第七章 ドキッ! 女だらけの新生活!
「いただきマント!」
窓から差し込む暖かな朝日が、深みのある茶色い居間をやさしく照らす。
四角いテーブルの上にはいくつもの皿が並べてあり、シンプルな献立ながらも野菜やウィンナーが盛り付けられている。
それを囲うように二人は座る。一方はウィンナーをパキリと口で折り、もう一方は茶色いドレッシングがかかった赤い野菜を口に運ぶ。
最後の一人、ネッテも少し遅れて席に座る。いつものよくわからない挨拶と共に、意気揚々と丸いパンにかじりつく。
ここはイリックとネッテの自宅。昨日は半日以上をかけて掃除に取り組んだ。その成果か、居間は普段よりもちょっとだけ綺麗に見える。
居間の窓から差し込む陽射しも明るく見える。イリックが窓を拭いた成果だ。
「ネッテ、いつもそれ言ってるけど、新しいの思いつかなかったら繰り返すの? 二週、三週って」
アジールがついにネッテの頂きますネタにつっこみを入れる。実は随分前から気になっていたが、今までなぜか我慢していた。
「そうだよ?」
「そ、そう……」
あっさりと答えるネッテにアジールは狼狽する。マから始まる言葉は有限なため、冷静に考えれば当然た。
「油断してるとものすごい下ネタぶっこんでくるので気をつけた方がいいですよ。アジールさんが加わって以来、意識してるのか一度も言ってませんけど」
「あぁん! それは言わないで!」
イリックの暴露にネッテは思わず顔を赤らめる。実はそろそろ言おうか迷っていた。
「どんなのか聞きたい」
ネッテを見つめながらアジールが率直な感想を口にする。下ネタということも好奇心を刺激する。
「な、ないしょ!」
(照れるくらいなら俺に対しても言わなければよかったろうに……。それにしても、無事倒せて本当によかった)
珍しくうろたえているネッテを見ながら、イリックはしみじみと振り返る。
デーモンとの戦いは見事勝利という形で締めくくられた。二日前の出来事だが、まるで昨日のことのように感じてしまう。
圧勝と言っても過言ではない。
戦闘後、ネッテにデーモンの鱗のような皮膚を少しだけ剥がさせ、ついでに左手首を切り落とさせた。イリックには少々抵抗のある行為だ。笑顔でやってのけるネッテには頭が上がらないと同時にちょっとだけ恐怖を抱く。
その後、遺体は燃やして埋葬した。一昨日はここまでやって終了。
これら戦利品は、後日デフィアーク共和国とガーウィンス連邦国に持ち寄り、両ギルド会館に提出する予定だ。ロニアにそうしろと言われたからだ。
曰く、デーモン討伐の証拠として提示すれば、報奨金がもらえるらしい。それが本当ならありがたい話だ。金はいくらあっても足りないのだから。
(昨日の内には全然片付かなかったし、今日もドタバタしそうだな)
サラミア港には昨日到着した。その後、四人はそれぞれ別行動をとる。
イリックは町長への報告とルアーセットの受け取り。リンダに無事荷物を送り届けることに成功したのだから、首を長くして待っているであろう町長には真っ先に会わなければならない。何より、冒険者を目指すと決めたのだから、ここでの仕事を探してもらう必要がなくなった。そのことも告げなければならない。ルアーセットも欲しい。
ネッテは食糧の買出し。サラミア港への旅路で食糧は食べつくしてしまった。自宅には食べ物などほとんど残っておらず、滞在期間は少ないにしろ、これは欠かせない。
アジールは物置状態の部屋から使えそうな家具を物色し、併せて自分の部屋を掃除。イリック達の両親が亡くなって以降、使われていなかった部屋なのだから掃除は必須だ。専業主婦のようなネッテが時折掃除をしていたが、そもそも旅からの帰還ということもあり、あらゆる場所が誇りまみれだ。最優先事項と言える。
そして、ロニアは三人と別れて宿屋へ。
当たり前だが、ロニアとはこれで一旦お別れだ。テホト村からサラミア港への移動を共にするだけの約束だったのだから、到着した以上、行動は別となる。
アジールは仲間だから同居を許したのであって、ロニアまでそうすることはできない。仮に誘ったとしても、ベッドがないのだから寝袋で寝てもらうことになる。
宿屋の場所を教え、ロニアはそこを目指したのだが、実はネッテだけは気づいてしまう。別れ際、寂しそうに自分達を見つめるロニアの表情を。イリックに教えようか迷うも、ロニアがすぐに立ち去ってしまったため、ネッテは出かかった言葉を飲み込む。
ネッテの心の奥では今でもくすぶっている。ロニアはもしかして、自分達の仲間に加わりたかったのでは? それならそうと言ってくれればいいのに、と。
言わないということは違うということだろうが、やはりどこかひっかかる。けれども、考えたところでこれっぽっちもわからない。
朝食を味わいながら、イリックは周囲を見渡す。自宅にアジールがいる。やはりどこか違和感を感じてしまう。
鎧を着てない時はノースリーブニットを着ているため、胸の膨らみ具合がはっきりとわかる。
(大きな胸は最高だな。隣のペチャパイは色んな意味で眼中にないけど。んで、今日はどうしようかな?)
イリックはアジールの胸を盗み見しつつ、考えを巡らせる。
昨日の内に掃除は終わらせられたが、家具の移動まではできなかった。
そもそも、アジール用のベッドなどないため、昨晩はなぜか居間に三人で寝転がった。それはそれで楽しかったとイリックは振り返る。
そして今日、本格的にアジールの部屋をどうにかするつもりでいる。他にもやるべきことはあるのだが、優先順位的に先ずはこれからだ。
ゆっくりとしていられるのは今くらいだろうと思いながら、イリックはサラダを口に運ぶ。
「アジールさんはサラミア港初めてなんですよね? 案内とか必要ですか?」
「ううん、子供の頃、一度船で来た。でも、教えて」
イリックの提案はアジールにとって非常にありがたい。
サラミア港はたいして広い町ではないのだが、だからと言ってなんの予備知識も無しに歩くとなると、いささか面倒だ。
子供の頃、アジールは両親に連れられてサラミア港を一度訪れたことがある。しかし、随分昔のことであり、記憶はすっかりぼやけている。
「それじゃ、少ししたら向かいましょう。ついでに昼食も外で食べましょっか」
「さんせー!」
ネッテが誰よりもうれしそうに右手を突き上げる。すっかり外食好きになっている。
「朝食食べ終わったら、先ずはアジールさんの部屋に物置部屋から家具を運びましょう。昨日のうちにめぼしいのには唾つけてあるんですよね?」
「うん。机と椅子、それとタンス」
アジールは、イリック達の母親が使っていた年代を感じさせる家具達を選ぶ。それらはすっかり埃を被っているが、だからと言って痛んでいるわけではなく、多少使い込まれているが、まだまだ使用には耐える。
「お箸とかコップも買わないとね! 他にもいっぱい!」
「あぁ、そういうもんも必要なのか……」
ネッテに言われてイリックはやっとそういった小物が必要なんだと気づく。皿だけは四人分あるが、それ以外は買い足す必要がある。
(買い物は二人に任せて、俺は荷物持ちに徹するか。なんかそんなこと前にもあったような気がするな)
楽しそうに話す二人を見つめながら、イリックは今日も疲れそうだと諦めにも似た心境を抱く。
「思い出した。その前にギルド会館行きましょう。早速デーモン討伐の報告しないと」
「それがいいと思う。ロニアさんと合流?」
イリックの提案にアジールは頷く。家の改装も重要だが、人類にとってはデーモンの出現と討伐の報告が重要だ。
「そうしましょっか。宿屋寄って叩き起こしましょう」
半分冗談だが、ロニアの隙だらけな姿を見てみたいのも事実。
「ご飯食べ終わったら行こう」
「ガッテン!」
アジールが続き、ネッテが賛同する。
予定が増えてしまったが構わない。慌しい日々は歓迎なのだから。
◆
サラミア港に住んでいるからこそ足を踏み入れない場所。宿屋がまさにそれである。イリックは新鮮な気持ちでドアを開ける。
二階建ての木造の建物は定期船から降り立った人達で賑わう。今日もそれは変わらず、先ほどから人の往来が多い。
「あら、イリックじゃない。もう帰ってたのね」
「おはようございます。昨日戻りました」
受付の女性が、茶色いポニーテールを頭の後ろで揺らしながらまさかの来客に驚く。近所に住む女性であり、宿屋の看板娘でもある。
年は結婚適齢期を少し過ぎたあたりで、少しやせているがそれは本人の努力によって実現している。言い寄る男は多く、彼氏をとっかえひっかえしているが、なかなかゴールには辿り着けない。
「どうしたの? こんなところに来るなんて初めてじゃない?」
サラミア港に住んでいるのだから、宿屋に足を運ぶ用事などない。女性は当然の疑問を口にする。
「ロニアという女性に用事がありまして……。部屋どこですか?」
「へ~……。もしかして彼女?」
「兄上!」
女性のウィットに富んだジョークをネッテは真に受ける。
「違うってことくらい知ってるだろうが」
ほんとバカな奴だな、と言いかけたがそれは止める。こんなところで喧嘩をするわけにはいかない。
「知り合いなんです。ギルド会館に同行してもらいたくて」
「あぁ、あの人冒険者なのね。ところで後ろの女性は? もしかしてこっちが彼女?」
「兄上!」
ネッテがいちいち勘違いする。そして怒る。イリックはその面倒くささに心底呆れながら、プリプリと頬を膨らませる妹を無視する。
「こちらアジールさんです。あ、俺達、冒険者になるためにここを発つことにしまして、彼女はそれに先駆けて仲間になってくれたんです」
