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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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第六十五章 雷鳴轟く危険地帯(Ⅱ)

 その後も四人は荒野のような大地を歩き続ける。道中のモンスターを避けながら、そして倒しながら、ロニアが案内役となって前進する。

 前方から振り下ろされる少しだけ肌寒い風と、左から訪れる柔らかい風がぶつかりあい、特異な空気が出来上がる。

 これが上昇し、空を覆う雲が厚みを保ち続ける。もっとも、この現象があろうとなかろうと、この土地は一年中曇り続ける。

 雷雲の原因は簡単だ。

 雷の大精霊。この世界が作られた初期の時代に呼ばれた古参であり、人を関わることなく悠久の時間に身を委ねている。

 大精霊はそこにいるだけで近隣に影響を与えてしまう。授かった魔力が原因であり、この土地の場合、空で鳴り響く雷がそれに該当する。

 だからなのか。ここに巣食うモンスターのいくつかは雷属性の攻撃魔法を扱う。

 サンダークラブだけでなく、いくつもの眼球が備わったスライムや、スケルトンでさえスパークを詠唱する。

 そう。人間が足を踏み入れない場所にもスケルトンは現れる。骨だけで構成されるこのアンデッドは、人間の死体が変異することで誕生するが、一方で他のモンスター同様自然発生する。

 ウルフィエナは命に溢れた世界だが、その枠内にモンスターも同居している。いがみ合い、殺し合う関係だが、創造主にとっては全てかわいい子供達だ。


「もう少しよ」

「あれかな?」


 ロニアはなびく髪を押さえながら前だけを見る。

 この地域に漂う異質な魔力は如実に物語っている。人知を超越した存在がどこかにいることを。

 ロニアのような後衛の冒険者は、その魔力を辿ることで簡単に発信源へ辿り着けてしまう。

 魔力の濃度が濃くなれば、それはすなわち近づけている証拠であり、ロニアは確信を持って宣言する。

 小さな丘を越え、地面の裂け目に沿って遠回りし、立ちはだかる障害を蹴散らしながら一同は進んでいる。

 この旅ももうすぐ終わりを告げる。イリックが見つめる先には横穴のような洞窟が小さく口を開いている。

 岩山のふもとに存在するそこからは、人間を寄せ付けない膨大な魔力が目に見えそうなレベルで漏れ出ている。


「ギリギリ間に合いそう」


 茶色い髪は耳の下、顎付近まで伸びている。周囲と比べて低地なここには風が吹き込んでくるため、女性の長い髪は忙しそうに揺れてしまう。そんなことを気にもせず、アジールは魔眼で周囲を観察する。

 空を仰ごうと太陽は確認できない。ゆえに今の時刻も把握しづらく、マジックアイテムの携帯時計を見れば済む話だが、初めての土地ゆえ時間を忘れて進んでしまう。

 グゥと腹が鳴ってもおかしくない。薄暗い土地がさらに黒く染まり始めた頃合いゆえ、一同はほっと胸を撫で下ろす。

 昼過ぎに到着して以降、イリック達は休みなく歩き続けている。戦闘の度に足止めをされるからだ。

 慌てる必要はないがゆっくりと進むつもりもなく、その結果、その日の内に目的地へ到着する。


「ありがたい」

「ありがたいありがたい!」


 兄も妹も口を揃える。

 旅は冒険者にとって楽しいひと時だ。可能なら一年中浸りたいくらいだろう。

 残念ながらそんなことは不可能だ。なぜなら金は、すなわち所持金は無限ではない。

 道中は金策ができない。出費だけがかさむのだから、リーダーは頭を悩ます。

 頭痛の種から解放されることが確定したのだから、イリックは小さく安堵する。何よりここへ来るためだけに長い道のりを歩んできた以上、喜ばない理由もない。

 遠方に姿を現した洞窟まではまだまだ歩く必要がある。しかし、目的地が明確となったことで、四人の足取りは軽くなる。

 後はそこを目指すだけ。数十分程度の道のりなど、冒険者にとってはどうということはない。

 しかし、視界の右からゆっくりと移動するそれが最後の壁として君臨する。

 大精霊の魔力に負けない重圧はまさにその個体から漏れ出ており、寒気を伴う殺気は容赦なく四人を怯ませる。


「キャッ!」


 冒険者として、いくつもの死線をくぐり抜けてきたロニアすらも、悲鳴をあげずにはいられない。その容姿と周囲を浸食しそうな瘴気には、それだけの威力が秘められている。

 似合わない反応にイリックはドキリと鼓動を高めながら、戦闘態勢へ移行する。相手との距離はまだまだ離れているが、大きな背丈が距離感を狂わせる。


「速攻で決めてやる。オムニシエンス」


 イリックは頭上に片手剣と槍を一本ずつ生成する。水色の剣身は光を宿しており、槍の先端は轟々と燃えている。


「スケルトン……じゃない」

「何あれー?」


 殺気よりも人をこわばらせる冷気に晒されようと、アジールは自分のペースを崩さない。銀色の片手剣と長方形の青い盾を構えつつ、自分達を見つけたそれを見つめ返す。

 ネッテは子供だからか、鈍感なのか、一人だけ能天気に振る舞う。

 現れたそれは骨だけで動くモンスター、すなわちアンデッドだ。すなわちスケルトンに他ならないはずだが、一目でそうではないと理解させられる。

 先ず、サイズ感が全くことなる。スケルトンは人骨で構成されるからか、身長も人間の大人と変わらない。

 だが、ゆっくりと近づいてくるそれはその何倍も大きい。ジャイアントすらも凌駕する背丈はそれだけで見る者を震えあがらせる。

 大きさ以外にもう一つ、スケルトンは骨の上に何も羽織らない。肉や皮という意味ではなく、衣服の類を身に着けない。人間の死体から生まれた場合は生前の服を着続けることもあるが、それは例外であり、ほとんどは白い骨を当然のように晒している。

 この個体は異なる。ビリビリに破けてはいるが、巨大な一枚布をまとっている。黒いローブにも見えるそれは首から下を隠しており、ただこれだけのことだが、冒険者の常識は音をたてて崩れ落ちる。


「スケルトンの親玉ってことかしら? 私も加勢するわ」


 ロニアの分析は正しい。

 このモンスターはアンデッドの一種、スケルトンで間違いない。言わば突然変異であり、そういう意味ではウォンテッドモンスターという単語が該当する。

 夜が始まる時間帯ゆえ、アンデッドが活動を始めるには少々フライング気味だ。それでもこの巨体には関係ない。頭上の雲がそこにいる限り、何時だろうと自分の時間だ。

 ショロトル。嵐の谷を牛耳るアンデッドの王。スケルトンを従えてはいるが、今は単独で人間達に挑む。

 イリックはこれの危険性を誰よりも肌で感じている。何かある。そう直感的に理解できても、肝心の内容がわからない。

 それでも戦わなければならず、今から逃げ出そうとしても手遅れだ。

 ショロトルは歩いていない。二本の骨がローブの内側で地面に伸びてはいるが、トゥルルのように足を動かさずに地面を移動している。地上すれすれを浮遊しながら、大精霊のそれに埋もれない魔力を推進力に変えて進んでいる。このモンスターはそういうことが可能な個体ということだ。

 移動速度は速く、イリックやネッテが全力で走れば振り切れるが、アジールとロニアには真似できるはずもなく、ゆえにここが戦場だ。

 オムニシエンスによる武器を頭上に漂わせたまま、イリックはずいっと前へ出る。巨大なスケルトンはまだ遠く、ありえない速度で接近しているものの、自慢の攻撃魔法はまだ届かない。自ら近づく必要もないが、仲間を庇うためにも右足を前へ踏み出す。

 獲物が四人もいるからか、大木のような人骨は上半身をゆらゆらと揺らしながら風をかきわける。汚れきったローブは強風に晒され踊り狂うも、首付近でがっしりと結ばれていることから、外れることはない。

 カタカタとあざ笑うような音は攻撃の合図だ。黒い布の隙間から細い腕がそっと現れる。

 魔法が放たれる。そう判断したイリックは、それよりも先に行動を開始する。

 頭上に用意された二本の武器は水を元に作られている。だが、その剛性はスチールはおろかミスリルすら上回っており、当たりさえすれば、あらゆる命を刈り取れてしまう。

 生を持たないアンデッドもそれは例外ではなく、光り輝く片手剣はローブを貫き、巨体の左わき腹部分を丸々と消し去ることに成功する。

 炎を宿す槍は突き出された右腕を粉々に粉砕し、倒しきることはできなくとも、相応の損傷は与えることができたとイリックは実感する。

 ショロトルがわずかに減速したことからもそれはうかがえるため、後はトドメを指すだけだと新たな武器を生成する。

 アンデッドは通常のモンスターよりも倒しにくい。骨だけで動いている時点から、既に生物の規格からは外れている。

 どこを破壊すれば効果的なのか? 冒険者は今も頭を悩ましている。

 わからない以上、イリックはシンプルな作戦を実行する。完膚なきまでに攻撃を浴びせるだけだ。

 追加で放たれた三本の槍は主の指示に従い爆ぜるように突き進む。

 狙うは三箇所。

 巨大な頭蓋骨。

 ローブに隠された胸付近。

 腰。

 人間に置き換えれば、致命傷を超えた完全なる死だ。

 スケルトンと言えども、右腕、左わき腹に続き、これらを消し飛ばされれば、もはや死にぞこないのレッテルすらも剥がされてしまう。

 だからこそイリックは容赦なく攻める。相手に何もさせず、この戦いを終わらせるつもりでいる。

 スケルトンとは呼べない巨大さと仰々しい殺気は、じっくりと戦うことを拒否する。ゆえに最大火力で抹殺する。

 合計五本のオムニシエンス。これにモンスターが耐えられないことは過去の戦闘から十分理解しており、女性三人も勝利を確信する。

 それほどの威力であり、圧倒的な魔法だ。

 見届けるまでもない。ロニアさえ、加勢は必要ないと気を緩めようとする。戦いはまだ終わってないのだから冒険者としては過ちだが、リーダーの絶対的な信頼感がそうさせてしまう。

 弓やボウガンから射られた矢よりも速い水の武器達は、当然のように巨大な動く骨に命中する。すなわち戦いはこれで終わりを迎える。

 そうはならないと目の前の出来事が告げるのだが、その事実を受け入れるまでに一同はほんのわずかな時間を要してしまう。

 その光景は理解しがたく、巨躯の前進を阻害することには成功したが、粉砕どころか消滅するはずの部位には、小さな裂傷程度しか見当たらない。


「そんなバカな!?」


 イリックは手加減などしていない。魔力を抑えるテクニックは身に付けておらず、ロニアから拝借している魔力はフルスロットルのままだ。

 この魔法で倒せなかったモンスターはいない。にも関わらず、ショロトルはわずかな損傷で受けきってしまう。

 最初の二発は想定通りのダメージを与えることに成功した。右腕と左側の肋骨は確かに消滅しており、今回の三発も同様の仕事を果たしてくれるはずだった。

 にも関わらず結果は全員の予想に反してしまう。イリックは真っ白になった頭を働かせることができず、驚きの余り現実を受け入れられない。


「ネッテは左から」


 駆ける女性は右を目指す。ミニスカートであろうと関係なく、アジールは冷静に対処を開始する。

 最も早く現状を受け入れた盾役は、イリックに代わってネッテへ指示を出す。四人で固まっていても危険なだけだ。そう判断して行動に移る。


「ガッテン!」


 ネッテは言われた通りに左へ走る。そのついでに両手で短剣を握り、戦闘体勢へ素早く移行する。

 巨大なスケルトンの正面にはイリックとロニア。

 アジールとネッテが横から挟み込む。

 前衛過多なパーティにおける、オーソドックスな陣形の一つが瞬く間に完成する。


「ウォーシャウトォ!」


 イリックの叫び声は戦闘開始の合図だ。

 この戦技はアジールの所有物だが、嵐の谷では盾役と攻撃役を兼ねるイリックが使用する。コートでありながら、高い打たれ強さと驚異的な魔法耐性を備えているブレイズマーシャラーは防具として優秀であり、何より経験と才覚が兼務を可能とする。

 イリックが姿勢を屈めて急加速すると、左右の二人もそれぞれの役割を開始する。

 ネッテは呼応するように走り出し、アジールは片手剣と盾を構えながら魔眼で相手を凝視する。

 ロニアはイリックの後方から動かない。魔法使いゆえ、接近する理由もなく、離れた位置から自分の仕事を実行できる。

 人間が連携を披露しようとこのモンスターは臆さない。貧相な一枚布から左腕を露出させ、正面から接近する獲物へ向ける。


(来るか!?)


