第3話‐勇者の適性‐
抑止力。
一言で言えば、そういうことらしい。
「勇者様の勇名が轟けば轟くほど、他国は戦争を尻込みします。『あの国には途轍もなく強い勇者がいるから、できれば戦いたくない』と。そうなると交渉も容易になります」
今、ベルグダールという国は極めて不安定な情勢下にあると言う。幾つもの軍事国家に国土を狙われ、それらのどこかひとつとでも戦端を開けば即座にすべての国が雪崩れ込んでくる、という状態なのだそうだ。
「それで僕を……」
「はい。誠に勝手ながら勇者様を召喚し、敵国の頭を抑えようと考えたのです」
如何に大国ベルグダールと言えど徒党を組まれてはひとたまりもない。しかしそれは、保有する戦力が通常の方法で勘定できるものであった場合だ。
勇者の力は一騎当千。1人放り込むだけで趨勢を覆す。それは裕自身が経験し、証明された事実だった。
「勇者様が実際に戦場に出ることはありません。切り札は切った時点で切り札ではなくなるのですから。生活について不自由はさせませんし、それでも嫌だと仰るのでしたら即座に元通りにすることをお約束しますわ。……ですからどうか、しばらくの間、この国に留まっていただけないでしょうか。急場を凌ぐことができれば必ず元の世界にお帰ししますので……」
そう言って頭を下げたリーゼロッテを、裕は複雑な気持ちで見ていた。
彼女は一国の主だ。なのに、自分ごときに頭を下げさせてしまって、心の底から申し訳ないと思う。
と同時に――嬉しくも思うのだ。
いまだかつて、こんなにも必要とされたことがあっただろうか。
昔、ある出来事のせいで現実に絶望してしまった。以来、裕は世界の背景であることに徹してきた。誰も求めず、誰にも求められず、誰であることもなく。
そんな自分が、今こうして、求められているのだ。
ただの偶然ではあっても、必要としてくれる人がいる――であれば、それに報いたい。
それは久しぶりに認識した、自分の心の本音だった。
だから、珍しくもさして迷わず、
「いいですよ」
と、答えた。
「ベルグダールの、勇者になります」
しかしその二文字は、何度口にしても気持ち悪かった。
◎◎◎――――――――――――――――――◎◎◎
「つーわけで、おれがおめえの教育役だ。敬意を込めてセンセイと呼べ」
「うん、よろしく。レオン君」
「おめーナメてんだろ!」
効率よく抑止力を利用するためにはある程度のデモンストレーションも必要だ。それに備え、裕も戦闘技術を学ぶ必要があるということで、レオンから直接指導を受けることになったのだった。
「技術だの何だの言う前に、まずは自分の力を知るこった。特におめーは自分の筋力すらろくに把握できてねーんだからな」
「体力テストをするってこと?」
「そーだ。筋力、持久力、敏捷さ……あとついでに魔導士適性。何を覚えるにしろ、最低このくらいは把握しねーと――っつーかおめー」
「え? なに?」
「なんかいきなり慣れ慣れしくなってねーか?」
「そうかなあ」
首を傾げ、レオンの頭を撫でる。
「なってんだろーが! 頭撫でんな!」
「いや、まあ、なんというか……元々、無口ってわけじゃないんだ」
「嘘こけ。カーバンクル並にビクついてただろーが」
「その例えはいまいち伝わらないけど……とにかく、無口なままじゃやっていけないと思ったから」
必要だと判断した。だから無口でいるのはやめた。
今まで無口で人見知りだったのは、そうするのが一番いいと思っていたからだ。もっとも、喋るのが得意でないのは事実だし、人見知りに関してはほとんど素なのだが……幸いなことに、人見知りは人見知りでも、裕は比較的要領のいいほうの人見知りだった。
まあ、これだけ気楽に喋れるのは、相手が自分より小さいレオンだから、というのもあるが。
フン、とレオンは鼻を鳴らした。
「余裕ぶっこいていられるんのも今のうちだ。おれは厳しいので有名だかんな。ひっひひひひひ……」
