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第2話‐勇者の力‐

「団長が決闘だってよ!」「相手は誰だ? えっ……今日召喚された勇者殿と?」「こいつぁ見逃せねぇ! 見に行こうぜ!」

 どやどやどや。


「…………はあ…………」


 裕が物憂げについた溜め息は、喧騒で満ちた空気に溶けていった。

 裕は城の敷地内に設けられた騎士の訓練場に連れ出されていた。運動場のような四角い空間の周囲に回廊があり、さっきから続々とギャラリーが集まってきている。


「これをお使いください、勇者様」


 ヒルダが一本の剣を持ってきた。鞘はなく、剥き出しだ。

 基本的にはロングソード|だが、切っ先が鑢で削られたように丸く、刀身が雪のように白い。手に取って見るとやたらと軽かった。まるで空気を握っているみたいだ。


「『偽清剣アエリアル・レプリカ』という特殊な剣です。このように――」


 裕は悲鳴を上げかけた。突然、ヒルダが指を白い刃に押し付けたのだ。

 だが次の瞬間、もう一度驚愕する。

 押し付けられた細い指が――刃をすり抜けた!


「――斬ってもすり抜けてしまいます。と言いましても、すり抜けるのは生き物の身体や、それに付属すると見なされるもの――要するに服ですね――だけで、剣と剣はしっかり衝突しますので、お気を付けを」


 裕は自分でも偽清剣の刃に指を這わせてみた。やはりすり抜ける。痛みはないが、ドキッとするような、不可思議な刺激が淡く身体の芯に生じた。


「傷は付きませんが、ダメージは生じます。刀身が淡く光っているのがわかりますか?」


 言われて、頷いた。刀身も白いが、その上にさらに蛍光灯のごとく白い光を纏っていた。


「それは勇者様の気力を可視化したものです。相手の偽清剣による攻撃を受けると、その光が鍔のほうから消えていきます。切っ先から光が消え、気力がゼロになると、強制的に気絶してしまいます。もちろん肉体に害はありません。完全完璧に安全ですので、ご安心ください」


 裕は安堵した。刀身のこの光は、要するにゲームの体力値ヒットポイントのようなものらしい。こんな剣を使うということは、この決闘自体もゲームみたいなものなのだろう。


 訓練場の中央では偽清剣を持ったレオンハルトが柔軟体操をしていた。それだけ見ていると夏休みの朝の公園といった感じだが、


「団長と決闘たぁ勇者様も命知らずだぜ」「魔導騎士団の団長は最強の騎士の証だからなあ。見た目はああだが」「レオン団長は歴代最強の呼び声も高いし。性格はああだが」「無理無理。いくら勇者様でも経験がないんじゃ……」「何秒持つと思う? 俺は5秒」「10秒」「素人とは言え勇者様だ、20秒!」

 わいわいがやがや。


(お願いだから聞こえない所でやって……)

 怖いやらみじめやらで頭の中ぐちゃぐちゃだ。


 投げやりに『やる』と言ってしまったが、いきなり戦えと言われたってどうすればいいのだ。剣を握ったことすらないのに……。

 わずかばかりの恨みを込めて振り向くと、エリカが思ったより近くにいた。

 軽く肩を叩かれる。


「大丈夫です。あなたは強い。勇者ですから」

「いや、だからその……」

「まずはレオンの動きを目で追ってみてください」


 それだけ言って、エリカは裕の背中を押した。さっさと行け、ということらしい。

 自分の状況さえ大してわかっていないのに、否と言えるはずもない。


 訓練場の中央でレオンハルトと対峙する。


「逃げなかったな。それだけは褒めてやんよ、ヨソモンチビ!」


 裕は愛想笑いをした。高校一年生なのに靴の底(上げ底にあらず)を含めても160センチにすら届かない身長のことはいま関係ないだろ。


「では、勇者様対ヤンカー団長の模擬戦を開始します」


 ヒルダが2人の中間に立つ。彼女が審判を務めるらしい。


「偽清剣を用いた攻撃以外は無効になります。一度でも繰り出した時点で失格としますので、気を付けてくださいね?」

「はっ、はいっ!」


 レオンハルトの背筋が伸びる。どうやら本気で気を付けたほうがいいらしい。


「では、構え――」


 言うと同時に、ヒルダが腕を真上に伸ばした。レオンハルトが腰を低くし、偽清剣を肩辺りまで持ち上げる。

 構えと言われても、裕にはどうすればいいやらわからない。とりあえず軽く足を開き、右手に握った柄に左手を添えた。


(動きを目で追う……)


