2016年のバスクチーズケーキ
2016年、秋。加世子の気分は、ロマンチックムードに溢れていた。
最近みた映画「君の名は」は感動しからだろか。運命の人はいるんじゃないか。監督の深海誠は、そんなような事をインタビューで語っているのも見かけた。
普段、あまり物事を深く考えない加世子だったが、そんな気がしてきた。この映画の主題歌のRADWIMPSの前前前世を聞いていると、さらにロマンチック気分が上がってきた。
「君の名は。」と前前前世のせいとまでは言えないが、加世子は前世からの運命の人がいると信じていた。子供の頃から少女漫画や占いの相性診断に飛びつき、無駄に恋愛脳なところがあった。もっとも加世子の容姿は中の下といった所なので、別にモテなかったが。
そんな加世子だが、去年、結婚した。
婚活で知り合った一回り年上の男だった。見た目は白髪頭のおじさんだが、会社も経営していて年収も高い。酒もタバコも吸わず、性格も穏やか。その上、次男。条件はかなり良い男だった。
運命の人か。それとも条件も良い人か。
二つを天秤にかけたら、後者の方が勝ってしまった。夫とは完全な妥協婚だが、大きな家で専業主婦をさせてくれるし、そこそこ満足していた。
しかし、1年後。2016年末の秋になり、ロマンチックムードが高まってしまった。若い頃から好きだったSMAPも解散し、ちょっとロスっぽかったのかもしれないし、「君の名は。」に影響されたのか、前前前世にときめいたのかは定かではないが、急にロマンチック気分が高まってしまった。
昼間、加世子は一人でいる事が多い。どうしてもスマートフォンで、芸能ニュースなども見てしまう。
最近は、ゲス不倫のゴシップを見るのも楽しかった。特に今年初めからゲス不倫報道ばかりで暇が潰れた。
ベッキー&川谷絵音、狩野英孝の六股疑惑、乙武洋匡&5人の一般人女性など。最近は歌舞伎役者の中村橋之助の報道もワクワクしながら詳細を追いかけた。
「君の名。」のようなピュア映画のロマンチック気分を刺激される一方、ゲス不倫報道にもワクワクしていた。よくよく考えれば矛盾した感情だったが、加世子の中に矛盾はなかった。
ゲス不倫に眉をひそめる一方、「それもアリなんじゃない?」と思う自分もいる。加世子には不倫経験はないが、芸能人のゲス不倫ニュースの叩きコメントなどを見れば見るほど、興味がわく。
正直に言ってしまえば、不倫してロマンチックな気分を味わいたかった。今の立場は捨てたくないが、ロマンチック気分が味わいたかった。そうなると、不倫しかない。
「そうか、私は不倫をしたかったのね」
夫が仕事でいない事をいい事に、加世子は広い家で呟いた。
不倫をしたいと思った加世子だが、どこで不倫相手にで合えば良いのかわからなかった。世間が不倫を叩けば叩くほど、興味がわいてしまった。もしかしたら、ずっと夢もていた不運の相手が出会えたり出来るんじゃないか。そんな思いもあったりした。
ちなみに夫はイギリスに長期出張に出かけてしまった。別に夫にはなんの落ち度も無いが、加世子の不倫願望はますま盛り上がっていた。
2014年に放送された不倫ドラマ「昼顔」のDVDも借り、さらに気分が盛り上がる。まさか「君の名。」から「昼顔」まで飛んでしまったとは、自分でも予想外だったが、楽しくて仕方がない。今の自分の需要にピッタリと供給してくれるドラマだった。
この事がきっかけに加世子は、映画やドラマだけでなく漫画やライトノベルも楽しむ。元々そういった娯楽も好きだったが、不倫したいのに出来ない自分を慰めてくれているようだ。
ライトノベルは、小説家になろうなどの投稿サイトも読み漁っていた。特に異世界転生もののロマンスにうっとりしてしまう。前世があって自分にも運命の人がいて、不倫もしてくれるんじゃないかという妄想もしてしまう。少し前はネット小説というと下に見られていたが、だんだと主流になっているようだ。実際、少女向けのライトノベルレーベルは売り上げ不振でなくなったと所もある。確かに優等生的な既存のレーベルより、勢いがあるネット小説が支持されているのわかる。もしかしたら自分でも小説賀書けるんじゃないかと考えたりもするが、夢見すぎだろうか。
いっそ不倫妄想を小説家になろうに書いてもいいんじゃないか。中学生の頃は処女らしい妄想を拗らせ、官能小説も真っ青なポエムも書いていた。
そんな恥ずかしい黒歴史を思い出した時、チャイムがなった。
平日の昼間に訪ねてくる人が思い当たらず、加世子は首を傾げながら、玄関へ向かう。
そこには夫の兄がいた。名前は平野成一。確か隣町でカフェをやっていた。平成元年から経営しているカフェで、そこそこ常連客もいるらしい。
夫とよく似た白髪頭で、外見は優しそうだ。ただのおじさんよりは、品のあるタイプではある。白シャツにチノパン姿でも姿勢がよく、そこそこ若々しくも見えた。
なぜ成一が家に来たのかは不明だが、手に大きな箱を持っていた。まさかケーキだろうか。かすかに甘い香りもした。
「実は加世子さんにバスクチーズケーキ焼いてきたんですよ」
「え?」
「いいから、いいから食べましょうよ」
成一に押し切られ、二人でバスクチーズケーキというのを食べる事になった。
加世子は受け取ったケーキの箱を開ける。中には黒焦げのチーズケーキ。確かに香ばしい臭いはするが、こんなに黒くて良いのか?
