2.覚悟
「ナタリー様、お目覚めになられましたか」
「…………」
「ナタリー様?」
またなの……。
「もう、いや……」
「……まだ熱は完全に引いていませんものね。額のタオルを替えようと思ったのですが、起こしてしまいましたね。申し訳ありませんでした。お粥か何か食べられますか?」
「……何も食べたくない」
「少しは栄養を体に入れませんと。少しお待ちください」
メイドのルナ・ロマーノが立ち去っていく。そう……私の、メイドだ。侯爵令嬢ナタリーのメイド。発熱している時に目覚めるのも、メイドの言葉も同じ。
「どうしてよ。来世なんていらないのに。全てを終わりにしたいのに」
すぐ横に目を移せば自分の赤い髪。
瞳もまた赤いのだろう。
全部全部前と同じだ。
「もしかして、死ぬたびに私はここに戻るの……?」
神様からの最後のプレゼントだと思ったのに、全然ありがたくない。
病死だと思っていた。
でも、もしかしたら違うかもしれないとも少しは思っていた。
『悪役令嬢ナタリーの病死の真相が知りたかったらイグニスをクリアして』
そう、あのクラスメイトが言っていたから。
直接の犯人はあのメイドだろう。
アナフィラキシー症状を起こさせて、そのあとに致死性のある毒薬を飲ませ、単にアレルギーで死んだことにする。王宮からの差し入れとあれば、多少おかしな部分があろうともみ消されて病死にされるだろう。
あのメイド……よく考えると私と二人きりなんておかしい。普段は常に使用人が数人ついていた。あれはきっと、力のある誰かの手駒だ。
命じたのは誰なのか。グルなのは誰なのか。可能性があるのは、母と懇意にしている王妃様。差し入れがある時は大抵そのルートだ。もしくはイグニスの姿が見えた気がしたので、その主人である第一王子ミセル・ノヴァトニー。それともお母様があとから混入したのか、まったく違う誰かの指示であのメイドが動いたのか……全然分からない。
私の兄は宮廷書記官長としてもう働いている。いずれ侯爵家を継ぐことになる。家は安泰だとばかりに両親共に愛人がいて、そっち方面では奔放だ。国王陛下と父は幼馴染で、それもあって私が王子の婚約者になったのだろうけど……私に目をかける人はいない。
私は、生きていても死んでいてもどっちでもいい人間だ。前世でも今世でも。
そーゆー星の下にいるのだろう。
……とりあえず、あのケーキと紅茶は飲まないようにしよう。まだ二年以上先だけど。
きらびやかな照明。
高そうな赤い絨毯。
高価そうな調度品。
神様からの最後のプレゼントのように感じた綺麗な世界が、今はくすんで見える。
♠
――そうして、あれから私は何回も死んだ。
あの紅茶とケーキを食べないように逃げようとしても、逃げ切れなかった。人間、どうしても風邪を引く時はある。寝込んでいる時にあのメイドが来て、無理矢理口に毒薬を入れられて殺された。体調を崩したまま死亡という筋書きになったことだろう。当然紅茶も飲んでおらず、あの毒薬自体に病気に見せかける効果がありそうだ。
その時の死後のイグニスのアドバイスはこれだ。
『剛毅の逆位置。またこのカードですか……やる気が感じられませんね。剛毅の逆なんですから、分かるでしょう。気弱になっています。無気力です。力が感じられません。これからずっと死に続けるつもりですか? ま、それでもいいですけどね。私には関係ありませんから』
結構、ムカついた。
次はやけくそになって、ミセル王子とイグニスに直接聞いた。
『いずれ私はこんな理由で死ぬんだけど、心当たりがあったら教えてほしいわ』
今考えると直接的すぎると思う。
『疲れているようだね。少し休むといいよ』
そう言われて終わった。
差し入れは絶対に食べないと屋敷の人たちに言い張っても、それまでと変わらず体調が悪い時に殺される。
その時のイグニスのアドバイスはこれだ。
『正義の逆位置。バランスを失っていますね。このカードに描かれた天秤は傾いていないでしょう? その逆位置なので、冷静さを欠いているのです。正しい判断ができていません。やけくそになっている自覚はおありだったでしょう? 天秤の傾きを直すことが必要ですね』
解決法を教えろと蹴り飛ばしたい。
毎度毎度、「それでは、来世へお連れしましょう」と言って無理矢理またスタートに戻される。その繰り返しだ。
あのメイドを辞めさせようとも動いたけれど無理だった。私とはほとんど接点がなく、ただの鬱憤晴らしにしか見えない。我儘はよしなさいと窘められて終わりだ。結局人がいない隙を狙って殺されてしまう。
さすがの私も堪忍袋の緒が切れるというか……少しやる気を出した。やられる前にやればいい。あのメイドを返り討ちにしてやると心を決めて、両親の関心があまり私にないのをいいことに強くなることにした。
