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1996年のアロエヨーグルト

 1996年、秋。


 去年は阪神大震災、地下鉄サリン事件、ハイジャック事件など厄年のような世相だった。


 今年はアトランタオリンピックがあったり、羽生義治の活躍、ポケットモンスターの流行など少し明るくなっていた。


 とは言っても、援助交際、食中毒事件などがある。地震やカルトの問題が無いだけマシといったところだろうか。


 そんな中、真緒はボランティアをやってみたかった。一番は、去年の阪神大震災がきっかけでボランティア活動が注目されていたからだったが、どうしようか悩んでいるところだった。


 真緒は11歳。小学6年生だった。ボランティアをするのにも子供の力だけでは限界がある。


 そこで近所のキリスト教会の牧師に相談に行く事にした。真緒はクリスチャンでは無いが、両親がそうだった。日曜日は毎週両親に連れられて教会に行くのだが、子供は別室で日曜学校というのに参加する。ここでは牧師から紙芝居を聞いたり、聖書の良い言葉を教えて貰ったりたまに美味しいご飯やお菓子を貰ったりする。


 正直、紙芝居や聖書の勉強は眠くなるが、お菓子とご飯は楽しみだった。それに紙芝居では「隣人を愛しましょう」とか「敵に親切にしましょう」という言葉も聞いた。あの牧師先生ならボランティアの良いアイディアも知っているかもしれない。


 教会は住宅街の中にあった。一見、普通の二階建ての民家だ。屋根には十字架のオブジェがあるので、かろうじて教会だとわかる感じだ。


 教会の庭は、牧師の飯田愛先生が育てていりアロエがいっぱい植えてあり、ますます普通の民家っぽい。


 ただ、去年はオウム真理教の事件のせいで、この教会も影響を受けていた。オウムは一部聖書を悪用していた事もあり、それを聞いた町内の人がチラシを貼ったり、電話をかけたり、牧師の愛先生を困らせていたらしい。


 今はそういった嫌がらせは止まったが、日本は宗教、とりわけ一神教への警戒心が強いのも事実だった。オウム真理教の事件を目の当たりにしたら、教会も誤解されても仕方ない面もある。


 また愛先生は三十代半ばと牧師としては若く、女性。色々事情があり、教会の牧師をやっているそうだが、想像以上に激務のようだ。父が残業で夜の一時を過ぎて帰ってきた時も「教会の牧師室の灯がついているのが見えた」と言っていた事もある。


 そんな事情を知ると愛先生にボランティアの相談をするのは気が引けるが、暖かく出迎えてくれた。


「真緒ちゃん、こんにちわ」

「こんにちわ」

「どうぞ、あがって」


 愛先生に案内され、二階にある礼拝室へ向かう。礼拝室というと、派手なステンドグラスやマリア像などをイメージする人も多そうだが、この教会はプロテスタント。基本的にシンプルだ。窓が大きく、光が差し込んでいるが、防音目的の為に二重になっている。ここでは讃美歌や説教などで音を出すので、愛先生はとにかく騒音に気を使っていた。


 他は教壇や説教台、パイプ椅子が並び、学校の大教室のようだ。教壇にあるピアノやギターを取り除くと学校と差が見えない。


 今日は礼拝をするわけじゃないので、礼拝室の隣にある多目的室へ向かった。いつもはここで日曜学校を行う。中央に大きなテーブル、椅子があり、端にある本棚には子供向けの聖書の本がいっぱい入っている。壁には、子供讃美歌の歌詞や聖書の言葉が書かれたポスターが貼ってあり、ここだけは教会だと実感する。


「真緒ちゃん、こんにちは。オレンジジュースとアロエヨーグルトでいい?」


 愛先生はテーブルの上にグラスに入ったオレンジジュース、小さな皿に盛られたヨーグルトを出した。


「どうぞ、座って。食べてね」

「う、うん」


 真緒は愛先生に促され、座る。愛先生も真緒の正面に座った。


 アロエヨーグルトは、市販のものでは無いようだった。無味無臭で、色も無いようだ。ナタデココが入っているようで気になる。ナタデココは、食感が独特なので学校では嫌いな人も多いが、真緒は嫌いじゃない。


