婚約破棄宣言!? 馬鹿っ 両家で婚約解消の発表時期と文言を調整中でしょ!!
「ルーシャ・リドホルム! 貴様との婚約を破棄する!!」
大理石で作られた優美なホールに大きな声が響いた。
ルーシャ・リドホルムは私の名前だ。
そして、今声を張り上げた金髪碧眼の美青年はこの国の第一王子、スヴェン・ミュルダール殿下である。
多くの貴族が集まる夜会の会場で「みな! 聞いてくれ! 重大な話だ」と声を張り上げ、注目を集めた上での発言だった。
貴族の目は私とスヴェン王子に集まっている。
リドホルム公爵家の長女である私は、王位継承順位第一位のスヴェン王子と婚約関係だった。
何故か王子は一人の少女の肩を抱いている。彼女はシルヴィア・オルソン、子爵家の令嬢だ。ストロベリーブロンドのふわりとした髪に、クリっとしたブラウンの瞳で、私から見ても可愛らしい外見をしている。小柄で、でも胸は大きく、一部の男性からは大人気だ。今日の水色のドレスも『デコルテを強調』を超えて『胸見て! どーん!』って感じ。
何を言われているのか、理解が追いつかず私は固まってしまう。硬直する私を尻目に王子の言葉は続く。
「ルーシャ、お前のような女は俺の妻、ひいてはこの国の未来の王妃に全く相応しくない! 王妃にはこのシルヴィアのような美しく慈愛に満ちた女性が相応しい!」
段々と頭が動き出し、王子の吐く謎の音声を言語として解析できるようになってくる。
つまり、私は多くの貴族の面前で本人から婚約破棄を宣言されている? いや、そんな馬鹿なことがある筈が……そんな馬鹿なこと起きてるね、これ。
婚約を破棄する。そのこと自体は問題ない。いや、問題なくはないのだが、王家と公爵家で既に婚約の解消は合意済みである。
だが、婚約の解消はまだ一切公表されていない。
どのタイミングで、どのような理由付けで、どのような文言で発表するか、現在両家の役人たちが必死に検討中である。少しでも国へのダメージが少なくなるように、本当に苦労して、頭を悩ませている。
うちの文官のアントンなんて昨日は奥さんとの結婚記念日だったのに『諸侯の不安に鑑み』と『一部不安を感ずる者に配慮し』のどちらが良いかの検討が徹夜で行われて、家に帰れなかったのだ。
それでも彼は「国の為です。妻も分かってくれます」とやつれた顔で言って、そのまま今日の仕事に突入した。
王家側の役人たちも同じか、それ以上に酷い状況になっている。
両家の文官達は必死に嘘を考え続けた。口裏を合わせてくれる協力者の勧誘も進めていた。華のある仕事じゃない。地味で、惨めで、虚しい仕事だ。それでも頑張ってくれていた。
そんな、皆の努力は今、泥水で流された。
どうしよう。ここからどうフォローしたら良い? 何も思い付かない。
なのに、王子は勝ち誇ったように笑い、言葉を続ける。
「王妃とは次の王の母、国の母とも言える存在だ。いかに相手が帝国人とはいえ屍の山を築いてきたお前がその立場になろうなどと、図々しいにも程がある。血塗られた魔女め!!」
再び私の脳が凍り付く。罵られるのは嫌だが、それ以上に理解を超えている。
2年前、私たちのミュルダール王国は隣接するサルナーヴ帝国から侵略を受けた。一方的に領土の大半の割譲を要求されたのだ。
拒絶の返事さえする前に帝国軍は国境を越え、町や村が次々に蹂躙された。
帝国軍と王国軍の戦力の差は歴然だった。王国諸侯の軍を集めても帝国軍の5分の1がやっと。勝ち目はなかった。
王子の言葉は続く。
「何だったか? 理外何とか魔法の破壊なんとか術などと、おぞましい技を」
「外理魔法による崩壊術式ですね」
混乱しているせいか、そんな所だけは半ば無意識に突っ込みを入れた。
帝国にも一つ致命的な誤算があった。回復魔法を探求していたリドホルム公爵家の長女、つまりは私が外理魔法と呼ばれる神域の技に辿り着いていたのだ。
回復魔法も攻撃魔法も技術は同じ。史上9人目の外理到達者である私は、不本意ながら国王の命令で戦場に赴かざるを得なかった。私は叔母の目を治す為に魔法を習得しただけなのに。
つまりだ。こいつは国王の命令で王家に代わって国を守った私を、魔女呼ばわりしているのだ。
失礼などというレベルではない。
それに屍の山と言うが、死者を最小化するように私と公爵家の家臣たちは頑張った。崩壊術式も人には使ってない。結果として国と国の全面衝突とは思えない程の非常に少ない死者で帝国を撤退させている。
まぁ、地形は変わったけどね。
「何でも良いわ! その力どうやって手にしたのだ。悪魔の尻でも舐めたか」
暴言が続く。
ホールの貴族達は半分は青い顔をし、半分は遠くを見つめている。
私はどっちだろうか。自分ではよく分からない。たぶん遠い目のグループかな?
