第4話‐王女の素顔‐
午前中の訓練を終え、裕は城館にある自分の部屋に向かっていた。汗の染みた服を着替えるためだ。ちなみに裕は普段、ヒルダに用意してもらったシンプルなチュニックとズボンを着用している(召喚された時に着ていたはずの服はいつの間にかなくなっていた)。
(もう1週間か……)
召喚されてはや8日目――ディオミールの暦で言えば、第5の月第9日目。
裕は一日と休まず、レオンの元で戦闘技術を学んでいた。……と言っても、ほとんどは彼の振り下ろす剣をひたすら受け止めていただけだ。刃に怯えないようにする訓練である。
運動神経はともかく物覚えは決して悪くない裕は、3日目には剣が迫っても目を閉じないでいられるようになった。残りの時間はとにかく剣を振り回し、剣という武器に慣れ親しんだ。さすがに構えくらいは習ったが、実戦的な技術はほとんど教えられなかった。レオン曰く、裕の身体能力では普通の兵士が使う技術は役に立たないらしい。
「どーしても強くなりたきゃ魔物にでも弟子入りすんだな。地龍王バハムートなんかオススメだぞ」
「それ、どんな魔物なの?」
「この城と同じくらいでっけー剣を両手に1本ずつ持ったでっけー竜だな」
(どうやったら城と剣が比較対象になるんだ……)
裕の想像を絶する存在が、この世界には色々といるらしい。
そんなわけで、完全な剣術素人の裕だったが、一応見れるレベルには達していた。事ここに至ってはレオンの教育能力の高さを認めざるを得まい。騎士団長の肩書きは伊達ではなかったようだ。
この一週間で、裕は騎士団というコミュニティにも馴染みつつあった。
……とは言っても裕自身は何もしていない。騎士達のほうが親しげにしてくれるのだ。彼らは我が子のようにとまでは行かずとも、近所の子供程度には裕のことを可愛がってくれた。それは、学校に通っていた頃とよく似たポジションだった。
やるべきことを最低限こなし、可もなく不可もない立ち位置を得る。
自分がこの世界でも『自分』で在れていることを――あるいは、世界を渡ってさえ『自分』でしか在れないことを――裕は実感していた。
(……ん?)
城の廊下は使用人が絶えず行き交っているが、その中に珍しい姿があった。
陽に煌めく銀色の髪――しかし、リーゼロッテではない。人の顔を見るのが苦手な裕は髪色や髪型で人を判別する癖があるためこんな表現になってしまうのだが、銀色の髪を頭の後ろで纏めたその少女は、リーゼロッテの妹であるエリカだった。
「ご機嫌よう、裕様」
裕に気付くなり、エリカはスカートを摘まんで優雅にお辞儀した。城の中をほっつき歩いていると時たまこういう挨拶をされるのだが、いまだにどう返せばいいのかわからない。
エリカは可憐な顔立ちを際立たせるように微笑む。
「今、お時間よろしいでしょうか? 少しだけですので」
「いや、まあ、大丈夫ですけど…………その、えーと……」
「……? 何か?」
エリカはさも不思議そうに小首を傾げる。その様はまさに純朴なお姫様そのものだ。初めて会った時に見せた強引な一面も、結果的にその魅力を引き立てるのに一役買っている――――の、だが……。
裕は数秒悩んだ末、言ってしまうことにした。
「あの……なんていうか…………――無理、しなくてもいいよ?」
「――――!」
その表情の変化を、裕は見逃さなかった。
一瞬だけ、目が見開いた――彼女は今、驚いたのだ。
「…………無理とは、なんのことでしょうか?」
「いや――無理してお淑やかに、お姫様っぽくしてるみたいだったから……。違ったらごめん」
エリカはしばらくの間、曖昧に笑う裕の顔をまじまじと見て、「はぁ」と溜め息をついた。
「……いつから気付いてたの?」
そうして口にしたのは、今までとは似ても似つかないラフな声音だった。
裕は苦笑する。
「まあ、最初から……だね」
「最初から? 私があんたに話しかけた時から?」
裕は頷いた。話しかけた時どころか、一目見た時から違和感は明白だった。
「……どうして?」
エリカはエメラルドの瞳に疑問を満ちさせ、裕を見る。
「どうしてわかったの? 何かあるでしょ、理由が」
「勘……じゃ、ダメかな?」
「ダメ」
ダメらしい。予想以上にはっきり言われてしまった。
裕は視線をエリカから外して気恥ずかしさを誤魔化し、正直に答えた。
