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第九章 第三陸軍第一部隊

 アジールの実家で優雅な時間を満期した翌日。

 ここでの一日は、人の多さに圧倒されることから始まる。

 町民や商人、冒険者が、どこかを目指してぞろぞろと街道を歩く。

 店へ。

 仕事場へ。

 ギルド会館へ。

 軍区画へ。

 港へ。

 東へ。

 西へ。

 イリック達も負けじとギルド会館を目指す。

 周りには冒険者と思われる強面の連中ばかりが集まりだす。女性もチラホラ見かけるが、比率は圧倒的に男性が多い。

 やがて、巨大な黒茶色の建物に到着する。連日足しげく通っているこの状況をどこか不思議に思いながら、イリックはギルド会館に足を踏み入れる。

 朝だろうと冒険者は勤勉だ。四つの掲示板前にはぞろぞろと人だかりができており、朝一番で貼られたクエストをまじまじと吟味している。

 あちこちには仲間を募集している冒険者がおり、どんな人物が必要か、声を大にして叫んでいる。

 そんな彼らには目もくれず、受付に到着したロニアが職員と話し始める。

 イリック達はその間、各々のやり方で時間を潰す。


(いっぱいクエストあるな~。お?)


 イリックは比較的空いている掲示板を見上げる。そこにはビッシリと紙が貼られており、その中の一つに目を奪われる。

 グフータ野のスタフ山でソーセージを焼きつつ、近寄ってきたモンスターを倒してくれ。

 意味がわからない。きっと何か事情があるのだろうが、とにもかくにもわからない。だが、やってみたい。報酬金額はかなり少ないが、なぜか魅力的に見えてしまう。やらないが。


「お兄ちゃーん。こっちにもいっぱいあるよー。これなんか私達でも楽勝そう」

「どれどれ」


 ネッテに呼ばれてイリックは隣の掲示板に移動する。こちらはモンスター討伐用の掲示板であり、冒険者が最も注目する。


「これこれ。グフータアルマジロ八体の討伐だって!」

「それなら楽勝だな」


 昨日、五体ほど倒したばかりのモンスターだ。見つけるのは少々困難だが、見つけてしまえばどうということはない。八体となると時間はかかりそうだが、難易度としては低い。成功報酬五百ゴールドがそれを物語っている。


「やろやろー」

「明日まで貼られてたらな。今日は軍人さんと会わないといけないんだし、その後はちょいと今後について検討しないと」

「ガッテン!」


 これから軍人と会って話をする。それが済んでやっと、デフィアーク共和国での用事はあらかた片付く。

 残りは、デーモンの片手剣をどうするか決めることと、マリィ達と再開して食事を一緒に食べるくらいだ。

 今後はどうするか? 当然、次はガーウィンス連邦国に出向く必要があるのだが、いつ出発するか? ここで他にやらなければならないことはないか? そういったことを仲間と話し合う必要がある。

 そういった事情から、今回に関してはクエストに挑んでいる時間はない。


「行くわよー」


 ロニアから声がかかる。どうやらギルド会館の奥に通されるようだ。

 イリックはそわそわしながら、ギルド会館と同じ色の廊下を歩く。関係者以外立ち入り禁止。ただそれだけのことで落ち着かない。今日は関係者なのだから胸を張ればいいのだが、なかなか難しい。


「こちらでお待ちください。すぐに第三陸軍の方々がお見えになります」


 ギルド会館の制服を着た女性が去り、四人は会議室のような部屋にぽつんと取り残される。

 部屋は細長く、使われている木材が違うのか、壁や天井は薄茶色をしている。置かれている黄色いテーブルも部屋の形を真似するように細長く、向かい合うように椅子がいくつも置いてある。

 ロニアが涼しい顔をして窓側の席に座ったため、アジールとネッテもそれに続く。イリックだけ、立ったままだ。


「俺、ここでいい?」

「こっちに座りなさい」


 イリックはドアに一番近い席を指差す。そこに座ると三人とは随分とはぐれることになるが、なぜかそこを選びたい。

 当然のようにロニアが制する。


「なんか変な感じ~」


 ネッテがキョロキョロと味気ない部屋を見渡す。置いてあるのはテーブルと椅子だけ。まさに、話し合うためだけの部屋だ。

 奥の壁には窓がついているが、見える景色は単なる石壁だけの味気ない風景。


「第三陸軍って何ですか?」


 先ほどの女性がそう言っていた。イリックには聞き慣れない単語だったため、当然のように疑問を抱く。


「デフィアークに存在する七つの軍の一つ。興味ないから私もあまり知らない」

「私も専門外だわ」


 アジールとロニアから答えは返ってこない。知らないのだから仕方ない。


 アジールの言う通り、デフィアーク共和国には七つの軍が存在する。

 陸軍が五つ。

 海軍が二つ。

 合計七つ。

 第三陸軍は調査を専門とする軍隊だ。調査には危険が伴うため、当然それを突破するための戦力を保持している。

 第三陸軍は他の軍と比較するとやや小数だ。しかし、それは少数精鋭ということでもあり、戦力として他に劣るわけではない。


「筋肉モリモリかな?」

「どうだろうな~。そういう人も大勢いるだろうけど」


 ネッテが目を輝かせるが、イリックは無関心を決め込む。男の筋肉などに興味など無い。筋肉モリモリになろうとしたこともない。

 ふと、会議室に沈黙が訪れる。大人しく待っている証拠だが、少しだけむず痒い。


「そうそう、イリック。わかっているとは思うけど……」


 ロニアが思い立ったように口を開く。イリックに伝えなければならない。承知しているだろうが、それでも念のためだ。

 しかし、間に合わない。言い終える前に、会議室の扉が開いてしまう。


「お待たせしました」

「失礼します」


 動き易そうな茶色い軽鎧をまとった男と、硬そうな青い重鎧をまとった若い女が現われる。どっちが偉いのだろう? イリックはそんなことを考えるが、年齢的に男性の方だろうとすぐに納得する。


「第三陸軍軍長兼第一部隊隊長のウェイクです」

「第三陸軍第一部隊副隊長のミヤと申します。本日はよろしくお願い致します」


 二人は颯爽と自己紹介を済ませる。


(右がウェイクさんで、左がミヤさんか。覚えたぞ)


 イリックは対面に立っている二人の顔と名前を暗記する。

 身長の高い男性はウェイク。年齢は見た目から推測すると三十から四十くらいに見える。茶色い髪は短くはなく、おでこを出すようにビシッとオールバックで整えている。鼻と唇の間にヒゲが生えており、その風貌は記憶に残り易い。

 ミヤの背丈はイリックくらい。年齢は二十代に見える。青い鎧はきらめいており、極稀に似た防具を身に付けている冒険者を見かける。これはアダマン製の鎧であり、三大大国で購入できる最高品質の鎧だ。一般家庭はおろか、そこそこ稼げる冒険者ですら到底届かない高級品だ。グレーの髪は長く、前髪で目が隠れかけており、後ろ髪に至っては腰まで伸びている。


「本日はご足労頂き、ありがとう。早速話を訊かせて欲しい」


 言い終わるや否や、ウェイクはさっと椅子に腰掛ける。ミヤもそれに続く。


「ギルドから話は聞いてると思うのだけど、こちらも自己紹介が必要かしら?」

「はい。できればお願いします」


 ロニアの問いかけに、ウェイクが率直に反応する。


「私はロニア、冒険者よ。口下手なリーダーに代わって私が主に話すわ」


 イリックは感謝する。若干トゲがあった気もするが、ロニアが音頭をとってくれるのだから気にしない。そのトゲも慣れるとどこか心地よい。


「アジール」


 アジールの言葉足らずなところにはもう慣れたとは言え、イリックはヒヤヒヤしてしまう。もう少し喋って! そう思わずにはいられない。


「ネッテです! 妹です!」


 何も期待していないため、イリックは何も感じない。


「イリックといいます。一応、リーダーです。と言っても、昨日冒険者になったばかりなんですけど」

「私も昨日!」


 こうして自己紹介は終わる。ここからはロニアの領分だ。


「それで報告なのだけど、どこから話したらいいのかしら? 昨日、ほとんど伝えたつもりなのだけど」

「お手数ですが、できれば一から全てお話し頂きたいです」

「そう、わかったわ」


 ミヤの要望をロニアは嫌な顔せず承諾する。内心では面倒くさいと思っているが、大人ゆえ、そんなことは表に出さない。


「それじゃ、イリックお願い」

「えっ!?」


 ロニアの振りにイリックは戦慄する。ワシーキ村にはロニアはいなかったため、当然と言えば当然なのだが、どこか腑に落ちない。


「十日……、いや、もうちょっと前かな? ワシーキ村に出向いたんです。そこで、見たこともないモンスターに遭遇しました」


 イリックが説明を始めると、まじめそうなミヤが手帳を開き、素早くペンを走らせる。隣のウェイクはじっとイリックを見つめるだけなため、そのギャップがイリックを驚かせる。


