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第八章 冒険者登録

 内燃機関を唸らせながら、乗客を乗せた文明の利器が海を突き進む。

 海上に浮かぶ船の大きさは一戸建ての家を遥かに凌駕しており、甲板の上ではいくつもの帆が風を受けて曲線を描いている。

 青い空と青い海。体を撫でる風が体温を奪っていくが、日差しの強さも相まって今は丁度いい。

 到着は後どれくらいだろう。そんなことを考えながら、イリックは目を閉じてこの空間を満喫する。

 四人は朝一番の定期船に乗船した。デフィアーク共和国はまだまだ見えないがそれも当然。到着予定時間は六時間以上も先なのだから。

 耳を澄ます。

 機船の低い稼動音。頼もしい。

 かき分けられていく波の音。サラミア港で聞くそれとは明らかに音色が異なる。

 甲板を走るネッテとアジール。この二人はいつも元気だ。

 そして……。


「オロロロロロロ」


 聞きたくない音がイリックに耳に届く。放置するわけにもいかない。なぜなら、音の発信源は四人目の仲間、ロニアなのだから。

 イリックは歩み寄り、かいがいしく背中をさする。これで有効なのかどうかはわからないが、できることはこれくらいなのだからそうするしかない。そして匂いが酸っぱい。


(うっ! きっつ!)


 イリックは刺激臭に耐えながらも背中を撫でる。ロニアが愛用しているタイトワンピースは生地が薄く、下着の感触がくっきりと感じられる。それでも今は喜ぶことができない。なぜなら酸っぱいからだ。


「うぅ……」


 ロニアの顔は真っ青だ。


「船ダメだったんですね。吐ききっちゃった方が楽になると思いますよ」


 さすりさすり、と背中を摩りながら、イリックはアドバイスを送る。


「オロロロロロロロ」

(うわぁ……。ロニアさんのこんな姿見たくなかった。美人だからっていついかなる時も美しいわけじゃないんだな。っていうかすっぱい匂いがやばい)


 先ほど食べた昼食が無残な姿でロニアの口から流れ出る。同じものを食べたイリックには少々刺激が強すぎた。見なければいいだけなのだが、一部始終を目に焼き付けてしまう。

 何より、その匂いを隣で嗅ぎ続けたのがよろしくなかった。


「う……」


 イリックの体に異変が起きる。

 唇の感覚がぼんやりとし始める。

 顔の血の気がひいていく。

 体の感覚がふわりふわりとぼやけていく。

 何かが逆流してくる。

 もちろん、それが何なのか、既にわかっている。わかってはいるが、抗うことはできない。踏ん張ろうとはしたが、体の内側のことゆえ、なにより生理現象ゆえ、いかに強靭な肉体を誇る冒険者と言えども太刀打ちできない。


「オロロロロロロ」


 イリックの口から同じものが逆流する。


(む、無念……)


 何年振りかも思い出せないこの感覚に、イリックは心の中で泣く。


「うわ、二人して吐いてる。大丈夫~?」

(俺は大丈夫だけど……。もらっちゃっただけだし)


 アジールと楽しそうにはしゃぎ回っていたネッテがようやく二人の異変に気づく。アジールもネッテしか見ておらず、言われて初めて気づく。


「キュア……」


 イリックは意味もなく自分にキュアをかける。少しだけ気が安らぐ。思い込みかもしれないが、それでも今はありがたい。続けてロニアにも根拠のないキュアを唱える。


 イリック達三人は、ロニアを正式に仲間に迎え入れた。昨日のことだ。

 翌日、すなわち今朝、四人は朝一番の定期船に乗り込み、デフィアーク共和国に向けて旅立つ。

 予定では十二時間後、つまり夜には到着する見通しになっている。定期船は時刻を厳守するため、事故でもない限り予定通りの運航となる。

 デフィアーク共和国を目指す理由。それはもちろん冒険者になるためだ。アジールとロニアは既に冒険者だが、イリックとネッテはこれからその道を歩む。

 イリックはそんなアジールとロニアにそれぞれ用事を頼む。

 アジールには鞘作りの調査を任せたいのだが、実家に帰って今回の件を報告したいと一旦断られる。今日はさすがに無理だろうが、順調にいけば明日はアジール宅で一泊ということになる。イリックはあまり乗り気ではない。

 ロニアには、デーモン討伐の件を正式に報告してもらう。サラミア港で既に済ましてあるが、デフィアーク共和国とガーウィンス連邦国には証拠品の提出もあるため、二度手間、三度手間になるが、それでも報告をし直さなければならない。

 面倒なため、イリックはロニアに本件を押し付ける。

 その間に、イリックとネッテは冒険者認定クエストに挑み、晴れて冒険者になる予定だ。難易度は低く。当人達はこれっぽっちも失敗するつもりはない。

 晴れて冒険者になり、報告も済ませて、デーモンの黒い片手剣用をどうにかしたら、次はサウノ商業国を経由してガーウィンス連邦国へ向かう。もちろん移動は定期船だ。またロニアが吐かないか、イリックは今から心配してしまう。


 デフィアーク共和国はトリストン大陸の南西に位置する。

 一方、ガーウィンス連邦国は北東に位置する。つまり、中心から見て丁度反対側ということになる。定期船で繋がってはいるが、直接向かうには少々離れすぎており、そこで登場するのがサウノ商業国である。

 サウノ商業国は大陸の中心に存在する。他二国は、ここを経由して行き来することになる。

 デフィアーク共和国からサウノ商業国までが定期船で一日。

 サウノ商業国からガーウィンス連邦国間も一日。

 定期船ならたった二日で着けてしまう。


「二人とも船ダメなんだね~」

「いや、俺に関しては事故みたいなもんだから……。大変なのはロニアさんだよ」


 ネッテがロニアを、アジールがイリックの背中をさする。四人いるとこういうこともできる。


「定期船に乗るのは初めてなの。まさか酔うとは思わなかったわ」

「でしょうね。豪快なリバースに惚れ惚れしました。見すぎてもらっちゃいましたけど……」


 自業自得だが、後悔はない。ロニアの吐く姿など、そうそう拝めはしない。美しくはなかったが、良い思い出にはなるかもしれない。思い出すだけで、何かがこみあげてくるが。


「今日はあれね……。着いたら宿に直行しましょう。食事も私抜きでかってに済ませちゃってちょうだい」


 遺言のようにロニアがつぶやく。本当にしんどいのだ。


「そうですね。宿に着いたら自由行動にしましょう。どうせ元気な二人組みは散歩でもしそうですし」

「えへへー」

「それじゃ、私は少し実家に顔出してくる」


 こうして今日の予定が決まる。

 宿屋に直行。その後、各自自由行動。以上。

 イリックはゴロゴロするつもりだ。

 ネッテはまだ何も考えていない。

 アジールは一度実家に帰る。

 ロニアは寝込む。

 幸先が良いとは言えない。それでも冒険は始まったのだ。

 仲間が嘔吐しようと、つられて嘔吐しようと、ネッテが甲板でバカみたいにはしゃいでいようと、今日はイリックにとって記念すべき冒険一日目だ。


「オロロロロロ」

(また吐いてるよ、この人)

 酸っぱい匂いが立ち込める。



 ◆



 綺麗に整った灰色の街並みがどこまでも続く。

 降り立ったばかりのイリックは、ここから見える景色に圧倒されてしまう。なぜなら、ここはまだ港でしかない。町の機能としてはまだほんの一部分なのだから驚きを隠せない。

 正面には山を切り崩した平地に、数え切れないほどの家が並んでいる。

 右手側には広間のようなものが遠くに見えるが、町としては行き止まりだ。

 したがって、イリック達は左方向を目指す。そちらが町の中心だ。

 道も、壁も、橋も、全てが石を積み上げられ作られている。

 地面が土で、建物が全て木製だったサラミア港はやはり田舎だったのだなとイリックは実感する。

 この国の建物も多くは木材で建てられているが、頑丈そうなレンガで作られている建物もチラホラ存在する。

 海に面する港から離れるため、四人は石の階段を一段一段上がる。

 目の前に早速現れた巨大な建築物はギルド会館だ。無駄に大きく、黒がかった茶色い外見はどの国でも共通らしく、一目でそうだとわかる。

 やがて噴水広間に到着する。そこからは商店街が一望できる。少し離れた場所には住宅街が併走している。

 東にそびえ立つ岩山のふともには、サラミア港よりも広い敷地を誇る軍区画がどこまでも続く。大小様々なグラウンドが遠目でも確認できる。


「宿屋はもうすぐ。ちなみにうちはあっちの方」


 アジールが住宅街と思われる家々が並ぶ道のさらに奥を指差す。


 こうして、一同は無事、デフィアーク共和国に到着する。

 巨大な岩山を背に広がるこの国は、鉱石の産出と科学技術を生かした産業を生業として栄えている。ゆえに三大大国の一つに数えられており、住民も商人も冒険者も、その恩恵を得て日々を生きている。


