1話
空から美少女が降ってくる――、そんなボーイミーツガールを夢見たことがないと言えば嘘になる。
もちろん、あくまで願望であって、いつか本当に起こるなんて信じている訳ではない。
リアルはどこまでも行ってもリアルで、空はどこまで行っても空だ。
そんな空は生憎の曇り空、灰色の雲に覆われた空を見上げても少女は振って来ない。舞い降りてくるとすれば、それは観光客のフライドポテトを狙う腹を空かせたトンビだろう。
サーフボードに跨って波を待ちながら、オレはそんな取り留めのないことを考えていた。
せっかく学校をサボって朝早くから来ているのに今日は波が良くない。ちゃんと波情報を確認しておくべきだったと後悔しても、もう遅い。
オレの他にもサーファーたちの姿はちらほら見えるが、未練たらしく波待ちしている自分が素人を丸出しにしているようで気恥ずかしくなってきた。
ここは神奈川県の湘南と呼ばれる地域、その中でも江ノ島や鎌倉の鵠沼や由比ヶ浜や七里ヶ浜、稲村ケ崎など、一度は耳にしたことがあるビーチはサーファーたちの聖地である。
それ以外にもアニメや映画の舞台になっている聖地と呼ばれるスポットがたくさんある。羨ましく思う人もいるだろう。反対に江ノ島を訪れた人の中には、江ノ島の海は濁っていて汚いという人もいる。
確かにこの辺の海はグレイビーソースみたいな色をしているけど、これは黒い砂が舞い上がってそう見えるだけで実際に汚れている訳ではない。たまにポテトチップスの袋が漂っているのは誰かがソースと間違えてディップして食べようとしたからだと思う。
それから雪国の子どもたちが小さい頃からスキーに慣れ親しむように、湘南の子どもたちもサーフィンを物心付く前からやっているのかというと、そうでもない。
オレは高校で出会った友人に誘われてサーフィンを始めたばかりのビギナーであり、それまではサーフィンのサの字も興味がなかった。なんにせよ、オレはそんな海のある街で生まれ育った。
空を舞うトンビたちが騒ぎはじめたのは、そんなことをボンヤリ考えていたときだった。
「?」
いつもと様子が違う。空を見上げていたオレは、今度は波の揺れの異変に気付く。波の揺れ方が不自然で、海が細かい泡ぶくと一緒にどんどん濁っていく。海面の揺れが不規則に、徐々に大きくなっていく。
どうやら地震が起きているようだ。
けっこう大きいな、そう思っていたら浜辺ではライフセイバーが赤白の格子模様のフラッグを振り始めた。
津波注意報か津波警報が発令されたらしい。
サーファーたちが一斉に浜辺に向かってパドルしていく最中、何を思ったかオレは反対方向の水平線に眼を移していた。
今考えてみればそれは反射的、本能的な行動だったと思う。
地震が収まり、波が規則性を取り戻していく中で、雲の切れ目から一筋の光が海面に降り注いだ。
まるで天に昇る光の柱のようだった。
幻想的な光景に目を奪われるオレの視界の先、円柱の光が降り注ぐその場所で、波と波の間に何かが見えた気がした。
波と波の狭間に現れては姿を消すそれは――、泡ぶくだ。
大量の泡ぶくが水中から湧き上がっている。あの真下にシロナガスクジラがいるではと思えるほど大量の泡が発生している。そして泡が途切れた直後、ある物が水面に浮かび上がってきた。
「嘘だろ……、あれってまさか!?」
気付いたときには浜辺とは反対方向にパドルを始めていた。逃げなきゃ行けないのに、体が勝手に動いていた。
大量の泡が発生したあの場所から浮かび上がってきたのは、ただの布ではない。白いワンピースだ。ワンピースを着た少女だったのだ。
手の届く距離までやってきたオレは海面を漂う彼女の体をサーフボードに引き揚げる。ノーズを浜辺に向けると同時に全力でパドルを開始、急いで浜辺へと引き返した。