「これくらいの目玉に羽が生えたモンスターです。ふわふわ浮いてました」


 イリックは両手でアーリマンの大きさを表現する。両手を半分広げる程度だったと記憶している。


「えっと……、妹が倒しました」

「ほう。妹さんはかなりの実力をお持ちなのかな?」

「それほどでも~」


 ウェイクは別に褒めたつもりはないのだが、ネッテは照れ始める。くねくねと体を動かすネッテに、軍人二人は決して動じない。


「そいつは、どういうわけか俺達の言葉を話してました」


 その発言が軍人二人を凍らせる。いかんともしがたい事実に表情がこわばる。一瞬固まったミヤだったが、長い前髪を気にもせず、せっせと手を動かし始める。


「なんと言っていた?」

「偵察に来ただけ、とかなんとか。結局襲って来たので倒しちゃいましたけど」

「そうか……。ところで、なぜその時にギルドへ報告しなかった?」


 ウェイクの問いかけは説教のようにも聞こえる。イリックは言葉に詰まる。


「知らなかったのよ、この子達。なんたって冒険者になったのは昨日なんだから」

「なるほど」


 ロニアのフォローで丸く収まる。冒険者のアジールがいたことには誰も触れない。


「そのモンスターの強さはどうでした?」

「雑魚でした。妹が瞬殺したので具体的なことはわかりませんけど」

「そうですか」


 ミヤは忙しそうに顔を上下する。


「攻撃をしかけられる前に倒したのか?」

「あ、いえ。土の攻撃魔法を使ってきました。他にも、スケルトンを二体召喚しました」


 ウェイクとミヤが再び固まる。当然の反応だ。

 スケルトンの召喚。そんな魔法や戦技は存在しない。

 似た魔法として、召喚魔法が存在する。しかし、これで呼び出せるのは精霊一体であり、決してモンスターを呼び出すことには転用できない。

 スケルトンの召喚。それは人類にとって脅威に他ならない。


「そのスケルトンは?」

「俺とアジールさんで倒しました」


 アジールは少々苦戦してた気もするが、それについては補足しない。

 ウェイクとミヤが小声で話し合う。


「資料の通りなら、こいつがアーリマンだろう」

「スケルトンの召喚に関する記述はありませんでした」

「個体差か何かだろうな」


 小声だが、部屋は静まり返っており普通に聞こえてしまう。イリックもつい聞き耳を立ててしまう。そんなことをするつもりはないのだが、他にすることもない。


「そのモンスターについては戦利品のような物はないんですか?」

「あ~……」


 ミヤの問いかけに、イリックは天を仰ぐ。

 アーリマンを倒した際、錬金術師のリンダが二枚の羽を切り落とし、持ち帰った。そういう意味ではそれが戦利品にあたる。

 イリックは悩む。リンダの名前を出していいものか、と。そもそも、リンダから教わった単語、アーリマンとデーモン。これらについても伏せるようにしてきた。広めてはいけないからだ。


「どうしました?」


 ミヤに催促されてもイリックは悩む。これをばらしたところでリンダが処罰されることはなさそうだ、という結論に至ったため、イリックは正直に話す。もちろん、全てではないが。


「リンダという人が羽を持ち帰りました。紅茶をご馳走してもらったんですが、美味しかったです!」


 紅茶だけに少し茶化す。イリックにできることは精々これくらいだ。


「あ、あの人がここで登場するのか……。そうか、今はワシーキ村だったな」

「ご存知なんですか?」


 ウェイクが頭を抱える。

 一方、隣のミヤは不思議がる。

 スルーされたイリックは落ち着かない。


「三年前に引退して、故郷に戻られた錬金術師だ。ミヤも会ったことあるぞ。白髪の眼鏡かけた人いたろう? 胸もこんなん」

「あ~」


 ウェイクに言われてミヤもリンダのことを思い出す。そして、素早くペンを走らせる。

 リンダはかなり有名な錬金術師だ。なぜなら、優秀な発明をいくつも成し遂げており、エレメンタルフォンも実はリンダの発明だ。

 優秀だった師から最も多くのことを学んだ稀代の錬金術師として活躍したが、三年前に突然引退し、今はワシーキ村で研究に没頭して余生を楽しんでいる。そこで発明したのがモンスターを寄せ付けない結界であり、現在試作稼働中だが、いずれは実用化される見通しだ。


「まぁ、あの人なら……。うん、そのことは横に置いておこう。その後、テホト村に寄ったのだな?」

「はい。ワシーキ村には二日滞在して、三日かけてテホト村に向かいました」


 言ったことをいちいちメモするミヤにそわそわしながら、イリックは話を続ける。


(もしかして、紅茶美味しかった、も書かれてしまったのだろうか?)


 不安になってきたが、もう遅い。


「テホト村には、八年前にサラミア港に現れたのとそっくりなモンスター一体と、石像みたいなモンスター二体がいました。というか、ここからはロニアさんか」

「そうね。初めに居合わせたのは私と二人の冒険者よ。感じたことがない魔力の波動を察知して振り返ってみたら、村の中にそいつらがいたわ」


 移動魔法、テレポート。モンスターがこれを使ってテホト村に侵入したのは間違いない。しかし、これは伝承に伝わる過去の遺産でしかなく、そもそも存在したかも今となっては怪しい。


「一人には村人を逃がすことに専念させて、私ともう一人で立ち向かったわ。手も足もでなかったけど」


 ゴクリ。ミヤが手を止めて生唾を飲む。ここからが本題だと察したからだ。


「ちょっと待ってくれ。八年前に現れたモンスターのことを知っているのか? あれは極秘事項なのだが……」


 ウェイクの質問はどこか間が抜けている。どんなに隠そうとも、必ず知っている人間が存在する。そう、当事者なら知っていて当然だ。


「はい。八年前、俺と妹はそこにいました」


 イリックの発言を受けて、ウェイクは目を見開く。本件はサラミア港から一報があった。想像すればわかることだった、と後悔する。


「続きいいかしら? ヒョロヒョロの……、そうね、ゴブリンがさらにやせ細った感じって言えば近いかしら? その上、クチバシがあって羽が生えてるそいつらに戦いを挑んだのだけど、まぁ、ダメだったわね。二人がかりでも一体も倒せなかったわ。私も、もう一人も、爪で切り裂かれちゃってね。酷い有様だったわ。血の海がどばーっと」


 そこまで事細かに説明しなくてもいいのでは、とイリックは心の中でつっこむ。目の前の二人も渋い顔をしている。


「そこに現れたのがこの三人ってわけ。んじゃ、イリック」

「え!? えっと……。石像みたいなモンスターは妹とアジールさんが倒しました。俺もカッパーソードで斬りかかったんですが、パキンと折れました」


 こういうことを知りたいのだろう、とイリックは説明する。予想通り、ミヤの手が加速する。


「その二体については何か得られなかったのか?」

「倒したら石みたいに崩れて、最後は砂になって風に舞っていったわ」

「そうか……」


 ロニアの返答にウェイクは残念がる。

 北の地に生息すると思われるモンスター。それを構成する体の部位は喉から手が出るほど欲しい。それを研究すれば、北の地やそこに生息するモンスターのことが少しでも明らかになるのだから。