 現在の時刻は午後八時過ぎ。

 夜にも関わらず、街灯が明るく輝いており、空の暗さはこれっぽっちも気にならない。

 行き交う人々も随分と多く、なるほど、とイリックは納得する。こういうところに住みたがる人間の心理が少し理解できた。

 活気が違う。おそらく利便性も段違いなのだろう。

 ギルド会館を行き来する冒険者の数もサラミア港の比ではない。十倍どころかそれ以上だ。

 サラミア港ならいくらか静まる時間帯だが、イリックは熱量のようなものに圧倒されてしまう。一日はまだ終わらない、と行き交う人々の表情が物語っている。

 イリックとネッテは、田舎者丸出しで周囲をきょろきょろと見渡しながらアジールの後をついていく。

 街並みも、人の多さも、見るもの全てが衝撃だ。今は見ているだけでも飽きない。

 そして宿屋に到着する。三階建てのそれはそれだけで圧巻であり、冒険者や商人らしき人達が出たり入ったりしている。


「それじゃ、私は一旦実家へ」

「はい。明日の件、無理しなくていいですからね」


 一人で実家に向かうアジールに、イリックはさりげなく本音を漏らす。

 順調にいけば、明日はアジール宅で一泊だ。大きな家は四人の訪問を許容するため、突然の来客にも余裕をもって対応できる。それがアジールの実家だ。

 両親はきっと喜ぶだろう、とアジールは考える。

 商談が上手く成立しないことを祈りつつ、イリックはアジールを見送る。女性の家に泊まるという行為が、神経を磨り減らさないわけがないと理解している。


「ロニアさん、具合悪いなら看病してあげるよ? 三人部屋にする?」


 おい、二人部屋でいいだろ、とつっこみたいがイリックは黙る。聞いてくれないことは重々承知しており、余計な口を挟んだところで徒労に終わる。


「迷惑かけるかもしれないし、今日は一人でいいわ。部屋が空いてればの話だけど」

「それじゃ、二人部屋と一人部屋! 空いてますか!」


 迷惑をかけたくないというよりは一人になりたい、静かに過ごしたいのだろうとロニアの真意を汲みつつ、イリックは黙ってネッテと店員のやり取りを眺める。そして、部屋の確保はあっさりと済む。

 イリックとネッテは二人部屋。ロニアは一人部屋。ギリギリ空いていた。


「果物ジュースとか買ってきましょうか?」

「お願いしようかしら。私は早速横になるわ」


 普段より顔が白いロニアと別れ、イリックとネッテは三階を目指す。木造の階段だが、ギシギシ鳴るようなことはない。

 決して新しくない建物だが掃除は行き届いており、居心地の良さが廊下からでも推測できる。

 木の匂いを嗅ぎながら二人は部屋に到着する。

 ベッドは二つ。テーブルも二つ。椅子も二つ。窓も二つ。

 部屋はそれほど広くはないが、置いてある家具が邪魔にならない程度には歩き回れるスペースが存在する。

 窓からはデフィアーク共和国の街並みが高い位置から眺められるため、街灯の光も相まって眺めているだけでも時間を潰せてしまう。

 イリックは剣先が折れている片手剣と刃こぼれが激しい短剣を置く。マジックバッグも財布だけ取り出してテーブルに置く。


「んじゃ、飲み物買いに行こう」

「ガッテン! 一階で売ってるかな?」


 荷物に留守番させ、二人は来た道を戻る。

 一階から三階まで、宿泊機能しか持ち合わせていないこの宿屋では飲み物の販売をしていないため、仕方なく近場の酒場に向かう。既に市場等はしまっており、消去法でそれしか手段が残されていない。

 酒場といっても食堂みたいなものであり、腹を空かせた住民や冒険者で溢れかえっている。

 宿屋同様、二人はかろうじて空いていた席を見つけ、そこに座る。周りのテーブルから漂ってくる肉や魚の匂いを嗅ぎながら夕食を注文しつつ、ロニアのために持ち帰り用のリンゴジュースを先に用意してもらう。


「あの人達、冒険者かな? 筋肉モリモリだよ~」

(俺的にはローブをまとったあのお姉さんにそそられる。胸はないけど、すらりとしててそれはそれでいいな)


 まるでここは冒険者の見本市だ。

 大きな盾を立てかけ、仲間と今日の戦闘について話すリーダーらしきヒゲの男。

 短剣を撫でながらニシシと笑う軽装のやさ男と、それを軽くあしらう軽装の美女。

 イリック達のように荷物を宿屋に置いてきたのか、手ぶらながらも巨漢っぷりが目を引く体中傷だらけの男。


「さすがデフィアークってことなんだろうな。サウノはもっとすごいらしいぞ」

「おぉー。早く行ってみたーい」


 サウノ商業国はこの大陸で最も栄えている。商人が集まり、それにつられて他所の村からも人が集まり、機船が発明されたことで滅ぶことになった村から難民が集まり、冒険者制度が発足してからは徐々に冒険者も集まり、そして商人が集まる。

 今ではデフィアーク共和国やガーウィンス連邦国を抜き、ついに大陸一の大国にまで登りつめる。

 サウノ商業国は誰もが夢見る国の一つとなる。

 談笑を弾ませながらも周りの喧騒を楽しんでいると、二人の元に持ち帰り用の水筒に入れられたリンゴジュースが届く。


「それじゃ、ロニアさんに届けてくるから、先食ってていいよ。って、俺の分も残しとけよ」

「ガッテン!」


 威勢だけはいい返事を聞き、イリック急ぎ宿屋に戻る。ゆっくりしていると、注文した料理を食べきられてしまう。

 夜でありながら街灯で明るい石畳の道を戻り、宿屋を目指す。


(これがデフィアークか……。活気が違うな)


 イリックは賑わう街並みに心底驚く。大勢の人達が疲れた顔をしながらも、どこか満足気に歩いており、一人っきりだから、彼らの存在感が波のように押し寄せる。

 サラミア港がいかに寂れた田舎だったのか、嫌でも思い知らされる。だからと言って故郷を嫌いになどならない。生まれ育った大事な場所なのだから。

 宿屋に到着したイリックは廊下を歩き、突き当たりの部屋をノックする。げっそりしているロニアが扉を開けて現れたため、とりあえずこれで、と一言添えてリンゴジュースを手渡す。


「ありがとう」


 その言葉にも表情にも覇気は無い。ガーウィンス連邦国にも定期船で向かう予定なため、イリックとしても心配で仕方ない。


(この人大丈夫だろうか? 途中で死なれたらどうしよう……)


 しかし今はそれよりも夕食だ。一度嘔吐したため食欲は普段より減衰しているが、それでもこんな時間まで何も食べなければ腹も空いてしまう。多少抑えるつもりだが、この国の料理を少しでも楽しもうと足を速める。


「あ、イリック」


 宿屋を出て酒場に向かおうとした時だった。

 丁度訪れたアジールと遭遇する。


「お、ご両親とは話しつきました?」

「うん。明日泊めてくれるって」


 それは残念だ。借りてきた猫のように大人しく過ごすとしよう。イリックは無言で決意する。


「今日もこのまま家で泊まる。明日はどうすればいい?」

「あ~、そうですね」


 初日にしてアジールの用事が一つ片付く。イリックにとってはうれしい誤算であり、別の用事を提案する。


「それじゃ、デーモンの剣用に鞘を作ってもらえそうなところを探してもらえませんか?」

「そういえばそんなこと言ってたね。わかった。どこで合流する?」

「夕方の四時くらいにギルド会館で」


 こうして明日の予定は埋まる。

 イリックとネッテは冒険者認定クエストに挑戦。

 アジールは鞘を作ってくれそうな店の調査。

 ロニアはデーモン討伐の報告。

 リーダーらしいことができていることに満足しつつ、イリックはアジールと別れ酒場に向かう。


(今頃、美味しい美味しい言いながら食ってるんだろうなぁ。あ、もしかしたら、マリィさんも同じ酒場にいるかもしれないな)


 イリックは逸る気持ちを抑えきれず、自然と急いでしまう。そうでもしなければ料理がネッテの腹に全て収まってしまうかもしれない。ついでにマリィに会えるかもしれない。ゆえにイリックはうれしそうに酒場を目指す。


