秤のない揺らぐ天秤
小雨が降る梅雨の午前中、入院している母に会いに行った。
「あら、珍しい。お小遣いでも貰いに来たの?」
「違うよ」
母は微笑みながら言う。
「冗談よ。来てくれてありがとう」
「経過はどうなの?」
母は笑う。
「担当医から聞いているでしょ?自分の身体だから嘘つかれても分かるよ」
「余命はもって一年なんだね」
母は俯く。
「まぁ、天国にいるお父さんに会えると思えばね」
「天国に行ければね」
母は嘆息する。
「淳史からでしょ?」
「うん。一年待てないみたい、会社が大変で」
母は苦笑する。
「だからって、母親の生命保険を充てにするなんてね、酷い子だよ」
「その子供を殺そうとした母親が言ってもね」
母は肩を落とす。
「色々あったんだよ、でも殺そうとしたアンタに殺されるなんてね」
「まだ引き受けてはいないよ。仲介業者には保留にしてもらっているから」
母は驚く。
「アンタがお父さんと同じ仕事を選んだ時も思ったけど、やっぱり向いていないね」
「父さんじゃなくて、母さんと同じ仕事を選んだんだ」
母は無表情になる。
「何を言っているの?知っているでしょ、お父さんの仕事はー」
「父さんはただのサラリーマンだったのに。母さんを庇って殺されたんだよ」
母は再び笑う。
「だから何を・・・、」
「全部知っている。母さんの狙い通りに、父さんは母さんの仕事を知り、全部自分の仕業にして殺された。兄さんは、母さんに殺されそうになった幼い僕を必死に守ってくれた」
兄は父が事故死ではないこと、母の仕事や、僕が母と同じ仕事に就いているなど、想像もしていないだろう。
仲介業者からの連絡で、対象者が母であることには何も思わなかったが、依頼人が兄であることには心底驚いた。
母に背を向け、窓から外を眺めると雨は本降りになってきた。僕は一体、何を迷っているんだろう?
扉がノックされ、看護士が母のバイタル測定に来たことを伝える。良かったですね、息子さんがお見舞いに来てくれて、看護士はそう言いながら、僕との距離を測っている様子だ。
業種に関わらずこの病院の全職員は、顔も名前も全て把握しているがこの看護士は知らない。
ええ、本当にと、母が答える。
僕に手をかけようとした、あの日と同じ笑顔で。