5.試行
魔法が実在する事がわかった。
自分の魔力は、不慮の事故によって、発現した。
ならば、使ってみるしかない。
ちょうど、帆があげられたばかりの船だ。帆を広げ、錨があげられた、その瞬間の一艘の船のように、後戻りは出来ない。ある程度進めば、引き返すことも出来る。いずれにせよ、少し進まなければ、後退も出来ない。
いや何を言っているんだ、と言いたくなるだろう。要は、魔法を一度使ってみるまでは、(第三話にあったような)自分の中の口論が、決着しないのだ。もっと正確に言えば、魔法に対して抱いていた抵抗感を好奇心が上回ってしまった、というだけだが。
原動力は、あくまで好奇心だ。
ただし、昔、私をいつもからかっていた奴らを見返したい、というのも、なきにしもあらず。それがメインの理由でないのは、自分もまた、魔法を悪く思っていたからだ。
何となく、今更母の手ほどきを受けるのが嫌だった。母の話が終わり、彼女が台所に行った隙に、自分の部屋に駆け込む。常夜灯にして、ベッドに座り、膝の上で魔道書を開いた。ぱらっ、ぱらっと、適当に、でも破らぬよう慎重に、ページを繰る。
一番上の、大きめの文字に、指を当てる。
白い光は、ぼうっと、影のように、黒い文字を映した。もう、耳鳴りは無い。『目次』
おお、丁度いい。その下を見ると、魔法にはいくつかタイプがある事がわかった。
簡単で、かつ日常で使える魔法、無いかなぁ……
『杖を用いるもの』? いやいや、杖なんて、家にないし。母か祖母に頼めば、どこかから探してくれるかも知れないが。
『魔法陣を用いるもの』? 難しそうだ。いや、本の最初の方にあるのだし、簡単なのかな?
『呪文を唱えるもの』? 使ってる時に横で聞かれるとか、恥ずかしい。そんなシチュエーションも珍しいか。
『手で印を組んで使うもの』! なんか、お手軽な感じがする。学校でも、机の下で出来そうだし。てかまあ、学校で使うことなんて、無いだろうけど…
「やってみよ!」
そうと決まれば、と思ったが、一つ、問題があった。ページ番号も魔法使いの言語に変換されており、該当ページを探すのも一苦労なのだ。
そこで、まず、最終ページの番号を読み取る。『九四二』え、漢字で表示されるの?
目次によると、目的のページは『五七六』。
だいたい、半分を少し過ぎた辺りだ。狙いを定め、開いてみる。『五九〇』だいぶ近いところだ。
二四ページ、遡ると、上の方に少し大きめの文字が見えた。きっと、見出しだろう。
適当に、指を当ててみる。すると、手の挿絵が浮かび上がった。
図までこの言語にする必要ないでしょうよ……誰でも分かるって……
と思ったが、きっと、手の形も、忘れたらまずいのだろう。
母が言ってた、「指で読んだら絶対忘れない」というのは、本当だろうか。確かめようと思い、図を一瞬読んだ後、すぐに手を離してみた。自分でも、読んだかどうかもわからないくらいの一瞬だが、図の全範囲が確実に光った。そうして、目を閉じる。十秒程で目をあけ、近くの紙に絵を描いて、図を再現してみる。
それっぽい手の絵になった。書いている間はスムーズで、自信はあったけれども、こんな手の形、自分の関節が許すと思えない。
不安になり、もう一度、図を手で触れ、答え合わせをする。
合ってた。
完全に一致。少し、興奮した。
注釈を見てみたが、これは、どうやら風魔法らしい。それも、比較的簡単な。
手を、絵の通りの形に組んでみる。
と――空気が動く。どきりとする。
エアコンも、扇風機も、置いていない筈の、この部屋。
その部屋の中の空気が、動いたのだ。
そよ風が、私を包む。
右にある髪は前へ、左にある髪は後ろへ。
風が、私を中心に、ゆっくりと、回っている。
頰を、優しく撫でていく。
指を解くと、風は止んだ。
もう一度組む。心なしか、手の辺りがぼんやりと光った、気がした。
また、風が起こった。
そう、私は、この瞬間、生まれて初めて、「風魔法」を、使ったのである。