第19話‐本当の勇者‐
夜天に輝く月が広場を舞台のように照らす。石畳に落ちる影は淡く、小さく――影を作る力すら惜しんでいるかのように見えた。
レオンが噴水の縁を乗り越え、裕達2人と対峙する。その腰には剣が2本、左右に1本ずつ佩いてあった。
「おめーに、何ができる」
凄絶な眼光を裕に向け、レオンは問う。
「ねーちゃんを連れてこの国を出たとして……おめーみたいな右も左もわかんねーヨソモンに、一体何ができる」
彼の詰問は、極めて現実的なものだった。
裕には何もない。知識も立場も人脈も何もかもがない。頼れる伝手と言ったらセリアくらいだ。
だが。
「なら、どうすれば幸せなんだ」
「……なんだと?」
「確かに僕には右も左もわからないよ。この世界のことを何にも知らない。……でも、知っていることが、ひとつだけある」
裕の隣には彼女がいる。銀髪を鮮烈に煌めかせる、この王国の姫君。
そして今、その肩書きを捨てようとしている1人の少女。
「彼女がずっと、苦しんでいたということだ。彼女がずっと、傷付いてきたということだ。僕は彼女自身からそれを聞いた。君達の誰も、彼女の言葉に耳を傾けなかったから! ……人を責める前に答えてみろ――君は、知っているのか。彼女の苦しみを!」
「……知ってるよ」
ぽつりと、レオンは答えた。
泣き出しそうな表情で、ぐしゃぐしゃに顔を歪めて――
「知ってるから――悔しいんだろうがあッ!!」
怒りと、悲しみと、悔しさと。
様々なものが入り混じった声が、夜の街に響き渡っていく。
エリカが、繋いだ手を引っ張った。
「時間ないんでしょ? 迂回してレオンを撒いたほうが――」
「――ごめん」
裕は手を優しくほどき、前に進み出る。
その歩みには覚悟があり、勇気があり――何より誠意があった。
「ここは――退けない」
レオンが腰に佩いていた剣を1本、裕の前に転がす。
拾って鞘から抜いてみると、それは偽清剣アエリアル・レプリカだった。雪のように白い刃と丸い切っ先。肌を裂いても血は流れず傷がつくこともない、殺さないための武器。
「それがおれとおめーの武器だ」
自分も偽清剣を抜きながら、レオンが言う。
「あの時と同じ武器で、今度こそ決着をつけてやる。そして今度こそ――潰してやるよ、チビ勇者」
はは、と裕は笑った。
「最初っから言いたかったんだけど――」
かつてレオンから習った通りに偽清剣を構え、剣先をひたと据える。
「――チビは君のほうだろ」
2本の偽清剣の刀身に、鍔のほうから光が昇っていく。それは彼らの気力を可視化したもの。決着を判定する唯一の審判だ。気力を失った者は気絶という結果を免れない。
光を湛えた偽清剣を構え、両者がおよそ20メートルの間を置いて睨み合う。
あの時と違って審判はいない。あの時と違って合図はない。ギャラリーはたったひとりで、しかしそのひとりがあの時の数十人に勝る。
これは殺し合いではない。
偽清剣は人を殺さないための剣――それを使った戦いが殺し合いであるはずもない。
これは、決闘だ。
命ではなく誇りを賭け、殺意ではなく信念を応酬する。勝ち負けの基準は生死に非ず、その心根の強弱にこそある。
覚悟を。
勇気を。
そして誠意を。
いざ尋常に――
――勝負!
「「――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」」
石畳がめくれ上がった。
粉塵が巻き上がった。
轟音が遅れ、衝撃はさらに遅れた。
すべては瞬刻のうちに。裕の足が地面を砕き、レオンの懐が光を放った瞬間、すでに激突は起こっていた。
ギィイイイイイイイイイイィンッッ!! と。
鈍さと甲高さを併せ持った音が、夜空に突き抜けていく。
直後だった。立ち込めた粉塵から裕が飛び出した。高い弾道で何十メートルも飛翔し、空中に架かる橋の上に落下する。
「づ、あ……っ!」
痛みが突き抜けるが偽清剣の光に変化はない。体勢を立て直す。
初撃は裕の完敗だ。しかし図らずも間合いが取れた。冷静にレオンの動きを見極め――
「なっ……!?」
顔を上げた時、すでにレオンが頭上で偽清剣を振り被っていた。有り得ない、と脳が叫ぶ。さっきの広場からここまで何メートルあると思っている? 跳躍と言うより、もはや飛行――だが飛行魔技は達人級の超高等魔技で、レオンには使えないはず――!