 夜でも賑わうデフィアーク共和国。

 イリック達もそれに溶け込んでいく。



 ◆



 この国も夜中と早朝は落ち着いている。

 初めての部屋だが、イリックは我が家のようにぐっすりと眠ることができた。

 朝も無意味に寝過ぎてしまった。昨日の嘔吐が原因かもしれないが。

 デフィアーク共和国二日目。

 イリック達はすっかり賑わい始めた街中で行動を開始する。


 デフィアーク共和国は西側を海に面している。そこが港になっており、南と東は高い岩山が壁のようにこの国を守っている。

 北には寂れたグフータ野が広がっており、イリックとネッテの今日の目的地はそこになる。

 三人はギルド会館を目指す。行き交う人々の多くはここの町民だが、そこに近づくにつれ、冒険者の比率がグンと増していく。この活気を知ってしまったら、虜になってしまうのも仕方ない。

 サラミア港にも存在する一際大きな建物に到着する。深い茶色とその見た目は瓜二つ。冒険者が足しげく通う施設、ギルド会館だ。

 一歩足を踏み入れれば、冒険者のむさくるしいエネルギーと食堂側から漂ってくる香ばしい匂いにクラッとさせられる。朝食を食べたばかりだが、イリックとネッテの足は思わず左側の食堂フロアに向きかける。


「それじゃ、受付に行くわよ。今なら空いてるようだし」


 ロニアが他の場所には目もくれず、一直線に受付を目指す。昨日の姿が嘘のようだが、残念ながら同一人物だ。

 ロニアは左端の受付に、イリックとネッテはその隣の受付に立つ。

 ロニアが早速用件を伝え始める。

 イリックも負けじと目の前に座っている女性に話しかけてみる。


「あのう、冒険者になりたいんですが……。妹も一緒です」

「おはようございます。それでしたらこちらの書類にご記入ください」


 ロニアとよく似た髪型の、正真正銘おかっぱな女性がイリックに書類とペンを差し出す。続けて同様のものをもう一セット用意する。こちらはネッテ用だ。

 用紙には、氏名、年齢、出身地等の記入欄がずらっと並んでいる。

 イリックは上から順に記入し始めるも、途中で手が止まる。

 属する冒険者適性。その意味がわからないからだ。


「あのう、この項目って何ですか?」

「こちらは、盾役、前衛攻撃役、後衛回復役、といった分類をご記入ください。ご不明でしたら空欄で構いませんよ」


 なるほど、とイリックは納得してペンを走らせる。普通に暮らす人間には不必要な情報だが、冒険者にとっては重要なことだと思い出す。

 後衛回復役。イリックは自信なさげにそう記入する。

 ふと、隣のネッテにチラッと視線を向けてみると、自分同様汚い字で項目を埋めている。


「ここって私は前衛攻撃役でいいんだよね?」

「ああ。それは間違いない」


 ネッテがイリックと同じところでつまづく。

 属する冒険者適性。すなわち、冒険者としての、正確には人間としての分類。

 ネッテはアサシンステップやデュアリズムをいずれ習得することから、間違いなく前衛攻撃役に当てはまる。

 人類は長い年月をかけ、戦技や魔法の分類をきちんと分けされている。

 ウォーシャウトとキュアを習得した人間は盾役の適性に分類される。

 キュアや他の回復魔法を習得したら後衛回復役。

 アサシンステップやデュアリズムを習得したら前衛攻撃役。

 過去においてはこの区別に意味はなかったのかもしれないが、現代においては冒険者が十二分に活用している。

 書き終えた二人は揃って書類を提出する。


「はい。それでは冒険者認定クエストですが、お二人にはこちらに挑んで頂きます」


 おかっぱの女性が小さな黄色いカードと書類を差し出す。カードは手のひらにすっぽりと収まる大きさだ。冒険者が所持する冒険者カードに似ている。書類にはクエスト内容が記されているが、口頭説明と同じ内容なため、わざわざ読み直す必要はない。


「グフータアルマジロ四体の討伐となります。一匹倒す度に、こちらのカードに記録されるようになっております」


 その性能をイリックは知っているが、それでも驚きを隠せない。


 冒険者カード。冒険者認定クエストを突破し、晴れて冒険者になれた者だけが持てるマジックアイテムの一つ。

 ただのカードではなく、ギルド会館で発行されるクエストと連動させることが可能となっており、カードにクエストを記憶させ、モンスター討伐系なら数を数えずとも、カードが進捗状況を把握してくれる。

 今回の場合、グフータアルマジロを四体倒す必要があるのだが、このカードを持っていれば、グフータアルマジロを倒す度にカードがそれを数えてくれる。裏を返せばズルはできないのだが、そもそも冒険者になる人間が最初からそんなことをする理由はない。


 トリストン大陸には様々な種類のモンスターが存在する。弱いモンスターもいれば強いモンスターも生息している。

 一般的に、町や村の周辺に生息するモンスターは弱い傾向にある。弱いモンスターがいる場所を選んでそこに町や村を作ったとも言える。


 今回の相手はグフータアルマジロ。その強さは底辺に属する。

 イリックもネッテもこのモンスターとは戦ったことがない。しかし、楽勝だろうと油断にも似た心境を抱いている。

 なぜなら、アジールから既に教わったからだ。グフータ野に生息するモンスターはかなり弱いと。それこそ、アイール砂丘に生息するモンスターとは比べ物にならないほどだ。

 それなら負けるはずもなく、簡単過ぎるとさえ思えてしまう。誰でも冒険者にするつもりなのだろうか? イリックはそんな不安さえ抱いてしまう。実際はイリックの感覚がずれているだけだ。

 グフータ野に生息するモンスターがいくら弱かろうと、そこにいるのは紛れもなくモンスターであり、普通の人間にはどうすることもできない。

 上等な武器を持ち、強固な鎧を身に付けたとしても勝てるかどうかは怪しい。今回の相手であるグフータアルマジロに勝てる町民など数える程度しかないだろう。

 集団でかかれば一体程度なら楽勝かもしれない、それでも怪我人は出るかもしれない。

 モンスターの強さはバラバラだが、どんなに弱くてもモンスターはモンスターだ。冒険者を目指す人間はイリックのように感覚がずれていることが多い。そうでなければ務まらないのも事実だが、人として少し狂っているのもまた事実だ。


「ありがとうございます。終わったらまた来ます」

「行って来ます!」


 カードと書類を受け取り、イリックとネッテは受付の女性に別れを告げる。後はグフータアルマジロを倒すだけだ。

 その前に、イリックはロニアの動向を見守る。


「俺はここにいるから、そこらへんうろうろしてていいぞ。ほら、そこの掲示板なんかびっしりクエストが貼られてるぞ」

「うおー」


 イリックが指差した方向には、ウォンテッドモンスター用の掲示板がドシリと設置してある。


 ウォンテッドモンスターとは、周囲の同種と比べて段違いに強く、特異な力を身に付けているモンスターを指す。突然変異の如く、姿が大きかったり、色が違うケースも見受けられる。


 そんなモンスター用の掲示板がびっしりと依頼の書かれた紙で埋まっていることからも、この大陸がいかに危険なのか、イリックは再確認させられる。

 冒険者になったら冒険を楽しむつもりでいたが、さすがのイリックもこれを見てしまっては、気を引き締めざるをえない。

 遊び感覚でモンスターと戦い、殺されては悲惨過ぎるからだ。

 イリックはぼ~っとロニアの様子をうかがう。そんな中、受付の女性が慌てて奥に消えていく。この案件なら慌てない方がおかしい。


「イリック。皮だか鱗だかわからないけど、あれ頂戴」

「どうぞ。どっちなんでしょうね」


 イリックはマジックバッグからデーモンの黒い何かを取り出し、ロニアに手渡す。


「硬さから言って皮膚とは呼べないわね。甲殻という表現も正しそうな……。まぁ、それも調べてもらいましょう」


 体から直接切り取ったのだから当然だが、裏側は乾いてもなおグロテスクだ。表側はサラサラしており、叩けばカンカンと硬質的な手応えが返ってくる。生物の一部とは思えないほど黒いそれを、ロニアは手のひらに載せてじっと見つめる。

 気持ち悪いでしょうけど、我慢してね。そう補足し、戻ってきた女性にデーモン討伐の証拠品を提出する。


「まだかかるから、クエストやりに行ってていいわよ」


 ロニアの言う通り、受付の奥が妙にバタバタし始める。証拠品を渡された女性に至っては顔が真っ青だ。


「それじゃ、行ってきます」

「ええ、気をつけて」


 ロニアに見送られて、イリックとネッテはギルド会館を後にする。

 目指すはグフータ野。デフィアーク共和国から一歩外に出ればそこがそうだ。


 二十分後、二人はまだ町の中で迷っていた。


「ここどこ?」

「さぁ?」


 デフィアーク共和国。その広さは伊達ではない。



 ◆



 グフータ野。デフィアーク共和国が存在する広大な土地。しかし、環境としてはかなり劣悪であり、どこまでもむき出しの茶色い大地が続く。草木はまばらにしか生えておらず、北や西から吹く風が時折砂埃を巻き上げる。遠くに見える小さな山も、どこまでも広がる大地も色が薄く、人の住める環境とは到底思えない。

