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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
冒険の始まり
5/100

第五章 いくつもの出会い

(ちっぽけな村。サウノを見ちゃうともうダメね)


 その女性は耳の下まで伸びる黒髪を揺らしながら宿屋を目指す。時折おかっぱと間違われるが、ボブカットと呼ばれる髪型だ。

 髪のように黒く、体にピタリとフィットするこの服はタイトワンピース。丈はミニスカートのように短く、太ももから下が顕わになっている。

 武器の類は持っておらず、右肩だけで背負っている灰色のマジックバッグだけが唯一の荷物だ。

 テホト村には着いたばかり。初めて訪れる村ということもあり、勝手は分からないが、宿屋はすぐに見つかる。

 女性は旅の途中。トリストン大陸の中央に位置するサウノ商業国からテホト村まで、たった一人で歩いてきた。

 何日かかったろうか? おそらく、両手でギリギリ数え切れる程度だ。


(どう考えてもワシーキ村に寄るべきだったわ。食べ物がほとんどない)


 ギリギリ足りたのだからその判断は間違いではないのだが、三日前にワシーキ村に立ち寄っていれば心に余裕はできたかもしれない。

 二階建ての、随分古ぼけた白い建物に辿り着く。看板には宿屋と書かれているが、その文字も少しかすれている。無駄に大きな建物だが、それほどの需要がこの村にあるとは思えない。

 受付で一泊分の手続きを済ます。宿帳に記した名前はロニア。この女性の名前だ。

 一階は食堂になっており、宿屋用の部屋は二階にある。田舎の宿屋はこういうものなのかしら? そんな疑問を抱きながら木製の階段を上がる。

 マジックバッグをテーブルに置き、疲れた体を休めるようにベッドへ座りこむ。柔らかい、ただそれだけのことで感動してしまう。

 この旅はまだ終わらない。テホト村には補給と休息を兼ねて立ち寄っただけだ。進行方向に丁度あるのだから寄らない理由もない。

 明日には出発するつもりでいる。アイール砂丘を突き進み、サラミア港を目指す。

 そこもまだゴールではないが、そこまで行けば目的地はもう目と鼻の先。一息ついて今後のことを考えることができる。

 思えば随分遠くまで来たものだ。故郷を飛び出したのが一ヶ月ほど前であり、この大陸はそれくらいで横断できるらしい。

 大陸の端から端まで歩くこの旅も、もうすぐ終わりを告げる。機船を使えばこんな苦労もなかったろうが、自分の目で見て周りたかったのだから、それでは意味がない。

 そのために仕事を辞め、家を飛び出した。もちろん後悔はない。

 ただ、一つだけわがままを言っていいのなら……、一人は少し寂しい。

 生まれて一度もこんな感情を抱いたことはない。いや、それは嘘だ。

 弟が生まれて、両親の関心がそちらに移った時も似たような気持ちになったような気が知る。せいぜいそれくらい。

 大人になってからは寂しいなどと感じたことはない。

 一人のせいで悔しい思いはしてきたが、この感情はそれは違う。

 久しぶりの人里に気が緩んだ?

 宿屋の安心感が気持ちを弱らせた?

 わからないしどうでもいい。


 さぁ、買い物に出かけましょう。先日の雨では苦労させられた。食糧を買ったら、雑貨屋にも寄ろう。どうせなら、服も見てみたい。

 この先はアイール砂丘。当分、買い物はできないのだから。



 ◆



「ゴーゴーネッテちゃーん」


 作詞、ネッテ。


「ゴーゴーお兄ちゃーん」


 作曲、ネッテ。


「ゴーゴーアジルさーん」


 どうやら仲間が増える度に歌詞も増えていく仕組みのようだ。

 ここはまだカルック高原。しかし、ワシーキ村からは随分と離れた位置まで進んでおり、テホト村がそろそろ見えてきてもおかしくはない。

 雨のおかげで水にも余裕ができたが、そのせいで進捗も予想より遅れてしまう。急いではいないため構わないが、早くテホト村で一息つきたいと願ってしまう。買いだしも必要だ。

 前を歩くネッテは機嫌が良さそうだ。

 ゴーゴーなんとかを気持ち良さそうに歌っている。

 歌詞で一つだけ気になる点がある。アジールでは語呂が悪いらしく、アジルと短縮している。もっとも、それでもアジールは歌ってもらえてうれしいらしい。

 二人から三人に増えて困ったこと。食糧や水の消耗が増した以外にもいくつかある。

 三人に増えたから、というよりは、加入したのがアジールだからの方が正しいのだが、色気の欠片もないネッテと違い、アジールからは色々と何かが溢れ出ているため、年頃な男子は一緒にいるだけで変な感情を抱いてしまう。

 例えば鎧姿。首回りや脇回りには時折チラリズムが発生する。ちらっとしか見えないにも関わらず、驚くほどにドキドキさせられる。イリックとしては不思議で仕方ない。

 ミニスカートとハイソックスの絶対領域に至っては、完全に男を殺しに来ている。胸好きなイリックもこれにはイチコロだ。

 慣れなければならないのだろうが、ついアジールをそういう目で見てしまう。許してくれとは言わない。黙って眺めるだけだ。


「あ、デフィアークに着いてからのことなんだけど」


 アジールが何の前触れもなく振り向くが、イリックが太ももを凝視していたことはばれずに済む。


「うちに泊まれると思う」

「おぉ。それはありがたいですね」


 アジールの提案に、イリックは出費を抑えられると喜ぶ。しかし、冷静に考えたら少し嫌だ。

 このやり取りは、朝食時の会話の続きでもある。

 イリックとネッテが冒険者になるためには、冒険者認定クエストに挑まなければならない。では、どこのギルド会館でそれに挑戦するか?

 選択肢は三つ。

 デフィアーク共和国。

 サウノ商業国。

 ガーウィンス連邦国。


 イリック達が向かっているサラミア港は、トリストン大陸の最も西に位置する。

 デフィアーク共和国は南西に。

 サウノ商業国は中央に。

 ガーウィンス連邦国はの北東に存在する。

 三大大国と呼ばれる三国は、地理的には見事に散っている。ゆえに、大国にまで発展できたのかもしれない。

 サラミア港から最も近い国はデフィアーク共和国だ。ゆえに、考えるまでもなくそこで決まりなのだが、どこであろうと定期船でささっと行けてしまう。ゆえに、迷ってしまうのも仕方ない。

 とはいえ、予算の都合と何より近いという地理的理由から、アジールと相談した上で、デフィアーク共和国に向かうことで落ち着く。

 サラミア港に戻ったら、デフィアーク共和国に向かう準備を整えつつ少し金を稼ぎ、理想を言えば数日程度で定期船に乗り込みたい。

 サラミア港からデフィアーク共和国まで約半日。朝一の便に乗れば、十二時間後、つまり夜には到着する。

 徒歩だと十日以上かかる距離を半日で移動できるあたり、物流を一変させた機船は伊達ではない。


 デフィアーク共和国に滞在中は、ものすごい勢いで出費がかさむ。

 食事は全て外食。

 寝床は宿屋。

 冒険者になるのならせめて武器を新調したい。もちろんネッテの分だ。リンダからエイビスを譲ってもらえたため、もう一本でとりあえずの完成となる。

 防具はワシーキ村で購入したため、それでよしとする。

 ここでアジールの提案が生かされる。

 デフィアーク共和国に着いたら、宿屋ではなくアジールの実家に泊めてもらう。ありがたいが、やはりちょっとだけ嫌だ。

 なぜなら気を遣うから。

 とはいえ、自分達のことを親に紹介したいという思惑もあるのだろう。むげに断ることもできない。

 どうやら妥協しないといけないらしい。


「それじゃ、一日だけ泊めてもらってもいいですか? もちろん、ご両親の許可がもらえたら、ですけど」

「うん。デフィアークに戻ったら訊いてみる」


 一日だけ宿代を浮かせてもらうことにした。妥協案としては申し分ない。

 デフィアーク共和国に何日滞在するか? それは全くわからない。

 冒険者には一日もかからずになれるだろう。

 では、その後どうするか? 選択肢が多すぎて一人では決められない。そもそも一人で決める必要もないため、、後でアジールと相談することにする。

 冒険者になるため、デフィアーク共和国に向かう。

 順調にこの先の予定が埋まっていく。その先は真っ白だが、考える時間も話し合う時間もいくらでもある。

 サラミア港にはまだまだ着かない。テホト村すら見えていないのだから。予定では昼前後に着くはずだ。


「ゴーゴーネッテちゃーん」


 楽しそうなネッテの歌声がカルック高原の風に混ざり合う。

 腹時計はまだ昼ではないと言っている。それでもなんの根拠もなく、そろそろテホト村が見えてきそうだと思えて仕方ない。

 この感覚は何だろう? 運命の出会いでもあるのだろうか? だとしたら楽しみだが、どうせそんなはずはない。

 アジールの太ももを後ろから眺めながら、イリックは期待しないで足を動かし続ける。



 ◆



 市場と雑貨屋で必要な物を買い足し、ボブカットに整えられた黒髪を押さえながらその女性は宿屋に戻る。

 カルック高原は風が強い。そこにあるテホト村もその影響を受ける。女性にとって、この地方はなかなかに煩わしい場所と言える。

 疲れていようとやらなければならないことはいくつもある。買い物もその一つだ。

 一人旅ゆえ、旅に必要なものは全て自分で用意しなければならない。気楽に進行できるメリットもあるが、手間が全て自分に圧し掛かるというデメリットも存在する。

 その女性が歩くと、周囲の男達はチラチラを盗み見る。体にピッタリと張り付くタイトワンピースは水着のように体のラインを顕わにする。男なら当然の反応だ。

 そもそも、胸の大きさは当然のことながら、、腹の形やへそのくぼみすらも服の上からわかってしまうのだから、男としては抗えない。

 子供の頃はそうでもなかったが、胸が大きくなり始めてから、急にモテるようになった。

 男と遊ぶよりも知的好奇心を満たす方が大事だったため、どんなに言い寄られても付き合おうとは思ったことがない。

 そろそろ男の一人でも見つけようかと思うこともあるが、そもそも良い男が見当たらない。頭の悪い男は絶対に嫌だ。

 視界の隅に、走る男の子と女の子を捉える。子供を見るとどうしても思い出す。

 ロニア先生。

 そう呼ばれていた頃のことを。


 ロニア。二十三歳。

 先日、と言っても二ヶ月以上前になるが、勤めていた魔法学校を退職し、冒険者に転向する。両親には猛反対されたが、既に決意した後だった。

 家のことは優秀な弟に任せられるという安心感から、ロニアは意気揚々と冒険者の道を選ぶ。

 やりたいことがあった。

 子供の頃からそうだったが、どういうわけか、知的好奇心が人一倍強かった。

 魔法の才能もあったらしく、親の薦めで魔法学校に入学し、頭角を現す。

 勉強、魔法の実技、どちらもトップクラスを維持し、その結果、魔法学校を卒業後、そのまま先生にスライドする。

 数多くの書物が存在する魔法学校という環境は居心地がよく、その上、少し歩けば六つの研究機関も存在する。ゆえに、自分はここで一生を過ごすのだろうと思っていた。

 知識欲は、ガーウィンス連邦国にいればいくらでも満たせると思い込んでいた。

 しかし、ある日突然考えが変わる。

 自分の目で見てみたい。

 体験してみたい。

 何の前触れもなく、ロニアはそう思ってしまう。

 それ以降、活字だけでは満たされなくなる。なぜだろう? 考えた結果、答えに辿り着く。冒険者のせいかもしれない。


 ガーウィンス連邦国にもギルド会館は存在する。三大大国と呼ばれるだけあり、冒険者の人数はかなり多い。サウノ商業国ほどではないが、デフィアーク共和国よりは多いと言われている。