「うッらァあぁあああああああああッ!!」
裕は橋の上から離脱する。直後、レオンの一撃が炸裂し、橋が瓦解した。
無数の瓦礫が轟音を撒き散らして落下していく。その中にレオンの姿もあった。
裕は自らも落ちながら準備する――今のは考えなしの攻撃だ。裕は建物に着地するよう跳んだが、レオンはただ落ちているだけ。無防備な状態で攻撃を仕掛けることができる――!
しかし、裕はまたしても驚愕することになった。
落下中のはずのレオンが、その場で跳び上がったからだ。
裕の記憶の中に、その現象を適切に表す言葉がある。
なぜなら見たことがあるからだ。ディオミールではなく現代日本で――現実ではなくゲームの中で。
そう。
2段ジャンプ。
否、レオンのそれは2段ではない。3段、4段、5段――何度も何度も虚空を蹴り、鋭角に空を動き回る。もはやジャンプとも呼べはしない。それはまさしくペガサスの疾駆だ。
驚愕の中、裕の勇者としての視力はレオンの足裏に不自然な空気の流れを捉える。
―― おれが使えんのは空素、動素、重素、体素、感素の5つだけだ ――
(空素……!)
気体を司る元素――空素。
おそらくレオンは足裏で空気を爆発させているのだ。その衝撃による機動が、まるで空を駆け回っているように見えるのだ。
レオンが鋭角的な軌道で襲い来る。鋭い1撃目をかろうじて防ぐが、裕のそばを通り過ぎたレオンは跳ねるようにして再び襲来した。
それすらもかわした裕は褒められてしかるべきだろう。しかしその次は、そのさらに次は、さらにまた次は、次は次は次は――間断なく間髪入れず、上下左右前後すべてから襲いかかる攻撃を防ぐことなど不可能だった。
「ぐうっ、あっ――!!」
がくん、がくん、と偽清剣の光が減る。減少したのは刀身1メートル中およそ20センチ。伴って裕の身体にビシリと衝撃が突き抜けた。歯を食い縛ってそれに耐え、裕は行動する。
偽清剣の腹を空に向けた。
むろん地上のほうから襲う攻撃は防げない。しかし――
レオンの攻撃が裕の剣に激突する。レオンにとっても予想外であっただろうその激突の衝撃により、裕の身体は地上に叩きつけられた。だがこれでいいのだ。強引にでも着地することにより、レオンの攻撃経路を半分潰した……!
裕は街の階段を駆け上る。いつまでも頭上を取られていては劣勢のまま。高度が必要だった。山の斜面に作られたこのベルグダールの街ならば、跳び上がらずとも高さを得ることができる。
階段を上る裕はまるで海面を跳ねるトビウオだった。数百段もの石段をわずか10歩ほどで上り切り、踊り場代わりの水平な歩道に到達する――
「――おめーらはいつもそうだ」
低い呟きが聞こえ、横合いから衝撃が襲った。
裕の身体が歩道に跳ね、剣の光が減少。残り70センチとなる。
体勢を立て直した裕は表情を歪めざるを得なかった。ベルグダールにおいては珍しい平坦な歩道。その真ん中にレオンが佇んでいる。建物の陰に待ち伏せしていたのだ。思考を完全に読み切られている……!