 先程エリカに言われたことを思い出す。完全素人の裕ごときが一応本職であるレオンハルトの動きを見切れるとはとても思えないが、そうしろと言うのならそうするしかない。


 天に向かってまっすぐ伸びたヒルダの手を凝視する。ざわめきはいつの間にやら消え去り、自分の鼓動ばかりがやたらにうるさい。なぜこんなことになったんだろう。そもそもこれって現実か? 夢なら醒めろ。……いや、醒めなくてもいいのだろうか。あんな現実に戻る必要があるのだろうか。楽しいことなんて何ひとつないのに――


「――始め!」


 ヒルダの腕が振り下ろされた。

 直後、裕の耳元で衝撃が炸裂した。


「……っ!?」


 裕のすぐ横、足を掠めるような位置――そこに直径2メートルはあるクレーターが生まれていた。

 地雷が起爆したわけではない。隕石が降ったわけでもない。一瞬にして迫ったレオンハルトが偽清剣を振り下ろし、その威力でもって地面を抉ったのだ。


 土の上に転がった裕は目を見開いて驚く――三つの意味で同時に驚く。


 瞬時に間合いを詰めた速度は驚異的だ。剣によるものとは思えない威力も驚異的だ。しかし何よりも、その一撃を避けてしまった自分の反応力が驚異的だった。

 何も特別なことはしていない。むしろ集中力は散漫だったくらいだ。

 なのに、見えてしまった。レオンハルトが後ろ足を踏み切り、2歩で間合いを詰め、偽清剣を振り下ろしてくる動作が。


「へっ。よく避けたな……。でも次は外さねーぞ!」

(――左!)


 裕は右のほうへと逃れた。直後に爆音が炸裂し、再びクレーターが生まれた。


「おらおらっ! 逃げるばっかりじゃ勝てねーぞっ!」


 レオンハルトは尋常ならざる速度で尋常ならざる攻撃を次々と繰り出してきたが、裕はそのすべてを避け切った。避け切れてしまった。

 意味がわからない。なんだこの反応能力は。だが助かったのは事実だ。わけがわからないが、裕はひとまずこの謎の反射神経に感謝した。


 しかし、レオンハルトの言う通り避けているだけではダメだ。決定的な一撃は受けていないものの、刀身の光が鍔のほうから少し減っているのがわかる。1メートルほどある刀身のうち、せいぜい5センチほどだが、間近に衝撃を感じるだけでもダメージを受けるのだ。


(……あれ?)


 なぜ、自分は勝とうとしているのだろう。

 こんなの負けて当たり前なのに――むしろそのほうが早く終わるのに。


「――ッ!」


 爆音と同時に地面を転がる。

 余計なことをそんなことを考えている余力はない。

 何事も負けるよりは勝つほうがいい――そういうことにしておこう。


 回避にも徐々に慣れ、相手を観察する余裕ができてきた。

 よく見るとレオンハルトの懐から光が漏れている。高速移動を始める瞬間と剣を振り下ろす瞬間には特に強く輝く。おそらく、その光が彼に超人的な素早さと攻撃力を与えているのだ。


 そこまで考察し終えた時、レオンハルトがギラリと眼光を放った。


「のんきに考え事なんざしてんじゃねーぞッ!」


 相手の偽清剣が横薙ぎに閃いた。裕は慌てて地面を蹴るが、避けきれない。


「ぃ――っ!」


 胸を切っ先が浅くすり抜けると同時、『ダメージ』が裕を襲った。

 それは驚愕に似ている。不定形の衝撃が体の芯を突き抜ける感覚。裕は苦悶の声を漏らし、背中から地面に倒れた。偽清剣の光が1メートル中30センチも減る。

 致命的ではない。有効打でもない。訓練された戦士ならば取るに足らない傷であろう。光も5センチと減らないに違いない。しかし裕には魂を斬られたにも等しい衝撃に思えた。


「ははっ。この程度でのたうち回りやがって」


 レオンハルトが剣を振り上げながら嘲るように笑った。

 それにより、ある感情が二つ、湧き上がる。

 ひとつは、悔しさ。自分より小さな子供の前に這いつくばっていることへの、羞恥心にも似た悔しさだ。

 そしてもうひとつは――


(……なんで、こんな目に合わなくちゃいけないんだ……)

(……なんで、こんなことをさせられなくちゃいけないんだ……)

(……なんで、こんなみじめな思いをしなくちゃいけないんだ……!)

