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第二十一章 氷の洞窟

 どこまでも広がる先の見えない世界。視界は降り続ける雪によって遮られ、それらが白い大地をさらに白く染めていく。

 歩く度に足元からシャリシャリと音楽が奏でられる。ネッテはうれしそうに足跡をつけているが、他の三人はどこかグッタリしている。

 離れてはいるが、東側には断崖絶壁の崖がある。前が見えづらいからと言って落ちていいわけではない。慎重に歩かなければならない。

 西側には壁のように行く手を遮る崖がそそり立つ。シャルロット率いる合同調査隊はこの上から奇襲された。そういう意味でも油断ならない。

 ロセロン雪原の攻略一日目。

 イリック達は吹雪の中、北上を開始する。

 ここが目的地。しかし、可能ならヴァステム渓谷くらいまでは辿り着きたい。そこに何があるのか、そもそもここで何が待ち構えているのか、それすらもわかっていない。

 それを調べるために自分達は遠路遥々ここまで来たのだ。


 ヴァステム渓谷はロセロン雪原の西に広がっている。しかし、自分達のいる場所からではすぐに向かうことができない。西沿いには壁のような崖がそびえ立っている。先ずは北上し、西の段差に続く坂道を探さなければならない。

 今日中には辿り着けない程度に遠いらしいが、それならそれで構わない。


 イリック含め、四人の姿は互いに新鮮だ。全員モコモコしている。

 昨日、衣服屋で厚手の防寒具を買い揃えた。色違いを四着。物自体は同じだ。サイズはさすがに異なるが。

 イリックは茶。

 ネッテはオレンジ。

 アジールは黒。

 ロニアはグレー。

 無駄にカラフルな四人組がここに誕生してしまう。

 フードを深く被ればいくらでも歩いていられる。厚手の生地が寒さからきっちり守ってくれるからだ。動きにくさが気になったのも最初だけで、今はすっかり慣れている。

 今日はひたすら北上するだけ。だからと言って気は抜けない。可能ならモンスターに気づかれたくない。相手は組織立っている。一体に見つかったら全員にばれてしまう可能性がある。厄介な話だが、ここはそういう場所だ。

 朝七時に出発してもうすぐ三時間。普段ならたいしたことないが、既に全員息があがっている。雪道を歩いたことがないため、体力の消耗がいつもより激しい。


「あそこでちょっと休憩しましょう」


 イリックが指差すのは西の崖。朝からずっと視界の左側に映っている。

 これに沿って北上すればいいのだから、そういう意味では迷いようがない。


「ふふ。お兄ちゃんかわいい」

「やかましい」


 ネッテは昨日からこんな調子だ。

 体の体積がグンと増えているこの姿は、ネッテの何かを刺激するらしい。おもしろいだの、似合わないだの、似合うだの、かっこいいだの、一々感想を述べてくる。


「氷の精霊は何体か見かけたけど、他のモンスターはいないわね。こんなに早く来るとは思ってなかったのかしら?」

「この崖沿いにいないだけで、少し東に行けばわらわら歩いてるのかもしれませんよ」

「だとしたら厄介ね」


 ロニアが崖を背に東側を見回す。しかし、吹雪いているせいで遠くはほとんど見えない。おかげで見つかっていないとも言える。


 イリック達が今いるロセロン雪原は雪が降っている。そういった気候の土地には、氷の精霊が出現する。冷気を漂わせながらふわふわと漂うそれは、凍った水を無作為に割った際にできた四角い塊のような形をしており、大きさはおよそイリックの半分くらい。人間もモンスターも襲わない中立的な存在であり、当然、イリック達は氷の精霊を無視して進む。


「発見されたら倒す? 逃げる?」

「一体二体ならもちろん倒します。軍勢が攻めてきたら、その時は大人しくテレポートで逃げましょう」


 アジールの問いかけにイリックはらしくない慎重な意見を述べる。モンスターが大勢でかかって来たとしても、本当はバッタバッタとなぎ倒したいのが本音だ。

 しかし、ここは敵陣のど真ん中。しかもその行為は仲間を危険に晒す。せっかく素敵な魔法があるのだ。安全に進めばよい。

 イリックはマジックバッグから小さな干し肉を取り出し、ガブガブと噛み付く。間食だが、体力維持のため抵抗はない。


「私も食~べようっと」


 兄妹揃って立ったまま肉を食べる。不思議な光景だ。


「見せつけてくれちゃって」

「食べればいいじゃないですか。いくらか暖まりますよ」

「太りそうで抵抗あるのよね~」


 ロニアが女性らしいことを言い出す。

 イリックは思わず呆れてしまう。


「一日中歩いてるんですから、太りようがないですって。それに、ちょっとふっくらしてるくらいがいいと思いますよ」

「何!?」


 なぜかネッテが食いつく。


「太った方がいい!?」

「いや、太られても……」

「でたでた。男って変なこと言うのよね~」


 微妙なニュアンスが伝わってくれない。ロニアはやれやれ、とため息をつく。こういう話題に男は参加してはいけないようだと、イリックは一つ学習する。

 そして一行は北上を開始する。

 昼食も火を使わない最低限の食事で済ませる。若干味気ないが、場所が場所だ、仕方ない。その分、夜は豪華にする。

 順調なペースで進めている。しかし、雪道のせいで今までのような速度は出せていない。それでも構わない。最優先はモンスターに見つからないことなのだから。

 何度か危険な状況には陥った。

 ある時は前方に。ある時は右側に。二種類のモンスターをうっすらと確認できた。

 吹雪いていようとお構いなしに空中を漂う姿はアーリマンだ。小さな翼を上下させながら丸っこい目玉を浮かせている。姿が見えなくなるまで待機してやり過ごす。

 もう一種類、見つけ易いモンスターがいる。ジャイアントだ。

 三メートルから四メートルの巨体だ。アーリマン以上に目立つ。足音はたいして聞こえないが、それは積雪のせいだろう。

 この日見かけたモンスターはこの二種類だけ。最終的にけっこうな数を遠目に見かけたが、戦闘にまでは発展せずに済む。

 合同調査隊の報告では他にスケルトンやサソリの女もいるはずだが、それらには遭遇できていない。ヴァステム渓谷を根城にしているのか、前回の戦いでスケルトンはごっそりと数を減らされたのか、そこまではわからない。