 イリックとネッテは歩く。町民に教えてもらい、無事グフータ野に辿り着くことができたのは十分前。最初から調べておけばよかった、と今更後悔しても遅い。

 その代わりというわけではないが、イリックはグフータアルマジロのついては把握できている。

 名前の通り、アルマジロのモンスターだ。大きさはそれよりも随分大きく、もし垂直に立てるのなら、ネッテくらいの大きさを誇る。

 体は硬い甲羅のようなものに守られており、武器でそれを突破できない場合、討伐は困難だ。

 迷彩を効かせているわけではないが、グフータ野に似た茶色なため、遠くからでは見つけにくい。

 倒すためには探すしかなく、二人は何の根拠もなく東を目指す。このモンスターはグフータ野に満遍なく生息するらしいが、少なくとも周囲には見当たらない。


「あ、あそこにも人がいるよー」

「冒険者だろうな。もしくは、俺達と同じように認定クエストを受けている最中かも」


 殺風景な大地のあちこちで、安そうな武器を携えている冒険者達が視界に入り込む。腹丸出しの皮装備を身にまとっているネッテが違和感ないこの光景は、ここが駆け出し冒険者の場所なのだと教えてくれる。


(考えてみたら、俺ってこういう防具身に付けたことないな)


 イリックは振り返る。七年前から見回りを始めたが、常に普段着を着てモンスターと戦ってきた。

 デーモンとの死闘においてもそれは変わらない。冒険者になろうとしているこの瞬間もまさに街着のままだ。しかも妹が選んだ服だ。おしゃれなのかださいのか、それすらもわからない普段着。今日は、茶色い上着と黒いズボンだ。


(まぁ、俺はいいや。今後はネッテだけでなく、アジールさんとロニアさんにも金かかるんだし)


 イリックにとって優先すべきは女性陣三人であり、自分は後回しで構わない。


「あの人も冒険者かな?」


 ネッテがこの場所にそぐわない雰囲気の冒険者を指差す。

 小奇麗かつ高級そうなローブを身にまとい、手に持っている青い杖もやはり業物っぽい。

 装備だけ見れば一流に見える後衛風の男が、なぜかグフータ野を歩いている。そして、負傷した若者達に回復魔法をかけている。


「あぁ、あの人は休日を利用して駆け出し冒険者の手助けをしている回復役だよ」

「何それー?」


 つまりこういうことである。

 冒険者には様々な人種がいる。

 一人で宝探しに明け暮れる者。

 仲間と冒険を楽しむ者。

 モンスター退治に精を出す者。

 ギルドのクエストに挑戦して金稼ぎに励む者。

 人助けに尽力する者。

 グフータ野でキュアを唱えて歩くこの冒険者は、人助けをしたいがために冒険者になった人物の可能性が高い。

 もちろん、他の推測も可能である。イリックに関しては、どちらかと言えばこちらだろうと考えている。

 冒険者と言っても、休みなく活動するわけではない。

 過酷な冒険。

 命をかけた死闘。

 こんなことを毎日続けられるわけもなく、当然のことながら休日を設け、その日は娯楽等で息抜きをして過ごす。

 休みの過ごし方はまさに冒険者によってバラバラだ。

 回復魔法や強化魔法を使える後衛回復役と後衛補助役の冒険者は、休日を利用して、駆け出し冒険者のサポートをする者も少なくない。

 なぜか? 冒険者が増えてしまっては食い扶持が減って困ることになりそうだが、実際はそうならない。

 トリストン大陸は広い。そして、モンスターが溢れかえっている。もちろん、町や村の周囲のモンスターは根絶され平和を保たれていたりするが、それも仮初に過ぎない。

 モンスターは二種類存在する。

 滅ぼしたらそのまま地上から消え去るモンスター。これは生物的に理にかなっている。

 滅ぼしても時間経過でどこからともなく姿を現すモンスター。これは生物的にありえない。しかし、事実こういう種族がうじゃうじゃいるのだから、現在において、この考えを否定する人間はいない。

 ただでさえ多いモンスターが、再現なく出現する。これはもう人間にとって脅威でしかなく、太刀打ちできる軍人や冒険者はどれだけ多くても構わない。

 しかし、現実はそうならず、圧倒的に人手不足だ。なぜか? 人間は死んだら終わりだからだ。

 様々な魔法が存在するが、残念ながら死んだ人間を蘇生する魔法は存在しない。過去に存在した可能性もあるが、今、この瞬間に存在しないのでは意味がない。

 モンスターと戦うこと。それは命がけであり、今日勝てたとしても明日負けるかもしれない。負けても無事生還できれば問題ないが、通常、モンスターとの戦いにおいて敗北は死を意味する。

 逃げる手段を持ち合わせている冒険者なら長生きするだろうが、そんな冒険者は一握りだ。

 冒険者は死ぬ。病気や老衰ではなく、モンスターとの闘いで命を落とす。これはもう仕方がない。

 ゆえに、なりたがる人間は圧倒的に少ない。子供なら誰もが一度は夢見るものの、現実を突きつけられてその夢を諦める。

 この場合の現実は二つの意味を含む。

 冒険者は命を懸けた危険な職業。

 そもそもモンスターに勝てない。

 どちらが多いか? それは後者だ。

 イリックはアイール砂丘のモンスターに勝つまで、四年の歳月を要した。ネッテは早すぎるため例外でしかないが、とにもかくにもモンスターを倒せるほどの実力を身に付けるまでが大変だ。その過程で命を落とす若者も少なからず存在する。

 晴れて冒険者になれたとしても、モンスターに殺される。

 こんな職業に誰がなるのか?

 夢を諦めなかった者。

 才能のある者。

 普通の仕事にありつけなかった者。

 冒険者にならなければならなかった者。

 理由は人それぞれだが、普通の人間は目指さない上に、そもそも不可能だ。

 ゆえに、冒険者を目指す人間をサポートしたくなる冒険者がいても不思議ではない。夢を諦めさせれば死なずに済むかもしれないが、かと言って見殺しにもできない。

 モンスターが減れば、もしくは弱まってくれれば事情も変わってくるが、現状ではモンスターは増加の一途を辿っている。

 人手が足りない。

 冒険者が足りない。

 軍人が足りない。

 何もかも足りない。

 そういうことを踏まえれば、今回の冒険者認定クエストの内容は適切と言えるのかもしれない。

 これを倒せるだけの技量を持っていれば、少なくともグフータ野で殺される可能性は少ない。

 それでも例外は存在する。

 ウォンテッドモンスター。その地域にそぐわない高い戦闘力を保持するモンスターをそう呼ぶのだが、グフータ野にもそれは生息する。

 そして、イリック達が向かっている場所にも運悪く生息している。



 ◆



 周囲には誰もいない。駆け出し冒険者はこのあたりまで来ないからだ。

 デフィアーク共和国を出発して一時間。二人は目当てのモンスターになかなか遭遇できず、ズンズンと進軍してしまう。

 そのおかげでグフータアルマジロの生息域に辿り着けたのだから文句は言わない。


「こうやって見てるとかわいいねー」

「爪は随分鋭いけどな」


 キャーキャー言っているネッテとは対照的に、イリックは冷めた目でグフータアルマジロ達を見つめる。

 顔はネズミに似ており、目は小さくてかわいい。ネズミの顔には甲殻など貼り付いていないため、そこがアルマジロの特徴と言える。

 背中には曲線状の鎧のようなものを背負っており、硬そうだが重そうには見えない。その上、動き易さも快適なのだろう。歩いている姿からそううかがえる。

 しかし、目の前にいるこれらは紛れもなくモンスターだ。優に一メートルを超える巨体はそれだけで脅威であり、人間の肉を引き裂くには十分な爪が前足から伸びている。

 イリックはこれらをモンスターと断定したが、それがモンスターか否かを判断する方法は別になる。

 野生動物であろうと人を襲う。人に致命傷を負わせるだけの爪や牙を備える動物も少なくない。しかしそれらは動物であり、モンスターではない。

 では、モンスターと動物の違いは何か?