ああ、全部だめになった訳だし、今夜は文官たちを寝かせてあげたいな。でも無理かな? 状況が大幅に悪化したんだものね。ふふふ。
頭の中で状況を整理してみよう。
そもそもの問題の発端は、帝国のせいで私が外理魔法の使い手であると公にせざるを得なかったことだ。
公爵家も私も、スヴェン王子と婚約なんて望んでいなかった。
しかし、私個人が巨大な"力"として国内外に認識されてしまった。
私が王家以外の家に嫁ぐとその瞬間に嫁ぎ先の家は王家を遥かに上回る”実力”を有する事になってしまう。王権は極めて不安定になり、他国の工作なども活発化するだろう。
王国を揺るがせない為には、私に王家に嫁いで貰うしかない。
そうして王家が公爵家に乞う形で結ばれたのが私とスヴェン王子の婚約なのだ。
だが、その婚約について最近になってスヴェン王子が文句を言い出した。
その理由はたった今見当が付いた。恐らくシルヴィア・オルソンだろう。王子は私よりアレが良かった訳だ。
そして、色々と文句を付けても国王が婚約解消に動かないものだから「あんな恐ろしい女じゃ夜の生活無理だね。子供できないぞ」と脅し出したのだ。
それを知ったうちの父は流石に激怒、国王側も次世代が生まれないのは困るし、このまま進めるのは却って国を乱すと諦めた。
両家は婚約の解消で合意し、婚約解消のダメージをコントロールするために動き出したのだ。王家が強大になり過ぎることを諸侯が懸念、それに配慮して婚約解消という筋書で、何とか平穏に済ませようとしていた。
ふふふっ、ダメージの前に王子コントロールしなきゃだったね。
「それに加えて、お前は美しいシルヴィアに嫉妬し数々の嫌がらせをした! なんと心の醜い女だ!!」
へ? あれ? 何か言われた。
言葉を反芻、よし、言語としては理解できた。
まず容姿でシルヴィアに負けているとは思わない。癖のない金色の髪に大きな青い瞳、自分で言うのも何だが美人の部類に入ると思う。
髪は夕陽に輝く麦畑のようだとか、瞳は篝火が照らす蒼玉のようだとか、言われるぐらいだ。お世辞かもしれないけど。
そして、何だ? 嫌がらせって?
