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番外編短編・2022年のマリトッツォ

 飯田愛は、教会の玄関のそばにアルコール消毒液をおいた。


「ハァ。コロナは茶番だっていうの」


 本音はそう思っていたが、一応置いていく。教会員は老人も多いし、コロナ茶番についての説明は難しいところだった。ただ、マスクは自由にしてる。アクリル板も置いてないし、ソーシャルディスタンスもしていない。そこは神様を信仰するものとして譲れない。聖書では疫病から必ず守ると書いてある。それを信じている。頭おかしいと思われるだろうが、信仰とはそういうものだった。


 そんな愛だが、ずっと海外で宣教師の仕事をしていた。その後、帰国し、牧師をやっていた。元々牧師もやっていたのだが、日本は慢性的にその成り手がいない。コロナの影響で閉じてしまった教会の話も聞く。人手不足で、定年もない仕事だが、喜びを持って仕事をしていた。アルコール消毒液ぐらいは仕方ない。ここだけ「やってる感」を出し、あとはいつも通り自由にする予定だ。


「さて、そろそろ行きますか」


 こいして教会の備品設置や掃除を終えると、恋人である成一のカフェに向かう。


 成一とは1995年ごろに知り合い、それから数年後に付き合っていた。今となってはなぜ成一と付き合い始めたか謎だが、彼が作る手作りスイーツの数々が絶品で胃袋を掴まれてしまったようだった。特にスコーンが絶品だ。成一は子供の頃はイギリスに住んでいた事もあるらしく、本場のスコーンだ。色んなジャムやクリームをつけて食べるのだが、見るだけで興奮する。ちなみにスコーンはカフェでは提供されておらず、今のところ愛だけが楽しめる一品となっていた。


 愛も成一も仕事で忙しく、遠距離恋愛の時間の方が長かった。一年ぐらい電話とメールしかしなかった時もある。結果的に長い春になってしまったが、こうなってしまっては仕方がない。仕事が一番だし、何の後悔もなかった。


「成一さん、きましたよ」


 今日はなぜか成一のカフェで待ち合わせをしていた。店の扉にはcloseの看板があったが、無視して入店する。


 店に入ると、ふわっと甘い良い香りもした。相変わらず天井が高く、窓が大きなカフェで居心地がいい。観葉植物や花にも彩られ、生命力あふれるカフェだ。少し昔の言葉でいえば癒し系のカフェと言っていいだろう。


「愛、いらっしゃい!」


 笑顔の成一に出迎えられた。それはいいのだが、今日は珍しくスーツ姿。グレイヘアもセットしている。普段と違う雰囲気に、愛はドキドキとしてきた。愛ももういい歳だが、なぜか心臓が高鳴る。


「さあ、座って」


 成一に促され、テーブル席につく。成一は厨房から大皿を持ってきた。そこにはマリトッツォが並べられている。丸いパンにこれでもかとクリームが詰められている。確か去年ぐらいにブームになった。


 コロナの自粛も影響しているのだろう。こんなクリームたっぷりのスイーツは食べにくい。家で一人で齧り付くのにぴったりなスイーツだ。あと見た目のインパクト、ネーミングの響きが受けたのだろう。それでも所詮一過性のブームだったのか、2022年の春を過ぎたら全く見なくなってしまった。一時期はコンビニでも見かけたが、もう売っている店も少ない。マリトッツォにハマっていた人も体重計に乗り、目が覚めたのだろうか。カロリーは考えたくもない数値のはずだ。


「なんでマリトッツォ? 美味しいとは思うけど」


 職業柄、流行りのスイーツに敏感な成一が今これを出すのは違和感があったが。


「マリトッツォって実は、男性から女性に送るものだったんだ。中に指輪も入れる人も」


 いくら鈍感な愛でも、こればっかりは色々察した。目に前のマリトッツォには指輪などは入っていないようだが。


 再び心臓はドキドキと高鳴っている。


「結婚してください」


 その言葉は予想通りのものだった。すっと心に入り込む。


 いつもは穏やかに笑っている成一の顔は、今にも泣きそうに見える。愛も少し泣きたくなってくる。長い春の終わりを感じてしまうからだろうか。


「ええ、もちろん」


 これで長い春は終わり。


「よかった」

「もっと早く言ってくれたらいいのに」

「言えないよ、男は案外小心ものなんだから」


 こうすして二人でマリトッツォを食べた。クリームが多すぎる。お互い、口も手もクリームで汚れてしまったが、少しも恥ずかしくなかった。これからは恋人ではなく夫婦。綺麗な部分だけでなく、汚い自分も見せて良いんだと思うと、今までにない安心感も感じていた。マリトッツォの甘みもより優しい。そんな気がした。


「成一さん、これからもよろしく」

「こちらこそ」


 改めて挨拶もした。これからは二人で一緒の道を歩く。新しい未来に胸を弾ませていた。

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