「今日の報告はこんなもんです」

「ありがとう。マジックポーションを一つ用意した。活用してくれ」

「助かります」


 ここはサウノ宮殿の一室。会議室ではなく、もう少し狭い部屋だ。白いことに変わりはないが、鎮座している机はかなり小さい。

 目の前にはサウノ防衛隊の隊長、ブラインが立っている。灰色と黄色があちこちに散りばめられた白い鎧はいつ見てもかっこいい。オールバックもビシッと決まっている。


「明日にはヴァステム渓谷付近まで行けそうか? 無理はしなくていいのだが」

「そのことなんですが、実は氷の洞窟に行ってみたいと思ってるんです」


 ほう、とブラインが小さく驚く。

 後ろのロニアも驚く。


「ちょっと遠回りになるわよ? そもそも何をしに?」

「氷の大精霊がいるなら、テレポートを開通させておきたいな~、と」


 氷の洞窟。それはロセロン雪原の北西に位置する未開拓の洞窟。

 ロセロン雪原自体が未知に近いのだから、氷の洞窟がそうなのも当然だ。それでも少しだけわかっていることがある。

 氷の洞窟には氷の大精霊がいる。

 北の地がここまで危険ではなかった時代に、魔力の波動を観測することには成功している。ゆえにその情報の信憑性は決して低くない。


 イリックが習得しているテレポートは、転送先が二種類存在する。

 任意の十一箇所。

 大精霊が存在する場所。

 前者はイリックの意思で自由に決定できる。三大大国やサラミア港、今だとジャイル村やロセロン雪原がそうだ。

 後者は上書きしたり変更することはできない。そして、現在は風の洞窟のみ。

 ここを増やしたいというのがイリックの思惑だ。

 ロセロン雪原の氷の洞窟。ここを登録できれば、任意の十一箇所にロセロン雪原をいつまでも残しておく必要がなくなる。


「それはいいかもね。一日くらいロセロン雪原に長居することになるけど、構わないかしら?」

「ええ、もちろんです。氷の洞窟についての情報が得られるのなら、こちらとしても願ったり叶ったりです。おそらく煉獄のモンスター達とは関係ない場所でしょうが、何かしら得られるものがあるかもしれません。気をつけて探索してください」


 ロニアがブラインから許可を取り付ける。

 こうして明日の予定が決定する。

 氷の洞窟を目指す。

 本当ならこんな寄り道はすべきではないのかもしれないが、テレポートの使い勝手を良くするためなら、十分な理由と言えるだろう。


 イリック達はサウノ宮殿を後にし、酒場で夕食を済ます。近場の食堂は混んでいたためこちらに変更した。どちらも大差はなく、そもそもイリックとしてはどこでも構わない。

 極寒の地は体温を奪う。そして体力を激しく消耗させる。夕食を普段より多く食べてしまったが、消費したエネルギーを補うには必要不可欠だ。

 食べ過ぎたー、と腹をさするネッテの防寒具を持ってあげながら、イリックは宿屋に戻る。


「しかし、あれね。あそこは人の住む場所じゃないわね」

「北の地はそういう意味で昔から禁止区域だったんですかね?」


 今日も四人部屋だ。イリックは未だに一人部屋を希望しているが、その案が採用されたことはない。


「昔は全然違う理由だったみたいよ。確か……」


 部屋にいるのはロニアとイリック。残りの二人は仲良く入浴中だ。


「ドラゴンがいるみたいで、それを刺激しないために……、だったかしら?」

「へ~。そんなところにもいるんですね。確か、ビサラ山脈とルワミリ島にもいるんですよね?」

「ええ、そうみたい」


 トリストン大陸にはドラゴンが生息している。

 しかし、表舞台に現れることは滅多になく、目撃例は極めて少ない。百年に一度見れるか見れないか、そんな存在だ。

 それでも一度暴れだしたら人間の手には負えない。過去、いくつもの村がドラゴンによって滅ぼされたという事実が存在する。

 北の地にはドラゴンが生息している。

 かつて、青いドラゴンが北から現れ、デフィアーク共和国やサラミア港の前身、サラミア村に大打撃を与えた。

 それを期に北の地は禁止区域として扱われるようになる。三百年前の出来事だ。

 他にも、ビサラ山脈とルワミリ島のモナーチ山脈にドラゴンが確認されている。

 すなわち、確認されているドラゴンは三種類ということになる。


「倒したらどのくらいのお金もらえるんですか?」

「たお……知らないわよ、そんなこと。そもそもウォンテッドモンスターのように懸賞金なんかかけられてないわよ」

「な~んだ」


 イリックはベッドに倒れこむ。


「ドラゴンがどのくらいの巨体か知らないで言ってるんでしょうけど、あれはもう軍隊が出張らないとどうにかできる存在じゃないわよ? 大人しく諦めなさい」


 ロニアの追撃がイリックを腐らせる。お金になるなら倒してもいいのに、と企んでいたがどうやら甘い考えだったらしい。


「どうぞー!」


 ネッテとアジールが風呂からあがる。

 日中は冷えたからか、ネッテは非常に生き生きとしている。


「こういう旅の仕方もありだね!」

「うん」


 ネッテとアジールの言いたいことはわかる。野営するのではなく、夜はテレポートで戻って宿に泊まる。翌日の再開はもちろん昨日進んだ場所から。

 こんなことはイリック達にしかできない。

 しかし、欠点もある。

 テレポートは大量のマジックポイントを必要とする。

 夜、町に戻る際、マジックポイントが足りていない場合、一本。

 朝、再開地点まで移動した直後にもう一本。

 一本ないし二本のマジックポーションを必要とする。

 朝のテレポート後は飲まなくてもいいかもしれない。そこが安全な場所であり、数時間は自分達の身に危険が及ばないのならそれもありだ。歩き続けたとしても、昼食を食べる頃にはマジックポイントも回復している。