「おめーら勇者はいつもいつも勝手ばっかり……!」
レオンの懐から鮮烈な輝きが漏れる。
「これ以上、ねーちゃんを振り回すなあっ!!」
石畳、煉瓦、果ては直径5メートルはある向天岩まで、様々な物体が凶器となって飛来した。裕は下がる。下がったそばから歩道にそれらが突き刺さる。粉塵が勢い良く立ち昇った。
粉塵を突き抜け。
レオンの剣が裕を狙う。
裕の剣が跳ね上がり、レオンの剣と火花を散らした。
そして、刃越しに裕は見る――怨嗟に塗れた眼光を。
「――確かに、僕は勝手かもしれない……!」
ギリギリと。
鍔迫り合いながら。
息のかかるような距離で裕は叫んだ。
「でも、君の知る勇者は! エリカが好きだった勇者は! 彼女を振り回すばかりの勝手な人だったのか!? そんな人をエリカは慕ったのか!?」
「ああ、勝手だ! あいつも身勝手な野郎だッ!!」
剣を弾き合い、両者は再び間合いを取った。しかし休みはない。レオンの魔技が発動した。切断力を持つ風が裕に殺到する。
「おれだって好きだったさ、あいつのことは! 強くて、優しくて――おれの憧れだった! あんなふうになりたいってずっと思ってた!! でもな、おれは許さねえ――絶対に許さねえ!! 勝手に死んで、勝手に消えて! ねーちゃんを悲しませたあいつのことを!! おれはずっと――ずっとずっとずっと! 永遠に許さねぇえええええッ!!」
レオンは鎌風を連射しながら後退していく。裕には遠距離攻撃手段がない。間合いを取ったほうが有利と判断したのだ。
だが、裕は肉迫する。
殺到する風を弾き、避け、いなし――再び、レオンの目の前に!
「そのせいで、今度は君がエリカを悲しませてるんじゃないのか」
「……っ!」
「君が誰を許さなかろうと勝手だ! だけど、それとエリカは関係ないッ!!」
夜闇に偽清剣の光が閃いた。脇腹への一撃。抵抗なく入る。レオンの光が初めて減少した。残り90センチ。
すれ違った2人は振り返ることなく、そのまま前に向かって駆け出した。この歩道はこの山をぐるりと一周している。わざわざ戻らずとも――
山の反対側で2人は相まみえ、正面から激突した。衝撃と轟音が夜の街に波及する。
「――たとえそうだとしてもっ! 決めたんだ! おれがねーちゃんを守っていこうって!!」
「なら気付いたはずだ! 彼女が抱えていた苦しみにッ! それをどうにかしようってなんで思えない!?」
一瞬で3合もの剣戟があり、両者の光が10センチ減少した。2人は再びすれ違い、さらに山を半周して激突する――
「思ったに決まってんだろ、そんなの! だけどなあっ!!」
――と見せかけて、レオンが攻撃を回避した。踊るように旋転し、裕の背後に回る。
「どうしようもっ――ねえんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
裕の背中を偽清剣が袈裟掛けに裂いた。がくん! と裕の光が一気に20センチも減る。
ダメージに怯んだ所を蹴り飛ばされ、裕は空に浮遊する岩塊のひとつに乗せられた。
裕が立ち上がる頃、レオンもまた別の向天岩に飛び乗った。
空――支えもなく漂う二つの岩の上で、2人は対峙する。
「……ねーちゃんの苦しみは、ベルグダールにいる限り消えねーもんだ。それどころか、この世界の、ほとんどどこにいたって消えねーもんだ」
裕は自分とレオンの気力残量を確認した。裕は残りおよそ40センチ。レオンは残りおよそ80センチといったところか。ちょうどダブルスコアだった。
「それをどうにかしたくて、おれは強くなった! ベルグダール最強の騎士になった! ……でも、それは、この国の中でだけの力だった……」
吐き出されたレオンの苦悩を、裕は理解する。
「だから! おれが守れるのは、この国の中でだけだから! ねーちゃんは、ここにいなきゃなんねーんだよッ!!」
小さな体躯が空中を真横に貫き、猛烈な斬撃が襲ってきた。
しかし裕は受け止める。正面から、受け止めてみせる……!
「なんだそれ……! そんなの、君の我侭じゃないか!」
「そうだッワガママだ! 悪いかあッ!!」
じり、と裕の光が微減した。わずか5センチ程度だ。だが紛れもなきダメージだった。
裕は歯を食い縛る。胸の奥に煮えたぎるものがあった。ぐつぐつと湧き起こるものがあった。感情という名の岩が、押し潰され――圧迫され――熱を持ち――どろどろに溶け――真っ赤なマグマとなって――噴出する!