「あら、冒険者に。そう、もう決めたのね」
女性はしみじみとイリックとネッテを見つめる。
イリックとネッテを知らないサラミア港の町民はいない。八年前の事件は多くの人間を不幸にしたが、この兄妹はその最たる存在だ。
兄は妹を養うため、アイール砂丘でモンスターを倒し続ける。そんなことは常人にはできないことであり、誰もがイリックの働きを賞賛する。
その兄は仕事を奪われ、新たな道を歩みだす。
イリックとネッテがこの町を去ることは寂しいが、当人の前で悲しむわけにはいかないとこの女性は理解しており、背中を押すように応援する。
イリックは笑顔を返しながら、教えられた部屋に向かう。
寝起き、もしくはまだ寝ているロニアに会えることを夢見て、ドキドキしながら廊下を歩く。
「イリックでーす」
ノックと共に、扉の向こうのロニアに声をかける。ガチャリといきなり扉を開けるわけにはいかない。茶色い扉の前に立ち、返答をじっと待つ。
「あら、どうしたの?」
黒いタイトワンピースを着たロニアが扉を開けて姿を見せる。驚きの表情を浮かべており、イリックの来訪を予想できなかったらしい。
「ギルドに報告しようと思うので、ロニアさんにもついてきてもらいたいな~、と思いまして」
「そう。別に構わないわよ。ちょっと待っててね」
扉を開けたまま、ロニアはそそくさと準備を始める。
後姿もやはり格別だ。服が背中や尻の輪郭を顕わにしており、しかもミニスカートの如く、太ももから下は完全に露出している。いっそ屈んで覗いてしまいたくなるが、理性で煩悩を押さえ込むことに成功する。いつかは煩悩が勝りそうで怖いが、若さゆえ致し方なし。
「お待たせ。さぁ、行きましょう。他の二人は?」
「受付で話し込んでます」
「あぁ、ここの人達とは知り合いなのよね? 昨日から大変なんじゃない?」
「会う人みんなに、今回の旅について訊かれちゃいます。冒険者になる旨を伝えると、そこからさらに盛り上がるのでもう大変です」
八年前のモンスター襲撃により両親を亡くした悲劇の兄妹。
その後、イリックは長年この町の平和を一人で守り続ける。誰もがそのことに感謝している。
そんな二人がワシーキ村に旅立ったという噂は瞬く間に広まる。小さな港町ゆえ、噂は全員の耳に届く。
ゆえに昨日からというもの、イリックは出会う町民に根掘り葉掘り訊かれて疲れ果ててしまう。仕方のない儀式と諦めてはいるが、一刻も早くネッテにこの役目を押し付けたい。
「そうでしょうね。あら、おはよう」
「あ、おはよう!」
「おはよう」
ロニアの登場にネッテが沸く。
アジールは普段通りのテンションだ。
四人になれたことで、一同はギルド会館を目指す。目的は北の地に生息すると思われるモンスターの出現および討伐の報告。
ここで問題がある。ロニアと合流した理由もそのことが関係する。
誰がこの件を報告するか?
イリック以外は当然イリックがするべきと考えたが、そもそもイリックはまだ冒険者ではない。
ここはアジールかロニアがすべきだろうというのがイリックの考えだ。
アジールは断固拒否する。長々と他人と話す気にはなれないからだ。でかい体に反して以外と人見知りなところがあり、イリック的にはそこがかわいいが、とにもかくにも嫌がる。
消去法でロニアに白羽の矢が立つ。
「あぁ、そういうこと……。別に構わないけど、デフィアークやガーウィンスに行ったらイリックがやりなさいよ」
「そ、それはわかってます。冒険者になったらきちんとします」
デフィアーク共和国に向かえば冒険者になれる。そこでの報告もこなすつもりでいる。面倒ゆえにアジールに押し付けたいが、それは叶わないと諦めている。
宿屋とギルド会館はすぐ近くゆえ、ものの数分で辿り着いてしまう。
冒険者でもなんでもないイリックだが、それでもギルド会館には足しげく通った。
モンスターの情報収集。
冒険者との世間話。
通えば通っただけ、情報が得られる。それがギルド会館であり、情報発信の最先端だ。
冒険者は気さくな人間が多く、そういう意味でも楽しめる空間だ。
サラミア港周辺はイリックのおかげで比較的平和だったため、発行されるクエストも少なく、結果、冒険者もそれほど多く滞在していない。それでもここを拠点としている冒険者はいくらかおり、少ないクエストを少ない人数で分け合っている。
デフィアーク共和国に出発する前に、クエストをいくつかこなして金策に励もうかと思っていたが、デーモン討伐で報酬を得られるのなら一刻も早く出発した方がいいのかもしれない、とイリックは昨晩から検討を続ける。
しかし、マリィとコルコルをサラミア港で出迎えると約束した以上、それを待たずに旅立つわけにもいかない。
そもそも、まだ準備が整っていないのだから、どうするかを検討するのはそれからだ。
「はい、到着。あまり広くない街並みも案外便利なものね」
ロニアが半分嫌味のようなことを言い出す。
四人の目の前にはこの町で最も大きな建物、ギルド会館がドシンと構えている。茶色というよりは黒に近い木造の建物はそれだけで威圧感を醸し出している。
機能の半分は食堂であり、中に入り左を向けば、目の前いっぱいに大きなフロアが広がる。並べられたいくつものテーブルと椅子のどこかに座れば、たちまち料理が運ばれてくる。もちろん、注文したらの話だが。
「それじゃ、ロニアさん、お願いします」
ギルド会館のもう半分は、当然だが冒険者のための、すなわちギルドとしての機能を果たす。
四種類の掲示板と受付が存在しており、イリックはいそいそとクエストが貼られている掲示板の一つに向かう。面倒事は押し付けて、自分はやりたいことをやるつもりだ。
「あなたも来なさいよ。報告の仕方教えてあげるから」
「え、ええ~」
ロニアの当たり前な指摘に、イリックは嫌だと顔で訴える。報告という単語からして既に抵抗がある。
「ア、 アジールさ……」
生贄を差し出そうとしたイリックだが、アジールが見当たらない。ささっと周りを見渡すと、ネッテと二人で食堂の椅子に座っており。早速何かを注文してる。こ、こんちくしょー! 心の中で叫びながら、イリックは負けを認める。
「さぁ、行くわよ。こういうことは受付でやるの」
「は、はい……」
押し付けようとしたが押し付けられた。これもリーダーの宿命と思って諦める。
「あら、イリック。久しぶりー。その美人さんは彼女?」
「知り合いです」
「本当に会う人みんな顔見知りなのね」
受付の若い女性がイリックの登場に驚きつつ、ロニアを連れていることにさらに驚く。
「な~んだ。イリックにもついに彼女が出来たのかと思っちゃったわ。あ、それなら私と付き合っちゃう?」
「いいんですか!?」
「食いつき過ぎよ」
この女性もサラミア港の住民であり、子供の頃からの知り合いでもある。全体的にぽっちゃりしているが、イリック的ストライクゾーンの範囲内である。黄色い髪は肩に届きそうな長さをしており、前髪は右目側が長く、左に進むと徐々に短くなっていく。
少しふくよかということは胸も相応に大きく、ギルドの制服は胸部分が非常にきつそうだ。
イリックはついチラチラと盗み見してしまう。こういう行為は女性にばれるものだが、それでもイリックは止められない。
「イリックったら、どんどん私好みに成長してくれるもんだから、実は狙ってたのよね~」
「マジですか!?」
「そんなこと言ってると鬼嫁が飛んでくるわよ。あ」
鼻息荒いイリックは気づけなかったが、兄の浮気を探知したネッテが食堂からもの凄い速さで駆けて来る。
ロニアは危機を感じ取り、さっとその場から離れる。
「兄上!」
「ぐはっ!?」
減速せずにネッテが兄に抱きつく。
イリックの背骨がボキリと音をたてて、その衝撃に悲鳴をあげる。
「何してた!」
「世間話してただけだよ」
「なぜ嘘つく!」
「嘘じゃないって……」
「浮気の匂いがした!」
ネッテの勘は非常に鋭い。イリックはこういったところを恐れており、モンスターではなく人間に殺される場合、犯人は妹だろうと推測している。
「はっは! やっぱりイリックにはネッテちゃんがお似合いだね。ヒューヒュー」
「そ、それほどでも~」
「照れてないで降りろ」
受付の女性が微笑ましく笑う。
イリックは命の危険を感じているが、他人からは仲睦ましくじゃれ合っているようにしか見えない。
イリックは察する。自分が殺される時は間違いなく完全犯罪が成立するだろう、と。
「じゃ~ね~」
ネッテは受付の女性に手を振り、嵐のように立ち去っていく。
邪魔者がいなくなったことで話は本題に戻る。最初から脇道に逸れていたがそれは棚に上げる。
「ロニアさん、お願いします」
「本当に私にやらせるのね。まぁ、いいわ」
ロニアは渋々、今回の件を受付の女性に説明する。
と言っても、ロニアはテホト村で加入したのだから、事の始まりであるワシーキ村での騒動は説明できない。その部分はイリックに話させながら、ロニアは一連の事件を掻い摘んで伝える。
「ちなみに証拠はこれ。デフィアークとガーウィンスに寄ったら、そこのギルドに提出するつもりよ」
ロニアはデーモンの黒い皮膚を提示する。ここで見せても何の意味もないが、この話の信憑性を高める役目くらいは担ってくれる。
受付の女性は北の地のモンスターなど一切知らないが、それでも事の重大さには気づき、早速行動を起こす。席を立ち、奥の部屋に消えていく。
「まぁ、こんなところね。これで明日には……、いえ、今晩にはデフィアークのお偉いさん達もてんやわんやね」
「今頃、なんとかフォンってのを使って、デフィアークの人と話してるんですか? すごいマジックアイテムですね」