「残った黒いモンスターですが、顔は女の人でした。体つきも女性です」


 イリックは少しぼかす。本当なら、すごい美人で惚れ惚れしました! おっぱいの形もなかなか良かったです! お尻も大きくてチャーミング! くらいのことは言いたいのだが、さすがに場をわきまえる。

 ウェイクとミヤは再び顔を合わせる。


「やはりデーモンだな」

「そうみたいですね」

「当時は一個部隊が一瞬で壊滅させられたらしいが、今回のはたいして強くなかったのか?」

「訊いてみましょう」


 丸聞こえだが、聞かなかったことにする。それが大人の対応だ。


「そいつは倒せた……ようだが、本当か?」

「その場では倒せませんでした。追い返せたというか逃げられたというか……。単純に強くて、しかも左手から繰り出される見えない攻撃に四苦八苦させられました」

「逃げられたのに倒せた、というのはどういうことだ?」

「えっと……」


 イリックは指折り数える。


「二日後に、アイール砂丘で遭遇しました。間違いなく同じ固体です。テホト村でそうだったように、同じ片手剣を持ってましたし」

「ほう。武器を……」

(あ、言っちゃった)


 イリックが素直に報告してしまったため、ロニアは眉をひそめる。仕方のないことだが、これでイリックの希望通りにことが進まなくなる。


「その武器はその後どうなった?」

「あぁ、もらいました。これです」


 ウェイクとミヤに見せるため、イリックはマジックバッグからむき出しの片手剣を取り出す。

 真っ黒いそれは、ウェイクとミヤを驚かせる。ミヤに至っては口が大きく開いてしまう。


「こんな物を見せられては、デーモン討伐も本当だと信じるしかないな」

「あ、隊長」


 しまった! とウェイクが表情を変化させる。デーモンという単語は口外してはいけないからだ。


「ま、まぁ、いいじゃないか。当事者なのだし……。そのモンスターはデーモンと命名されている。さぁ、続きを教えてくれ」

「はい。サラミア港に帰ってる最中にそのモンスターと出くわして、今度はぶっ飛ばしてやりました」


 片手剣をしまいながら、イリックはあっさりと言ってのける。軍人が色々隠しているように、イリック達も色々隠さなければならない。

 リンダからアーリマンとデーモンについて聞いたこと。

 コネクトを使えること。

 とりわけ、後者については漏らすわけにはいかない。リンダの件も大概だが、コネクトについても今は他言するつもりはない。ロニアにもそう念を押されている。


「もう少し具体的に話してくれないか? そのモンスターがどれほど強かったのか、私達が知りたいのはそこなんだ」


 ですよね、とイリックは納得する。わかってはいたが、どう説明したらいいものか悩んでしまう。比較対象が見当たらない上に、コネクトをばらしてはいけないのだから、何とも難しい話だ。


「攻撃魔法の類は一切通用しないわ。私の水魔法もあっさりと弾かれてしまったし。避けようとすれば余裕で避けられる癖に、虫を払い落とすように片手で捌かれたわ」


 こういう時、ロニアは頼りになる。元先生は伊達ではない。


 攻撃魔法を避ける。これは非常識な話だ。

 攻撃魔法と言ってもいくつもの種類があるのだが、総じて、どれもその発射速度は速い。

 火を司る攻撃魔法フレイムは火の玉を相手にぶつける魔法だが、その速度は常人では見切れず、回避など不可能だ。

 威力は詠唱者に大きく左右されるが、速度という点ではそれほど変わらない。誰が使おうと、攻撃魔法はかなり高い確率で相手に命中する。

 ゆえに、後衛攻撃役はそういう意味でも重宝される。


「そうか。確かに手ごわいモンスターのようだが、現状だとあまり脅威とは思えないな。君達でも倒せてしまったのだろう?」


 ウェイクの発言が、ロニアとアジールをカチンと苛立たせる。しかし、アジールは何も言えない。こういう時、どう反論すればいいのかわからない。

 しかし、ロニアは違う。


「そうそう、イリック。あなた、レッドエクス倒したのよね?」

「へ? 何でしたっけ、それ? どこかで聞いたことあるような……」

「ぶふ!?」


 ロニアが悪そうな笑顔を浮かべる。

 イリックはロニアが何を言っているのかわからず、しかし、ウェイクには絶大な効果をもたらす。

 イリックはこの単語を聞いたことある。ワシーキ村でリンダから聞かされたからだ。しかし、すっかりと忘れている。赤ガニは赤ガニと認識しており、そんな大層な名前で呼んだことがないからだ。


「レッドエクス……。二、三年前に私がトドメを刺したやつですよね?」

「そうだ。アイール砂丘に時折現れる赤いアイールクラブ。それを倒したのか?」


 ミヤがそっとつぶやき、ウェイクが肯定する。


「赤いアイールクラブ? あぁ、赤ガニのことですか? 攻撃魔法をドッカンドッカン撃つやつ?」

「あぁ」

「それなら妹と二人で倒しました」


 言い切ったイリックに、軍人二人は仲良く目を丸める。


「けっこう強かったよな?」

「強かった! でも、デーモンの方がもっと強い!」


 久しぶりに喋れてうれしいのか、ネッテが無駄に大きな声量で発言する。やかましすぎるその声が原因で、両隣のアジールとイリックの鼓膜が破れかける。

 兄妹の発言を受けて、ウェイクはこめかみを押さえる。


「レッドエクスをたった二人で? どうやって?」

「普通に二人で殴り倒しました。攻撃魔法の広さと威力には驚かされましたが、妹の敵じゃありません」

「えっへん」

「ほう……」


 イリックのレッドエクスに抱く感想を聞いて、ミヤがじろりとネッテを見つめる。ネッテはない胸を張り、その後、ニコニコと笑顔を保ちながら体を左右に揺らす。手持ち無沙汰でむずむずしている。


「なるほどな……。デーモンの強さも、君達の強さも侮ってはいけないようだな」

「そのようです。あれを倒せるなんて信じられません」


 ウェイクとミヤが考えを改める。それには理由がある。

 赤ガニことレッドエクスと、ウェイク達が率いる第三陸軍第一部隊には深い因縁がある。

 それは三年前まで遡る。

 デフィアーク共和国のギルドが、ウォンテッドモンスター用の掲示板にとある張り紙を掲載する。

 それがレッドエクスであり、事件はそれから始まる。

 レッドエクスは極稀に姿を現すモンスターだ。その頻度は数年毎とも、十年毎とも言われている。それの目撃情報がギルドに寄せられれば、ギルドとしてはウォンテッドモンスターとして討伐を募るしかない。

 褒賞金二十万ゴールド。破格のそれに釣られて、多くの冒険者がこぞってサラミア港に向かう。

 しかし、結果は全滅。一人で挑んだ者も、パーティを組んだ冒険者達も、例外なく倒されてしまう。

 事の深刻さを検討した結果、デフィアーク共和国は軍の派遣を決定する。それが第三陸軍第一部隊だった。

 ウェイクとミヤが率いるその部隊は常勝を誇る無敵の軍隊だが、レッドエクスには相当の苦戦を強いられてしまう。

 相手の強さを見誤ってしまったことが原因だ。

 ウェイクはミヤを含めて十二人を選出する。もっとも、たった一体の、それもアイールクラブの突然変異には過剰な戦力だと誰もが思った。

 しかし、実際に戦った結果、ウェイクは己の判断ミスを後悔する。

 水の塊を出現させて相手にぶつける攻撃魔法、アクアビット。

 レッドエクスはカニのモンスターにも関わらず、それを詠唱してみせた。その一撃は防具を破壊するどころか、あっさりと人間を殺してみせる。

 さらに、アクアビットの上位魔法、アクアロアまで詠唱した。広範囲への攻撃を可能とするその魔法は、多勢を相手にするにはうってつけの魔法だ。

 これにより、大勢の部下がやられる。

 ここからは死闘だった。

 ミヤは己が習得している戦技をフル活用し、ウェイクも隊長として部下達を庇い続ける。弱体魔法、強化魔法、回復魔法。それらを駆使し、軍人達は全力で立ち向かう。

 結果、レッドエクスの討伐には成功する。しかし、被害は甚大だった。

 死者四名。

 負傷者四名。

 十二人編成では足りないということが判明した。

 その後、レッドエクスの目撃情報はぱったりと途絶え、今に至る。もっとも、目撃される前にとある兄妹が倒してしまっただけなのだが。


 ウォンテッドモンスター。その強さはピンキリだ。さすがに駆け出し冒険者が一人で倒せるような相手はいないが、それでもパーティを組めば倒せる程度から、凄腕の冒険者が徒党を組まなければ手も足も出させない相手まで、その強さには大きな振れ幅が存在する。

