3話
病院の西側にある救命センターに向かっていたオレは、カフェテリアでサンドイッチを頬張ろうとする若いドクターを見つけた。
ガラス張りの窓越しにドクターと目が合うと彼女は目をギョッと見開かせる。
「ハ、ハル!?」
「アキ姉!」
頬張りかけた口を閉じて目を細めたアキ姉がギロリとオレを睨む。
悪びれもせず店内に入り、自分の前にやってきた愚弟に「あんたねぇ、学校はどうしたのよ?」と呆れ口調で彼女は言った。
「そんなことよりあの子は?」
質問に質問で返すとアキ姉は深い溜め息を付く。
「まだ意識は戻ってないけどバイタルは安定しているから大丈夫よ。足のケガも何針かナートしたけど、たいしたことない。さっき一般病棟に移ったわ」
「少し会ってきてもいい?」
「は? なんでさ?」
「いや、第一発見者だしさ……。なんか気になるじゃん?」
「ふーん……」
いぶかしるアキ姉は目を細めた。不埒な輩を牽制するような冷たい視線だ。
「な、なんだよ」
「無防備だからってスケベなことしないでね」
「しねーよ、もっとオレを信用しろよな」
「はいはい、501号室よ。少しだけにしてね」
「サンキュー」と踵を返したオレはエレベーターで五階に向かった。
案内板で確認すると五階フロアの病室はすべて個室になっていた。
あの少女がVIPというより大部屋がいっぱいで個室しか空いていなかったのだと思う。
念の為、501号室のドアをノックして病室に入る。
「失礼しまーす」と声を掛けても返事はなく、ベッドにあの少女が横になっていた。
ベッド脇には生理食塩水の入った点滴とバイタルを測るモニターが設置され、ピッピッと規則正しいリズムで音が鳴っている。
静かにドアを閉めたオレは彼女の顔が見える位置まで移動して様子をうかがう。
すやすやと眠っている。改めて見るとすごく綺麗な顔をしている。
長い髪は艶のある亜麻色で、まつ毛が長くて鼻筋が通っている。肌は陶器のように白い。年齢は十五、六才くらいだと思う。
どことなく日本人離れした雰囲気があるから、外国人なのかもしれない。
アキ姉が変なことを言うから、まじまじと彼女の顔を見ているうちになんともいえない罪悪感を覚えてしまったオレは、不自然に視線を窓の外へと逸らして向けた。
この病室から海は見えない。 なぜ彼女は海を漂っていたのか。近くを航行していた船から転落して海を彷徨っていたのだろうか。
海底から浮かび上がってきたようにも見えたけど……。 仮に空から、例えば飛行機から落ちてきたのだとしたら命はないはずだ。
キミは一体どこから来たの?
心の中で問い掛けたそのとき、少女の瞼がぴくりと動いた。
芽吹くようにゆっくりと瞼が開いていき、美しい金色の瞳がうすぼんやりとオレを捉えて見つめる。
「あ……、えっと、その……こ、こんにちは……、ハロー、オラ、ニーハオー?」
とりあえず思い付くメージャーな言語で挨拶してみるも少女に反応はない。
愛想笑いを浮かべる俺の顔を無垢な赤ん坊のように漠然と見つめている。
「その……、ここは病院だよ。キミは海を漂っていたんだけど、なにか覚えているかな?」
ジェスチャーを交えて母国語で状況を説明してみたけど、彼女からリアクションは特にない。
「ちなみにオレは倉橋晴、アイアムハル……」
名乗りながら自分を指差す俺を見て、彼女は小さく首を傾げた。
「……言葉が通じないのかな? やっぱり外国人なのか?」
何か声を出そうとしたのか、唇を動かした彼女はこほっと咳をする。
「あ、リンゴジュースあるけど飲む?」
オレはスクールバッグから紙パックを取り出した。飲み口にストローを差して彼女の口許に近づける。
「……」
初めてパックジュースを見るかのように、ジッと見つめていた彼女はストローをくわえてリンゴジュースを吸い上げた。
口に含んでごくりと呑み込んだ途端に少女は眼を見開かせる。
そしてジュースをお気に召した彼女は、そのままちゅーちゅーと吸い続けて飲み干してしまい、中身がなくなって紙パックが潰れると、ぷっとストローを口の中から吐き出した。
白衣姿のアキ姉が看護師を伴ってやってきたのは、そんなときだった。
病室の引き戸が開いて俺を見るなり「あんたまだいたの?」とアキ姉は言う。
まだそんなに時間は経ってないと言い訳する前に「今からでも学校に行きなさい! お母さんに言い付けるよ!」としかられて、オレは逃げるように病室から飛び出した。