82.深淵
「闇の球……か。いかほどのものかな」
徹は、ルルーの魔法に気づいたらしい。
もう、初めのようにあら探しをして嘲笑するようなことはしない。ただ無表情で、片手を構える。
彼の手のひらに、白く輝ける光が集まる。
それは球体となり、小さくなると同時にその輝きをましてゆく。光の密度が濃くなっていくようである。
私が今まで作った光の球、いや、他の人の作るそれを見てきた、そのどれをとっても、彼の手の中の輝きにまさりはしないだろう。
闇魔法に対抗するのは光魔法。
彼は、ルルーの魔法を消しにかかっているのだ。
それが発せられたら?
それを防ぐには?
そうだ、闇魔法は私には使えないけれど、土の壁は陰を落とすのだから、何かしらの効験はあるはず。そう思い、土の壁を繰り出した。
ところが、それは無駄に終わる。彼の魔法は壁をすり抜けた。一直線に、彼女の手の中に突き進む。
どうしよう。
光の球が、彼女の手元の黒い闇にぶつかり、お互いがいくらか萎縮したようだった。
しかし、黒々とした空間は、その光をも吸い込む。そう、彼の光の球は、消えたというよりは吸収されたかのように見えたのだ。
「くっ……」
ルルーの声。
「ルルー……ごめん!!」
謝ることしか出来ない。
対する彼女は、コクリと頷き、詠唱を続ける。黒い球が、すぐに前以上に大きくなる。
「ふうん……」
徹が、何かを知ったような声を出す。
「光魔法で直接消せはしないのか。それほどその子は強いのか。ならば、その守護者から片付けよう」
守護者……って。
私?
「うわ……きゃあ!」
いきなり、魔法が押し寄せる。
球体、弾丸、矢、槍、拳……ありとあらゆる種類の、あらゆる属性の攻撃魔法が、彼を起点として私に迫ってくる。
一瞬、頭が真っ白になる。
しかし、さっきの怒濤の弾丸を少し増やしたくらいだ。一度深呼吸し、そう考える事が出来たら、すぐに方針が立った。今までのことを応用して、辛うじてこれらを防ぐ。防げなくとも、弾いて軌道を逸らすくらいのことはした。
彼に、もはや容赦という文字はない。しかしそれでやられる訳にはいかぬ。
「しぶといな」
「……私が倒れる前に、ルルーの魔法は完成すると思います」
「それはどうだろう……その子の魔法が完成する前に、その子が先に倒れるかもしれない」
彼は呟くように言う。
そうはさせない。
彼の攻撃は、一層強くなる。ルルーの魔法の完成すら叶わせずに倒そうなど、許せない。さっきの呟きを現実にさせたくはない。そんなことになろうものなら、私は――。
そんなことを考えれば、却って魔法の精度は落ちてしまう。無心で、夢中で、防戦に徹した。
途中、防御魔法が間に合わなくなる。しかし、その時は咄嗟に手が出た。特に水の球は、手で動かしやすい。火傷する、という判断すら遅れたときは、火魔法や電気魔法さえ、手で弾こうとした。お陰で、左手はなかなかに爛れてしまう。
そんなとき。
「な、ななみっ……、早くっ……光の壁を! 大きいの、なるべく厚いの、自分達の近くにっ……はや、早く……!」
ルルーが呼び掛ける。
その声に、動作に、落ち着きは全くない。
それにつられて自分まで慌てながらも、光の壁を、言われた通りに生み出す。
大きく、厚く、自分達の近くに。
次の瞬間。
「はっ!!」
ルルーは、気合いの声とともに高く跳び上がり、手の中にあったものを壁の向こう側に投げ飛ばした。
同時に、彼女が私の手を引く。
転びそうになりながら、引っ張られるままに動く。何かにぶつかるのを感じた。そして、その障害を無理やり掻い潜るような感覚も覚えた。
今まで感じたことのない光に、目をぎゅっと閉じる。
明るさに慣れたので、目を開けた。
それは、見たことのない光景だった。私のすぐ周りには、溢れんばかりの光が満ちている。光の粒が、周囲でうごめく。その渦のなかに、私がいる。すぐとなりには、ルルーがいる。肩で息をしている。
「ここ……どこ?」
「光の壁の、中……だよ」
「えっ、まじ?」
「……うん」
ふと、輝く渦の向こう側が見える。
蛍が飛び交うような光は、自分から遠いものほどくっきりとしていた。それは、周りの黒に縁取られているからだ。
壁の向こう側は、闇だった。なにもない、深淵のようであった。あの黒い球に集まったはずの、深い、深い闇夜が、解き放たれ辺り一面に広がっているような、そんな世界だった。
座り込んでいたルルーは、少し落ち着いてから、再び立ち上がる。何かを感じ、私は水の球を作る。
「ななみ、ナイス!」
そう言って、彼女は一気に水を口に含んだ。
外の闇に、ルルーが片手を当てる。光の壁の中から手を出した、と言う方が適切かもしれないが、私にはそう見えたのだ。手の輪郭は、闇夜に溶けるように、ぼやけて見えた。
 