「エレメンタルフォンね」
それを使えば離れた場所同士で会話ができる。エレメンタルフォンはただそれだけのマジックアイテムだが、情報伝達という意味では革命的なアイテムと言える。
このアイテムの唯一の欠点は量産性の低さであり、あまりにレアな素材を使うことから、最低限の数しか生産できておらず、その上、今後も生産の目処は立っていない。
その素材は、ガーウィンス連邦国の北に位置するルワミリ島に生息する三竜の一体、オウドラゴンの牙だ。ドラゴンという時点で人類にはほぼ入手不可能な素材だが、現状ではルワミリ島を取り巻く環境がさらに事態を悪化させている。
運よく、人間がまだルワミリ島に住めていた際にオウドラゴンの死体を回収できていたため、現存するエレメンタルフォンは発明および生産に結びつく。しかし、素材のストックは既に無く、エレメンタルフォンの増産は現状不可能となっている。
「後は、俺達がデフィアークに出向いて、冒険者になれたら報告をすればいいってことですね」
「冒険者になる前にやっちゃってもいいと思うけど。まぁ、そこはあなたのやりたいようにやりなさい」
ロニアのおかげで今日やるべきことが一つ片付く。肩の荷が下りたとイリックは素直にほっとする。
「わかりました。今日はありがとうございました。ロニアさんはこの後どうされるんですか?」
「そうね……」
ロニアは腕を寄せて考える。大きな双丘がギュッと変形し、イリックは目が離せなくなる。
「今日は一日ゆっくりするわ。一昨日のせいで精神的に疲れてるのよね」
一昨日、つまりデーモンとの戦いにより、ロニアは再び死を覚悟させられた。イリックが倒したものの、デーモンのプレッシャーに長時間晒されたことで、今なお精神的に参っている。それはネッテ達も同じだが、テホト村も含めて二連続だったこともあり、ロニアは休息することを選ぶ。
「そうですか。それが良いかもしれませんね。あ、そうだ。大勢でワイワイした方が気が紛れるのなら、うちに来ませんか? ベッドとかはないので居間でごろ寝することになりますけど……」
イリックは報告の礼も兼ねて提案する。深い意味はなく、ただただ感謝の気持ちを口にしただけだ。宿代が一泊浮けばロニアとしても助かるだろう。その程度の提案だ。
それでも、ロニアの心は大きく揺れ動く。手を差し伸べられたい人物から差し出された手ほどありがたいものはなく、ロニアはドキリとする。
イリックに惚れたわけではない。それは断言できる。そもそもイリックにはネッテがおり、禁じられた愛かもしれないが応援するつもりだ。
それでも、ロニアにとってイリックは既に特別な存在なのも事実。
ロニアは頭の悪い人間が嫌いだ。そして、イリックは頭が悪い。学がない、という表現が正しいのだが、それはそれで許せない上に、比較的意味は近い。しかし、イリックに関してはそれが気にならない。そう思える男はイリックが初めて。
テホト村で命を救われ、復讐まで実現させてもらい、アイール砂丘では目の前でデーモンを倒してみせた。そんな男に寄りかかりたいと思って何が悪い。惚れたわけではないのだから、これくらいは許されるはず。ロニアにそんな感情が芽生える。
甘えられたい自分が初めて他人に甘えたいと思ったのだから、恋ではないにしろ、そばにいたいと思うのが自然なのかもしれない。ロニアは自分にそう言い聞かせる。そんなことをする必要性はないのだがロニアの性格がそうさせる。
「そ、それじゃお言葉に甘えようかしら」
「どうぞどうぞ。それじゃ、ネッテ達のところに行きましょう」
ロニアは微笑む。イリックにばれないように。うれしさのあまり、自然と笑顔がこぼれてしまう。
少なくとも今日は一緒にいられる。今はこれで満足する。
さぁ、行きましょう。自分達だけでお茶している二人の元へ。
◆
昼食をギルド会館で済ませた四人は、そのまま食糧や日用品の買出しに移行する。自宅に着いたのは予想よりも遅い午後三時頃だ。
これから力仕事をやらなければならないのだからイリックは気が重くなる。重いのは家具の方だが。
アジールが欲した家具は机と椅子、それとタンスだ。
それらは今は使われていない部屋に放り込まれており、アジール用の部屋まで運ばなければならない。
それらは全て木製であり、その上それほど大きくはない。椅子に至っては誰でも持ち上げられる。
しかし、机とタンスはそうもいかない。机は化粧箱を置けるスペースの広い種類であり、通常なら大人が二人くらいは必要になる。
イリックとアジールは冒険者だ。その身体能力は非常に高い。
アジールは随分と体を鍛えており、一人で机を持ち上げてみせる。だからと言って一人でやらせるわけにもいかない。イリックはそんなことを気にしないが、運ぶ際、あちこちにぶつかってしまうかもしれない。
イリックが逆側を持ち上げ、誘導しながらアジールの部屋を目指す。
ネッテとロニアが見守る中、二人は家具を運び終える。
空き部屋だったそこには机と椅子とタンスが配置され、すっかりアジールの部屋になりかけている。まだまだ味気ないがそれは仕方ない。
「ふ~、とりあえずこんなもんですかね」
「うん。ありがとう」
本当ならベッド等を購入すべきだが、長居するわけでもないため、寝袋の出番が続く。
何より、次はいつ戻ってくるのか、それさえもわからない。一年以上先ということはないだろうが、もしかしたら一ヶ月以上は戻ってこないかもしれない。
その可能性を考慮すると、今はありあわせの家具で我慢してもらうしかなく、アジールもそれでいいと肯定する。
「夜なんだけど、私とお兄ちゃんはここで寝るから、ロニアさんは私かお兄ちゃんのベッド使っていいよ。あ、アジールさんもそうする?」
(なん……だと)
居間に戻ったらネッテがロニアに変なことを吹き込んでいた。
いつの間にかそういうことになったらしい。確かに、女性をここで寝かして自分はベッドで寝るわけにはいかないが、だからと言ってネッテと二人というのもどこか腑に落ちない。
イリックは復讐を開始する。
「あ、それじゃあ、俺はここで寝るので、ロニアさんは俺のベッドを使ってください。アジールさんはネッテと二人でベッドで寝てください」
「そうする」
「ほわー!?」
復讐終了。これで今夜の安眠は約束される。
「あなた達、家でもこんな調子なのね」
泣きながらイリックに掴みかかるネッテを眺めながら、ロニアは楽しそうに感想を述べる。
この兄妹はどこにいても自分達のペースを崩さない。家でも外でもそれは変わらない。それこそ、モンスターを前にしても揺るがない。
「仲良し兄妹」
アジールもさらりと言ってのける。
「そう見えるなら病院行った方がいいですよ。ぐお! た、助けて……」
「うぎぎー!」
ネッテが背中に張り付いて剥がれない。その力はイリックを圧倒しており、抗うことすらできない。
「楽しそうなところ悪いんだけど、ちょっと訊いていいかしら?」
「できればその前にバカをひっぺがえしてくだ」
「バカって言った!」
イリックの首が絞まる。背中に張り付いたネッテが、細い腕でスリーパーホールドをしかけたからだ。細い腕ゆえに、しっかりきまっている。このままだと確実に殺されるため、イリックはなんとか抵抗する。
この状況なら当然だが、イリックの背中にはネッテの胸や腹が当たっている。しかし、女性特有の膨らみが感じられず、それどころか腹が腹部が柔らかい。こんなことを本人にたずねがらいよいよトドメを刺されるため、イリックは黙る。むしろ喋れない。
「イリックの顔がやばい色になってきたからそろそろ止めてあげなさい。ほら、首絞めてるよりアジールの柔らかい太ももを愛でてる方が気持ちいいわよ」
「んむぅ……。今日はこれくらいで勘弁してあげる」
「ゼハァ! 死ぬかと思った……」
もしかしたら残機が一機くらい減ったかもしれないが、今は新鮮な空気を吸うのに精一杯なため、他のことを考える余裕がない。
「もう少し詳しく教えて欲しいのだけど。あ、単なる好奇心ね。コネクトって実際どうなの?」
「どうなのと言われましても……。便利な魔法としか」
イリックはコネクトを使用し、デーモンを倒した。それほど強力な魔法だが、イリックが言えることは魔法の性能止まりであり、他に言えることは少ない。覚えてうれしい、役に立った、付け加えるならこの程度だ。感想でしかないが。
「ネッテちゃんが覚える戦技を使えるようになる魔法……。そんなの聞いたこともないわ」
「俺もないです」
ロニアもイリックもそこは同意見だ。
「再使用時間は四十五分だったかしら? しかもマジックポイントを消費しない、と」
「ええ。おかげで俺みたいな才能無しでも使えます」
キュアを十一回しか使えない男、それがイリック。ちなみにネッテよりも年下なコルコルでさえ既に二十回近く使える。それでも平均以下だが。
「意味わかんない。とりあえず使ってみてくれない?」
「いいですよ。コネクト」
新魔法の大安売りだが、別にケチる理由はどこにもない。イリックはあっさりと発動させる。
その瞬間、時間の流れが急激に減速し、一瞬にして世界が静止する。居間から音が消え、自分達以外から色が抜けていく。
(ほう、おっぱい見放題だな。あ、もしかして……、触れる!?)
静止した時の中で、イリックはついに気づいてしまう。
目の前には動かないロニア。そしてロニアの巨大な山脈。その勾配は見れば見るほどいやらしい。体のラインが丸見えなタイトワンピースは男を惑わす凶器だと実感する。
手を伸ばしたい!
揉まないからせめて触りたい!