(……なんで、こんな無様に倒れてるんだ……!)


 瞬間、迫り来る刃への恐怖心が、消えた。

 立ち上がりながら一直線な剣筋を紙一重でかわす。同時に自分の偽清剣を振り上げ、握る手に力を込めた。


「――っ!」

「いっ……!?」


 裕の声なき気勢とレオンハルトの焦った声が重なる。

 子供騎士の肩口に偽清剣が滑り込み、そのまま矮躯をすり抜けて、平らな地面を叩いた。



 ――ッズドッッ!!



 衝撃。

 自分の足元に生まれたそれに、誰よりも裕自身が驚愕した。


 ざわざわざわっ! とギャラリーが色めきたつ。

 それもそのはずだ。今、裕の一撃により生まれたのは、レオンハルトによるものより倍以上も大きい――直径5メートルにもなるクレーターだったのだから。


 その底で、レオンハルトは力なく倒れている。彼の偽清剣からは光が消えていた。裕の最初で最後の反撃が、彼の気力を根こそぎ刈り取ったのだ。

 その傍ら、剣を振り下ろしたままの格好で、裕は唖然としていた。


 ―― あなたは強い。なぜなら勇者だから ――


 あの言葉の意味は、もはや明白だ。つまり、これが――


「――それが勇者の力ですわ、勇者様」


 それは、聞いたことのない声だった。

 裕は振り向き、目映さに目を細める。

 エリカと同じ銀髪だが、眩しさは段違いだ。きっと波打った髪を腰まで下ろすことで表面積が増えているからだろう。

 周囲を見ると、ギャラリーの騎士らが跪いていた。ヒルダも突如現れた美女から一歩引いた位置で頭を下げている。


「申し訳ありません、陛下。陛下のご指示も仰がず……」

「良いのです、ヒルダ。どうせエリカの差し金でしょう。あの子にも困ったものですわ」


 そう言い本当に困ったように苦笑した美女は、エリカにどこか似ていた。と言っても雰囲気はまるで異なり、エリカが苛烈な印象を受けるのに比べ、彼女にはどこまでも優しい包容力がある。その容姿に関しても、エリカが野に咲く花のような自然さを残しているのに対し、彼女は磨き抜かれた宝石のような隙のない美しさを纏っている。


 銀髪の美女は裕を見下ろし、自らの豊満な胸に手を当てた。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、勇者様。わたくしが勇者様をこの世界に召喚した張本人にして、このベルグダール王国の現女王、リーゼロッテ・フロイデンベルグです」

「え、あ……」


 裕は名乗り返すこともできず、ひとまずクレーターから出た。銀髪の女王――リーゼロッテは裕よりも長身だ。


「重ねて謝罪いたしますわ、勇者様。何やら妹が無茶をさせたようで……」

「いえ、その、別に……この通り、大丈夫ですし……」


 そう、それだ。大丈夫なのだ、なぜか。

 自分とは思えない反応力。自分どころか人間とは思えない筋力。これらは一体なんなのか。

 リーゼロッテはくすりとおかしそうに笑った。


「勇者は、元の世界でどうであったとしても、召喚されながらにして一騎当千の力を持つ――伝承の通りです。最強の騎士とは言え、ただの人間であるレオンハルトが勝てるはずもありませんわ」


 それを聞いて、裕はエリカの姿を探した。すぐに見つかるが、あからさまにそっぽを向いている。そうならそうと始めに言ってくれれば……!


「さあ、勇者様。お召し物も汚れてしまいましたし、一度城内へ戻りましょう。目覚めた直後に模擬戦などやらされてお腹もお空きでしょうし、遅めの朝食を摂りながらお話ししますわ」

「お話し……って、あの……もしかして、僕にしてほしいこととか、ですか……?」

「ええ。そういうことになります。端的に言いますと――」


 何を言われるのだろう、と裕は不安になった。


 怪物を倒せとか?

 敵軍を蹴散らせとか?

 まさか、魔王を――


 予想を瞬時にいくつも並べ、さすがにこればかりは流されるわけにはいかない、と固く決意した直後――リーゼロッテはまったく予想外の答えをもたらした。


「――この国でふんぞり返っていること、ですわ」


 へ? と、裕は口を開けた。


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