つなぎ
「関君、ちょっといいかな。」
先程までカウンター前に出来ていた客の列が解消し、一息ついていた僕に声をかけてきのは、店長だった。
「関君、君がうちの店で働いてもう1年になる。勤務ぶりも優秀だし‥‥、どうかな?正社員になる気はないかな。」
(そうか‥‥、もう1年も経っていたのか。)
先生が休暇に入った後、僕は大手中古品販売チェーン店でバイトとして働きだした。生計を立てるために、取り敢えず選択したつなぎの勤め先であったのだが‥‥つなぎは1年を越えようとしていたのだ‥。
「あの‥‥、ありがたいお話だとは思うのですが、少し考える時間を頂けますか?」
「ああ、構わないよ。でも、出来れば今月中には結論を出して欲しいんだ。是非、前向きに考えてみてくれ。」
想定内の答えだったのだろう。僕の回答にさして不満な様子を見せることもなく、店長は20日間の猶予をくれた。
「おっ、戻って来たね。何の話だったの?」
中古品の買取受付カウンターに戻って来た僕に、真っ先に声を掛けてきたのは石川優美だった。身長は僕より30㎝程低く、茶髪のショートヘアの彼女は、この店のバイトとしては僕の1年先輩で、実年齢では2歳年下なのだが‥、基本僕にタメ口だった。
「うん、正社員にならないかって‥。」
「やっぱり~、そうじゃないかと思ったのよね!」
(思ったかどうかなんて、先に言わないと分かんないでしょ。後出しジャンケンと一緒じゃん。)
少し、自慢げに予想通りと主張してきた彼女に、僕は内心ツッコミをいれたかったが、やめておいた。その主張の先に不毛の負け戦が待っている事を知っていたからだ。
「それで、なんて答えたの?」
「うん、‥‥少し考えさせて欲しいって‥。」
「ふーん‥‥。」
どうやら、僕の店長への答えに納得していないようだった。
「‥ねえ、関君て何かやりたい仕事とか、夢ってあるの?」
「そりゃ、あるさ!」
「どんな?」
「えっ、それを優美さんに言わないと行けないの。」
「当たり前でしょ、私の勤め先の正社員登用の話を袖にしたんだから‥‥、聞かせなさいよ!」
(なんだその屁理屈は‥?そもそも、返事を保留しただけで袖になんかしてないし‥‥、名前と違って優しくないよなぁ。)
「でっ、どんな!」
答えない限り続くであろう尋問に抗うのも、正直面倒くさいと思った。
「‥‥漫画家だよ。」
「えっ‥‥」
石川優美は絶句した。
予想外だったのだろう。
「なに?悪い?」
「いや、うーん‥」
石川優美の困っている姿を眺めるのは、中々心地よかった。
だから、その貴重な姿を堪能しながら、黙って彼女の次の言葉を待った。‥‥のだが、
「悪くはないんだけど‥‥」
「けど?」
「‥‥ぽくないっていうか、しっくりこないのよ。」
「はぁ?」
「だって、関君て普通っぽいじゃん!」
(普通っぽい‥って‥)
(なんか個性ないみたいで‥‥感じ悪いじゃないか。)
「いい意味でよ!」
「漫画家って、もっと、なんて言うか‥、そう、引きこもりっぽいイメージがあるじゃん!」
「それに、ボサボサのロングヘアで、髭なんか生やしちゃってるって感じで‥。」
石川優美なりに必死にフォローしてくれたようだったが、漫画家を目指していた僕には、かえって微妙なダメージを与えた。
「あっ、いらっしゃいませ!」
お客様の来店によって、微妙な空気感から僕達は解放された。
「コミックの買い取りですね。」
「査定が終わりましたら、掲示板に番号が表示されますので、こちらの番号札を持ってお待ち下さい。」
つい今仕方までの所在や言動は何処へやら、石川優美は如才なく受付対応してみせた。(流石っス、先輩。)
客がその場から去ると、僕達は改めてコミックを手に取った。折れ目の有無等痛み具合の確認をするためだ。
持ち込まれたのは、35冊のコミックだった。
「ねえ。」
先に口を開いたのは、石川優美だった。
「このコミックってさぁ‥、確か40巻で完結してたと思うんだけど、今回みたいに最終巻まで数巻足りなくて売りに来る人が結構多いよね。」
確かにその通りだった。それは、1巻から集めていた愛読者達が途中でその作品から離れていった事を意味していた。
そして、その漫画の作者こそ‥‥明智先生だった
「なに?もしかして、まださっきの事怒ってるの?」
返事をしなかった僕に、石川優美からクレームが入った。
「そんなんじゃないよ。」
「この漫画は、僕にとっては特別だから‥‥」
「特別?」
「僕は、この明智先生のアシスタントをしていたんだよ。」
「えっ‥‥」
再び、石川優美が絶句した。
だが、それは一瞬のことで、今回の返しは早かった。
「それ本当?凄いじゃん!」
「そ、そうかな。」
そこからは、怒濤の質問攻めだった。
アシスタントとしての仕事内容、給料、先生との人間関係、等々‥‥矢継ぎ早に繰り出し‥‥最後に1つのリクエストをしてきた。
「ねえ、描いて見せてよ!」
検証テストでも受けさせられるような、若干の不満もあったが、手元のメモ用紙に、僕はその漫画の主人公を描いて見せた。
「やばいっ!うまい!本物だ。」
彼女のリアクションは、僕にとってまんざらでもないものった。
1年ぶりの割には中々上手に描けたと、我ながら思ったりもした。
「ねっ、ねっ、じゃあ私を描いてよ!」
ここで終わらず、躊躇なく次のお願いをしてくるのが、いかにも石川優美だった。
リクエストに応え、描いてみたのだが‥
「え~、なんかクオリティがさっきのと違わない?」
「いや、即興で急いで描いたし‥‥、元々は絵を書くのは得意じゃなかったし‥‥」
「え~、漫画家志望なのに?」
結局、また僕はダメージを受けた。