剣術も体術も相当鍛えた。
魔法はこの世界に存在するものの、分かりやすい単体の攻撃魔法はないし使える者も少ない。小難しい学問の類だ。魔力自体は人の体に多少はあるようで、誰もが小さなタクトを携帯している。魔道具も存在し、タクトでタッチすると電源がオン・オフするものが多い。人の中の魔力を探知する仕組みになっている。タクトは媒介だ。
人の魔力やその蓄積を利用した魔道具の製作に異を唱える者もいない。
が……大きな魔法となる別だ。小難しい学問の類とはいえ、ここまで使える者がいない理由ら明らかだ。
魔法は魔に近い。大きな魔法となると、理を超えた異次元より力を借りることになる。礼儀を尽くし、へりくだって作法にのっとり力を借りる。それが魔術式に反映されている。自分の魔力を超えるような大きな魔法を使うということは、正体不明の何かに頭を垂れたことと同義になる。
人としての道理に反する……そんな印象をもつ者は多い。学んだとしても使うべきではないと。
例外はある。人を殺せば殺すほど魔に近くなるのか魔法による作用の多くを無効化できるようになる。物理攻撃にも勝手に重みが追加される――つまり、自動的に闇魔法の使い手になる。
大きな魔法を扱える魔法使いは誰の下にもつかない。真理の探求のことしか考えていない変人ばかりらしく、謎めいている。彼等が崇めるのは異次元にある魔の源であり、この世界の誰に対してもへりくだったりはしない。
だからこそ、王族や上位貴族は他国の暗殺者ギルドから闇魔法の使い手に既になっている護衛を買うことが多い。
世の中のどこかに魔法使いという化け物がいる。それなら自分たちの側にも対抗できる化け物を置いておこうと考えるのは自然なことで、簡単な暗殺も防げる。
ルートは確立されていて暗殺者ギルドの信用にも関わるので、そこに権力者の口出しは介在しない。金と信用で成り立つ世界だ。
強くなって分かった。
私にあのメイドは倒せない。
何度ループしても簡単にねじ伏せられる。あのメイドは……おそらく、元暗殺者だ。誰かに雇われた現役の暗殺者かもしれない。
私の世話を焼いてくれるメイドのルナもそうだ。暗殺者ギルド育ち。金に困っていない貴族は家族の二倍程度の護衛を買っているらしい。王族は桁違いだけれど。
どんなに強くなってもそこには届かず、だからといって突然元暗殺者なんてものになることもできない。毎回私をルナが守れないのは、やはり強い権力を持つ誰かの差し金だからだろう。私の側にいられないようあの瞬間にはきっと誰かに邪魔されている。
『また、正義の逆位置ですね』
ずっと、そうイグニスに突きつけられる。偏った思考に陥っていると。だからもう一度よく考えた。
どう過ごしてもスタートに戻る。逃げ切ることはできず、強くなったところで倒すこともできない。
それなら原因を絶つしかない。
誰がどんな理由で私を殺そうと思っているのかは分からないけれど――、
私が第一王子の婚約者でなくなればあのゲームの舞台が成り立たなくなる。そうすれば、私の死も絶対に必要なものではなくなるはずだ。
私のその肩書きが、殺される大きな理由なのだろう。
あのゲームの舞台が整ってしまえば、きっと死からは逃れられない。その可能性は高い気がした。ついでに闇の力を帯びれば、あのメイドを倒せる日もくるかもしれない。
――私が第一王子の婚約者であることを捨てて、可能であればあのメイドよりも強くなること。
そうすれば、きっと私はこの永遠に続くかのような生と死のループから逃れられるはずだ。
「今まで私を鍛えてくれてありがとう、ルナ」
「いえ、ナタリー様は天賦の才がありましたから。でも……本当にあの交渉をミセル様になさるおつもりですか」
「ええ。本気の本気よ」
「ルキアも心配しています。ナタリー様の志は立派ですが……」
ルキアはルナの兄だ。侯爵家の護衛の一人で、私の特訓に付き合ってくれていた。剣技の特訓は主に彼からだ。
「もう決めたの。私は私の道を歩むわ」
完全なる死を目指してね。
何がなんでも今度こそ生きて――、そしてしっかりと死んでみせる。無限地獄のような生など早く終わらせたい。
「ナタリー様に大きな目標ができたことは嬉しくはありますが、私はミセル様のお隣に並ばれるナタリー様を諦めたくはありません。今からでも――」
これからミセル様に交渉しに行く。本当の目的――完全なる死を迎えること、は内緒だ。何度もループしているなんて、きっと信じてもらえない。
「もう決めたのよ。たとえ交渉の場で殺されたとしても、私は意思を変えないわ」
「……分かりました。そうまで言うのなら仕方ありませんね」
童話の世界のような庭園を、心を決めてひらりふわりとスカートをはためかせながら品よく歩く。
――地獄への一歩を踏み出すために。