 わかってはいた。ウォーシャウトを使用したのだから自分が狙われることは確定している。その前提で駆けたつもりでいた。

 だが、ショロトルが上手だったと思い知らされる。

 イリックは攻撃魔法かその類が放たれるタイミングを予想し、進行方向を左へ捻じ曲げる。スパークが迫り来る場合、こうでもしなければ回避は難しい。

 巨体にとって、その程度の動きは対処可能な範囲であり、差し出された左手はイリックの動きを追尾する。


(な!? こいつ……)


 そして、見通しが甘かったと痛感させられる。自分の動きをきっちり見極める反応速度と落ち着き具合は実力者特有のものであり、次の攻撃は避けられないと突きつけられてしまう。

 後は発射するだけであり、骨だけの手のひらから生まれでた雷は真っ直ぐには進まず、うねうねと折れ曲がりながらも赤いピーコートの冒険者へ突き刺さる。


「イリック!」


 悲痛な叫び声はロニアのものだ。現在戦っているモンスターがただのスケルトンではないことは既に確定しており、相応の魔力を有していることも疑いようがない。

 魔法の威力は魔力に比例する。嵐の谷に生息するモンスター達がいかに強敵かは、ここに至る道のりで十分把握できており、最奥で遭遇したこの固体もそれらに引けを取らないと考えるべきだ。

 だが、問題ない。ロニアとアジールが見つける先で、イリックは雷撃に晒されながらも白い光をまとい始める。被弾直後にキュアの詠唱を完了させる。なかなか真似できることではないが、腕の立つ回復役を名乗るのんら、この程度の芸当はこなせなければならない。


(サンダークラブほどじゃないけど……、これもやばいな)


 イリックは身を以って学習する。この魔法は何度も浴びていいものではない、と。

 カニでありながらスパークを使用したサンダークラブと比べれば、ショロトルのそれは一歩劣る威力と言えなくもない。だが、比較対象がおかしいだけであり、この雷撃は自分以外の三人を殺すには十分過ぎる。

 兄の心配をしつつも、ネッテは自分の仕事を果たす。今まで遭遇してきたどのモンスターよりも巨大なそれの右側面から、細い短剣でたなびくローブを切り裂く。間髪入れずにその中へ飛び込み、骨にしては太すぎる白い体へ右手のエイビスを走らせる。

 軽く跳ねた程度では腰にすら届いておらず、ネッテの斬撃は右足に軽い切れ込みを作ることしかできない。

 だが、攻撃は終わらない。ウォーシャウトの効果は継続しており、この時間はイリックが用意してくれた独壇場だ。

 ネッテはショロトルの足元で踊り続ける。華麗な舞は次々と両足を切れ込みを作り、終了時間の間際でドスンと一本が落下する。巨大な落し物は右足の骨であり、重厚な音はダンスの終わりを告げている。

 失った物は足一本だけではない。地面すれすれまで垂れていたローブは、ミニスカートのように裁断されてしまう。短剣二刀流による攻撃が、白い骨を切り刻むついでに目障りな黒い布もあわせて切断し続けた結果だ。

 顕わになった下半身は地面に届いていない。人間やスケルトンとは異なる移動方法は、わずかな浮遊により実現している証拠だ。

 左足だけになろうと単なる損傷でしかない。二本の足は飾りでしかないのだから。

 ショロトルは時間を目一杯使い、再度スパークを放つ。足元から離れる小さな人間には見向きもせず、ウォーシャウトによる束縛に従って、赤いコート姿の冒険者へ雷撃を発射する。

 サンダークラブのそれと比べれば幾分細いものの、人間を飲み込みかねない程度には太く、何より伝達速度は音速を上回る。

 見た目も十分脅威だが、二度と被弾するつもりもない。イリックは回避に徹することで、迫り来る雷撃をギリギリ避けることに成功する。

 冒険者すらこがす閃光は地面に突き刺さり、薄茶色の大地をえぐりながら霧散していく。生物相手には無慈悲な威力を発揮するが、地面が相手ではそうもいかない。雷属性の魔法はそのような特性をそなえる。


「お兄ちゃん! どうするー?」


 仕切りなおしだ。ネッテはイリックに方針をたずねる。

 ウォーシャウトの効果時間である十秒は丁度過ぎ去り、ここから先は相手の出方をうかがう必要がある。誰もが狙われる可能性があり、ゆえに軽率な攻撃は危険極まりない。

 アジールもちらりとイリックに視線を向ける。冒険者として、自身の考えや作戦を持ち合わせているものの、自分達のリーダーはイリックだと承知しており、身勝手に動くつもりなどない。

 先ほどはネッテに指示を出し陣形の形成を優先したが、この程度のことは自分達で率先すべきことだ。

 ロニアは最後尾で巨大なスケルトンと赤い背中を見比べる。オムニシエンスで倒しきれなかったことが気がかりゆえ、頭の中が整理しきれていない。

 実はイリックも同様なのだが、それ以外にもう一つの事実が思考を鈍らせている。

 それは自身のマジックポイントだ。戦闘開始からわずか数分で、既に半分以上を消費している。

 なぜなら、武器を五本も精製している。一本の消費量はキュアとほぼ変わらず、わずかに多いもののその差は微々たる量だ。

 イリックのマジックポイントの総量はキュア十一回分に置き換えることができる。

 キュアも一度使っており、すなわち魔法を六回詠唱してしまっている。

 ここで一つ問題が浮上する。

 テレポートに必要なマジックポイントは、キュア換算で七回分だ。つまり、半分以上のマジックポイントを残していなければ、この場から逃げ出すことはできない。

 だが、もう遅い。戦闘の継続は可能だが、脱出分の残量には届かない。

 つまり、逃げるという選択肢をいつの間にか握りつぶしてしまっていることに、イリックはやっと気づかされる。

 左耳で揺れるガイストピアスは時間の経過と共にマジックポイントを補充してくれる。そういう意味では絶望的な状況ではないが、一分、二分程度ではテレポート分には到底届かない。

 今は戦わなければならない。

 そう決断し、リーダーとして仲間に打開策を提示しなければならないのだが、今のイリックにはそれができない。

 否。誰にもできない。右手と左脇を消滅させた攻撃魔法の第二陣が、なぜか通用しなかった。この仕組みを見極めない限り、勝ち目はないのかもしれない。そんなネガティブな考えが頭の中で黒い霧となって充満してしまう。


「狙われたらマラソン!」


 イリックは吠える。今はこれが精一杯のアイデアだ。

 ネッテとアジールは諦めていない。魔法が通用しなかった理由はわからないが、それなら武器で応戦すれば良いと考えており、ショロトルの右足を切り落とせたことが方針の正しさを証明している。

 ゆえにイリックの戦法を受け入れつつ、容易く倒せるだろうと楽観的に捉える。


「ガッテン! わわ! 私っぽい!」


 さすがのネッテも焦ってしまう。山のような巨体がゆっくりと右に向きなおしたのだから、今は身の安全を第一に考えて行動しなければならない。


「させん」


 妹の危機だからこそ、兄は普段以上の力をみなぎらせる。マジックポイントの少なさなど今更気にしても遅く、躊躇なく水の剣を作り出す。

 剣身は光をまとっており、アンデッドにとっては最も苦手とする属性だ。

 先ほどは通用しなかった攻撃だが、今は武器として右手に握っている。何の根拠もなくこれなら通用すると考え、荒んだ大地をいっきに駆ける。

 ネッテを正面に捉え、左手を向けるショロトルはイリックにとって隙だらけだ。

 自分が狙われないタイミングはまさに攻撃のチャンスであり、スパークが放たれるよりも先に骨だけの腕を斬るつもりで距離を詰める。

 一方、ネッテは作戦通りに脱兎の如く逃げ出す。マラソンとはそういう戦法であり、攻撃魔法を繰り出すモンスターとは非常に相性が良い。

 魔法には射程が存在する。その外側へ避難してしまえば、詠唱は阻害されるか仮に間に合おうとそれは届かない。

 時間はかかるが確実且つ安全にモンスターを倒すための王道手段だ。四人は今からそれを実践する。別の言い方をするのであれば、そうすることしかできない。

 もっとも、兄は妹を危険な目に晒すつもりはない。向けられた左腕を斬ってしまえば一時的に無力化できるかもしれない。少なくとも今回の魔法を中断させることはできるはずだと考え、今から刃を振り下ろす。

 右手に握る剣はありとあらゆるものを切り落とす。そんなことは過去の経験から十分把握できており、先ほどの投擲はなぜか通用しなかったが、今は自らの手で振るう以上、白い骨は間違いなく切断できるはずだ。

 イリックは自信をもって切りかかる。

 ゆえに、この結果は決して受け入れられない。

 振り下ろしたはずの右腕は、何かに弾かれて止まってしまう。当然、太い骨がそうさせるのであって、オムニシエンスはまたもこのモンスターには通用しないと突きつけられてしまう。


「なんで……?」


 アジールは巨大なスケルトンの後姿を眺めながら、予想外の出来事に驚愕する。全幅の信頼を寄せる最強の攻撃魔法が通用しない。つまりはそういうことなのだが、二つの理由から納得できない。


「仕組みがわからない!」


 ロニアも狼狽する。受け入れ難い現象が再現されてしまったからだ。

 初撃の二発で右腕と左脇腹は破壊できたが、次の三発はなぜか通用しなかった。

 そして、イリックが自ら扱おうとやはり傷一つつけられない。

 オムニシエンスの威力が足りないとは考えられず、ゆえに受け入れ難い。

 何より、最初は通用したという事実がイリック達を混乱させる。

 どちらにせよ、この事実はイリックの無力化を意味する。背負っているカッパーソードが通用するはずもなく、唯一の武器もこの有様だ。

 ロニアの魔法を試すまでもない。

 だからと言って絶望的なまでに追い詰められているわけでもない。可能性の光は足元に転がっており、それはネッテが切断した骨の右足だ。

 ビーニードルもエイビスも通用している。すなわち、通常の武器でなら倒すことができるはずだ。


「うおっ!?」

「ぎゃー!」


 さすがのイリックも驚かされる。眼前の骨を斬り損ねた結果、視界の左側が眩いほどに輝きだしたからだ。スパークの詠唱が完了したためであり、体をこわばらせながら野太い声を漏らしてしまう。

 狙われたネッテも女の子らしからぬ悲鳴をあげる。駆け抜けたばかりの地面には人間を仕留め損ねた雷撃が着弾しており、もう少し足が遅かったら少女の丸焼きが完成していただろう。


「ダメ元よ! イリック!」


 そこをどきなさい。察するだろうとこの言葉を省略し、ロニアは頭上に二本の槍を生成する。水で形作られていようと水滴は落ちることなく、穂先を目標に向けたまま凛とした姿を現す。


「どうぞどうぞ」


 イリックは仲間の意向を汲み取るも、言い終えるより先にゲイルロドは発射されており、一本は吸い込まれるように巨大な頭蓋骨へ、もう一本は黒いローブを貫通して心臓部分へ到達する。

 残念ながらこの結果は予想通りだ。水の槍は無残に砕け散り、周囲へ水をまき散らす。オムニシエンスが通用しないのだから、下位魔法のゲイルロドはどうあがこうとこうなるに決まっている。

 攻撃魔法は通用しない。

 無情な事実は、この確認作業によって確定してしまう。

 ゆえにわからない。なぜ最初の二発は損傷させることができたのか。この攻撃で仕留められなかったことを悔やみつつ、イリックは倍以上の巨体を見上げながらロニアの水滴をわずかに浴びる。


(ミスリルソードがあれば……)


 魔法がダメなら通常の武器を使えばいい。ネッテがそのことを実演したのだから、イリックとしてもそうしたい。

 だが、肝心の武器がない。刃が溶けてしまった自慢の片手剣は、使い道がないためデフィアーク共和国の軍に返却している。

 ゆえにどうしたものかと頭を悩ますが、モンスターは人間の都合などおかまいなしに暴れまわる。

 獲物が逃げたのだから次の選択肢は二つだ。

 ネッテを追いかける。

 その次に目障りな人間を襲う。

 今回は後者を選ぶ。遠方から水魔法でちょっかいをだしてきたロニアも大概だが、飛びかかってきたイリックはそれ以上に不愉快だ。

 ショロトルにとっても、この状況は想定外と言える。早々に右腕を失うとは思っておらず、足に関してはなんら問題ないが、片腕では少々戦いづらい。

 それでも現状を受け入れるしかなく、上半身を屈め、残った左腕をブンブンと回して足元のイリックを払い飛ばそうとする。

 ちっぽけな人間などこの程度で殺せるという算段だが、ピョンピョンと軽快に跳ねる冒険者を捉えるには至らない。


(くぅ、防戦一方なんて! っていうか、案外速い!)


