2014年のクロワッサンたい焼き
「ありのままで〜」
芽衣は仕事部屋で「レット・イット・ゴー」を口ずさんでいた。2013年のディズニーアニメ「アナと雪の女王」の主題歌だ。通称レリゴーだ。英語だとtの音はRの音になったり、脱落しやすいので、カタカナ語にするとレリゴーになりのだろう。パーティーもパーリィになるのは、この音声変化の為だった。芽衣は英会話教室で仕事もしているので、英語は好きだった。もっともトイックだけとり、実際にネイティブとの会話はそんなにしているわけではないが。
そんな芽衣のもう一つの仕事は、小説家だった。純文学やミステリーのような一般的な小説ではなく、ライトノベル作家だった。それも女性向けのライトノベルレーベルで書いていた。
このジャンルは男性向けライトノベルと違い、市場規模が小さい。人気があるジャンルも限られて、中華後宮、西洋ラブロマンス、平安溺愛ものぐらいしか売れない。少しでも売れる設定を外すと、全く売れない市場だった。
芽衣が書いているレーベルは、読み切り路線に変更し、中華、西洋、平安を延々とループしているような状況だった。新人も育たず、大きな失敗もないが、大きなヒットもないような状況だった。
芽衣の作家としての立ち位置もそんな感じで、中華、西洋、平安をずっとループすている状況だった。それでも今は出版不況で、本を出せるだけでも有り難いと思うべきか。
「ありのままで〜」
大好きなレリゴーを歌いながら、仕事部部屋のパソコンへ向かう。歌詞は「ありのままで〜」とあるが、芽衣の仕事状況はそうも言ってられない。小説の仕事に他の仕事もしているので、とりあえず生活の心配はないが、このままずっと中華、西洋、平安に無限ループをやっているわけにも行かない。年齢も三十を過ぎ、婚期も逃しつつある。このままずっと同じような作品を書いているのも、何か違う気がしていた。
担当編集者によると、最近は「小説家なろう」などネット初に作品も無視できない状況らしい。少し前は、ネット小説というと携帯小説の亜流のような立ち位置で、少し下に見られていたが、今ではそうでもないらしい。もうネットで人気があるものは、ある程度結果出ているので、そこから書籍化のオファーをした方が、色々とコストもカットできる。出版不況の今となっては、ネットから人気作品を拾い上げた方がコスパが良い面が強いらしかった。
芽衣はネット出身ではなく、投稿作が受賞してレーベルでか書いているタイプの作家だったが。その話は興味があった。もしかしたら、ネットの方が自由に書けるんじゃないかと思ったりもする。もっともどこも厳しい世界である事は承知しているが、ずっと中華、西洋、平安を繰り返しているのも違う気がした。
「ありのままで……」
この曲は大好きだが、今はそんな気分でも無くなり、歌うのは辞める事にした。
仕事部屋の本棚には自作の献本だけでなく「マリア様がみてる」や「伯爵と妖精」などの少女小説の名作が全巻揃っていた。受賞直後は、こんな作品のような書き手になりたいと希望で胸がいっぱいだった。
でも今は……。
中華、西洋、平安を延々と繰り返し、だんだんと売り上げも下がっていた。このままだとネット小説に負けるだろう。ちらっと各種投稿サイトを覗いてみたが、食文化が貧しい異世界で日本食を広めるような作品が流行っているようだ。確かに今は安倍総理が「強い日本」を目指す内閣を立ち上げ、メディアでも「日本すごい」という主張のものが多い。確かに異世界で日本食を広めるのは、そんな流行とも合っている。ちなみに戦前も似たような「日本すごい」というメディアが多かったので、芽衣はあまり興味はなかったが。
いっそ自分もそんなネット小説を書くべきか。そんな事を考えている時だった。担当編集者から電話がかかってきた。いつもはメールのやり取りが多く、電話がかかってくるとは珍しい。そして編集者の声も沈んでいた。
「え、どうされたんですか?」
「実は……」
我が耳を疑った。芽衣が書いているレーベルが、出版社の方針により、終了する事が決定してしまった。次は、ライト文芸レーベルを立ち上げるらしいが。ライト文芸とは、大人の少女小説のような立ち位置で、比較的自由度は高い。代表的な作品は「ビブリア古書堂の事件手帖」で2012年ごろから盛り上がっているジャンルでもあった。ネット小説も盛り上がっていたが、こちらも注目されているジャンルだった。
芽衣もこの新しいレーベルで書く事が決まり、さっそく担当編集者との打ち合わせも決まったが、書いていたレーベルは終わってしまったショックは大きかった。色々と疑問い思いつつも愛着はあった。同時に「マリア様がみてる」のような憧れの少女小説作品を書く機会も失われたと気づき、夢も壊れてしまったようだった。
そういえば先輩作家は、何度もレーべル終了の憂き目にあい、安易に専業作家になるなとアドバイスくれていたっけ。
改めて自分のしている仕事の不安定さも実感し、「ありのままで〜」と歌う気分にはなれなかった。