「悪いに――決まってるだろッ!!」
レオンが押し返され、大きな隙を晒した。それを見逃すほどもう裕は素人ではない。逆襲が痛烈に炸裂した。
気力の光を30センチも減少させ、レオンは向天岩から落ちていく。だがすぐに空中を蹴り、体勢を立て直した。ただし余裕はない。向天岩から飛び下りた裕が追撃を仕掛ける!
「君は怖いだけじゃないか! 自分の知らない場所で戦うことが! 覚悟も勇気も足りない、ただの子供だッ!!」
裕は向天岩を足場に、レオンは魔技で宙を蹴り、空を縦横無尽に動き回った。
夜空に偽清剣の光が流星のように走っては絡み合う。轟音と共に齎される一瞬の輝きは、まさに夜空に瞬く星々のそれだった。
「……そんなの、わかってんだよ……ッ!!」
もはや常人には見ることすら叶わない高速の世界の中、レオンの目尻に涙が輝いて散る。
「おれがただのガキだってことくらい、わかってんだよ……ッ! でもおれにはねーんだよ、力がっ! おめーらにみたいな有無を言わせねー力が、どう足掻いても!!」
叩きつけられた一撃が予想外に重く、裕は体勢を崩した。まずい。過ぎる思考。ここは空中、こんな隙を晒しては――!
「どうして……」
裕は瞠目した。
レオンの気力を表す光が――炎のように、赤く燃え上がった……!
「どうして、お前らばっかり……!」
その色が、瞳に鮮烈に焼きつけられる。
瞬間、理解した。
この色は――そう、紛れもない。
嫉妬の赤。
「…………おれだって…………勇者に、なりたかった――――ッ!!!」
赤く輝くレオンの剣が、裕の胸に深々と突き刺さった。
衝撃が指の先まで突き抜け、裕は吹き飛ばされる。空中での度重なる激突によってレオン共々10センチ減っていた光が、さらにさらに減っていった。
裕は石畳の地面にバウンドし、さらに一度バウンドし、転がって転がってようやく止まった。うつ伏せのまま、身体の悲鳴を聞き、土の味を噛み締める。
「裕……っ!」
エリカの声が聞こえて、そうか、と理解する。
ここは、この決闘が始まった、あの広場だ。エリカが待ってくれている、あの広場なのだ。もう少しで……もう少しで駅に辿り着く、あの広場なのだ……。
ふらふらと……よろめきながら、裕は立ち上がる。
レオンが歩み寄ってくるのが見えた。手の偽清剣には、まだ40センチも光が残っている。
対し、裕の剣には――
「っ……!」
エリカが悲鳴を上げかけた気配があった。きっと裕の光の残量を確認したのだろう。
裕の光は、すでに、残り1センチにも満たない。
飲み干したコップのように、絞りかすめいた光が、丸い切っ先に弱々しく瞬いているだけ。指でつつかれただけで呆気なく消し飛び、裕の意識は刈り取られるだろう。
たまらずエリカが駆け寄ろうとした。もはや勝負はついたと判断したのだろう。当たり前だ。客観的に見て、裕はもう戦える状態ではない。
しかし。
手を突き出し――裕は、それを制した。
「……同じ、だね」
そして、対峙するレオンへと声を投げかける。それはとてもとても弱々しいものだったが、召喚されたばかりの頃に比べれば、ずっとはっきりした声音だった。
「……なんつった? 何が同じだって? おれとおめーの、一体何が――」
「僕も、勇者に、なりたかった」
恥ずかしげに放たれた言葉に、レオンは声を途切れさせた。
ああ、そうだ――勇者になりたいわけじゃない、なんて、下手な言い訳に過ぎなかった。
僕は、本当は――
「褒められたいとか、持て囃されたいとか、そういうことじゃない……ただ、自分に恥じない人間に……自分を誇れる人間に……なりたかった…………」
本当に、ただそれだけなのだ。
許せないことを許したくなかった。認められないことを認めたくなかった。自分の気持ちを誤魔化さず、嘘をついて欺かず、ありのままの自分でいたかった。
けれど、現実はあまりにも厳しくて。つらくて、冷たくて、苦しくて――鎧を纏った。身を隠した。背を丸め、蹲り、吹き荒ぶ吹雪にじっと耐えた……。
けれど、勇者なら。
