久しぶりの喫煙所評価
大学の頃、喫煙所評価をしていた。
とはいっても、友達数人しか見ていないようなアカウントで、大学の単位になぞらえた評価と一言コメントを投稿していたに過ぎない。
2022年9月3日
「四条木屋町喫煙所」
B
川にポイ捨てしないでね。
2022年12月1日
「京都藤井大丸」
A
屋上にある穴場喫煙所。
こんなものが50を超えたころ、2024年8月4日を最後に新たな投稿はなくなった。
大学を卒業したのもだいぶ前に感じられるその年の末。来年こそは今の生活に終止符を打つのだと、禁煙を始め、そして1年が経った。
目標だった1年は大した苦労もなく達成していた。
何かを辞めることはそんなに難しくない。
辞めるということは、それをしなければ良いということで、したくなってもやらなければ良いだけである。
一方で何かを始めることは、生活の変化で強制的に訪れてしまえば、気づいたら慣れてしまうものだとしても、一度多くの人が行く道から外れた者にとっては非常に困難を極めるものである。
東京のビルは高く、屋上でも周りは壁である。
しかし、重い街の空気は人間を通して重さを増し、地面に沈んで、屋上の風は気持ち良く体に入る。
雑居ビルの8Fにある今の自習室は、管理不行きで屋上に上がることができた。
地震があった。
昨夜も揺れ、今日の昼も揺れた。
先週も、携帯の地震速報が鳴っていた。
昔から楽しみにしている予定がある日には、雨予報でも晴れる。
そして、代償に体調を崩す。
天気だけ良くても仕方ないのに、天気は良く、そして朦朧と家に帰ると雨が降った。
頻繁に揺れる街で、相変わらず情景描写は完璧だなと思い、本当はただ、怖かった。
疲れた、もう終わりにしたいと自分に言うけれど、実際に恐怖を真に受けて、ここまで心が鳴るのは生きたいのかと思う。
いつも鳴っていて、疲れきってもっと疲れきってどれだけ疲れても、寝ることはできず。一方で、日中眠くなることもない。
それはその時も鳴るから、常に交換神経優位ということは、目や口は乾くけれど、頭こそ働きにくいけれど、眠くはならないということだった。
バイトを終え、学校に。机にふしても眠るということにはならず、それはもう手遅れだったのかもしれない。
みんなが見ているようになった。嫌な視線だった。なにか付いているのかなにか匂いがするのか。なぜみるのか。この街にそれを聞ける人間は、これを話せる人間は誰もいない。
いつからか見返してやることにした。睨んだりはしない。ただ同じように見てやる。殺すぞ。
口をついて出るほどではなく、理性はあったけれど、常にそう思うようになった。
怒ってもいない、ただそう思うようになっただけであって、感情が動く前に、ただその言葉が頭に浮かんできてそれが悪いならどうしたらいいのか。
早いもので1年は、こうなってしまえば何のために願掛けなどしていたのか、そんなものにも縋りたかったけれど、そんな簡単なことでは何も変わらない現実がある。
扉が空いて、人が見ている。殺すぞ。
でもこの状況ならホントに見てるのか。
そういえば屋上入るのダメなのか。でも灰皿があるから生活はあるのか。
封鎖されていない屋上ってもうないよな。
「あのー、」
同じように屋上を使う人なのかな。ここからなにか始まらないかな。友達欲しいなあ。終わりに来たのに、そんなことはまだ思うんだね。死にたくないのかなあ。
何かをやめることは簡単で、それをしなければいい。でもしないだけでは辞められないこともあって、
めんどくさいな。
「あのー、」
声を出していないから声が出ないけど何でしょうか。
「タバコ吸うのやめてもらっていいですか?」
「殺すぞ!!」
あれ。今の声出てるな。
これ今までもこうだったのか?
電車とかコンビニとか。ただの道でも。思ってただけだよね。
屋上の壁に声が響く。
「西新宿の屋上」
F
街中で叫ぶ人間は案外自覚していないのかもしれない。