「有名なのは器の小ささだよな」「嫌がらせのセコさもな」
近くの騎士達が囁き合った。
「まずは筋力だっ! これを持ち上げてみろっ!」
と、レオンが指さしたのは高さ5メートルはある大岩だった。
「ウチの屈強な騎士10人に頼んで持ってこさせた岩だ! いくら馬鹿力ったって1人で持てるわけ――」
「よっ」
片手で持ち上がった。
「…………」
「……なんかごめん」
「次は持久力だあっ! 湖の周り100周してこおいっ!!」
10分後。
「終わったよ」
「う、嘘……こけっ……! お、おれはまだ、50しゅう……」
「無理についてこなくてもよかったのに……」
「うる、せー……おめーが、ズルしねーか、監視――おろろろろろ」
「うわっ! だ、誰かーっ!」
「つ、次は敏捷性だ……」
「ちょっと休んだら?」
「うるせーっ! いいから今すぐあれ取ってこ――」
瞬間、裕は城のひときわ高い尖塔に駆け登り、頂点に立っていた旗を引き抜いて戻ってきた。
「ほら。取ってきたから少し休――」
「やかましいっ! 次だ次ぃーっ!!」
4つ目のテストはこれまでのものとは趣が違った。
突然、宝石のような石を手渡される。
「何これ……?」
「『魔導石』だ」
「魔導石?」
「そーだ。昨日の模擬戦でおれの動き見てたろ?」
「うん」
「じゃあ訊くが、普通の人間があんなに速く動けると思うか」
「無理……だと思う。地面にクレーターできてたし……。あれって、懐から漏れてた光が関係してるんじゃないの?」
「ふん……観察力はそこそこあるみてーだな」
なぜか不服そうに言って、レオンは懐から同じような石を取り出す。
「あれはこの石の光だ。おれはこの魔導石から力を引き出して身体を強化したり攻撃を強くしたりしてたんだ。魔導石に宿る力を『アルケー』、アルケーを使って超常現象を起こす技術を『魔技』って呼ぶ」
要するに魔法のことか、と裕は理解した。
「……で、これ、どうするの?」
「これからおめーに魔導士の適性があるかどうか調べる」
「魔導士の適性――魔技っていうのを使う才能ってこと?」
「そーだ。いいから石握って念じてみろ」
「念じ……って、具体的にどうすれば……?」
「わっかんねーヤツだなあ。こうすんだ、こう」
そう言ってレオンは手渡したばかりの魔導石を奪い取った。
すると、魔導石が輝きを放つ。
「念じるっつーのは、まあ、精神を一定の状態に置くことだ。うまくアルケーを抽出できたらこうして石が光を放つ」
「全然わかんない……」
「なんつーのかなあ。石の中身を想像しつつ、世界全体を感じるっつーか」
「さらにわかんない……」
もっと説明のうまい騎士にも付き合ってもらって、あれこれ試してみたが、結局アルケーとやらを石から取り出すことはできなかった。
「そもそも、そのアルケー? を使った魔法――魔技って、具体的に何ができるの?」
煮詰まってきた辺りで訊いてみた。知識を付ければうまくいくかもしれないと思ったのだ。
うーん、と首を捻ってから、レオンは答える。
「魔技ってのはよーするに、神様を真似ることだな」
「神様を真似る?」
「魔導石の中にあるアルケーってのは、この世のあらゆるものになれる――そーだな、腹ん中の赤ん坊みたいなもんだ。男になるか女になるか、いいヤツになるか悪者になるか、何もかもがこれからって状態だ」
曰く――ディオミールにおいて、あらゆる事象は11の元素に分けられるらしい。アルケーはそれら11の元素のどれにでもなることができる『万能元素』なのだそうだ。そして魔導石からアルケーを取り出し、取り出したアルケーをいずれかの元素に『分化』させ、森羅万象を操る――それが『魔技』と呼ばれる技術らしい。
裕はテレビのニュースを思い出した。『万能細胞』に関するニュースだ。
身体中のどんな細胞にもなることができるのが万能細胞だが、どうやらアルケーというのはそれの森羅万象版らしい。
(え……それ、すごくない?)