 体が大きいからか、腕の振りだけでも十分驚異的な攻撃となる。

 受け止めても耐えられる可能性はあるが、それを躊躇させるだけの威力と重量を備えており、今は回避に徹することを選ぶ。

 当たりはしない。いつまでも続けられるとは限らないが、少なくとも本調子のイリックなら被弾はしない。


「ほわたぁー!」


 攻撃に転じれない兄に代わって、妹が代打を申し出る。生み出される脚力は細い足からは想像できないほど高く、前進に必要な推進力は地面を粉砕しながらも発生する。


「思う存分やれ! もうちょっとで使える!」

「ガッテン!」


 イリックが盾役として攻撃を引き付ける。

 ネッテが前衛攻撃役としてモンスターにダメージを与える。

 理想的かつ作戦通りの戦術が兄妹の連携によって実現したのだから、本来ならばモンスターの命運はここまでだ。

 仕事を失ったイリックがネッテと共に故郷を出発してから、既に数えきれないほどの月日が過ぎ去っている。

 その過程で多くのモンスターがこの二人に倒されてきたが、四人に立ちはだかるこの巨体は異質の中の異質だ。スケルトンが大きくなっただけとも言えるが、そのサイズが既にありえなく、知能を持つかのように黒い布を羽織っている姿も他の個体と同一視できない。

 それでも倒すしかない。冒険者はモンスターを討伐できる数少ない人種だ。そのために日々を過ごしていると言っても過言ではなく、もちろん金を稼ぐことに猛進する者もいるが、多くはモンスターとの戦闘に特化している。

 この四人も例外ではなく、兄が作り出した隙を突くため、ネッテは勢いよく飛びかかる。それでも目的の高さには至らず、上半身を覆うローブにしがみつくのがやっとだ。

 黒い布地を掴みながらカサカサと這い上がる姿は、台所で時折見かける黒い虫のようだが、ネッテにそのことを伝えることはできない。そんなことをすれば殴られてしまう。

 嬉々として登り終えた結果、そこから見える景色はここが何もない寂れた荒野だと再確認させる。

 どこまでも続く大地は薄い茶色一色であり、ところどころに存在する亀裂が黒く染まっている程度だ。

 四方を山脈に囲まれたここは今まで隔離されており、それゆえモンスターの楽園となっていたのだが、人間がいないここはそれらにとってただただ退屈な場所だったに違いない。


「ふんす!」


 しかし、今は違う。肩に乗っかる小さな少女はショロトルにとって待望の獲物であり、二本の短剣で斬りかかってくる姿も無駄な足掻きにしか見えない。

 肩にかかる黒い布地を踏みつけながら、ネッテはエイビスとビーニードルを振りぬく。

 狙うは目の前の頭蓋骨であり、その大きさは首を含めれば平たい胸近くにまで達する。

 ネッテはショロトルの右肩を足場にしながら頭部側面に刃を走らせ続け、空っぽな頭の破壊にまい進する。

 水の武器では傷つけられずとも、ネッテの攻撃は次々と白い骨を刻んでいく。その事実が仲間達に勝利を確信させるも、このモンスターは一筋縄ではいかない。

 イリックを狙う大きな左腕が、標的を当然のように変更する。足元のイリックよりも右肩で暴れまわるネッテの方がやかましく、なにより脅威だ。

 肌にとまった蚊を潰すように、ショロトルはネッテめがけ左手を運ぶ。その動きは風を切るほどに速く、人間を圧殺するには十分だ。

 そうはさせない。力強い意志のもと、圧迫感を伴った熱風が吹き込む。

 ウォーシャウト。剣と盾を構えたアジールの戦技であり、ネッテへの攻撃はこれによって中断させられる。

 狙われる危険性を考慮すれば、この戦技の使用は避けるべきだ。放たれる雷撃はアジールを一撃で葬り去れてしまう。アダマン製の盾ゆえ、防ぐことは可能かもしれないが、対応するための反射神経を備えておらず、絵に描いた餅に等しい。

 それでも問題ないことを、ネッテ以外の三人は理解している。

 ゆえに、イリックは感心しながら眼前の巨体を見上げる。


(さすがアジールさん。盾役としては完璧だな。さてさて、これで倒せるといいけど……)


 動きを制限されたショロトルは動けない。右肩の人間を殺したいが、ウォーシャウトによってそれは阻止されている。ゆえに骨の体をきしませることしかできず、顔を刻まれながらも今は事実を受け入れるしかない。

 攻撃対象を変更する。短剣を振るう少女から、背後に立つ長身の女へ。

 殺す順番が変わるだけであり、それを甘んじてしまえば後は簡単だ。

 わずかに浮いている体が左回りに転進する。アジールへ左側面を向けてしまえば目的は果たせてしまう。

 残された左腕をローブから露出させ、センチネルシールドを構えるアジールへ向ければ準備は完了だ。後はこのままスパークを詠唱すれば良い。そうすることで人間を一人始末できる。

 だが、それすらもさせない冒険者がイリックであり、正面で仲間を狙う巨大なスケルトンに三度目の重圧を押し付ける。


「ウォーシャウト。これで終わりだな」


 アジールのウォーシャウトは上書きされる。この戦技はそういうことが可能であり、モンスターの動きを縛る有効な戦術の一つだ。

 ネッテからアジールへ。渋々ターゲットを変更したのも束の間に、再度無理やり行動を阻害されたのだから、もはやショロトルは震えることしかできない。

 一方的に殺すつもりでいた人間がこうも抵抗するとは夢にも思わず、肩の上で暴れまわる人間の無駄な足掻きにも辟易としてしまう。

 そう。ネッテでは倒せない。正確には、このままでは倒しきれない。

 このモンスターはそういう化け物であり、ネッテは手応えでついにこの事実を知ることとなる。


「お、おかしいよ! 切れなくなった!」

「はぁ!?」


 頭上からの報告にイリックは大きく口を開く。このまま倒してくれるだろう。その目論見が意味不明な理由で粉砕されてしまったのだから、一瞬だが思考は停止してしまう。なによりかっこつけたばかりだ。恥ずかしくて仕方ない。

 眼前の頭蓋骨を破壊できなくなってしまった以上、そこにいつまでも居座る理由もなく、ネッテは心地の良くなかった肩からぴょんと飛び降りる。

 一連の攻撃は無駄ではなかった。右手と左手の短剣達はある程度仕事を果たしており、その証拠にショロトルの顔は右側が半壊している。

 中は空洞なため、見た目以上の損傷ではなく、それでも後一歩で顔を破壊しきることはできていた。

 だが、またも攻撃が通用しなくなる。

 コネクトの発動により使用が許可されたオムニシエンス。イリックの魔力は低下しておらず、それでも右腕と肋骨を破壊して以降、この魔法は巨大な骨を傷つけられない。

 ネッテが握る二本の短剣。もちろん、刃こぼれなどしておらず、銀色の刃は今なお力強く輝いている。

 こうなってしまっては、可能性は限られる。

 ネッテは頭上にハテナマークを浮かべているが、残りの三人はそれぞれにこの現象と向き合い、検討する。


(攻撃を学習して、免疫力でも身に付けるのか? だとしたらとんでもないモンスターだな。完全に手詰まりだぞ……)


 イリックは考えを巡らせる。手元のカードは全て出し切ったが、それらは全て無効化されてしまった。少なくともそう予想できてしまう。

 立ちはだかる巨体は五体満足とは言えず、もう一押しで討伐できそうだが、これ以上はどうにもならないとこれまでの事実が述べている。


(イリックとロニアの魔法。ネッテの武器。全部ダメ。私なら?)


 アジールは可能性を検討する。このモンスターに対して、唯一自分だけが攻撃をしかけていない。手元のブロードソードはミスリル製ゆえ、武器としての性能は申し分ない。試す価値はあると柄をギュッと握り締める。


(こうなってしまったら、もう逃げるしかないわね。でも……、それまで持ちこたえられるかしら)


 ロニアの頭脳を持ってしても、打開策など見出せない。このようなことをやってのけるモンスターなど過去に存在しておらず、いくら博識であろうと類似点すら見つけられない。

 ゆえに導いた結論は逃亡なのだが、そのためのテレポートはまだ使えないことを知っている。イリックが幾度となく水の武器を作り出したことから、その分マジックポイントが消耗しており、補充されるまでの間はどうにかして生き延びなければならない。

 防戦に徹すればいくらかは時間を稼ぐことも可能だろう。ロニアはそう考え、狙われているリーダーを見つめる。

 ウォーシャウトによってショロトルの狙いはイリックに絞られており、両者は十秒間、攻防を強制される。

 その間は他者が攻撃しなければならないのだが、それが意味を成さないと突きつけられたばかりだ。

 すなわち、狙われていない者は黙って見守ることしかできない。

 そのはずだが、アジールは駆ける。イリックを見下ろす巨体が自分を見ていないがゆえに、最後の可能性を自らの手で検証する。

 右手に握る片手剣は幅広な剣身を伸ばしており、見た目よりもいくらか軽い。

 この武器なら通用するかもしれない。そんな淡い期待を抱きながらも、少しだけ肌寒い風をかきわけて前進する。


(――何を? って、今は集中)


 イリックはゴクリと喉を鳴らして腰を屈める。右手にはお守りのように水の剣が収まっているが、これが攻撃面では役に立たないことは知っており、まさに保険として装備している。

 ウォーシャウトを使ったということは、ショロトルの攻撃を一手に引き受けなければならず、その第一弾が骨だけの左手から繰り出されようとしている。

 これ以上、マジックポイントを消耗したくない。テレポートが遠ざかるからだ。

 当たれば即死もありうる。それは避けなければならない。

 そんな二つの算段から、イリックは次なる戦技を発動する。アジールの動向が気にはなるが、それよりも今は身の安全が最優先だ。

 予想通りの発光がモンスターの手のひらから放たれる。薄暗い空で時折見受けられる雷のようなそれは、時折曲がりながらも獲物を目指す。

 スパーク。ただの攻撃魔法だが、高い魔力の持ち主が使えば生物など容易く殺せてしまう。

 冒険者すらも仕留めることができるそれの直撃など許容できるはずもなく、イリックは身体能力以上の加速を実現してあっさりとその場から消え去ってみせる。

 ネッテが将来習得するこの戦技は、たったの十秒間だが移動速度を爆発的に上昇してくれる。目にも留まらぬ雷撃ですら、このアサシンステップを用いればあっさりと対処可能だ。

 そんな攻防を尻目に、アジールは左手の盾を前面に押し出しながらもブンと片手剣を振り下ろす。見上げなければ全容を確認できない巨体の左足はアジールにとっても太く、それでもブロードソードを用いれば容易く両断できるはずだ。

 安全に攻撃できる時間は限られている。ゆえに全力で疾走し、ショロトルの足元に辿り着いている。

 アジールの考えが正しければ、このモンスターは右足に続いて左足も失う。わずかであろうと浮遊しているのだからたいした損傷ではないのかもしれない。そうであろうと関係なく、今はこの剣撃が通用するのか否か、それを見極める意味合いが大きい。

 きっと勝てる。

 何の根拠もないアジールの希望は、やはり幻想でしかない。

 一方、イリックとロニアは予想通りゆえ、眉一つ動かさずにこの出来事を受け入れる。

 銀色の太い刃は白い骨にガキンと弾かれ、そこに傷を作り出すことすらできない。ネッテの短剣が通用しないのだから、誰の武器であろうと結果は同じということだ。


(じゃあ、どうすれば倒せる?)


 アジールはアンデッドとは思えぬ巨躯を見上げながら後退する。装備が万全ではない自分に出来ることは少なく、その一つも完全に否定されてしまう。

 残されたことは魔眼での貢献と、ショロトルの討伐方法を考え、見極めることだが、それも現状のままでは難しい。

 物理攻撃も魔法も通用しない。そんなモンスターがいていいはずもなく、しかし眼前に君臨する巨大なスケルトンはまさにそういう存在だ。


「イリック! 逃げるしかないわ!」

「むぅ……」


 ロニアの叫び声がイリックに突き刺さる。

 冒険者として、そして人間として、このモンスターには敵わないと四人がそう理解している。

 イリックは否定できずに唸るが、本心を口にすることも難しい。

 もっと戦いたい。

 そして倒したい。

 ゆくゆくは不老不死の女を倒さなければならないのだから、このようなモンスターに苦戦している場合ではない。

 不死身という点では相似なのかもしれない。だからこそ、イリックは仲間の提案には乗り切れない。

 それでもその選択肢を選ぶしかなく、自分のわがままで仲間を危険に晒すことは決してできない。


「後どれくらいで詠唱できるの?」

「――五分くらい?」

「そう……」


 ロニアにとって、この時間は長く感じてしまう。

 イリックが何度も魔法を使ってしまった結果、乏しいマジックポイントは随分と減少している。左耳のガイストピアスがじわじわと補給してくれるのだが、テレポートは膨大なマジックポイントを必要とする。

 必要量が満ちるまで、後五分を要する。長いのか、短いのか、微妙なこの期間はすなわち戦闘の継続を意味しており、イリックは自分に向けられた二発目の雷を瞬間移動の如くやり過ごす。


「お兄ちゃん。私はどうしたらいいー?」

「ロニアさんと合流して、避難の準備を! 狙われたら一目散に逃げろ!」

「ガッテン!」


 ネッテはもはや戦力外だ。それは全員同じだが、イリックほどの柔軟性を持ち合わせておらず、戦況の変化には対応できない。

 女性陣の中で唯一ショロトルの魔法にある程度抗える俊敏性の持ち主ではあるものの、その能力はロニアをカバーするために必要だ。

 こうして、四人の陣形は大きく変化する。

 先ほどまでは巨大なスケルトンを三人で囲み、ロニアがイリックの後方に陣取っていたが、今は消極的な立ち位置へ推移する。

 ショロトルの正面にはイリック。ウォーシャウトが切れる寸前ゆえ、まだ睨みつけられている最中だ。

 ショロトルから見て左側にはアジールが位置している。魔法が届くギリギリの距離まで後退しており、攻撃にも逃亡にも適している絶妙な距離を保っている。

 イリックの遥か後方ではロニアとネッテが戦況を眺めており、防戦一方のイリックを見守ることしかできない。

 仕切りなおしだ。イリックは一人で踏ん張ろうとする。

 理由は単純明快であり、つまりは負けたくない。倒したい。そんな欲求に突き動かされている。

 冒険者としての本能が理解している。このモンスターを倒せないようでは、決してリインを倒せない、と。

 不死身の女は絶対に不死身ではない。そんなことは既に見抜いており、そのための突破口も大勢の冒険者が紡いだ歴史の中から探り当てている。

 それを実行するための手段が手元にないだけで、見つけ次第、リインを殺すつもりでいる。

 その日は今日でもなければ明日でもない。いつになるかはわからないが、いつまでも先延ばしにするつもりもなく、ゆえにこの足は嵐の谷に自分を運んでくれている。

 そこでこのモンスターと偶然遭遇する。

 様々な属性を付与した水の攻撃魔法が通用しない。すなわち、攻撃魔法では倒しきれない。

 ネッテやアジールが装備している一級品の武器でも部位破壊がやっとだ。今ではなまくらなカッパーソードと同等の価値しか発揮しない。

 今のままでは倒せない。そういう意味ではショロトルとリインは近い存在だ。

 ゆえに諦めることはできない。

 そうしてはいけない。

 イリックはこう考える。もし神がこの世に存在するのなら、それすらも殺すことは可能だろう、と。神は単純に強いだけであり、自分達もその域まで達してしまえば、いくらでも戦いようがあるはずだ、と。

 単なる決めつけでしかないが、冒険者はそういったことから始める。次のステップとしてそれを検証し、再度作戦を練りなおす。

 モンスターとの戦闘はこれの繰り返しであり、人類が今なお人間としての日常を謳歌できている理由は、長年積み重ねられた膨大な情報を冒険者や軍人が有効活用してきたからだ。

 残念ながら、その中にショロトルの討伐方法は記載されていない。自らの手でそれを探り当てるしかなく、冒険者として、こんな幸せは他にはない。


「武器もダメ。魔法もダメ。じゃあ、何で攻撃すればいい?」


 イリックは足を止めて巨大なモンスターを見上げる。もちろん返答などなく、この問いかけは独り言に終わる。

 右側が駆けた頭蓋骨には眼球などなく、空っぽの目が赤いコート姿を不気味に見下ろしている。

 人間とモンスター。相容れない両者だが、互いの欲求は一致している。

 目の前のこいつを殺したい。

 この世界はそう仕向けられており、この本能は設計図通りの至って普遍的なものだ。

 だからこそ、ウルフィエナは存在できている。周囲を取り巻く深遠の闇はどこまでも暗く、そんな中で生き物を繁栄させているここは奇跡の星だ。

 トリストン大陸。この世界で最初に作られた大陸。

 アリカ大陸。人間とリザードマンが今なお争う戦乱の大地。

 シーブル大陸。オークが支配する絶望の地。

 コンティティ大陸。王国とジャイアント、そして魔女が牽制しあう未開の土地。

 多くの人間と大量のモンスターが雌雄を決するこの世界において、この戦いなど些細な一戦に過ぎない。

 それでも当事者にとっては全てであり、イリックは全身全霊で立ち向かい、最終的には勝利を掴むつもりでいる。

 テレポートでの脱出。もちろんこれも脳内の片隅に用意しながら、それでも考えるべき方向性は別を向いている。

 どうすれば倒せる?