 レッドエクスは、この大陸のおいて上位に食い込むウォンテッドモンスターだ。

 それを倒した兄弟がこう言う。

 デーモンはもっと強い、と。

 ゆえに、デーモンの強さは相当なのだろうと、ウェイクとミヤはついに理解する。

 会議室の空気が重くなる。

 ロニアだけ、なぜかドヤ顔だ。

 ネッテはニコニコ笑顔を振りまく。

 アジールは普段通りの無表情を崩さない。


「少し休憩にしよう。デフィアークティーを用意させる」


 ウェイクが立ち上がる。途端、部屋の空気が柔らぐ。

 イリックは大きく息を吐いて背もたれに体を預ける。少々疲れたからだ。とはいえ、ウェイクは退室したもののミヤがまだ目の前にいるため、仲間達と雑談をする気にはなれない。ふ~、と大きく息を吐くのが限界だ。


「ミヤさん! 軍人さんって普段何してるんですか?」


 空気を読めない女。それがネッテ。

 手帳にペンを走らせていたミヤは、ピタリと動きを止める。


「第三陸軍の場合、普段は調査と研究、それと訓練ですね。私の場合、部下の管理や隊長との話し合いも多いです」

(副隊長は忙しいんだな。というわけで、妹よ、黙りなさい)


 残念ながら、イリックのテレパシーはネッテに届かない。


「隊長さんとはお付き合いしてるんですか?」

(もうやだ、この妹)

「そ、そんなことはありません!」

「!?」


 ミヤが顔を赤らめる。その反応は非常にわかり易く、イリックでさえ気づけたのだから、アジールとロニアも瞬時に察する。しかし、三人は黙る。気づかない反応こそ、大人の対応だ。


「あ~! もしかして好きなんだ~! ヒューヒュー」


 ネッテに煽られ、ミヤはプルプルと震える。そろそろか泣きそうだ。

 イリックも別の意味で震える。この状況は非常に恐ろしい。


「いやー、しかし、デーモンでしたっけ? こんなのが現れちゃったらこれから先、大変なことになりそうですよねー。この報告を持ち帰って、色々検討されるんですか?」


 兄が渋々動き出す。


「え、ええ、そのつもりです。もしかしたら、三国が力を併せて動くことになるかもしれません」

「そうなんですかー、がんばってください」


 間を繋ぐため、イリックはたいして興味のない話を振る。バカな妹を持つと色々大変だ。


「正直に言うけど、今回倒したデーモンと同等の力を持った個体が再び現れたら、あなた達でもかなり手こずると思うわよ」

「そうかもしれませんね。それも踏まえて、今後の検討材料として報告内容を持ち帰らせて頂きます。提出頂いた黒い体組織についても併せて調査します」


 ロニアとミヤが意見をぶつけ合う。


「デーモンかぁ……。確かに強かったけど、お兄ちゃんならもう負けないよね?」


 ネッテが余計なことを言い出す。この場では、その話題を掘り下げたくないのだが、ネッテに兄の心情は伝わらない。


「ほう。それはなぜですか?」


 当然だがミヤが食いつく。

 ネッテが言っていることは間違いではない。コネクトを習得した今、イリックはあの程度のモンスターには決して負けない。不意を突かれたとしても、ギリギリのタイミングで気づけさえすれば、逆転できてしまう。コネクトはそれだけの可能性を秘めている。

 しかし、コネクトをばらすわけにはいかない。人体実験などされはしないだろうが、四人での冒険の日々に支障が出てしまう恐れがあるからだ。

 未知の魔法ゆえ、研究機関が放ってくれるはずがない。ゆえに話すわけにはいかない。

 イリックは弁明を始める。


「さすがに二回も戦いましたしね。四人の息も合ってきましたし、とりわけ妹がデーモンとの戦いに慣れたのが大きいです。こいつ、天才ですし」


 とりあえずネッテを担ぎ上げる。嘘は言っていない。ネッテのせいなのだから、ネッテに色々と擦り付ける。


「ほう、それはすごいですね」

「えへへー」


 ミヤに見つめられて照れているのか、イリックに褒められてうれしいのか、ネッテが体をクネクネ動かす。

 前髪で微妙に隠れているが、ミヤの目は少し鋭く、見つめられると少々怖い。先ほどの照れた顔は普段とのギャップでとてもかわいく見えたが、それはイリックの性癖が関係しているのかもしれない


「ネッテさんは戦技や魔法は何を使えるのですか?」

「私? 何も使えないよ?」

「……え?」


 ネッテの予想外の返答に、ミヤは思わず固まってしまう。それもそうだろう。戦技を使えない小娘がデーモンやレッドエクスとやりあえるはずがない。しかし、それでもやりあえるのがネッテだ。


「本当よ。この子、ずば抜けた身体能力だけでモンスターと戦うの。だからすごいのよ」


 ロニアがすかさず補足する。

 ミヤが驚いた表情でネッテを観察していると、会議室の扉が開く。

 ウェイクとギルドの職員が現れる。お盆には人数分のコップがのっている。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 イリックはガーウィンスティーを早速口にする。茶色い見た目からして美味しそうだが、喉をすっと通る飲み易さも格別だ。

 女性が去った後も、会議室にゆったりとした空気が流れる。ウェイクとミヤもゆっくりとくつろぐ。


「さて、再開しよう」


 ウェイクが唐突に切り出し、休憩時間は終わりを告げる。


「こんなことは訊きたくないのだが、もし可能なら教えて欲しい。八年前、サラミア港に現れたデーモンと、今回テホト村に現れたデーモン。どちらが強いと思う?」


 ウェイクから投げかけられた質問はなかなかおもしろい。イリック自身、実は何度か考えてみた。この二体の比較をする場合、最も違うところがある。


「今回は、先ほどもお見せした武器の差があります。八年前のは素手でした。強さについては……、何とも言えません。俺はあっさりと殺されかけて、そのまま意識を失いましたから。ただ、八年前のはかなり強力な魔法をくらってもピンピンしてたので、そいつも相当に強かったんだと思います」

「ふむ、そうか」


 このアプローチでは、デーモンの強さを具体的に知り得ないとウェイクは諦める。それなら別の方法で探るまで、と次の一手を繰り出す。


「レッドエクス二体同時とデーモン、どちらが強いと思う?」


 その質問は予想外。イリックとネッテは顔を付き合わせる。なぜかミヤも驚く。


「いい勝負か?」

「う~ん、デーモンが勝つと思うよ?」

「なら、そうなんだろうな」


 イリックとネッテは協議の結果、あっさりと結論を導く。


「デーモンの方が強いです」


 ざわ、ウェイクとミヤが心を揺らす。イリックの返答は受け入れがたく、しかし、当事者がそう言うのなら信じざるをえない、と諦めにも似た心境を抱く。

 イリックとしては、赤ガニとの戦闘はトラウマものだが、振り返ってみると、死にかけはしたが倒せてしまった。そういう意味では、デーモンほどの化け物ではないのかもしれない。そう思う一方で、一人で戦ってたら間違いなく殺されていたという恐怖心は決してぬぐえない。