素人ながら裕はそう思ったが、なにぶん素人なので正確な凄さはわからなかった。
「じゃあ、その『11の元素』っていうのは?」
「『物質元素』『無形元素』『生物元素』『特殊元素』に大別される。いっこいっこ具体的に言うとだな――」
レオンの説明をリストに纏めると、こうなった。
●万象を構成する11の元素
▼物質元素
地素:固体を表す
海素:液体を表す
空素:気体を表す
火素:プラズマを表す
▼無形元素
動素:運動を表す
重素:重さを表す
▼生物元素
体素:肉体を表す
感素:感覚を表す
▼特殊元素
光素:光を表す
界素:空間を表す
心素:魂を表す
火素をプラズマとしたのは裕の独自解釈だが、無論、ただの高校生たる裕がプラズマの厳密な定義を知るわけもない。火や雷のことだと言われたのでたぶんプラズマのことだろうと判断しただけだ。
ちなみに直感と異なる元素に分類される事象も存在し、例えば熱や音は動素に当たるとされている。
「おめーとの決闘の時、速く動くのに使ったのは動素魔技『過動魔技』。剣の威力を上げるのに使ったのは重素魔技『加重魔技』。んで、身体能力を底上げすんのに使ったのが体素・感素複合魔技『身体強化魔技』だ。ま、ホントは動体視力強化とか脚力強化とか腕力強化とか、細かく色々と使ってんだけどな」
「ああ、それでずっと懐が光ってたんだ……」
「物質・無形・生物元素は知識とそれなりの才能がありゃ誰でも扱えっけど、特殊元素だけはごく一部の人間にしか扱えねー。特に心素なんか、歴史上使えた人間は3人しかいねーって話だ」
「へえ……レオン君は何か使えるの? ええと……光素と、界素と、心素?」
「使えねーよ。悪いか団長なのに特殊元素使いじゃなくて!」
「い、いや……」
地雷だったらしい。この口を開くたびに地雷を踏んでしまうのを直したい。
「……おれが使えんのは空素、動素、重素、体素、感素の5つだけだ。火ィ出したり水を操ったり、それっぽいことは何にもできねー。ねーんだよ、魔導士の才能は」
心底忌々しそうにレオンは言った。裕より3つも年下なのに、その瞳は遠い過去を覗き込むかのようだった。
「おれは元々魔導士見習いだったんだ。だけど、遠隔攻撃系の魔技がてんでダメで……うぜー先輩連中にムノーだのオチコボレだの好き放題言われてた。そんな時……エリカねーちゃんがおれの才能を見抜いて、示してくれたんだ。騎士っていう道を……。だからおれは――」
レオンはハッと我に返った表情になった。
「――なんでおめーにこんなこと喋んなきゃなんねーんだよ!」
「君が勝手に喋り始めたんじゃないか……」
理不尽さを感じつつも、「でも」と裕は続ける。
「よかったね、手を差し伸べてくれる人がいて」
「なんだそりゃ。イヤミったらしーな」
「いや、本心だよ。……本当に、羨ましい」
レオンは頭の上をぽりぽり掻き、「チョーシ狂うな」と呟いた。
裕は先程のレオンの話を反芻し、ふと思う。
「ところで、エリカ……姫が君の才能を見抜いたって言ったけど、それって魔技の才能のことだよね? 彼女も魔導士なの?」
「そりゃおめー、とびっきりだよ。本職にも劣らねーくれーの――」
レオンはそこで言葉を切り、ちっ、と舌打ちして顔を逸らした。
「……え? あの……」
「何でもねー。ちょっとイヤなこと思い出しただけだ」
苦渋に満ちた表情を浮かべ、レオンは吐き捨てる。
「……あの野郎に教えてもらったからだなんて、死んでも認めてやるもんか……」
それ以降、レオンはずっと不機嫌そうな顔のままだった。
◎◎◎――――――――――――――――――◎◎◎
太陽が雲海に沈む頃になって、裕は用意された自室に戻ってきた。目覚めた時のあの部屋だ。
柔らかなベッドに腰を埋め、息をつく。
窓の外には、召喚初日に見た光景があった。
クジラのような飛行船が空を泳いでいるのが見える。その向こうには地平線まで続く白い雲海。身を乗り出せば、火山の火口にできた美しい湖を見ることができるだろう。この城はカルデラの中央に建っているのだ。
ベルグダールは、山脈の上に作られた街である。
木という木がすべて建物に変わってしまったかのように、急勾配の山肌にびっしりと街が張り付いているのだ。
道はほぼすべて階段、交通機関はロープウェーと飛行船のみという不便な街だが、人通りは驚くほど多い。家々の間を走る階段や山と山を連絡する橋には、今も数え切れないほどの人々が行き交っている。ヒルダに聞いた話では、ベルグダール王国は世界でも五指に入る大国なのだそうだ。
そんな国が今――よりにもよって自分を頼っている。
そう思うと、自然と溜め息が漏れた。
(……やっぱり、向いてない)
たとえ格好だけでも――勇者なんて、自分には向いてない。
勇敢には程遠く、気を抜くとすぐに陰気な自分がやってくる。昼間、あんなに流暢に喋れていたのが奇跡のように思えた。