 魔法学校とギルド会館は位置的に離れており、行き来するだけでも冒険者に出くわす。町の中を歩けば、装備で着飾った男や女が何人も視界に入ってくる。

 彼らの表情はどういうわけか無駄に明るい。嫌な事もあるだろうに、しんどいことの連続だろうに、それこそ命がけだろうに、なぜか、表情は生き生きとしている。

 眩しい。

 うらやましい。

 そう思ってしまった。この時点でロニアの負けだ。

 世界中を駆け回る冒険者には、きっとこの世界は輝いて見えるのだろう。そう思えてしまい、ついには本だけで満足している自分が我慢ならなくなる。

 自分の足で世界を歩き、自分の目で見て、自分の手で触ってみたい。そんな欲求がふつふつと湧き上がり、最終的には爆発する。

 ここからは早かった。

 先ず、魔法学校を辞めた。

 次に、冒険者になった。水魔法の扱いにかけてはガーウィンス連邦国で誰にも負けないという自負がある。

 思った通り、近隣のモンスターなど敵ではなかった。

 しかし、旅をするにも金はかかる。魔法学校の先生は高給だったため、手持ちに余裕はあったが、腕を磨くことも兼ねてギルドで発行されるクエストを手当たり次第こなすことにする。

 順調だった。

 魔法学校の元先生は伊達ではない。それこそ、周囲の冒険者が情けなく見えるほど、自分の才覚に酔いしれた。

 自分の攻撃魔法と比べ、他の冒険者の攻撃魔法がいかに陳腐か、目撃する度に呆れてしまう。

 しかし、ロニアに転機が訪れる。

 その日もいつものようにモンスター討伐のクエストを受領する。しかし、ただのモンスターではなくウォンテッドモンスターの討伐だ。


 ウォンテッドモンスターとは、通常のモンスターとは明らかに異なる戦闘力を保持する強力な固体を指す。

 理由はわからないが、爪が異常発達していたり、殻や皮膚が硬かったり、体が大きかったり、魔法を詠唱したり、と周囲の同じ種族とは異質な特徴を持っている。

 他と変わらない強さならそう認識されることはないが、一匹だけずば抜けて強い場合、ギルドはそのモンスターをウォンテッドモンスターと認定し、冒険者に討伐のクエストを発行する。


 ロニアが選んだクエストはまさにそれであり、ギルドが示した難易度から問題なく倒せるだろうと逆算した上で挑戦する。

 相手はゴブリン。

 今回の獲物は黒い鎧を全身にまとい、片手斧と盾を扱う凶暴な固体らしく、駆け出し冒険者が既に何人も返り討ちにあっている。

 鎧を着ていようが所詮ゴブリン。身長はせいぜい子供程度。いつものように、それこそ赤子の手をひねるように、得意の水魔法で近寄られる前に倒すつもりでいた。

 片道二時間。たいして遠くない場所で、ロニアはそのモンスターを発見する。ガーウィンス連邦国からそれほど離れていないこの場所に強力なモンスターがいたら、実力のない冒険者は倒されて当然だ。

 しかし自分は違う。意気揚々と攻撃をしかける。

 自身を取り巻くように出現させた四本の水柱を、槍の形に変更させ発射する。これで終わるかしら。そんな甘い考えは、自分の水槍のように霧散する。

 自慢の槍は、黒い盾であっさりと受け止められてしまう。

 反応されたことも去ることながら、ゴブリンの盾ごときに防がれたことが何よりも悔しい。

 なぜ貫けない? そんな疑問を抱き、心も体も止めてしまったことが最大の敗因だ。

 このゴブリンは反射神経だけでなく、身体能力もかなり高い。

 ロニアは瞬く間に距離を詰められ、右手の片手斧を振り下ろされ、左腕を負傷する。

 反撃を試みる前に硬い鎧を生かした体当たりを浴びせられ、ロニアは後方に吹き飛ばされる。骨が何本か折れてしまう。

 近寄られてはまずい。運よく距離は開いたのだから反撃をしかけないと。この考え方は間違っていないが、このゴブリンには通用しない。

 ロニアが水の柱を呼び出すも、ゴブリンは再び距離を詰め、水を切り裂き、ロニアと対面する。間髪入れず、左手の盾がロニアに打ち付けられる。

 後方の地面に叩きつけられたロニアは、その瞬間悟る。

 これには勝てない、と。

 悔しさの余り歯をこれでもかと強く噛み締める。

 頭から流れる血が視界を赤く染めるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 逃げなくては。

 このままでは確実に殺される。

 逃げるためにできることをロニアは素早く開始する。

 マジックポイントの消耗など気にせず、水の柱を同時に四本呼び出す。それらを崩し、足元に大量の水を溜める。そして、増水した川のように流す。

 この攻撃にはギョッとしたのか、ゴブリンは盾で身を守るも、そのまま流される。

 今がチャンス。ロニアは予想通りの展開に安堵しつつ、死ぬ気で走り去る。みじめで仕方ないが、こんなところで死ぬつもりはない。

 出血が止まらない左腕が痛い。頭も強く打ってしまい血が流れ出ている。体に至っては走る度に激痛が走る。

 回復魔法が使えないことを嘆いたが、こればかりは仕方ない。後衛攻撃役に分類される人間は、回復魔法を覚えることができない。

 そういう世界なのだから、今は諦める。

 負った傷は出会えた冒険者に回復してもらえたが、心の傷までは癒えるはずもなく、ロニアはリベンジを決意する。

 ゴブリンに負けたままでいられるほど、ロニアは我慢強くない。

 しかし、今のままでは勝てない。では、どうするか?

 強くなるしかない。一日二日で魔力を高めることなどできないが、この世界には不思議な仕組みが存在する。

 モンスターの討伐は、通常の鍛錬よりも身体能力や魔力を成長させてくれる。

 原理も仕組みもわからないが、事実なのだから今はこれを利用する。

 翌日から、ロニアはモンスター討伐クエストをこなし続ける。ウォンテッドモンスターではなく、通常のモンスターを狩る。数をこなせば成長も早いだろうという目論みだ。

 数日後、何気なく眺めたウォンテッドモンスターの掲示板から、あのゴブリンが消え去る。

 討伐されたからだ。

 その事実が、ロニアのプライドを完全にへし折る。

 自らの手で仕返しができなかった。

 自分よりも優れた冒険者がガーウィンス連邦国にいた。

 二つの衝撃がロニアに襲いかかる。

 意気消沈したが、ふらふらと足は歩き出す。

 誰が獲物を横取りしたのか? これを確認せずにはいられなかった。

 手配されているウォンテッドモンスターに横取りも何もないのだが、そう思わずにはいられず、ロニアはギルドに確認する。

 そして、あっさりと見つかる。

 ギルド会館でいつも見かける五人組みのパーティだ。

 盾役。

 前衛攻撃役。

 後衛攻撃役。

 後衛補助役。

 後衛回復役。

 およそ理想的な組み合わせのパーティ。

 しかし、疑問は残る。確かに五人ではあるが、彼らの実力は一人一人で見ればロニアよりよっぽど低い。

 それにも関わらず勝てるのだろうか?

 ロニアはリーダーと思われる、清涼感溢れる男に話しかける。灰色の鎧を身に付け、青い逆三角形の盾を装備したその男は、あっさりと言ってのける。

 たいしたことなかったです。

 殺されかけたモンスターを何の苦労もなく倒したという事実が、再びロニアを絶望させる。

 パーティの強さ。何より、その仲睦ましい五人から目を背けずにはいられなくなった。

 仲間にならないか? そう誘われたことは何度もある。しかし、ロニアは断り続ける。

 いやらしい目つきが気持ち悪い。

 頭が悪そう。

 そもそも群れる気になれない。

 ゆえに、ロニアは一人で戦うことを選ぶ。

 この出来事がきっかけとなり、ロニアは一人で戦うことの限界を思い知らされる。

 では、どうするか?

 選択肢は無数にあり、ロニアはその中からいくつかを選び取る。

 一つ。ガーウィンス連邦国を離れる。あの五人組が目障りだから。

 二つ。一人でゆっくりと大陸を歩く。周囲に広がるスムルス平原しか知らないのだから当然の欲求。

 三つ。サウノ商業国を目指す。最も栄えている国であり、前から行ってみたいと思っていた。

 四つ。サラミア港の西にひっそりと存在する洞窟、ゴブリンの通り道を調べに行く。五十年ほど前に、当時の実力者が封印した曰くつきの洞窟だ。ロニアは洞窟ではなく張られている結界に興味がある。

 これら四つは同時に実現できる。

 先ずはサウノ商業国を目指して西へ向かう。到着後もそのまま西へ向かい、サラミア港を目指す。

 トリストン大陸を横断することになるが、願ってもないことだ。大変だろうが、金は十分ある。


 こうしてロニアは旅立つ。およそ一ヶ月前のこと。

 いくつもの土地を歩き、見聞を広めることに成功する。

 サウノ商業国では活気と人の多さに圧倒されたが、どこか楽しめた。

 様々なモンスターとも戦った。勝てそうにないモンスターには最初から逃げることにした。一人旅ゆえ、負傷だけは避けなければならない。


 そして現在、テホト村にいる。

 ゴブリンの通り道はまだ先。しかし、ここまでの道のりを考えれば随分近づけている。

 この旅でロニアは自覚したことがある。

 土地や地形といったものにあまり興味がわかない。初めて訪れる場所にはそれ相応に胸躍るが、せいぜいそれくらいだ。

 ここがどういった場所なのか、この地形はどうやってできたのか、そういったことを調べようとは思わない。

 モンスターとの戦いは思っていたよりも楽しい。というより、モンスターの戦い方や生態の観察が楽しい。この事実はロニアにとって予想外の収穫だ。


(買い物も済んだことだし……、宿屋に戻ろう。少しくつろいだら、昼食でも食べようかしら)


 ロニアは宿屋を目指す。部屋でゆっくりしたい、そんな思いが足の運びを速める。

 その時だった。

 感じたことのない魔力の波動が村を包み込む。魔力感知に優れたロニアは誰よりもゾッとする。

 そして、直感的に理解する。これはやばい、と。

 どこから? 後方。具体的には、村の中心。

 誰が何をした? わからない。

 そもそもこの魔法は何? 知らない。少なくとも、二十年以上生きてきて、初めて感じる波動だ。

 振り返ると、そこには異質な何かが三体並んでいる。

 どうやってここに来たの?

