2000年の豆乳ドーナツ
2000年、秋の事だった。鳥取で地震があったり、東海地方で集中豪雨があったりニュースは自然災害を報道していた。
そしてシドニーオリンピック一色。連日メダルニュースで騒がれていたが、奈緒の気分は明るくはなかった。日本がメダルをとる事は喜ばしい事だけど。
「お姉ちゃん、おっはー!」
妹の優希が起きてきた。優希はまだ小学生。両親は仕事で忙しいし、妹の面倒は必然的に大学生であり奈緒の役目だった。奈緒は栄養士を目指し、大学で学んでいた。今朝作った朝食もほうれん草の味噌汁、ご飯、卵焼き、納豆と栄養バランスを意識して作った。
「おっはー。ってこれ流行ってるね」
「うん、慎吾ママ面白い」
優希は小学生といってももう小5だった。そろそろ生意気にならないか心配だ。
「まあ、ご飯食べよう」
「うん」
「いただきまーす!」
こうして姉妹二人で朝食をとり始めた。小学生と大学生の姉妹というのも歳が離れている。奈緒は両親が高齢で出産した子供でもあり、我が家では相当甘やかされていた。5年ぐたり前に流行ったたまごっちも、わがまま言って手に入れていたっけ。
そろそろ厳しくしても良い時期とも思っていたが、やっぱり妹は可愛い。卵焼き一つ余計に優希の皿に置く。
「優希、学校では何が流行ってるの?」
「最近はプロフ帳、プロフィール帳が流行ってるね」
「プロフィール帳? 何、それ?」
妹はリビングに置いきっぱなしのランドセルから手帳のようなものを持ってきた。派手なピンクの手帳に見えたが、中身は友達のプロフィールが書かれた紙がバインダーされていた。紙はどれもキャラクターの絵がつき華やかだった。基本的なプロフィールだけでなく、好きな人の情報を書く場所もあったりする。美保ちゃんと麗ちゃんは、好きな人が被ってる。これはバトルの予感。
「面白いね。姉ちゃんが小学生の頃は、こんなもん流行ってなかったよ。プリ帳は持ってたけどね」
「お姉ちゃんの時は何流行ってたの? あ、もう時間。行ってきます!」
その話題が広がる事なく、優希は学校に行ってしまった。
「友達かぁ」
朝食で使った食器を片付けながら、奈緒は思わずため息をつく。
奈緒は小学生の時に友達がいた。高井鶴子という優等生だった。クラスでもツンと無表情で、少々偉そうだった。成績は良いが、何となく隙がなく浮いていた。
それでも偶然、同じ班になった時、仲良くなってしまった。当時流行っていた少女漫画の話題で気が合った。特に「セーラームーン」、「ちびまるこちゃん 」、「姫ちゃんのりぼん」、「ママレードボーイ」など心ときめく少女漫画の話題に花が咲く。当時はりぼんという少女漫画雑誌が黄金期で1990年代の少女漫画ブームとも言われていた。セーラームーンはなかよしで連載された作品だったが、鶴子と二人で作者のサイン会にも行った事もある。
当時は色々なおもちゃが出ていたが、別に奈緒も鶴子も金持ちの家でもない。その代わり、りぼんやなかよしのシールや便箋などの付録集めて、二人でニヤニヤするのが日常だった。
二人ともヲタクだったのだろう。二人で「ママレードボーイ」の絵を模写し、ついにはオリジナルの漫画を描いていた。お姫様がひょんな事から下町に住み、殺人事件を解決していくと言う話を作っていたが、それがクラスメイトにバレ、いじめにあった事もある。
それ以降は、ヲタクである事を隠し、二人だけで活動していた。中学高校では表向きはルーズソックをはいてギャルをやっていたが、二人で漫画を作っていた。昔、ヲタクが起こした事件もあり、世間の目は厳しかったのだ。
奈緒としてはこのまま漫画を描きたい希望もあったが、食っていくほどの実力など無い事は本人が一番よくわかっていた。りぼんや別冊マーガレットに投稿していたが、受賞できるような傾向は全くなかった。ついには進路の問題もあり、栄養士になる為に大学に進む事に決めた。ちなみに栄養に強い興味があったわけでもなく、当時の学校の担任にすすめられたからだった。漫画家になれないなら、どんな進路を選んでも一緒だと思っていた。
一方、鶴子も進学し、そこそこ偏差値の高い大学に合格していた。彼女も漫画の夢はすっかり諦めているように見え、だんだんと会う事も減ってきた。
今でも時々会うが、かつてのように漫画家の夢もなくなたので、どうも冷めた関係になってしまった。