堂々と胸を張り、歩くことができるだろう。どんな吹雪の中でも、進む道を迷うことはないだろう。たとえつらくとも、冷たくとも、苦しくとも――勇者なら、前を見ることをやめたりはしない。
そんな人間が、勇者なのだ。
思うようにいかないこの現実で、それでも進み続ける勇気を持つ者――そんな人間こそが、勇者と呼ばれるに相応しいのだ。
「そんな羨ましそうな目で、僕を見る必要なんてない……。だって君は、貫き通したじゃないか。自分ではどうにもできない事情に阻まれても……たとえ、望ましい結果が生まれなくても……真摯に、一心に、ひたむきに……自分の意志を、貫き通したじゃないか」
だから。
「僕なんかより……君のほうが、よっぽど勇者だ」
レオンは一瞬、呆気に取られていた――しかし、すぐに怒りに顔を歪ませる。
「そんな同情なんざお呼びじゃねえッ! おめーが何て言ったって――」
「――――――だけど」
瞬間、裕の偽清剣に残ったわずかな光が、蒼く光を帯びた。
それは見る者の心を落ち着かせ、同時に力を与える鮮烈な蒼。優しさと激しさが同居した不思議な光。
口を噤み、裕の瞳に警戒の眼差しを向けたレオンは――大きく瞠目した。
裕の瞳が――蒼く燃え上がっていたからだ。
「ここは――――譲れない」
刹那の出来事だった。
裕の光が全快した。
蒼い光が刃の根元までなみなみと充ちる。蒼光は闇夜を食い破り、一帯を瞬く間に制圧した。
「――――は、はは…………ははははは…………」
裕の光に支配された世界を、1歩、2歩とレオンが後ずさる。
漲る蒼い光を目に映し、乾いた笑いを漏らして。
「…………なんだよ、そりゃあ…………。おめー、言ってることとやってること、まるで違げーじゃねーかよ…………」
言葉とは裏腹に、その声に非難の色はなく。
むしろ、感服するような響きさえ含まれていた。
「――――今のおめーが勇者じゃなきゃ、誰が勇者だってんだ」
裕が今までとは比較にならない速度で動いた。
間合いは刹那のうちに消え去り、レオンは身体を大きく斬り裂かれる。
衝撃波が、夜の街に広がり。
偽清剣の光は、跡形もなく消し飛んだ。
◎◎◎――――――――――――――――――◎◎◎
「――うっ……!」
偽清剣から光が消え、瞳の色が戻った瞬間、裕は呻いて膝をついた。
慌ててエリカが駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「うん……。ありがとう、立てるよ」
エリカに肩を支えられながら、裕は立ち上がった。肩でしていた息も徐々に整っていく。
落ち着くと、裕は振り返った。
ひび割れた地面に、レオンが仰向けに倒れている。彼の意識はすでに闇の底だ。しばらく動くことはできないだろう。――そこにあるのは、敗者の姿だった。
エリカが悲しげに眉を下げる。
「……私のせいなのかな」
「え?」
「私が自分のことばっかりで、レオンのことを見れてなかったから――いたっ! ちょっと、何すんのよ!」
裕が軽くエリカの頭を小突いたのだ。裕は滲ませるように微笑みながら言う。
「男の意地を、勝手に自分のせいにしちゃダメだよ」
「え? ……意地?」
「そう、意地。……この決闘に、意味なんてない。僕達はただ、意地を張り合っただけなんだ」
裕は一瞬だけ神妙に表情を引き締め、今度は悪戯っぽく笑う。
「だから残念ながら、今度の君はヒロインじゃないよ」
「ちょっ、何それ! 私が自意識過剰な女みたいじゃない!」
裕はエリカの抗議をいつものように笑って流した。
「もうっ!」とエリカはむくれて、くるりと背を向ける。
「早く行くわよ! 時間ないんでしょ!?」
「そうだね。行こう――」
突然。
闇の向こうからナイフが飛来した。
「――っ!?」
裕が驚異的な反応で偽清剣を動かし、それを叩き落とす。
何者だ、と視線を巡らせた時にはすでに遅かった。
闇を纏ったような人影が、地面を滑るようにして裕に肉迫していた。
「ヒル――」
その人物の名前を、裕は言い切ることすらできなかった。
両手に握られた2本のナイフが、閃光のような速度で裕の首に奔る――!!