 デーモンは当然だが、赤ガニとも決して再戦はしたくない。二体はそういう相手だ。


「それほどか……。うーむ」


 ウェイクは悩みながら、鼻と口の間に生やしたヒゲを触る。


「デーモン以外のモンスターについても、もう少し教えてくれないか?」

「私が直接戦ったのは石像もどきだけなんだけど、奴らは魔法耐性がかなり高かったわ」

「ほう、それは厄介だな」


 ロニアからもたらされた情報は重要だ。ミヤがものすごい勢いで手帳に書き記す。


「デーモンもそうだったけど、石のもすっごい硬かったです! 私の短剣も一本折れちゃいました!」


 石像のようなモンスターことガーゴイルには何気に手を焼いた。

 イリックの片手剣とネッテの短剣。合計二本の武器がガーゴイルのせいでダメになった。


「硬いと言っても、あなた達が使ってる武器なら問題ないと思うわよ。この子達、カッパーソードとかを愛用する、まぁ、その、あれな子達だから」


 ロニアが何を言いたいのかイリックにはわかる。貧乏と言いたいのだろう。正解ゆえに何も言い返せない。

 ネッテは理解できていないらしく、エヘヘーと照れている。


「そ、そうか。そんな武器でよくデーモンを倒せたな」

「あ、それなら、テホト村でハイサイフォスを譲ってもらえたので。先端を握られて砕かれちゃいましたけど」

「握り……。そんなことまで」


 その表現にはウェイクとミヤも驚きを隠せない。


「ハイサイフォス程度で通用するのなら、デーモンの装甲はたいしたことはなさそうですね」

「あぁ、攻撃を当てれさえすれば勝てるだろう。そこに至るまでにどれほどの被害を被るかは想像できんが」


 ミヤにハイサイフォスをバカにされたが、イリックは挫けない。なぜなら、ハイサイフォスも決して優れた武器ではないと承知している。テホト村程度でも扱っている、安くはないが優れてもいない武器なのだ。それでもイリックにとっては高嶺の花であり、今後も大事にしたいと考えている。先端を砕かれてしまったが。

 ウェイクがお茶に手を伸ばす。ミヤも真似る。どういうわけかネッテも続く。


「こちらからも質問いいかしら?」


 話が一旦落ち着いたと判断して、ロニアが動き出す。ロニア、正確には四人にとって、これからが本題だ。


「もちろんだ」

「この件においける褒賞金はいくら頂けるのかしら?」


 ウェイクの目をじっと見つめて、ロニアが交渉を開始する。

 デーモンの黒い皮。

 一連の情報提供。

 高額でなければ釣りあわない。ロニアはそう考える。

 イリックは金銭感覚が狂っているため、この件には口出しできない。じっと事の行く末を見守る。


「ここまで充実した内容を得られるとは想定していなかったのでな。昨日のうちに算出した金額より少し上乗せさせよう。ミヤ」

「はい。昨日、ご提供頂いたデーモンの体組織が十万ゴールド。ギルドにご報告頂いた情報が五万ゴールド。しめて十五万ゴールドを想定しておりました」

「十五万……。思ってたよりは安いわね」


 ミヤが提示した金額にロニアが眉をしかめる。十五万ゴールドは十分大金だ。平均的な世帯の年収には届かないが、それでもその半分は上回る。イリックの見回り時代の年収と比べれば大きく上回ってさえいる。


「まぁ、気持ちはわかる。ただ、量が少ないということと、何よりこれが本物かどうかを証明できないのでな。私個人は疑っていないぞ」

「そう。じゃあ、今日の報告でどこまで上乗せされたのかしら?」

「五万ゴールドから十万ゴールドに。しめて二十万ゴールドということになります」

(うおー、すごいー)


 ロニアと軍人二人のやりとりを、イリックは感動しながら眺める。

 二十万ゴールド。見回りの給料二年分に匹敵する。もはや文句なしの大金だ。イリックは一人で満足する。しかし、ロニアは止まらない。


「私達、今回の戦闘でけっこうな損失を出してるの。この子達なんか武器を破壊されてるわ。そういうことを踏まえて、もう十万は出してもらいたいのだけど」

(お~、怖い怖い)


 ロニアが涼しそうな表情で金額の釣り上げを開始する。そこまでしなくていいのに、とイリックは心の中で訴えるが、当然、テレパシーなど使えないため、その想いは届かない。


「う、ううむ……。こちらとしても予算に限りがあるのでな。気持ちはわかるのだが」

「予算なんていくらでも捻出できるでしょ? 消耗品費を使ったり、研究費に手を出せばいいじゃない」

「むぅ……」


 ロニアの気迫にウェイクは圧倒される。涼しい顔で受け流しているミヤの方がよっぽど隊長らしく見えてしまう。


(まぁ、二十万もらえるならそれでいいな~。これならネッテにあれも買ってやれるし、デーモンの片手剣用の鞘も作れるぞー)


 イリックは値段交渉を他人事のように思いながら、金の使い道を模索し始める。それも当然だ。二十万ゴールドは貧乏でない人間にとっても大金であり、今まで手の届かなかったものを購入しようと奮い立たせるほどの金額だ。


「実は、ミヤには相談していないのだが、もう少し報酬を上げる手立てが君達には残っている」


 ウェイクはチラリとイリックに視線を向ける。

 その意味をイリックは全く理解できない。


「あぁ、そういうこと……」

「隊長、何です?」


 察するロニア。

 まだ気づかないミヤ。

 自然とイリックに視線が集中する。

 コップに手を伸ばしたいイリックは、とりあえず我慢して様子をうかがう。


「イリック、黒い剣出しなさい」

「な、まさか!?」


 さすがのイリックもロニアの発言で全てを察する。ほぼ全員が気づく。状況を飲み込めていないのはネッテだけだ。

 イリックは涙を流しながら、マジックバッグからデーモンの黒い片手剣をずるずると取り出す。

 ゴロン。泣きながらテーブルにそっと置く。イリック的にはすごくかっこよく造形だ。刺々しさが男心をくすぐる。これを振り回し、キャーキャー言われる姿をつい想像してしまう。キャーキャー言ってくれるのはネッテくらいだと気づき、思考を停止する。


「で、これはおいくらに?」

「……五万」

「イリック、しまっていいわよ」

「ま、待ってくれ!」


 ロニアとウェイクがコントじみたことを始める。


「ミヤ、いくらまで出せる?」

「どんなにがんばっても十万ゴールドです」


 ウェイクとミヤがヒソヒソと話し合う。十万ゴールドだと速攻でばれているのだが、黙って見守る。


「それじゃ、プラス二十万と片手剣一本と短剣一本でいいわよ。もちろん、上等なやつでお願い」


 ロニアが鬼のようなことを言い出す。ミヤの十万発言は聞こえていたはずだが、攻めるのを止めない。

 イリックは震える。そろそろ他人の振りをしたくなってきたが、考えてみたらここは密室だ。


「び、備品の横流しなどできん!」

「なら、二十と二十の四十万で手を打ってあげるわよ」

「うぅむ……」


 十万ゴールドが限界だと言っていた気もするが、ロニアは片手剣の値段を二十万ゴールドと言い張る。魔法学校の元先生は伊達ではない。


「隊長。もう十万なら装備の更新を少し遅らせば捻出できるかもしれません」

「だろうな。仕方ない……」


 ミヤの助言も相まって、ウェイクがとうとう折れる。大人は大変だな、とイリックは痛感する。

 これで落としどころが決定する。


「デーモンの体組織が十万。報告の謝礼が十万。この黒い片手剣が二十万。合計四十万。これで……頼む!」

「わかったわ。って、これを決めるのは私じゃないわね。イリック」


 ウェイクがもの凄い勢いで頭を下げようと、ロニアの表情は涼しいままだ。

 イリックはいよいよ思い知る。どうやらとんでもない女性を仲間に引き入れてしまったらしい、と。後悔はないが、頼もしいを通り越してちょっと怖い。


「あ、はい。それで十分です。だから、その、顔を上げてください」


 ごん、ごん、とウェイクがおでこをテーブルに打ち付ける。誰もそこまでしろとは言っていない。


「ありがとう。金はこれから用意させる。ただ、十分、二十分で用意できる金額ではないため、少し待ってもらうことになるのだが……」


 ウェイクの言っていることは当然だ。

 四十万ゴールド。一般的な庶民の平均的な年収以上の金額であり、隊長がポケットからポンと取り出せる金額ではない。


「わかってるわ。用意できたら私達が泊まってる宿に持ってきてくれてもいいし、呼んでくれれば取りに行くわよ」


 ここから先はイリックかロニア、もしくはアジールの誰か一人で対応できる。一人だけ省いたが、それは当然だ。

 ロニアもそれを承知で提案する。


「その! 不躾で申し訳ないのだが、もう一つだけ頼みたいことがある。報告の延長だと思ってもらえれば助かるのだが……」

「何よ、言いづらそうにして」


 ウェイクがもごもごしている。ロニアはそんな態度を警戒する。


「うちのミヤと、手合わせしてもらえないか?」


 ウェイクが突拍子もないことを言い出す。

 イリックはどうしたものかと考えを巡らせるが、ここは首を縦に振るしかない。

 デーモンと倒してみせた当事者と実際に剣を交える。これほど効果的な手段はないだろう。そんなことはイリックでも容易にわかる。


「わかりました。うちのエース、妹が相手をするということでいいですか?」

「はい。私としてもそれを希望していました」


 よし! イリックは心の中で喜ぶ。

 コネクトを人前で披露するわけにはいかない以上、ネッテを戦わせるのが最も説得力があると判断しての采配だ。面倒くさいという理由も半分以上を占めている。ゆえに、ネッテに押し付けた。