「いただきまーす。あ、美味しい」


 アロエヨーグルトは、無味無臭だったが、すっと爽やかで美味しい。一昨年ぐらから市販のアロエヨーグルトは流行っているようだが、これも美味しい。市販のより素朴な味だ。


「ありがとう。実はこれ、カフェの店長さんから頂いたものなの。成一さんっていう近所に住んでらっしゃる」

「へえ」

「その人クリスチャン?」

「残念ながら、違うみたい」


 愛先生はがっかりしていた。愛先生のことはよく知らないが、結婚もせず、教会や神様に命懸けのようなところもある。まだ若いと思うが、流行りのファッションなどもせず、シンプルな白ブラウスに黒いチノパン姿が多い。礼拝の時はスーツ。牧師といっても黒いガウン姿になることは、滅多に無いらしい。


 それでも愛先生は、いつも穏やかで幸せそうな雰囲気を纏っていた。顔の作りは、ちょっと羊っぽい。母は女優の黒木瞳に似てると言っていたが、その点はよくわからない。ブスでは無いと思う。


「ところで、今日は何の用?」

「実は……」


 ボランティアをしたい事を語った。去年の震災の報道を見て、いてもたってもいられなくなったのだ。


「いえ、立派な心がけよ。偉いわ、真緒ちゃん」

「えへへ」

「でも、まずは身近なところからよ。お家のお手伝いはしてる?」

「うん」

「学校では? イエス様のように親切にできてる?」


 そう言われると、違う気がした。


「じゃあ、まずはお友達と仲良くし、クラスで浮いている子とかに話しかけてみるのはどう?」

「それだったらできそう。でもボランティア?」

「動機が愛だったら、全部ボランティアよ。神様は心を見て下さるからね」

「本当?」


 ちょうどその時、教会のチャイムが鳴った。


「どなたかしら」


 愛先生は一瞬、うんざりしたような顔を見せていた。たぶん、去年のオウム真理教の事件の影響で、嫌がらせをされていた事を思い出したのだろう。本当は違うのにと言いたくなったが、人は自分の信じたいものを信じようとするらしい。これがいつの間にか偏見になり、差別に繋がっていくんだそう。いつか愛先生が話していた。


「こんにちは」


 教会にやってきたお客さんは、愛先生と同じ歳ぐらいの男性だった。穏やかそうな表情は愛先生とよく似ていたから、親戚に見えてしまったが、違うそう。あのアロエヨーグルトを手作りしたカフェ店長、平野成一という名前の男だった。成り行きで真緒も成一と挨拶をする。なぜか三人でアロエヨーグルトを食べる事になってしまった。今日も新作のアロエヨーグルトをもってきたらしい。


「成一さん、今日はカフェのお仕事は?」

「いえ、今日は定休日なんです。チョーベリーグッドです。チョベリです!」


 しばらく愛先生と成一は会話していた。成一は見た目は穏やかそうだが、チョベリグなんていう女子高生言葉も遣い、案外ミーハーそうだった。なぜか愛先生と会話中は顔が真っ赤のなっていた。もしかしたら、成一は愛先生に特別な感情があるかもしれない。


「真緒ちゃんは、何かハマってる事あるかい?」


 話がなぜか成一から真緒の方にも飛んできた。確かにずっと愛先生と話しているのは、不自然に思ったかもしれない。もっとも愛先生は、成一からのアタックは何も感じていないようだったが。


「最近はスピッツが好き。『空も飛べるはず』っていい曲だよ」

「おじさんもスピッツ好きだな」

「私はXが好きよ」

「えー、愛先生、意外!」


 なぜか知らないが、三人で話しで盛り上がり、今日は帰る事になった。


「ボランティア頑張る!」


 そう言うと、二人にも応援され、やる気がでtrきた。


 さっそく、学校ではみんながやりたがら無い掃除やゴミ拾いをしたりした。特に誰にも褒められないが、地道な作業は楽しくはあった。また、愛先生の言葉を思い出し、クラスで少し浮いている富田里美にも声をかけた。里美は家が貧乏のようで、服や髪がいつも汚れていた。性格も少しキツい。クラスではセーラームーンの文房具が消えた事件もあったが、真っ先に里美が疑われていた。ただ、そんな証拠も無いし、そんな風に疑うのは真緒は疑問だった。


