人間を考える動物たち
フロイト、ロフタス、マズロー。
彼らの名前の少なくとも一人を知っている人は、もしかしたら気づいてしまうかもしれません。
しかし、たまたま名前が一緒だっただけで、そもそも彼らは動物です。
「人間代表をお連れしました」
紳士的なうさぎが、人間の少女を集まりに連れてきた。
「おお! 君は人間でありませんか」
「私たちの質問に答えてもらいましょう」
様々な動物が、人間の少女に注目する。
「まあ、なんてへんてこな動物たちなんでしょう! 私の名前は人間じゃないのに!」
少女は、それぞれ名前のついた動物たちに向かって怒った。
「俺達には名前があるんだ。失礼だぞ」まだ名前のない三毛猫は苛立った。
「でも、人間と動物って違うでしょ? 人間には心があるけど、動物にはない」(少女は、自分が心を持っていると無意識に思い込んでいるのだ)
「いや、俺達にだって心はある、馬鹿にしないでくれ」
「心なんて、そんなものはどこにもない。あると頭が思い込んでいるだけなのだ」
これもまた名前もない老いた象が諭す声に、三毛猫が怒ったした。
「俺の心は確かにここにある!」
「私には見えない」象は一歩も引かない。
「見える!」
「見えない」
(ああ、なんて動物は、このような意味のない言葉遊びが大好きなのだろうか)
退屈を紛らわすかのように、少女はポケットの中のチョコレートに手を伸ばした。おいしい。
少女は閃いた。心があるっていうのは、お菓子を美味しく感じる事なのかな。だとしたら、私にはきっと心があるんだわ。……そうだ、あの動物たちにも確かめてもらおう。
「皆さん、このお菓子を食べませんか?」
議論とも呼べない何かに水を差した少女は、二匹の動物たちに1ピースのチョコレートを差し出した。
猫と象がぎろりと少女を見つめた。
「猫はチョコレートは食べられないんだ」
「象にはとても小さ過ぎる」
少女は、きっと、この動物たちはチョコレートの味が分からないんだ。ああ、なんてかわいそうに! 彼らは心がないロボットなんだわ! と思った。(猫がチョコレートを食べられない、象には1ピースのチョコレートなんて小さすぎて味が分からない。少女が知るにはあまりにも難しすぎる)。
「皆さん、意味のない議論は、本質的ではありません。本題に戻りましょう」うさぎが意味もなく遮った。
「はい、では皆さん、それぞれ人間に対し聞きたい事をどうぞ」おじぎをしながら、うさぎがお話の幕を開いた。
まず先に、フロイトと名乗るかえるが、丁寧な口調で少女に質問した。
「それでは、私が最初に尋ねましょう。私は様々な人間を見てきたんだ」
所詮かえるの見る人間なんて、でかい動く何かにしか見えないんじゃないかと少女は思った。
「ところで、君は最近はどんな夢を見たか、覚えてるかい?」
「私はずっと深い穴に、もっともっと深く落ちていきました」うろ覚えの夢を、少女は語った。
「ほう、興味深いですね。君は、本当の自分を隠しているみたいですね」
フロイトはちょっと考えた後に、自分の世界を広げた。
「夢は、なりたい自分を表現する唯一の手段なんだ。君の夢を私が分析しよう。
まず、君の見たずっと深い穴は女性器、つまり、君の女性として大切な所を意味するんだ。
そこに自分が落ちていく。君の女性としての大切な所を、自分が開いていく。
つまり、君は自慰に興味があるのだ」
フロイトの難解な言葉遣い(現代人からすれば何でも無いのだが、彼女は幼い)を、少女はうとうとしながら、このように認識した。「……女性器……自慰……興味……」。
「君は、私の見解についてどう思うかね?」
さっぱり覚えてないけど、このかえるは自信満々だから、知らないとなんてとても言えない!