「おおー。おおー? 戦えばいいの?」


 ネッテは微妙にこの状況を飲み込めていない。

 そうだ、という意味をこめてイリックは大きく頷く。


「ガッテン!」


 こうして、ネッテとミヤの模擬戦が開催される運びとなる。

 かたや自慢の妹。

 かたや第三陸軍第一部隊副隊長。

 どんな勝負になるか、イリックは今からワクワクしてしまう。

 なお、アジールはこの会議室で一言しか話していない。無口であるがゆえに成せる業なのか、アジールの出世術なのか、それは誰にもわからない。



 ◆



 デフィアーク共和国の最も奥に存在するの軍区画。前方には岩山が巨大な壁のようにつらなっている。そのふもとから続く広大な土地が全て軍の敷地なのだから、この国の軍事力がいかにすごいかを思い知らされる。

 イリック達は広めのグラウンドに案内される。土は綺麗に整備されており、歩く度に足跡がついてしまう。

 周囲には様々な建物が立ち並んでいる。

 石造りの背が低い建物。

 四階建ての茶色い建物。

 同じような建物が奥にいくつも、そしてどこまでも並んでいる。

 そういった軍関係と思われる建築物があちこちに存在している。

 左手側の少し離れたと場所には住宅街が広がっている。昨日アジールが言っていた、最も奥の住宅街がこれだ。商店街からは少し離れているが、こちらにもそれ相応に店舗は立ち並ぶ。

 このグランドが普段何に使われるのか、軍人ではないイリック達にはわからない。

 走るのだろうか。そんなことを考えながら、イリックは前方を見つめる。

 ミヤから模擬戦用の短剣を二本受け取ったネッテが、それらをコンコンと打ち鳴らす。木を削って作ったいかにもそれっぽい短剣ゆえ、殺傷能力は抑えられている。まさに訓練用の武器だ。


「これ使うんだって~」

「みたいだな。がんばれよ」


 ネッテがニコニコしながら歩み寄ってくる。イリックは短剣を見せてもらいながら、とりあえず応援する。兄にできることはこれくらいだ。


「勝っちゃったらどうしよー?」

「勝てるとは思えないけどな~」


 イリックがそう思う根拠は二つ。

 相手は日々訓練に励む軍人。実力は相当だろうと容易に想像できる。しかも、相手は赤ガニにトドメを刺した実力者だ。

 もう一つはこれっぽっちも根拠は無いが、ミヤは戦技を使いこなす。副隊長に登りつめることがどれほど大変なことか、イリックにはわからない。隊長と違い若く見えることから、多くの戦技を使いこなす天才型だろうとイリックは推測する。

 才能だけで戦う、しかも戦技を一つも習得していないネッテとは対照的な人物だ。相性の良し悪しなどは何とも言えないが、分の悪い相手だと思えてしまう。


「もし勝てたらキスしてくれる?」


 イリックは首を縦に振らない。しかし、何かしら褒美は必要だろうと考える。


「んじゃ、もし勝てたら、ロニアさんのおっぱい揉みしだいでいいぞ」

「がんばるぞー!」

「そんなこと普段からしてるじゃない」


 ネッテがやる気をみなぎらせる。


「というか、なんで私なのよ」


 ロニアの問いかけをイリックはスルーする。その光景を眺めたいとは言えないからだ。

 ネッテとミヤがグラウンドの中心で向かい合う。イリック達は端っこで大人しく観戦する。時々軍人が通るが、例外なく興味津々な様子でネッテとミヤを眺めていく。


「有効打を先に当てた方が勝ち。とはいえ、危険な部位は狙わないように」

「はい」

「ガッテン!」


 ウェイクが両者に近づき、説明を開始する。

 この戦いは単なる模擬戦ではない。勝ち負けよりも、ネッテの力量からデーモン達の強さを推測するための戦いだ。ウェイク達にとって、このルールは少々不本意だ。ネッテの実力をきちんと把握したいのだから。

 しかし、それは難しい。なぜならネッテは軍人ではない。その上、十五歳よりも若く見えてしまう。正確には子供にしか見えない。そんな相手に怪我をさせたくないと余計な気遣いを働かせてしまう。

 ゆえにこのようなルールになってしまう。

 ミヤの武器は両手剣。木製ではなく、石で作られている。重さを考慮してのことだ。長さは一メートル半。すなわち、ミヤの身長より少し短いくらいだ。武器としては随分長いと言える。


「では、ネッテさん、準備はいいかな?」

「いつでもどうぞ!」


 ウェイクの問いかけに、ネッテは右手を上げて力いっぱい答える。報告の間はずっと座りっぱなしだったため、体力が有り余っている。


「それでは……始め!」


 二人から少し離れ、ウェイクが大声で模擬戦の開始を告げる。

 一瞬の静寂を気にもとめず、ネッテが先に動く。

 両者の距離はおよそ五メートル。その距離を、ネッテはまばたき程度の一瞬で移動してみせる。


(はやいっ!?)


 ミヤの運は悪くないらしい。その瞬間にまばたきをしていたら、これには気づけなかったのだから。

 運の要素はここまで。ここから先は実力の世界だ。


「猛進の極み」


 ミヤも行動を開始する。

 ミヤが何をしようとネッテはそのまま斬りかかる。姿勢を低く保ち、すれ違いざまに短剣を振りぬく。


(あれ?)


 おかしい。手ごたえがない。ミヤは確かにそこにいた。なのになぜ? ネッテは疑問を抱きながら前進を続け、さっと反転する。

 ミヤの姿を見つけることができたが、その場所は想定の範囲外だ。なぜなら、ミヤが立っている場所は先ほどまでネッテが立っていた場所なのだから。

 

(猛進の……なんとかって何だろう?)


 一瞬で移動したミヤを眺めながら、ネッテは戦技だと思われる猛進の極みの効果を思案する。しかし、考えたところでわからない。


 猛進の極み。視界内のどこへでも一瞬にして移動できる戦技。瞬間移動にも似た動作だが、正確には超スピードで一回跳ねているだけであり、自身の足で地面を蹴る必要がある。


「侮っていました。私も本気でいかせてもらいます」


 宣言通り、ミヤは本気の戦闘体勢に移行する。


「八重桜」


 そう囁くと、ミヤはゆっくりと前進を開始する。


「お、もう本気か。妹さんがそれだけ凄いってことか」


 ウェイクは驚きつつも冷静に戦況を分析する。


「八重桜って何ですか?」


 聞いたことのある戦技だが、イリックはその効果までは把握できていない。顎に手を当てて模擬戦を楽しんでいるウェイクに教えを請う。


「じわじわとスピードが高まる戦技だ。アサシンステップほどの爆発力はないが、効果時間は一分とそこそこ長い。まぁ、これを習得してるやつはそれだけで食うに困らんだろうな」

「なるほど、うらやましい」


 イリックは才覚の差を見せ付けられ、本音をもらす。


(ネッテがどう戦うか見ものだけど、どうせ才能にあぐらをかいた戦い方しそうなんだよなぁ。それはそれで真似出来ないから見てて退屈しないけど……。もっとスマートに戦えばいいのに)


 イリックはネッテの実力を誰よりも高く評価している。だからこそ、許せない点がある。きちんと考えて戦わないその戦闘スタイルがどうも気に入らない。ゆえに、時に厳しく指摘してしまう。

 一方、ネッテも考えを巡らす。


(んん~? 何されたんだろう? わかんない!)


