2012年のパンケーキ
「先輩って真面目でしっかりものでね」
ここは、とあるキリスト教系の高校だった。その中でも部室がある部屋を掃除していた。
原田葵、17歳。
この部室、聖書研究会の副部長をやっていた。今日は部室の本棚や床を掃除する。この部活の本棚は分厚い聖書ばかり入っている。
去年、2011年の地震の時は本棚の中見が全部出てしまった。震源地から離れた千葉にあるこの高校でも、かなり揺れた。その後も計画停電があったり落ち着かなく、2012年に入ってようやく日常を取り戻しつつあった。
今は2012年の秋で、地震から一年以上がたってるが、この本棚を見ていると、やっぱり少し怖い。大きな被害があったわけでもない葵でもそう思う。地震は想像以上に人にトラウマを与えるようだ。
よく海外の人が「ツナミ」と言っていたりするが、葵には全くわからない。そんな所が真面目でしっかり者と思われるのだろうが、事実そうだから仕方ない。
「そんな事ないって」
「いえいえ、先輩は真面目ですよ」
後輩の未華子は、調子がいい。葵とは全く逆のタイプだが、クリスチャンでもあり、聖書研究会に属していた。一応キリスト教系の学校だが、実際にクリスチャンというのは、少ない。かくいう葵も親がクリスチャンだから、何となくそうなった面も大きいのだが。
「ところで先輩、駅前のカフェに一緒にいきません?」
「カフェ?」
未華子に誘われた。
葵はカフェなどは、さほど好きではないが、誘われたら普通に行く。どうせ礼拝にある日曜日以外は暇だし。
「いいけど?」
「やった!」
土曜日に未華子とカフェに行くことに決まってしまった。駅前にあるカフェでおしゃれなパンケーキが食べられるらしい。未華子によるとこんもりとクリームが載ったハイカロリーなパンケーキらしい。
去年、震災があったせいか、スイーツもハイカロリーで派手なものも流行っているらしい。癒されたいのだろう。葵だってその気持ちはわかる。
「じゃあ、来週の土曜日ね」
「うん、先輩楽しみにしてて」
「美加子は宿題ちゃんと終わらせるのよ」
「えー、バレた! テヘペロ!」
美加子はそんな冗談も言っていた。うっかりした時に「テヘペロ」というのが流行っているようだが、どうもそんな流行には、乗りにくかった。
震災の影響かわからないが、女子力や可愛いといったものも流行っている気がする。特に女子高生は、より「可愛い」を要求されてる気がする。
葵はルックスもいかにも優等生。可愛いというのが、よくわからないというのが、現状だった。
「テヘペロ」もわからない。
もっとも1990年代の女子高生はもっとトレンドの主役というか、現役って感じだったが、今はそうでも無い。だんだんと女子高生もナチュラル路線になりそうだとは思う。
むしろそうなって欲しいが、そうなる時は、自分はもう卒業している気がした。少女漫画も「君に届け」のようなピュアなのが可愛いと思う。「NANA」も好きだが、葵にとっては別世界のファンタジーだ。まず、周囲に「NANA」のようなロックバンドはいないし。昔はヲタクも差別対象だったが、2005年の「電車男」がきっかけとなり認知が進み、2010年頃のAKB48のブームで「推し」という言葉が一般化。今は何かのヲタクであっても露骨に差別などはされない。
この学校は一応キリスト教系列という事もあり、「マリア様が見てる」もこの部室の本棚に入っている。この作品はキリスト教系列の学校が舞台の少女小説でアニメ化もされている。リアルと違う事ももちろん多いが、面白い。