正義感の強い少女は、散り散りになった記憶から、別の言葉を作り出した。
「分かった! 貴方は女性器と自慰に興味があるのね!」
「君は私をからかっているのかね?」
「だって、私は女性器も、自慰も知らないもの!」
フロイトが、なんてかわいそうな子なんだ、信じられないと言いたげの表情で、少女をじっと見つめた。
「かわいそうに。君はきっと父親に襲われたんだ」
襲われたと聞いて、お父さんに食べられた事(汚れた大人たちは勘違いするが、少女は純粋だ)のない少女は、魔女に惑わされた動物を見るように、フロイトに答えた。
「でも、襲われた覚えなんてないよ」
「トラウマになって、思い出さないように隠しているんだ」
「そうなんだ」知らないって言っても、いや、知っているんだと言いたげそうなかえるを見て、少女は諦めた。
「貴様、こんな年頃の少女に反証可能性のない内観を振りかざして恥ずかしくないのか」ロフタスを名乗る鷲は、怒り狂った形相でフロイトに掴みかかった。
「でもね、ロフタス。君の理論では人は救えないよ」フロイトが勝ち誇ったかのような言葉遣いでロフタスを挑発した。
「意味のない理論で人を惑わし、あまつさえ『救う』だと? これ以上に傲慢な事があるものか! これだから臨床屋は嫌いなんだ!」
ロフタスはフロイトを振り回し、フロイトはロフタスをけなした。
少女は喧嘩する二人(名前がついているから人間なのかな? と捉えた)を見て、こう思った。
この二人を同じ檻の中に入れたら、飽きないでずっと回り続けて、バターになっちゃうのかな。(少女は最近読んだ童話の「回る動物はバターになる」という世界から離れられなかった)。
「この二人は放っておきましょう。いつも喧嘩ばかりしているのです」
眼鏡をかけた名前のない研究者の犬が少女に問いかけた。
少女の心に、雰囲気が堅苦しいから、ちょっとロフタスっぽいなって感情が湧いた。
「ところで、私の最新の研究結果を見て頂けませんか?
お菓子が人間の情緒に与える影響について、私はアンケートを取り、統計的に分析しました。
その結果、チョコレートを食べた人間と、食べなかった人間で、有意差がありました」
この動物は私の話をきっと聞いてくれなさそうだわ。しかも、とってもつまらない!
少女は、興味なさそうに答えた。
「結局、どうなったの?」
「チョコレートを食べた人間は、食べなかった人間と比べ、幸福値が高いというデータが出ました」
研究者は、少女が自分の研究に興味がある、そしてこの研究がやがて世界を変えるだろうと無根拠に思い込んでいた。
(残念なことに研究者が思っている以上に、世界を変える可能性がある研究は多々ある。そして、彼の研究は恐らく世界を変えられない)。
「もっと分かりやすく教えて」
「チョコレートを食べると幸せになります」
「みんな知ってるよ」やっぱり、つまらない研究だった。
「しかし、その普遍的な事実を科学的に証明出来た、つまりある程度明確になった事が偉業なのです!」
「私に分かるように教えて」
最も言われたくない事実の内の一つ(大半の人間は研究に対し、自分への影響にしか興味がない)を突きつけられた研究者は、おどおどとしながら、しかし確信を持って答えた。
「チョコレートを食べると幸せになる証拠を出せました!」
「どうでもいいや。もっと面白い話はないの?」少女はあくびをした。
科学者は、目の前の科学や真理への興味が一切ない少女を見て、呆れ返って言葉も出なかった。
「これだから実験は何も出来ない! やはり人を直接見るべきなのだ!」ロフタスに振り回され続けるフロイトが研究者を批難した。
「フロイト、貴様は沢山の人間を見てきたと語りつつ、実際は精神的にイカれた少女しか観察していないではないか! 貴様の世界は狭すぎる!
そこでうなされている研究者よ! 実験だけで人間を語るなど、子供が居たら到底出来やしない!
考察の浅さを反省しろ!」
ポケットに子供を抱えたカンガルーのマズローが、動物を断罪するかののように自信げに訴えた。
「じゃあ、お前はどう人を救うんだ!」紳士の仮面なんて忘れたフロイトが問う。
「我々は、間違った人間やデータからではなく、素晴らしい人間から学ぶべきなのだ。
例えば、この少女を見よ。
彼女は動物たちの動乱に心を惑わされず、ただ自分の本質に忠実で居られている。自己実現が出来ている。ここに居る我々の誰が成し遂げられようか!
いかなる承認欲求にも打ち勝てる、ここに存在する動物の中の唯一の存在である彼女に、我々は学ぶべきなのだ!」
「喋る動物に驚かない、まるで誰かに作られたような都合の良い人間の解釈だけで、人間のことが分かるものか!」もはや誰のものか分からない声。
「結局、この人達は何が言いたいの?」
少女はまとまりが一切ない動物たちを見て、率直な感情をうさぎに投げかけた。
「彼らは、自分のが見たこと、感じたこと。
それら全部が、もしかしたらただの思い込みかもしれない。
不幸にも、自分は自分を知らない、という事に気づいてしまったのさ。
だから、俺達というのは、実は他人について、何一つ分かっちゃいないのさ」
うさぎは、あたかも自分が人間になったかのように、少女に語った。
うん、きっと、全然分かってない。少女は、人間の心を語る事の難しさを、目の前の動物の言葉より心から理解した。
むしろ、人間について自分は知っている、そう言える人間の方が知らないと私は思います。