明智先生っ
中央線の四谷駅から徒歩3分、ファミリーレストランに隣接する10階建マンションの最上階の角部屋、そこが僕の仕事場…、つまりは売れっ子先生の執筆用の部屋だった。
「駅近だし、中々便利な場所だろう。」
「中も結構広めで、圧迫感は少ないと思うよ。職場環境としては、悪くないんじゃないかな。」
斎藤さんの説明は、正直僕には余り響かなかった。それは、他に知りたい事があったからだった。
何しろ斎藤さんは、ここに至って、まだ僕の師匠(?)となる漫画家の先生の名前を教えてくれなかったのだ。
「楽しみにとっておこう。」と言われてはいたが、正直なんの意味があるのか…と思った。
「さて、それではご対面。」
そう言って斎藤さんはインターホンを押した。
『はい、どちら……、あっ斎藤さん。お待ち下さい。』
モニター越しに来客者を確認したであろう、僕の先輩の足音が近づいて来て、扉は開かれ、僕らは中に招き入れられた。
僕の想定の2倍程、なかなかの広さの玄関だな…と思ったのと同時にその両サイドの下駄履の上に飾られているフィギュアが僕の目に飛び込んできた。
(このキャラクターは…)
「明智先生っ…ですか?」
問いかけに、斎藤さんからの返事はなく、振り向いた僕が見たのは、斎藤さんのしたり顔だった。
「なんだ、自分が仕える人が誰か聞いてないのか。」
「斎藤さんも斎藤さんなら、君も君だなぁ。」
先輩は、呆れていた。
(いやいや…明智秀樹と言ったら、いま日本で5本の指には入る人気漫画家だぞ。…何だ?これは現実…?)
斎藤さんの狙い通り(?)僕は内心パニックに落ち入っていた。ただ、少し悔しかったので、表面上はできる限り平静を装って見せた。
「あれっ、思ってたリアクションとなんか違うなぁ。」
そう言って、斎藤さんが僕の顔を覗き込んで来た。
「ちょっと…、驚きました。」
「ふーん。ちょっと…ねぇ。まあ、…いいか。」
斎藤さんはちょっと不満げだった。
「おーい、早く入って来いよ。」
部屋の奥から、部屋の主と思われるやや高めの男性の声がした。
僕らは既に用意されていたスリッパに履き替え、奥の作業室へ向かった。
「オッス、秀樹。」
「おう、吾郎。」
「ちわーっす!」
部屋の奥、窓側のデスクに明智先生はいた。
アップにした短髪に細面の顔、切れ長の目、白と黒のストライプのポロシャツを纏っていたその姿は、僕が抱いていた漫画家のイメージとはちょっと違い、スタイリッシュに映った。
そして、その手前の5つのデスクには先輩アシスタントと思われる3人の男性、1人の女性がおり…
その視線全てが、僕に向けられていた。
「彼か、お前が勧誘した新しい見習いってのは。」
「ああ、関君だ。ひとつ宜しく頼むよ。」
「あの…、関です。宜しくお願いします。」
緊張のせいで、声が上ずった。
「まあ、かしこまった挨拶はいいから、掛けなよ。」
先生の言葉を受け、右側の手前から2つ目のデスクにいた女性が、唯一空いていた一番手前のデスクの椅子を引き、僕に着席を促した。
「そうそう、いつまで立ってんの。座んなよ。」
声の出処の後ろを振り返ると、斎藤さんは既に自分専用(?)の木製の椅子に深々と腰掛け足を組んでいた。
(オイオイ…斎藤さん。…いや。吾郎さーん。)
「しかし。なんていうか…普通の大学生って感じだな。」
両手を頭の後ろで組み、上半身を反らして明智先生が呟いた。後に知ったのだが、この姿勢は先生のお得意のポーズらしい。
「ううん、逆に普通っぽいのがいいじゃん。」
先程椅子を引いてくれた紅一点(?)の女性が、掛けていた眼鏡の中央を人差し指の先で押し上げながら、フォローを入れてくれた。
その直後、彼女の向のデスクのロン毛の男が苦笑いを浮かべたのを、僕は見逃さなかった。この人数の職場でも、人間関係は意外と色々あるのかもしれない…。
「まあ、とにかく自己紹介からだな。僕は明智秀樹、今売れてる漫画家だぞ。」
「オイオイ、秀樹、関君に圧かけるな!」
斎藤さんと先生の掛け合いを皮切りに、自己紹介がスタートした。