悪役令嬢バトルロワイアル
私が好きだった乙女ゲームの世界、しかも悪役令嬢シェリル・ネイバー侯爵令嬢に転生していたのに気づいた時、最初に脳をよぎったのは、
(いやオタクにリアル体験は不要。二次元だからいいんじゃない)
であった。
乙女ゲームをやったことがない女性もいるだろうが、ざっくり言えばイケメンハンティングである。
ヒロインを操作しながら必須イベントをこなし、語学やスポーツなどまんべんなくスキルアップをし、忙しい隙間をぬってデートをこなし、最終的に何人かいるイケメンの中から好みの人とハッピーエンドを迎えるのが目的のゲームだ。
もちろん、大抵は好みでなくとも一通り落とす。
一人だけに絞るとゲーム代が高く感じるからである。
それにそこまで好みではなくても攻略対象はもれなくイケメンである。
全部のエンディングを見たくなるというのは人情というものだ。
そしてこの『レッツラブバトル!』というタイトル他になかったのかと言うほんのりしたダサさを感じる乙女ゲームには、ヒロインの邪魔をするいじめ役の悪役令嬢というのがいる。
しかも二人だ。
一人は第一王子の婚約者になる予定の私シェリルであり、もう一人は第二王子の婚約者になる予定のルイーザ・エステロフ伯爵令嬢である。王子はどちらもヒロインの攻略対象だ。
「平民のヒロインであるソフィアが成績優秀な特待生で学園に入ってくることで、周囲をかき回す彼女に文句を言う設定だったと思うけれど……もうあまり覚えてないのよね」
私は自室でお茶を飲みながらため息を吐いた。
何しろ先月食あたりで三日間トイレとベッドから離れられなかった時にいきなり思い出しただけで、それまでずーっと貴族の令嬢であるシェリルとして生きて来たのだ。
日本で生きていた自分が何歳で死んだのかも分からなければ、何故シェリルとなっているかも分からない。記憶も薄いことこの上ないのである。
何とか普通に動けるようになったが体力は落ちまくりで身支度も大変だった。
しかしだらしない姿で屋敷内を歩くのは淑女としてあるまじき行為である。
メイドにヘアセットとメイクを頼んで鏡で自分の顏を見た時に、「……あら見たことがある顏」となりそこから前世の自分とゲームの記憶が一気に流れ込んで来たのだ。
(ゲームのこと、思い出せる限りノートに書き出してみたけれど、記憶もかなり曖昧なところが多いのよね)
しかもまだ私は第一王子との婚約すら調っていない。内定なども当然ない。
これからパーティーや学園で親睦を深め、家柄と見た目も考慮され話が進むのだから。
確か婚約は……確か王子が学園の三年生の夏、遅くても秋ごろだった気がするのだけど定かではない。ヒロインとは無関係だった出来事は記憶も曖昧だ。
私はこの春から学園の二年生になり、王子は三年生になる。
そしてヒロインのソフィアが新入生として入って来る。
もう崖っぷちも崖っぷちだ。
「それにルイーザは私の幼馴染みで大切な友人だし、彼女も何とかしなくては」
日本で暮らしていた頃の私はもっとカジュアルというか雑な言葉遣いだったし、友人とバカ笑いしながら推しの話を楽しんでいた内気で早口の人間だったが、今の私は違う。
小さな頃から家庭教師に教養やマナーを叩き込まれ、貴族の令嬢としてどこに出しても問題ないと先生に太鼓判を押していただいた。
性格も内気なのは変わらないが早口でもオタクでもないし、両親に言わせれば読書好きの温和でおっとりした争いの嫌いな人間で通っている。
それがいきなり十七歳の二年になってから誰かを口汚く罵ったり、策略を巡らせヒロインに恥をかかせて高笑いするなどしていたら、真っ先に頭の病気を疑われてしまうだろう。
物心ついてからシェリルとして育った自分としては、誰かを陥れるなど考えたことすらない。
本音を言えばソフィアは私が操作していたキャラクターなのだし、嫌いになりようがない。ゲームの世界で自己投影していた相手なのだ。
(そもそも、私はソフィアを努力家の素敵な女性だと尊敬してたのよね)
授業料免除で特待生になるには相当の実力が必要だ。
半年ごとのテストでトップテン以内の成績を維持し続けなければ特待生ではなくなるし、授業料免除も取り消しになる。
過去の私もそれで学業のパラメータを必死に上げていた記憶がある。
平民で学ぶ環境も限られている中で特待生試験に受かり、なおかつそれが維持出来ること自体が稀有なのに何故いじめなくてはならないのか。
