1997年のベルギーワッフル
1997年、初夏。
「毎日、毎日ぼくらは鉄板の〜♪」
果穂は、「およげ!たい焼きくん」を口ずさみながら、閉店作業をしていた。この閉店作業は二度とない。今日でこのたい焼き屋は廃業だった。
この店は元夫からもらった店である。彼は事業家でいくつか飲食店を持っていたが、1991年に離婚。この時はバツイチという言葉が騒がれ始めた時期で、果穂もその定義に当てはまった。
実家は田舎にあり、農家だった。そこそこ太い実家であるが、バツイチ女性が帰る居場所はない。いくらバツイチがメディアで取り上げられていても、田舎ではヒソヒソと噂されるのだ。という事で、元夫と交渉し、このたい焼き店を引き継いだ。
駅のそばの裏道にある飲食店街で、そこそこ儲かってはいた。
しかし、去年あたりから雲行きが怪しくなった。今年の春には消費税も5%にあがった。元夫の事業も傾きはじめ、結局、この店も廃業せざるおえなくなった。
ピンクと白のストライプカラーの可愛いたい焼き屋だった。愛着はある。お客さんの顔が一人一人浮かんでしまう。
「毎日、毎日ぼくらは鉄板の〜♪」
本当は「およげ!たい焼きくん」ではなく、Le Coupleの「陽だまりの詩」とかミスチルとかGLAYとか流行りの曲を歌いたかったが、鼻歌はどうしても「およげ!たい焼きくん」になってしまった。子供向けの曲なのに、日々働かなければならない労働者を歌詞にしているようで、今の気分に意外とピッタリだ。
店の内部の掃除が終わると、次は外に出て掃除を始めた。もうカウンター席は閉じられ、かつての面影は何もない。
この後、この店は流行りのベルギーワッフルのお店になるようだが、いつまで続くのやら。基本的に日本人は飽きっぽいし、ブームが去った後は悲惨だ。ティラミスとかパンナコッタは、もう誰も話題にしていない。
「果穂さん!」
掃除をしている果穂に、隣のカフェの店長が話しかけてきた。カフェ・未来というカフェだ。外観は白くておしゃれなカフェだが、このベルギーワッフルのブームを受け、少々改装するらしい。意外と節操が無い事をしているが、店長は37、8歳ぐらいの優しい雰囲気の男たちだった。顔立ちはちょっと羊に似ている。
平成元年からここでカフェをやっているらしく、何かと果穂にも気を使ってくれる。カフェのメニューとたい焼きは競合しない為か、時々商品も買ってくれたりしていた。見かけは優しそうな男だが案外ミーハーで、カフェのメニューも流行を追いかけている。広末涼子が好きなようで「MajiでKoiする5秒前」も鼻歌でよく歌っていた。広末涼子が出演する「ビーチボーイズ」というドラマも楽しみにしているよう。果穂はどちらかといえば、竹野内豊の方に興味あったが。
「店長、こんにちは」
「本当にたい焼き屋なくなっちゃうんですね。寂しいです。あのパリっとした皮と甘い餡子が食べられないなんて。冬に食べると最高だったんですよ。暖かくて」
そこまで言われると、涙が出そうだった。果穂はもう三十すぎている。見た目は流行りのモード系でまとめているが、実年齢は誤魔化せない。
「ありがとう、そこまで言ってくれて」
「ええ、残念です。うちも消費税の影響ありましてねぇ。もう10%とかになったら日本政府に殺されます。10%まで上がったら、さすがに一揆が起きますよね?」
「大袈裟よ。そこまで上がらないでしょ?」
「まあ、今の様子だとどうなるかわからないです。うちも厳しいので、そろそろベルギーワッフル一本で勝負しようかなって」
「節操ないね」
果穂はチラリとカフェ・未来の外観を見てみる。今は改装中でお休みのようだが、本当にベルギーワッフル一本でいいのだろうか。そもそもこの店の後釜もベルギーワッフル店なのだが。