 何をしたの?

 そんな疑問は三体の異形過ぎる姿によって霧散させられる。

 長身の黒いモンスター。

 背丈は二メートルを超えており、一瞬人間かと錯覚したが、全身の黒さによって否定される。手足の寸法はまさに人間のそれと同程度だ。胸もあり、腰も細く、足も長い。顔の作りに至っては、人間の、正確には女性のそれと見間違う。

 しかし、肌は黒く、真っ赤な目が異様に際立っている。

 右手の黒い剣は、生き物を殺す武器にしては禍々しく、恐ろしい。


 こいつはまずい。ロニアはそう直感する。


 残りの二体も異質だ。背丈は黒いモンスターの半分くらい。体を構成する成分は石にしか見えない。羽も、体も、腕も、ありとあらゆる部位が細い。顔にはくちばしがついており、それも細く鋭い。石像のような姿は動かなければまさにそれである。しかし、紛れもなくモンスター。これが二体。


 黒いモンスターが周りを見渡す。


(人間を観察している? いえ、何かを探している?)


 ロニアは余裕のない頭で必死に分析する。

 両脇の石像は全く動かない。否、よく見ると、鋭いくちばしをゆっくりと閉じたり開いたりしている。容易く折れてしまいそうな細い手より幾分大きな翼も上下している。

 何もせずこのまま立ち去ってくれないだろうか。ロニアは淡い期待を抱くが、石像がモンスターであることを主張するように歩き始めたため、その願いは打ち砕かれる。


 テホト村に現れたモンスターが攻撃を開始する。



 ◆



「あ、なんとか村が見えてきたよー」

「テホト村な」


 三人の中ではネッテが一番目が良い。それを裏付けるように、ネッテが真っ先に前方のテホト村を視認する。

 時刻は午前十一時。早朝から歩き続けた結果、いくらか遅れを取り戻せたらしい。


(お、あれか。ここからだと……、三十分くらいか? 昼前には着けそうだ。午後はゆっくり過ごそう)


 草原の遥か先に見える小さな建物群こそテホト村だ。イリックも少し遅れて発見する。

 距離はまだまだ離れているが、今までの経験から、到着までに要する時間をさっと逆算する。


「丁度お昼」

「何食べよう!」


 アジールとネッテがフライング気味に話題を変える。到着までまだ三十分。このタイミングでその話題は、空腹気味な腹にボディーブローをおみまいするに等しい。


「テホト村は、羊肉の料理がおすすめ」

「ならそれにする!」

「羊のグリルとシシケバブとか」


 羊のグリル。調味料で最低限に味をつけ、網で焼いた羊肉だ。二人のせいで、イリックは想像してしまう。さらに腹が空いてきた。

 シシケバブ。羊肉と玉ねぎを串に刺し、味を調え焼くだけのシンプルな料理。つい先日、ネッテが作ってくれたため、イリックは今でも美味かったと記憶している。

 その後も二人の昼食談議は続く。拷問かな? イリックは死に物狂いで耐えながら歩く。


 やがて、テホト村は徐々に輪郭をはっきりさせていく。一週間ほど前に訪れたばかりだが、どこか懐かしい。

 イリックはふと自己分析を始める。

 家で食べる食事も、旅路で食べる食事も、十分満喫できている。

 しかし、食堂で食べる料理は格別だ。

 妹の料理がどうこうという話ではなく、見知らぬ人間ではあるが、大勢と食べるとそれだけで楽しくなってしまう。料理もなぜか美味しく感じる。いや、実際に美味しい。

 イリックは、自身を静かな食事を好む人間だと思っていたが、どうも違ったらしい。自分を見誤ったことは残念だが、新たな発見にそっと喜ぶ。

 以上から、自分には冒険者としての適性があるのかもしれない、と結論付ける。うれしい誤算だ。


 テホト村が少しずつ大きくなる。かれこれ十分以上は歩いただろうか? 建物の数も今なら数えられる。


「あれ、お兄ちゃん?」


 異変に気づいたのはネッテ。テホト村をまじまじと見つめる。


「んー?」

「なんかおかしいよ?」


 ネッテが何を言っているのか、イリックは全く理解できない。それでも真似てテホト村を眺める。平和そうな村が日常を満喫しているようにしか見えない。


「戦ってる? あ! 水が爆発した!」


 何と何が戦っているのか、それが重要だ。人間と人間が喧嘩しているのなら放っておけばいい。しかし、片方が、もしくは両方がモンスターなら、そうはいかない。

 水が飛び散る。バケツで水をかけあっているのなら微笑ましいが、これだけ離れていても視認できるとなるとそれはない。水の攻撃魔法、アクアビットあたりが候補に挙がってしまう。

 その場合、片方は後衛攻撃役の人間の可能性が高い。カルック高原に魔法を扱えるモンスターは少ない。せいぜいゴブリンくらいだ。

 攻撃魔法を使って戦わなければならない相手。そんなものはモンスターくらいしかいない。

 人間とモンスターが戦っている。現時点ではこの可能性が最も高い。


「ワシーキ村みたいにモンスターが入ってきたのかもしれない。ネッテ、走るぞ!」

「ガッテン!」


 言い終えるや否や、イリックとネッテは走り出す。アジールもワンテンポ遅れて、二人についていく。

 足の速さが、そのまま隊列の形勢に繋がる。

 先頭をネッテ。

 ほとんど引き離されずにイリック。

 やや後方をアジール。じりじりと二人から離されていく。


(速い……。何より決断してからの動き出しがすごい)


 イリックの掛け声に反応しきれなかったことをアジールは悔やむ。もっとも、足の速さは決定的であり、どの道イリック達にはついていけない。


「やっぱり戦ってるよ! 二人が……モンスターと戦ってる!」

「どんなモンスター?」

「えっと」


 イリックはネッテに食らいつくため加速する。そろそろ限界一杯だが仕方ない。ここからではネッテの視力に頼るしかなく、今はテホト村の状況を報告してもらわなければならない。


「二体か……、もっと! ひょろひょろしてる灰色のモンスターが女の人に襲いかかってる! 女の人も斧振り回してる!」

(冒険者か。相手は灰色のモンスター? 見てみないとなんとも言えないな)


 ネッテのおかげでいくらか戦況が把握できた。

 モンスターと冒険者が戦っている。

 どちらの数が多いのか?

 どちらが有利なのか?

 村人はどうなったのか?

 大事なことはわからない。しかし、今はネッテからもたらされた説明だけでも十分だ。

 駆けつける前に決着がつくかもしれない。それがどちらの勝利かはわからない。杞憂に終わるかもしれないし、最悪の事態を目撃するかもしれない。

 一方で、間に合うかもしれない、という可能性も残されている。それなら、やるべきことをやるまでだ。


「ネッテ! 全速力で走って一体でいいから倒してこい! その後のことは考えるな! すぐに追いつく!」

「ガッテン! フルスピードォー!」


 イリックから課せられた使命を果たすため、ネッテは限界を越えた速度を叩き出す。アジールはおろか、イリックすらその速さにはついていけない。小さな体が、弓から発射された矢のようにテホト村を目指す。このペースなら、一分足らずで辿り着けそうだ。

 一方、イリックにも兄としてプライドがある。ネッテには追いつけないだろうが、これ以上離されないためにも、限界ギリギリまで本気を出す。脚に力をこめ、両腕を精一杯振る。


(あ、無理無理)


 全然追いつけない。まぁ、いい。かけっこをしているわけではないのだから。自分にそう言い聞かせる。決して負け惜しみではない。

 指示は出した以上、自分も全力で走るだけ。一秒でも早く辿り着き、必要とあらば加勢する。今の自分達にできることは精々これくらいだ。


 この時のイリックは知るはずもない。

 テホト村での出会いが、自分達の運命をさらに変化させることを。もっとも、それを受け入れるか拒むかを選択するためには、目の前の戦いに勝たなければならない。

 そのためにも、イリックは走り続ける。



 ◆



 戦う前からわかっていた。この村に侵入を許した時点で人間側の負けだ、と。

 それでも抗うしかない。自分には水魔法があるのだから。もっとも、逃げるという選択肢は用意されていなかった。背を向けて逃げようものなら、たちまち殺されていただろう。目の前にいるのはそういう連中だ。

 絶望的なこの状況において、一つだけ幸運なこともあった。テホト村に立ち寄っていた冒険者が自分以外に二人いてくれた。

 一人は戦力にならないならしく、それでもやるべきことをやらせるため、村民を逃がす役割を与えた。

 今頃、この村の住民全員を避難させ終えている頃だろう。そのためにも自分達は命をかけているのだから。そうでないと困る。

 水魔法を放つタイトワンピースを着た女冒険者と、両手斧を握る露出度の高い鎧を着た女冒険者は、石像のようなモンスター二体に戦いを挑む。

 しかし、結果は大敗に終わる。

 水魔法の使い手はロニアだ。自身の周りに水柱を二本作り出しているが、左腕の出血が止まらない。肋骨も数本折られており、そのせいか、何度か吐血している。

 もう一方の女性はマリィ。動き易さを重視しつつも防御性をある程度兼ね備えている赤い軽鎧を身にまとっており、高い身長と筋肉質な体つきが男以上に男らしい。薄茶色の髪は背中に届きそうなほど長く、女らしさも持ち合わせている。大きな両手斧を構えてモンスター達を睨みつけるが、体中には無数の切り傷を負っている。

 二人の視線の先には三体のモンスター。しかし、内一体はこの戦いに興味がないのか、二人に視線を向けようとしない。

 それでもその存在感は無視できず、ロニアとマリィは戦いに集中できずにいた。

 石像のようなモンスターも十分強いが、黒いモンスターはそれとは明らかに別次元の威圧感を放っている。

 冒険者として長年戦い続けてきたマリィは当然のことながら、冒険者になったばかりのロニアさえ、圧倒的な戦力差に死を覚悟する。

 自分達はなぜまだ死んでいないのだろう? 答えは簡単だ。黒いモンスターが戦いに参戦しないから。

 襲いかかってくるのは石像ようなモンスター二体だけ。しかし、この二体も決して弱くはない。二体一なら倒せるだろうが実際は二対二。その上、黒いモンスターの存在が二人を萎縮させる。


 石像のようなモンスターの名前はガーゴイル。知能は低く、しかし、主従関係には従順なため、そういう意味では扱い易い。

 全身は石でできており、顔にはクチバシがついている。腕は細いが、腕力はバカにならない。背中にはわずかながらに体を浮かせる程度の羽が生えており、当然それも石でできている。


