」


 松明を持ったレオンが先頭に立ち、宣言した。


 闇の中に踏み出すべく気合いを入れた時、背中から声がかかった。


「――裕」


 エリカの声だった。

 裕が振り返ると、エリカが口を――



 ――グ――

 ――ォオ――

 ――オォオオ――



 全員の動きがピタリと止まった。

 そしてゆっくりと振り仰ぐ――誰もが、唖然とした表情で。

 エリカの後ろだった。

 その空だった。


 そこに――異形のシルエットがあった。



 ――グゥォオオオォォオオオオオオオオァアアアアアアアアアァアアアアアアアッッッ!!



 皮膜状の巨大な翼が背に一対。長い首が宙をのたくり、獰猛な牙を覗かせる。空を覆うかのごとき巨躯は、概算で全長10メートル、高さにしても5メートルはある。タンクローリーを何回りも大きくした巨体が、怒りの眼差しでこちらを見下ろしているのだ。


 体表を覆う鱗の色は、振り積もった雪を思わせる純白。

 ブリザードドラゴン。

 正真正銘、本物の怪物。


「なんてこった、よりにもよって……! 野郎、食事に出てやがったのか!」


 レオンが「下がれ!」と部下達に号令をかけ、同時にヒルダがエリカを抱えて裕の後ろまで下がった。

 手はず通り、予定通りだ。プロたる彼らは想定外の事態にも冷静さを失っていない。


 だが、裕は。

 1人でドラゴンと対峙している、裕は――



 頭が真っ白になっていた。



「おいっ、バカ! 何やってんだ、早く剣を抜け!!」


 裕の前にドラゴンが降り立つ。

 ズシンッ――と山が揺れ、雪が白い幕となって巻き上がった。


 ――なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。

 無理だ無理だ不可能だ倒せるわけないこんな剣一本でどうすれば。


 勝てない。

 勝てない。

 勝てない。

 勝てない。

 勝てない!



 死んだ。



 ドラゴンが大きくアギトを開け、唾液が雪に滴った。


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