52話 心の痛み
「…え。」
「全く…一人で勝手に思い詰めて、鬱陶しいったらありゃしないわ。」
「ご、ごめんなさい…。そうよね、私なんていない方が…。」
アンゲリカの辛辣な言葉に、リリはまたしても落ち込んでしまう。
(そうよ…私なんてお荷物で、いたら困るのよね…。)
一方、目の前のネガティブなことばかり考え続けている魔族に、アンゲリカはもう一発頬を叩いてやりたい気持ちを、一生懸命落ち着けていた。
さすがに後一発入れたら、それこそ再起不能になるぐらい落ち込むんじゃないかと、そうアンゲリカは予想していた。
はぁ…、と短いため息をはくと、リリは分かり易いくらいに肩をビクッと震わせ、明らかに怯えていた。
「だから、そのネガティブな発想が鬱陶しいって言ってるのよ。」
「え…?わ、わた…私がいるのが、その…いや、なんじゃないの?」
「別に、あなたは私の命の恩人だし、それに…なんだか、放って置けないから。」
先程までの真剣で、いっそ冷たいと感じるまでの表情はなりを潜め、アンゲリカはリリに柔らかな微笑みを浮かべていた。
それは、まるで母が子を愛するかのような、慈しんで育てる際の顔そのものに見えた。
今世では母親のいないリリには、なんだかそれが懐かしく感じた。
もうほとんど、前世の記憶なんて残っていないはずなのに…。
「それで?一体なんでそんなに落ち込んでいるの?」
「わ…私、えっと…その…。」
「私の事なんか気にしなくていいから、胸の内にあるもの全部、吐き出しじゃえばいいじゃない。」
優しく、諭すようにリリに言葉を手渡すアンゲリカに、リリはここ最近、ずっと思い悩んでいた事を吐き出した。
「…自分の事ばっかり考えちゃって…偉くもないし、誰かのためになる事をたくさんしてきたわけでもないのに。」
「ゆっくりでいいんだよ。落ち着いて、自分のペースで話していいから、ね?」
リリの背中を優しく撫で、時にはポンポン、と軽く叩いてくれる。
泣き止まない赤子に接するのようなそれは、本来なら不敬罪に値するし、リリ自身も「私の事、馬鹿にしているのかしら?!」と、文句の一つや二つ、スラスラと出てきたはずだが…
「それに‥わ、私!お父様みたいな…あの人みたいな、自分本位の、最低な人になっちゃうんじゃないかって‥!すごく、心配で!」
「そっか…それであんなに思い悩んでいたのか。」
「あ、アルフの言ってたように、私なんて…自分のことしか考えてない最悪な人で…!」
「…いいかいリリ、今から私の言う事をよく聞くんだよ?」
落ち着いた、しかし凛と通る声で話始めたアンゲリカに、リリはコクコクと首を縦にふる。
すると、アンゲリカはたおやかな笑みを浮かべ「いい子だ。」と、リリが長年もらえなかった、欲しくて欲しくて仕方がなかった言葉を与えてくれた。
「リリ、あなたが自分の事…自分の身を守る方法だったり、自分の立場をもっとより良いものにしたいと思う気持ちは、別に悪いものじゃないんだ。」
「で、でも…」
「あぁ…リリは自分の父親みたいになりたくないから、だから保守的な事を考えないようにしていたんだっけ?」
リリが口を挟もうと声をかけるも、優しく、しかし口出しは許さない、そんな口調でアンゲリカはリリに話を振った。
リリはもう一度、首を上下に振って肯定の合図を示した。
「別にね、リリの考えてる事は『傲慢』でも『強欲』でもないんだ。それは至極当たり前の事…生きていく上で備わった、重要な生存本能の一部に過ぎないんだ。」
「せ、生存本能…。」
「そう。それに…リリが傲慢で強欲な魔族だって言うなら、私やライリー…アルフなんか、それ以上に無い物ねだりをしているよ。」
苦笑ぎみに笑うアンゲリカは、どこか美しかった。
あぁ…この人は、自分の弱みをさらけ出しながらも、たくましく生きているんだな…と、リリは素直に感じた。
「だからね、リリはもっと…もっと自分の欲しかったもの、これから欲しいものを言ってもいいんだよ。だって、あなたはずっと我慢してきたんでしょ?」
「我慢…?」
「そう、魔王の娘は生まれた時から自分の母親の顔を知らず、父親からも厳しくしつけられた…なんて、世間では言われてるけど、それ以上に辛かったんでしょ?」
「っ…辛かった。」
「うん。」
アンゲリカはただただ、リリの長年吐き出す事のできなかった気持ちを受け止めようと、リリの事を抱きしめた。
この世界に世を受けてから初めて、人肌に触れた…そんな気がした。
「誰も…誰も認めてくれなくって、お父様は、いつも厳しくて…」
「うん…。」
「ま、わりは…みんな私の、悪口言ってて…!」
「うん。」
「みんな、みんな「出来損ない」って言ってきて!私…私がんばったのに!」
「ええ、ええ、あなたはここまでよくがんばったわ。」
「うっ…うわぁぁぁん…!」
声こそ大きくなかったものの、数年ぶりに声を出しながら、リリはしばらく泣き続けた。
アンゲリカはじっと、リリの全身を覆うようにして抱きとめていてくれた。
(あぁ…こんなにも、こんなにも暖かい温もり…いつぶりかしら…。)
この暖かさをずっと感じていたい、もう…
(7つの原罪の事なんて…諦めてしまってもいい…。)
諦念のような言葉は、リリの中では美しく輝いていた。
そしてそのまま、夢すら見ないほど深い眠りにリリは誘われた。
『ようこそ。』
なんて言葉が聞こえた気がした。