 ガーゴイルだけに集中して戦えれば、結果はいくらか違っていたかもしれない。しかし、黒いモンスターから注意をそらすことはできない。そんなことをしたら、その瞬間に殺される。そういう恐怖を植えつけられている。

 ロニアは重症だ。もう立っているのも厳しい。

 マリィは軽症で済んでいる。だからといって、一人でこの状況を覆すだけの力は持ち合わせていない。

 ガーゴイルは二体。

 片方はマリィの両手斧に左腕を切り落とされているが、痛みなど感じないため、どうということはない。弱っている獲物を前にニヤリと笑ってすらいる。

 満身創痍の二人と余裕の二体。黒いモンスターを抜きにしても、既に絶望的な状況だ。

 ロニアは既に諦めかけている。戦いに勝つことにも、生き残ることにも。

 二体のガーゴイルが走り出す。

 隻腕のガーゴイルはロニアへ、もう一体はマリィを目指す。細い腕の先には鋭い爪が備わっており、それで人間の肉を切り裂くために距離を詰める。

 ロニアの周囲には魔法で呼び出した水の柱が二本用意されている。それを使えば攻撃は可能なのだが、そんな抵抗は無意味だと思い知らされた。

 ロニアは何度か攻撃魔法をガーゴイル達に浴びせた。水滴を発射し、柱を槍に変形させて貫こうともした。魔法に対し高い抵抗力を持っているのか、どの攻撃も有効打には至らない。

 後数発当てれば倒せるのかもしれないが、そんな余裕は今のロニアには残っていない。

 向かってくるガーゴイルを呆然と見つめる。自分の死が確実に近づいてくる。その事実を、ロニアは成すすべなく受け入れようとする。


「ウォーシャウト!」


 それを阻止したのはマリィだ。

 モンスターを引き付ける戦技、ウォーシャウトによって、マリィはガーゴイル二体の注意を自身に向けさせる。どちらが先に死ぬか、この行動にはその程度の意味しかないが、それでもマリィは最後まで抵抗することを選ぶ。

 ロニアは力なくその光景を眺める。マリィが二体のガーゴイルに切り裂かれていく。銀色の斧を振り回し反撃を試みるが、見た目に反して機敏なガーゴイルを捉えるには至らず、空振りに終わる。

 その隙をついて、もう一体が鎧の隙間をぬってマリィに爪を突き刺す。

 これが決定打となる。マリィは顔を歪ませながら膝を付く。最後の力で両手斧を振り回すが、ガーゴイルを一旦散らすだけの行為に終わる。

 もう一度振り回すも、空を切った両手斧の慣性に逆らえず、マリィは引きずられるように倒れこむ。


(ここで死ぬのね……)


 ロニアもついに膝から崩れる。マリィが殺されたら次は自分。できることは、その時が訪れるのを待つことだけ。

 この時、ロニアは生きることを完全に諦めてしまう。

 隻腕のガーゴイルがマリィに近づく。トドメを刺すために、クチバシを歪めながら石像のように動く。

 ロニアは力なくその様子を眺める。後方から近づく足音に気づくことができないほど、思考は濁っていた。


「お姉ちゃんをよくもー!」


 駆けつけた子供は、居合わせた三人目の冒険者だ。

 小さな体の少女が、顎まで届く黄色い髪をたなびかせながら不釣合いに大きな杖を隻腕のガーゴイルに振り下ろす。


 名はコルコル。マリィと共にテホト村を訪れた駆け出し冒険者。体が小さい理由は単純に子供だからであり、冒険者になったのもつい先日のことである。

 薄茶色の杖は魔法を扱う証拠であり、コルコルは後衛補助役に該当する。子供ながらも、既に回復魔法と強化魔法をいくつか習得している。

 しかし、魔力もマジックポイントもまだまだ低く、この戦いでは足手まといにしかならないと判断され、マリィの指示により、村民の避難を任される。

 それも無事終わり、コルコルは戦場に駆けつける。そこで目撃した光景はマリィの危機であり、助け出すためにもガーゴイルに殴りかかる。


 しかし、ダメージを与えられるはずもない。

 実力者であるロニアとマリィですら倒せないモンスターに、非力なコルコルの攻撃など通用しない。

 殴られたガーゴイルは怒りを顕わにしながらゆっくりと振り返る。横たわる人間の皮や肉を切り裂き楽しむつもりが、とんだ邪魔が入ったことに腹を立てる。


「ひっ!」


 コルコルは恐怖のあまり後ずさる。しかし、やらなければならないことがある。歯を食いしばり、恐怖を払いのける。


「キュア!」


 回復魔法を倒れているマリィに唱える。駆け出し冒険者が使えるキュアでは回復量などたかが知れている。当然、マリィはまだ動かない。


「キュア!」


 コルコルは続ける。静まり返ったテホト村にコルコルの悲痛な声が響き渡る。二度のキュアで一命は取り留めたであろうが、それでもマリィの意識を取り戻すに至らない。


「キュぐぅ!」


 三度目は間に合わない。

 隻腕のガーゴイルが残っている右腕でコルコルをなぎ払ったからだ。マリィと比べ、二周りは小さい体は易々と吹き飛ばされ、そのまま地面に転がる。

 コルコルは意識を失いかける。激痛をシャットアウトするため気絶しろと脳が訴えてくる。しかし、まだやらなければならないことがある。歯を食いしばり杖を向ける。

 

「キュア……」


 一度は阻止された三度目の回復。コルコルはそれをやってのける。マリィが白い光に包まれる。

 だが、その光景を黙って見ていられるほど、ガーゴイルは我慢強くない。溜まりに溜まった怒りを爆発させて走り出す。


 それと同時に、テホト村に二つの風が吹く。

 一つは空気すら切り裂く疾風であり、もう一つは安らぎすら感じさせる暖かい風だ。



 ◆



 先に到達したのはネッテ。兄の言いつけを守り、全力を超える速度で間に合わせてみせる。

 目標を定める。狙うは左腕のないガーゴイル。

 勢いそのままに、全力で地面を蹴る。

 素早く二本の短剣を引き抜く。

 両手に力を込めて、衝突と同時に両手の短剣でガーゴイルの首と胴体を切り裂く。一本は折れたが、もう一本は頭と体を切り離すことに成功する。

 右手の短剣はリンダから譲り受けた業物、エイビスだ。切れ味を証明するように、ガーゴイルの首を切り落としてみせる。

 左手の短剣はイリックが奮発して買ってくれた思い出の一品、アイアンダガー。ガーゴイルの石のような体に弾かれ、成すすべなく折れてしまう。

 ガーゴイルとネッテはそのまま地面に叩き付けられる。

 絶命したガーゴイルは起き上がらない。

 一方のネッテもすぐには起き上がれない。一キロメートルにもおよぶ全力疾走と短剣による攻撃で、ネッテのスタミナは既に空っぽだ。

 ネッテは最後の力を振り絞り、目の前の死体を凝視する。転がる頭とぴくりとも動かない体が、既に事切れていると物語る。

 自分の役割を無事果たせたと安堵しつつ、ネッテはままならない呼吸で命をつなぐことに専念する。


 敵は残り二体。


 ネッテに次いで到着したのはイリック。

 ネッテの行動には目もくれず、見つめるはただ一点。回復魔法を使用した少女だ。地に伏しており、動きに繊細さがない。

 イリックは射程圏内まで急ぐ。


「キュア」


 その声は誰にも届かない。しかし、魔法は届く。

 コルコルの体が白い光に包まれる。役目を果たした光が消え去ると、入れ替わるようにイリックがガーゴイルとコルコルの間に割って入る。

 肩で息をしながら、イリックはマリィにも回復魔法を唱える。

 最悪の事態は回避できた。

 乱れる呼吸が邪魔だが、そんなことを気にしている暇もなく、イリックは黒いモンスターに視線を向ける。こいつがヤバイ。直感的に理解する。

 その時だった。

 見覚えのあるその姿が、八年前の記憶と結びつく。

 真っ赤に燃える建物。

 逃げ惑う人達とその叫び声。

 何かが焼け焦げる不快な臭い。

 そして、忘れたくても忘れられない黒い姿。


 リンダの言葉を思い出す。


「アーリマンともう一体……、なんだったかしら? デーモン? そんな名前のモンスターを確認できたとかなんとか」

「あぁ、思い出した。十年くらい前だったかしら? サラミア港に現れた黒いモンスターがデーモンよ」


 デーモン。八年前、サラミア港に現れた黒いモンスターの名称はデーモン。


 それが目の前にいる。あの時とは違い、目の前のデーモンは右手に歪な黒い剣を握っている。刃、鍔、柄、あらゆる箇所が黒く、それでいて酷く刺々しい。

 敵討ち。イリックの脳裏にこの単語が浮かび上がる。しかし、すぐに消し去る。これがあの時の固体ではないではないことなど重々承知だ。


(相変わらず美人な上にスタイルも良いけど……、八年前のあいつはもうちょっと胸が大きかったな)


 イリックはそんなことを考えてしまう。小さく息を吐き、頭を切り替え戦況の分析を開始する。

 こちらは自分と背後の女の子、相手はデーモンと石像もどき。すなわち二対二。数だけ見れば互角だが、デーモンには勝てない。検討するまでもない。そんなことはわかりきっている。

 それでも戦うしかなく、イリックは行動を開始する。先ずは根回しから取り掛かる。


「大丈夫ですか?」

「は、はい」


 イリックの問いかけに、状況が飲み込めないにも関わらずコルコルは返事をしてみせる。


「回復お願いします。俺にではなく」


 最低限のやり取り。なぜならこれが限界だ。

 イリックの予想通り、ガーゴイルが動き始める。のっそのっそと駆けつけた人間に歩み寄る。デーモンの動向をうかがう余裕は与えてくれそうにない。

 それならそれで構わない。目の前のモンスターから順に倒せばいいのだから。

 イリックは素早く距離を詰め返す。茶色い片手剣を寝かせ石の体に斬撃を浴びせる。細い体を左から右に切り裂く。そのつもりでいた。

 しかし、石のような外見は伊達ではないらしく、体を斬れないばかり安物の片手剣はいとも容易く砕けてしまう。

 カッパーソードは武器としては非常に貧弱だ。それもそうだろう、この片手剣はモンスターと戦うために設計されたものではない。

 剣の扱いに慣れるため。

 体を鍛えるため。

 護身用の気休め。

 その程度の武器だ。

 イリックはこれまでこの武器で見回りを続けてきたが、本来は不可能な行為である。カッパーソードでもアイール砂丘に生息する一部のモンスターなら倒せなくはないが、決して敵わない存在がいる。

 サンドスコーピオン。人間より一回り以上大きなサソリのモンスターであり、他のモンスターと比べその強さは一線を画す。

 並の冒険者ならもちろん勝てる。しかし、それにも条件が加わる。身の丈にあった武器を身に付けていることだ。

 例えばスチール製の武器、スチールソード。冒険者にとってスチール製の武器は最低ラインの装備だ。これを身に付けて、初めて仲間を募集している冒険者に声をかけることができる。