「――――ボケっとしてんじゃねーよ」
甲高い金属音が響き、ナイフが両方とも防がれた。
裕の眼前に、小さな小さな背中がある。ついさっきまで地面に倒れていた背中がある。
「これだから異世界野郎は。安全でもねーのに油断こきやがって……!」
「レオン君……! 君、もう――」
「うるせーっ! 喋ってるヒマがあったらさっさと走れ! そう長くは保たねーぞ――ヒルダさんはおれより強えーんだからな!!」
まさに神速と呼ぶべき速度で、2本のナイフが闇を斬り裂く。レオンはそのすべてを1本の偽清剣で弾いてみせた。だがあまりに手数が違いすぎる。いつまでも続けられる芸当ではない。
裕は迷いを振り切り、エリカの手を取って走り出した。
魔導機関車の駅はもはや目と鼻の先だ。しかしレオンとヒルダの剣戟の他に、甲冑の音までもが背後から押し寄せてくる。置き去りにした騎士達が追いついてきたのだ。彼らまでレオンに任せるわけにはいかない。
「レオンっ!」
エリカが顔だけ振り向いて叫んだ。
「私、知ってたから! あんたがずっとずっと頑張ってたこと、知ってたからっ!!」
「……うるせーってんだ」
静かに、……しかし、口に淡い笑みを滲ませて。
レオンは――ベルグダール王国第一王女、エリカ・フロイデンベルグの騎士は。
「どこへでも行っちまえ、このヨソモンが! 二度と帰ってくんじゃねえええええええええええええええッ!!」
叫びを残して、無数の甲冑の向こうに消えた。
エリカは前を向いて走る。裕と共に走る。
駅舎内に飛び込むや、ひと気のない構内を一息に横切った。駅舎はさほど広くない。すぐに汽車が止まったホームが見えてくる。
「こっちよ! こっちこっち!」
「早く早くーっ! もう出ちゃうよーっ!!」
扉からセリアとオーエンが手を振っていた。だが直後、汽笛が高く響き渡り、扉も閉まってしまう。
背後に無数の甲冑を引き連れながら、2人は徐々に速度を上げていく汽車と並走した。汽車の最後部にはバルコニーがある。そこに飛び乗れれば……!
「エリカ、先に!」
「わかった……!」
エリカが先行し、バルコニーの柵を掴む。裕に背中を押され、飛び乗ることに成功した。
「裕も! 早くっ!!」
彼女はそのまま身を乗り出し、裕に手を伸ばす。裕も手を伸ばした。
しかし汽車はますます速度を上げていく。曲がりなりにも勇者である裕を引き離すほどになるまで時間はかからなかった。
引き千切れんばかりに腕を伸ばし、指を伸ばし、爪を伸ばし――爪の先が、エリカのそれに掠る。
しかし、届かない。
一瞬、わずかにだけ触れ合った手は再び離れていく。汽車はさらに煙を吐き出し、無情にも速度を上げていった。裕とエリカの距離が遠ざかる……。
後ろには大量の甲冑の音。無数の剣や槍が手ぐすね引いているのがわかった。だが汽車との距離はどんどん広がり、エリカはどんどん離れていく。
(――エリカを逃がせたなら)
思考が脳裏を掠めた。裕は大丈夫だ、勇者の力がある。ここで一度捕まったとしても、また逃げることは可能だろう。セリアの救助も期待できる。だったらエリカだけ先に――
「――バカっ!!」
「!?」
「言ったでしょ! 一緒に逃げるって!!」
―― 逃げよう。一緒に ――
俯きかけた顔を上げた。足にさらなる力を注ぎ込んだ。
地面を蹴る。
地面を蹴る。
地面を蹴る!
すべてを抜き去れ。置き去りにしろ。世界の何もかもを!
「――ッうぉおおおぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」
咆哮する。獣のように。
疾駆する。獣のように!
風は遥か背後に去った。音は遠く彼方に消えた。今だけ貶めろ、自分以外のすべてを。この時、この一瞬――エリカとの約束を果たし、その手を再び掴むために!