 諦めない精神力はどこから来るのか、それはイリック本人にもわからない。冒険者が冒険者として日々を駆け抜けるために必要な条件の最たるはこれであり、源泉の見当たらないこの活力が彼らを突き動かしている。

 最終的には尻尾を巻いて逃げることもある。

 時にはさっさと諦めて匙を投げることもある。

 これらは決して悪いことではない。そうすることで生きながらえることも可能かもしれないからだ。

 だが、この局面でそれは選べない。ここでの後退は、リインから遠ざかることに等しい、そう思えてしまう。

 イリックは右手の剣に魔力を送る。

 水色の剣身は茶色い光をまとい始め、まるで土が塗られたように茶色く染まる。

 土属性を付与することで、ショロトルのスパークを打ち払う。先ほど発動させたウォーシャウトとアサシンステップは既に効果切れを迎えており、すなわちここからは残りわずかな手札で挑まなければならない。


「あなたのお兄ちゃん、逃げるつもりはなさそうね」

「変なところで負けず嫌いなんだから~。でも、そういうところがかわいい!」


 ロニアとネッテは肩を並べて前だけを見据える。その先で戦う少年は自分達のリーダーであり、彼を中心に自分達がまとまっていることを自覚している。

 戦技が消え去ったことでその動きはいくらか鈍くなったものの、それでも迫り来る眩い雷光をかろうじて避けることには成功している。長くはもたないかもしれないが、その目が諦めてはいない以上、二人も指示がくるまでは待機を選ぶ。

 イリックが地面を蹴り、追いかけるように雷が降り注ぐため、わびしい地面には次々と掘り返されたような大穴が作られていく。

 戦いが長引くにつれ、その数は増していき、浮いているショロトルには関係ないものの、地に足を着くイリックには悪影響でしかない。

 そして、その時は訪れる。

 イリックの上半身がグワンと傾く。右足が地面を踏み損ね、穴に飲み込まれた結果だ。頭の中で思い描いた情報と足の感触が不一致を起こし、脳が一瞬だが混乱してしまう。

 慌てて左手を伸ばし、転倒はかろうじて免れるがこのタイミングは最悪でしかない。

 巨大なモンスターは見逃さない。そもそも今まさにスパークの詠唱を完了させたばかりであり、黒いローブから伸びる骨の手は動かぬ獲物へ向けられている。


「あ」


 イリックは情けなく口を開いて上を見上げる。

 白い手のひらでは魔力が収束しており、形となって具現化している。


「あ!」


 ネッテは兄の危機を察知する。今から駆けつけても間に合わないが、体は反射的に前のめりの姿勢へ移行する。

 途端、雷撃がイリックへ伸びる。眩く、いくらか太い光は目で追える速度を遥かに上まわっている。攻撃魔法は矢のような速さで発射されるが、スパークはその中でも回避が難しいことで有名だ。

 だが、問題ない。イリックはこういった不測の事態に備えて手段を残している。

 戦技ゆえに詠唱時間の類は必要なく、目に見えないスイッチを押すように一瞬で発動を間に合わせる。


「インビンじゃー! やけくそだー!」


 使うつもりのなかった奥の手まで披露してしまった以上、イリックはさらに前へ進むしかない。

 後退は誰かの死を意味してしまう。スパークだけでも厄介だが、このモンスターは巨体に反してネッテ並の速度で移動する。逃げ切れるのは兄妹だけであり、アジールとロニアは瞬く間に追い詰められ、そして殺される。

 残された時間はたかが一分。インビンシブルは効果時間の間だけ、使用者をあらゆる攻撃から防いでくれる。

 この時間を無駄にするわけにもいかず、発動させた今だからこそ、試せることも存在する。

 偶然、パッと思いついただけだが、イリックは雷にうたれながらも鼻息荒く立ち上がる。

 もはやこの雷撃も眩しいだけの目くらましでしかない。向こう一分間はこれによって行動を阻害されることもなく、自身を経由して地面へ伝わっていくだけだ。


「顔、右腕、腹、右足……。とりあえずここらへんは壊せてるんだよな~」


 状況把握を行いつつ、無敵と化した肉体を走らせる。


「つまり……、つまり? 何だろう?」


 わからない。わからなくても試せばいい。そのための時間を手にしたのだから、有効活用するまでだ。


「あぁ、どこかが破壊されると、別の場所が固くなるのか?」


 イリックはつぶやきながらも大きく跳ねる。先ほどのネッテよりもさらに高く、それでいて力強い跳躍は、あっさりと体と黒いローブを抜き去り、人間の体よりは幾分小さいむき出しの顔とイリックを向かい合わせる。

 このモンスターは言葉を話すことはできない。人間の言葉も通じない以上、見つめあったところで会話など成立しない。ゆえに両者がやるべきことは簡単だ。

 命の奪い合い。そうすることでしかわかりあえない関係ゆえ、イリックは冒険者らしく振舞う。


「オラッ!」


 空中で静止するや否や、いっきに体を捻り目の前の頭蓋骨を蹴り飛ばす。これで倒せるとは思っていない。自慢の魔法や武器が通用しないのだから、そういう目的で顎を蹴ったわけではない。

 先ずは転倒させる。ショロトルは一階建ての家よりも長身なため、立たれたままではいかに強気な冒険者であろうと肉弾戦は不可能だ。防御を捨てて一心不乱に攻撃ができる状態であろうとそのことには変わりない。

 落下するイリックの目の前で、黒い布をたなびかせながら巨躯がゆっくりと後方へ倒れていく。わずかながらも浮遊していることから、思い描いた通りに事が運ばない可能性を考慮していたが、イリックの思惑通りにショロトルは倒れこむ。

 ドスンと背中を打ったのだから、この状況を見過ごすわけにはいかない。好機と捉え、倒した張本人は嬉々として追撃を開始する。

 体の大きさも大概だが、スケルトンにも関わらずローブをまとっていることが腑に落ちない。

 ゆえにイリックは水の剣を投げ捨てると同時に走り出し、一本の太い骨で構成された喉元に移動する。

 最初からそういう色なのか、長年ここの風に晒され続けた結果、黒一色に染まってしまったのか、それは着ている本人に訊くしかない。だが、残念なことに意思疎通は難しく、この疑問は永遠に謎のままだ。

 そんなことを気にも留めず、イリックは右手で布地を掴み、全力で剥ぎ取る。

 顕わになった部位はやはり骨しか見当たらず、散々スケルトンと闘っている彼らが今更驚くことはない。一度目のオムニシエンスにより、左側の肋骨は消滅しているが、このモンスターにとっては致命傷ですらなく、右腕と右足を失おうと戦闘すら問題なく継続できている。

 遠くでイリックの奮闘を眺めるロニアは、少しだけ呆れながら口を開く。


「――また少し強くなってない? 基礎を学べたから、いっきに躍進できたってことかしら?」

「すごいすごい!」


 ロニアは目を細め、隣のネッテは目を輝かせる。どこか対照的な二人だが、見つめる男は同一人物だ。

 ロニアの言う通り、この男は今なお成長している。

 子供の頃から鍛錬を積んではいたが、成長度合いは著しく鈍く、近隣のモンスターを打ち負かすまでに四年の年月を要する。この期間は冒険者を目指す人間としてはあまりに長く、言ってしまえば才能には恵まれていない。

 それでも諦めなかったことがこの少年の才能であり、その後の七年が一人前の戦士に仕立て上げる。

 イリック、十八歳。今では冒険者としてあちこちを走り回っており、いくつもの冒険と様々なモンスターとの戦闘が、後衛回復役であるこの男を一流の前衛攻撃役に成長させる。

 残念ながら魔法に関する才能はない。そのことを悔いることもあるが、コネクトとガイストピアスがそれを解決してくれる。

 今では腕力でアジールに勝る。腕相撲で負けた記憶も楽しい思い出と化している。

 反射神経では劣るものの、瞬発力と脚力は妹を優に超えている。その証拠が先ほどの跳躍であり、今では一戸建ての家程度なら飛び越えられてしまう。

 ここまで強くなれた理由は複数ある。

 金を稼ぐため、そして冒険の度に、イリック達は数え切れないほどのモンスターを討伐してきた。

 この世界には不思議な仕組みが導入されており、人間はモンスターを倒すだけで心と体を鍛えることができる。

 心とは魔力やマジックポイントであり、体は身体能力を指している。

 腕立て、腹筋、ジョギング、こういったことでも己を鍛えることは可能だが、モンスターの討伐はそれ以上の早さでそれを実現する。

 先の探索では、トゥルル遺跡でアイスゴーレムを何十体と殲滅している。

 ここに至る道中でも、ヘルスコーピオンとサンダークラブ、その他いくつもの強敵達を蹴散らしている。

 成長しないはずがない。

 強くなって当然だ。

 それはネッテやアジール、ロニアも同様だが、イリックの成長曲線は三人を上回っている。

 魔法に関する成長が見込めない反動かもしれない。ロニアは失礼ながらもそんなことを考えてしまうが、決して本人には告げない。イリックは今なお、こっそりと魔力の増加を夢見ている。


「あの戦い方……、どこかのヒゲを連想させるわね」

「ぷぷー。ウェイクさんー」


 ロニアは感慨深く、そしてどこか呆れながらつぶやく。後衛回復役でありながら、武器を握って最前線で戦う姿にはすっかり見慣れているが、ついには素手でモンスターとやりあうのだから、心境としては複雑だ。

 ネッテは笑いながら正解を言い当てる。

 デフィアーク共和国の軍人。鼻と唇の間にヒゲを生やしている男、ウェイク。茶色い髪はオールバックに整えられており、おでこをしゃんと出している。渋い顔にそれらはマッチしているのだが、女性陣は時折思ってしまう。

 ヒゲを剃ればもっと格好いいだろうに、と。

 イリックは童顔な上にヒゲは生えていない。ゆえに二人の姿が被るはずもなく、しかし、その戦闘スタイルはどこか通じるものがある。

 もちろん偶然ではない。ネレネン王国へ旅立つ前の一か月間、イリックはウェイクやマッカスにしごかれ続ける。

 強くなるためであり、その甲斐あってイリックは一段階どころかそれ以上の階段を駆け上がる。

 高まった身体能力もそうだが、最たる変化は肉弾戦の併用だ。

 右手で剣を振るう間は左手が空いている。両足もしかり。

 ウォーシャウトしか使えないウェイクが手数を増やすために辿り着いた戦闘スタイルがこの戦い方であり、イリックはそれを気に入り、習得する。

 見よう見真似でしかないが、一か月間もお手本と共に過ごせば、それくらいのことは嫌でも身に付いてしまう。

 実演するように、イリックは巨大なスケルトンを蹴り飛ばす。皮も肉もない骨格だけの体だが、人間の倍を超える身長ゆえ、それ相応の重量を伴う。

 そんな相手をイリックは転倒させることに成功する。インビンシブルにより自身への負担を一切考慮しないからこその荒業かもしれないが、その戦技ももはやイリックの一部になっている。