 スチールソードを握っていれば、平均的な冒険者ならサンドスコーピオンを倒せるだろう。

 しかし、その冒険者がカッパーソードを持たされた場合、状況は覆る。

 おそらく殺されてしまう。できても逃亡が限界だ。

 魔法や素手で戦える冒険者は例外だが、武器を扱う前衛攻撃役がサンドスコーピオンを戦う場合、カッパーソードでは窮地に立たされる。

 それでもイリックはカッパーソードを選び続けた。なぜか? それ以上の武器を購入できなかったからだ。

 武器は素材の質が一つ上がるだけでグンとその値段を増加させる。

 カッパーソードの上はブロンズ製のサイフォスだが、残念ながら購入は難しい。

 ネッテに買い与えた短剣はアイアンダガーであり、実はブロンズのさらに上なのだが、これに関してはかなり無理をした。

 具体的には、自身のカッパーソードが刃こぼれをして鈍器になろうとそのまま振るい続け、食費も少しずつ削り、一年以上をかけてネッテにアイアンダガーをプレゼントする。もちろんネッテ自身に自分の身の安全を守らせるためであり、結果、ネッテが見回りに同行するとイリックはいつも以上に楽をできてしまう。

 それもそうだろう。兄よりも強い妹がカッパーソードよりも二つ上の武器を装備しているのだから、見回りの範疇に出現するモンスターは逃げることもできず、瞬殺されるに決まっている。

 アイアンダガーは決して優秀な短剣ではない。それでもカッパーソードよりは強力な武器だ。

 アイアンダガーが効かないガーゴイルに、カッパーソードで傷をつけられるはずもなく、それどころかあっさりと茶色い刃は折られてしまい、武器としての機能を完全に奪われる。


(そんな~)


 イリックは悲しむ。眼前で飛び散る茶色い破片はガーゴイルの体ではなく、カッパーソードの刃だ。


(ん? くっ!)


 反撃のつもりか、ガーゴイルの腕が振り下ろされる。

 イリックはそれを後ろに下がってやり過ごし、今度は腰の短剣を引き抜く。抜いてみただけで斬れるとはこれっぽっちも思っていない。

 黄色がかった茶色い刃をしたこの短剣はネッテのお古、ブロンズダガーだ。カッパーソードよりはマシな程度であり、それでも値段はその数倍もする。

 このモンスターはリンダから譲り受けたエイビスでないと倒せない。イリックは既にそう見抜いている。


「ネッテ! エイビス貸してくれ!」


 ちらりとネッテに視線を向ける。

 その瞬間、イリックの背筋が凍る。デーモンが、倒れているネッテにゆっくりと歩み寄っているからだ。

 ガーゴイルはその隙を見逃さない。イリックに近寄り、腕を振りぬく。

 イリックは体に走った痛みを無視して駆ける。デーモンが何をしようとしているのかはわからない。それでも、今は走るしかない。

 先回りに成功したイリックはネッテを抱きかかえ、一旦距離を取る。


(お、重い……)


 離れた場所にドサッとネッテを下ろし、デーモンと向き合う。痛い、と聞こえたような気がしたが今は無視する。それどころではない。

 デーモンが動きを止め、代わりにガーゴイルがイリックに近寄る。


(なんとか間に合ってくれたか。状況から察してくれるかな? となると、俺の相手はこいつか……)


 ヒーローは遅れてやってくると言うが、この場合、足が遅いだけだ。


「ウォーシャウト」


 小さな声がガーゴイルを包み込む。アジールが間に合ってくれた。肩で息をしており、随分とつらそうだ。イリックはそのことに触れない。長距離を全力疾走したのだから当然と言えば当然だ。ネッテですら、今は動けない。

 コルコルはこのタイミングでついに理解する。イリックが先ほど言った言葉の意味を。自分が支える相手はこの女性だと。

 ガーゴイルは新たな獲物の出現を喜ぶ。

 アジールは肩を激しく上下させながら、ドシリと盾を構えて背中から片手剣を引き抜く。そして、痛覚を停止させる。光景から危険度をすぐに察知した。

 ガーゴイルはうれしそうに走る。その速度はそれほど速くはないが、腕の振りだけは異常に速い。アジールは鋭い爪をかろうじて盾で受け止めるが、同時に理解する。一人で倒せる雑魚ではない、と。

 それでも攻撃するしかなく、アジールは片手剣で反撃を試みる。

 しかし、その右手を狙われてしまう。石の爪が深々と突き刺さる。痛みは感じないが、拍子に片手剣を落としてしまう。

 痛覚遮断の恩恵を活かし、アジールは怯まず立ち向かう。

 この状況でできる唯一のこと、それは盾での打撃だ。逆三角形を成す青い盾でガーゴイルを殴り飛ばす。たいしたダメージは与えられないが、それでも後方に吹き飛ばし、一時的に時間を稼ぐことには成功する。

 負傷した右腕に鞭をうち、握力を確認する。アジールはその事実に驚くと同時に青ざめる。指に力が入らない。


(剣が持てない)


 そう、右手が使い物にならない。

 そんなアジールの都合などお構いなしに、爪に赤い血を滴らせながら、ガーゴイルは立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。


(両手剣……だと先にやられそう。盾で闘うしかないか)


 アジールは覚悟を決める。

 その様子をあざ笑うかのように、ガーゴイルは口元を釣り上げる。


「キュア!」


 コルコルの声がアジールの耳に届く。初めて聞く声だが、魔法の効果はそんなこととは関係なしに作用する。

 アジールが光に包まれると、右腕の傷も少しだが癒えていく。

 コルコルのキュアは微々たる効果だが、それなら連発すればいいのであって、マジックポイントが尽きるまで詠唱を続ける気概で、コルコルは回復魔法を唱え続ける。駆け出しの冒険者だが、マジックポイントに関してはイリックを上回っており、キュアを連発することは十分可能だ。

 攻撃を開始するためアジールは片手剣を拾う。この好機を見逃す理由はない。


 一方、イリックは動けずにいた。一見するとデーモンは隙だらけにしか見えないのだが、それでもやはり動けない。

 目の前に立っているデーモンが、自分を無視してアジール達の攻防を眺めている。それが不気味で仕方ない。


 コルコルの支援下でアジールは戦い続ける。しかし、それでもなお戦況は劣勢だ。

 見た目に反してガーゴイルの腕力は高く、そのうえ反応速度にも優れている。

 アジールは攻撃の隙を見つけることができない。このままではコルコルのマジックポイントが先に尽きてしまう。

 アジール達の窮地を救う方法はまだ残っている。それが成功するか、そもそも実行できるかはわからない。しかし、今はそれに賭けるしかない。

 イリックは意を決する。


「そこのおかっぱのお姉さん! 立ち上がれますか!?」


 膝から崩れているロニアに声をかける。おかっぱではなくボブカットなのだが、イリックには見分けがつかない。似てるようで似てないのだが。


(おかっぱ……。あぁ、私のことか……)


 戦意を喪失していたロニアがゆっくりと視線を動かす。

 ガーゴイルが一体倒され、イリック達が駆けつけた現状においても、完全に折れた心は修復されていない。


「石像みたいなモンスター倒すの手伝ってあげてください!」

(石像……。なら動くなって話よね)


 ロニアは視線を動かす。

 ミニスカートの冒険者が盾でモンスターの猛攻に耐えている。コルコルが必死に回復魔法を詠唱しているが、マジックポイントが尽きかけていることに、ロニアはなんとなくだが気づいてしまう。


「お姉さんが加勢してくれれば倒せるはずです!」


 イリックにできることはここまで。先ほどから叫び続けたため、デーモンが不機嫌そうにこちらを睨んでいる。美人が台無しですよ、とイリックは言いたくなったが、言えばあっさりと殺されそうでやはり言えない。


(倒す、みんなで逃げる、俺が足止めしてみんなに逃げてもらう……。さぁ、どうなるか)


 イリックはこの戦いの行く末を案じる。結果はこの三つしかない。全滅という選択肢は存在しない。そもそも却下だ。

 できれば二番目の選択肢、みんなで逃げる、を選びたいが、それをするにしても石像を倒さなければ話にならない。


(じゃあ、始めるか)


 攻撃をしかけるため、イリックは腰を少し落とす。


 一方、ロニアはアジールの戦いを見ながらふと思い出す。左腕が痛む。というか痛すぎる、と。

 戦闘開始直後に、ガーゴイルの爪でひっかかれた。他にも数箇所攻撃を受けており、立ち上がるどころかこのまま倒れてしまいたいくらい。

 しかし、黒いモンスターと向かい合っている少年に立てと言われた以上、立ち上がらないのは癪だ。

 何より、痛む左腕がロニアの闘争本能に火をつける。心はすっかり折れているが、そんなことは関係ない。

 機会を得てしまった。自分を痛めつけたモンスターに仕返しをするチャンスが到来した。

 ロニアはゆっくりと立ち上がり、重い体を引きずるように前進する。

 狙うはガーゴイル。アジールに攻撃をしかけている姿が滑稽で仕方ない。今すぐ粉々にしてやる。


「ウォーターインカーネイト」


 ロニアは歩みを止め、敵を見据えながら詠唱を開始する。その呼び声に応じ、周囲に四つの水が湧き上がる。地面から発生したそれは、周囲に広がることなく柱を形作る。

 やがて、左右に二本ずつ、合計四本の水柱が完成する。高さはのロニアの身長より高く、表面はプルプルと揺れている。しかし、決して倒れることはない。

 戦闘準備はこれで完了。反撃の開始だ。

 ロニアはじっと狙う。本当なら無作為に発射したいが、ガーゴイルはアジールと戦っている。

 巻き込むわけにはいかない。それくらいのことは、冷静でなくてもわかる。


「スカウリングドロップ」


 主の命により、右前方の柱から水滴が発射される。弾丸のように突き進むそれは、ガーゴイルの羽にぶつかり飛び散る。

 ロニアは狙い澄ましたまま立て続けに撃ち続ける。

 二発、三発、四発……。

 いかに魔法抵抗が高いモンスターと言えども、連発されては無視などできない。

 ガーゴイルには痛覚がないため、アジールのように痛みは感じない。それでも攻撃を受ければ認識できる。

 戦いに水を差すこの行為は、ただただ腹が立つ。

 ガーゴイルはアジールから離れ、即座にターゲットを変える。アジールからロニアへ。考えるまでもなく、殺す順番を変更する。


「さぁ、いらっしゃい」


 こちらを向いてくれたガーゴイルにロニアは笑みを浮かべる。孤立した以上、手加減など必要ない。

 右の柱から、何発もの水滴が発射される。横殴りの豪雨のように降り注ぐそれらは、前進を開始したガーゴイルに突き刺さる。

 自分がこれを受けたらどうなるんだろう? アジールは目の前の攻防にゾッとする。穴は開かないだろうが、自慢の鎧にヒビくらいは入りそうだ。生身の部分で受けようものなら、あまりの痛みに叫んでしまいそう。痛覚をコントロールすれば済む話ではあるが、それでもダメージ自体は蓄積してしまう。