 それは、魔力の波動を放っているか否かである。

 モンスターは大きさ、種族、見た目、何がどう違ったとしても、同一の魔力を垂れ流している。

 グフータアルマジロも、スケルトンも、カルックシープも、どれも例外なく特定の魔力の波動を放つ。

 そういった生物をモンスターと呼んでいるのだから例外がいるはずもない。そして、この世界には全く同じ魔力の波動を放つ生物、すなわちモンスターで溢れている。

 人間が感知できるほど強力な魔力を放つモンスターは限られるが、イリック達はつい先日、背筋の凍るような魔力を放つモンスターと対面した。


「んじゃ、ネッテさんや。ノルマは二体ずつで」

「ガッテン!」


 目の前をうろうろしている茶色い物体はグフータアルマジロであり、モンスターだ。今回の討伐対象な以上、倒さなければならない。

 討伐数は四体だが、眼前の集団は五体だ。それでもネッテは躊躇なく、地面を蹴る。足音に気づかれるよりも先に、エイビスが一匹目の首元に振り下ろされる。硬い甲殻をもろともせず貫き、そのまま横に抜けていく。

 先ず一匹。

 ほぼ同じタイミングで、イリックも別の固体に斬りかかる。先端の欠けたハイサイフォスを上から下へ振り下ろす。当たり前だが切れ味は落ちておらず、巨大な体と小さな頭を一発で切り離す。

 二匹目。

 問題はここからだ。こちらを敵と認識した他の固体が、わらわらと襲い掛かってくる。数にして三体。

 自分目掛けて走って来たグフータアルマジロを、ネッテはピョンと上に跳ねて回避し、空中で体勢を立て直しすれ違いざまに短剣を振り下ろす。

 三匹目。

 ダンゴ虫のように体を丸め、ゴロゴロとタックルをしかけてきた茶色い固体をイリックは横に回避し、そのままやり過ごす。

 最後の一匹もイリックを狙う。爪で攻撃するため、そのまま走って向かうが、いかんせんリーチの差が違う。素直に片手剣を振り下ろして終わり。

 四匹目。

 ゴロゴロと通り過ぎていった固体が体をシュバっと伸ばし、イリックの方に慌てて向きなおす。しかし、もう遅い。背後にはネッテが立っており、短剣が最後の一匹に突き刺さる。

 五匹目。これは不要だったが仕方ない。


「はい、終わりー。どれどれ……」


 イリックはおかっぱの女性から受け取った冒険者カードを見つめる。手のひらに収まる黄色いカードには、クエスト達成と書かれている。併せて今倒したモンスターの名前も記載されている。


(へ~。倒したモンスターの名前まで浮かび上がるのか。便利なアイテムだ)


 ギルドが作り上げた渾身のマジックアイテムは伊達ではない。


「終わり終わりー?」

「おう、終わりー。んじゃ、帰るか」


 わーい、とネッテが両手を上げる。その時だった。

 赤い何かが近づいて来る。ゴロゴロと音をたてて近づくそれは、丸いことも相まってグフータアルマジロだろうと推測できるが、そのスピードは先ほどまで戦っていたそれの比ではない。

 何より色が違う。グフータアルマジロは茶色い。地面の色と近く、保護色ゆえに見つけにい。その結果、こんな遠くまで歩かされた。

 しかし、近づいてくるそれは赤い。そして大きい。三、四割増しくらいだろうか? 体を伸ばせばイリックより大きいかもしれない。

 ゴロゴロと突き進み、赤い球体は真っ直ぐネッテを目指す。速いことは間違いない。しかし、ネッテはその音を感知すると同時に、状況を理解できないまま当然のように回避してみせる。


「もしかして、ウォンテッドモンスターか? これ?」

「何それー?」

(なん……だと……)


 イリックの予想にネッテが首を傾げる。

 イリックはウォンテッドモンスターについて何度も説明しており、出発前にはウォンテッドモンスター用の掲示板を眺めさせたが、ネッテの脳内にその単語は見当たらない。少々長い単語ゆえ、右耳から入り左耳へ抜けてしまうのだ。


「強いってことだよ。油断するなよ」

「ガッテン!」


 ネッテの返事はいつだって元気がいい。ゆえに、理解してくれたと思ってしまうのだが、実際はそうではない。

 ボールのように丸まったままの赤い何かが、そのままの体勢で進路変更を始める。ぐるっと半円を描くようにコースを変え、再び二人に迫り出す。


「えー。これじゃ倒せないよー」


 それをヒラリと避けつつも、ネッテが弱音を吐く。


(っていうか、スピードもかなり速いぞ)


 ネッテが楽そうに避けるため勘違いしそうになるが、イリックとしてはこの移動速度を侮れない。デーモンと比べればたいしたことはないが、それでも比べたくなる程度には速い。


(間違いない。グフータアルマジロのウォンテッドモンスターだ。いやはや、どうしたものか)


 負ける気はしない。しかし、勝つのも面倒に思える。とは言え、ここで逃げ出すわけにもいかない。

 理由は二つ。

 一つ。駆け出し冒険者が襲われるかもしれない。

 二つ。ウォンテッドモンスターで正解だった場合、倒せば報酬がもらえる。

 グフータ野で活動する冒険者の多くは腕を磨いている最中だ。そんな彼らを危険に晒すわけにはいかない。

 彼らは夢を追いかけている最中であり、同じ立場のイリックとしても応援したい。そもそも、人助けも冒険者の立派な仕事だ。

 目の前のモンスターを倒すことがそれに繋がるかもしれない。

 隣のマンルルス盆地やさらに隣のカルック高原に用事のある人がここを通るかもしれない。その際、これは脅威でしかない。

 ゆえに倒さなければならない。

 平和のため、命を守るため、笑顔を絶やさぬため、戦う。

 要約すると、報酬が欲しい。


「さっさと倒せー」


 ネッテに押し付ける。


「ええー!? 止まってくれないと無理だよー」


 確かにその通りだ。

 体を丸めゴロゴロともの凄い速さで回転するモンスターに斬りかかれる人間は早々いない。

 グフータアルマジロの殻はいくらか固く、回転している状態で斬りかかろうものなら、片手剣や短剣が折れてもおかしくはない。

 リンダから譲り受けたエイビスをこんなところで折るわけにもいかず、イリックが一歩を踏み出す。

 ウォンテッドモンスターは執拗にネッテを襲う。

 持ち時間は三秒しかない。近づいてきたタイミングを狙う。

 通り過ぎた赤いダンゴがぐるっと半円を描き戻ってくる。

 次の目標がネッテであろうと、イリックであろうとそれは関係ない。イリックはその魔法を発動させる。


「コネクト」


 合図と共に、周囲から音が消えさり、動きのない世界に急変する。時間の流れがピタリと停止したからだ。

 茶色と薄い砂の色で染まっていたグフータ野に灰色がトッピングされる。自分とネッテと赤いダンゴだけがその色を維持する。

 三秒。それは時間が停止していられる長さ。

 短い時間だが十分だ。標的は目の前にいる。一秒あれば足りてしまう。

 イリックは赤いグフータアルマジロの側面に移動する。予想通り、体の横までは硬い甲殻で覆えていない。

 ぐさりとハイサイフォスを突き刺す。体を丸めているため、具体的にどこに突き刺せたのかはわからないが、手ごたえは伝わってくる。

 ハイサイフォスを抜き、刃についた血液をさっと振り払う。その血液もまた空中で静止するが、それも含めてもうすぐ動き出す。

 時間がいっきに加速する。グフータ野の景色も正常な色に戻る。

 何をされたのかわからないにも関わらず、体に激痛が走るのだからもはやその回転は維持できない。赤いグフータアルマジロはダンゴ状態を解除しながら力なく転がっていく。

 イリックはついでのようにそれを使う。


「アサシンステップ」


 ネッテはいつこの戦技を習得するのだろう? 考えたところでわかるはずもなく、今は通り過ぎていった赤いモンスターにトドメを刺す。

 その距離、十メートルほど。悶えながら転がったが、随分と移動できたらしい。

 イリックはその距離をほぼ一瞬で移動する。もちろん、戦技のおかげだ。

 アサシンステップは移動速度を五割は速める。その効果時間は十秒。有効な戦技の一つと言える。

 イリックは容赦なく片手剣を振り下ろす。裏返しで苦しむうっすらと赤い体に黒い刃が突き刺さる。これがトドメとなる。

 動かなくなったそれをイリックは見下ろす。

 戦利品として、爪と尻尾を頂くことにする。これを提示することで、ギルドから討伐の褒賞金をもらう寸法だ。

 ふと気になり、冒険者カードを眺めてみると、ヒートリピートと記載されている。

 ウォンテッドモンスターとしてギルドが名づけた名前だ。そう、この固体は紛れもなくウォンテッドモンスターだ。


「さぁ、帰ろう」


 状況を飲み込めていないであろうネッテに声をかける。コネクトの使用を察しているという前提で話を進めようとしたが、飲み込めていない場合、説明しなければならない。果たしてどちらだろう、とイリックは勘ぐる。


