003: 囁きはやがて声となる
「キボツネ」
「キボツネえ…」
「キボツネってばーー」忘れられし者は何度も呼んだ。
思考の海に沈んでいた悪魔は、驚いて我に返った。まだ、名前で呼ばれることに慣れていなかった。
「はい。すまない、なんだ?」悪魔は魂の方を向き、そう答えた。
「行こう」忘れられし者は言った。
悪魔はうなずいた。
『キボツネ』。
その名前に、特別な意味はなかった。
「希望」ーキボ、「狐」ーキツネ。
悪魔は、魂にとって希望の光のような存在に見えた。魂にとって、悪魔は善と悪の二面性を持つ狐のように、優しい存在に見えるのだ。
悪魔なのに、優しい。
地獄では、名前に意味はない。誰が誰と彷徨っていても、誰にも重要ではない。地獄の住人は、ただ存在するために生きている。他人に知られることのない存在。
悔恨の化身、解決されぬ感情、失われた存在、そして数え切れぬ未生の夢が、地獄の表面下に張り巡らされた血の血管を彷徨っている。赤く脈打つその血管を踏むたびに、まるで死んだ堕ちた神の毛細血管のように、死者の声が漏れ出す。
間もなく、悪魔と忘れられた魂は一本の川に出くわした。黒と赤のその川は、半分は干上がり、半分はまだ生きており、人間の世界の川とは違って誰の住処でもなかった。地獄は二人にとって新しい場所ではなく、その水をよく知っていた。
その水――その川には水が流れているのではなく、呪いと恨み、そして赤黒い血が道を作っていた。
その川の向こうには、湖へと続く滝が流れていた。忘れられた魂は滝の下にある隙間に気づき、そこを通った。彼らの前には広大な洞窟のような空間が広がっており、暗く、しかし穏やかな静けさに包まれていた……まるで悪魔が再び自分らしくいられる場所のようだった。
二人はさらに奥へ進むことに同意した。
「それで、神々が憎いのか?」と、歩きながら忘れられし者が尋ねた。
「否」と彼は静かに答えた。
長い沈黙の後、悪魔は静かに語った――
「生きることは祝福であり、
強いられて生きることは呪いだ。
自ら終わらせるのは臆病であり、
待つことは、受け入れること…」
「うん…」と忘れられた者が小さくため息をついた。
悪魔はそれ以上、何も説明しなかった。魂もそれ以上は何も尋ねなかった。それだけで、命の意味を語っていた気がした。忘れられた魂は、悪魔からそんな楽観を聞くとは思っていなかった。
絶望に沈んだ悪魔が、命の美しさを語る。どこか、矛盾しているように見えるかもしれない。
でも、すべては視点の違いだ。命は人間に与えられた贈り物であり、どう受け取るかは人それぞれ。だが、この思想を押しつけることはできない。人間だからこそ、命に対する見方は皆違うのだ。中には、状況によって命を祝福ではなく罰だと信じる者もいる。
さらに洞窟の奥深くへ、彼らは北へと進んでいった。過去の魂たちのささやきが、聞き取れるほどに反響していた。その洞窟の水は、よく見かける赤黒い川の水のように濁ってはいなかった。それはまるで「静水」のようだった。思考に沈む悪魔は、その静けさを見つめながら、過去の何かを思い出そうとしていた。彼の脳裏には――誰かが未完の一文を繰り返し読むように、「まるで静水が腐れてゆくように....,,,,」。
「キボツネ、こっちを見て、早く――」
悪魔が振り向くと、糸に絡まって泣いている一羽の鳥がいた。
忘れられし者は、その鳥を助けるよう強く訴えた。悪魔はそっと、その翼から糸をほどき始めた。自由になった鳥は、感謝の印として忘れられし者の腕の中に飛び込んだ。悪魔には一切の注意を払わなかった。
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悪魔は手を糸だらけにしながら、静かに二人を見つめていた。
「鳥」は、にやりと笑って悪魔を見た。
――第三幕・終――
著:璃翔Less