そういった欲望に今はぐっと耐える。なぜなら、触ったことがばれる可能性もありえるからだ。つまり、この状況下でも触ると感覚が残ってしまうかもしれない。
ではどうするか? 実験するまでだ。
イリックは一瞬で移動する。時間は三秒しかない。既に一秒経過している。
狙うはネッテ。こいつなら許されると判断する。
イリックはツンツンと両手の人差し指で二回ずつ、ネッテの胸を突く。意味もなく乳首がありそうな場所を狙う。
(全然柔らかくない……。俺の胸と大差ないんじゃないか?)
そんなことはどうでもよく、何より、タイムオーバーだ。
世界が時間を取り戻す。急激に加速したそれは、本来あるべき早さに達し、正常運転を再開する。
イリックは正面のネッテを凝視する。妹よ。自分の身に何が起きたか気づけたかな?
「兄上のエッチ!」
「ぶほっ!」
頭突きが飛んで来た。こうして実験は成功する。しかし、結果は最悪だ。頭突きのことではなく、コネクトを悪用できないことがネッテによって証明されたからだ。失望を通り過ぎて軽く絶望だ。
「ネッテちゃん、どうしたの?」
「お兄ちゃんがおっぱい触った! でも、触りたいならもっと触」
「これがコネクトです」
「胸を触れるってこと?」
そう解釈されたことは不本意だが、それを実演したのは紛れもなくイリックだ。自業自得とはこのことを言うのか。こんなことで一つ学習する。
「いえ、時間を三秒止められます。まぁ、本番はここからですが。アサシンステップ」
イリックはネッテのアサシンステップを発動させる。ネッテはこの戦技をまだ習得できていないが、いずれ覚える。コネクトがそうだと証明している。
イリックは居間をもの凄い速さで歩いてみせる。走るわけにはいかないので歩いているが、シュールな光景だ。
「もう一個の! もう一個のも使って!」
「はいはい。デュアリズム」
ネッテのリクエストに答えるため、イリックはデュアリズムも発動させる。
アサシンステップの効果で一瞬にしてネッテの前に移動し、素早く左乳を右手の人差し指で突いてみせる。
「おぉー。一回しか触られてないのに、二回になった! おもしろーい!」
「なんでわざわざ妹の胸を触るのよ。別に構わないけど」
言われてみればその通りだ。ロニアの冷静なつっこみがイリックの心にグサリと刺さる。
「ネッテ以外の戦技は使えないの?」
アジールが当然の疑問を口にする。ネッテが習得するであろう戦技を使えるだけでもすごいことだが、他の冒険者の力を使えるのならそれに越したことはない。
「う~ん……。今はネッテとしか繋がれないです」
もっと親しくなればアジールとも繋がれるだろうが、それがいつ実現するかまではイリックにもわからない。
そもそも、感覚的にコネクトのことを理解できてはいるが、まだ解明しきれていないのでは? とイリックは疑っている。
もう少し先がありそうだ。根拠は無いが、そう思えてしまう。
「今はまだネッテちゃんの戦技しか使えないのね。ところで、ネッテちゃんには異変とかないの? イリックがコネクトを使うと、変な感じがするとか」
「う~ん。お兄ちゃんのことがもっと好きになったくらいかな~」
ロニアの問いに、ネッテがさらりと恥ずかしいことを口にする。
「その割りには、浮気がどうこうって随分と暴れてくれるじゃねーか」
「それはそれ!」
意味がわからないが、ネッテには何か信念のようなものがあるのだろう。イリックは納得できないがそういうことにする。野性の感性だけで生きているようにも見えるが、そんなつっこみは野暮でしかない。
「これはあれね。もう一人くらいと繋がってくれないと話にならないわね」
ロニアがさらりとネッテの戦力外通告を宣言する。必要な情報は得られないとすぐに察するあたり、さすが魔法学校の元先生だ。
「そうだと思います。よくわからない魔法ですが、まぁ、でも、今後も活用することになると思います」
「そうでしょうね。ありがとう、わからないことがわかっただけでもよしとするわ」
そういう考え方もあるのか、とイリックは感心する。教養のある人間は考え方にも深みがあるようだ。
一騒動も終わり、家具運びも済んだことで、居間に平和な時間が流れ出す。
ネッテの用意したガーウィンスティーがいい香りを漂わせ、各々はその匂いに身を委ねる。
そんな中、イリックに睡魔が歩み寄る。昼食後の買出し、帰宅後の家具運びで心身ともにすっかり疲れてしまう。
夕食にはまだ少し時間があるため、イリックは迷うことなく決意する。
「ちょっと昼寝してきます」
昼寝と呼ぶにはいささか遅い時間帯だが、ここは昼寝と言い張る。イリックはネッテが用意してくれたガーウィンスティーを飲み干し、ふらふらと自室へ向かう。
「おやすみー。ご飯できたら起こすね」
「ほい」
自室に消えていくイリックの後姿を見守った一同は、そっとコップに手を伸ばす。
「普段もこんな感じなの?」
「ううん。あんまり昼寝とかはしないかな。時々くらい?」
「そう」
珍しいものを見れたのだろう。ロニアはそう納得する。
そして再び沈黙が訪れる。それを破ったのは、珍しくアジールだった。
「ロニアさんは明日出発するの?」
「ええ。本当は今日ここを発つつもりだったのだけど、さすがに疲れててね」
体は大丈夫だが心が参っていた。休むには十分な理由だろうとロニアは予定を遅らせる。
「西の洞窟だっけ? 何があるのー?」
サラミア港に住んでいながら当たり前のようにネッテは知らない。
西の洞窟。正確にはゴブリンの通り道。
その名の通り、かつてゴブリンが通り抜けた洞窟だ。
トリストン大陸の西には小さな島が存在する。
クルル島と呼ばれるそこには、ゴブリンや巨人のようなモンスター、ジャイアントが住み着いており、それは今でも変わらない。
しかし、ある時彼らは気づいてしまう。島の東に存在する地下洞窟が、トリストン大陸と繋がっていることを。
クルル島はどこまでも砂漠が広がる資源の乏しい環境ゆえ、彼らが広大な大陸に進出するのは当然のことだった。
ジャイアントのほとんどは賛同せず、多くは島に残ったが、ゴブリンの半分以上は洞窟を通り、トリストン大陸への進出を果たす。
その際、人間との間に大きな争いが勃発するが、ゴブリンはそれにもめげず、この洞窟を通り次々とトリストン大陸へ進出し続ける。
しかし、人間はとある出来事をきっかけに行動を開始する。
オークとの四回目の戦争のおいて、ゴブリンがオークに味方し、共同戦線を張ってみせた。
オークだけでも手一杯な人類にとってこれは非常に脅威であり、様々な要素が重なり運よく勝利を収めはしたが、ガーウィンス連邦国はこれを機にある取り決めを行う。
ゴブリンの通り道を結界で封印する。
これが五十三年前の出来事であり、結果、ゴブリンの増加には歯止めがかかったのだが、弊害として、冒険者で溢れていたサラミア港は徐々に衰退していくことになる。
もちろん、サラミア港の人口減少は他にも原因があるのだが、最も大きな理由はこれだと言われている。
ゴブリンの通り道には二重の結界が張られており、洞窟の途中と入り口に、それぞれ結界が存在している。
ロニアは入り口の結界がどういったものか自分の目で確かめたく、今回の旅を決意する。
「張られている結界を見てみたいの。どんな術式なのか、どれほど頑丈なのか、突破する術はないのか、そういったことに興味があって」
「へ~。見てお終い?」
「そうね。済み次第、戻るつもりよ。ここにね」
本来、結界が張られている洞窟や遺跡には近寄ることも禁止されているのだが、実行したところで誰かにばれるわけでもなく、ロニアは悪いことと承知でゴブリンの通り道を目指す。
「その後は、私達と一緒にデフィアークだよね?」
「ふふ、どうかしらね。実は嵐の谷に張られてる結界も見てみたいの」
ネッテの問いかけをロニアははぐらかす。本当の気持ちを隠して、以前からぼんやりと考えていたことを口にする。
嵐の谷。ルイール平原に存在する謎多き危険地帯。一年中雷と強風が吹き荒れており、モンスターも強く凶暴なことから誰も近づかないのだが、ガーウィンス連邦国が危険度を考慮し、人もモンスターも通れないように封印する。
ここにも入り口となりうる場所に巨大な結界が張られており、ロニアの好奇心を刺激する。
「ええ~、一緒に行こうよ~」
駄々をこねるようにネッテがしがみ付く。アジールになついたように、ネッテは既にロニアにもなついている。今更離れるつもりは毛頭ない。
ネッテの発言はうれしいが、それでもロニアは首を縦に振れない。何よりリーダーはイリックであり、ネッテや自分が決められることではないと理解している。
「私が戻ってくる前に、ここを出発することになると思うわよ。往復で四日くらいかかるみたいだし。それに、私はあなた達の仲間じゃないもの」
言い終えて、ロニアの胸がチクリとする。言いたくないことを言ってしまったが、事実なのだから仕方ない。
「う~……」
ネッテは言い返せず、ロニアの胸に顔を埋める。ロニアはそんなネッテの頭を撫でることしかできない。