 わからないのならわからないなりに戦えばいい。そう結論を出し、ネッテはミヤ同様、ゆっくりと間合いをつめる。

 大きな両手剣を右手に持ってずんずんと歩くミヤ。

 先ほどとはうって変わって背筋を伸ばし歩くネッテ。

 両者の距離が再び五メートルに縮む。


「残心」

「ぶふ! それも使うのか……」


 ミヤの本気具合にウェイクは再び驚く。

 戦技はこれで三個目。イリックは感心する。


 残心。集中力を切らさない限り、恒久的に反射神経をわずかに上昇させる戦技。それこそ死ぬまで持続させることもできるが、集中力を切らさない人間などいないため、実際にはもって数分と言われている。


 戦闘準備が整う。そう言わんばかりにミヤが飛び跳ねる。落下先のネッテ目掛け、右手だけで持った両手剣を、斬るというよりは押し潰すように振り下ろす。


(や、やりすぎだ!)


 ウェイクは青ざめる。この攻撃が直撃した場合、ネッテは怪我では済まない。本気を出せとは忠告したが、ここまでやれとは言っていない。

 ウェイクの心配を他所に、落下エネルギーも加わりより凶暴さを増した石の両手剣がネッテを襲う。

 一撃必殺の斬撃だが、当たらなければ意味はない。それを証明するように、ネッテは消えるように跳ねて回避してみせる。

 獲物に当たらなかった両手剣が、行き場のない破壊力で地面をえぐる。途端、重圧な低音が周囲に響き、大地を揺らしてみせる。

 砂埃が舞う中、ミヤは不敵に笑い出す。


「ふふふ……、闘気開眼」

「お、おい! それはダメだろう!」


 ミヤの本気っぷりがウェイクをさらに狼狽させる。

 一方、ミヤが次々と繰り出す戦技が何なのかわからないため、イリック達は驚くことも青ざめることもできない。ウェイクとの間に温度差を感じるが、今は静かに観戦する。


 闘気開眼。二十秒間、腕力を上昇させる戦技。この状況においては、武器の振りが速くなるという利点が挙げられる。


(ぶー、まだ本気じゃなったのかー。なら私も……)

「パワーマッスル!」


 パワーマックスと言いたかったのだが、ネッテにとっては似たようなものだ。


「パワーマッスル……。かっこいい」


 アジールが久しぶりに喋る。しかし、その内容はこれっぽっちも有益ではないため、イリックはそれを無視する。

 ジリジリと両者が歩み寄る。

 どちらが仕掛けるか? 一同は固唾を呑んで見守る。

 ネッテか? ミヤか? 正解は両者だ。

 ネッテが姿勢を下げ、いっきに加速する。

 それを見越していたのか、それとも超反応なのか、ミヤは最小限の動作で剣先を振り下ろす。

 懐に入ろうとしたネッテは、頭上から迫る巨大な塊を右手の短剣で受け止め、もう一本の短剣で勝利を掴もうとする。闘気開眼を使われる前ならそれも可能だったが、今の両者には圧倒的な腕力差が存在している。すなわち、この選択は悪手になってしまう。

 両手剣を受け止めた右手に激痛が走る。ネッテは攻撃を諦め、減速しつつも振り下ろされる両手剣を寸でのところで回避する。すぐさま下がり状況を立て直すも、既に手遅れだと気づかされる。今の一撃で右腕を損傷した。短剣を強く握れない。


(今のを回避したのは褒めてやりたいけど、やっぱりまだまだ甘いな~。どうして受け止めるって選択肢を選ぶんだ? それくらい速い攻撃だったのか?)


 イリックはネッテの戦い方に厳しい採点をつける。やはり才能だけで戦っていると言わざるをえない。

 その証拠に、あっさりと手痛い一撃をもらっている。ウェイクの判定次第では負けと判断されてもおかしくはない状況だ。

 再び両者の距離が開く。たいした距離ではないため、どちらも一瞬で詰めることができる。

 ネッテは右手が使えないことを悟られないため、短剣を握り続けてみせる。しかし使えるのは左手だけ。それでも、負けるつもりはない。ロニアのおっぱいを揉みしだきたいからだ。


「これで終わりにしましょう。見切りの極み」

(そこまで使わせる相手なのか。とは言え、これで終わりだな)


 ミヤの眼球が緑色に輝く。まるで相手の心情を見透かすようなその目は、ネッテに危機感を募らせる。

 決着がつく。そのことに誰よりも先に気づけたのはウェイクだ。ミヤが使った戦技はそれほどまでに強力な、そして勝ちに繋がる必殺の切り札なのだから。


 見切りの極み。二秒間、相手の次の動作を先読みすることができる。ネッテがいかに速く動こうと、これを使ってしまえばどうということはない。


 二秒を無駄にしないため、ミヤがいっきに加速する。

 何かしてくるのだろうと予想していたネッテは、回避に徹することを選ぶ。ミヤの攻撃は受け止められない。そのことはさすがに学習した。

 まるで軽い短剣を振るように、ミヤが両手剣を左から右へ振りぬく。

 ネッテはその攻撃を後方へ下がってやり過ごそうとしたが、その動きはミヤの戦技によって見抜かれている。

 振りぬかれるはずの両手剣がぴたりと途中で止まる。初めからそうするつもりでなければできない動作に、後方へ跳ねたネッテはぎょっとする。次の攻撃がどう繰り出されるかはすぐに察したが、自身の体は空中に浮いており、どうすることもできない。

 しかし、驚いたのはミヤも同様だった。斬撃から突きへ攻撃を移行させるところまでは予定通りたが、先読みの結果見えてしまった。

 ネッテのその先の動作に、血の気がひいていく。


(それでも!)