そんなショックを抱えていた芽衣だったが腹は減る。さっそくライト文芸レーベルの人気作品を電子書籍で買い、売れ線の研究を始めたが、少女小説と違う市場規模のせいなのか売れるものの傾向に統一感もなく、頭を使った。人気作品はライトミステリ、ご当地もの、八百万の神やあやかしにまつわる和風ファンタジーの三つに分類されるが、時々社畜をテーマにしたものや恋愛ものもヒット作が出ていて、いまいち傾向が掴めなかった。
こうして頭を使った芽衣は、異様に糖分が欲しくなり、近所のたい焼き屋へ向かった。住宅街にあるたい焼き屋で、今はクロワッサンたい焼きというニュータイプのものが人気だった。生地が普通の小麦粉のものではなく、クロワッサン生地でできているたい焼きだった。店長の果穂という女性賀生み出したものかは定かではないが、パリパリとした生地やバターの匂いが香る新しいタイプのたい焼きだった。
夕方に行ったせいか、店に前は女子高生が並んでいた。最近の女子高生は靴下が短くなっているのが気になる。芽衣はルーズソックスからハイソックスへの過渡期の時代に女子高生をやっていたので、そこだけでも時代の変化を感じる。
昔より女子高生はだいぶナチュラルになっているようだ。眉毛も太めで黒髪も多い。カバンにはアニメキャラのマスコットをつけているものもいた。少し前はヲタクは極力グッズを隠していたものだが、今はそうでも無いようだった。2010年ぐらいから推しという言葉が一般的になり、ヲタクも市民権を得たようだ。
時代は変わっている。女子高生の変化を一つとってもそうだ。いつまでも同じ事を繰り返している芽衣の作品も売り上げジワジワ下がっていたのも思い出す。レーベルが終わる事も、正しい時代の流れだと実感してしまった。
列が進み、カウンターにいる店長・果穂に声をかけた。もうこの店には何度も通っているので果穂とは顔見知りだった。年齢は40代半ばぐらいだが、アイジアンティストのちょっと派手な格好の女性で、明るく気さくだ。このたい焼き屋の外貨もチョコレートカラーとミントグリーンでまとめられ、地味ではない。看板にはたい焼きのキャラクターも描かれ、お祭りムードもある。
「芽衣さんじゃないですか? 仕事?」
「ええ。片手で食べられるたい焼きって物書きには最高ですよ。クロワッサンたい焼き、一箱ぶんくれます?」
「わあ、いっぱい食べるねぇ」
「ええ。書いてる時は糖分が切れて大変です」
会話しつつも果穂は手を動かし、クロワッサンたい焼きを焼いていった。パリパリの皮付き、バターの良い香り、芽衣は思わず唾を飲み込んだ。この瞬間だけは、仕事の事は全て忘れていた。
こうして焼きたてのクロワッサンたい焼きを購入すると、隣のイートインスペースに向かった。ベンチが一つだけ置いてある簡素なスペースだが、この香りには逆らえなかった。箱はまだ温かく、焼きたてを齧り付きたい衝動に負けていた。
「あ、成一さんじゃないですか」
ベンチのは、一人先客が座っていた。このたい焼き屋に常連客で、顔見知りだった。名前は平野成一。成一は普段はカフェ店長をやっているらしいが、暇な時はこのたい焼き屋に来ているようで、時々会う事があった。
年齢は五十代半ばぐらいにおじさんだ。髪の毛は白髪があるが、客商売をやっているせいか、清潔感があった。おじさんらしい嫌らしさは全くなく、むしろ癒し系だ。おっとりとした羊を連想させるルックスだった。果穂は成一の事を「色気のない眠そうな真田広之」と言っていたが、確かに角度によってはそう見える事もあった。
「芽衣さん、こんにちは」
「こんにちは」
こうして芽衣は成一の隣に座り、一緒にクロワッサンたい焼きを食べた。成一は近くのコンビニでコーヒーを買って飲んでいた。去年あたりからコンビニコーヒーはブームで、どこのコーヒーが一番美味しいか熱っぽく語っていた。
焼きたてのクロワッサンたい焼きは、別次元の美味しさだった。皮はパリパリで、空きっ腹にあっという間に吸収されていく。餡子とクロワッサン生地は意外にもベストマッチしている。
「美味しい」
「うん、美味しいねぇ」
成一とはしばし、ほっこりとした時間を過ごした。「美味しい」以外の言葉は何一つ思い浮かばない。
「なんか仕事で落ち込んでいたけど、元気が出てきた」
「そうですか。果穂さんのクロワッサンたい焼きは絶品ですからね」
「ええ。それにしても日本人は魚の形のお菓子なんてよく思いついたわね」
時流に流されて「日本すごい」と言いたくなる。そう言ったメディアは興味はなかったのに、このたい焼きについては、素直にそう思ってしまった。もちろん、政治の不備などは色々あるが、今、芽衣が海外に行って幸せになる未来も想像できかかった。
「大丈夫。どんなに大変な事も、甘いものが側にあれば、大抵は乗り越えられますよ」
まるで成一は芽衣の気持ちを見透かしたかのように励ましてきた。穏やか笑顔を見ていると、そうかもしれないと思えてきた。
「そう?」
「ええ。きっと大丈夫です」
そうかもしれない。
現状、仕事はどうなるかわからない。もう少女小説を書く夢は失われてしまった。
それでも、大丈夫のような気がしてきた。自分に希望通りになる事が、夢をか叶える事ではないのかもしれない。読者に一行でも喜んでもらえたら、それで良いのかもしれない。
「ありがとう、頑張ってみるよ」
芽衣は再びクロワッサンたい焼きに齧り付いた。