 反撃とは程遠い一撃は、このモンスターを倒すための第一歩でしかない。武器も魔法も通用しない相手とどう戦えばいいのか、それを今から探る。

 この攻撃は、そのための布石でしかない。

 今の今まで、そのつもりでいた。


「ん?」


 イリックは気づく。勘違いでもなければ、幻でもない。それは結果として、確かに視認できる。

 巨大なしゃれこうべの顎がわずかにひび割れている。ネッテが既に顔の右側面を損壊させていたが、それとは別の傷だ。

 すなわち、イリックが先ほど蹴った部位が損傷している。転倒させるだけに留まらず、ダメージを与えることにも繋がった証だ。


「どういうこと?」


 わからない。わからないが、眼前で横たわるアンデッドを一歩死に近づけることには成功している。

 自身の脚力がロニアの魔法を上回るとは思えず、ミスリルの武器よりも鋭い切れ味を誇ることもない。

 ゆえに理解できない。なぜ、顎先をわずかながらも割ることができたのか、うれしい誤算だが、謎は深まるばかりだ。

 ゆえに考え込んでしまうのだが、そんな間抜けをモンスターが見落とすわけもなく、寝そべりながらも左腕をぐいっと動かし、骨だけの手でイリックを力強く握る。

 人間より大きな上半身を無機質に起こし、掴んだ獲物を目の前に運ぶ。握りつぶすために骨の指達を閉じようとするも、今のイリックはこの世界で最も硬い。小さな人間だが、太い指はそれ以上動かない。

 それならそれで構わないのか、ショロトルは次なる攻撃を開始する。イリックを掴む左手を起点に、激しい電流が発生する。手のひらに収まる獲物へ直接スパークを流し込んで焼き殺す算段だ。


「すごい光景よね。他所の冒険者に目撃でもされたら、仲間を見捨ててるって思われそうだわ」

「そうなのー?」


 ロニアは風と共に踊る髪を押さえながら、ネッテは不思議そうな表情を浮かべながら、ありえない戦いを観戦する。

 イリックはインビンシブルを使用している。ゆえにどんな攻撃にも涼しい顔で耐えられる。この攻防もその結果だが、インビンシブル自体が非常に稀有な戦技なため、巨大なこのスケルトンもその戦技も、本来ならばありえない。

 雷撃に晒される仲間を遠巻きに眺められる経験は広大なウルフィエナにおいても彼女達だけの特権だ。

 そもそもショロトルはここにしか生息しない突然変異。

 対戦相手のイリックはインビンシブルを使える。

 掴まれながら、スパークを撃ち込まれる。

 偶然と奇跡が織りなすハーモニーは、荒野に吹く寂しい風によって打ち消される。骨の手に全力で握られようと、人を殺すには十分な雷に晒されようと、イリックは悲鳴一つあげずに現状把握に努める。


(う~む……。って!?)


 そしてイリックは気づく。自身は痛くもかゆくもないが、着ている服がちりちりとこげている。

 真紅のコート、ブレイズマーシャラーも例外ではなく、大事な一張羅ゆえ、このままでいいわけがない。


「やばい!」


 ズボリと右手を空へ突き上げ、体を包む骨の指に渾身の肘打ちをおみまいする。脱出するための行為だが、その結果は再びイリックを驚かせる。

 パキリ。綺麗な高音と共に、指とは思えぬ太い骨に亀裂が走ったからだ。足による攻撃に続き肘でもこのモンスターを負傷させることに成功する。

 この事実がイリックを答えに導こうとする。だが、前例のないこの特徴はそう易々と真相を掴ませず、それでもやるべきことは判明したのだから、イリックはもう迷わない。

 電撃は止まったが、握られたままでは先へ進めない。自身を離さない握力は、インビンシブルを発動させていなければあっさりと体液を搾り尽くす。それでも抜け出さなければならず、イリックは左手も脱出させてヒビの入った骨に両手を乗せる。


「グヌヌヌゥ!」


 先ずはショロトルの左手からの脱出だ。このモンスターを倒すにはそれを成さねばならず、戦技によって守られているこの時間を無駄にするわけにはいかない。

 見回りをしていた頃よりも発達した筋肉を総動員し、幾重ものモンスターを葬り去った頼もしい腕に限界まで力を籠める。

 インビンシブルの残り時間は既に半分をきっている。猶予はわずかだ。


(……ふむ、これはやばい。抜け出せん)


 侮っていたわけではない。想定を上回っただけだ。イリックの身体能力をもってしても、巨大なスケルトンの握力には敵わないと判明してしまう。

 体をわずかに持ち上げることには成功したが、このペースでは左手から抜け出るより先にインビンシブルが消滅してしまう。すなわち握り殺される。

 倒し方はわかった。理屈はまだ解明できていないが、それは追い詰めながら考察すれば良い。

 にも関わらず、それを実行できないこの状況は非常にまずく、イリックはそんな危機と直面しながら、ふと新たなアイデアを閃かせる。

 助けを求めるためではない。ネッテとロニアが待機している遥か後方に顔を向け、小さく口を開く。


「こいつを倒すのは骨が折れるな……。骨だけに」


 小さな小さな独り言は決して仲間の耳に届かない。そういうボリュームでつぶやいており、聞かせるつもりなど毛頭ない。

 ただ言いたいだけゆえそれで良く、イリックは少しだけ満足そうに正面へ向きなおす。そんなことをしている場合ではないが、思いついてしまったのだから仕方なく、時間を無駄にしたこの行為を少しだけ後悔しつつも、さっと頭を切り替えて作戦を練りなおす。

 まだやれる。

 まだ手は残っている。

 どんな状況でも前向きに考えなければ生き残れない。冒険者らしい思考回路は、この男にもしっかり根付いている。

 一方、兄が追い込まれていることを何となく察しながらも、妹はしっかりと受信する。才能の塊のようなこの少女は、高い身体能力を要しており、それは聴覚においても当てはまる。


「骨だけに骨が折れるって言ってるー」

「そう……。倒す算段がついたってことかしら? 後でお兄ちゃんに聞いてみなさい。おもしろいって思ったの? って」

「わかったー」


 このギャグではネッテを笑わせることはできないらしく、真顔で発言を反芻させてしまう。

 イリックとしては至極不甲斐ない結果に終わったが、そもそも拾われるとも思っておらず、なにより今は四苦八苦している。

 そう。このままでは勝てない。そればかりか殺されてしまう。

 一人では倒せないらしい。現状はそう分析するしかなく、ゆえにイリックはどこか渋々助けを請う。

 仲間を危険に晒したくない。そのためにはモンスターを一人で倒せばいいのだが、それができない今、加勢を要求せざるをえない。


「アジールさん! こいつは殴るか蹴ると倒せます! ウォーシャウトお願いします!」


 イリックを巨大な骨の手から救い出せる人物はアジールだけだ。そのための戦技を保有しており、盾役の特権がそれを可能とする。


「わかった」


 アジールはむき出しの地面を踏みしめながら前進する。魔法が届かない安全な距離を保っていたため、戦技にしても射程外だ。

 イリックを助けるためにも、そしてこのモンスターを倒すためにも、先ずは近づかなければならない。

 倒す。イリックが倒してくれるのならそれで構わないのだが、アジールは戦況をきちんと把握できており、劣勢であることをイリックに次いで理解できている。

 インビンシブルの残り時間が短い。

 一人では脱出できないほどに手ごわい。

 倒すために、武器や魔法を用いることができない。

 この三つが重なっていることから、このアンデッドは思っている以上の強敵に分類できてしまう。


「ウォーシャウト」


 静かに、しかし力強く、アジールの体から発せられた怒気がショロトルを包み込む。時折吹く湿った風よりも存在感のあるこの戦技は、骨だけの体から自由を奪うことに成功する。

 これ以上は握り潰せない。無敵と化したイリックを、新たな理由で殺せない。ショロトルはどこか悔しそうに、そして名残惜しそうに左手の握力を落ち着かせる。精神力ではどうすることもできず、目の前で人間が手のひらから抜け出る様子を凝視することしかできない。

 この状況はただただおもしろくなく、何より次の一打は非常に不愉快だ。


「っせい!」


 理屈も原理もわからない。それでも確定した以上、実行するまでだ。

 イリックは骨の手を土台として、勢いよくそこから跳ねる。目指す先は右側面が欠損した顔面であり、目の前にあるのだから容易に到達できてしまう。

 空中で、先ほどのように再び白い顔を蹴り飛ばす。インビンシブルが有効な今だからこそ可能な、全力を超えた全力で右足を振り抜く。

 予定通り、白い欠片が散りながら巨体が倒れていく。下顎は今の一撃でさらに砕かれるも、まだ完全な破壊には至らない。


「手伝ってくるね!」

「気をつけなさい。傷ついたら癒してあげるわ」


 見守る時間は終わりだ。ネッテはぐっと腰と落として走り出す。イリックからもたらされた情報はショロトルの倒し方であり、自分でも手伝えると判断した以上、加勢しない道理はない。

 後衛攻撃役のロニアだけはどうすることもできない。非常に卓越した運動能力を備えてはいるものの、それは一般人と比較してであり、イリック達からすればひ弱な人種に違いない。

 だからといってやれることがないわけでもない。水と光を混合させた世紀の発明、ヒーリングカレントが仲間を癒すことができる。攻撃は三人に任せ、自分はサポートに徹するという判断はパーティの一員として正しい。

 尻餅をついた巨体目掛け、三人が集う。

 イリックは相手を葬り去るため、おどろおどろしいその顔を殴る。鋼のように硬い拳から繰り出される打撃は本来の威力を大きく上回っており、少しずつだが頭蓋骨を砕いていく。

 ネッテはむき出しの肋骨に殴りかかるも、拳が痛むだけでダメージを与えるには至らない。細い腕とは裏腹に高い腕力を秘めてはいるものの、ショロトルを成す骨は人骨とは比較にならないほど頑丈だ。素手のネッテではどうすることもできない。倒し方が判明したところで、この少女ではどうすることもできない。

 アジールはあえて近づき過ぎない。今はウォーシャウトを理由に自身が狙われている。下手な接近は相手に好機を与えるだけだと理解している。攻撃は兄妹に任せて、自身は縁の下から支えることを選ぶ。

 だが、本心は違う。このままではまずいと理解しており、打開策は自らの内に眠っていると考える。

 イリックでは倒せない。冒険者として、男として、随分と頼もしくなったが、それでもこのモンスターとは相性が良くない。

 自慢のコネクトではショロトルを倒しきれず、残された方法は打撃だけだと判明したからだ。

 そう。この巨大なスケルトンは、突然変異として巨大な体以外にもう一つの特性を得ている。

 それは冒険者にとっても厄介な仕組みであり、イリックは百点満点ではないがその答えに辿り着いている。

 片手剣や短剣による斬撃。

 オムニシエンスやゲイルロドのような魔法攻撃。

 そして、殴る蹴るといった打撃。

 この三種を全て用いなければ倒せない存在。それがこのモンスターであり、イリックだけでは倒しきれない理由だ。

 つまり、一種類の攻撃手段ではショロトルの体力を三分の一までしか減らせない。かなり追い詰めてはいるものの、打撃で最後の一押しを行わなければならない。

 これが難しく、遠い。

 オムニシエンスは一瞬にして魔法で与えられる上限のダメージを与えることに成功している。

 ネッテの短剣もいくらか時間を要したが、右足を切り落とし、顔もいくらか破壊し終えて役目を終えている。

 満身創痍の巨体はそれでもなお現存しており、ここからはパンチやキックで太い骨を破壊せねばならない。

 それが難しい。ショロトルはモンスターであり、見た目からしてありえないサイズだが、体を構成する骨は人間のそれとは似ても似つかないほど硬く、太い。

 それを自分達の肉体だけでどうにかしなければならない。

 イリックなら時間をかければ可能だ。インビンシブルという前提が必要だが、この戦技中は肉体の負荷を気にせず百パーセントの筋力で戦うことができる。そうすることで、現にショロトルの顔をネッテの短剣ほどではないがヒビだらけにできている。

 だからこそ、イリックとアジールは焦っている。頼みの綱はもうすぐ効果を終えてしまう。

 一分。長いようで短い時間は必ず終わりを告げてしまう。少なくともアジールが放ったウォーシャウトよりは先に役目を終えてしまう。

 そうなる前に倒したいのだが、イリックは自らの実力不足を後悔しながらそれを達成できないと痛感させられる。


(ウェイクさんのようにはいかない、か……)


 イリックがいくら上達しようと、まだ人間の規格からは外れていない。一般庶民からすれば雲の上の実力者だが、真の強者からすればまだまだひよっこだ。

 ミスリル製の武器を拳だけで破壊できる男。モンスターでも到底不可能なこの行為を、デフィアーク共和国の第三陸軍をとりまとめる軍長はやってのけた。ネレネン王国で開催された大会において、数多の傭兵達を蹴散らして優勝したこの男は努力だけで桁違いの腕力を手にしている。

 イリックはまだその域に達していない。真似事は可能でも、再現は不可能だということだ。


「た、倒せないよ~!」


 ネッテは後ずさりながら巨躯を見上げる。ショロトルが兄妹の攻撃をものともせず、ゆっくりと体を起こしたからだ。

 この事実は同時にタイムアップを意味する。インビンシブルはついにその役目を終えてしまい、ここからは負傷を受け入れるしかない。


「撤退しかない……か」


 イリックは悔しさを表情で表しながら、消え去りそうな声でつぶやく。リーダーとして間違った判断は下せない。ゆえにそう決断する。

 倒し方がわかっても、それを実行できなければ意味はない。

 残念ながら、その手段はこのパーティに見当たらない。

 そうである以上、残された二つの選択肢からどちらかを選ぶしかない。

 逃げるか、殺されるか。

 もちろん後者などありえなく、ゆえにイリックは今更ながら逃亡を決意する。

 だが、そのためにはテレポートを使わねばならず、そのために必要なマジックポイントは以前として足りていない。

 時間にして五分以上は待たなければならず、もちろんショロトルが一緒になって待ってくれるはずもない。

 逃げながら時間を稼がなければならない。

 イリック一人ならそれも可能だ。ずば抜けた脚力はこのモンスターよりも速く走ることを実現する。

 ネッテも同様に逃げ切れるが、問題は残りの二人であり、狙われてしまった場合、攻撃魔法であっさりと殺されてしまう。

 それは避けなければならない。撤退を前提としてマジックポイントを温存すべきだったのだが、ここまで苦戦することなど予想できるはずもなく、イリックのミスに違いはないが、非難する仲間はここにはいない。