「身に覚えがありませんが……」
そこで初めてシルヴィアが口を開いた。
「酷い! 服を汚したり、階段から突き落したり、挙げ句には飲み物に薬まで入れたじゃないですか」
事実無根である。
そしてこれはマズい。とても悪い。
「シルヴィアさん。よく聞いて下さい。私は全く身に覚えがありません。何かの勘違いでは?」
ゆっくりと諭すように言う。
「酷いっ! 王子様っ私は嘘なんて付いてません!」
「おいルーシャ! この期に及んで言い逃れをするか! 俺はこのシルヴィアを王妃にするつもりだ。今すぐ土下座して謝れば斬首は許してやるぞ?」
駄目だ、言葉が通じない。
「シルヴィアさん、最後にもう一度だけ、今撤回すれば私は貴方を擁護します。真実を語って下さい」
祈るような気持ちで私は言った。だがーー
「嘘つきは貴方です! この魔女!」
駄目だ。
こんな杜撰な言い掛かり、調べればすぐに嘘だと分かる。
子爵家の娘が虚偽の犯罪で公爵家の令嬢を告発した。しかも暴言のオマケ付き。
これは彼女の斬首だけでは済まない。処罰は族滅である。シルヴィアにはまだ小さい弟がいた筈だ。教育に失敗した両親はともかく、何の罪もない子供まで斬首されるのは何とか避けたい。
しかし、こうなると難しい。
例えば、どこかの平民が突然私に抱きつき胸を揉んだとしよう。その場合には当人だけの処罰で済むし、私が減刑を認めれば温情ある処置もあり得る。例え相手が公爵令嬢でも単に個人に対する犯罪だからだ。
しかし、今回の虚偽告発は国の司法制度を悪用し、公爵家を攻撃する行為と見做される。これは国家秩序に対する罪になり、私が減刑を願っても意味はない。
族滅は国家の敵を滅ぼし、国を守るという趣旨で定められているのだ。法的には内乱を起こした勢力への対処に類似する。
「残念です」
私は心からそう言った。
正直、もうどうして良いか分からない。
「疲れましたので、今日はお暇させて頂きます。皆様ご機嫌よう」
そう言って立ち去るのがやっとだった。
「お嬢様、お疲れ様です。どうぞ、馬車へ」
会場の隅で待機していたロランがサッと寄って来て上着をかけてくれる。彼は男爵家の3男で10年前から公爵家に仕えてくれている家臣だ。黒髪で中性的な顔立ち、年齢は私と同じ17歳である。
ロランの手のひらに赤く爪の跡が付いているのに気が付いた。怒りに拳を強く握りすぎたのだろう。私の為に怒ってくれる家臣がいるのはありがたい事だ。
うん、とにかく頑張ろう。
◇◇ ◆ ◇◇
公爵邸に戻り、少し休憩したあと私は父に報告に向かった。
父は執務室で机に向かっていた。
「お父様、ご報告したいことがあって参りました。何から言えばいいか分かりませんが――」
「大丈夫だ。先程ロランから状況は聞いた。全く、度し難い馬鹿だな」
報告は済んでいたようだ。素直にありがたい。あの暴言の数々は口に出すのも嫌だった。
「その、今後はどうしましょう」
「まずは早々に国王に方針を尋ねる。もし今日のアレが国王の同意の下行われたのであれば国を捨てるが、まぁそれはあるまい。まず確実にスヴェン王子の暴走だ」
「でしょうね。国王陛下はあそこまで馬鹿ではない筈です。では、私はひとまず動かずにいますね」
「ああ、なるべく屋敷からは出ないでくれ」
「承知しました。では少し文官たちの様子を見てきます。心配なので」
「分かった。彼らにも既に情報は共有されている。労ってやってくれ、何せ全てが水の泡だ」
私は父の部屋を出て、廊下を歩いて文官たちの執務室に向かう。最近ランプの油を大量に消費する困った部屋である。
ノックをして「ルーシャです。入りますね」と言ってドアを開ける。
中に入ると、みんな異常になっていた。
ある文官は天井をじーっと見つめる。ある者は青い顔でうなだれる。ある者は頭を抱えてユラユラ揺れている。昨日結婚記念日だったアントンは椅子に座ったまま石膏像のように硬直している。
文か~~~ん! 十人十色に魂抜けてるぅうう!