走りながら伸ばした裕の手と、身を乗り出したエリカの手が徐々に近付いていく。もう少し、もう少し――しかしいつまでも追いかけていられるわけではない。ホームの端が見えてきた。その先にはひたすらに闇。暗黒が口を開けて待っていた。
ホームの端まで5メートル――4メートル――手を伸ばす。まるで届かない――3メートル――2メートル――風を斬る。空気を貫く――1メートル――
0メートル。
裕は床を全力で蹴りつけた。
空中に身体が舞う。空気の壁を貫いていく。
裕は今一度手を伸ばした。エリカも限界まで手を伸ばした。
爪が掠り。
指先が触れ合い。
関節が絡んで。
――しかし外れた。
重力に捉えられる。落下が始まる。下へ下へと引きずり込まれていく。足元に満ちるは黒い闇。耳に風の音が怒涛のように入りこんできた。
闇に、吸い込まれるようにして。
落ちる――――
――――前に。
輝きが闇を斬り払った。
深い海のような紺碧の輝き。エリカのペンダントが光っていた。とある勇者からもらったというペンダントが。
―― 行け ――
バルコニー下部から鎖が生え伸びる。魔技により生み出されたその鎖は裕の腕にぐるぐると巻き付いて固定し、裕もまたしっかりと鎖を握った。
ぐい、と力強く引っ張り上げられる。思った以上にその力は強い。裕も、そしてエリカも、軽々と支えられるだろうほどに。
裕は、闇の中から舞い戻り。
エリカに抱きつくようにして――汽車のバルコニーに飛び込んだ。
◎◎◎――――――――――――――――――◎◎◎
様々な建造物に飾られたベルグダールの山々が、遥か向こうに遠ざかっていく。
「……あーあ、やっちゃった」
「やっちゃったね」
それを眺めながら、エリカも裕もどこか楽しげに言った。
「あんたがそそのかしたんだから、ちゃんと責任取ってよね」
「えっ……せ、責任って……」
「冗談よ、バカ」
裕に軽く肩をぶつけ、エリカはくすくすと笑った。
それは、裕が初めて見た彼女の年相応の笑顔だった。
「ほんと、冷や冷やさせてくれるわ、あなた達は」
後ろの扉からセリアが出てくる。裕は苦笑いを浮かべた。
「すいません、お騒がせして」
「本当よ。……ま、いいけどね。ボックス席だから、ちょうど4人座れるし」
そんな問題なのだろうか。一国の王女を連れ去ったのだから、彼女も少なくない面倒を抱えるはずなのに。
しかしそんなことは歯牙にもかけていないように、セリアはにやりと笑う。
「帰ったら言い触らそうっと。勇者がお姫様を攫っちゃうなんて、こんな御伽噺みたいなことが本当に起こるなんてねー」
「ちょっ……!」
「やっ、やめてよ恥ずかしい!」
2人は揃って赤面した。そんな反応を見ると、セリアはますますにやつく。
「わかったわかった……ぐふふ。みんなどんな反応するかなあ」
「喋る気満々じゃない!」
大丈夫大丈夫言わない言わない、とまるで信用できないことを言いながら、『あとは若い人同士でごゆっくり』とばかりに車内に戻ろうとするセリア。
「あの、セリアさん」
「ん? なに?」
それを裕は呼び止めた。まだ若干にやにやしたままセリアが振り向く。
「その、すっごく今更なんですけど……僕達、これからどこに行くんですか?」
「……なにそれ。まだ聞いてなかったの?」
エリカが責めるような視線をセリアに注ぐ。「あー」とセリアはばつが悪そうな顔になり、
「そういえば言ってなかったっけ……? ごめんごめん、忘れてたわ」
「さっき『言い触らす』とか『みんな』とか言ってましたけど……」
「『みんな』は『みんな』――『勇者のみんな』よ」
え、と戸惑う裕に、セリアはとっておきの宝物を披露するような顔で告げた。
「目的地は『勇者学園』――全世界の勇者が一堂に会する学び舎よ」
第1章 天空都市ベルグダール――――了
第2章 勇者学園――――続