黙って様子を見ていたアジールは気づいてしまう。ネッテでは頭が足らないため無理だったが、外野から見ていると把握できた。
ロニアは仲間に加わりたがっている。しかし、自分からは言い出せない。
なぜか? さすがにそこまではわからず、かと言って本人に訊くこともできない。このことに気づけたのはおそらく自分だけ。アジールはどうしたものかと考えてみる。
(イリックに伝える? でも、間違ってたらどうしよう)
自分の早とちりで終わるのならそれで構わないが、イリックを巻き込んでしまうのは申し訳ない。
アジールは悶々とロニアとアジールを見守る。涎を垂らして幸せそうにロニアの胸を揉みしだいているネッテを見ていると、自分もやりたくなってくるが我慢することにした。
◆
太陽が少しずつ地平線に隠れ始める。空が徐々に暗くなり、サラミア港の雰囲気もじわりと変化する。
帰路につく人々。
釣竿をしまう男。
友達と別れる子供達。
宿屋の前でこれからのことを話し合う商人達。
港町に夜が訪れる。
自宅には寝ているイリックと、夕食の献立を考えるネッテ。そして、夕食作りを手伝うつもりでいるロニア。
アジールだけが外出しており、今はサラミア港を散歩中だ。
(よっし、決めた)
ネッテの頭の中で夕食の献立が決定する。豪華なものは作れないが、腹いっぱいにはしてやるという意気込みで、ふんすとやる気をみなぎらせる。
その時だった。
「ただいま」
「へ~、ここかい」
「お、お邪魔します!」
玄関からアジールの声が聞こえたような気がした。それどころから、それよりも大きな声が二つ聞こえてきた。アジールの声は小さいため聞き逃しそうになったが、残りの二つについては間違いない。
「おかえり~。フォッ!?」
台所から玄関へ。その途中の廊下で、ネッテは思わぬ来客に変な声をあげる。
「よっ、久しぶり」
「こ、こんにちは! あ、こんばんは!」
露出の多い軽鎧を身にまとい、背中には大きな両手斧。薄茶色の長い髪を揺らして、その人物は右手を上げる。
テホト村で共に戦ったマリィだ。
その隣には、ネッテよりも年齢、身長共に下回る、不釣合いに大きな杖を携えた黄色い髪の少女、コルコルが緊張した趣で固まっている。
「おー、どうしたのどうしたの? あ、あがってあがって!」
「お邪魔するぜ。予告通り、私達もここに来たから顔出させてもらったんだけど……。忘れちまったかい?」
「そうだっけ?」
マリィの言う通り、ネッテはすっかりこのことを失念している。しかし、そうであっても歓迎することに変わりなく、ネッテはいそいそと二人を居間に通す。
「いらっしゃい。案外早かったのね」
わずかしかガーウィンスティーが入っていないコップをテーブルに置き、ロニアがマリィとコルコルに視線を向ける。
マリィとコルコルはデーモンの再襲撃を警戒してテホト村に残った。イリック達がサラミア港に出発する前に、一同はサラミア港での再開を約束したが、こんなに早く実現するとはさすがのロニアも思っておらず、実はマリィとコルコルもそれは同じだ。
「コルコルと話し合ったんだけどさ。あのままもう少し滞在してたとしても、やつが現れたら絶対勝てないだろ? 私達二人だけじゃさ。だから、もう大丈夫だろうってことにして出発しちゃった」
その判断は間違っていない。デーモンが再び現れた場合、マリィとコルコルは瞬く間に殺されてしまう。村民を何人か逃がすことはできるかもしれないが、それですらデーモンが本気を出さないことが前提だ。
「それが懸命でしょうね。もっとも……、あぁ、あなた達はまだ知らなくて当然だけど、あの黒いモンスターならイリックが倒しちゃったわよ」
ロニアからもたらされた事実にマリィとコルコルの思考が停止する。予想していなかったこともあるが、あまりに信じられない事実ゆえ、脳が処理しきれずパンクする。
「いいわね~、その反応。普通はそうよね」
他人事のようにロニアが笑う。当事者でさえ未だに信じ難いことをイリックはやってのけたのだ。
今では受け入れているが、あの瞬間の衝撃は今でも忘れることがない。デーモンが放つ殺気があまりに強烈だったせいでもある。
「……マジかよ」
「ええ。アジールやネッテにも訊いてみなさい。あぁ、イリックが証拠持ってるわよ。今昼寝してるけど」
話の主役は熟睡中だ。自室のベッドで来客に気づけないまま体力回復に努めている。
「ど、どうやってだよ? あんたら四人以外に誰か居合わせたのか?」
マリィは疑う。それも当然だ。自分達がいない分、イリック達の戦力は落ちている。デーモンに出会えば確実に殺されるのは容易に想像できてしまう。
マリィは気絶していたため後から聞かされたが、黒いオーラをまといデーモンは戦闘力を向上させる。自分達では到底敵う相手ではない。
「いいえ。イリックがほとんど一人で倒したわよ。厳密に言うと、ネッテちゃんと二人で最初はいい勝負してたんだけど、結局最後はお兄ちゃんパワーで倒してたわ。ネッテちゃんの方が強い強いって謙遜しておいて、実はそれ以上の可能性を秘めてたのはイリックってことよ」
「はぁ……。まだ信じられないけど、こんなことで嘘つく理由もないもんな」
「そういうこと。ね、アジール」
アジールは頷く。
一方、マリィはロニアの説明に渋々納得する。コルコルは最初から疑っていないが、それでも上の空なのは変わりない。
「見せてあげる」
アジールは思い出したように立ち上がり、イリックの部屋に侵入する。そそくさとお目当ての物を入手し、居間へ戻る。
マリィとコルコルは証拠品を提示され、もやがかった頭を完全に晴らすことに成功する。アジールが両手剣のような黒い片手剣を持って現れたからだ。
剣先から柄に至るまでありとあらゆる場所が漆黒の片手剣。紛れもなくデーモンが振るっていたものだ。
鞘がないため持ち運ぶ場合、マジックバッグに収納するかむき出しのまま運用するしかなく、イリックはこの戦利品をどう扱うか悩んでいる。
解決策は二つ。
どこかの誰かに鞘を作ってもらう。これが本命。費用次第だが。
もしくは売り飛ばす。金額次第ではこれもありだと考えている。
イリックはデーモンとの戦いにおいて、譲り受けたばかりの片手剣、ハイサイフォスをあっさりと砕かれてしまう。先端部分を失っただけとも言えるため、弱いモンスターを相手にする分には問題ないが、だからと言っていつまでも使い続けるわけにもいかず、早速次の片手剣について考えなければならない。
イリックはこの件で学習する。
やはり武器は安物に限る、と。高い武器を奮発して購入したとしても、壊れてしまった時の精神的、経済的ダメージが余りに大きすぎる。
その上、戦いの最中、武器を大事にしてしまう余り、迷いが生じてしまう。デーモンとの戦いにおいて、イリックは迫り来る黒い片手剣をハイサイフォスで受けとめるか回避するかで悩んでしまった。ハイサイフォスに傷を付けたくないと躊躇したのが原因だ。
こんなことを考えてしまう自分は、安い片手剣を使い捨てていくしかなさそうだ、という境地に至る。
なんとも悲しい結論だが、貧乏性なのだから仕方ない。これが性分なのだ。
デーモンの片手剣は随分丈夫そうだが、それでもついつい気を使ってしまう。それならいっそ売るのもありなのかもしれない。
イリックはそんな葛藤の狭間で揺れ動く。今は何も考えずに熟睡しているが。
「やれやれ……。私達の気苦労は何だったんだか」
「で、でも良かったよね。これで平和が戻ったんだし、ね?」
マリィはネッテから出されたガーウィンスティーをグイッと飲む。
コルコルはマリィをフォローするようにデーモン討伐を喜ぶ。
「一時の平和かもしれないけどね。ここから先はお偉いさん達の領分だから私がとやかく言うことじゃないけど」
「脅威が迫ってるってことかい?」
ロニアの意味深な発言がマリィの冒険者としての勘を震わせる。
「そうなんじゃないの? 北の地に生息するモンスターがワシーキ村とテホト村に現れたのよ。これで終わりだとは思えないわ」
「それもそうか……」
「えっ? えっ?」
ロニアとマリィが二人だけで納得する中、コルコルは一人狼狽する。
すなわち、ロニアはこう考える。
ワシーキ村に現れたアーリマンと、テホト村に現れたデーモンとガーゴイル二体、合計四体はグループを形成していた、と。
理由はわからないがどこかで別行動を取り、結果、戦力を分散させたため、イリック達に倒されてしまう。
モンスターが徒党を組むことは珍しくないが、今回の場合、明らかに普通ではない。それを裏付けるように、アーリマンは人間の言葉を話し、あまつさえ、偵察に来たと動機を述べた。
何のための偵察かわからないが、北の地から出てこなかったモンスターがこのタイミングで何らかの目的をもって行動を開始した。これは間違いない。
もし今回の四体が戦力の全てならこれでこの件は解決だが、そうとは思えない。強さ的に尖兵であって欲しくはないが、少なくとも本丸とは言いづらい。