 しかし、今回はそうはいかない。ロセロン雪原は敵陣だ。いつ何が起きるかわからない。常にテレポート分のマジックポイントは確保しておかなければならない。


 マジックポーションは一本一万ゴールド。ありえない程高額だ。

 ピンキリだが、宿の宿泊費が四人部屋で二百ゴールド前後。

 マジックポーションと合わせて一万二百ゴールド。こんな大金を毎日支払っていたらあっという間に破産だ。

 ゆえに、こんなことはマジックポーションを支給してもらえる今しかできない芸当だ。

 ロニアが風呂からあがり、イリックも浴室に向かう。今日ほど熱い湯船が気持ち良いと感じたことはない。このまま寝てしまいたいが、大人しく出てから眠る。


「前にも訊いたけど、サソリ女が出てきたらイリックが相手するのよね?」

「はい」


 ロニアの問いかけにイリックは体をポカポカさせながら、さも当然のように答える。

 サソリ女。スコルピオンのカンペ。

 合同調査隊に選ばれた先鋭の軍人達と次々と倒した四選の三位。

 奇襲とは言え、シャルロットにも手痛い傷を負わせるほどの強敵。

 イリックはこれの相手を一人で買って出る。

 理由は二つ。

 相手がサソリなら負ける気がしない。

 そしてこちらが重要だ。上半身は人間。というか女性。そして裸。間近で見たい。


「かっこいいー」

「だろ?」


 何もわかっていないネッテが目を輝かせる。

 イリックは本音を隠して胸を張る。

 アジールとロニアは何も反応しない。素直に感心していいものか、少々疑っている。


 後は寝るだけのまったりと時間。

 イリックはベッドの上でゴロゴロしながら三人を眺める。

 ネッテのグレーの髪は長い。普段は左耳の後ろあたりでぐちゃっと束ねている。サイドポニーと呼ばれる髪型だ。

 ロニアがネッテの新しい髪型を研究している。ポニーテールにしたり、ツインテールにしたり、ヒゲのように顔の前へ持っていったり。遊んでるだけだ。

 アジールはネッテの変化を堪能している。正面からビシッと眺めているが、注文をつけたり文句を言ったりはしない。愛でるだけで満足なのだろう。


「お兄ちゃんはどんな髪型がいいー?」

「う~ん」


 何でもいい。これは禁句だ。ネッテはおろか、ロニアやアジールからも非難されること間違いなし。経験則でわかっている。


「いつものが似合ってると思う」


 つまりどうでもいいのだ。とは言えない。ゆえに、無難な返答を選ぶ。


「見慣れてるってことを差し引いても、確かにサイドポニーはマッチしてるわね。見てないようで、きちんと見てるってことね」

「きゃー」


 ロニアが補足する。

 ネッテはうれしそうに体をくねらせる。

 張り合いがいのないイリックを放ったまま、三人はキャッキャと仲睦ましくじゃれあう。

 イリックは寝転んだままぼうっとそれを眺めるのだが、時折、ふともの凄い恐怖に苛まれる。今もまさに冷や汗が流れ出そうとしている。


 イリックは何度もこの三人を失いそうになった。

 運よく、という表現が正しいかはわからないが、ここまでなんとか切り抜けられた。

 それでも未だに忘れることはない。

 両手を失ったネッテ。

 棍棒で吹き飛ばされたアジール。

 血だらけで倒れるロニア。

 そして、ヘカトンケイルに潰されかけたネッテ。

 もっと強くなりたい。もっと力が欲しい。人並みな願いだが、そう思わずにはいられない。

 手っ取り早く強くなる方法はある。サウノ商業国で売られている最も高い片手剣と短剣を買えばいい。これでどんなモンスターの体も切り裂けるようになる。しかし、それだけでは足りない。

 例えば魔力とマジックポイント。どちらも貧相極まりない。

 例えば脚力。もっと速く走れるようになりたい。

 例えば腕力。どんな攻撃も受け止められるようになりたい。

 どうすればいいのだろう? もちろん知っている。日々の鍛錬を続けるしかない。さらに、モンスターを倒し続ければなおいい。


 この世界は不思議だ。素振りや筋肉トレーニング以外にも、モンスターを倒しさえすれば強くなれてしまう。理由も理屈も解明されていない。しかし、事実そうなのだ。

 ゆえに、冒険者は実力を磨くためにもモンスターと戦う。

 イリックは見回りでモンスターを倒し続けてきた。自分がどれほどかはわからないが、おかげで随分と強くなれたのかもしれない。場数は圧倒的に少ないネッテが強い理由はイリックにもわからないが。


 守りたい。この三人を。

 髪型遊びは終わったのか、今は三人の胸を互いに揉み合っている。

 とても幸せそうだ。

 イリックは窓の外を眺める。見える夜空は当たり前だが真っ暗だ。いくつもの星が輝いているのだろうが、ここからではよくわからない。

 決意を新たにイリックは眠ることを選ぶ。


(楽しそうな女性陣は飽きるまで遊んでくださ……おっぱい揉んでる!)


 イリックは目に焼き付ける。

 アジールの適度な胸がモニュモニュと歪む。

 ロニアの爆乳がえらいことになっている。

 ネッテの胸には興味ない。


 目に焼き付けたせいで、興奮してなかなか眠れなかった。



 ◆



 寒いものは寒い。昨日は耐えられたような気がするが、今日は心が折れそうだ。

 イリック達はロセロン雪原を歩く。

 天候は昨日より荒れている。空から降り注ぐ雪はまっすぐ降ってこない。唯一露出している顔にばしばしとぶつかる。雨ではないから痛くはないが、寒いことに変わりはない。

 一向は今日も朝から雪原をコソコソと北上する。

 モンスターには見つかりたくない。この悪天候が良い方向に作用してくれることを願って、イリックは雪を踏みしめる。

 救いがあるとすれば左側の崖だろう。これのおかげで多少なりとも雪から体を守れている。

 上を見上げても意味はない。その白さが崖上までの視界を遮ってしまう。


「うぅ……」


 さすがのロニアも声を漏らす。

 ネッテに至っては寒い寒いとうるさい。

 アジールは普段通り一切喋らない。無口な人間はこういう時も無口だ。実はそういうことではない。魔眼で寒さを感じないようにしている。

 歩き続けた結果、西の段差に続く坂道に辿り着く。

 ロセロン雪原には三つの平地が存在する。

 東の海沿いが最も低く、真ん中はまさに中間。西側、つまりヴァステム渓谷側が高い。

 ルークス洞窟からロセロン雪原に移動すると、丁度真ん中に辿り着く。左手の崖をそこから登ればけっこうなショートカットになるだろうが、壁のような崖を登るのは少々つらい。