「かっこいい!」


 ネッテがヒートリピート以上の速さでイリックに抱きつこうとする。

 しかし、今はアサシンステップ中だ。イリックはネッテ以上の速さで回避する。しかし……。


「あまい!」

「はえぇ!」


 追いつかれた。


(え? こいつ、ここまですごいの? アサシンステップ使ってデーモン倒したんだけどなぁ……)


 ネッテの身体能力に呆然としながら、イリックは帰路につく。



 ◆



「おめでとうございます。これで冒険者として認定されました。今後はあちらの掲示板で発行されている様々なクエストに挑むことが可能となります」

「あ、それじゃ、これもお願いできますか?」


 おかっぱの女性が兄妹を祝福する。

 イリックはついでに赤いグフータアルマジロ、ヒートリピートの討伐についても清算を依頼する。


「こ、これは!? どうされたんですか!?」

「ついでに倒しておきました」


 おかっぱの女性が大口を開けて驚く。

 イリックは女性の口内を凝視し、意味もなく口蓋垂を覗き見ようとする。他意はないが、せっかくのチャンスゆえにそうしてしまう。

 ネッテには、先ほど倒したウォンテッドモンスターの討伐金額を掲示板で確認させており、とことことうれしそうな顔で現われる。


「一万ゴールドだった」

「たかっ!?」


 見回りの給料一ヶ月分より高い金額だ。イリックが驚くのも無理はない。


「あら、もう終わったの?」


 ロニアが食堂の方から現れた。


「ただーいまー! 終わったよー」


 ネッテが駆け寄り胸に飛びつく。

 俺もそうしたい、とは言えない。イリックはぐっと堪え、事情を話す。


「はい。ついでにウォンテッドモンスターも倒せたので、それも清算してもらってます」

「へ~。まぁ、あなた達ならやれて当然でしょうね。こっちも話はついたわよ。と言っても、本番は明日なんだけど」

「本番?」


 報告は終わったのに明日が本番。ロニアの発言をイリックは理解できない。ネッテは聞いてすらいない。


「ええ。明日の朝一番で、軍のお偉いさんと会って直接報告してもらいたいんだってさ。まぁ、この件の重要性からしてみたら当然なのかも?」

「なるほど。がんばってください」

「あんたも行くのよ」

(くっ、そうなるのか……。面倒そうで嫌だなぁ。我慢して出席するけど)


 イリックが諦めた頃、窓口から声が届く。


「お待たせしました。こちらがお二人の冒険者カードになります。それと、ヒートリピート討伐の褒賞金です。あのう……、お怪我とかはされなかったんですか?」

「いえ。楽勝でしたよ」


 女性から差し出された光り輝く二枚のカードと一万ゴールドをイリックは笑顔で受け取る。


(討伐に出向いた冒険者が二人殺されたんだけど……。どうして冒険者でもない人が倒せちゃったの?)


 おかっぱの女性は不思議そうにイリックの後姿を見つめる。


「あの人、なんかすごいモンスター倒したみたいよ。明日、第三陸軍の隊長さんと会うみたい」


 先ほどまでロニアの相手をしていた女性がおかっぱの女性に話しかける。


「そ、そんな人がなんで今更冒険者に?」


 抱いて当然の疑問だ。腕の立つ人間はすぐに冒険者になる。冒険者になってもデメリットはなく、メリットしか存在しない。モンスター退治がそのままお金になるのだから、クエストを受注しない理由はない。

 冒険に必要なマジックアイテムの購入も専門店で可能となる。

 イリックがこのタイミングで冒険者になる理由など、普通は思いつきもしない。

 職を失ったから。突き詰めればそこに行き着く。冒険者を選んだ理由はいくつかあるが、根底は無職にある。

 つい先日、見回りを解雇されたから。

 アジールとロニアが仲間に加わったから。

 ネッテがやりたいと言うから。

 ゆえに、イリックはこのタイミングで冒険者になることを選ぶ。そして、冒険者になってみせた。

 三人は冒険者になれたことと臨時収入を祝い、ギルド会館で豪勢な昼食を始める。


「キラキラしてるなー」

「失くすなよ?」


 ネッテが冒険者カードをうれしそうに眺める。

 名前、冒険者としての分類、年齢、そういったことがいくつか記述されている。年齢は、誕生日の度に更新される。そういうところも含めて、このカードは紛れもなくマジックアイテムだ。

 手にすっぽりと収まるサイズのそれは、見ているだけで冒険者であることを自覚させてくれる。


「そういえば、石像みたいなモンスターやデーモン倒した時は、ロニアさんのこれ反応しなかったんですか?」

「しなかったわね。ギルドに登録されてないモンスターには対応してないんでしょ」


 それもそうか、とイリックは納得する。

 そして、ふと気づく。ロニアの冒険者カードを見れば、年齢がわかってしまう、と。

 どうやって見せてもらうか? 方法はいくつかある。

 素直に見せてもらう。

 ネッテに見させる。

 コネクトを使う。

 さぁ、どれにしよう……。イリックは本気で悩む。


「ネッテのカード見せて。お、ちゃんとネッテって書いてあるじゃーん」


 作戦二、ネッテを利用することにした。


「でしょでしょー。お兄ちゃんのも見せて!」

「ほい」

「おー、お兄ちゃんって書いてあるー!」


 それは嘘だ。イリックと書かれているのだから。


「ロニアさんのも見せてー」

(なんてちょろい……。さすが我が妹!)


 ロニアが灰色のマジックバッグから冒険者カードを取り出す。


「おー、ロニアさんって書いてあるー。あ! 二十三歳なんだ!」

(でかした!)


 いささか妹の将来が不安になったが、今はよしとする。

 二十三歳。すなわち、イリックよりも五歳年上だ。


(まさに大人の女性。その響きだけで既にエロい。昨日、何回もリバースしてたけど)


 イリックはその光景を記憶の奥底に封印したいのだが、それはまだ難しいらしい。


「あら、言ってなかった? ふふ、あなた達からしたらおばさんに見えちゃうのかしら?」

「滅相もございません」

「全然ー」


 こういうところは兄妹らしい。


「ところで、念願叶って冒険者になれたけど、気持ち的には何か変化あった? 飛び跳ねるほどうれしい、とか。旅立ちたい、とか」

「いえ、別に」

「変化なし!」


 こういうところも実に兄妹らしい。


「そ、そう。まぁ、変に気張るよりはいいかもしれないわね……。それより、明日の報告相手は軍人さんらしいけど、どんなこと訊かれるのかしらね?」


 明日の報告で既に三度目だ。その行為にどれほどの意味があるのか、イリックは不思議で仕方ない。

 それはロニアも同じだが、どうにもならないことだと割り切っている。


「何時何分に遭遇した、とか、天気はどうだった、とか、変なこと訊かれそうですよね」


 自分で言っておきながらイリックは笑う。しかし、つまらなかったらしく、残りの二人はこれっぽっちも賛同してくれない。


「そういえば、デーモンは人間型だったことをまだ言ってなかったわね。明日伝えておきましょう」

「人間型?」


 ロニアの言いたいことは何となくわかる。それでもイリックは聞き返してしまう。


「あの姿は人間に近かったでしょ? そういうモンスターを人間型って呼ぶの」

「なるほど」


 モンスターは二種類に分類できる。

 人間に似た姿をしているモンスター。

 そうでないモンスター。

 ここで一つ疑問が生じる。どういうわけか、人間の姿をしているモンスターはほぼ全てが女性の姿をしている。

 顔つきは女性そのもの。当然のように乳房まである。

 なぜ人間型のモンスターはほぼ全てが女性なのか? モンスター自体が解明されていないのだから、このことも全くわかっていない。

 人間に似たモンスターと言っても、ゴブリンやオーク、ジャイアントは別であり、これらは男なら男らしい姿を、女なら女らしい姿をしている。

 トリストン大陸にはデーモン以外にも人間型のモンスターが確認されており、女性の姿をしている以外にも一つだけ共通点がある。

 周囲のモンスターと比較して、明らかに手ごわい。

 なぜ女性の姿をしているのか?

 なぜ強いのか?