人の不幸が蜜の味などという悪趣味な性格はしていない。
さらにいじめが発覚した時点で私もルイーザも婚約破棄で国外追放か修道院送り。
無理やり不快な思いをしてその褒美が確実に不幸になるという最悪のパターンなのである。
何とか回避の方法を考えなければ私もルイーザも身の破滅だ。
(……ルイーザに会わなくては)
私はベルを鳴らしメイドを呼ぶと急ぎ外出の支度をするのであった。
「まあ私たちが悪役令嬢ですって? ほほほほほっ、嫌だわシェリルったら! 冗談でもちっとも面白くなくてよ」
幸いなことに在宅していたルイーザは快く私を迎え入れてくれたが、案の定というか私の話を全く信じてくれなかった。
「それに私だけならばともかく、シェリルなんて悪役どころか虫一匹殺せないじゃないの。孤児院のボランティアでも子供たちに人気だし」
「虫は多くの女性が苦手じゃないの。殺さずに済むなら逃がしたいのは私だけじゃないわ」
いまだにくくく、と笑いを抑え切れないルイーザに苛立ちを感じたが、考えてみればそれも致し方ないのかもしれない。私も前世の記憶がなければ何をバカなことをと思うのだから。
「でも本当に冗談でも何でもないのよ。私が今まであなたに嘘をついたことがあって?」
「……そうね。それは確かに」
ようやく少し真顔になったルイーザだったが、それでも信じるには至らない感じだった。
「大体私が第二王子殿下の婚約者になるなんて噂にもなっていないわ。シェリルの第一王子殿下の婚約についてもよ? 具体的にそんな打診があったの?」
「いいえ、それはまだなの。確か夏以降に決まると思ったのだけれど」
「もし事実がそのゲームに似た世界だったとしてよ? 婚約が決まる前にその平民の新入生と殿下たちが恋愛関係になるのであればそれはご勝手にでしょう?」
「まあ私たちが関与する筋合いはないわね」
ルイーザは頷いた。
「もし婚約していた相手に手を出す女性ならそれこそ平民貴族問わず非常識で無礼極まりないし、責められても仕方のない振る舞いではなくて?」
「で、でもそれはゲームの進行上の問題で」
「逆に婚約者がいても他の女性にうつつを抜かす男性なんて、王子殿下でも私はお断りよ。そんな方と愛情を育むことなんて出来ないわ。あなたは違うのシェリル?」
「まあそれはそうなのだけど」
ヒロインの立場としてなら相手がいようが攻略対象だからとグイグイ攻められたけれど、現実世界でそれをすればかなり悲惨である。社交界でも黒い噂は広がるのが早い。
未婚の貴族女性としての未来はほぼ閉ざされるし、まともな結婚相手も見つからないだろう。
「でしょう? 私は顔立ちもきついし結構はっきり物事を言ってしまうから嫌う人たちはいるのは分かっているけれど、それでもアンフェアなことはしないわ」
「もちろんよ。ルイーザはたまに言葉を選ばないところがあるけれど、相手のためを思って発言しているのは分かるもの」
「まあ私の欠点はそれよね。つい理不尽なことを見聞きするとカッとなってしまうと言うか、少し冷静さに欠ける言動があるのは反省点だわ」
私の肩をポンポンと優しく叩くとルイーザは笑みを浮かべた。
「だけど私もあなたも事前に把握出来ているのなら問題ないじゃない。その平民新入生と関わらなければ良いのよ」
「それで本当に大丈夫なのかしら?」
「心配性ねシェリルは。万が一、本当に万が一その新入生が王子殿下たちと恋仲になりたいのであれば、好きにしてもらえばいいじゃないの。それに私は第二王子殿下のこと好きではないし」
私は意外な発言に少し驚いた。
「え? あの方は顔立ちも第一王子殿下よりも美丈夫と評判じゃないの」
「だってあの方傲慢でナルシストだもの。同級生を顎で使っているお姿を学園で何度も見たわ。手鏡で頻繁に髪型をチェックしたり。よほどご自身の見た目を気にされているのね」
「まあ……」
リアルというのは良くも悪くも率直な感想が入ってしまうものだ。
よくよく考えてみれば、私も特に第一王子殿下への特別な思いはなかった。
王族であるから結婚出来れば玉の輿だろうし家としても嬉しいのだろうが、面倒事も多いだろうしのちの国母などと畏れ多い。
むしろ気苦労の方が多そうで個人的にはありがたくはない。大好きな読書の時間も削られそうだものね。
「そうね……私たち、王子殿下とは無関係の立場を貫けばいいのかしら」