 攻撃をしかけるしか選択肢はなく、そもそも体は既に動き出している。この攻撃を途中で止めることはもうできない。

 両手剣をいっきに前へ突き出す。そのままネッテの胴体に打ち込まれて欲しかった。しかし、先読みによって見た動作と同様の動きをネッテは披露する。

 真っ直ぐ向かってくる大きな刃の左側面に、ネッテは左手で握っている短剣の柄尻を打ち付ける。そこを支点として、ネッテはぐるりと右回りに回転してみせる。

 目の前を過ぎていく両手剣と、勢いよく移ろう風景を気にも留めず、ただ握っているだけの右手の短剣をミヤの首元に押し当てる。


 二人の動きが静止する。


 ミヤは見切りの極みで自身の勝利を見るつもりでいた。それを可能とする戦技でもあった。

 ネッテがそれを打ち砕く。

 動きを先読みされようとも関係ない。読まれてなお、回避して攻撃を叩き込む。天性の感性がそれを成し遂げる。


「参りました」


 少し崩れた笑顔でミヤが負けを宣言する。


「やったー!」


 ネッテがもの凄い速さで駆け寄る。目指すは当然ロニアのふくよかな双丘。顔をうずめ、両手でもみもみと堪能する。


「キュア」


 頼まれる前に、イリックは回復魔法を唱える。ネッテは白い光に包まれながら、それでもなおロニアにしがみつく。

 ロニア達はキュアの意味がわからず、キョトンとする。傍から見たら無傷の勝利に見えてしまう。

 イリックはそうではないことを告げ、ネッテの負傷を教える。

 勝ち負けが意味を成す戦いではないものの、先に負傷したのは紛れもなくネッテであり、審判的にはどう考えているのだろう、とイリックはウェイクに視線を向ける。

 大口を開けて固まっている。そっとしておく。


「まさか勝っちゃうなんてね。さすがネッテちゃんだわ」

「えへへー」

「だからってあの戦い方は何だ。もう少し考えて戦えって前から言ってるだろうに」


 ロニアに褒められ調子に乗るネッテに、イリックは問答無用で説教を始める。


「え~、だめ~?」

「もっとスピードを活かせ。リーチもパワーも負けてるんだから」

「ブ~」


 とは言うものの、イリックの言うことは結果論でしかない。ミヤのパワーは想定外過ぎた。何より、駆使する戦技の多さには脱帽せざるをえない。

 ネッテの代わりに自分が戦っていたら負けていたかもしれない。コネクトを使えばそうもならないだろうが、裏を返せばそういうことになる。

 戦技も無しに勝ってみせたネッテはやはり天才だ。そんなことは前からわかっていたが、イリックは再確認させられる。

 盛り上がるイリック達とは別のところで、ウェイク達の反省会が始まる。いつまでも固まっているわけにはいかない。


「ここまでとはな」

「す、すみません……」

「いや、よくやった。褒めていいものかどうか、わからないが……」


 第三陸軍第一部隊の副隊長が、冒険者になったばかりの女の子に負けた。上司としても、どう声をかければいいか迷ってしまう。


「しかしまぁ、納得だな。レッドエクスを倒すわけだ」

「はい。しかも、戦技を使わずこの強さです」

「はは、笑っちまうな」


 戦技を駆使して戦技を使えない相手に負けた。ショックを受けない方がおかしい。


「まるで隊長のようですね」

「おいおい。俺はあんなにかわいくないぞ」

「そういう意味じゃないです」


 ミヤの分析をウェイクは茶化す。戦い方が似ているわけではないが、ミヤの指摘はあながち間違いでもない。


「これはあれだな……。報告書には何て書けばいいんだ? まぁ、任せた!」

「わ、わかりました……」


 ミヤはさらに落ち込む。傷口に塩を塗るとはまさにこのことだ。

 ウェイクは離れた場所で盛り上がっている一団を眺める。ネッテがロニアの巨乳を揉んでいる。それがうらやましい。ついでにイリックにも視線を向け、すぐにロニアを観賞しなおす。


「何見てるんですか?」

「ん? 兄貴の方をな……。なんとなくだが、兄貴の方が強いぞ」

「そうなんですか? 隊長が席を外している時に話したのですが、妹は天才だと褒めてましたよ。戦ってみて、そうだと痛感しました」

「妹は天才、兄は凡人だって? そうだとしたら、兄貴は俺と同じパターンだってことだ」

「あぁ、なるほど……」


 ウェイクの言い分を聞き、ミヤは納得する。努力で何もかもを覆す存在、それがこの場に二人いるのだと理解する。


「しかしあれだな……」

「何です?」

「ワンピースの姉ちゃん、胸でけえな」


 ゴン。両手剣がウェイクの足に叩き込まれる。石の塊ゆえ、いい音がした。



 ◆



 褒賞金の受領はロニアに任せ、三人は宿屋に向かう。デフィアーク共和国最後の一夜を過ごすため、部屋を確保しなければならない。

 一軒目は断られてしまったが、宿屋は一つではないため、二軒目で事なきを得る。

 四人部屋しか空いておらず、ネッテとアジールは喜んでいたがイリックは死んだ目で空を見上げる。

 夜まで自由行動。

 そう決め、午後は自由に過ごす。

 イリックは武器屋と防具屋を周り、最後に釣具店に立ち寄ってから港で釣り。

 ネッテとアジールも途中まではイリックと行動を共にしたが、釣りには興味ないため、その後は服やマジックアイテムを物色する。

 ロニアはその後もウェイクやミヤと話を続け、無事、褒賞金を入手する。その後はいくつかの店を周り、マジックアイテム店でネッテ達と合流する。


 その晩、ギルド会館で夕食を腹いっぱい食べた一同は、宿屋に戻り今後について話し合う。四人部屋ゆえ、作戦会議には適している。とイリックは前向きに捉えるものの、やはり居心地はよろしくない。


「繰り返しになりますが、明日出発でいいですか?」

「ガッテン!」

「うん」

「ええ」


 イリック達はデフィアーク共和国を発つ。この国でやるべきことをやり終えたのだから当然であり、次の目的地も決まっている。

 ガーウィンス連邦国。そこでもデーモン討伐の証拠品を提出し、同じように報告をしなければならない。次に提出する証拠品はデーモンの左手首であり、こちらも良い値段がついて欲しいと願って止まない。

 ガーウィンス連邦国へも定期船で向かうのだが、距離が離れていることから、一度サウノ商業国に立ち寄る必要がある。


「買いたいものがあるので、サウノで一泊するということでいいですか?」


 これも満場一致で可決される。

 ネッテがキャッキャとはしゃげば、断れる人間はこのパーティにはいない。

 何より、今は小金持ちゆえ、この程度のわがままはいくらでも許される。

 所持金は五十万ゴールドに匹敵する。これだけあれば数年は遊んで暮らせるかもしれない。しかし、サウノ商業国で買う物はなかなか高額なため、小金持ちでいられるのは今だけだ。


「サウノかー。楽しみだなー」

「人の多さにビックリするわよ。デフィアークよりもすごいんだから」


 目を輝かせるネッテに、ロニアが燃料を投下する。

 態度には出していないがイリックもワクワクしている。この大陸に生きる人間なら、誰もが一度は訪れることを夢見る大国、それがサウノ商業国だ。


「明日の朝出発して、到着は明後日の朝。なかなかの長距離移動ですね。ロニアさん、大丈夫なんですか?」

「ふふ、もちろん」


 ロニアは船酔いする。ものすごく吐く。イリックはあの時のもらいゲロを今でも忘れられない。

 そんなロニアはマジックバッグから薬を取り出す。船酔い対策の酔い止めの薬だ。錬金術専門店で購入した、ロニアにとって最も重要な戦利品だ。


「あ、そうだ。ロニアさんに一つお願いしたいことがあって……」

「何?」

「暇な時だけでいいので、ネッテの先生になってくれませんか? 一般教養とか、わかる範囲のことでいいので教えてやってください」


 ネッテは無知だ。それは仕方ない。教える人間がそばにいなかったのだから。そういう意味では、イリックにも責任がある。

 ゆえに、手遅れかもしれないがネッテに色々と学ばせてやりたい。イリックはそう考える。

 イリックでもいくらか教えられることはある。しかし、驚くほど浅い知識なため、先生役は務まらない。

 そこで、ロニアに白羽の矢が立つ。魔法学校の元先生。肩書きも最高だ。


「ええ、いいわよ。先生時代を思い出しちゃうわね~」

「わーい! せんせーい!」


 惚けるロニアにネッテが抱きつく。そしておっぱいを揉む。見慣れた光景だ。


「具体的にどんなことを教えてあげればいいのかしら?」

「ごくごく普通の一般教養でいいですよ、こいつの場合。と、言うのも……。ネッテ、この大陸の名前は何だ?」

「えっと……、ト、ト、ト」

(お、もしかして言い当てる?)

「トンカチ大陸!」

「ご覧の通りです」

「わかったわ」


 正解はトリストン大陸。

 羽を広げた蝶のような形をしており、細くなっている中心にはサウノ商業国、左羽の下側にはデフィアーク共和国、右羽の上にはガーウィンス連邦国が存在する。

 左羽の上部分、すなわちデフィアーク共和国やサラミア港の遥か北はほとんどが未開拓のままであり、そこを総じて北の地、もしくは未開の土地と呼ぶ。

 周囲には小さな島がいくつかあるが、それらには足を踏み入れることができない。


「な~にからお勉強しましょっか~」


 ロニアがネッテの束ねられた灰色の髪を楽しそうに揺らす。ネッテはおっぱいに顔をうずめる。

 ネッテいじりにアジールも参戦し、デフィアーク共和国最後の一夜は深まっていく。


 街灯に照らされた街はまだまだ賑わっており、男も女も関係なく、明日に向かって歩き続ける。

 見回りを生業にしていた頃はつい先日のこと。それが今ではこんなところにいる。しかも、冒険者になってしまった。

 明日は明日で定期船に乗り込み、サウノ商業国を目指す。そこだってついでに寄るだけだ。


 ネッテを守れるだけの力を手に入れた。

 仲間が二人もできた。

 冒険の目的はまだないが、今はとりあえずガーウィンス連邦国を目指す。

 考えなければならないことは仲間達と相談しよう。もう一人で迷う必要もない。

 デフィアーク共和国の最後の夜に、おやすみなさい。


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