 三つの丘はきちんと繋がっている。

 イリック達はついに西の平地への坂道に辿り着く。

 テレポートの転送先をここに上書きし、一行は北上を続ける。

 氷の洞窟。今日はそこを目指したい。

 ここまでは順調な旅路だと言っていいだろう。モンスターとの遭遇を避けられたのだから。

 しかし、それもここまで。

 ついに見つかってしまう。

 右前方から近づく足音。耳をすまさなければ気づけない程だ。シャリシャリというよりはドスンドスン、と。それでも十分小さい音だった。

 とは言え、その巨体を見落とすわけはない。

 ジャイアントが崖の近くまで歩いて来てしまった。

 イリック達に気づいていたというよりはたまたまな感じだ。それでも見つかったという事実には変わりない。

 イリックとネッテは戦闘体勢へ移行する。


「ネッテは右から」

「ガッテン!」


 兄妹は左右からジャイアントを挟みこむ。

 灰色の巨体は武器を持っていない。素手で戦う固体なのだろう。

 アジールがウォーシャウトを使用するため前へ出る。しかし、兄妹はそれを待たない。

 イリックは注意を引きつけるようにジャイアントの右腕を斬りつけながら正面へ。

 ネッテはそれとは対照的に背後へ周る。

 右腕の痛みを意に介さず、ジャイアントは右腕でイリックを掴みにかかる。


(う、強い)


 侮ってはいけない。この固体がそうなのか、ジャイアントがどれもこれくらい強いのかはわからない。少なくとも、目の前の巨体はただの雑魚ではない。自分達に一切怯まず攻めようとするその気迫と動きからイリックは察してみせる。

 イリックはピョンと後方へ跳ねる。掴まれたら危険だ。

 その隙にネッテが広い背中を両手の短剣で切り裂いていく。さすがにこれは耐えられないのか、悶えるように倒れこむ。

 イリックが最小限の動作で太い首を切り落とす。


「ふむ、一体ならどうということはないですね」

「そのようね」

「ぶい!」


 イリックは死体を見下ろしながら崖へ戻る。

 ロニアは周囲を見渡してモンスターの追撃に備える。

 ネッテはブイサインを作ってアジールに頭を撫でてもらう。

 倒すことはできた。しかし、ついに見つかった。死体が見つかるのも時間の問題だろう。そういう意味でも、氷の洞窟へ急いだ方がいいかもしれない。

 そこへ向かっていると思わせることができれば、イリック達の目的は読まれにくくなる。結果論だが、そういうことになる。

 北の地へは調査のために来た。

 モンスターがどれくらいいるのか?

 ロセロン雪原とヴァステム渓谷はどんな様子か?

 四人で、しかも数日で得られる情報などたかが知れている。それでもヴァステム渓谷に辿り着ければ、それだけで有益とも言える。

 相手の警戒具合はそれほど厳戒ではない。

 モンスターも溢れかえるほど存在しているわけではない。

 そういったことが推測できるからだ。

 イリック達は気を取り直して北上を再開する。

 しかし、たまたまなのか、密集地帯なのか、次々とモンスターと遭遇してしまう。いくつかはやり過ごすことができたが、全てでそうはならない。

 アーリマン二体。

 同時に二体ではなく一体ずつだったため、逃げられることも被害を受けることもなかった。一体はロニアの魔法で、もう一体はネッテが倒す。

 どちらの戦闘でもアジールのウォーシャウトが活躍する。それだけの戦技であり、有効性は非常に高い。


 そして午後四時。

 日が沈み出すその直前に一同は辿り着く。眼前には頂上が見えない岩山。その麓にぽっかりと横穴が開いている。


「わずかだけど、すごい魔力を感じるわ」


 ロニアにそう言わしめるということは、それ相応の何かがいるということだ。

 おそらくビンゴだろうと考え、イリックは足を踏み入れる。

 氷の洞窟。雪原地帯にひっそりと存在する未知の洞窟。

 追っ手が迫る前に避難するつもりで、先が見えない洞窟をグングン進む。

 洞窟の広さはそれほど広くない。ジャイアントが丁度収まる程度だ。床以外が丸みを怯えており、足元はさほどデコボコしていないためいくらか進み易い。

 先は見えないが、真っ直ぐな道がどこまでも続いている。風の洞窟を彷彿とさせる雰囲気だ。

 三十分後、それに気づいたのはロニア。こういう時はネッテのはずだが、今回はロニアの勝利だ。


「あれは何かしら?」


 ロニアが指差すのは正面。マジックランプの光は届かず、当然暗闇しか見えない。

 そんな中、ネッテも続いて気づく。

 おそるおそる前進すると、そこには青いもやもやした膜のようなものが壁のように道を塞いでおり、イリック達の行き手を遮る。

 明らかに自然物ではない。透き通っており、奥がぼんやりと透けて見える。暗い場所ゆえ遠くまでは見通せないが、マジックランプの光はわずかに透過する。


「結界ね。でも、ガーウィンスがこしらえた結界ではないわ。となると、氷の大精霊の仕業かも」

「つまり、ここから先には行けない、と?」

「ええ」


 ロニアの冷静な分析はイリックを落胆させる。

 それでも名残惜しそうに目の前の結界を眺める。その時、ふと思いついてしまった。


「ちょっと試していいですか?」

「何を?」


 ロニアの返答よりも先にイリックはテレポートの詠唱を開始する。

 テレポートは周囲の地点を転送先に登録することができる。ゆえに、透き通っている結界の奥にも移動できるような気がした。少なくとも、頭の中では転送先に登録することができた。