疑問に思いつつ適当に切り分け、皿にもる。アイスティーと一緒に客間に持っていった。
客間は和室で、一応毎日掃除して置いて良かった。ここには「昼顔」のDVDなどは置いていないはずだが、一応、目視でチェックする。
「こんな真っ黒いチーズケーキでいいんですかね?」
そう言いながら、客間のテーブルにバスクチーズケーキとアイスティーをおく。少し不安になるほど黒いチーズケーキだったが、仮にもカフェ店長の成一が作ったものだ。失敗して焦げたものではないだろう。
「バスクチーズはこういうもんです。さ、いただきましょう」
「そういうものなのね」
成一によるとフランスのバスク地方のチーズケーキらしい。バスク地方は厳密には、フランスとスペインの二国に跨っているらしく、独自な文化があるらしい。
「いただきます」
「どうぞ」
ニコニコと笑顔の成一に促され、真っ黒いバスクチーズケーキを食べる。
「うん!」
美味しかった。見た目は真っ黒だったが、濃厚なチーズの味が舌を襲う。思わず心まで溶けてしまいそうな濃厚さだった。普通のチーズケーキより濃く、甘い。
この味は、もしかして不倫願望で求めていた濃厚さだった気もしてきた。なんだが食べていると胸がいっぱいになり、不倫願望がすぅーっと収束していく。加世子は思った以上に甘党だったようだ。
そういえば夫からはマカロンやバームクーヘン など甘いものをよく貰った事も思い出し、罪悪感もちくちく刺激されていた。
「実は雄也から加世子さんに甘いものでも作って届けてくれって言われてね」
「そうだったのね……」
雄也は夫の名前だった。
「退屈しているだろうから、話し相手にもなってやれってね。あいつは優しいねぇ」
そんな話を聞き、もう不倫願望は消えてしまった。むしろ、こんな事願望を持っていたのが恥ずかしい。
運命の人もどうでも良くなってきた。運命の人は、物語のようなものではなく、縁のある人の事を言うのかもしれない。だとしたら夫は運命の人だ。映画やドラマ、ライトノベルのようなエンタメは楽しかった。ゲス不倫のニュースも楽しかったが、地に足がついていなかったのかもしれない。無駄に夢を見ていたと気づく。
「ところでこのチーズケーキって成一さんのカフェで食べられる?」
加世子が目の前にいる成一に聞いトゥみた。
「実はまだメニューじゃないんですよね。今年は目立ったスイーツブームも無いし、試しにバスクチーズを作って見たんですが」
「え、こんなに美味しいのに! たぶん、このチーズケーキ、五年後ぐらいにはめちゃくちゃ人気でるよ」
「そうですか? 見た目は真っ黒ですよ?」
「中味はなめらかで超濃厚じゃない」
「そうか……」
成一は少し悩んでいたが、バスクチーズをカフェで出す事を決めたようだった。
見た目は真っ黒なのに中味は濃厚で美味しいバスクチーズ。
中身は見た目通りとも限らない。運命の人も、全く普通の人という事もあるかもしれない。そんな事にようやく気づく。不倫願望もロマンチック気分も消えてしまった。
夫が仕事から帰ってきたら、成一のカフェに行こう。一緒にバスクチーズケーキを食べよう。
こうして夫と二人で食べたバスクチーズケーキは、想像以上に甘かった。
加世子はこの時、はじめて結婚して幸せだったと思った。