いつも無個性な文官たちが、今日はとても個性が出ていた。
「みなさん、気を確かに。今思い悩んでも仕方がないじゃないですか」
私も疲れては居るが、彼らの苦労はそれ以上だろう。何故なら少なくとも私は睡眠時間を削られていない。彼らは寝てない。
「お嬢様、お気遣いありがとうございます……」
アントンさんが唇を僅かに動かしてくれた。
「皆さん、寝ましょう。もう駄目です」
私の魔法は千切れた腕とかは普通に再生できる。でも脳の疲労や心の傷を癒すことは不可能だ。いや厳密にはできるのだが、記憶まで消えてしまうので、駄目なのだ。彼らには寝てもらうしかない。
「それが、どうも上手く眠れず……」
「カモミールティー淹れてきます」
使用人に淹れさせることもできるが、ここは自分でやるところだ。
問題です。婚約破棄を宣言され、冤罪を着せられて、家に帰った公爵令嬢は何をするでしょうか。
答え、文官にカモミールティーを淹れる。
難問だね、これ。
◇◇ ◆ ◇◇
「ひとまずスヴェン王子殿下は自室に押し込め、監視しています。シルヴィア・オルソンは拘束しています。オルソン家には兵を向かわせました。密かに包囲し監視します」
「うむ。初動はそれで良い。さて、どうしたものか……」
国王カルメロ・ミュルダールは呻くように言った。
会議室のテーブルを囲むのは国の重鎮達だ。皆一様に暗い表情をしている。
「まずスヴェンは何と言っている?」
王子に事情を聞いた女性高官が答える。
「その……シルヴィアのお披露目だ。もう婚約は破棄するのだから、良いじゃないか、と」
何がどう良いのだろう? 部屋の全員がそう思った。
「大失態という言葉すら生ぬるいかと存じます。解決は根本的でなくてはなりません。大臣として申し上げます。廃嫡は前提条件かと」
「……そうだな。まさかあそこまで馬鹿とは」
カルメロも既に廃嫡は決意している。息子を愛してはいたが、もはやどうにもならない。それにアレでは王にしても国ごと破滅するだけ、スヴェン自身も含めて誰も幸せにはならない。
「そうなると次の王はダニエル様ですね。ダニエル様に悪い噂はございません。王太子としての教育は受けておりませんが、そこは何とかなるでしょう」
カルメロの子に男はスヴェンだけだ。正妻と側室で合わせて子供は6人居るが、1男5女だった。
女王という手も考えられなくはないが、王配を誰にするかが難しい。甥のダニエルが順当だ。
「大筋はそれで行くとして、リドホルム公爵家にどう対応するか……。公爵は大らかで聡明な方です。無理は言って来ないかもしれませんが、国内の貴族が今回の件に衝撃を受けていることは想像に難くありません。何とか上手く解決しないと、ダニエル様まで国が持ちません」
「ひとまず、案を幾つか作らせましょう」
「そうだな。私も考えてみる。君らも部下に作らせる案とは別に、少し考えてみておいてくれ」
申し合わせたように全員で溜息をついて、会議は終わった。
だが夜はまだ続く。
今夜中に何か良い解決策を考えろ、という酷い命令がもうすぐ王家の文官たちに下されるのだ。
◇◇ ◆ ◇◇
翌朝、父は部下を引き連れ、王城に話し合いに向かった。私は留守番である。
さて、私には一つやらなくてはいけない事がある。まずは着替えだ。自室のクローゼットの奥から平民風の動きやすい服を取り出し、着替える。帝国との戦争中に着た服だ、少し懐かしい。
と、不意にドアがノックされた。部屋の外から「ロランです、よろしいでしょうか」と声がかかる。私は「どうぞ、入って」と返す。
優秀かつ誠実で父からの信頼も厚いロランは、私の許可があれば私の部屋に入れる。
私の服装を見て、ロランは”やっぱりなぁ”という風な表情を浮かべる。
「お嬢様、昨夜のうちにオルソン邸の間取り図を入手しておきました。以前屋敷で働いていた者の記憶から起こしたものなので完璧でない部分があるかもしれませんが、有用かと」
流石はロラン、私の事などお見通しか。昨夜姿が見えないと思っていたら、こんなものを準備していたとは。
「行くんですよね? シルヴィアの弟を救出しに。お供いたします」
言って、微笑むロラン。本当に得難い家臣だ。
やはり私は6歳の子供が首を落とされるのは容認できない。シルヴィア・オルソンの弟コニー・オルソンを密かに誘拐して保護する。