 悔しいが諦めることを認めようとするイリック。

 どうすることもできず、指示を待つだけのネッテ。

 旗色の悪さを感じ取りながらも戦況を見守るロニア。

 そして、唯一の可能性を秘めているアジールがそっと前進を始める。

 やりたいことはシンプルだ。

 盾役として、パーティメンバーを守りたい。

 仲間として、三人を救いたい。

 女として、惚れた男を助けたい。

 アジールは戦技を一つしか持ち合わせていない。

 ウォーシャウト。盾役に必須なこの戦技は、モンスターの行動を阻害しつつ戦況をぐっとコントロールできる。

 だが、これだけでは相手を倒せない。盾役としてそこまで要求されることはなく、その役目は他の仲間が果たさなければならない。

 だが、今回はアジールが奮い立つ。

 嵐の谷ではイリックが盾役を兼務している。アジール用の鎧を購入できておらず、ブロードソードとセンチネルシールドだけでは心もとないからだ。

 彼女はそれでも願わずにはいられない。

 守りたい、と。

 盾役としての本能を筆頭に、様々な感情がそう抱かせる。

 だからこそ、二本の足は止まらない。自分が狙われていることなど失念するほどに、今は前だけを愚直に見据えてしまう。


「ウォ、ウォーシャウトォ!」


 その叫び声がアジールをハッとさせる。大きな手が向けられており、今まさに雷撃が放たれようとしていたが、それはイリックの戦技により阻止される。

 対象が変わろうと、詠唱を終えた魔法は放たれる。素早くイリックに向けられた左手からは、眩い閃光と共に雷撃が生まれ出る。

 殺す順番などショロトルにとってはどうでもよく、ウォーシャウトで自分を狙わせようとする二人の行為はどこか滑稽に思えてしまう。

 空からではなくモンスターから発生した雷は一瞬で獲物に命中する。回避行動にすら移行させず、スパークはイリックの命を根っこの部分から焼き尽くそうとする。

 だが、イリックは命を紡ぐことに成功する。回復魔法を使えることと、類稀な反射神経がそれを可能としており、黄色い閃光が体を破壊し終えるよりも先に、白い光が主を守護するため包み込む。


「――くっ、はぁ! これはやばいな……」


 イリックは冷や汗を流しながら自覚する。この魔法を仲間に向けさせてはならない、と。ブレイズマーシャラーを着ていながらも即死しかねない威力がショロトルのスパークには秘められており、この事実が逃亡の難しさを物語っている。


「お兄ちゃんがビリビリしてた!」

「やかましい! 逃げるぞ! 走れ!」

「ガッテン!」


 ネッテの冷やかしを受け流し、イリックはリーダーとして最善の手を提案する。すなわち撤退であり、ショロトルに背を向けて全力で走り出す。


「こっち来るな! 後で合流するから別の方向に走れ!」

「そうなのー?」


 イリックの足は速いが、ネッテは笑顔であっさりと追いついてみせる。駆けっこの延長でしかなく、この状況ですら楽しめる神経の図太さは冒険者として相応しいのかもしれない。

 だが、兄の意図を汲み取れていないことから、色々と足りていないことも紛れもない事実だ。

 駆ける二人を巨大なモンスターはじっと見つめる。追いかけて殺す。そんな殺意を隠そうともせず、体を起こしきり、その準備に移行する。

 ロニアにもイリックの指示は聞こえており、だが、その場から動けない。

 なぜならアジールが、巨大なスケルトンの足元から動こうとしないからだ。


(そうだった。そうなんだ)


 アジールは気づく。盾役として、仲間を守ってきたつもりでいたが、そうではないと今になって気づかされる。

 ウォーシャウトのおかげでモンスターの注意を自身に向けることはできていたが、肝心のそれは自分にはできていない。

 すなわち、仲間を守ってきた人物は自身ではなく、イリックだと悟らされる。

 アジールも内心ではわかっていた。だが、イリック達を守りたいという気持ちだけは誰にも負けておらず、単純に実力が足りていないと過去の経験が雄弁に物語っている。

 守りたいと思っていた。

 守ってきたつもりでいた。

 だが、事実は異なる。

 自身もまた、守られる側の人間だった。

 イリックという男がそれほどに頼もしく、それなら自分達はそれでもいいのかもしれない、と諦めにも似た心境を抱く。

 アジールの脳裏にふとそんな考えが駆け巡るも、今はそれよりも重要なことがある。

 イリックを、ネッテを、ロニアを守る。

 否、守りたい。

 そのための手段が自分には残っているはずだ。湧き上がる闘志が、今はそう思わせてくれる。


「アジールったら……、何を?」


 ロニアにはわからない。遠目には呆けているだけにも見えるが、凛とした立ち姿がそれを否定している。

 イリックは必死で逃げており、背後の出来事に気づけていない。ウォーシャウトにより自身が狙われていることは確定しており、もう二度とスパークを受けたくはない。

 ネッテは言われた通り、進路を変更してピューと駆ける。本当は兄と一緒に走りたいのだが、今はダメだと言われた以上、大人しく一人で逃げる。


「守りたい」


 傲慢かもしれないが、今はそうとしか言えない。アジールにとって、この三人は初めての仲間だ。

 冒険者として活動を開始して以降、戦技不足からパーティに加えてもらえる機会はほとんど訪れなかった。

 装備だけは充足していたが、ウォーシャウトのみでは盾役など務まるはずもなく、それでも諦めきれず、アジールは活動拠点を母国からサウノ商業国へ変更しようとする。

 定期船を使えば一日足らずで移動できるが、冒険者らしく、あえて陸路を選んでそこを目指す。

 その道中で偶然出会った仲睦ましい兄妹がイリックとネッテであり、アーリマンとの戦闘をえて親睦を深めることになる。

 アジールはその果てに申し出る。あらん限りの勇気を振り絞ったその願望は、少しだけ童顔な少年によって受け入れられ、三人はついにパーティを結成する。

 瞬く間にロニアも加わり、四人は冒険者として活動を開始するのだが、この時間はアジールにとってかけがえのない唯一無二だ。長年追い求めていたのだから当然であり、気兼ねなく共同生活をおくれる仲間達がそれをより一層引き立ててくれる。

 だからこそ守りたい。

 そう願わずにはいられない。

 盾役にも関わらず守られてきたアジールにとって、この感情はやはり傲慢以外の何者でもない。それでも今は強くそう思う。

 右手の剣と、左手の盾をガシャンと地面に捨てる。これらが通用しないことは判明しており、何よりこれからの行為には必要ない。

 目の前の巨体はイリックの戦技によって縛られている。自分が狙われないことは確定しているのだから、今がその時だ。用意されたこの時間は無駄にはできない。

 最後のチャンスであり、失敗の代償は自分の命だと理解しているからこそ、踏み出す足にも力が宿る。


(私にはもう一つある)


 アジールはただの人間ではない。モンスターを倒せる冒険者が普通ではないという意味ではなく、特殊な両眼を指している。

 魔眼。瞳孔の外周側に赤い線が走っており、それが円を描いている。

 生まれもっての身体的特徴であり、発症率はほとんどゼロだと言われている。なお、女性にしか発現しない理由は未だ解明されていない。

 デメリットは現在のところ見つかっておらず、メリットは五感の制御が可能なことだ。

 もっとも、それは第一形態でしかなく、魔眼の持ち主はほとんがそこで足踏みをするのだが、アジールを筆頭に一部の女性は第二形態に辿り着いている。

 対象の強化魔法および弱体効果の消去。見つめるだけでこれを達成できるのだが、この段階に至れた者は、戦力として非常に重宝される。

 だが、魔眼にはさらに上が存在する。ガーウィンス連邦国の元首、神の名代がこの域に達しており、魔眼第三形態は透き通る腕を召喚魔法のように出現させることが可能だ。

 霧のように白く透けるそれはいくらか太く、少なくとも彼女達の腕ではない。

 腕力は非常に高く、タフなイリックをあっさりと降参させる程度には力強い。

 魔眼は戦技でもなければ魔法でもない。その正体はトリストン大陸に住まう人々には未だ知られておらず、発祥理由すら定かではない。

 これの正体はコネクトに似通っており、けれども、そんなことを知っていようと知らなかろうと力の発現には影響しない。

 そう。アジールですら何も知らない。自身の眼球に関することだが、誰にも教われないのだからどうすることもできない。

 だが、そんなことはどうでもよく、今はただただ強く願わずにはいられない。

 お手本を目撃したからこそ、自分の可能性を諦めきれない。

 何より、仲間を救う最後の手だからこそ、成功させなければならない。


(私はどうなってもいい。せめて三人は……、守りたい)


 盾役に分類される冒険者は、時にこういった自暴自棄な感情を抱いてしまう。だからこそ、過酷な役割をこなせるのかもしれない。

 味方を守るためだけに存在する献身的な存在が盾役であり、アジールもその一人だ。パーティに欠かせない頼もしい人物であり、要と言っても過言ではない。


(この身に代えても)


 アジールは知っている。自分の走力ではこのモンスターから逃げ切れないことを。

 もとより盾役は逃げ出してはならない。仲間の安全が確保できた後、唯一の犠牲となって一人で死んでいく定めを背負っている。

 アジールは逃げるつもりなどない。逃げられないからではない。イリック達を守りたいからだ。

 強く、心の底からそう願う。

 仲間を守護すべき自分が守られる時間はここで終わりだ。

 命が燃え尽きても構わない。盾役としての信念と覚悟が彼女の両眼を青く光らせる。その中には赤い線がくっきりと残っており、瞳が見つめる先には白い骨で構成された巨大なスケルトンがイリックだけをじっと睨んでいる。


(守ってあげる。だから、それはさせない)


 ショロトルは立ち上がり、ゆっくりと、そしてわずかに巨躯を浮かせる。移動するための準備は整い、後はアジールやロニアでは追いつけない速度で前進するだけだ。

 もっとも、それを阻止するために腕が伸びる。武器を捨てた右手は太い骨を掴み、ここから先には進ませない。

 アジールは知っている。魔眼にはまだ先があることを。

 ガーウィンス連邦国でイリックと戦った少女のような女性もまた、魔眼を保有していた。彼女が具現化した腕は力強く、なにより逞しかった。

 このモンスターを倒すためには打撃での攻撃が必要だ。今まさに、魔眼を進化させる必要がある。

 まだ何もわかっていない自身の瞳は真っ直ぐ敵を捉えており、青い輝きはアジールの信念を表すように光度を上昇させる。

 唯一習得しているウォーシャウトはまだ使用できない。先ほど使ったばかりであり、再使用時間はまだまだ先だ。

 この状態のアジールは、盾役として何もできない。それしかやれることがないのだから、他の冒険者から失格のレッテルを貼られても仕方ない。

 そんな自分をパーティに誘ってくれたイリックに恩返しがしたい。

 戦力としてではなく、手を伸ばした勇気を評価してくれたリーダーを救うため、彼女は戦場で花開く。

 自分と他者を繋ぐ絆が力となって具現化する。魔眼もまた、コネクトと同様の性質を根底に秘めている。

 その発生は悲劇でしかないが、そんなことは彼女には関係なく、紡いだ絆を維持するため、主の願いは具現化する。

 アジールの頭上に、立ち込めた煙が集まるように二つの何かが発生する。それらは瞬く間に収束し、白い腕となってそこに定着する。

 雪のように白く、それでいて透き通るそれは二本の腕以外のなにものでもなく、筋肉をまとっていることからアジールのそれよりは幾分太い。

 放たれる波動は魔法のそれとは異なる。魔眼特有の、すなわち彼女達だけの境地であり、アジールが今まさに新たな階段を駆け上がった瞬間だ。

 魔眼、第三形態。魔女の腕と呼ばれるこれを神の腕と呼称する者もいるが、正解など人それぞれであり、少なくもアジールは自らが作り出したこれらに名前をつけるつもりはない。

 重要なことは戦力として役立つか否かであり、それを試すように目の前の骨へ半透明な拳を叩きつける。

 打撃でしか倒せない。ショロトルはそういう状態であり、すなわちこの腕を使えば倒せるということだ。

 右手を成す魔女の腕が太い骨に殴りかかれば、もう一つの腕も競うように打撃を繰り出す。

 アジールは右手を骨からそっと離し、見守ることに徹する。茶色い髪のすぐ上で、二本の腕がこのモンスターを粉砕してくれる。それが確定した以上、今はその行為に集中すれば良い。

 イリックですら折れない骨を、半透明な腕はあっさりと破壊する。左足ゆえにショロトルにとっては飾りでしかないのかもしれないが、衝撃は骨を伝導して全身に伝わり、その結果、巨体を転倒させることに成功する。


「あなた……、さらに覚醒させたのね。素晴らしい……」


 ロニアは知っている。魔眼に関する数少ない古書を読み漁った結果、魔眼の保有者には腕を増やせる女性がいたと書かれていた。そのことをしっかりと記憶していたからこそ、この偉業には驚きと同時に感動してしまう。