「あぁ、そういうこと。試してみ」


 ロニアが言い終わる前に詠唱が完了する。

 いつもの様に視界が一瞬黒く染まる。それはあっという間に終わり、次の瞬間には視界が正常に戻る。


「たら?」


 周りの景色は変わらない。肌寒く、暗い。周囲の壁は広くもなく、狭くもなく。

 しかし、結界は正面ではなく背後にある。

 奥に移動できたのか、テレポートに失敗して反転しただけなのか、よくわからない。

 感覚的には成功したような気がするが、確証のようなものは一切ない。


「何したのー?」

「できたかはわからないけど、テレポートで結界の奥に移動してみた……つもり」

「ほほう」


 ネッテがやっと察する。

 とにかく進んでみよう。ちょっと歩けばわかるはず。イリックの提案で四人は歩き始める。入り口が見えてくるか、他の何かが現れるか。それはまだ誰にもわからない。


「もし成功してたらなかなか画期的だったりします?」

「ええ。透けてる結界なら突破できてしまうのだから、いよいよあなたの存在は危険視されてもおかしくないわね」


 おおげさな。自分で訊いておきながら、ロニアの自論にイリックは小さく笑う。

 三十分。一時間。いくら歩いてもそれは見えてこない。

 三人は薄々気づく。

 ネッテだけは鼻歌まじりで何も考えずに歩いている。もしかしたら何か考えてるのかもしれないが、そうは見えない。

 テレポートは成功した。ほぼ間違いないだろう。なぜなら入り口が見えてこない。少なくとも三十分も歩けば真っ白い雪原に辿り着かなければおかしい。しかし、そうはならない。


「さて。マジックポーション飲んだ方がいいのかな?」

「そうでしょうね」

「じゃ、休憩しましょう」


 イリックの問いかけにロニアは首を縦に振る。

 先ほどのテレポートでイリックのマジックポイントはごっそり減ってしまった。現状のままでは、もう一度テレポートを使うことができない。

 不意なアクシデントやモンスターとの遭遇に備えて、イリックは腰を降ろしマジックポーションを飲み始める。

 そして驚かされる。どういうわけかリンゴ味だ。先日、味が欲しいと軽い気持ちでブラインに言ってみたが、どうやら叶えてもらえたらしい。


「どこまで報告した方がいいんですかね?」

「きちんと全部よ。今更隠してももう遅いわ」


 臆するイリックにロニアはズバリ言い放つ。

 氷の洞窟には結界がありました。

 テレポートで通過できました。

 人によっては卒倒しそうな事実だ。とは言え、確かに隠すのも今更感がある。そもそもコネクトをまだ伏せている以上、テレポートについては包み隠さず話した方がいいのだろうとイリックは納得する。


「コネクトって、いつまで黙ってた方がいいのかな~」

「あなたがその魔法を理解しきるまで、かしら?」

「理解?」

「私、その魔法は危険だと思ってるの。女の勘だけど」

(危険? 便利過ぎる魔法だとは思うけど……。考えたこともなかったな)


 イリックは一瞬黙るも、すぐに口を開く。


「副作用があるかも的な?」

「それは無いと思うのだけど、なんて言うのかしら? 未知過ぎるがゆえに、まだ何かありそうと言うか……」


 ロニアにしては歯切れが悪い。しかし、言いたいことはわかる。

 習得している本人ですら、まだコネクトについては理解しきれていない。気持ち悪いと思うのは当然だろう。

 気づけば再使用時間が縮み、効果時間が延びていた。

 言わば、魔法が成長している。

 一般的に、魔法は魔力が高まれば攻撃魔法の威力もそれに比例して増す。そういう意味では普通の挙動なのかもしれないが、だとしてもしっくりこない。

 イリックの魔力は高まっていない。しかし、コネクトの性能は向上した。なぜ? 他の現象に起因しているのだろうか? だとしたらさっぱりわからない。

 イリックは指折り数える。


「リンダさんの薬を飲んで習得した際は、魔法の名前も効果もわからなかった。デーモンと戦っている最中に突然使えるようになった。魔法なのにマジックポイントの消費がない。詠唱も必要ない。最近になって、使い勝手が良くなった」


 これで五つ。片手の指が全て折れてしまう。

 ロニアはいよいよ嫌そうな目を向ける。そんなのは魔法じゃない、と表情で語る。


(そんな目で見られてもなぁ……)


 イリックはマジックポーションの残りをいっきに飲み干す。これでマジックポイントは全快だ。

 この洞窟には何があるのだろう? そんなことを考えながら、一同は休憩を切り上げて再出発する。

 真っ暗な道の先に何が待っているのか。考えたところでわかるはずもないのだが、期待するように、怯えるように想像してしまう。

 この感情は冒険者だけの特権だ。それを全身で実感しながら、四人はマジックランプの光を浴びて歩き続ける。



 ◆



 肌寒さがいくらか緩和された頃合いだった。洞窟は突然の終わりを迎える。

 誰も予想できなかったため、一同は小さく息を飲む。

 うれしいと言えばうれしいが、それよりも戸惑いの方が大きい。

 防寒具を脱ぐほど暖かくはないため、イリックはフードだけをさっと頭の後ろにずらす。周りの風景をよく観察したいからだ。

 長かった一本道は終わりを告げ、新たな場所への合流を果たす。


「これは……」

「遺跡だわ」

「おお~」


 氷の洞窟は、見たこともない質感の石で作られている遺跡の内部に繋がっていた。

 イリック達は驚きの声をあげる。一人黙っているがいつものことだ。

 床も壁も天井も階段も、長方形に整えられたレンガのような形の何かで作られている。見た目こそレンガにそっくりだが、色は淡い紫だ。何より質感が異なる。石ならザラザラしそうだが、これに関しては柔らかいと錯覚させられる。もちろん、鉱石のように硬いのだが、明らかに異質な何かだ。