「ありがとう。じゃあお願いするね。手遅れになる前に急ごう」
私達はひっそりと公爵邸を出る。幸いオルソン邸は遠くない。街を歩く平民ですといった雰囲気を作り、徒歩で向かう。
「お嬢様、密談できるよう遮音をお願いしても宜しいでしょうか」
私はロランの言葉に「分かった」と小さく答えて、魔法を構築する。遮音魔法の見えない壁が周囲と私達を隔てる。街を満たす喧騒は全て消え、静寂が満ちる。
「ありがとうございます。オルソン邸の状況ですが、既に兵士に包囲されています。但し包囲に気付かれないように隠れているので、万全ではありません」
この人は一晩でどれだけ仕事をするのだろう。
「ロラン、相変わらず怖いぐらい優秀だね」
ロランは「いえいえ、滅相も」などと言うが、口角が少し上がっている。褒められて嬉しいのを誤魔化しきれていないのが、少し可愛い。
思えばロランにはお世話になってばかりだ。対帝国戦の時もロランは同行し、誰よりも必死に私を守ろうとしてくれた。
守ると言っても物理的な護衛ではない。外理魔法の使い手は無敵だ。不治の病を治し、肉体の欠損部位を再生し、都市を消滅させる。固定化術式を使えば傷も負わない。
帝国軍を倒すだけなら、何も難しいことはなかった。万物を魔素に還す崩壊術式は同じ外理魔法による術式干渉以外の如何なる手段でも防御できない。砂浜に指で描いた絵を寄せる波が消すように、軍団が消えて終わりだ。
彼は私が人を殺さなくて済むように、必死に動いてくれた。帝国軍の行軍を止め、王国に外理魔法使いがいることを確信させ、外理魔法使いに必要とあれば帝国軍を皆殺しにする意思があると思わせた。
ゼロとは行かなかったけど、これ以上少ない犠牲での解決はないと思える結果だった。
「ところで、コニー殿を確保した後は考えていますか?」
「状況次第だけど、族滅となった場合は記憶を消して公爵領の孤児院かなぁと」
公爵領であれば、孤児院はまともに運営されている。苦労はあるだろうが、そう酷く扱われることはない。
「了解しました。私もそれが無難だと思います。そろそろ警戒を」
通りの向こうにオルソン邸が見えてきた。
「本当だ、オルソン邸からは見えない位置に私服の兵士がチラホラいるね」
何も知らない人が通りかかっても、屋敷が包囲されているとは気付かないだろう。
「このまま通行人の振りをして西側に回りましょう」
オルソン邸は南に正面入口、北に裏口がある。そのため兵士の監視は南と北に集中している。加えて建物の配置と道の位置関係からして、西側は監視しにくい。潜入するならここだ。
オルソン邸の塀に沿って歩き、道を曲がる。やはり西側は監視がかなり緩い。街路樹で視界が制限される位置で私は魔法を発動する。オルソン邸の塀の一部を分解、できた穴をロランと2人で通り抜け、即座に分解した塀を再構築する。
オルソン邸敷地内に入り、周囲を確認する。特段監視はなさそうだ。オルソン家はさほど裕福ではない。警備を厳重にするだけの財力はないのだろう。
遮音魔法は継続しているので音を気にする必要はない。屋敷に向かって走り、ロランが壁の向こうに人の気配がないことを確認、塀と同じように分解・再構築で内部に突入する。
こちらは壁やドアに縛られず移動できる。一度使用人と鉢合わせしそうになったが、さっと壁を抜けて回避した。
ロランの用意してくれた屋敷間取り図は正確だった。苦労なくコニー・オルソンの寝室に辿り着く。彼はすやすやと寝息を立てていた。睡眠魔法で眠りを深くし、ロランが抱き抱えて離脱する。
何度か壁を抜け、最後に塀を抜けて、私達は誘拐に成功した。
◇◇ ◆ ◇◇
お父様が帰ってきて、私を呼んだ。執務室に入るとお父様は応接用のテーブルに座っていた。対面に座るように言われ、私は席につく。
「ルーシャ、婚約破棄騒動だが、今後の方向について概ね決まった。完璧には程遠いが、今の状況であれば止む無しと判断し、公爵家として受け入れた」
「はい。承知しました」
「まずスヴェン・ミュルダールは廃嫡される。今後は現王の甥であるダニエル・ミュルダールが王位継承権第1位となる」
やはりか。何にしても、もう彼が王になるのは不可能だ。あの愚行を多くの貴族に見せ付けては、誰も彼に従わない。
「そして、スヴェン王子はシルヴィア・オルソンに精神を蝕む薬を盛られていた事になった」