人気は下火になってるが、ケータイ小説にはついていけない。ネットの投稿サイトで書かれた小説もあるようで、葵はあんまりピンとこなかったが、今後はこちらが主流になっていく予感もする。
こうして美加子と約束した後は、部室の掃除を終わらせ、家に帰った。
「おかえり、葵」
今日は珍しく母が早く帰ってきたようだ。普段は仕事をしていて夜に帰ってくる事が多い。父も仕事で忙しく、今はほとんど家に帰って来れない状態だった。地震があった去年もずっと仕事をしていたし、仕方ないのだろう。
「ただいま」
「もう、手を洗って夕ご飯にしましょ」
「うん」
こうして二人で食卓につき、ご飯を食べた。今日のご飯は、豆苗と卵の炒めもの、ご飯、味噌汁。
どれも母がこだわって集めたオーガニック素材のものだ。去年の震災があってから、母は食べ物に神経質になっていた。放射能が測定できる機械や電磁波カットができるアクセサリーなんかも持っている。見た目は真面目な公務員な母だが、やや偏っている所がある事は否定できない。今も時々反原発のデモも行っているようだった。去年の夏は、アンチ韓国の人達とデモ活動も行っていたし、葵にはついていけない所があった。
食卓の近くにあるテレビでは、女性の働き方のニュースを伝えていた。今は震災の影響もあり、景気も悪いそうだ。働く女性自体は増えているが、正社員の数も少ない事も問題として挙げられていた。
「葵も非正規なて言わずに、ちゃんと正社員か公務員になりなさいね」
母はちくっと釘を刺して来た。
「女は結婚して幸せになれるわけじゃない。可愛いだけでは幸せになれないの」
まるで呪いの言葉で、葵の体は強張ってしまった。
「でも、お母さん。『置かれた場所で咲きなさい』って本が流行ってるよ。結婚が向いてる人もいるんじゃない?」
その本の内容はよく知らないけれど。
「よそはよそ、うちはうち。私や葵みたいな人は、きちんと真面目に働いて安定するのがいいの」
でも地震なんてきたら、一発じゃない。
そう喉元まで出ていたが、やめた。
真面目でしっかり者に見られ葵だったが、去年の地震の事を思い出すと、なんとも言えん虚無感があった。自分のやっている事は全て無駄になろそうな恐怖みたいなものが、いつも付き纏っていたと思う。時々、真面目でいるのも息苦しく、母の言うような生き方が正しいのかも断言できなかった。
あの人気本のタイトルのように、置かれた場所で咲くのが一番良いんじゃないかとも思ったりする。まあ、何が正解かはわからないが、去年からずっと先行き不安のような気分になっていた。
そうは言っても母に反抗などは出来ず、土曜日になった。母はデモ活動に出かけて行き、葵は未華子との的合わせ場所に向かう。待ち合わせ場所は最寄りの駅だった。
休日だけあり、人も多かった。この駅は田舎でも都会でもない所だが、商業施設も多く出来ているので、カップルや親子連れなども多くいる。
小学生ぐらいの子供たちも、しっかりメイクすている。アイドルのようなツインテイルが可愛らしい。テレビで見たAKBの誰かも似たような髪型をしていたのを思い出す。
そんな事を考えながら待つが、未華子が現れない。心配になって連絡してみたら、ドタキャンされた。急に行きたくなくなったんだそう。
「何それ……」
思わず不満が漏れる。
「テヘペロ」
いやいや、ここでテヘペロって言うのはアリ?