 イリックのようにロニアも壁に触れる。無言だが、驚きは隠せない。

 四人が今いる場所は廊下のように見える。左右にはそれぞれ階段が存在する。

 右は上り階段。

 左は下り階段。

 どちらが正解のルートか、そんなことはわからない。それでも決めなければならない。そして、それはリーダーの務めだ。


「それじゃ、右行ってみましょう」

「ガッテン!」


 イリックの提案に皆は従う。

 やがて廊下のような道が二手に分かれる。

 正面に進み、また階段を少し上るか、左に折れてみるか。その二択。

 今回は左を選ぶ。なぜなら、その先に灯りが見えたから。

 そして一同は息を飲む。

 廊下から一転して、広い空間が目の前に現れる。

 広間と呼ぶには広過ぎる。薄暗いせいもあり、奥行きを把握することも困難だ。天井は非常に高く、ギルド会館のそれよりも高いかもしれない。

 天井を支えていたのだろう。柱が何本か倒れている。

 探検だ、とは提案できない。なぜなら、モンスターがチラホラ存在している。

 白いコウモリ。

 体が石でできている青い巨体。

 どちらからもただならぬ威圧感が感じられる。

 コウモリも手ごわそうだが、問題は青い方だ。

 ジャイアントほどではないが、アジールよりも頭二、三個分はでかい。手足は細く、対照的に胴体は太い。しかし、腹付近でいっきに細くなり、腰付近から多少盛り返す。頭はないが首のような突起物は存在する。

 そして、全身は青い石でできている。青い時点で石ではなく別の金属なのだろうが、少なくともイリックには判断つかない。

 そんなモンスターがガキンガキンと歩いている。いかにスチールソードと言えども、斬りかかったら刃が欠けてしまいそうだ。それだけはよろしくない。こんなところで八万ゴールドを失いたくない。何より買ったばかりだ。

 白いコウモリに関しては、強そうだが見た目はシンプルだ。

 コウモリのモンスターは比較的オーソドックスなモンスターだ。動物のそれよりもいくらか大きいだけであり、通常はやはり黒い。

 主に洞窟やその付近に出現する。生息域によりマチマチだが、大人しい種類もいれば人を積極的に襲いもする。

 ここに生息する白いコウモリがどうなのかはわからない。わかることは一つ、モンスターとしての強さは決して侮れない。存在感がそう物語っている。


「イリック、どうするのよ?」

「ここは通り抜けられませんね」


 ヒソヒソと作戦会議が始まる。そもそもここへはモンスター調査のために訪れたわけではない。


「そういえば、テレポートの登録に来たんだった。氷の大精霊に会えばいいのかな?」

「知らないわよ。ある程度近づけば大丈夫だったりしないの?」


 ロニアに言われてイリックは頭の中で確認する。

 暗闇の中に輝く三つの魔法。

 キュア。

 コネクト。

 テレポート。

 イリックはテレポートを覗き込む。いくつもの転送先が存在している。

 サラミア港やデフィアーク共和国。こっちの集団ではない。

 もう一方。そちらには、風の洞窟ともう一つ、どこかで見たことのある雪原と横穴が浮かび上がっている。氷の洞窟だ。


「あ、もう登録されてました」


 タイミングはわからないが、氷の大精霊に対するテレポートの登録は成されているようだ。


「なによそれ。なら、帰る? 私としては、もうちょっと見て行きたいけど」

「見たい見たーい!」


 呆れ顔のロニアが調査続行を提案する。

 ネッテも右手をグイッグイッと上げて賛同する。


「それじゃ、広間は諦めてさっきの曲がり角を進みましょう」


 イリック達は一旦戻る。

 先ほどの二択では左を選んだ。今度はもう一方の道へ進んでみる。階段を上がり、無機質な廊下をグングン進む。

 数分ほど歩いた結果、白いコウモリが数体、立ちはだかるように廊下を飛んでいる。


「あれなら倒せるんじゃない?」


 ロニアはどこか楽観的だ。

 対照的にイリックは少々身構えてしまう。

 前方のコウモリは、羽を含めれば両手を広げたくらいの大きさだ。そのサイズはコウモリのモンスターとしては平均程度だが、どこか堂々としており、何より圧力のようなものを漂わせている。

 雑魚ではない。イリックはひっそりと警戒する。


「俺がや」

「任せてー」


 兄のやる気を空回りさせるように、ネッテがギュインと駆ける。

 近くを飛ぶ一体目を間髪入れずに両断する。その勢いのまま、二体目にもエイビスの刃を向ける。

 イリックの予感は当たる。白いコウモリは体を傾けて、振り下ろされる刃を避けてみせる。

 それでもネッテは怯まない。左手の短剣はまるでこのことを予期していたかのように動く。空を斬った右手と入れ替わるように、左手のビーニードルが左から右へ走る。胸の前で十字を切るように両腕を振りぬき、その結果、白いコウモリは冷たい床に落下する。


「ふむ……。ネッテのせいでモンスターの強さがわからん」


 うれしい悲鳴ということにして、一同はその先を目指す。

 廊下は直進が続く場所もあれば、ゆっくりと曲線を描きながら折れることもあり、薄紫色を保ったままどこまでも続く。

 やがて、先ほどの広間ほどではないが、宿屋の一室よりは広い空間に辿り着く。何があるわけでもなく、通って来た道ともう一方の道に繋がっているだけだ。

 イリック達は進むことを選択する。

 すぐに次なる広間に辿り着くも、やはり何があるわけでもなく、新たな廊下が伸びているだけ。当然、イリック達は歩みを止めない。

 短い道を進むと、三度狭い何もない空間に辿り着く。もっとも、今回ばかりは先客がおり、イリック達は慎重に廊下から様子をうかがう。

 青いゴーレムが一体だけポツンと陣取っている。倒せるかもしれないが、ここで危険を冒す必要はない。


「このあたりが限界ですかね?」

「そのようね」


 イリックとロニアが結論を出す。ネッテがブーブー言っているが無視する。


「ところで、大精霊の魔力は感じたりするんですか?」

「ええ、もちろん。この遺跡に着いてからはけっこう色濃く伝わってくるわ。上なのか下なのかはわからないけど、けっこう近くにいそうな感じよ」

「へ~」


 イリックは感心する。同じ魔法使いとして、こういうことでも才能の違いを見せつけられる。

 これ以上の進軍は硬そうなモンスターとの戦闘に発展するかもしれない。ゆえにイリックとロニアは前の広間へ戻ろうとする。テレポートで戻るにしろ、作戦会議を行うにしろ、廊下で、しかも比較的近くに青いゴーレムがいるこの状況でしたくない。