なるほど、そう来るか。全部オルソンが悪いを公式見解としつつ、スヴェン王子を完全に権力から排除する事で幕引きを図る方針だ。
「オルソン家は逆賊として族滅となる。弟は不憫だが仕方な……おい何故目を逸らす?」
「さて、逸らしたつもりは無かったので」
「はぁ……上手くやれよ」
お父様が仕方ないな、という風に肩をすくめる。
「何のことか分かりませんが、承知しました。上手くやります」
弟ことコニーはロランの部屋に保護中だ。間に合って良かった。
「そして、ここが重要だ。スヴェン王子は薬物の影響が深刻と診断された。ここに至っては重大な副作用を承知で外理魔法による治療を選択せざるを得ないと、国王陛下は判断された」
なるほど……
外理魔法による回復は分解−再構築という過程を伴う。そのため、脳に外理魔法の回復を行うと記憶が消える。
スヴェン王子は記憶を消されるという事だ。重い処分である。
「そこまで必要と?」
「ああ。国王陛下は苦しんだ上で決断された。私が提案した訳ではない」
恐らく、国王はスヴェン王子と直接話をしたのだろう。そこで王子は廃嫡とシルヴィア処刑という結論を断固受け入れなかったに違いない。
となれば、生涯厳重に監禁するか、殺すか、記憶を消すか、その3択にならざるを得なかった筈だ。
確かにその中ではマシだろう。
「分かりました。役目を果たします」
気は進まないが仕方ない。
「そして、オルソン家に非があるとはいえ、公爵家に暴言を吐いたことの代償として、王家直轄領のラウエが公爵家に渡される」
ラウエは公爵領に隣接する地域だ。狭いが、土地は肥沃で、交通面でも街道も河川も利用可能だ。良い領地と言える。
「良い土地ですが、唐突ですね」
「ああ。ここまでが公式の見解となる」
「他に何か?」
「お前の結婚の事だ」
それか……何か変な話になってないと良いけど。
「今回の騒動で王家の求心力は大きく低下している。お前が王家以外の家に嫁ぐのは元々不味かったが、状況はさらに逼迫した」
「でしょうね……」
しかし、どうするのだ? ダニエル殿下は既婚者だし。
「何処の誰と結婚しろと言った話ではない。ただ何処かの貴族家に嫁ぐのはまずい」
今一つ話の先が見えない。公爵家は兄が継ぐし。
ま、まさか、これは生涯独身ルートか?
「そこでだ。ルーシャ、お前にラウエを譲る。領地規模からして、子爵だな。結婚は、爵位を持つ者や爵位を継ぐ予定の者は避けてくれ」
なるほど。それで王家からラウエが割譲されるのか。
つまり、結婚相手は平民縛りと。公爵令嬢への扱いとしては酷い気もするが、諦めよう。嫌な相手と結婚させられる心配がないなら、及第点だ。
「承知いたしました、と返すしかないですね……」
「すまんな。お前には苦労ばかりかける」
「本当ですよ」
ため息を1つ。
こんな筋書では世間はすぐに嘘だと気付くだろう。しかし、だからこそ公爵家と王家がその"真実"で和解したことは伝わる。
全く、本当にギリギリである。
◇◇ ◆ ◇◇
私はロランの部屋を訪ねた。
「お嬢様、コニー殿はまだ眠っています。旦那様のお話はどうでしたか?」
「案の定、オルソンは族滅よ。可哀想だけど、記憶消去して孤児院ね」
「承知しました。孤児院の選定と輸送の手配は私がしておきます」
「ありがとう。記憶の消去は輸送直前に」
コニーくんには公爵家に監禁された記憶を持っていられる訳にはいかない。なので記憶消去のタイミングは自ずとそうなる。
「王子は廃嫡の上で記憶消去、オルソンは全ての罪を被らされるわ」
私はロランに王子とシルヴィアの処分の詳細を説明する。
「どうして、あんな事になったのかしらね?」
素朴な疑問として、私は呟く。半ば独り言で答えは期待してなかった。
「何となく、見当は付きます」
意外な事にロランがそう言った。
「見当?」
「はい。スヴェン王子はお嬢様と結婚したくなかった。その最大の理由はお嬢様がスヴェン王子と結婚なんてしたくなかったからです」
うん。それはそうだろう。私が望んだ訳でもスヴェン王子が望んだ訳でもない。
「シルヴィアさんは、本気でスヴェン王子が欲しかった。第一王子というラベルにしか興味がなかったとしても、それでもシルヴィアさんは本気だった」
「そうね。そういう意味ではスヴェン王子がシルヴィアに靡くのは、理解できるわ」