「当たり前よ! 好きでもない男性のために悪役を演じる必要もないじゃないの! まあ王族の一員になれなかったとしたら両親は悔しがるでしょうけど、知らなければ元からなかったことよ」
彼女の言葉がこれほど頼もしく感じたことはない。
一人でオロオロして悩まなくて良かったわ。
ルイーザのあっけらかんとした話し方に私は救われた気分であった。
──だが私たちは甘かった。
新学期が始まると思ったよりもヒロインの強制力は強かったことを実感したのだ。
カフェテリアなど、彼女の活動エリアに入ると私もルイーザも気持ちが昂り、些細な事が気になり暴言を吐いてしまいそうになるのである。
最初は半信半疑だったルイーザも、ちょっとソフィアが段差につまづいた姿を見ただけで礼儀がなっていないと罵倒しそうになったようで、唇を噛んで必死に耐えたと謝られた。
「ごめんなさいシェリル。あなたの話は夢物語のたぐいだと思っていたわ。あの抑えきれない黒い衝動は一体なんなのかしら」
「いえ私もよ。彼女を見てたら生まれてこの方使ったこともない言葉がこぼれそうになって、とっさに紅茶を自分の手にこぼして熱さで乗り切ったほどよ」
「まあ、あれはそういうことだったの? あなたにしては珍しいドジだと思っていたけれど」
思いもよらぬ弊害でこちらの体力は目減りするばかりだ。
だが予想外のことがもう一つあった。
ルイーザはともかく私は転生者で、最近まで普通に貴族令嬢をしていた。
いや今も令嬢なのだが、小さな頃に前世に目覚めたわけではなく本当につい最近ゲームのことを知ったばかりの新人の転生者。
そのため本来ののほほんとしたおっとり令嬢になっており、悪役らしさが今のところ皆無。
性格的にも誹謗中傷を好むタイプではないルイーザも同じく、悪役らしさは話し方のキツさがたまに出るぐらいでしかもマナーやモラルに反した時ぐらい。
至極まっとうに育ってしまっているのである。
しかしゲームと異なる点はヒロインのソフィアにもあったのだ。
確かに特待生で入学するほどなのだから成績優秀で平民として人一倍努力をしたのだろうし、たぐいまれなる美貌も兼ね備えている。
──が、口が卑しく言葉遣いもかなり乱暴で、先輩後輩関係なく対等な話し方をする。
そして恋人がいようがいまいが顔の整った男性がいれば手当たり次第に愛想をふりまく、貞操観念がかなりゆるい女性でもあった。
「ねえシェリル、あなたの話ではヒロインは清楚で勉強熱心で優しく、心の美しい淑女って言ってなかったかしら」
「ええ、そうだったのだけど」
私たちも二次元ではなくリアルな生活で変わっていたように、ヒロインであるソフィアもかなりの変貌を遂げていたのだ。良い意味ではなく悪い意味で。
本音を言えば、
「ヒロイン云々以前にそもそも同じ女性として好きになれないタイプ」
だった。
カフェテリアでたまたま隣のテーブルで昼食を取っていた時も、食欲がなくて残していたサンドイッチを目ざとく見つけ、
「あ、食べないならもらってもいい? これ美味しいのよね」
と返事も待たずソフィアが勝手に奪って行ったり、大声でゲラゲラと笑って周囲が一瞬しんと静まり返った後に、
「あ、うるさかった? けっこう神経質なんだね学園の人たちって」
とひらひら手を振って友人らしき女生徒に引っ張られて連れて行かれたりもした。
ルイーザが手をプルプルさせて耐えていたが、彼女は私たちだけでなく学園の多くの貴族女子から不快に思われる女性になっていたのである。
「ただ、男子には人気はあるわね確かに」
ルイーザの絞り出すような言葉に私も頷いた。
あれだけ美しければ多少言葉遣いや振る舞いに難があろうが許容範囲なのかもしれない。
問題は多くのヘイトを買いやすいヒロインに成長したため、我慢出来ずに直接注意をしたり、彼女にデレデレしている恋人と大ゲンカをしたりする令嬢も現れていることだ。
被害が拡大している様子に私たちは頭を抱えた。
「私たちは状況を知っているから耐えることが出来ているけど、このままでは上手く行っていたカップルも影響が出るし、すでに調っていた婚約まで破棄される方たちが出て来かねないわ」
「実際にあの社交界の白薔薇とまで言われた穏やかなロクサーヌ様までソフィア様をたしなめたらしいわよ。それでソフィア様が彼女の婚約者に泣きついたらしくて言い過ぎだと叱られたとか」
「まあなんてこと!」