 一方、ネッテとアジールは廊下から覗き込むようにゴーレムを観察する。


「大きいねー」

「うん」

「青いねー」

「うん」

(何て非生産的な会話……。普段からこんな会話を繰り広げての? 明らかにアジールさんの知能レベルが十歳くらい減退しているような……。ネッテが周囲にこんな悪影響をもたらすとは……。おそろしい妹だ)


 イリックはアジールの心配をしながらも来た道を戻る。


「あ、なんか来た」

「うん」

「こっち来るねー」

「うん」


 ネッテとアジールの緊張感の欠片もないやり取りがイリックを心底驚かせる。


「おい! 危ないからこっちに戻ってきなさい!」


 本当は叫びたいのだが、場所が場所ゆえ、イリックは声量をこれでもかと絞って訴える。

 イリックの願いが通じたのか、もしくは普通に声が聞こえたのか、ネッテとアジールがイリック達の元とへ駆けてくる。


「来たー」

「わー」


 緊張感のない二人の背後から、何かがかなりの速度で接近してくる。


「せ、戦闘準備!」


 イリックは背中のスチールソードを迷いなく引き抜く。

 ネッテとアジールを追うそれは、全くもって見た事のないモンスターだ。

 機械。電気が存在しないこの世界においても機械は存在する。マジックアイテムの一つ、時計も言ってしまえば機械の一種だ。巨大なものだと機船が該当する。

 そのモンスターは機械のようだ。しかし、同時に人間のようにも見える。

 顔だけは肌色。しかし、耳や顎、そしてそれ以外の全ての部位が機械にしか見えない。この遺跡に生息するゴーレムは青い石そのものだったが、目の前のモンスターは白だのグレーだの赤だので組み合わされた機械そのものだ。

 姿形は人間の女性に近い。胸は膨らんでおり、腰は細く、尻は適度な大きさだ。太ももがアジール以上に太いが、膝から下は随分と細い。

 背丈はアジール以上。随分高い。腰や膝、手首、そういった関節部は上下ないし前後のパーツと独立している。

 顔は明らかに女性のそれに近い。近いだけで目はやはり機械のそれだ。背中まで届く赤い髪も人間を真似ただけの別物だ。

 そして、走るというよりは足の裏で滑るように追いかけてきている。


「侵入者ヲサラニ発見。迎撃スルデス」

「喋ったー!?」

「うぐぅ」


 イリックが驚く横でロニアは倒れる。こんなデタラメなモンスターが現れた時点で脳がパンク寸前だった。その上、言葉を話した。思考が停止しても仕方ない。

 ネッテとアジールは広間に到着すると、それぞれ左右に分かれる。危機的状況なのだと察知しており、迎撃するための一手目だ。

 二人が用意した道をイリックが突き進む。

 相手の強さなど分析している場合ではない。イリックは素早くスチールソードーを振り下ろす。

 ギィン。甲高い音が鳴り響く。イリックの斬撃は左腕であっさりと受け止められてしまう。

 肌色ではない腕は金属の装甲で守られている。もっとも、今の人類ではこれが何なのか、解明することすらできない。

 わかることは一つ。

 スチールソードは通用しない。奮発して購入した武器にも関わらず、眼前の機械人間には傷一つつけられない。

 呆けるイリックに機械の手が迫る。掴まれたらやばい。イリックは直感的にそう理解する。迫り来る手首を左手で掴み、相手の胴体を蹴って一旦後方に下がる。

 イリックと入れ替わる形でネッテが床すれすれから短剣を振り上げる。リンダから譲り受けたエイビスが相手の足に傷を付ける。

 反撃とばかりに固そうな拳がネッテに襲い掛かる。しかし、ネッテは上半身を左右へ振り回し連打を回避する。

 スチールソードが通用しない以上、ネッテに任せた方がいいのだろうか? イリックの頭にそんな考えがよぎるが、すぐに振り払う。兄として、それは了承できない。

 イリックは相手を観察する。モンスターと呼んでいいのか、それすらもわからないそれをじっと見つめる。

 顔だけはもろそうだ。なぜなら人間の肌を再現しているように見える。肌色な上に、顔の作りも女性そのものだ。もちろん、部位を一つずつ眺めればやはり機械による代替品に過ぎない。

 攻撃手段は殴る蹴るを主体とした格闘戦。全身を使わず腕や足だけの力で相手を倒そうとしている。機械の力ならそれで十分なのだろう。

 ネッテもさすがだ。相手から離れず、要所要所で反撃しながらもきっちり全て避けてみせる。


「侵入者ヲ排除シマス」

「ふんがー!」


 モンスターもどきとネッテの攻防は続く。傍からは互角のように見えるが、イリックはネッテが有利だと分析する。


「ウォーシャウト」


 そしてアジールが加勢する。だからと言って迂闊には近づかない。ウォーシャウトを使うだけで十分ネッテのサポートになる。ゆえに出しゃばらずにモンスターもどきの接近に備える。


「戦技ヲ使ウトハ驚キデス」


 モンスターもどきが驚く。

 イリックも驚く。知能があると今の発言から理解させられた。


「俺達は侵入者じゃないんですけど。そろそろ帰るつもりなんですけど」

「アナタ達ハ侵入者デス」


 会話が成立する。一生賢明戦っているネッテとアジールを横目に、イリックは会話の継続を試みる。


「そろそろ帰るので見逃してもらえませんか?」

「問答無用デス」

「少しだけ待ってくれませんか?」

「待チマセンデス」

(うーむ、普通に会話ができるな……。状況は進展しないけど)