「……似てたから」
「え? ……誰と誰が?」
「君と、僕が。……自分を押し殺してそうな感じが」
そう言って、裕は曖昧に笑った。エリカの反応を見ることはできなかった。
再び「はぁ」と溜め息が聞こえる。
「まさか、よりによってあんたに見抜かれるなんて。今まで誰にもバレなかったのに……」
「え、そうなの?」
「……何よその反応。私の演技なんて見抜かれて当然だって言いたいの?」
いやそんなことは、と口では否定するものの、内心ではほぼ肯定していた。何せあからさま過ぎて逆に触れにくかったくらいなのだ。結果、指摘するのに一週間もかかってしまった。
裕は話題の転換を図る。
「ところで、どうして演技なんか……。ああいう感じ、すごく苦手そうなのに」
言ってから、『私にはお淑やかなお姫様なんて似合わないってこと?』と責められるのではと焦ったが、危惧した反問は来なかった。
「別に……ただ、やらなきゃいけないことがあるだけよ」
答えはその言葉だけで、視線すらも、裕から逃げるように外されていた。
数秒に渡る嫌な沈黙の後、エリカが「あっ」と声を上げる。
「忘れてたわ、こんな所で立ち話をしている時間はないのよ。お姉様があんたを呼んでるの」
「リーゼロッテさんが?」
「うん。計画を進めるつもりみたい」
計画、というのは裕を抑止力として利用する計画のことだろう。ということは、ついに裕がその勇名を轟かせなければならない時が来たのだ。
「一緒に来て」と言って、エリカはくるりと背を向けた。
そして、「んーっ」と伸びをする。
「見抜かれたのは予想外だったけど、素で喋れるのは気楽でいいわね。肩の荷が下りた気分」
そう言う彼女の声音は、なるほど気楽そうだ。
しかし、彼女がまだ何か無理をしていることは、裕からしてみれば明白だった。
◎◎◎――――――――――――――――――◎◎◎
「ちょうど良い標的が見つかりました」
と、リーゼロッテは嬉しそうに言った。
「戦場に出すことはないと言っておいてはなはだ恐縮なのですが、議論を重ねた結果、やはり抑止力を有効に行使するためには武勇伝が必要だろうという結論に至りました。そこで、勇者様にはドラゴンを1匹、退治していただきたく思います」
「ドラゴン……ですか?」
この世界には様々な魔物が生息している。それらは頂点に戴く王ごとに11の種族に分けられている。
●11の種族と魔物王
・地龍族(地龍王バハムート)…………陸に住むドラゴン
・海龍族(海龍王レヴィアタン)………海に住むドラゴン
・天龍族(天龍王アマテラス)…………空に住むドラゴン
・怪鳥族(王鳥スザク)…………………鳥型の魔物
・不死族(不死王ウロボロス)…………死すことのない(とされている)魔物
・精霊族(精霊王エインセル)…………人型の魔物
・幽躯族(冥王オシリス)………………実体を持たない魔物
・海魔族(海王ローレライ)……………海に住む魔物
・魔獣族(獣王エンキドゥ)……………獣型の魔物
・邪蟲族(王蟲ベルゼブブ)……………虫型の魔物
・妖葉族(王樹アウタナ)………………植物型の魔物
海龍族と海魔族、天龍族と怪鳥族など、生息範囲が被るにも拘わらず独立していることや、龍族だけで三種族にも分かれていることなどからわかるとおり、ドラゴンは魔物の中でも特に強大な存在である。強靱かつ凶暴で、成長は遅いが繁殖力は強い。さらには知性を持つ個体も少なくなく、中には人語を解するドラゴンすら存在する。たった1匹と言えど、人からすれば災厄のような存在だ。
「ここから遥か南西のドラント高原という土地に一匹のドラゴンが住み着いています。基本的には洞窟の中で大人しくしているのですが、今にも人里に下りてきかねない状況だそうです」
「人里に……?」
疑問げに繰り返した裕に、リーゼロッテの後ろに控えたヒルダが答える。
「ドラゴンは体格の割にあまり食事をしませんが、その食料は動物や植物ではありません。他の種族の比較的大型な魔物や――人間です」
「にっ――」
人間。
つまり、人里にドラゴンが下りてきたら――
「件のドラゴンが住まっている地域には大きな魔物がほとんどいませんから……早晩、食料を求めて人里に下ってくることになるはずです。幸いなのは、先程も申し上げた通りドラゴンが小食な種族であることですね。平均で月に一度しか食事をしませんし――一度の食事では多くとも3人程度しか食らいませんから」