「んん?」


 ガシャンと何かが転倒した音はイリックにも伝わる。遠くから聞こえた騒音はモンスターがいる方角であり、足を止め、振り返ると巨大な骨が横たわっている。

 それだけではない。アジールが付き添うように立っており、遠方からでは方法までは見えないが、ショロトルの骨を次々と破壊していることだけは見て取れる。


「何々~?」

「わからん。様子見てくるからここで待機してろ」


 ネッテも状況の変化には気づいており、風のような速さで兄と合流を果たす。

 とは言え、イリックも答えまでは持ちあわせておらず、状況把握はこれから行うしかない。

 そんな兄妹のやり取りを他所に、アジールは一人歩く。ショロトルを倒すためであり、近づけば近づくほど、二本の腕が眼前の骨を破壊する。

 頭上から目の前へ。対象は地に伏しているのだから、魔女の腕を頭の上に浮かべる必要はなく、今は体よりも少し前でその役目に従事させる。

 繰り出される打撃はイリックのそれを優に上回っており、ウェイクほどではないが、それに匹敵することは間違いない。

 だからこそ、太く白い骨もあっさりと砕くことができる。両腕が打撃を繰り出す度に、モンスターの骨は欠片となって散っていく。

 下半身から上半身へ。アジールは巨大な体を見定めるように歩くだけでいい。半透明な腕はただただ頼もしく、自分の願いを叶えてくれる。

 アジールはこう考える。子供の頃は冷やかされ、兄妹に綺麗だと言われたこの両目は、この時のために存在していたのだ、と。

 誰かを守るためには力が必要だ。この世界はモンスターがはびこっており、それらから仲間を守るためには戦力がなければ達成できない。

 アジールにはそれがなかった。ウォーシャウトは盾役として仲間を庇うことに役立つが、これだけでは障害を取り除けない。

 そのための手段が魔眼第三形態であり、今まさに新たな力を胎動させる。

 負けられない。

 危険な存在は排除しなければならない。

 この考えに至ったことで、アジールはあることに気づかされる。

 イリックもそう考えているからこそ、赤い髪の女、リインを倒そうとしている、と。

 リインはネッテとアジールを捕らえ、実験台に仕立て上げようとした。

 それだけではない。ガーウィンス連邦国で暗躍し、あまつさえネレネン王国にも出現している。

 その思考と何より不死性はただただ不気味であり、人間の姿形を成してはいるが、中身は完全にモンスターかそれ以上だ。

 ゆえに排除する。イリックはそう結論付け、そのために雷鳴轟くこの地を訪れている。目的地は前方で口を開いている洞窟の中にあり、こんなところで足踏みをしている場合ではない。


「イリックのために排除する」


 仲間のために戦う。冒険者としては至極当然の思考だ。アジールは立ちはだかるこのモンスターを退けたい。

 そのための力を宿した今だからこそできることであり、半透明な腕が白い骨を次々と打ち砕く。

 イリックやネッテでは不可能でも構わない。パーティメンバーの誰かが達成できるのならそれで十分であり、今回はその役目をアジールが務める。


「おぉ、すごい……」


 イリックは遠くからその光景を眺めながら、ゆっくりと戦場へ戻る。

 戦いは終了だ。アジールの体から生えていない二本の腕が確実にショロトルの体を破壊している。

 巨体は左手を伸ばしてイリックを追いかけようとするも、既に胸元から下は存在しない。もはや満身創痍どころか今すぐにでも絶命しそうだ。

 アジールが前進すれば、その分ショロトルは骨を失っていく。

 イリックのウォーシャウトが効果を消失したタイミングで、半身以上を失ったこのモンスターは最後の力を振り絞ってアジールに顔を向ける。

 目と目が合うことはない。ドクロには眼球がないからだ。

 一方、アジールの目は今なお青く発光しており、最後の一撃を眼前の腕に命ずる。

 空中から生える二本のそれらは、素早く一発ずつ殴る。その結果、太く長かった背骨は完全に打ち砕かれ、ショロトルを成す骨達は完全に四散する。

 頭蓋骨はゴロンと転がり、肩や左腕、わずかに残っていた肋骨は二度と人間の形を再現できない。

 リーダーが撤退を決定しようと、時に仲間は最後まで抗う。冒険者は奴隷でもなければ意思をもたない兵士でもない。自ら考え、可能性を追い求める貪欲な人間達だ。

 イリックが諦めようと、アジールが諦めなければ戦いは終わらない。

 イリックが倒せないのなら、アジールが代わりに倒せばいい。

 それを実現するための力が美しい瞳には宿っており、神の名代というお手本をえて、今開眼する。

 崩れ去った骨の残骸の傍で、アジールは一人立ち尽くす。勝者として敗者を見下ろしつつ、仲間のために働けたことを静かに喜ぶ。


「すごーい!」


 駆けつけたネッテに全力で抱きつかれれば、さすがのアジールもゴロンと倒れざるをえない。


(俺もそういうのしてみたい……。抱き心地良さそうだよな……)


 兄はそれを見守ることしかできない。いかにリーダーと言えども、勝利を喜ぶという理由で女性に抱きつくことは難しい。アジールは許容するだろうが、童貞には少々ハードルが高い。


「どうやったのー?」

「こんな感じ」


 不思議そうなネッテはもちろん事情を飲み込めていない。アジールの魔眼にまだ先があることは知っているが、具体的なことまでは把握できていない。ガーウィンス連邦国の図書館で書物を読み漁ろうと、魔眼に関する記載を目にすることはほとんどない。

 アジールは口で説明するのではなく、二人の頭上に鎮座する実物を紹介することで理解させる。

 半透明な腕は力強い太さを誇り、まるで見えない体から生えているかのようにネッテ達の目の前に移動する。


(魔眼、か。痛いんだよな~、あれ)


 イリックは身をもって経験している。魔女の腕は尋常ならない腕力を宿しており、殴られでもしたら痛いでは済まない。にも関わらず軽口で済ませてしまうこの男は、相当にタフな打たれ強さを身に付けている。


「何これ何これ~? あ! これが魔眼の腕かぁ」

「うん」


 ネッテは空中に浮かぶ腕だけの物体を不思議そうにペチペチと叩く。わずかに透けていることも、体が見当たらないこともおかしな話だが、事実そうなのだから受け入れるしかない。


「ゴルドさんより太~い! お兄ちゃんも筋トレしたら~?」

「無茶言いやがって……」


 ネッテはがしっと片方の腕を掴み、次いでイリックに視線を向ける。こうなれ、という目で訴えかけるも、残念ながら兄には刺さらない。

 キャッキャと新しいおもちゃで遊ぶ二人を眺めながら、イリックとロニアは合流を果たす。

 交わす言葉は当然ショロトルについてであり、倒しにくさをゆっくりと振り返る。


「――つまり、斬って殴って、その上魔法まで用いないと倒せないアンデッドだった。ってことよね? とんでもない話だわ」

「同感です。ススリリさんへの報告よろしくー」

「そうやってすぐ押し付けるんだから……」


 ロニアの口から大きなため息が漏れる。受け入れ難い事実がそうさせるのだが、イリックも感想を述べながら渋い顔を作らざるをえない。

 前代未聞のモンスターと遭遇、討伐に関わったのだから、それの研究に励む氷の図書館には伝えるべきだと考え、イリックはいつものようにロニアへ依頼する。面倒事は元教師に頼めばだいたい解決してしまう。それもまた事実だ。


「とは言え、無事倒せたのだから、後はあそこに向かうだけですね」


 イリックは視線をロニアから北の山脈に向ける。麓には小さな穴が存在しており、そこからは常軌を逸した威圧的な魔力が漏れ出ている。

 雷の大精霊がいることは間違いなく、すなわちこの旅の最終目的地は目の前だ。


「ええ。最後の最後で骨が折れたわ……」

「骨だけに?」

「はいはい」


 ロニアは軽くあしらうが、イリックはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。覚えのある冗談ゆえ、おもしろく感じてしまうが、ロニアとしては面倒極まりない反応だ。


「疲れてるでしょうけど、さっさと向かいましょう。ここに長居するのは危険だわ」

「そうですね。骨折り損のくたびれ儲けはもうごめ……、置いてかないで!」


 ロニアは最後まで聞き入れずに一人で歩き始める。前方では巨大な骨が徐々に風化しており、その近くでネッテとアジールが楽しそうにはしゃいでいる。

 イリックはこの戦いで一つだけ学ぶ。自分一人で戦わなくても良いのだと。

 この世界は広い。数え切れない数のモンスターが今日もどこかで人間を殺している。

 冒険者は金を稼ぐために、もしくはそうしたいがために、異形のそれらを葬る稀有な職業だ。

 イリックもその一人であり、今は三人の仲間を引き連れてトリストン大陸を歩き回っている。

 一人では敵わないモンスターには仲間の力を借りれば良い。至極当たり前のことだが、イリックにとっては少々難しい考え方でもある。

 一人で戦うことが当たり前になっていた。

 仲間を危険に晒したくない。

 それでも危険な場所には赴かなければならず、行動と思想が矛盾しているからこそ、この少年は今日も明日も悩み続ける。

 それでも一つだけ確かなことがある。

 リインの殺害。これだけは一人で達成せねばならない。

 なぜそう思えてしまうのか?

 義務感のような感情はどこから生まれてくるのか?

 わからなくとも、三人との繋がりが背中をそっと押してくれると信じている。

 頭上の雲は変わらず黒く、けれども雷鳴は既に止んでいる。

 風だけは荒野に吹き続けるも、一仕事終えた四人にはどこか心地よい。

 膨大な魔力に導かれるように、イリック達は岩山の洞窟を目指して歩き始める。



 ◆



「あ~、もう! まぶしいわね」

「ごもっとも」


 薄茶色のタイトワンピースをシャンと着こなすロニアは女性としてひたすらに美しく、同時に艶かしいが、眼前から発せられる紫色の光には嫌そうな表情で文句をこぼしてしまう。

 失明するほどではないが、直視する気にはなれない光度はやはりそれ相応にまぶしく、しかしそこが目的地である以上、引き返すわけにはいかない。

 洞窟というよりは横穴のここに充満する高圧的な魔力は人間を萎縮させ、本来ならば立ち入ることを躊躇させるが、イリックは臆することなくズンズン進む。

 嵐の谷の最奥に存在する大きな入り口は、雲に届きそうな山々の体内に客人を招く。行き着く先は行き止まりだが、四人はそこを目指している。

 うねうねと伸びる真っ暗な洞窟はやがて紫色を帯び始め、ここがどこなのか、一瞬だがわからなくさせる。

 それでも進むべき道は一本なため、迷うことも悩まされることもなく、遥か前方から届く自然界には存在しない光を頼りに前だけを向いて進めば良い。

 時計の短針がわずかに進んだ頃合いに、ロニアは苛立ちと共に先ほどの発言をこぼしてしまう。

 大精霊を包み込む球体からはありえないほどの光が漏れ出ており、太陽のようなそれは暗いはずの洞窟を日中のように照らす。

 ここに潜む雷の大精霊も同様であり、目に刺さるほどの紫色が洞窟の途中にまで届いている。

 高さは人間二人分、横幅はそれよりもさらに広いものの、モンスターと満足に戦えるほどのスペースはなく、もし遭遇してしまった場合は面倒極まりない。

 だが、大精霊の威光が生物の類を寄せ付けないのか、洞窟に突入して以降、四人は一度も戦闘せずに最奥へ到着してしまう。

 そう。ここが終点だ。広まった空間の中央には真ん丸い球体が宙に浮いており、放たれる紫色の光はどこか妖艶だが、殺風景な風景のせいでそんな感情は抱けない。


「待っていたぞ。ヒトの子よ」


 このパターンは初めてだ。イリック達からではなく、球体の内部から摩訶不思議な声が発せられる。

 大精霊から人間へ、意思疎通を目的とした会話がこうして始まる。

 少しかすれた声は老人のそれを連想させるも、広まった空間を十分に満たすボリュームゆえ、弱々しさとは程遠い。

 イリックは一度止めた足を二歩、三歩前へ動かす。両手両足を伸ばそうと、目の前に浮いている物体の大きさには到底及ばず、だからと言って怯むことなく凛と見つめ返す。


「イリックと言います。土の大精霊さんのご紹介で来ました。よろしく」


 一同は初めての出会いだが、完全な他人でもない。サハハ遺跡に住まう太古の住人、土の大精霊を介して面会の約束は済まされている。

 目的も周知な以上、最短で済ませることに専念すれば数分もかからず帰還できてしまう。

 もちろん、そんなことはしない。もったいない。こんな機会はないのだから、少なくともロニアが黙っているはずがない。


「ロニアよ。先ずいいかしら? あなたはなぜ、他の大精霊が知らない情報を知りえているの? エムム遺跡のことよ」

「簡単なことだ。そこの建設には私も携わっておる。正確な言い回しをするのであれば、起動装置の開発に寄与しただけ……か」

「そう……。とりあえず納得したわ。ちなみに何年前のことになるの?」

「一万と二千十一年だ」


 ロニアは少し釣りあがった瞳を見開きながら、無意識に喉を鳴らしてしまう。その年数が正しいか否かはわからないが、それでも信憑性を感じる数字ゆえ、誰も知り得ない情報に好奇心が満たされていく。

 古代人はおよそ一万年前に滅びたと言われている。エムム遺跡がその前に作られたことは間違いなく、この証言はその推測に合致する。


「昔過ぎてよくわからないね~」

「ね~」


 ネッテが首を傾げれば、アジールも仲良くそれを真似る。

 イリックからすればかわいらしい仕草だが、このパーティで最も長身な女性の知能指数が肉親のせいで低下していると感じずにはいられない。兄としては一抹の罪悪感も抱いてしまうが、当の本人達は楽しそうゆえ、横から口を挟むつもりもない。