オークやゴブリン以外のモンスターにも知能がある。これはもう揺るぎようのない事実となる。
デーモン達が倒されたことを認識し、彼らが属する組織か何かが動き出すとしたら、それはそう遠い未来ではないような気がする。ロニアはそこまで考える。
しかし、それ以上は考えない。なぜなら、ここから先はある程度情報を所持している三大大国が考えることであり、ただの冒険者がどうこうできる領分ではない。
三大大国には軍隊が存在する。それを投じれば、いかに北の地のモンスターが強大であろうと、それこそ組織だって動こうとも、成す術はない。
人類もある程度の被害は受けるだろうが、モンスターはそれ以上のダメージを負う。滅ぼすことは難しいかもしれないが、戦力の多くを奪うことは可能だ。
三大大国の軍隊は、北東の大陸を支配するオークともやりあえるのだから。
「とりあえずイリック達にはデフィアークとガーウィンスに向かってもらうわ。そこでデーモン討伐の証拠品を提出させて、それを元に国にはがんばってもらいましょう」
「あぁ、それがいいと思う。となると、明日には出発するのかい?」
ロニアとマリィはアジールに視線を動かす。なぜ私? とキョトンとされても二人の方こそ困る。
「知らない。起きたらイリックに訊いて」
「他人事のように。まぁ、私達が今日来るとは思ってなかったろうから、予定を立てるのもこれからになるだろうな」
アジールの発言を受けてマリィが一人で納得する。でしょうね、とロニアも同調し、この話題は一旦打ち切られる。
「晩御飯なんだけど、この人数分は用意できないしそもそも狭いし、外で食べるー?」
台所で献立を再び考え直していたネッテがついに匙を投げる。マリィとコルコルが加わるとなると、食材的な意味でも居間の広さ的にも厳しい。
したがって、消去法で外食となる。
「うん」
「そうしましょう」
アジールとロニアは即答する。
「おっけー。サラミア港は久しぶりだぜ。ギルド会館にするかい?」
「そうしよー!」
マリィの提案に、ネッテが誰よりもうれしそうに賛同する。
「ぼちぼち行くかい?」
マリィは時計に目を向ける。
時刻は午後五時過ぎ。
夕食にはまだ早いが、ギルド会館で喋りながらその時を待てばいいだけである。混む前に席を確保できるという利点もある。
掲示板に貼られているクエストにも目を通したいという思惑もあった。
「ネッテ。イリック起こしてきて」
「ガッテン!」
ロニアの指示のもと、ネッテはビューと駆けていく。兄妹の問答が少し続き、よろよろのイリックが強制連行される。
「んあ?」
「これがデーモンを倒した英雄よ」
「そうは見えないんだけどね~」
寝癖、眠そうな顔、下着姿。確かにそうは見えない。
◆
「相変わらずここはしけてるね~」
「もう、マリィ!」
ここはギルド会館の食堂側。テーブルと椅子がずらっと並べてあり、外が暗くなるにつれ、じわりじわりと席が埋まっていく。
ギルド会館は半分がギルドとしての機能を、もう半分が食堂としての機能を備えており、冒険から帰った冒険者が食堂でバカ騒ぎをしながら腹を膨らませるのが日常となっている。
町に住む人達も普通に利用しており、サラミア港の場合、定期船でやってきた渡航者もここで食事を楽しむ。
サラミア港のギルド会館ではあまり数多くのクエストが発行されない。周囲が平和ということもあるが、人口の減少もそれに拍車をかけている。
ギルドが発行するクエストとはつまり、誰かが困らなければ発行されることはない。
町の近くにモンスターが現れた。
隣町に荷物を届けない。
薬の素材が必要になった。
こういった時、冒険者の手が必要ならギルドはそれをクエストとして発行し、冒険者に解決を求む。
人口が多い三大大国の場合、困っている人も人口に比例して多く、結果、クエストの発行数が増え、冒険者はそれを求めて集まってくる。
そして三大大国は平和が維持され住み易い町となる。そうなればさらに人は集まり、クエストの発行数も増える。
そのサイクルによって三大大国はさらに発展していくことになり、それ以外の小さな村はどんどん人が減少していく。
サラミア港の人口が減少した理由の一つはまさにこれである。
とはいえ、サラミア港には漁という唯一無二の産業が存在しており、これがある限り、この町は消滅することはない。
そして、そこに人が住む限りクエストは少量ながらも発行され、それらを少人数の冒険者で分け合う。
サラミア港の現状はこうなっている。
そんな状況をマリィは鼻で笑う。三大大国を経験しているマリィには、ここは寂れきっているように見えて仕方ない。
コルコルはそんなマリィを叱るが、当の本人はどこ吹く風である。
(ふわ~、まだ眠い……。それにしても、やっぱりマリィさんはいいな~)
あくびをしつつ、イリックはこっそりとマリィを眺める。
長い髪。
性格のきつそうな顔つき。
爆乳。
男らしさと女らしさが同居している雰囲気。
何もかもがストライクだ。
コネクトを使い、三秒間でいいからマジマジと眺めたいのだが、ネッテにはばれてしまいそうなので自粛する。こういう時の妹は侮れないのだ。
「とりあえず飲み物だけでも注文しましょう」
「あ、そうですね」
ロニアの提案にイリックが真っ先に反応する。寝起きで喉が渇いていた。
誰もまだ決めていないにも関わらず、ネッテが颯爽と店員を呼んでしまう。
一同は慌てて飲みたいものを挙げていく。
「私は~……」
「決めてから呼びなさいよ」
呼んでおきながら、ネッテが結局最後まで粘る。イリックは当たり前のつっこみを入れるが、ネッテには響かない。この瞬間も楽しんでいるのだから。
「チャイ!」
東の大陸に存在するネレネン王国から伝来した紅茶。先日、リンダの自宅で紅茶を飲んで以来、イリックとネッテは紅茶に興味を抱く。
「かしこまりましたー。ごゆっくりどうぞー」
注文を終え、忙しそうに店員が去っていく。ネッテはどこか誇らしげだが、何がそうさせるのかイリックには理解できない。外食が楽しいだけなんだろうと結論付ける。
店内をキョロキョロ見渡すネッテを他所に、イリックへの質問タイムが始まる。
「で、どうやってあれ倒したんだい?」
ニヤニヤしながらマリィが問いかける。あれとはつまりデーモンであり、イリック達がデーモンやアーリマンという単語を伏せているため、マリィはそう表現する。
「ネッテの業物の短剣でグサリと倒しました。紙一重でしたがギリギリなんとか勝てました」
イリックはコネクトを伏せる。
コネクト。これを口外するわけにはいかない。
その場に居合わせたネッテ達には隠すわけにはいかないが、それ以外の人間にはまだ伏せるべき、というのがイリックとロニアの共通認識である。
なぜか? それはこの魔法が異質過ぎる点と、何よりこんな魔法はどんな文献にも記載されていないからだ。
完全に未知の新魔法。それがロニアの出した結論である。
そんなものを扱えるとなると、イリックは瞬く間に身動きが取れなくなる。とりわけ、ガーウィンス連邦国の研究機関が黙っているはずもなく、モルモットにはされないだろうが、冒険者としては活動しにくくなってしまう。
ゆえに、今はまだ内緒のまま活動する。それが誰かに迷惑をかけるわけでもないため、たいして心は痛まない。そんなことで悩む繊細な心は元から持ち合わせてはいない。
「奴のスピードについていけたのかい?」
「ええ。ネッテがけっこうな時間、一人でがんばってくれたので途中から目が慣れました。そもそもあいつ、剣の扱いはパワー任せだったので、案外隙だらけでしたしね」
マリィの鋭い質問をイリックはさらりと回避する。この返答には嘘がないため、イリックはすらすらと答えてみせる。
「やれやれ。とんでもない逸材じゃないか。まだ冒険者にすらなってないのに。それでいつデフィアークに向かうんだい? ちなみに私達は明日の朝向かうよ」
冒険者になるため、デフィアーク共和国に向かう。それは当初からの予定であり、マリィ達との再開を果たした後、実行するつもりでいた。
具体的な日程は考えていなかったが、今日出会えたのだから、明日は無理でも明後日くらいには出発できるかもしれない。
「う~ん。もう少し考えてみます。みんなとも相談しないといけませんし」
しかし、イリックは結論を急がない。定期船に乗れば半日でデフィアーク共和国に辿り着ける。今更焦る必要も無く、きちんとやるべきことをやってから出発したいというのがイリックの考えだ。
「まぁ、そうするといいさ。私達は一足先に向かってるから、あっちで会えたらまたこうして飲み食いしようぜ」
「待ってます!」
マリィとコルコルから笑顔を向けられる。
イリックはこの出会いに、絆のようなものを感じずにはいられない。
コネクトで繋がれるほど親しくはなれないかもしれない。おそらく対象となりうるのはネッテ以外はアジールくらいだろう、と何の根拠もなく思えてしまう。それでも、ロニア、マリィ、コルコルとは今後も友好的な関係でいられるのでは、と思いたい。この感情はわがままだろうか?