 そんなことを考えながらも、アジールは自分のやるべきことを思いつく。

 ロニアの魔法が発射されている現状では、ガーゴイルに近寄ることはできない。しかし、やれることが一つだけ残っている。


「ウォーシャウト」


 大量の水滴に耐えながらゆっくりと前進していたガーゴイルが、ぴたりと足を止める。ロニアは前方だが、ウォーシャウトを使用したアジールは左後方にいる。

 ウォーシャウトを受けた以上、ガーゴイルは行動を制限される。具体的には、アジールに襲い掛かることを強制される。

 悔しそうに、ガーゴイルくちばしを歪ませながら左後方に方向転換する。


「あら、そっち行っちゃうの? 残念だわ」


 ロニアは攻撃の手を止める。アジールのウォーシャウトはタイミングとしては悪くない。ロニアは丁度、水の柱を一本使いきっていた。水の粒を撃ち出せば、その分、柱は体積を減少させる。

 残り三本残っているが、これだけ撃ちつくしても水滴による攻撃、スカウリングドロップでは倒せないことがわかった。

 ガーゴイルの魔法抵抗力の高さは十分理解できた。それなら、軽い攻撃を何度も浴びせるのではなく、重い攻撃に変更する。

 ロニアは、右に残っているもう一本の柱を変形させる。

 渦を巻くように柱は姿を変え、やせ細った柱を足場とし、槍のような物体がその上で姿を現す。

 螺旋を描く穂先はまさに獲物を突き殺すために存在しており、これが槍であることを裏付ける柄は、細く長く後ろに伸びている。それを支えるように、やせ細った柱がスタンドとして凛と直立する。

 怒りを顕わにしながらアジールへ向かうガーゴイル。隙だらけなその姿にロニアは呆れてしまうが、それなら遠慮なく攻撃するまでだ。


「ジャベリン」


 ロニアのささやきが引き金となり、水の槍が支えから消え去る。

 スカウリングドロップにも劣らないその発射速度は、仮に警戒していたとしても回避することを許さない。

 次の瞬間、ガーゴイルの翼を槍が貫く。そのまま体にも命中するが、魔法抵抗の高さが水の槍をバシャンと弾けさせる。しかし、その衝撃は吹き飛ばすには十分だったらしく、ガーゴイルは激しく転がっていく。

 片手剣と盾を構えていたアジールは、突如現れた水の槍に度肝を抜く。倒れこんだガーゴイルに追撃をしていいものか、再び水の槍が飛んでくるのか、ロニアの行動が読めず、立ち往生する。

 自分の攻撃よりも水の攻撃が優れていると考え、アジールは一旦様子をうかがう。巻き込まれるのは構わないが、足を引っ張りたくはない。

 よろめきながらもガーゴイルは立ち上がる。今の攻撃で腕にもヒビが入る。それでも、人間を殺す程度は容易い。

 ウォーシャウトの効果時間十秒は過ぎ去っている。起き上がったガーゴイルは自由であることを確認し、アジールではなくロニアに視線を向ける。

 クチバシがうれしそうに歪む。

 ウォーシャウトの再使用時間は三十秒。すなわち、アジールの支援は二十秒後であり、その間はロニアとガーゴイルの一騎打ちとなる。

 それをわかっているのか、ガーゴイルは姿勢を低くし、前傾姿勢で走り出す。

 しかし、ロニアは怯まない。


「いらっしゃい」


 ガーゴイルの接近を歓迎するように、ロニアも笑う。主の声を合図に、左の水柱がぐにゃりと変形していく。

 水の塊は先ほど同様、スタンドを構成しつつその上で槍を形作る。螺旋の先端が、接近する獲物に標準を定める。

 ガーゴイルはもう目の前。しかし、早かったのはロニアのジャベリン。

 支えの上で一瞬停止した槍が、主を守るようにガーゴイルを貫く。

 右の腕を砕き、右の翼が体から引き千切る。誰が見ても致命傷だ。人間ならこれで戦闘不能と言える。しかし、ガーゴイルはモンスターであり、その上、痛みを感じない。

 よろめきはしたが、ガーゴイルは体勢を立て直し、そのまま前進を継続する。

 辿り着いたガーゴイルは、残された左腕を振り下ろし、石の爪でロニアの体を引き裂く。

 服と肉を切り裂かれ、ロニアの服が赤く染まりだす。

 ガーゴイルは勝利を確信する。この一撃は生物にとって十分致命傷、そう判断した。

 深々と肉を切り裂けた手ごたえ。

 地面に滴り落ちるほどの出血。

 これで終わりだ、そう喜びながら、ガーゴイルは眼前の人間を見上げる。絶望の表情を見るために。

 しかし、ロニアもまた、笑ったままガーゴイルを見下ろしていた。

 まだ終わりじゃない。ガーゴイルは直感的にそう理解する。なぜなら、目の前の人間が生み出した水の柱はもう一本残っている。ロニアが倒れないように、水の柱も命令を待って待機している。

 もう一度、あの攻撃が来る。

 ガーゴイルは残された左手でロニアの体を再度ひっかく。二度、三度、繰り返しても、なぜか目の前の人間は倒れない。


「あーっはっはっは!」


 ロニアは震える。体を切り裂かれながらも大声で笑う。うれしくて仕方ない。自分を痛めつけたあげく、どん底に叩き落したモンスターをこの手で葬れることが最高に甘美だった。

 水の柱は最後の一本。しかし、トドメを担う最後の一本。

 水はうねり、急激に細まる。水の塊はやせ細った水柱の上で渦を巻き、獲物を倒すための形に変わっていく。

 目標は、目の前。

 必死に左腕を振りぬくガーゴイルに狙いを定め、槍の形をした殺意の塊が発射される。

 ロニアをかすめながら、水の槍はガーゴイルを貫く。

 細い体は砕かれ、その部分から二つに裂かれる。残っていた翼も無残に崩れていく。

 最後までロニアを見上げながら、地面に転がった石像は石の塊に成り下がる。

 ロニアの心は完全に折られていた。生きることすら諦めていた。にも関わらず立ち上がってしまう。この時点でこわいものなど何一つなく、どれだけ皮や肉を引き裂かれようと、もう倒れることはない。

 死にながら生きている。そんな状態だからこそ、命を出し惜しみせず戦える。とは言え……。

 もうこんな戦い方はしたくない。

 何もかも出し切ったロニアは、朦朧な意識でそう振り返る。


「回復してあげて」


 アジールがコルコルに告げる。

 アジールが魅入っていたように、コルコルもロニアの戦い魅入られていた。

 残りマジックポイントはもうわずか。しかし、それならそれで使い切るまで。コルコルはキュアを唱える。

 流れ出る血よりも暖かい光に包まれながら、ロニアは力なく視線を動かす。

 アジールも加勢するためその方向を見つめる。


 残されたモンスターは後一体。

 黒いモンスター、デーモンと兄妹がギリギリの死闘を繰り広げている。



 ◆



 体はまだ重い。というか痛い。でも、そろそろ立たないと。空っぽだった元気は少しモリモリ。これだけ休めば体も動いちゃう。

 ふんがー。気合を入れたら、ほらこの通り。

 短剣は一本折れちゃったけど、今はそんなこと気にしない。

 だって、目の前でお兄ちゃんが黒いモンスターと戦ってるから。

 あの姿はうっすらと覚えている。ずっと前に、お父さんとお母さんを殺したやつ。

 あの時は何もできなかった。泣いてただけ。

 でも、今は違う。

 お兄ちゃんががんばってる。なら私もそうする。

 二人でなら勝てそう……とは思えない。何となくだけどわかる。これには勝てないって。

 でも大丈夫。

 お兄ちゃんなら、きっとどうにかしてくれる。


 体力はいくらか戻り、ネッテはそっと立ち上がる。

 足はまだパンパンだが、今はそのことを忘れる。

 イリックがデーモンと戦っている。

 戦況は圧倒的に不利。一言で言えば苦戦中だ。しかし、苦戦で済んでいることがある意味奇跡なのかもしれない。

 ガーゴイルとの戦いで片手剣を失った今、イリックの武器は安物の短剣、ブロンズダガーだけ。

 これでデーモンの体に傷をつけることはできない。何度か試みたが、結果はブロンズダガーの刃が欠けただけだ。

 デーモンの体は黒い鱗のようなもので覆われており、それこそ顔以外はそれで守られている。

 普通の武器でなら傷つけられるだろうが、イリックには普通の武器など高すぎて買えない。

 ゆえに、ネッテのエイビスに期待するのみ。

 それでも戦うしかなく、イリックは回復魔法を駆使しながらデーモンの猛攻を退け続ける。

 デーモンの攻撃手段は三つ。

 右手の黒い片手剣。

 左手の爪。

 左手から繰り出される、見えない衝撃波。

 どれもやっかいだが、とりわけ危険な攻撃は見えない衝撃波だとイリックは考える。なぜなら、避けることができないからだ。

 見えないから避けられないのではない。来るタイミングがわかる以上、回避行動はいくらでもとれるのだが、それでも避けきれず、ダメージを受けてしまう。

 戦い始めてからかれこれ三回、この攻撃を繰り出されたが、三回とも例外なく避けられなかった。

 攻撃の合図は左手を突き出す、ただそれだけ。手のひらから何かが出ているらしく、横に飛んでも、後方に下がっても、体に何かが叩きつけられる。

 イリックは回復魔法を使えて今日ほど喜んだことはない。もしキュアがなかったら、今頃間違いなく殺されている。デーモンはそれほどに強い。


 イリックはキュアを十一回使える。十一回しか使えない、と表現した方が正しいのだが、コルコルに一回、マリィに一回使っているため、残りは九回だ。

 デーモンとの戦いで既に五回使っている。衝撃波を受ける度に一回ずつ、片手剣や爪を回避しきれずに二回。合計五回。

 回復魔法の残り使用回数は四回。

 その回数は心もとなくない。そろそろどうにかしないと。そう考えていた矢先に、頼もしい戦力が駆けつける。


(ちょっと遅すぎませんかね? いやまぁ、贅沢は言わないけど)