 解明が待たれずが、実情は遅々として進んでいない。


「まぁ、三国もデーモンが人間型のモンスターだってことくらいは掴んでるでしょうけどね。一応、報告しておきましょう」


 美人でしたよね、と言いかけたがイリックはその言葉を飲み込む。

 ネッテからはどつかれ、ロニアからはドン引きされそうだと容易に想像できたからだ。口は災いの元、そんな言葉が頭をよぎる。

 やがて、料理が次々と運ばれてくる。先ほどの臨時収入のおかげで、今なら外食し放題だ。所持金を気にせず食べられる料理ほど美味いものはない。

 デフィアーク共和国は海に面している。そのおかげか、メニューには魚料理が多く載っており、イリックは当たり前のようにそれらばかりを食べていく。


「ほんと、魚好きね。そんなに食べたいなら、私のサラミア風サラダも食べる?」

「い、いいんですか?」


 ロニアからの思わぬ提案にイリックは軽く戸惑う。


「私はまだ食欲が回復しきってないから、ゆっくりガーウィンスティー飲みながらスイーツでも食べるわ」

「スイーツ!」


 ロニアの発言にネッテが過剰反応を示す。


「ロロベリーパイが美味しいらしいわよ。一個頼んでみる?」

「みる!」


 お好きにどうぞ、と思いながらイリックはロニアから受け取ったサラミア風サラダをほうばる。故郷で散々食べた料理だが、少しだけ味付けが違うため、新鮮だ。

 メニューのスイーツ欄をキャッキャと眺める二人を無視して、イリックは午後の予定を考える。考えてはみたものの、考えるまでもない。

 当然、釣りだ。

 デフィアーク共和国には港がある。

 港の奥にある広場なら、誰の邪魔にもならず釣りを満喫できそうだと既に目星をつけている。

 イリックは午後の予定を釣りに決定する。


「午後ですが、ロニアさんとネッテは二人でブラブラと買い物でも楽しんでください。俺は港で釣りします。四時にここ集合ということで」

「ガッテン!」

「わかったわ」


 こう言っておけば反対されることは先ずない。仲間と言っても町の中では自由行動が基本だ。そう思うことで自己の決断を正当化する。

 フルーツパフェ、アップルパイ、クレープ。甘そうな単語が飛び交う。

 イリックの食欲が減退するが、冷静に考えたら既に食べ過ぎなくらいだった。

 デフィアーク共和国。料理も抜群に美味い国だと証明された。



 ◆



 イリックは釣りを満喫し、ネッテとロニアは街をぶらつく。

 そして午後四時、一同はギルド会館に集合する。

 久しぶりに四人が揃ったような気もするが、たったの一日ぶりだ。

 アジールに案内され、住宅街を歩く。隣が商店街なため、街並みそのものは決して堅苦しくない。

 足元には石畳の地面。

 右手方向に並ぶ大きな店舗達。

 左手にはどこまでも広がる家々。壁の色、屋根の色、窓の数、それらが一軒一軒異なっており、見ているだけでも飽きない。


「こことは別に、港とあっちにも家がいっぱいある」


 アジールが東の岩山を指差す。そのふもとには軍の施設があるのだが、その左奥にはここよりも広い住宅街が広がっている。

 イリック達が今歩いている大通りですら行き止まりが見えないのだから、町の広さを想像するだけで脳は疲れてしまう。


「こういうところって住み易いんですか?」

「お店はいっぱいある!」


 田舎者丸出しの質問だが、イリックは構わず投げかける。サラミア港で生まれ育った人間には、ここは未知の世界だ。


「どこも変わらないわよ。便利かそうじゃないか、その程度でしょ。人が生きていける場所なんて」


 ロニアが冷めたことを言うが、イリックは何となく頷く。


「それもそうか……。あ、そういえばアジールさん。鞘の件はどうでした?」

「鍛冶ギルドがやってくれそう。値段は片手剣を見てみないことには、って言ってた」

「なるほど。ありがとうございます」


 デーモン討伐の最大の戦利品、漆黒の片手剣。刃先から柄尻まで真っ黒いそれを扱えるようになれば戦力アップは間違いなく上昇する。そのための鞘であり、デーモンのようにむき出しのままで運用することは到底できない。

 鍛冶ギルドで鞘を作ってくれるのなら早速出向きたいところだが、今からアジール宅に出向かなければならない。

 値段は片手剣のサイズや形状、どんな素材を使うかで変わってくる。言われてみれば当然か、とイリックは逸る気持ちを抑えて街道を歩く。


「って、俺が使う気でいましたけど、アジールさんが装備します?」

「私は今のでいい」

「んじゃ、俺が装備しようかな~」


 むふふ、とイリックは笑う。ハイサイフォスすらも圧倒しそうな片手剣が自分のものに。そう思うとうれしくて仕方ない。


「頑丈なモンスターにポッキリ折られたりしてね」


 ロニアが意地悪そうにつっこむ。


「やっぱり売ろうかな」


 その時のショックを想像すると立ち直れる気がしない。ハイサイフォスの剣先が折られた際も相当響いたが、あの時はデーモンを倒せた喜びが勝ったため、落ち込まずに済む。

 デーモンの片手剣がどんな素材で作られているのか?

 鞘がどの程度の金額で作れるのか?

 そういったことを検討してから装備するか売るか決めよう。イリックは冷めてしまった頭でそう考える。


「あれがうち」


 先頭を歩くアジールが前方を指差す。

 その先には、二階建ての白を基調とした一際大きな家が君臨する。周囲を花壇で囲まれており、金持ちでなければ住めないと一目でわかる。


(おう……。想像以上だ。ほとんど豪邸じゃねーか)


 でかい。イリックの自宅と比較した場合、そもそも一階建てと二階建てを比較すること自体が無茶なのだが、それでも一階部分だけを比較した場合、アジール宅の方が二倍以上に広い。

 アジールの実家がいかに金持ちか、こんなことで認識させられる。


(その装備も親に買ってもらったのかな?)

 イリックはアジールにそっと視線を向ける。

 アジールの鎧はガーゴイルやデーモンとの戦闘に耐えてみせる。いくらか傷つきはしたが、防具としての性能に陰りは見えない。盾だけは驚く程ぼろぼろになってしまったが、だからと言っておいそれと買い換えることはできない。武器がそうであるように、防具も高額だ。現在の所持金で購入できる安い盾より、ぼろぼろであろうと今の盾が勝ってしまう。


「ただいま」


 アジールが玄関のドアを開ける。小さな声ゆえ、誰にも届いていない。そして、予想通り誰も出迎えには来ない。

 一方、イリックは再び驚く。建物の中も格別だ。白い壁が一面に広がっている。置いてある家具やツボには触ることすら恐ろしい。マジックランプのデザインも無駄に凝っている。

 玄関の正面には二階に続く階段がどかっとそびえ立っている。上りきるとそこから左右に廊下が伸びており、その先は玄関からでは把握しきれない。


「おじゃまします!」


 ネッテが腹から声を出して挨拶をする。礼儀正しいが、少々うるさい。

 その声に驚いたのか、少し年を重ねた男性と女性が現れる。アジールの両親だとイリックは一目で見抜く。


「いらっしゃい」


 父親は背が高い。その上、若干筋肉質だ。髪は白く、そういう色ではなく白髪だ。


「ようこそようこそ~。あら、ほんとにかわいらしいわね~。ナデナデしていいかしら?」


 母親らしき人物がネッテに歩み寄る。


「どうぞ!」

「あ、私もする」


 母親と娘がネッテを撫で回す。

 母親は表情豊かで妙に明るい。長い髪はアジールと同じ茶色をしており、かわいいものに目がない。

 イリックは推測する。アジールは両親の血を半分ずつ受け継いだのだろう、と。

 そして、一同は客間に通される。

 テーブル、ソファー、絵、棚、あらゆる物が高価そうに見えるため、イリックはいちいち萎縮する。


「先ずはお礼から。娘から話は聞いてます。仲間に迎え入れてくださり、本当にありがとう。私の名前はユーグ、今日は我が家だと思ってくつろいでください」


 無口そうな父親の名はユーグ。実は機船旅行社の社長であり、豪邸にはそういう理由がある。

 機船の管理は国が行っているが、そこから派生する各種商売までは国が執り行ってはいない。機船旅行社は旅を目的とした人に対し、それを紹介および案内することを生業としている。

 冒険者には縁のない話だが、そうでない人にとって、この会社は他国を旅する際、大いに役立っている。


「母のアサリです。娘がお世話になっています。たいしたおもてなしはできませんが、ごゆっくりしていってください~」


 アジールに似ている母親の名はアサリ。髪の色も同じだが、表情はコロコロと変化するため、見れば見るほどアジールとは似ていないと錯覚させられる。無表情を作れば、それは少し老けたアジールのそれだ。


「あ、イリックです。こちらは妹の……」

「ネッテです!」

「ロニアです。本日はお招き頂き、ありがとうございます」


 うろたえるイリックと明るさだけがとりあえのネッテとは対照的に、ロニアは礼儀正しい。


(ここは任せた! というか、やっぱりネッテにはこういったことも必要なんだろうな~)