願わくばマリィとはもっとしっぽりとした深い間柄になりたいが、それは高望みだろうとイリックは既に諦めている。どうすればより一層仲を深められるのかわからない以上、そうせざるをえない。イリックはこの感情を胸にしまう。
一方で、新たに芽吹いた絆は大切にしようと決意する。この先に何が待っているかはわからないが、こういうことが大事なのだろう。そう考える。
ネッテとアジールは仲間である以上、守ってみせる。
それ以外の人達にも可能なら手を差し伸べたい。あくまでも手の届く範囲内に限定されるが、それは仕方のないことだ。
そういう時に絆で繋がっていれば、守ることも可能だと今なら思える。
コネクトの習得がそう思わせるのかもしれない。全然違うかもしれない。どちらでも構わない。
せっかく紡いだこの繋がりは、大切にしないといけない。そう思えること自体が成長の証なのだが、今のイリックはそこまで気づけない。しかし、その境地に辿り着けたのなら今は合格点。
ワシーキ村への二人旅で。
アジールとの出会いで。
ロニア、マリィ、コルコルとの出会いで。
デーモンとの戦いで。
イリックは大切なものを見つけることができた。
「近いうちに行きますので、また食事しましょう」
イリックも笑顔を返す。新たな約束は決意表明。こうして、絆は太くなるのだろう。何となくそう思えた。
しかし、イリックは見落としている。気配りができるわけでもなく、繊細でもないイリックには到底不可能な話だった。
気づけているのはアジールだけ。ネッテも少しだけ違和感を感じているが、そこには至っていない。
アジールの視線がロニアに向けられる。ばれないように、そっと眼球を動かす。
イリックとマリィの会話に参加できていない。それは仕方ない。ロニアはどちらの仲間でもないのだから。
アジールに至っては、ギルド会館に来てから一度しか言葉を発していない。デフィアークティー、ただそれだけ。
しかし、疎外感のようなものは感じずにいる。イリックとマリィの会話は、アジールにも関係あるのだから。デフィアーク共和国に行くのは、イリックとネッテだけでなく、アジールも含まれる。
ではロニアはどうなのか? イリックの仲間でもなければマリィ達の仲間でもない。二人の会話はロニアには関係ない。
これから西に向かうのだからそれはなおさらだ。
それなら、なんでそんな寂しそうな表情をしているのだろう? 本人は隠しているつもりなのだろうが、アジールにはそれがわかってしまう。孤独を誰よりも知っているからこそ、察することができてしまう。
イリック達の会話を聞き流せばいいものを、それすらもしない。ロニアがどうしたいのか、今はわからない。そうしたいのならそう言えばいいのに。不思議で仕方ない。
しかしそうしないのだから、自分の予想は外れているのだろう。だとしたら、自分にはどうすることもできない。
アジールはこう結論付ける。どうやら自分にはどうすることもできないらしい。
楽しい夕食の時間が始まる。ロニアは笑っているが、心の奥底はどうなのだろう? そのことが最後まで気になってしまった。
◆
翌朝、サラミア港の船乗り場に一同は集う。
イリック達の正面には、マリィとコルコル。そして、二人の背後には大きな船が海上に浮かんでいる。
定期船。
宿泊機能と食事処を備えた大きな船の甲板には、いくつもの帆が張られている。
サラミア港に到着してから幾分経つため、既に乗客や荷物は降ろされており、今はデフィアーク共和国へ向かおうとする人達が荷物と共に乗り込んでいる。
内燃機関で走るそれは静かに雄たけびを上げる。出発に向けてまさに力を蓄えている最中だ。
「じゃあな。また会おうぜ」
「お世話になりました!」
マリィが右手を上げ、コルコルはピョンと頭を下げる。
「またねー! 次もおっぱい揉ませてねー!」
(何言ってんだこのバカ……)
ネッテの発言に、イリックは眩暈と血の繋がりは感じる。
「次はいつ会えるかわからないけど、それまで元気にやんなさいよ」
テホト村でも挨拶は済ませた。ロニアはそれを踏まえて軽く声をかける。
「デフィアークで」
アジールは小さく右手を上げる。どうせすぐ会える。そういうつもりの挨拶。
「近いうちに行きます。体には気をつけてください」
想い人との別れはつらい。それでも今は見送るしかない。イリックは心の中で泣きながら別れを告げる。いっそネッテとマリィをチェンジしてもらいたいが、そんなことを提案したら海に蹴り落とされる。
やがて時刻通りに定期船が港を出発する。四人はそれを見送り、その場を立ち去る。
悲しむ必要はない。なぜなら数日後には再開できるのだから。問題はもう一つの別れだと、イリックは気づいている。
そう、ロニアとの別れ。
ロニアももう少しでサラミア港を出発する。目的地は西の洞窟、ゴブリンの通り道。往復で三日ないし四日の旅路。
重要なのは今日出発ということ。なぜ重要か? それは、イリック達も明日か明後日にはここを出発するからだ。
これから近所を周り挨拶を済ませる。部屋の片付けも済ませ、買い置き分の食糧も食べつくす。
次の目的地はデフィアーク共和国。ゆえに、食糧や消耗品の事前調達は一切必要なく、むしろここよりもあちらの方が便利なのは間違いない。
宿泊は宿屋で、食事も適当に外食。金さえあれば悠々自適な毎日が待っている。もっとも、遊びに行くのではなく冒険者になりに行くのであり、その上、デーモン討伐の報告もしなければならない。付け加えるなら、アジールの実家に一泊しなければならない。これが一番気が重い。
順調にいけば、旅の準備は今日中に終わる。そうなれば出発は明日の朝だ。そして到着はその晩。デフィアーク共和国は目前だ。
一方、ロニアは今日出発する。最短でもサラミア港に戻ってくるのは三日後。おそらく四日後。
その時、自分達はここにいない。既にデフィアーク共和国で冒険者になっている頃だ。
ロニアはサラミア港に戻ってからのことをそれから考えるつもりでいる。選択次第では当分会うことがない。二度と会えないということはないだろうが、もしかしたら一年以上は再開できないかもしれない。
それほどにこの大陸は広い。冒険者として活動するならば、自然と活動拠点は三大大国に限られてくるため、そういう意味では狭いのかもしれない。
しかし、一度離れてしまうと意思疎通は難しい。個人がエレメンタルフォンを持つことはできないのだから、どこどこで会おうなどと約束することはできない。
方法としては、サウノ商業国のギルド会館を活動拠点にすることが確率的には高い。ロニアに限定すれば、デフィアーク共和国も捨てがたい。いっそサラミア港に戻れば、まだそこにいてくれる可能性もある。
そんなことを考えながらも、イリックは歩く。目指すはサラミア港の出入り口。そこを一歩出れば、白い砂達が出迎えてくれる。
ロニアとはそこでお別れとなる。
先ほどと違ってこちらは随分と悲しい。それはネッテやアジールも同様だ。次はいつ会えるかわからないのだから。
そしてその時が訪れる。
「それじゃ、ここでいいわ。わざわざありがとね」
「いえ。ここのモンスターは強くないですが、ゴブリンとサンドスコーピオンには気をつけてください」
ロニアは西に向かう。そちらにはゴブリンが生息しており、東より危険だと言われている。サンドスコーピオンは満遍なく出現するが、数は少ないためおそらく出会うことは無い。
イリックは念のため、そのことを伝える。
「ロニアさん!」
ネッテがそっと歩み寄り、両手を広げる。
ネッテのしたいことを汲み取り、ロニアも歓迎するように両手を広げる。
ぎゅっと抱きつくネッテを、ロニアはやさしく包み込む。
「ここにはいつ戻る?」
「そうね。アイール砂丘が気に食わないから、三日後かしら?」
アイールは念のため確かめる。わかったことは二つ。
ロニアが最短距離でゴブリンの通り道に向かうこと。
予告通り、用事が済んだらサラミア港に戻ってくること。
本来なら不必要な情報だが、今のアジールには知っておきたいことだった。
ちなみに、さりげなく故郷の悪口を言われたが、イリックは動じない。なぜなら同意できるから。
「ふふ、その時にはあなた達はもういないのね。寂しいわ」
「だったら……!」
ネッテが言葉を詰まらせる。率直な想いをぶつけたくなったが、それでロニアを困らせたくはない。
「ここのゴブリンは刺激しなければ襲ってきませんが、もし束になって現れたらすぐに逃げてください。決して戦わないように」
「ええ。そうするわ」
アイール砂丘に生息するゴブリンは大人しい。と言っても自分達の縄張りに人間が侵入しないことが条件だ。それを破れば、ゴブリン達はたちまちその人間に襲い掛かる。
ゴブリンの通り道は縄張りの近くだが、そこを避けて通れることを昨晩の内に伝えており、ロニアはそのことをきちんと頭に入れている。
本当なら、ピンチになったら駆けつけます、くらいのことは言いたいのだが、そんなことはできないため、イリックは背伸びせず現実的な忠告を送る。
何かを言い淀み、それを止めたネッテの頭を再び撫で、ロニアはそっとネッテの肩に手を置く。
「それじゃ行くわ。世話になったわね」
「気をつけて」
ロニアがはにかむ。
アジールは表情を変えずに、じっと視線を送る。
これが今日二個目の別れ。
マリィとコルコルに続き、ロニアともこれでさようなら。
三人はロニアの後姿を見送る。決して振り返らない。
イリックは寂しそうなその背中をただ見守るだけ。
アジールも結局確信を得られず仕舞い。
しかし、ネッテだけは最後の最後で気づくことができた。
(もう遅いのかも……。いや、遅くない!)
ネッテは目を見開く。
「お兄ちゃん。ロニアさん、泣いてるよ?」
「まぁ、クールっぽく見えるけど情は深そうだしな~」
「そうじゃなーい!」
「ええ?」
ネッテが何を言いたいのか、イリックはまだわからない。
「多分だけど、私達の仲間に入りたかったんじゃないかな?」
「そうか~? それならそう言うだろ、ロニアさんの場合」
ネッテの推測はイリックに刺さらない。言いたいことはピシャリと言ってのけるロニアが、そんなことを言い出せないとは思えない。イリックはそう考える。
「ううん、多分あってる。昨日から、そんな気がしてた」
アジールが続く。ネッテのおかげで疑問が確信に変わったからだ。こう思っていたのは自分だけではない。その事実が、アジールの背中を押す。
「ま、まさか~。それならそうと言ってくれればいいのに……」
パーティのバランスという意味でも、頭の良いポジション不足という意味でも、自分達にはロニアのような人物は喉から手が出るほど欲しい。
数日一緒に過ごしたのだから、ロニアがそう言い出せないとは思えない。遠慮したのだろうか? それはロニアの性格から言って絶対にない。そう断言できるが、言い出さなかった理由まではわからない。
「なぜだかはわからない。だけど、言い出せないんだと思う。私も、あの時はすごく緊張したし」
アジールが言うあの時とは、ワシーキ村でイリックとネッテに、仲間に入れてくれ、と告げた時を指す。
イリックにはそんな経験がないため想像するしかないが、確かに緊張くらいはするだろうと容易に予想できる。
それでも、ロニアほどの人間がその一言を言えないとは思えない。ロニアは頭が良く、自分の意見はきちんと述べる。どちらかと言えば気の強い女性でもある。
気が強いがために言い出せない。原因というよりは足枷になっているのかもしれない。イリックはそう考え出す。それはロニアに歩み寄るための大事な一歩でもある。
(プライドの高さが邪魔をして自分からは言い出せない? いや、プライドは低くないだろうけど、無意味に高くはなかったな。となると……何だ? 何が原因で自分からは言い出せなかったんだ?)