 デーモンが片手剣を振り上げる。狙いはもちろんイリックであり、素早い踏み込みも相まって、回避行動は間に合わない。このままではキュアを使うハメになる。

 デーモンが右腕を振り下ろす前に、それが黒い腕に短剣を走らせる。

 ネッテの斬撃が、デーモンに初めての傷を負わせた瞬間だ。

 一対一を楽しんでいたデーモンは、二人目の参戦に驚きつつも、自身の負傷には目もくれず、標的を切り替える。

 背後に素早く移動したネッテに対し、振り向きながら片手剣を振りぬく。

 寸でのところで下がって対応したネッテだったが、反撃の難しさを今の一振りで痛感する。

 隙のあるなしではなく、身体能力がそもそも桁違いだと、ネッテはやっと理解する。

 二対一であっても、どうすることもできない。目の前にいるモンスターはそういう存在だと思い知らされる。

 ではどうするか? ネッテは自分で判断しない。それを考えてくれるのはイリックだとわかっている。

 イリックは戦い続けている。それなら自分も戦い続ける。どちらか一人は逃げることも可能かもしれないが、そんな未来は望まない。

 二人が生き残る術を探すためにも、ネッテは悲鳴をあげる体に活を入れ、短剣を握り締める。

 回避に徹しても傷が増えていく。反撃など到底不可能。それでも今は戦うことを選ぶ。イリックはまだ、諦めていないように見えるから。

 デーモンは執拗にネッテを攻撃する。左手から繰り出す衝撃波は先ほどイリックに使ったばかり。この攻撃には長めのインターバルが必要なため、連発できない。イリック達にとって唯一の救いだ。

 狙われているネッテに危機が迫るのはもう少し先だろう。そんなイリックの読みはあっさりと外れる。

 シンプルな、しかしどうすることもできない攻撃がネッテを襲う。ただただ単純に、片手剣を上から下へ振り下ろすだけの攻撃だ。しかし、グンと距離を詰めてからの、それでいてネッテの虚を突いたそれは、回避不可能な剣撃となってネッテに迫る。


(背中ががら空きなんですけど)


 無防備以前に、そもそもデーモンはイリックに感心がないらしく、ネッテだけを見て戦っている。この瞬間も背中を思いっきり見せている。ネッテへの執着心がそうさせるのだが、いくらなんでもこれは甘い。

 黒い片手剣が振り下ろされる前に、イリックは渾身のドロップキックを黒い背中におみまいする。隙だらけという次元ですらない。


(勝算があるとしたらこういうところにあるのかな? そんなこともないか)


 イリックは攻撃の成果を眺めながらしみじみと考える。

 アジールより長身なデーモンが吹き飛ぶ。そんなに強く蹴ったっけ? と疑問を抱く程度には地面を滑っていく。

 それよりもネッテの不調が想定外だ。どうやら本調子にはかなり遠いらしく、となるとがんばらなければならないのは兄であり、だからと言って、ネッテからエイビスを借りるわけにもいかない。

 今回限りはネッテを守りながら戦えるとは思えない。自分の身は自分で守ってもらいたい。

 そんな中、イリックは自分自身に違和感を感じる。

 先ほどから体が軽い。気づけばデーモンの動きにも少しだけ対応できている。

 戦い始めた直後はどうしようかと戸惑ったが、少しだけ勝機を見出せている。

 パワー。

 スピード。

 反応速度。

 リーチ。

 どれもデーモンが上だ。自分が勝るとしたら、後四回使える回復魔法の有無と、体の柔らかさくらい。


(あぁ……、もう一つあった)


 黒い姿はゆっくりと起き上がる。一対一を楽しむのはダメだと思い知る。これからは同時に二体の人間を相手にする。自分にはそれができる。さっさと片方を殺し、一対一をやり直せばいい。そう結論付け、前進を開始する。

 蹴られただけでダメージはない。それでも、今の攻撃には苛立ちを感じた。ゆえに、先ずは男の方から殺す。

 漆黒の風がネッテを追い越し、笑みを浮かべるイリックに迫る。反応できたのはイリックともう一人。


「ウォーシャウト」


 アジールから放たれたプレッシャーがデーモンを覆う。獲物を前に、片手剣を振りぬけない。苛立ちがさらに募る。

 イリックがデーモンに勝っている点。それはキュア以外にもう一つ。仲間が生き残っていること。

 これで三対一。


「――!」


 聞いたこともない叫び声がテホト村を揺らす。怒りを爆発させたデーモンの雄たけびだ。

 盾を構えてジリジリと近寄るアジールに、デーモンは左手をばっと開く。


「ぐぅう!?」


 何かによって、アジールが後方に吹き飛ばされる。向けられる殺気に恐怖したことと、その行動が攻撃だと予測できたことで、アジールはとっさに盾で受けきることに成功する。しかし、それでもダメージはすさまじく、盾を持っていた左腕は今の一撃であっさりと折れる。


(たった一撃で? な、情けない……)


 意気揚々と参戦してこの体たらく。アジールは自分の弱さを悔やむ。ウォーシャウトの持続時間はまだ続いている。


(このままトドメを刺される?)


 アジールは一瞬だが諦める。抗いたいが、盾を持てない以上、どうすることもできないと理解しているからだ。

 それでもアジールはこぼした盾に左手を伸ばす。掴めないだろうが、やはりまだ諦めたくない。

 次の瞬間、デーモンは思い知る。ウォーシャウトの効果に従い、使用者を殺そうと思ったが、倒すべき相手は別にいることを。


「キュア」


 ウォーシャウト後の反撃は予想していたが、ここまであっさりとアジールが倒されるとは夢にも思わなかった。それでもこの状況は想定の範囲内だ。衝撃波を使わせたことに感謝したいくらい。繊細を欠くアジールの姿を見ていると決して口にはできないが。

 イリックはアジールの傷を癒す。唯一使える魔法は回復魔法。やはりこの魔法は便利だと思い知る。後三回しか使えないが、なんとかなるだろうと自分に言い聞かせる。


(って三回!? けっこうやばいな……)


 イリックは焦る。その回数は、デーモンを倒すには随分と心もとないからだ。

 そんな中、デーモンはついに理解する。

 小さな女を殺そうとした時には背後から攻撃を。

 盾の女を追い詰めた時には回復魔法を。

 やはり、最初に倒すべき人間はこいつのようだ、と。

 デーモンはその場に立ち、じっと待つ。ウォーシャウトの効果時間十秒を、その体勢のままやり過ごす。

 そしてその時は訪れる。体を支配する束縛感が消失する。

 戦闘再開。一切の予備動作もなしに、デーモンが駆け出す。目指すはもちろんイリックであり、イリックもまた、受けて立つと短剣を握りなおす。

 ネッテに斬られても鈍らない斬撃には敵ながら感動するが、イリックは後方に下がりつつ、その攻撃を全て回避する。

 初めは避けきれず、その度に血を流した。

 軌道は素直なため、どちらかと言えば予測し易い攻撃と言える。それでも避けきれないのだから、手ごわい相手と言わざるをえない。

 片手剣のみの単調な攻撃ではなく、左手も厄介だ。掴みかかり、短いながらも鋭い爪で切り裂こうとしてくる。決して油断できない。

 それでも、今なら回避できる。

 なぜだろう?

 ネッテとデーモンの戦いをじっくり観察できたから目が慣れてきた?

 デーモンの単調な動きを見切れてる?

 よくわからないから両方ということで納得する。なぜなら、どちらでも構わないからだ。

 振り下ろされる片手剣は左へ避ける。

 右から左へ、もしくは左から右へ振り払われる斬撃は素直に下がって回避する。

 突きも左へ体を動かしやり過ごす。

 仮に右へ避ける際は、できるだけ大きく跳ねる。

 常に左手を警戒しなければならないからだ。少々しんどいが、今のイリックならそれも可能だ。と思ったら脇腹に片手剣が浅いながらも刺さる。


(はいはいキュアキュア。後二回……。やばい)


 デーモンの攻撃の隙をつき、ネッテとアジールが攻撃をしかける。しかし、今のデーモンは既に学習しており、相手は三人だと認識している。倒す順はイリックからと決めているが、ネッテとアジールにも警戒を払っており、そう易々と攻撃は届かない。


(このままだとジリ貧だな……。賭けてみるか)


 イリックはなけなしのキュアをその人物に唱える。後一回。すなわち、回復行為は次で最後だ。



 ◆



 耳をつんざく金属音と体を包み込む暖かさがその人物の目蓋を開かせる。鳴り止まないばかりか激しさをます戦の音は、ここが戦場だということを一瞬にして思い出させる。


(今のは回復魔法? だとしたらコルコル? わからない……)


 目の前に転がっている両手斧に腕を伸ばす。

 体はどこも痛くない。その理由はわからないが、立ち上がるのにその情報は必要ない。

 音のする方を見ると、黒いモンスターとそれを取り囲むように三人の冒険者が戦っている。


(他のモンスターは? 石像のようなモンスターが二体いるはず)


 しかし、黒いモンスターの周辺には見当たらない。

 ふと、背後からコルコルの荒い息づかいが聞こえたような気がした。


「コルコル!」


 血だらけなロニアの隣に、地面に両手を付いて苦しそうに息をしているコルコルを見つける。

 コルコルは重症なロニアにキュアを唱えたが、結局二度の詠唱でマジックポイントが枯渇してしまう。ロニアは一命をとりとめたものの戦線復帰には至らず、コルコルもこれ以上は動けない。

 起き上がったマリィは、驚きながらもそんなコルコルに声をかける。


「あ、よかった……」


 マリィの復帰を喜ぶも、今のコルコルに体を動かす余力は残っていない。マジックポイントの消耗は体を重くする。何より、自身の傷も癒えきっていない。ロニア同様、コルコルもデーモンとの戦いに加勢することはできない。


「状況を教えてくれ! 他のモンスターは……倒したのか!?」


 マリィはロニアの足元にモンスターの残骸を見つける。崩れた大量の石が既に風化しかかっている。ガーゴイルの死体だ。


「う、うん。後はあれだけ……」


 あれ。すなわち、三人の冒険者が戦っている黒いモンスターだけ。

 今の戦況を把握することはできた。過程や方法、そもそも目の前で戦っている三人のことは何もわからないが、自分のやるべきことはすぐに理解する。

 血だらけのロニアは重症。

 コルコルはマジックポイント切れ。

 それなら、四人がかりであれを倒せばいいだけの話だ。


(アグレッシブモード)


 マリィは脳内でスイッチを切り替える。


 アブレッシブモード。戦技の一つであり、腕力を高める代償に、わずかに動きが鈍くなる。しかし、武器を振るうという一点においては、腕力の上昇がそれを補って余りある。回避や防御を捨てて、攻撃に特化するための戦技だ。


「ふう~」


 マリィは大きく息を吐く。準備は整った。後はタイミングだけ。改めて三人の立ち振る舞いを観察する。

 狙われているのは、正確な言い方をすれば、戦いの中心にいるのは少年。刃の欠けた短剣で応戦しているが、何よりも驚きなのは黒いモンスターの攻撃を避けきっていること。

 ここから見ているだけでも、あのモンスターは人間が戦える相手ではないと容易にわかる。一対一なら一瞬で殺されると改めて実感する。そんな相手とほぼ互角にやりやっている。もっとも、武器のせいで戦いになっていない。

 黒いモンスターの背後には、片手剣と盾を持った女性。しかし、近寄ることもままならない。片手剣で斬りかかろうとしても、反撃を盾で受け止め再び下がるだけ。それの繰り返しだ。