隠しておきたかったがこのままでは学園の秩序や風紀が崩壊しかねない。
信じてもらえるかは別として、ソフィアの立ち位置を把握して欲しい。
私たちは密かに面識のある同学年や先輩、後輩女子たちを我が家へ招待し、かいつまんで事情を説明した。
「──ということでございまして、荒唐無稽で信じていただけないのは承知の上で、私の前世の話とそれによる弊害について聞いていただきたかったのです」
「私も最初は信じておりませんでしたの。でも今では彼女は嘘をついてないと確信しておりますわ」
私が頭を下げ、ルイーザが自身の考えを述べた。
きっとルイーザに話した時のように笑われると思ったのだが、話を聞いたご令嬢たちは一様に納得したような顏をした。
先輩であるロクサーヌ様は苦笑して話し出した。
「私も何かおかしい、何かおかしいと思っておりましたのよ。いつもならこんなことで腹も立たないのに、ということが彼女が絡むとすぐ変な方向に気持ちが行ってしまいますの」
「私もですわ。何故か普段なら思いつかないような汚い言葉が出そうに」
「私も心の中にインクを落としたように黒々とした感情が広がって」
一緒に話を聞いていたご令嬢が口々に言葉を吐き出した。
私が読書好きで物静かな話し方をする人が好きなこともあり、お茶会などで知り合って親しくなった彼女たちは年齢に関わらず普段は落ち着いており、地に足のついたご令嬢ばかりである。
「前世の話、というのも一概に世迷言と決めつけられませんわ。現に私どもに実害が出ておりますもの。このところ我慢することが多いせいか体調もすぐれませんし」
ロクサーヌ様が伏し目がちにため息を吐くと皆も同じ気持ちだったようで深々と頷いた。
「イライラを我慢することは思ったよりもストレスが溜まる」
のは皆一緒らしい。
私やルイーザにも徐々に影響は出ていた。お肌も荒れ、目元にはクマが目立つ日もある。
「ですがここは何とか耐えませんと、皆様の恋人や婚約者の方からの評価が下がって私のような不幸な展開が起きてしまう可能性もございます」
「すでに婚約者は私のことを『考えていたより薄情な女性』という見方をしているようですわ。よほどあのソフィア様の取り入り方が上手いのでしょう。幼馴染みで性格は把握しているはずなのに」
「ロクサーヌ様……」
皆がどんよりした絶望的な気持ちになっていた時、ルイーザがハッと目を輝かせた。
「そうですわ! ストレス発散しましょう!」
「え?」
「どういうことかしらルイーザ様?」
全員でルイーザの言葉を待った。
頭の中で話を整理していたようで、少し沈黙した後で話を続けた。
「私たちは彼女が近くにいるとまがまがしい感情が出てしまいますわね。今まで必死にこらえて来ましたけれど、彼女にさえ当たらなければいいのではないかと思うのです」
「──?」
「ですから黒い感情が出た時は、この仲間内で彼女に言うつもりだったセリフを投げつけるのですわ。言葉を飲み込むからストレスになるのです」
学年が違えばせいぜいカフェテリアか校舎ですれ違う程度の頻度だが、昼食はほぼ必ず取るし、放課後の休憩で使ったりもする。
同じクラスの女性は毎日少なからぬ時間同じ教室にいるのですでに私たち以上にやつれていた。
ただ不思議と特定の相手がいない女性には影響が出ていないようで、普通に話しているクラスメイトもいるとのことだった。
「ルイーザ様はソフィア様を罵るのではなく、私たちの間で発散しろと仰るのね?」
「そうですわ。私たちはそれが本当に私たちに向けられた言葉ではないと知っておりますから平気ですものね。そして彼女をいじめたり貶めたい気持ちをそこで何とか浄化するのです」
「悪い言葉を交わすお芝居みたいなものだと思えばよろしいのね」
「名案だわルイーザ! 彼女が被害者として振る舞えなくなれば、私たちが悪く思われることはなくなるものね! 国外追放も修道院にも行きようがないわ」
私はルイーザに抱きついた。
ロクサーヌ様も他のご令嬢たちも力強く頷いた。
「これから当分の間カフェテリアで昼食は皆様でご一緒しましょう。あとは出来る限りソフィア様とは距離を置いて近づかない。会話することになっても最低限で参りましょう」
「黒い感情が出そうになったら息継ぎのようにソ、と言ってから吐き出しましょう。ちなみにソフィア様のソですわ。ほほほ」
「かしこまりました」
「何とか協力して乗り切りましょうこの事態を!」
