8話
その日から学校が終わると病院に向かい、面会時間が終わるまでルナと過ごした。
彼女の言葉にたどたどしさがなくなってきた頃、何日も病室に閉じこもっているのは身体に悪いだろうと思ったオレは、抜糸をしたタイミングでルナを散歩に連れ出そうと考えていたのだけど、身元不明の彼女は靴を持っていなかったので、足のサイズを測ってスニーカーをプレゼントすることに。
院内を歩く程度なら病院の売店で売っているスリッパでも良かったのだけど、なんとなくプレゼントしたかったんだ。
彼女と同じ空間にいるとなぜか庇護欲がそそられ、贈り物を与えたくなる衝動に駆られるのは、どうやらオレだけではないらしい。それを証明するかのように、彼女の病室には果物やらお菓子やら少女漫画やら看護師からの差し入れと思られる品物でいっぱいだった。
そして抜糸の日を迎え、オレは彼女にスニーカーを履かせて靴紐を結んだ。
しかしまだ怪我が完治していないのか、それとも新しいスニーカーが足に合っていないせいなのか、彼女は室内をよちよち歩きで動くのが精一杯だった。
しかし翌日には普通に歩けるようになり、院内を一緒に歩いたりカフェテリアでおやつを食べたりして時間を過ごした。
次第に〝歩行〟に慣れてきたルナはもっと外の世界が見たいと言い出したので、オレは家からアキ姉の洋服を持ってきて彼女に着替えてもらい、看護師の目を盗んで病院を抜け出して江ノ島にまで足を延ばした。
なにか思い出すかもしれないとルナを救助した浜辺にやってきたのだけど、ルナは水平線を眺めているだけで、これといった効果はないようだった。
そうだとしても、あの日に彼女を助けたときはかなり痩せていて軽かった。今は食欲もあってすこしふっくらしてきた気がする。
今はそれで十分だと自分に言い聞かせて、オレたちは病院に戻った。
どこか浮世離れしたルナは院内でも院外でも、どこへ行っても注目の的だった。その容姿もさることながら、穢れを知らない天真爛漫な彼女には目が惹きつけられる魅力がある。
数日も経たずに病院では彼女の存在を知らない者はいなくなっていたし、最近良く訪れるビーチに行けば少し目を離している隙にナンパされている。危なかしくて目が離せない。
誰の眼から見ても特別な彼女の傍にいると、自分までが特別な存在だと錯覚してしまう。
ハル――。
彼女に自分の名前を呼ばれるだけで世界が鮮やかに色づき、ハルという存在に意味を与えてくれるような気がした。
中途半端なモブではなく、人生という舞台において、ちゃんとした名前のある配役が与えられた、そんな気がするのだ。
そんな登場人物〝クラハシハル〟に対して主人公格であるルナは、この世界で知覚したものすべてを初めて見て、聞いて、触れるみたいに何にでも興味を示して質問を浴びせてきた。
彼女は淡々とした口調で俺を質問攻めにする。
彼女が病院に運ばれた日にアキ姉が言っていた『どんどん言葉を覚えていく』という表現した意味が妙にしっくりくるのだ。
外国人だとかそういうことじゃなくて、最初から言語の概念がなかったとでも?
アキ姉の言っていたことはあながち間違いないじゃないのかもしれない。けれど、だとしたら、どういうことなんだ?
羽生先輩の言う通り……、宇宙人だと? ははっ、んなバカな。
それから数日が経過した現在もルナは自分のことも、なぜ海を漂っていたかも思い出せないようだった。
そんな彼女の元に警察官と市役所の職員がやって来たのは、入院から六日目のことだった。
若い女性警察官と中年の男性警察官のペア、それから市役所の職員がふたり、彼らはルナの写真を撮ったり事情聴取をしたりして帰っていった。
ルナの家族が彼女を行方不明者として警察に届けていれば、すぐに素性が判明するだろう。
それが一番良いのだと、そう自分に言い聞かせてオレは彼女の家族が見つかることを願った。
完全に願っていたかと問われたら嘘になる。自分に言い聞かせていた時点で無理がある。
つまり、本音をぶっちゃければオレはこの時間が終わってしまうのが嫌だったし、彼女と一緒にいたかった。
――ああ、オレはとんでもないヒトでなしで、なんてわがままな野郎なんだ……。ルナの母国がたとえ国外だったとしても二度と会えない訳じゃない。かぐや姫みたいに月に帰る訳じゃないんだ。
会いに行こうと思えばいつだって会うことができるのに……。