 コルコルと同い年くらいの少女も戦っている。しかし、どうやら限界のようだ。足に攻撃を受けてしまったのか、思うように立ち回れていない。辛そうな表情からもそう読み取れる。見たこともない煌びやかな短剣がもったいない。それを少年に渡せばこの状況はいくらか有利になっただろう。


(それでも、そんな短剣じゃダメだ……。こいつじゃないと)


 銀色に輝く両手斧を強く握り、マリィは地面を蹴っていっきに距離を詰める。

 最初に気がついたのはネッテ。その視線に気づいたイリックもすぐに察する。最後まで気づけなかったのはアジールとデーモンだけ。

 両手斧がデーモンの胴体を切り裂かんとばかりに叩き込まれる。その一振りはイリックをもってしても線にしか見えない。


「ギャッ!?」


 一瞬の間の後、体に蓄積された衝突エネルギーがデーモンを吹き飛ばす。黒い体を二つに切り裂けなかったが、有効な一撃に代わりない。

 状況を飲み込めないアジールだけがキョトンとするが、自分以外が同じ方向見ていることから、つられるように視線を向ける。


(立ち上がるな)


 イリックは願う。赤い軽鎧を装備した冒険者が復活と共に参戦してくれたとは言え、これ以上の戦闘は厳しい。

 キュアは後一回しか使えない。できればそろそろアジールに使ってあげたいくらい。少し休憩すればもう一回分くらいのマジックポイントは回復するだろうが、それをするにしてもデーモンの討伐が前提だ。

 ネッテは疲労困憊。ギリギリの状態で立っている。やはりエイビスを借りとくべきだったか、とイリックは今になって少し後悔する。

 両手斧の女性は相当な手だれのようだが、実力は未知数。どこまで頼りになるのかわからない。

 全員が、じっとデーモンを見つめる。前のめりに倒れており、両手斧が突き刺さった脇腹の損傷はここからでは確認できない。

 動かないでくれ。

 立たないでくれ。

 そんな祈りさえ、神には届かない。動きに繊細さはないが、デーモンはよろめきながらも立ち上がってみせる。

 脇腹の裂傷からは体液が滴り落ちている。決定打にはならずとも、そこそこのダメージは与えられたと見て取れる。


(ちゃんとした武器じゃないとダメなんだな)


 イリックは痛感する。金が無いのだから仕方ないという側面もあるが、実質言い訳に過ぎない。

 イリックはデーモンを見据えたまま、短剣を握りなおす。すぐに何かしてくる、直感的にそう思えた。

 デーモンは表情を変えず、前傾姿勢に移行する。

 来る。イリック達がそう認識した直後、その場からデーモンの姿は消える。

 一瞬だった。

 その姿勢から繰り出された移動速度は体の大きさからは想像できないほど速く、デーモンはマリィとの距離を瞬く間に縮める。

 ネッテは目で追うことすらできなかった。

 イリックは短剣で斬りかかるも、刃が届かない。

 マリィは刺し違えるつもりで両手斧を振り下ろすが、いかんせん反応が遅い。

 デーモンの左腕がマリィの露出している腹部にまっすぐ伸びる。

 紙一重だが間に合う。

 この状況をどうにかできる唯一の方法をアジールは実行する。アジールの体から放たれた衝撃がデーモンの攻撃を一時的に阻害する。


「ウォーシャウト、です」


 アジールがにやりと笑う。ウォーシャウトが間に合った。

 デーモンは、再び人間を殺し損ねたことに激怒する。美しい顔が台無しだが、そんな表情でもどこか美人なのだから、イリック的にはやっかいなモンスターだ。


(これが最後のチャンス)


 イリックは決断する。

 自身のマジックポイントはほぼ空っぽ。

 ネッテは既に限界を越えており、これ以上の戦闘は厳しい。

 大きな斧を武器とする色っぽい女性冒険者はまだ戦えそうだったが、イリックが倒された場合、もののついでに倒されてしまう。

 デーモンも傷ついており、やるなら今だと思えた。なぜなら、今から好機が生まれるのだから。

 マリィが全身全霊の一撃を叩き込む。アジールに狙いを変更したタイミングだったこともあり、死角から迫り来る両手斧がデーモンの右肩と首の中間に食い込む。

 デーモンはその一撃に大きく怯む。


(今!)


 イリックは覚悟を決め、行動を開始する。デーモンの腹部目掛けて短剣を突き刺す。狙うは裂傷部分。わずかだが確実に存在するそこに、イリックは差し込める一番奥までブロンズダガーを突き刺す。

 イリックの一撃がデーモンの動きをピタリと止める。


(勝った)


 そう確信した時だった。

 デーモンから発生した球状の何かが膨れ上がり、四人を後方へ吹き飛ばす。

 黒く、しかし透明な魔力の塊のようなものが、戦況を一瞬にして悪化させる。

 イリックはとっさに両手で顔や首を庇うことに成功する。随分と後方に追いやられたが、他の三人ほど危機的状況ではない。左腕は折れたが、今は気にしない。

 ネッテはギリギリのタイミングで後方に跳ねたため、直撃したものの致命傷には至っていない。苦しそうに倒れるも、死んでいないのなら御の字だ。

 アジールはさすがという他ない。盾である程度の損傷を防いでみせる。痛覚をコントロールしており、まだ立っていられる。

 マリィはもっとも接近していたせいか、回避も防御も間に合わずに直撃を受ける。鼻血を流して気絶しているが、ダメージはそれどころではない。

 この状況で戦えるのは自分だけ。そう判断し、イリックはまだ動いてくれる右手で短剣を探しつつ、立ち上がる。


(あれ、ない? どこ?)


 イリックはデーモンを見据える。そうしてやっと気づく。脇腹に短剣が刺さっていることと、もう一つ……。

 デーモンの体が黒いオーラのようなもので覆われている。ゆらゆらと揺れるそれが何なのかはわからないが、一つだけはっきりと理解させられる。

 自分達は一人ずつ、もしかしたら二人、はたまた三人単位で瞬く間に殺されるだろう、と。

 一度は縮まったはずの身体能力。それが再び大きく開いている。それがどの程度かは戦ってみなければわからない。挑んだ瞬間に殺されそうだが、それも含めて全くの未知数。


(これは何だ?)


 考えたところでわからない。そもそも先ほどの黒い全周囲衝撃波が既に理解できない。あんな攻撃は避けようがない。

 イリックはデーモンの体を横から眺め続ける。抜群のスタイルゆえに魅入らざるをえない。体の周囲に立ち込める黒いオーラもどこか扇情的だ。

 しかし、今からこいつを殺さねばならない。自分も殺されるだろうが、その前に殺してみせる。引き分けなら勝ちだと言い切るつもりで、イリックは闘志をみなぎらせる。

 ネッテを守ると誓った。それが八年前。

 あの頃よりは幾分成長できたはず。自分の命を差し出さなければ妹を守れない時点で力不足なのかもしれないが、それは仕方ない。

 このままでは全員殺される。もしかしたら、既に何人か殺されているかもしれない。だとしても、ネッテだけは守ってやる。

 そのネッテは視界の隅で苦痛な表情を浮かべながらデーモンの様子をうかがっている。


(安心しろ、絶対に守ってやる。だからそのまま寝てていいぞ)


 さて、どう殺してやろう。

 方法は一つ。近づき、脇腹に刺さっている短剣をさらに深々と刺し込む。できるだろうか? 絶対にできない。今までの自分なら。

 この絶望的な状況に置いて、イリックは先ほどから違和感を感じていた。何に? 自分自身の体内にだ。

 この感覚は何だろう? 内側から何かを感じるこれは魔力だ。どこかで感じた魔力。そう、ワシーキ村で。リンダの自宅で。

 イリックは強制的に飲まされた謎の液体を思い出す。

 あれを飲んだ直後、新たな魔法の習得を感じ取った。その時は具体的な魔法名は浮かび上がってこなかったが、今は違う。


(そうか。こういう名前の魔法だったのか)


 魔法名と同時に効果もわかった。便利な魔法だ、小さく驚く。

 さぁ、前進。

 相手はデーモン。もやもやと黒い湯気のようなものをまとっているが構わない。

 手ぶらのイリックが一歩を踏み出した直後、デーモンも行動を開始する。自身の目の前に、その長身を丸々飲み込むほどの黒い穴を発生させる。


(何もないところに穴? 扉か?)


 イリックは状況を飲み込めないため、一旦その場に止まる。いっそ殴りかかってきてくれれば対応も楽なのだが、意味不明な行動にはどうすることもできない。

 デーモンは黒い穴を見据えたまま、しかし、顔を歪ませて脇腹の短剣を抜き取る。溢れ出る体液が痛々しいが、デーモン自身は激痛に耐えてみせる。

 真っ赤な、男はおろか女すら魅了しかねない目がそっとイリックに向けられる。これがモンスターでなく人間なら惚れていただろう。両親を殺したモンスターと同じ種族にもかかわらず、イリックはそう思ってしまう。

 そっと捨てられた短剣が金属音を響かせる。悔しそうに投げ捨てないところにイリックは共感を覚える。その行動は酷く落ち着いており、イリックに対し敬意を払っているようにすら見えた。

 一度向けられた視線はそのまま固定される。イリックも負けじと見つめ返す。そして、互いの視線が絡み合う。

 普段は鈍いイリックだが、すぐに理解する。そういうことなら、と小さく頷く。

 デーモンは正面を向き、目の前の穴に足を踏み入れる。そのままズブズブと穴に入り込み、黒い体はその場から消えてなくなる。周囲に撒き散らされていた死そのものを連想させる殺意も同時に消え去る。

 用が済んだのか、デーモンが出現させた黒い穴は徐々に小さくなり始め、ついには消滅する。


(さて、誰にキュアかけようかな。斧の人にもかけてあげたいけど、それよりもあの人だろうな)


 イリックは小さく息を吐き、緊張の糸を緩めていく。鼻血を流して倒れているマリィの無防備さに少しドキドキするが、着ている服が血で真っ赤に染まっているおかっぱの女性には別の意味でドキドキさせられる。立っているから大丈夫なのかもしれないが、やはり心配だ。


(あ、膝を付いた)


 イリックは前進しつつも、ちらっと空を見上げる。


(今日はいい天気だったんだな……)


 雲一つしかない快晴。透き通るような青が、どこまでも頭上に広がっている。唯一確認できる雲も、ゆっくりと北の方へ逃げていく。

 イリックは歩きながら思い出す。

 デーモンとの戦いの最中、この戦いの行く末は次の三つのどれかに収束するだろうと予想した。

 倒す。

 逃げる。

 自分が囮になって皆に逃げてもらう。

 この状況はどれに該当するのだろう? どれにも当てはまらない。三番に落ち着くかと思ったが、その予想は外れる。

 そもそも正解はこの三択の中に存在しない。

 死者が出なかった。ボロボロだが上出来だろう。今日のところはこれで十分。


 さぁ、到着。たいした回復量ではないけれど、おかっぱのお姉さん、どうぞこれを受け取ってください。

 イリックが詠唱した魔法は、ロニアを白い光で包み込む。


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