皆がしっかりお互いの手を握った。
学年の枠を超えて皆が一体になった瞬間だった。
「ソ。ちょっとあなた、スプーンをそんなに大きな音を立てて置くのはマナー違反だわ」
「まあ気づかずご無礼を。誠に申しわけございません」
「ソ。それは上級生に対する言葉遣いじゃないのではなくて? お育ちが疑われてよ」
「お優しいのでつい親し気になってしまいまして大変失礼いたしました。次から気をつけますわ」
「ソ。そんな大口開けてお笑いになるのは淑女としてあまりに品位に欠けると思いますわ」
「ルイーザ様のお話があまりに面白かったものでうっかりはしたない真似を……恥ずかしいですわ。これからもご指導よろしくお願いいたします」
どうしても消えない黒い感情を言葉にして吐き出せることが、ここまで気持ちを楽にするとは思っていなかった。
小声ではあるがはっきりと心のモヤモヤが吐き出せる。
ソフィアが近くにいなければこんな感情が出て来ない。
恐らくヒロインとして存在する以上、周囲に何らかの物語性を持たせるような力が働いているのかもしれないが、やはり心に抱えたままは体に良くない。
三日で肌荒れも解消して髪のツヤまで戻ったような気がするし、他のご令嬢たちも最初とは比べ物にならないほど元気になった。
いや、元通りになったと言えばいいのだろうか。
たまに不穏な言葉を聞いた他の生徒たちにぎょっとした顔をされることはあるが、何しろ言われた当人が気にしてない様子で素直に謝罪しているので大きな揉め事にもなっていない。
そしてソフィアの方はと言えば、今まで通り自由奔放に生活しているように思える。
だが最近では好みの男性にしなだれながら泣きつく出来事が起こっていないため、感情が空回りしているように感じられた。
周囲の男性たちも「被害妄想なのでは?」と少し冷めた目で見ることが増え、以前ほどのヒロイン力というものがない気がする。
第一王子殿下や第二王子殿下にもさり気なくアクションを起こした噂も耳にしたが、あの女性であれば大抵のことは許すタイプのナルシスト第二王子殿下にさえ、
「君は頭がいいのだから少々礼儀やマナーを身につけた方がいいと思うよ」
と冷ややかな対応をされたらしい。
真面目な第一王子殿下には淑女としての振る舞いについて忠告を受けたとも聞いている。
ただ最近イライラしているように見えるソフィアではあるが、成績だけは常にトップスリー辺りを維持しているところは流石ヒロインと言ったところだろうか。
これで国外追放はなくなったし修道院で生涯過ごすなんてことにならずに済みそうだ。
友人たちとの絆も色んな意味で深まった気がする。
ルイーザとも手を取り合って喜んだのはいいが、何やら私たちのストレス解消法が王子殿下たちや男子生徒に大きく誤解されているらしい。
「ルイーザ嬢やシェリル嬢はどちらも名家で礼儀作法も淑女として申し分ないのに、友人たちとさらに研鑽し高みを目指しているようだ」
「僕も立ち居振る舞いを注意されて素直に謝っているシェリル嬢を見たよ。侯爵令嬢だというのに位も下のご令嬢からの忠告を真摯に受け止めるのは尊敬に値するね」
「ルイーザ嬢も長年続く富裕で知られる伯爵家だろう? 一年の子爵令嬢に話し方に気配りがないと言われて深々と頭を下げていたぞ。彼女少しきつい性格かと思っていたが人間が出来ているな」
「見目麗しくて人柄も良いとあれば縁談も引く手あまただな」
などという根も葉もない噂がまことしやかに囁かれているとロクサーヌ様が教えてくださった。
「……ねえシェリル」
「何かしらルイーザ」
「私、第二王子殿下と結婚したくないのだけど、この流れは危険じゃないかしら」
「まあ奇遇ね、私も同じこと思ったわ。私も追放やら修道院暮らしを回避したかったのは確かだけれど、未来の国母は同じぐらい望まないルートだったわ」
私たちは見つめ合って深く息を吐いた。
「どうする? いっそのこともっと荒ぶった感じでストレス発散していく方がいいかしら? ロクサーヌ様たちに協力していただいて、痛くないように軽く平手打ちしたりとか」
「王族回避には悪くない手だけれど、王族どころか下位貴族からも確実に回避される側になるのではないかしらね」
「それは困るわねえ……」
ルイーザが天井を見上げる。
私たちの悩みは尽きないのである。
リアルは二次元のように思い通りには行かないものなのよねえ。