思わず真面目モードで注意しよと思ったが、電話を切られてしまった。
「はぁー」
ため息しか出ない。一つ下といえども後輩は何を考えているかわからない。むしろ、真面目すぎる自分が悪いのではないかとも思えてくる。
置かれた場所で咲きなさい。
読んだ事もないタイトルの本だが、また思い出してしまう。このまま真面目なしっかり者でいればいいのか、それとも自由に生きればいいのか、さっぱりわからない。
どっちを選んでも地震が来たら終わり。それもまた、葵を虚しくさせた。
「しかし腹減った」
そうは言っても生理現象には逆らえない。お腹が減ってきた。適当なところで食事をするため、駅から出ることにした。
確か駅のそばの裏道のは、ラーメン屋とか弁当屋があった記憶がある。今は何となくカロリー高めなものは食べたくなってしまった。
ラーメン屋や弁当屋は、定休日だった。他の定食屋も満員で入れない。となると、消去方で奥にあるカフェしかない。行った事ないカフェだが、空腹には勝てなかった。
白い外観のカフェだった。こじんまりとしていて、大きくはないが、悪くはなさそう。店の前にある黒板式の看板では、パンケーキがお勧めらしい。カフェ・未来というお店らしい。
そう言えばパンケーキは、未華子と一緒に食べるはずだった。オシャレなパンケーキのカフェで。
そう思うとちょっと悔しく、このカフェで食べたくなってしまった。
「いらっしゃいませ」
カフェの扉を開くと、店員に迎えられた。おそらく店長だ。少し白髪のあるおじさん。葵の父親と同じぐらいに見えたが、職業柄、笑顔が多く、動きもスマートだ。
カウンター席に案内さて、メニューと水をもらう。
四人がけのテーブル席では、主婦らしい集団が大声で話していたる。放射能がどうこうとか……。母と同じようなタイプの集団にびくっとするが、その分、ここの料理は安全かもしれない。もっとも母のように偏っている人の意見は信用できないが。
カフェの店内は黄色い壁紙が鮮やかで、観葉植物や花も多い。窓も大きく光も差し込み、明るい雰囲気だ。テーブル席の客の声を無視すれば、たぶん悪くはない。
店長はカウンターの方で何か本を読んでいた。「ビブリア古書堂の事件手帖」だった。
「最近、こういうライトミステリが流行ってるんですよ」
「へえ」
店長は意外と流行り物好きらしい。
「うちみたいなカフェが舞台のミステリもあると良いですけどね。海外のコージーミステリでは多いですが、日本ではマイナージャンルなんですよね」
「へえ。カフェが舞台のミステリなんて珍しいですね。あ、パンケーキ注文できますか?あとアイスミルクティー」
「かしこまりました!」
本を読み、ゆるい雰囲気を醸し出していた店長だったが、すぐに厨房の方へ行ってしまった。
「はぁ」
なかなか居心地のいいカフェで、気分が良い。
確かに放射能云々の主婦たちの声は不快だが、ここにいると、母のこととか、真面目に生きて、正社員になる事とか、置かれた場所で咲く事とかどうでも良くなってきた。
きっと、なるようにしかならないのだろう。それに未華子のように自由に振る舞っても良い気がしてきた。「テヘペロ」なんて言いたくないが、どうせ地震が来たら、全部リセットされる。明日、自分が生きている保証もない。
「どうせこの世は終わるわ」
「そう、アセンションがきて……」
そんな葵の気持ちを見透かすように、主婦たちの声も聞こえていた。
「お待たせしました」
ちょうどそこに店長が、パンケーキとミルクティーを持ってきた。
「うそ」
思わずそう言ってしまうぐらい、派手なパンケーキだった。こんもりとクリームが盛られ、その上にはカラースプレーチョコとチェリーが盛ってある。パンケーキ自体も分厚く、クッションのようにフカフカだった。メニューにあるイラストが詐欺に見えるぐらい派手だった。「可愛い」という言葉を食べ物にしたら、こんなパンケーキになりそう。ふんわりと良い香りもする。
「最近、パンケーキ屋もいっぱいありますから。うちも負けてられないです」
店長はニコっと笑顔を見せた。
「そうですね」
「それに辛いことがあった後は、甘いもので癒されるのが一番です。今年は甘々なパンケーキでいきましょう」
なんだか、店長に励まされてしまった。確かに今年は、甘くて可愛いものがいい。そんな気がした。
実際、このパンケーキを食べていると、自分の今の気持ちも癒されてきた。
別に置かれた場所でも、そうで無くても良いのかも。
真面目じゃなくても、真面目でも良いのかも。
正社員でも非正規でも良いのかも。
地震の前では人間は非力だ。大きな自然災害に前では、何もできない。未来だってわからない。何の保証も無い。
だったら、もう少し肩の力を抜き、可愛いくて甘いものを求めたっていいのだろう。
このパンケーキを食べていると、今まで縛っていたものが溶けていった。




