5話 ぶしつ
それから午後の授業を受けて担任から小言をいただいて迎えた放課後、久しぶりに部室に顔を出すことにした。
オレは自然科学部という学校でも一、二を争うマイナーな部活に所属している。
この部活は昔からこの高校にあるらしいが、あまりにも人気がなく廃部寸前だったところをひとつ上の美人な先輩に誘われて入部した。
部員はオレと部長のふたりだけ、だから実際には部活ではなく同好会なのだが、部長は部であることにこだわっていて自然科学部を名乗っている。
活動内容は周辺の生態系を調査したり、天体観測をしたり、雲や空の様子を観察して天気を予想したりとちょっとお堅いが、部活に出るも自由、出ないも自由であり、部室を自由に使うことができるのが一番の利点だ。
部室では部のマスコットである『ナマちゃん』と命名されたナマズを飼っていて、オレが部室に入ると部長の羽生先輩がナマちゃんに餌をあげているところだった。
「日本人ってさ、『生』に執着しているところがあると思わない?」
部室に入ってきたオレに視線をよこすことなく、彼女は唐突にそう言った。
彼女が落としたドッグフードみたいな人工餌は揺らめきながら水中を落ちていき、水槽の底で待ち構えていたナマズが俊敏に食らいつく。
「いつものことですけど、突然どうしたんですか?」
先輩は脈絡もなく哲学っぽいことを言い出すクセがある。
少し変わっているというかユニークで、威圧的な吊り目が近寄りがたいオーラを出している。そのせいか美人なのに告白されたことがないらしい。
本人が告白を告白と気付いていないパターンも考え得る。
「……生ビールに生放送、生ライブ、生足、生ハム、生ハメ、生殺し、生肉、生麦、生米、生卵。すごいな、思い付いただけでもこれだけある」
「いや……、後半はただの早口言葉ですから。それから一か所、明らかにおかしいですから」
「とにかく生にこだわり過ぎていると思うんだ」
「そうですねぇ」
テキトーに相づちを打ったオレは、鞄を椅子の上に置いた。
「なので敢えて生八つ橋を焼いて食べてみた」
「おお……、なんて異端な」
オレの反応が嬉しかったのか、彼女は 「そうだろ?」と得意げに微笑む。
「って、それただの八つ橋ですから……」
「違うもんねー、アンコが入ってるもんねー」
水槽に餌を落としながら先輩は拗ねた子供みたいに唇を尖らせた。
「小学生みたいなリアクションですね……」
「さらに煮たり揚げてみたりした」
「もはや神をも畏れぬ所業です」
「ふふん、だろ? そういえばハルくん、キミは今日も遅刻したそうだね。綾乃が嘆いていたよ、『このままではハルは来年も一年生だ』って」
「じゃあ明日から綾乃を先輩と呼ぶ練習をはじめますよ。前から思っていたんですけど先輩は綾乃と仲がいいですよね、接点ってありましたっけ?」
「……彼女とは同郷のよしみでね、妹みたいな感じかな」
「ああ、そうでしたね。先輩も小さいときに引っ越してきたんでしたっけ?」
「そう、やむにやまれぬ事情があってね。話は変わるが今朝も海にいたんだろ? 海上で地震は感じられたの?」
「そうですね、地上よりは揺れがわかりずらかったです。地震の前にナマちゃんは反応したんですか?」
昔から地震を予知すると云われるナマズの反応を記録するために自然科学部で飼育されているのだが、先輩は左右に頭を振った。
「定点カメラを確認したが、特に反応らしい反応はなかった。だが、三日前の空を撮影した写真に地震雲と思われる雲が確認されている」
地震雲、地震の予兆として観測される気象現象とされているが、空に浮かぶ雲に大地の変化が影響を与えるとは考えづらいそうだ。雲と地震の科学的な因果関係は今のところ確認されていない。
「そういえば今朝、地震の後にちょっと変わったことがあったんです」
「変わったこと?」
ここでやっと彼女はオレの方に顔を向けた。眼鏡のレンズに自分の姿が映り込む。
「亜麻色の髪をした美少女を海で拾いました」