イリックは考える。後一歩まで迫っていると勝手に解釈して、考えを巡らせる。しかし、答えには辿り着けそうにない。次の一歩が踏み出せる気がしない。
「お兄ちゃん」
「イリック」
二人の視線が何やら物語っている。
(ロニアさんが何で言い出さなかったのか、なんてどうでもいいのか。それよりも大事なのは俺達と一緒に居たがってるっぽいってことか。もし勘違いなら俺が恥をかけばいいだけなんだし……。うん、そういうことか)
イリックは一つの結論に辿り着く。
「わかったわかった。後のことは俺に任せて、長旅の準備を進めよう」
自分のやるべきことはわかった。これでスッキリ。では、デフィアーク共和国で冒険者になるための準備を開始する。
◆
アイール砂丘は東西に進めば進むほど、周囲の岩山が迫ってくる。また、西に進むと徐々に地面の様子が変化する。白い砂がいなくなり、代わりに茶色い地面が姿を現す。それに伴い、あちこちに雑草が生えだす。
そんな場所を、一人の女性が歩く。
ロニアは北の岩山に沿って西へ進む。
目的地は近い。先ほどからそう思うものの、なかなか目的の場所は見えてこない。
(そろそろだと思うのだけど……)
見慣れない地図を眺めながら歩みを進める。当然ながらここには初めて訪れる。不安な気持ちになるなという方が無理な話だ。
そしてついに辿り着く。
灰色の岩山をえぐるように、巨大な穴があらゆる物を飲み込もうと口を開いている。
(大きい……)
洞窟と呼ぶには随分と大きな横穴は、ただそれだけでどこか恐ろしい。
しかし中に足を踏み入れることはできない。なぜなら、予想通りの、そしてお目当ての結界が入り口に張られている。
半透明な壁が膜のように立ちふさがる。透き通っているため中の様子をうかがうことはできるが、日差しは奥まで届いておらず、結局中がどうなっているのかまではわからない。もっとも、ロニアは洞窟の中に興味などない。
ガーウィンス連邦国が五十三年前に張った結界が目の前にある。重要なのことはこれだけ。結界の実物を見に、遠路遥々ガーウィンス連邦国からここまで歩いて来たのだから。
近づいてじっと見てみる。触っても問題なさそうだ。
(うん、頑丈そうな結界ね。火の図書館のエリートが張ったのかしら? 一人でやったのならすごいことだけど、複数っぽいわね)
コンコン、ロニアはノックをするように叩く。感触はどこか柔らかい。当たり前だがビクともせず、音も響かない。そんなことを期待してもいない。
眼前の結界からはわずかだが魔力が溢れており、人体に害はないが、長時間浴びたいとも思えない。
ロニアは結界の周囲を見渡す。札や紋様のようなものは見当たらない。そういったものには頼らない術なのだろうと結論付ける。
一つわかったことがある。これは戦技ではなく魔法系統の結界ということだ。感じ取れる波動が明らかに魔力のそれである。
(すごい強度。だけど、完璧じゃない。いえ、あえて通り抜けるための手段を残してる?)
そこでロニアは思い出す。
魔法学校の先生を勤めていた頃、どこかの館長が言っていた。結界を破らず通るにはとある札が必要じゃ、と。
(うん、上出来上出来)
ロニアは満足する。現時点でわかることはこれくらい。もっと時間をかければ色々わかるだろうが、今日はここまでにする。ガーウィンス連邦国に戻って調べればさらに詳しくわかるはず、そう確認する。
この結界ならそう易々と破られることはない。西のクルル島からこれ以上ゴブリンやジャイアントが渡ってくることもないだろう。今はそれだけで十分。
少しだけ名残惜しいが、ロニアは来た道を引き返す。
三人がもういないサラミア港を目指す。戻ったところで、と思ってしまうがとりあえずゆっくりと休みたい、それが本心だ。アイール砂丘での野宿はなかなかしんどい。イリックのようにテントを張れれば違うのだろうが、そんな器用なことはできない。教わっておけばよかったと今になって後悔する。
結局最後までその一言が言えなかった。やって見つけられた気の合う連中だったのに。
教養のない男。だけど、そのことを許せる唯一の男。
跳ねるように元気を振りまくちょっとエッチな女の子。実は男の子なのでは、と思うこともある。
無口で背の高い、それこそ女の私から見てもかっこいい女性。目のことを教えてあげればよかったかも。
だけど自分からは求められない。そうするだけの資格が自分には無いのだから。
今まで散々、冒険者から勧誘は受けてきた。それらを全て軽くあしらった。心の中ではバカにさえしていた。
今考えると随分悪いことをしてきたかもしれない。誘いを断られることなど日常茶判事なのだろうが、それにしても素っ気無さ過ぎたかもしれない。もう少し検討してあげるべきだった? 今更悔いても、もう遅い。
そんな私が仲間を求める? そんなのは虫がよすぎる。今までしてきたことを振り返れば、とてもじゃないけどできない。少なくとも、そう思えてしまう。
だけど、もし許されるのなら、あの三人に申し出たかった。今からでも間に合うだろうか? デフィアーク共和国に追いかけてに行く?
否、もう遅い。
一度言い出せなかったのだ。次会ったタイミングで言うのはおかしい。不自然。逆の立場だったら、何で今更? と疑問に思うだろう。
ゆえにもう手遅れ。
イリック達とは別の道を行くしかない。残念だけど仕方ない。これが自分の歩んできた道なのだから。
一瞬交差したけれど、ただそれだけのこと。
今後も一人で歩き続けよう。寂しくない。きっとやれる。
頬を伝う何かがわずらわしいが、そう思うしかない。諦めなければならないのだ。
◆
イリック達から別れて四日後の午前。
ロニアは予定通り、サラミア港に戻る。
目指すは当然宿屋。既にヘトヘトだ。アイール砂丘の歩きにくさには参ったが、それが砂丘地帯というものだ。今は一刻も早くベッドに寝そべりたい。
手続きを済ませ、階段を上がり、部屋に到着する。テーブルに灰色のマジックバッグを置き、窓から見えるサラミア港の寂れた景色を眺める。
数人の漁師が忙しそうに何かをしている。港町ということもあり、ここの魚は非常に美味だ。
イリック達がいないサラミア港に長居する理由はない。ロニアは次の行き先を思案する。
デフィアーク共和国には行きづらい。
消去法で北を候補にあげる。それは嵐の谷を目指すことに繋がる。
そこにも結界が張られており、ロニアを満足させる程度には立派なのだろうと予想できる。
ロニアはワクワクする。ゴブリンの通り道と同じ結界かもしれないが、それならそれで構わない。一緒だとわかることが収穫だ。
ロニアは立ち上がる。白いの砂が体にまとわりついている。その気持ち悪さを払うため、浴室へ向かう。
魔法のおかげで水浴びはどこでもできるが、それでもこの瞬間は至福だ。疲れがじわりと薄れていく。
(もうすぐお昼よね。そろそろギルド会館に行こうかしら?)
ロニアは風呂からあがり、新しい服に袖を通す。
サラミア港には裁縫ギルドが存在する。様々な衣服が売られており、伸縮性が良く、デザインは変わらないこの灰色のタイトワンピースを見つけることができた。値段は少し高かったが、それは仕方ない。
適度に体を締め付けるこの感覚が心地よい。グレーなところも気に入っている。
ギルド会館に寄るついでに、土地勘のない自分でもこなせるクエストがないか確認しようと考える。手持ちはまだあるが、この先は当分稼げそうにない。
トントントン。
誰かの訪れを知らせるノック音が室内を駆ける。
ロニアは店員だろうと思い返事をする。この部屋がダメになったのかしら? そんな予想は、次の瞬間に砕かれる。
「あの~、凄腕の冒険者がいると聞いてやってきました。なんちゃって」
ドクン。鼓動が早まる。
「実は、ネッテがどうしてもとうるさくて。とういか、俺としてもそれを望んでまして……。あぁ、アジールさんも同じです」
はにかみながら、その少年は頬を赤く染める。慣れないことをしているのだろうと容易に想像できる。
「もしよかったら……、仲間になってくれませんか?」
こうして四人の冒険が始まる。
出発地点はトリストン大陸の西に位置するサラミア港。
北には未知の土地が。
東には広大な大陸が。
南には三大大国の一つが。
西には小さな島が。
それだけではない。
北東にはオークが支配するシーブル大陸が。
東にはトリストン大陸より大きいと言われているアリカ大陸が。
南にはほとんど交流がないオーサティ大陸が。
西には未開の土地が広がるコンティティ大陸が。
どこまで行けるかわからない。行きたい場所に行ってみればいい。どうせ振り回されながら行き先を決めることになる。
ロニアはそっと手を伸ばす。差し出された手がそれを受け止める。
自分からは言い出せなかった。後悔した。でも仕方ないと諦めた。
だけどこうして願いは叶った。
もう離さない。あなたが死ぬまでついていく。
ここから物語は始まる。
明日はきっとデフィアーク共和国。
明後日もまだデフィアーク共和国。
明々後日は……、もうわからない。それだけで胸躍る。
俺達は生きている。生きてるのだから腹も減る。さぁ、昼飯食べに行きましょう。ネッテ達も待っています。実はこのことを黙っていたのできっと驚きますよ。今のロニアさんのように泣いちゃうかも。二人で笑ってやりましょう。あ、アジールさんの表情は多分変わらないかも。驚く顔もたまには見てみたいですよね。戦闘中は痛覚制御してるから痛がってもくれないんです。え、何それって? アジールさん、そういうことができるんです。魔眼? あの目が? へ~……。何ですかそれ?
サラミア港に風が吹く。潮の香りを運ぶそれが、イリックとロニアの髪を揺らす。
波の音が町を包み込む。けれども会話は遮られない。
宿屋を出ればすぐにギルド会館が見えてくる。
新たな仲間を迎えて、四人の冒険がこうして始まる。