そこまでは分かる。が、そうであるなら、私とスヴェン王子の利害は一致している。寧ろ協力を求められてもおかしくない。
「お嬢様、なら自分とスヴェンは仲間じゃないかと思っていますね?」
「凄いね。流石、ロランは私に詳しい」
「たぶん、スヴェン王子も、シルヴィアさんも、そこまで頭が回らないのです。シルヴィアと結婚したいのにルーシャが邪魔だ。スヴェン王子と結婚したいのにルーシャが邪魔だ。そこで思考が終わっているのです。『いや、終わるなよ』って思いましたね?」
「心読まないでよ」
言って、私はくすくす笑う。
「で、婚約が解消されて『私達は勝った』と、敗残の邪魔者を殴りに行ったのです。たぶんですけど」
「なるほど……そうなのかもね」
もう少しマシに立ち回れば幾らでも幸せはあり得たろうに。
「そうそう、私は子爵だってさ」
ロランに『領地を貰って、結婚は平民縛り』という私の処遇を説明した。
「私もそれなりに難儀な人生でしょ」
苦笑いでもしてくれるかな、と思って言ったセリフに、しかしロランは思い詰めたような真剣な顔をしている。
どうしたのだろう。
数秒たって、ロランが私の目を真っ直ぐ見つめてくる。
「お嬢様、その……私では駄目でしょうか。結婚相手」
一瞬理解が追い付かない。
「お嬢様のこと、心からお慕いしております。貴方の夫にして下さいませんか」
なるほど。ロランは男爵家の3男で、兄は両方とも健康だ。家を継ぐ可能性はほぼない。ロランは条件を満たしている。
考えたこともなかった。
ロランの顔を見つめ返す。濡烏色の髪に、深く輝く瞳は月明かりで見る黒真珠のよう。長いまつ毛に、すっと通った鼻に綺麗な輪郭……
前から思っていたが、容姿は素晴らしい。
能力面ではお父様が家令候補としている程だ。頭の回転が早く、洞察力も高い。文句なしの優秀さである。
人格は穏やか、だが通すべきときは毅然と動く。頼りがいのある人だ。
あれ? 完璧ではないか?
ふむ。ロランと結婚か、結婚ってことは……
はう
つい夜の事に想像が及んでしまった。強烈なこそばゆさに、頭がカーッとなる。
まずい、たぶん今私の顔は真っ赤だ。
スヴェン王子と結婚と言われた時に『顔だけは良いから我慢するか』とため息をついたのとは、自分の心の反応が違い過ぎる。
「あの、お嬢様? 大丈夫ですか」
心配そうなロラン。何か言わないと。
「大丈夫じゃないけど、大丈夫」
「そ、そうですか」
さて、少し落ち着いた。言葉を返さなくては。何と言おう。ああ駄目だ。気の利いた言葉とか考える余裕はない。
「うん。結婚しよう」
何の飾りもなく、そう答えた。
◇◇ ◆ ◇◇
王城の廊下を私は進む。
国王と父、役人に護衛の騎士達もいるので、それなりの人数だ。足取り重く、無言でぞろぞろと、歩く。
気分は良くないが、私にしかできない仕事だ。
4人の兵士が厳重に守る扉の前に辿り着く。扉が開かれ、中に入る。
スヴェン王子はベットの上で眠っていた。事前に薬を嗅がされているので、起きることはあるまい。
「ルーシャ殿、お願いいたします」
私は「はい」と小さく頷き、スヴェン王子の頭部へと手を伸ばす。
顔は大分やつれている。起きている間は叫び続けているらしいから、疲れているのだろう。何を叫んでいるのか聞いたら「お知りにならない方が良いかと」と返された。まぁ私や国王への怨嗟なのだろう。
黄金をミルクで薄めたような、綺麗な髪をそっとかき分け、おでこに触れる。
シルヴィア・オルソンは昨日、斬首された。彼女の両親も同様だ。処刑は非公開でひっそりと行われた。もちろん私も見に行ってはいない。
魔法を行使する。一応これは治癒魔法だ。何もかも忘れてしまうが、心の傷も疲れも憎しみも、全てを流してくれる。
「さようなら、スヴェン王子」
顔だけは、嫌いじゃなかったよ。
仄かな光がスヴェン王子の頭を包む。
「つつがなく、終了しました」
言って国王陛下に頭を下げる。
さて、帰ってロランと結婚の準備に戻ろう。
異世界恋愛に初挑戦してみました。
拙いところもあると思いますので、色々ご指摘頂けると嬉しいです。
次に活かして、皆様に刺さるものを書けるように頑張ります。
異世界恋愛二本目書いてみました。ギャグよりです
読んで頂けたら嬉しいです↓
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