ヒルダが痛ましげに言い、エリカが表情をひきつらせた。裕はと言えば、表情を動かすことすらできなかった。
この世界では、そんなことが日常的に起こっているというのか。
いや、あるいは、今まで裕が生きていた世界でも同じようなことは起こっていたのかもしれない。ただ、幸いにも関わりがなかっただけで――
「ドラゴンは強大です。退治しようと思うなら、一匹につき一個中隊を動かす必要があります」
と、リーゼロッテ。一個中隊というのが裕にはいまいちピンと来なかったが、決して小規模ではないのは伝わった。
「しかし件のドラゴンが住み着いているのは険峻な山の中……如何に山に慣れた我が国の兵士と言えども、100人以上も派遣するのは不可能です。そこで、勇者様ならば、と白羽の矢が立ったのです」
大勢派遣するのが不可能でも、1人ならばなんてことはない。まさに、勇者が必要とされる状況なのだ。
「で、でも……大丈夫なんですか? そんなのと、僕が戦って……」
リーゼロッテは柔らかに微笑んだ。
「ご安心ください。この1週間の訓練を元に、こちらのほうで戦力分析をさせて戴きました。結果は――勝てます。勝負にもならないでしょう」
「え……?」
勝てる、というのはともかく、勝負にもならない?
「自覚がないかもしれませんが、勇者様、あなたは本当にお強いのです。人智を超えている、と言ってもいいほどに」
確かに裕の力は――否、勇者の力は常識外れの一言だ。けれど、熟練した軍隊にも勝るものだとは到底思えない。
だがもしかすると、それは自身が超越的な存在になってしまったことによる過小評価なのだろうか? 自分では大したことないと思っていても、傍から見るとそんなことはないのだろうか……?
「しかし、物事に絶対はありません。多少、危険があることは認めざるを得ない所です。……それをご承知の上で、協力してくださいますか?」
裕は瞼を伏せる。しかし、思考には何もない。だからこれは悩んでいるのではなく、自分の心がぶれないかを確認するための行為だった。
瞼を上げる。
「――行きます」
果たして、心は不思議なほどに揺れなかった。
「それが僕に求められた役割ですから……そのくらいはちゃんと、全うさせてください」
あらかじめ決められた台詞をなぞったように、裕の言葉には淀みがなかった。
リーゼロッテは裕の決意を咀嚼するようにゆっくりと頷く。
「わかりました。では、出発は明日。一応、レオンを含めた騎士を数人、護衛兼案内役としてつけます。それと身の回りの世話をする侍女と――」
「私も行きます」
瞬間、視線がエリカに集まった。
再び淑女の仮面を被った彼女に、リーゼロッテが当惑した様子で問う。
「何を言っているのですか、エリカ――ドラゴン退治なのですよ? 王女であるあなたが行く必要など――」
「王女だからこそです。ヒロインの1人でもいたほうが武勇伝に箔が付くのでは?」
臆面もなく自分をヒロインと称した妹に、リーゼロッテは呆れて物も言えないようだった。静かにエリカと視線をぶつけ合う。
「……確かに、王族が同行しているほうが効果は高いかもしれません」
やがて、根負けしたように溜め息をついて言った。
「しかし、エリカ、どうしてあなたはついていきたいのです? 何度も言うように危険です。なのに――」
言い終わるのを待たず、ヒルダがリーゼロッテに何事か耳打ちした。
「――ああ……」
納得の声を漏らしながら、リーゼロッテが裕とエリカをちらちらと見比べる。
……なんだろう?
「なるほど、わかりました」
こほん、と咳払いをして、リーゼロッテは言った。
「エリカ、あなたの同行を認めます。……ずいぶんと親しそうにしているようですし――心配な気持ちも分かりますから」
「……違います」
エリカが静かに、しかし不服そうに言った。……本当になんなのだろう?
「ただし、条件があります」
「なんでしょうか」
「ヒルダを連れていきなさい。それが飲めなければ、同行は許しません」
エリカは背筋を伸ばして佇むヒルダを見て、頷いた。
「……わかりました。ありがとうございます、お姉様」
頭を下げたエリカの表情は、やらなければならないことがあると語った時と同じもののように見えた。