シドニーオリンピックで活躍する選手達を見ながら、心はザワザワする。本当は、頑張った方が良かったのか。それとも堅実の栄養士になるべきなのか、よくわからない。奈緒が無邪気にプロフィール帳を楽しんでいるのを見ながら、余計に昔の事も思い出してしまった。
「めっちゃ悔し~い」
テレビでは田島寧子選手の映像が流れていた。水泳の銀メダリストだったが、悔しさを滲ませている。
自分はあそこまで悔しい気持ちになった事は無い気がした。頑張って無いから。漫画家を目指すといっても、どこか趣味の延長だった事は否定できない。
「鶴子、元気かな」
だんだと鶴子に会いたくなってきた。鶴子に会えば何か答えが出る気もした。
そして日曜日、奈緒は鶴子の家に向かっていた。途中、ベーカリーにより、お土産でメロンパンを買う。なんでも本物の果汁入りのメロンパンで色もオレンジっぽい。人気があるようで飛ぶように売れていた。鶴子も甘いものに目がない。メロンパンも気にいるだろうと思い、まとめて五個も買ってしまった。体重は気になるが、甘いものは別腹という事にしておこう。
「いい香り」
メロンパンの甘い匂いを感じながら、鶴子の家に向かう。この辺りは若者や大学生も多く住んでいるようで、ライブハウスなどサブカルな匂いがする町だった。古本屋もあり、思わず昔んlりぼんの作品も探してしまったが、そんなものは置いてなかった。むしろ「漫画家になる方法」といった本がワゴンセールで売られ、日焼けしているのを見ると、何とも言えない気持ちになってしまった。
そんな気持ちを抱えつつも、鶴子のアパートの前に到着。二階建てのアパートだが、そこそこ新そうだ。大学生になっても今だに実家暮らしをしている奈緒にとっては、一人で生活している鶴子は立派過ぎると思う。妹の世話はしてるし、近所の物流センターでバイトはしているが、洗濯とかは母にやって貰ってるし、鶴子と比べると少し恥ずかしい。
チャイムを鳴らすと、すぐに鶴子に出迎えられた。
「あ、何だ奈緒じゃん」
出てきた鶴子は、奈緒の想像と違った。げっそりと痩せ、髪の毛もボサボサ。目の下も真っ黒で、もう四十歳ぐらいの容姿になっていた。
「入って」
「う、うん……」
部屋に入るが、ベッドと机以外のものも消えていた。
どういう事?
まるで引っ越して来てすぐの家のようだ。前きた時は、本棚や食器棚、ぬいぐるみや漫画本だってあったのに。よく言えばシンプル、悪く言えば殺風景で怖くなってくる。
そんな部屋だったが、ポスターが一枚貼ってあった。ヨガのポーズのパターンが色々描かれていて、何とも不気味だった。ヨガというと数年前に騒がせたオウム真理教が利用していた印象がある。
もしかして鶴子、何か悪い思想などに染まった?
大学ではカルト宗教に勧誘を受けやすいの気をつけようというチラシを貰った事あったが。
とりあえず、二人で床に座り、話を詳しく聞く事にした。
「メロンパン食べる?」
「いい」
「え?」
「実は私、ベジタリアンと断食する事にしたから」
「え!?」
「うん。マクロビっていうのも流行ってるからね。地球や身体に良い生活をしたいのよ」
え!?
もう声は出ない。
鶴子偏差値の高い大学に入ったが、それだけ授業について行くのは大変だった。そんな折、大学のヨガサークルに誘われ、軽い気持ちで行ってみたら、ハマってしまったという。
「ハマったって何で……」
「私、本当は漫画家になりたかったんだよね。でも、無理じゃん。だんだんヤケクソになってさ……」
ここで鶴子は涙をこぼす。
「めちゃ悔しいって言えるぐらい頑張れたら良かったのかもね。でも、無理じゃん」
鶴子は呪いのような言葉を言い、奈緒も部屋から追い出してしまった。奈緒がヨガサークルを辞めて、きちんと食べるよう言っても無駄だった。大学で習った栄養素の話をし、断食はやり方を間違えると大変だという話をしても聞く耳を持たなかった。確かに大学の先生によると、胃を休める断食は健康効果はある。それでも三日ぐらいが限度で、一人で断食する事は全くおすすめしないと言っていた。
「どうしよう……」
奈緒の手には、手付かずのメロンパンがある。結局、これを鶴子と二人で食べる事はなかった。
その後、奈緒は大学の図書館に行いった。大学生とカルトの関わりについて本について調べるが、奈緒の表情は曇りっぱなしだった。
以外と高学歴とカルトは相性が良いらしい。ずっと答えが一つしかない受験勉強をしていた高学歴は、視野が狭くなりやすい事が指摘されていた。カルトも一つの答えが絶対的に正しいと洗脳するので、ハマりやすいらしい。本の中では学校教育のカルト性も指摘されたりしていて、奈緒の眉間に皺がよる。