 イリックは早速匙を投げる。教養のない人間にはこういった受け答えはできない。この場は魔法学校の元先生に頼る。

 それとは別に、イリックは確信する。実は定期船で移動している最中から思っていたのだが、ネッテには先生が必要だ、と。そして、その役はロニアにお願いしたい。

 先生と言ってもたいしたことではなく、一般教養、礼儀、料理といったことを暇な時に教えてもらえれば十分だと考えている。

 冒険に定期船の利用はつきものだ。その際、半日ないし一日は暇になってしまう。

 宿屋に泊まる際は当然ながら、野営であろうと食事や水浴び以外の時間は暇だ。作戦会議等はあるかもしれないが。

 そういった時に、ネッテを少しでもまともにするため、ロニアには力になってもらいたい。イリックは兄としてそう考える。


(今度相談してみよう。今日は無理だ……。なんか、早速やつれてきたし)


 イリックから精気が失われていく。豪邸の時点でゲッソリしているにも関わらず、目の前にはアジールの両親がいる。この状況はイリックにとって毒でしかない。


「娘から話は聞かされましたが、改めて聞かせてください」

「あ、今お茶をお持ちしますね」


 こうしてアジールの両親との懇親会が始まる。

 落ち着かない客間、仲間とは言え女性の両親との会話、イリックから徐々に精気が失われていく。


(もしかして、ロニアさんちでもこういったイベントが発生しちゃうの? か、勘弁してくれ……)


 しかしそれは杞憂に終わる。数日後にはガーウィンス連邦国に降り立つが、そんな出来事は起こらない。ロニアも、ロニアの両親もそれを拒否しているのだから。


「アジールさんってお父さん似なんですね!」


 ネッテがズバリと言い当てる。イリックはギョッとするが、もう遅い。こういった話題はもっと繊細に扱った方がいいと思う兄とは対照的に、妹はズカズカと土足で踏み込む。

 アジールの顔は母親譲りだが、まとう雰囲気は父親のそれだ。ネッテの発言はまんざら間違いではない。


「よく言われます。でも、鼻や口元あたりは妻そっくりですよ」

「おお~、どれどれ……」

(これはもう黙ってるしかないな)


 イリックは借りてきた猫のように大人しくなる。元からそんなにはしゃぐ方ではないが、今日は普段以上に黙り込む。

 団欒は続く。夕食の時間になっても会話は途切れない。入浴後も続き、寝る直前まで開放されることはなかった。

 イリックはすっかりやつれてしまう。



 ◆



 壁紙が真っ白い。それだけで落ち着けないのはなぜだろう? こんな家に住んだことがないからだ。

 ここはアジールの兄が使っていた部屋。アジールには二人の兄がいるが、どちらも既に家を出ている。

 部屋の掃除は行き届いており、ベッドのシーツも煌いている。

 そんなベッドにイリックは座り込む。宛がわれた部屋に違和感を抱きつつも、そろそろ寝なければならない。


(考えてみたら、今日は一人で寝られるのか)


 すなわちネッテがいない。それだけで少しうれしい。

 当たり前だがネッテにも個室が割り当てられた。何個、空き部屋があるのか、イリックは廊下の構造を思い出しながら無意味に想像する。

 この部屋は個室にしては広い。家具はベッドと机と椅子しかないせいか、空きスペースが目立って余計にそう思える。

 まだ眠くはないが、イリックは横になる。見上げた天井もやはり豪邸のそれである。

 トントン。来客を知らせるノック音が静かな部屋を駆ける。


「どうぞー」


 ネッテのような気もしたが、イリックは慎重に返答する。ここはアジールの自宅ゆえ、誰が訪れるかわからない。ぞんざいな対応は危険極まりない。

 ゆっくりと開いた扉の隙間から、オレンジ色のパジャマを着たアジールが現れる。適度な胸の膨らみがイリックに変な感情を抱かせる。


「いい?」

「はい。どうしました?」

「父さん達、はしゃいじゃってごめんね」

「いえ、あったかいご両親でうらやましいです」

(あ、この言い方はまずいか?)


 言い終えてすぐ、イリックは失言だったと後悔する。既に他界している自分の両親と比較するのは悪手だと気づいたからだ。

 両親は殺されたが自分達は生き延びた。それだけでありがたいことだと思えているのだから、他人にも気にして欲しくはない。これがイリックの本心だ。

 しかし、どう受け取るかは人次第なのだから、この話題には気をつけなければならない。


「その、誰かを家に招いたのは初めてだったから……、きっとうれしかったんだと思う」

(余計な気遣いはしないでくれたか……)


 アジールもそこまで鈍感ではない。

 それはイリックも同じで、アジールの言葉足らずな言い回しから、一瞬にして真意を読み取ってみせる。

 アジールは友人や冒険者仲間がおらず、今までこういった機会は得られなかったのだろうと推測し、ここはウイットに富んだ言い回しで場を盛り上げることにする。


「それじゃ、アジールさんにとって俺は初めての男なんですね。なんちゃって!」


 自分で言っておきながら後悔する。あまりの寒さに心臓麻痺を起こしかけたが気合で心臓を動かし続ける。

 ギリギリ生きているだけのイリックと立ち尽くすアジールの間に静寂が訪れる。珍しくはない状況だが、今に関しては普段以上に居心地が悪い。


「その……、ありがとう」

「いえ、特に何もしてませんよ」


 イリックは頭をかく。


「ううん、色々……」


 アジールの言う色々が何を指すのか、イリックは考えを巡らせる。

 アーリマンとの戦いで助けたこと?

 仲間に加えたこと?

 デーモンを倒したこと?

 住居を提供したこと?

 先日、暴れるネッテを二人がかりで押さえつけ、もみくちゃにしたこと?

 外食する時はいつも自分が支払いをしていること?

 この中のどれかなような気がしたが、答えには辿り着けそうにない。


「お兄ちゃ~ん」


 ノックも無しに扉が開く。イリックはネッテの襲来を予想していたが、まさかこのタイミングで現れるとは思ってもおらず、うっ、と声を漏らしてしまう。


「なななな!? 夜這いですか!?」


 薄着のネッテが現れ、早速取り乱す。寝室にイリックとアジールが二人っきり。この状況はネッテを勘違いさせるには十分過ぎた。

 一方、イリックはネッテの平ら過ぎる胸を見て驚く。シャツは一切盛り上がっておらず、それこそイリックの方が体はでこぼこしているかもしれない。

 しかし今はそれどころではない。この状況が夜這いではないことを告げなければならない。


「全然違うぞ」

「おしい」


 二人の証言が食い違う。そのことに誰よりも驚いたのはネッテではなくイリックだった。思わず目をクワッと見開く。


「兄上?」


 ネッテの怒りボルテージがぐんぐん上昇する。無罪にも関わらず、イリックの命が危険に晒される。


「アジールさん、このままだとお宅で殺人事件が起きてしまいます助けてください」


 今のイリックにはこの状況を打破する術がない。できることは、せいぜい助けを乞うくらい。


「冗談」


 アジールのウイットに富んだ冗談がイリックの寿命をごっそりと削る。


「な~んだ、もうアジールさんったら~」

「んで、何しに来た?」


 わかってはいるが、イリックは念のため確かめる。


「せっかくもお部屋用意してもらっちゃったけど、やっぱりお兄ちゃんと寝たいな~って」

「わ、私も一緒に寝たい」


 ネッテと寝たい、という意味でアジールは発言したのだが、イリックとネッテはそう捉えられない。さすがに今回の発言は色々と単語が足りていない。


(俺とアジールさんが二人で!? そ、それは願ったり叶ったり!)


 興奮するイリック。


(三人で!? ま、まぁいいかな~。あ、でもな~)


 唸るネッテ。


(ネッテをモフモフしたい)


 獲物を狙う目でネッテを見つめるアジール。

 そこには不思議な三角形ができあがる。

 この状況を切り抜けるために、イリックは作戦を練る。


「まぁ、今日のところは全員疲れてますし、大人しく各自の部屋で寝ることにしましょう。明日は寝坊するわけにもいきませんしね」


 これは単なるジャブでしかない。


「え~」

「え~」


 リーダーの威厳が足りていないらしく、二人からは賛同が得られない。しかし、これも作戦のうちだ。


「でしたら、ネッテとアジールさんが一緒に寝るってのはどうですか?」

「わかった」


 ネッテに返事をさせる間も与えず、アジールが即答する。この一言が決め手となり、ネッテは渋々アジールの部屋に消えていく。

 作戦通り。ネッテも大概だが、アジールも案外ちょろい。

 イリックはネッテの貞操が心配になったが、妹が自分より早く大人の階段を上ったとしても構わない。

 柔らかいベッドに体を預ける。こんなに心地の良いベッドはいつぞやの宿屋以来だ。

 明日は朝からギルド会館に出向く。

 北の地に生息するモンスターについて報告するためだ。面倒極まりないが、これを終えれば次はガーウィンス連邦国に向かうことができる。

 やるべきことを済ませて、早く冒険者家業を満喫したい。

 せっかく冒険者になれたのだから。

 そのために冒険者になったのだから。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか意識と体はベッドに溶け込んでいた。


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