「里見ちゃん、おはよう」

「……」


 無視された。


 ただ、何回もしつこく挨拶をしていたら、ちょっとずつ話すようになった。この事については、先生にも褒められてしまい、ちょっと鼻高だった。


 そんなある日、机の中に入れておいたハローキティの小銭入れが消えているのに気づいた。これは真緒の母にサンリオショップで買って貰った宝物だった。サンリオショップで買い物をしると、袋にチャームもつけて貰えるのだが、それも大事にとって置くぐらい大事なものだった。


 慌てて探すが、どこにも無い。中見のお金三百円ぐらいしか入っていないが、せめて小銭入れだけでも戻ってきて欲しい。


「言いたくないけど、里美ちゃんが真緒の机を漁っているのを見た事あるよ」

「え!?」


 別のクラスメイトからそんな話を聞いた。さっしそく里美を問い詰め、事情を聞くと、相手は開き直ってきた。


「いいじゃん。うちは貧乏なんだし、恵まれている人からとって何が悪いの?」

「え、そんな……」

「恵まれている人の偽善は、うんざりなんだ。いい気分になりたかったら、親切じゃなくてお金ちょうだいよ。同情するなら金をくれっての」


 最後に数年前に流行ったドラマの台詞を吐き、里美はさっていく。


「そんな……」


 ショックで倒れそうだったが、里美の言う事も一理あった。実際、先生に褒められていい気分になっていたし、里美を利用していなかったとは言えない。


 難しい。


 人に親切にするのは、こんなに難しいとは知らなかった。悔しくて涙が出そう。たぶん、ハローキティの小銭入れも戻ってこないだろうし、その事も悲しい。


「そうだ、教会に行こう」


 愛先生だったら、どうすれば良いのか知っていそうだった。


 真緒が学校が終わると、教会へ直行した。今日は礼拝室ではなく、愛先生が普段仕事をしている一階の牧師室で会う事になった。


 前あった時と同じようのテーブルの上にはアロエヨーグルトとオレンジジュースがある。


 牧師室は本がたくさん積まれ、学校の先生の部屋みたいで緊張するが、テレビはついていたので、少しホッとしてきた。テレビは、バルセロナオリンピックの報道が流れていた。メダルをとった柔道や水泳の結果を振り返っていた。


「そうか、そんな事があったのね。確かに人に親切にするのは、難しい。でも、神様は真緒ちゃんの心をみてるから。その動機が愛なら、絶対大丈夫」


 愛先生は励ましてくれたが、その心も愛ではなかったかも知れないと思いはじめていた。見た目の行いをいくら綺麗にしても無駄な気もする。


 流れてくるテレビではマラソン選手の有森裕子の映像になっていた。結果は銅メダルに終わったが「自分で自分を褒めたい」と語る。


「有森選手もすごいわねぇ。でも、私は自分で褒めるのは難しいね」

「どうして?」

「私には心に汚い罪があるから」

「?」


 その意味はわからない。ただ、罪という言葉は日曜学校でも何度か聞いた事がある。


「まあ、アロエヨーグルト一緒に食べましょう」

「う、うん」


 二人でアロエヨーグルトを食べる。これは成一が手作りしたものだろう。市販のものと違い、何の香料も色もついていない。ピュアでまっさらなアロエヨーグルト。


 綺麗なアロエヨーグルトを見ていたら、真緒の心もこんな風になたいと思っていた。人に親切にするのは難しいが、せめて動機や心だけは綺麗でいたいと思ってしまった。


「愛先生、私、また頑張ってみるよ」

「ええ。何度でもチャレンジしましょう。神様は見ていて下さる」


 二人で食べたアロエヨーグルトが、何だか特別に美味しかった。


「ところで愛先生、成一さんとは仲良しなんですか?」

「仲良しっていうか、友達よ」


 こんな美味しいアロエヨーグルトを作る成一だが、恋はまだ今一方というところだろうか。愛先生からしたら、アウトオブ眼中のようだ。


 まあ、二人については心の奥でこっそりと応援しておこう。

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