『着物の星』より拔粋
〈自販機も冬の跫音賣り盡くし 涙次〉
【ⅰ】
* 漫画『着物の星』谷澤景六・原作、タイムボム荒磯・作画(幻思社刊・月刊「cure」連載、日本マンガ大賞受賞作品)、クライマックスは以下。
* 当該シリーズ第55・56話參照。
【ⅱ】
杏西友紀利を誠實な呉服屋に育て上げた、担ぎの呉服商・安田邑生は、血液の癌を患ひ(ステージ4)、病床の中より友紀利に語り掛けた。「私の本名は、杏西邑生と云ふんだ。きみの叔父なんだよ。兄さんは町生と云ふ。つまりきみの父親だ。私逹は一卵性双生児だ」友紀利は、やはり、と思つた。この人とは血縁関係があるな、とは兼ねがね感じてゐた事だ。「そして、きみの實の母は晴代と云ふ」-「ぢや、僕の母さんは-」-「貴美子さんは兄貴の後添へだ。今まで隠して來たのは、兄貴の命に依る。晴代は某大物保守政治家に、兄貴と離縁した後、嫁いだ」
【ⅲ】
「私逹は共に親譲りの担ぎの呉服屋からスタートした。と云つても、私は今でもその稼業を續けてゐるがね。若い頃は晴代を奪ひ合つたものさ。結局彼女は兄貴が娶り、きみを産んだ。その後、上昇志向激しい、そして美しい晴代を、某政治家が盗つてしまつた」-「兄貴は、成り上がらねば、裏切つた晴代に復讐出來ぬと考へ、方々に借金して今のあのデパートを立ち上げた。そしてその目論みは成功した譯さ。だが、某政治家のブロックは固く、晴代には會へず仕舞ひだつた」-「因みに藤見(愁庵)翁は、私逹の親が定めた後見人。私逹の親、きみの祖父さんが出入りしてゐた剣術家の弟子だつた」
※※※※
〈懐かしき文章道や太宰讀みさう思ふのは仕方なき今 平手みき〉
【ⅳ】
折しも藤見愁庵の陶藝作品を集めた展覧會が開かれてゐる最中だつた。友紀利の父、杏西町生も、畸しくも邑生と同病だと云ふ事で、展覧會には姿を見せなかつた。邑生は病身を押して藤見の招きに應じた。友紀利が車椅子を押した。そして藤見の「やあ、たまには外界もいゝものぢやらう」と云ふ言葉に、「さうですね」と頷いてゐる。藤見は邑生には隠れて、友紀利を呼び、「町生・邑生、どちらかゞ死ぬだらう。どちらかゞ生き殘る」と謎の言葉を吐いた。一卵性双生児ゆゑの定めか。友紀利はさう思つた。
【ⅴ】
そのギャラリーに、ざわめきと共に、晴代が現れた...「愁庵先生、お久しう。そちらは幸利(友紀利の元の名)さん?」-さん付けで呼ばれた事に、友紀利は哀しみを禁じ得ない。藤見「どの面提げて來たのかは知らんが- ✕✕(某政治家の名前)はだうした」-「宅の主人は藝術を理解致しませんの。全てはカネと権力ですわ」-齒嚙みする藤見。「晴代、勿論お前、斬られるのを覺悟の上で來たのだらうな」-「先生らしくもない。もう少し落ち着かれたら」晴代、鼻でせゝら嗤つてゐる。藤見「えゝい、其処になほれ。剣の錆としてくれやうぞ」-藤見お付きの者に「先生、お氣を確かに」と羽交ひ締めにされ、血が昇つた頭を冷やさねばならなかつた。彼がいつも假面を着けてゐるのは、荒ぶる心を隠す為の方策だつた。師匠に着けて貰つたのである。
【ⅵ】
翌日の新聞に、「假面の剣豪、國會議員✕✕氏の妻に乱心」と、でかでかと載つたのは已むを得なかつた。もう少しで刃傷沙汰になるところだつたからだ。
藤見の預言(?)通り、杏西町生は血液癌で死去し、その弟・邑生は放射線療法で畸跡の生還を果たした。町生の葬儀には、友紀利・邑生は無論參列したが、晴代からは花輪は愚か、電報の一つも届かなかつた。晴代は、妖女だつた。たゞ、育ての母、貴美子が「幸利、こんなに苦勞して」と心から泣いてくれたのには、杏西友紀利、幾分か癒やされたのだつた。
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〈秋大根そのときどきの完成よ 涙次〉
【ⅶ】
以上のところで連載は終はつてゐる。日本マンガ大賞撰考委員は、「この輕薄ニッポンにあつて、バルザックの作品のやうな重厚な物語、人間関係を紡ぎ得た、この創作陣に脱帽する。また、この問題作を支へ續けた月刊『cure』編輯部にも、勞ひの言葉を掛けたい」と、授賞理由を述べた。
テオ(=谷澤景六)、元となつた小説はほんの短篇で、描き切れなかつた分のありつたけを、漫画原作に込めた、それが報はれたのである(この連載話を持つて來て、作画者に荒磯を拔擢した、谷澤マネージャーの木嶋さんもしてやつたり、と會心の笑み)。テオは荒磯とは、次回の共作をも約した。と、云ふ譯で、『着物の星』からの拔粋でした。お仕舞ひ。