「ヒトの子にとっては永劫の時なのだろう。私にも、随分と昔のことだ」


 紫色の球体から発せられる言葉はどこか重たい。昔を振り返っているのか、懐かしんでいるのか、それは四人にわかるはずもない。


「そんな昔の機械が、今も正常に動くんですか?」

「ああ、心配いらない」


 イリックは見上げながら問いかけるも、紫色の光は高くもなければ低くもない、少しかすれた声ではっきりと回答する。

 すなわち、ここに来た行為に意味はあり、同時にリインの企みも阻止しなければならないことが確定する。


「すごいね~。マジックランプはそんなにもたわないよね~」

「ね~」

(い、いちいち合いの手うたんでいい……。言いたいことはわかるけど……)


 ネッテとアジールの背丈は子供と親のように離れている。けれども、何かの波長は一致しており、阿吽の呼吸で首を傾げる。その角度は一度の狂いもなく、他者が真似しようとしても到底及ばない領域だ。

 そんな二人が会話に割り込むのだから、イリックとしては邪魔なこと極まりない。


「エムム遺跡は中継地点……なのよね? 行き先は?」


 ロニアはネッテ達がいかに騒ごうと、自身のリズムを崩すことはない。一緒になって楽しむことも可能だが、今はその時ではないと理解しており、真面目な顔で答えを求める。

 もうすぐその場所に赴くことができるのだから、このタイミングで訊く必要はないのかもしれない。

 それでもそうする理由は明快だ。行き着く先がどんな場所か、想像すら出来ない。その一点に集約される。

 おそらく一万年以上もの間、誰も足を運んでいない土地であり、最悪の状況を想定するのなら、到着と同時に自分達が死に絶える危険性すらそこには潜んでいる。

 ゆえに用心に越したことはない。そんなことを危惧するよりも、好奇心と逸る気持ちがロニアの口を開かせているのだが、どちらにせよ、、答えに辿り着けないことは聡明な人間ほど飲み込める。

 だからこそ答えを自分達の目で知る前に確認しようとしてしまう。いかに未知の探索を求めて止まない冒険者であろうと、今回ばかりは危険性を前に警戒せざるをえない。


「神の領域、その一つ手前だ」

「な!?」


 雷の大精霊は静かに、そして力強く言い切る。具体的なことは何一つ答えておらず、本来ならば頭を傾げるべきだが、ロニアだけは体をゆらりと揺らして体勢を崩す。今の発言にはそれだけの威力がこめられている。


(意味がわからん)

「神様に会えるのかな~」

「かな~」


 マイペースを貫く三人は、ある意味ロニアよりもタフなのかもしれない。もたらされた情報を理解できず、ここから先はパーティ唯一の頭脳班に任せるしかないと静かに諦める。

 神の領域。その単語を目にしたこともなければ聞いたこともない。それでもロニアだけはひっそりと関連付ける。

 知りたかったことであり、自分の生きがいの一つがそれだ。ゆえに心臓は高鳴り、頭の中はぐちゃぐちゃに混濁する。

 今すぐ問いただしたい。そうできない理由は考えがまとまらないからであり、紫色の光が満ちるまぶしいだけの部屋で、ロニアは手のひらの汗すら気にも留めず、両手でグーとパーを交互に繰り返しながら数秒かけてゆっくりと酸素を吸い込む。


「――そこに神の扉があるのね?」

「ほう……。この時代のヒトの子も……、知っているのか。正解だ」


 神の扉。その言葉はイリック達も知っている。風の大精霊からもたらされた情報であり、ロニアの新たな目標だ。

 扉の向こうに世界の創造主たる神が居る。およそ信じられない事実だが、少なくともロニアは疑っていない。そう信じたいだけかもしれないが、知的好奇心をかりたてる最高級な素材であることも確かだ。


「エムム遺跡の地下にそれがあるってこと?」

「かもしれぬ。残念ながら、具体的な場所までは知らされていない。これを使って、最奥の起動装置を稼動させるがよい。なれば、得たい答えを自分のまなこで知ることができよう」


 言い終えるや否や、紫色の巨大な球体が一層まばゆく光りだす。訪れた人間達を失明させるためではなく、客人に約束の品を譲るためだ。

 紫色の膜からすっと透過して現われたそれは非常に小さく、少なくともなんらかの装置には見えない。

 数センチにも満たない輪はゆっくりと移動を開始し、やがてイリックの眼前でぴたりと静止する。


「これは?」

「ライトニングリングだ。魔法装置、いや、時流に乗るならマジックアイテムだな。指にはめればどんな雷にも耐えられるだろう」

「それはすごい……」


 紫色に輝くそれは女性なら誰もが憧れる装飾品の一つ、指輪に他ならない。イリックの人生においておよそ縁のない品であり、接点はせいぜいロニアに知力の指輪を購入したくらいだ。その動機も魔力向上、すなわちパーティの戦力増加であり、残念ながら色気の類は絡まない。

 小さな輪が放つ紫の色は、この部屋に満ちる光を反射しているからではなく、元々そういう色をしている。

 この大陸に出回っている宝石類のほとんどは、銀色か金色の光を乱反射させるが、この指輪は輝かしい紫色ゆえ、それらとは一線を画す。

 まさに一品物であり、残念ながら見栄えを彩る小さな宝石の類は見当たらないが、そんなものは不要だとその輝きが証明している。

 イリックにとっては猫に小判だが、そもそもこれはエムム遺跡の装置を動かすための鍵であり、人を惹きつける美しさなどどうでも良い。

 だが、雷の大精霊からもたらされた発言はうれしい誤算だ。この指輪を指にはめれば、それだけで雷属性の攻撃に強くなれる。

 すなわち、避けにくい攻撃魔法の筆頭であるスパークへのカウンターをこれだけで実現できてしまう。

 イリックは右手の人差し指と親指でそっと輪をつまむ。小さな貴金属はそこに存在しないかのように軽く、しかし曲げられない程度にはがっしりと強固だ。

 綺麗だとは思うが、それよりもその性能がイリックを惹きつける。


(すごいな……。さてさて、どうしよう)


 光り輝くライトニングリングは、リインのやろうとしていることを先回りするための手段でしかなかった。

 しかし、今はそれだけではなく、状況を選びはするが、優秀な装備としても活用できてしまう。

 だからこそ、イリックは唸る。自分がその時まで持っていようと思ったが、雷耐性の向上を実現する以上、それでは宝の持ち腐れだ。


「はわ~。すっごい綺麗~」

「この光のせいでよくわからないけど、きっとそうね」


 ネッテはこの指輪以上に目を輝かせながら涎を垂らす。両親が死んで以降、どちらかと言えば貧しい生活を過ごしてきたため、兄同様こういったものとは縁がなく、女の子として当然のように羨望のまなざしを向けてしまう。

 ロニアは既に指輪と腕輪を身に着けているため、それだけでも十分満足できている。何よりこの部屋が眩しいため、もたらされた指輪の鑑定をする気になれない。


「ふ~む……」


 イリックは考える。考えるまでもないが、それでも少しだけ思考を巡らせる。

 議題は、誰に装備させるか。

 答えなど簡単に導き出せる。これはそういうマジックアイテムであり、性能は彼女のためのものだ。


「ほ、ほ、欲しぃ」


 ネッテは思わずもらしてしまう。消え去りそうな声量だが、自分の欲求を確かにつぶやく。

 冒険者になった今でも、煌びやかな装飾品を身に着けた経験はなく、一人の女の子として、抑えきれない願望を口にする。

 だが、その声は届かない。それほどにか細い声だったこともあるが、兄が鈍感なことも関係する。


「これはアジールさん用ですね」


 イリックはくるりと振り返り、小さな指輪を長身な仲間に向ける。

 ライトニングリングは盾役用の装備品だ。雷の攻撃魔法、スパークに晒される可能性が最も高く、そもそも盾役はそういう立ち位置だ。

 ゆえに所有者はアジールが適任であり、そういった背景からイリックはリーダーとして正しい判断を下す。

 この瞬間、ネッテの顔から表情が消える。どこかうれしそうな顔は、ふっと無機質なものへ変化し、不満や失望を飲み込んで受け入れることを選択する。

 さすがのイリックも、妹の顔色ぐらいはうかがえる。

 やってしまった。そう気づいた時には遅く、アジールは歩みを進めて指輪をそっと受け取る。


「ありがとう。普段は装備する。必要な時は外すね」

「――あ、はい。さ~て、用事終わっちゃったな~」


 イリックは再び反転する。仲間からの視線を背に受けながら、どこかわざとらしく振る舞う理由は、一重にネッテの視線に耐えられないからだ。

 指輪を欲しがっていた。この欲求はわがままでしかなく、性能から盾役が相応しいことは紛れもない事実だ。イリックの判断は間違っておらず、だが、兄としては判断が早すぎたのかもしれない。


(どうするかな~。あ~……、ネッテだけが持ってないのか)


 再度気づかされる。

 ロニアには知力の指輪を贈っており、アジールにはライトニングリングを支給したことで、ネッテだけが指に何もはめていない。

 一人一つ身に着けなければならないものでもないが、どこか仲間外れのような状況は、兄としてひどく気持ち悪い。

 背後からは女性三人の話し声が聞こえてくる。ネッテの明るい声も健在であり、顔を見ずとも笑顔を振りまいていることは容易に想像できてしまう。

 我慢させてしまった。

 イリックの胸がざわりと焦げつく。この指輪に関しては、戦力的にもアジールに渡して正解だ。ゆえに冒険者として、リーダーとして、そう判断したのであって決して誤りではない。

 だからといってこの状況を良しともしないしできないはずもない。兄として、妹に不必要な我慢はさせたくないからだ。

 ライトニングリングに関しては仕方ない。そういう性能であり、既にそう宣言してしまった後だ。


(たっかいんだよな~、指輪って……。帰ったら宝石店行ってみるか。すっごい出費になるだろうな。どうにかならんもんか……)


 頭上を見上げようと、そこには洞窟の天井が自分達を無機質に見下ろしているだけだ。お金や宝など見つかりはしない。

 それでも前方から照りつける眩い光が光明のように輝いている。それがきっかけではないが、イリックはふと気づかされる。

 未だ受け取れていないマンイーター入手の報酬でどうにかなる、と。


(エミリアさんとこ行ってみるか~)


 金をくれ。つまりはそういうことであり、正当な報酬が支払われていないのだから当然の主張だと開き直ることができる。

 アジールの指輪を褒めるネッテの笑顔は作り物ではない。イリックにとって、ネッテのそんなところがどこまでも愛おしい。

 だからこそ、変なことで我慢などさせたくない。これまでの人生において、不自由な時間を長く過ごさせてしまったという負い目のようなものも関係している。

 豪華絢爛、自由気ままにわがままをさせるつもりなどないが、家族として、リーダーとして、少なくとも仲間外れにしたくない。

 そうは思っても懐事情を越えて何かを買い与えることなどできるはずもなく、イリックは渋々決意する。

 軽くトラウマになっているデフィアーク共和国の軍区画へ出向くことを。

 マンイーターの報酬を急かすためであり、サウノ商業国で指輪の相場を眺めてから向かうか否か、悩みながらも明日のスケジュールを組み立てる。


「指輪ももらったし、もう帰ります?」

「何言ってるのよ。これからに決まってるでしょう?」

「あ、はい」


 イリックの提案は、パーティの頭脳役によってピシャリと却下される。用件が済もうと大精霊が立ち去るわけではない。すなわち、質疑応答はまだ終わらない。

 ロニアは鼻息荒く、自身の知的欲求を満たすために質問を投げかける。

 イリックとしては早く帰りたいのだが、こう言われてしまってはどうすることもできないため、冷たい床に寝そべり、仲間が満足するのを待つ。


(まぁ、ことさら急ぐ必要もないのかな? あの女はさっきの指輪持ってないだろうし、どれだけ頭が良かろうと先には進めないだろう)


 そう納得し、イリックは硬い地面をものともせず、ゆっくりとまぶたを閉じる。

 昼食後、ほとんど休みなくここまで歩いてきたのだが、道中は決して平穏ではなく、何体ものモンスターを倒した結果、目的地に辿り着けている。

 疲れていないわけがない。何よりつい先ほどの戦闘は死闘であり、心身ともにヘトヘトだ。

 おやすみの言葉も出ず、ロニア達の声を子守唄にかえて今は惰眠をむさぼる。

 冒険者に規則正しい生活を求められても困る。眠れる時に英気を養うことも重要な仕事の一つだ。

 大精霊の前で堂々と眠れる男はそうはいない。イリックは稀有な存在であり、そういう意味では他の三人も同類だ。

 ネッテとアジールは、重苦しい魔力の波動を気にも留めず、正確にはほとんど感じ取れないまま、久しぶりの旅について楽しそうに振り返る。

 ロニアは巨大な魔力の発生源に向き合い、ツラツラと自分の考えを唱えつつ、答え合わせに興じる。

 あまりに久しい客人との邂逅がうれしいのか、紫色のそれは時に意地悪く真実を伏せ、それでも会話を途切れさせるようなことはしない。

 嵐の谷は今日も騒がしい。遥か頭上では眩い閃光が踊り狂っており、体をすくませる大音量で音楽を奏でるからだ。

 だが、この土地の地上に踊るものはいない。

 人間は生活しておらず、モンスターもそんなことには興じない。

 では、ダンス会場はどこにあるのか。

 場所はトリストン大陸の南西。

 開催期日は近日中。

 女と男が織り成す舞踏は、見る者を必ず虜にする。

 観客も参加可能だ。否、強制的に踊らされてしまう。拒否権などなく、いずれは必ず順番がまわってきてしまう。

 開催日までは、平穏な日常を過ごして待つしかない。

 彼らも彼女も、その会場においてはれっきとした主役なのだから。


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