それでもやらなければならない。勇者なんて肩書きにこだわりはないけれど、自分で言ったことくらいはちゃんとやれる人間でありたい。
そうでないと、生きることにすら絶望してしまう気がする――
「……ッ」
頭痛があり、反射的に頭を押さえた。
夕食を食べたらさっさと眠ってしまおう。気が重い時は眠るのが一番だ。少なくとも眠っている間は、こんな自分と付き合わずに済む。
そんなふうに思った時、扉がノックされた。ヒルダが夕食に呼びに来たのだろうか。いつもよりだいぶ早い気がするが……。
大きな声を出す元気はない。重い腰を上げ、自分で扉を開くと、裕は心臓を跳ねさせた。
「あら。返事して頂けたら、自分で開けましたのに」
視界がきらきらと銀に華やぐ――扉の向こうにいたのはリーゼロッテだった。
裕は驚きの余り呼吸を忘れ、ぎくしゃくと喋り出す。
「あ、あの……リーゼロッテさん?」
「はい?」
小首を傾げる彼女の周囲には、いつも傍にいるはずの近衛侍女や側近の姿がない。
「ど……どういったご用件で?」
リーゼロッテは手で口を隠し、くすりと上品に笑った。
「ちょっと様子を見に来るのも用がなければ許されませんか?」
「いっ、いえ……」
さっきから噛みっ放しだった。とにかくいつまでも敷居越しに話しているわけにはいかない。リーゼロッテを室内に招き入れる。
椅子を用意しようと思ったが、ちょうどいいのが見つからなかった。仕方なく執務机に据えられていた椅子を引き、リーゼロッテに勧める。リーゼロッテは「ありがとうございます」と言ってそれに座った。
裕はベッドに座っておく。面と向かう勇気はなかったので、身体の側面を見せるような形になった。
「いかがでしょうか? ここでの生活は」
「まあ……その……大丈夫です」
とだけ答え、あとは愛想笑いで誤魔化しておく。
会話の接ぎ穂を失ったのか、リーゼロッテが不意に黙った。裕もまた黙り、視線を外す。
少しすると、隣に誰か座る気配があった。
「えっ?」
「どうやら大丈夫ではないご様子」
思ったよりも近くにリーゼロッテが座っていた。
彼女はベッドのシーツに手をつき、裕に少しにじり寄る。
「何かご不便があったのでしょうか? 遠慮なく言ってくれても良いのですよ?」
「や、その、別に……」
リーゼロッテの正確な年齢は知らないが、肌の張りや均整の取れたスタイルは十代であってもおかしくないほどだ。それでいて、その落ち着いた物腰からは経験豊富な大人を感じさせる。端的に言えば綺麗で色っぽい。
よく『女の子みたいで可愛い』と(主に女子に)評される裕ではあるが、こんな美人を前にしては――ましてや胸が当たりそうなくらい接近されては、頬のひとつも赤らめる。耳が熱を持っているのが自分でもわかった。
しかし、それら思春期の男子らしい反応は、頬にリーゼロッテの手が添えられた瞬間、波のように引いていった。
「……ご安心くださいませ」
柔らかな声音が、頬に添えられた手の熱と溶け合う。
「新たな環境に身を置けば、誰であれ不安を感じます。大丈夫なのか、ちゃんとやれているか、これからやっていけるのか……。能力のある者であれ、ない者であれ、誰であれ、です」
「誰であれ……」
頬に手を添えられ、言葉をかけられているだけなのに、抱き締められているような穏やかさがあった。
「勇者様はまだ慣れていないだけなのです。決して能力や適性がないのではありません。それはこれからゆっくりと見極めていけば良いこと……どんな天才も、最初から達人であったわけではないのですから」
どんな天才も、最初から達人であったわけではない。
古今東西の伝説に名を残す英雄や勇者達――それに漫画や映画、アニメに出てくる主人公達も、ただの人間だった時期があるのだろうか……。
「もし、それでも向いていないと思われるのでしたら、いつでもお伝えください。元の世界に送還する準備は整えておりますので」
そう言い残して――――
「では、わたくしはこれで」とリーゼロッテは退室した。
再び一人になった裕は、ベッドの上に寝転がる。
(……そうだ、取り返しはつくんだ)
正直あまり気は進まないが、元の世界に帰るという選択肢も残されている。取り返しはつくのだから、無理に気負うことはないのかもしれない。
……そう。ここでどうなった所で、帰ってしまえば関係なくなるのだ。
「勇者様。お食事の用意ができました。……あら?」
それからすぐにやってきたヒルダは、裕の顔を見て眉を上げた。
「不慣れな生活でお疲れのことと思っていたのですけれど……心配は無用でしたか?」
裕は微苦笑を浮かべる。
「ちょっとだけ、開き直っただけです」
くすくすとヒルダは笑い、それから悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それは残念です。私がお疲れを癒して差し上げようと思っていましたのに」
「えっ?」と挙動不審になる裕を見て、ヒルダはもう一度楽しそうに笑った。