「ところで果穂さんは、これからどうするんですか?」
痛い事を聞いてくる。そこは全くのノープランだった。
「一応実家に帰ろうと思います」
そう言うしかない。実際、弟がちょっと問題があり、帰るように言われていた。
「まあ、何事もチャレンジですね」
店長には励まされてしまったが、果穂の気持ちは明るくはなかった。
「そうだ、果穂さん。記念に写真を撮りましょう」
「え?」
「本当はデジカメ欲しいんですけどね。まあ、使い捨てカメラですが」
こうして何故か店長に写真を撮られた。写真が出来上がったら、後で連絡するという。
「はあ、デジカメ欲しいな」
「そんなにいいんですか?」
「9月ぐらいに出るみたいです」
「へぇ」
そんな会話をしつつ、店長と別れ、店の掃除も終えた。こうして果穂のたい焼き屋は、完全に廃業になった。
全ての処理が終わったら、実家に帰る事にした。
実家といっても、都心から電車で一時間ぐらいの場所にある。基本的に野菜畑や梨畑がいっぱいある田舎だったが、駅の方は案外栄えていて、生活には困らない。駅のそばには、制服姿の女子高生もつるんでいる。いかにも派手なギャルメイクの女子高生ばかりで、援助交際という言葉も連想してしまった。援助交際は、売春と言い換えても良い言葉で、社会問題化していた。いつだって若い女が搾取されていると思うと、果穂もいい気分はしない問題だ。
一方、今年起きた神戸連続殺傷事件の影響で、青少年もクローズアップだれていた。この事件の犯人は、青少年だった。自身を「透明な存在」と表現し、こちらも社会問題になっていた。子供のいじめ、引きこもりもクローズアップされるようになり、なかなか暗い世相だ。
そのおかげか不明だが、三十半ばの女が事業に失敗し、田舎に戻ってきても、案外、家族も近所の人も暖かかった。お見合いの提案は勘弁して貰いたいと思ったが、噂になる事もない。
どちらと言えば弟の方が問題だった。歳が離れ、まだ二十代の弟だが、会社員生活に躓き、ずっと部屋に引きこもっているようだった。
両親は手を焼いていたが、何故か果穂にだけは会話が許された。たぶん、結婚と事業に失敗し、中間だと思われているのかもしれな。
「雄太、部屋入っていい? ご飯持ってきたよ」
「ああ」
返事があったので、弟の部屋の入る。弟の部屋は、いわゆるヲタクのものだった。「ときめきメモリアル」のキャラクターグッズが綺麗に並べられたりしていた。ちょっと不気味だが、慣れるとそうでもない。実際、弟は大人しく、何か害を起こすような事もなかった。もっとも髪の毛と髭は切って欲しいものだが。母は弟の姿を見ると「麻原彰晃みたい!」と罵倒していた。
「この子は俺の嫁さ」
「へえ」
夕飯を持っていくと、弟はフィギアを一つとり、そんな事を言っていた。今は仮想の存在を彼女に見立てて遊ぶのが流行りらしい。まあ、誰にも迷惑はかけていないが、少し切なくなる。
「姉ちゃん、あと20年もすれば、こういう俺みたいな男は一般化すると思う」
「そう?」
「だって現実はクソじゃん。ダイアナさんやマザーテレサのような良い人だって死ぬ。馬鹿みたいって思わないか?」
つい最近、ダイアナ元皇太妃はパパラッチに追いかけられて死んだ。その直後、マザー・テレサもなくなった。マザー・テレサは事故死ではないが、二人のような良い人でも死には勝てない。確かに弟の言うことは一理ある。もしかしたら、本当に弟のような存在は一般化するかみしれない。そんな気もしてきた。ただ、未来はどうなるか全く分からない。安定なんて無いのかもしれない。
未来か。
ふと、あの店長のカフェもそんな名前だった事を思い出す。
もう一度あのカフェに行っても良い気がした。そう言えば写真も受け取っていない。