ため息しかでない。
しかし、今の自分の状況も鶴子を馬鹿にできない。漫画家の夢や栄誉士に道に進む事も、答えが一つしか無いと思っていた。そうでは無いのかもしれない。
「という事で、店長。私はどうしたら良いですか?」
奈緒は行きつけのカフェ・未来の店長に相談していた。ここは鶴子と二人でよく通ったカフェでもあり、漫画を読んだり、時にはプロットや企画も作ったりした。
小さなカフェだが、天井が高く、窓も大きい。窓からは夕陽が差し込み、ちょっと眩しいぐらいだ。
カウンター席でチーズケーキとコーヒーを注文し、店長に相田していた。正直、今はチーズケーキの味は楽しめないが、こんな微妙な悩みを誰に相談すべきかもわからない。店長は漫画のプロットやネームの感想も意外と的確だった。おじさんなのに上からの説教もせず、穏やかで癒し系の人なのでついつい相談してしまう。観葉植物や花が多く明るいカフェの雰囲気に、心も正直になっていたのかもしれない。
「そっか。鶴子ちゃんは、そんな状況になっていたのか」
「そうなんです。どうしよう。このままだったら、栄養失調になるよ……」
答えは一つしか無い事は、色々な危険がある。でも、鶴子を死なせたく無いという答えは、一つだけの正解だと思いたかった。例え本人が幸せを感じていたとしても、死に向かっていたら全力で止める。
「最近は自然派スイーツは流行っているんだよね」
「そうなんですか?」
「玄米とか雑穀のクッキーとかね。元々はアレルギーあるお客さんに特別に作っていたけど、まあ、見た目も味も地味だ」
店長は地味という表現をしていたが、眉間に深い皺がある。本心ではあまり気に入っていない事を察した。
「まあ、ワタシ的には北風と太陽大作戦でいきましょう」
ワタシ的には〜なんていう流行語を使っている店長は意外とミーハーなのかもしれない。二人で鶴子が気に入りそうなスイーツを考えて食べさせる事にした。今の段階では成功率は低そうだったが何もしないよりはマシだ。それに無闇にヨガサークルや断食を否定するのも逆効果になる可能性も高そうだった。
「そういえば鶴子、ドーナツが好きだった。おばあちゃんがドーナツ作ってくれたとか言ってたな」
「でもドーナツは油がね。ヨガとかに染まっている人には……。あ、でも焼きドーナツにすればいいか?」
「ドーナツに身体に良いものとか入れたりとかは?」
「あ、それだ! ナイスアイデアだよ、奈緒さん。豆乳ドーナツにしよう。豆乳を素材に入れるのも、身体に優しいって流行ってるんだ。これだったら勝てるかも」
店長は自信満々だった。まるで、これから戦いに挑むスポーツ選手のよう。店長はカフェをやっているのに、妙に勇ましい。ただ、これも一種の戦いかもしれない。金メダルを取れるかどうかはわからないが、毎日のシドニーオリンピックの報道を見ながら、知らずに奈緒達も影響を受けていたのかもしれない。
次の日、半ば無理矢理鶴子をカフェ・未来に連れてきた。店長は鶴子のために今日は貸し切り運営だった。そこまでしてくれて負けるわけには、いかない。
「鶴子ちゃん、これは豆乳ドーナツだよ。身体に良い素材しか使ってないから大丈夫!」
「そうだよ、鶴子。鶴子には死んでほしくないの〜。お願い、何でもいいから食べて。また、また一緒に漫画描こう!」
店長と奈緒は二人で説得を試みた。説得しながら、奈緒は涙を流していた。鶴子が死んで欲しくないのはもちろんだが、また二人で漫画を描きたくなってきた。
別にプロになるのが一個の答えじゃない。働きながら趣味で描いたって良いんだ。今は何より、鶴子と一緒にワイワイ笑いながら漫画を描いたりした日々が、愛おしかった。ヲタクだと馬鹿にされた事もあったが、胸をはって青春だったと言える。
鶴子は白い皿に乗った豆乳ドーナツを見つめていた。素朴なキツネ色のドーナツで、ふんわりと甘い香りを放つ。
「ま、身体に良いなら……。奈緒もなんか、うるさいし」
ごにょごにょと言い訳しつつも、鶴子はドーナツを口に運んでいた。その姿を見て店長も奈緒も安堵のため息をこぼした。この戦いは大勝利。
「鶴子〜! 良かった! もう断食なんてしないで〜」
奈緒は思わず鶴子に抱きついた。こうして二人で食べた豆乳ドーナツは、少々涙の味がしたが、世界で一番美味しいと思った。