さっそく電話をかけ、店長に会う約束を取り付けた。ベルギーワッフルをメインにした営業は成功して忙しいらしく、会うのは少し先になってしまったが。
こうして秋が深まる頃、カフェ・未来の前についた。
自分の元あったお店は、ベルギーワッフルのお店に変わり、客の行列もできていた。ワッフルの焼ける良い香りがする。
カフェ・未来の方が準備中となっていたが、ドアが開いていたので入る。
改装後のカフェ・未来は、カウンター席がなく、ガラスケースになっていた。そこにワッフルの値札がある。今は準備中らしいが、甘い良い香りがする。これは、おそらくベルギーワッフルの香りだ。
「店長、お久しぶりです」
「わあ、果穂さんじゃ無いですか。元気でした?」
しばし再会を盛り上がる。
カフェの四人掛けの席に座り、近況などを話す。店長は開発中だというワッフルの試食品を持ってきた。
一見、格子型のベルギーワッフルだったが、アイスやフルーツが盛られ、見た目も華やかだった。
「美味しそうじゃないですか」
実際、食べてみると美味しかった。表面はジャクっと食べ応えがあり、アイスやフルーツの相性も最高だ。
一つ欠点といえば、フォークやナイフが必要という事だろうか。隣のワッフル屋はお持ち帰りし、食べ歩きする仕様だった。ベルギーワッフルは食べ歩き出来る所が受けている面もあり、そこは欠点かもしれないが。
「やっぱり、私は食べ歩きよりもカフェでゆっくり食べて欲しいかもなぁ。結局、今はお隣の人気に負けちゃってるんですよね」
「そうなんだ……」
穏やかで呑気そうに見える店長だったが、悩みは尽きないらしい。
そう言えば、いつか店長に励ましてもらった言葉を思い出す。「まあ、何事もチャレンジですね」って言われた。
「店長、何事もチャレンジですよ」
あの時、自分に言われた時は、響かなかったが、今は同じ言葉を店長に言いたくなってしまった。
「安定しているように見えた証券会社や銀行も倒産しましたよ。安定なんて無いのかもしれません」
店長に言いながらも、自分にいい聞かせている面もあった。これからの事はノープランだったが、安定にしがみつく必要は無いのかもしれない。
「そうか。そうかもしれませんね」
「ええ」
こうして店長と二人でベルギーワッフルを食べた。このベルギーワッフルもいつか流行が廃れるだろうが、安定にしがみつくよりは、良いかもしれない。そんな気がしてきた。
「あと、これは写真です。もう、フィルムも写真も廃れるかもしれませんね」
「そうですねぇ」
紙のケースに入った写真を受けとった。一枚、自分のものではない写真も混ざっていた。店長と女性のツーショットだった。このカフェで一緒にカヌレを食べている。店長と同じ歳ぐらいの美女だった。少し女優の黒木瞳に似ている。
確か店長は独身のはずだが。まさか、今、流行りの失楽園!?
「違いますって、不倫じゃないですよ。愛さんも独身です」
店長は必死に不倫でない事を説明していた。ただ、その顔は真っ赤で、単なる友達では無さそうである事を察した。
「愛さんは、もしかしたら来年ぐらいに仕事で海外に行くかもしれないんです。彼女はキリスト教の方で、海外で宣教師の仕事もしてみたいそうで」
「そうなんだ」
そう語る店長は、少し寂しそうだった。やはり、この愛さんという女性に特別な感情がありそうだった。
「でも、果穂さんが言うように何事もチャレンジですね。うん」
店長は自分にいい聞かせていた。
「そうですね。私ももう一度飲食店やろうかな」
「だったら、その間、うちでバイトでもしますか?」
「いいんですか?」
「ええ。果穂さんなら、即戦力です。まあ、ベルギーワッフルの期間だけですが」
成り行きでバイトまで決まってしまった。確かに未来はどうなるかわからない。