 意思疎通は可能だが、イリックの要望までは受け入れてもらえない。


「ぐっ!」

「キュア。あんたはモンスター? それともそういうのとは別の何か?」


 モンスターもどきが繰り出したパンチは一撃でアジールを壁まで吹き飛ばす。

 イリックは間髪入れずキュアでアジールを回復する。たいしたダメージではないだろうと予想するも、マジックポイントは余ってるため回復しない理由もない。


「私ハ、トゥルルガーディアン。トゥルルヲ守護スル存在デス」


 この発言から、イリックはこれがモンスターではないと判断する。そもそも見た目は機械であり、およそ生物には見えない。


「トゥルなんとかさんはいつからこういうことを?」

「二百九年前カラ継続シテイマスデス」

「俺達のことを侵入者呼ばわりしてるけど、あっちこっちにモンスターいるんだけど」

「彼ラハ私ガ目覚メタ時カラ存在シマシタ。ユエニ侵入者デハアリマセンデス」


 律儀に返答してくれるため、イリックは質問を投げかけ続ける。もっとも、何を言っているのかはわからない。ロニアを当てにしたいが、今は気絶している。

 倒してもいい。しかし、冷静に考えると倒す理由もない。襲われているのだからそれだけでも十分なのかもしれないが、侵入者である自分達が悪いのかもしれない。イリックはそう結論付ける。

 ここは大人しく撤退する。そもそも目的は果たせている。今は北の地の調査中ゆえ、これ以上厄介ごとには巻き込まれたくない。既に襲われているが、それは棚に上げる。


「それじゃ、テレポートで逃げよう。二人共、十一秒間でいいから耐えて」

「ガッテン!」

「うん」


 二人の返事と共にイリックはテレポートを詠唱する。こんなところで油を売っている場合でもない。サウノ商業国でブラインに今日の報告をしなければならない。

 テレポートの詠唱は十一秒もかかる。気長に待つしかない。ゆえにイリックは、詠唱しながら二人の戦いっぷりを観戦する。

 気絶しているロニアは当然だが、奮闘中のネッテとアジールもきちんとテレポートの範囲内だ。戦っている最中であろうと、イリックが認識した人物は漏れなくテレポートに巻き込める。

 三秒、四秒、と詠唱が進む中、トゥルルガーディアンに異変が起きる。攻撃の手を止め、イリックをじっと見つめる。


「アナタ様ハ……、マスターデスカ?」


 意味はわからないが、イリックは一旦詠唱を中断する。なによりトゥルルガーディアンは既に構えを解いている。


「マスター? ただの冒険者です」

「ソノ魔法ハマスターノ魔法デス。アナタ様ガマスターデス」


 トゥルルガーディアンが態度を急変させたため、ネッテとアジールも攻撃の手を止める。


(これはあれだ……。俺の手には負えん!)


 イリックは泡を吹いて倒れているロニアの体を起こし、背後から活を入れる。本当なら胸を揉んで起こしたいところだが、いかんせん仲間が二人見ている。


「はっ! 私ったらいったい」

「この子とお話してください。俺には無理です」

「この子?」


 目覚めたロニアが目を丸くする。イリックはトゥルルガーディアンを指差し、対応を任せる。デスデス言われてもよくわからない。


「モンスターじゃないの?」

「どうも違うようです」

「トゥルルガーディアンデス」


 そしてロニアとトゥルルガーディアンの話し合いが始まる。

 この機械仕掛けの女の子はトゥルルガーディアンと命名されている存在らしく、ここ、トゥルルを守るために作られたらしい。

 しかし、誰に作られたのか、いつ作られたのか、ここがどんな場所なのか、そういったことまでは把握できていない。最低限の情報だけをインプットされたからだ。

 エネルギー源はここに充満する魔力。それを体内に吸収、蓄積し、活動する。

 イリック達を襲った理由は侵入者だから。

 およそ二百年前に起動して以来、侵入者は初めてらしい。氷の洞窟に結界が張ってあったのだ、当然のことだ。

 その辺りを闊歩しているモンスターは二百年前から存在したため、侵入者という認識からは除外される。

 ではなぜ侵入者であるイリック達への攻撃を止めたのか? それはイリックのテレポートに起因する。

 テレポートは古代人が編み出し、運用していた魔法だ。

 テレポートは他の魔法とはやや異なる毛色の波動を放つ。言うなれば、古代人特有の匂いが立ち込める。

 トゥルルガーディアンには次のような情報がインプットされていた。

 起動後、初めて出会えた人間を主と定め、仕えよ、と。ここで言う人間とは古代人であり、今を生きる人類とは別種である。

 逃走のためにテレポートの詠唱を開始したイリックを、トゥルルガーディアンは主として認識する。

 へ~、そうなんだ、とイリックはロニアとトゥルルガーディアンの会話を分かる範囲で租借する。

 ネッテとアジールは音を上げたのか、トゥルルガーディアンの体を見つめたり撫でたりして遊んでいる。


「傷だらけにしちゃってごめんね~」


 ネッテがトゥルルガーディアンの切り傷にそっと指を這わす。スチールソードではまともな傷すらつけられなかったが、ネッテのエイビスは浅いなりにも裂傷を付ける。装甲のあちこちにそんな傷が出来上がっている。


「イエ、大丈夫デス」


 トゥルルガーディアンの体が淡い光に包まれる。白く、透き通った光はまるでキュアのそれにそっくりだ。

 発言通り、その光が全身の傷を徐々に癒していく。


「おお~」


 傷の治り具合にネッテが声をもらす。イリックも驚きのあまり声をあげそうになったが、冷静に考えてみたらこの子の存在はもっと驚きだ。


「マスター、契約ヲオ願イシマスデス」

「契約?」

「ハイ。手ヲコチラニ。ソシテ魔力ヲコメテクダサイデス」


 コチラニ。トゥルルガーディアンが自身の小さな胸に手を添える。


(おっぱい触っていいんですか!?)


 イリックは目を見開いた後、小さく咳払いをする。


「いや~、なんのことかわからないけど、それじゃ仕方ないな~」

「顔緩んでるわよ」


 ロニアのつっこみは気にしない。イリックはトゥルルガーディアンの目の前に立ち、言われるがまま手を伸ばす。相手は機械。これは契約。自分にそう言い聞かせる。その内容まではさっぱり理解できていないが。

 いやらしいことをするわけではないが、妙にドキドキしてしまう。


「兄上! 何してる!」

「ぶほっ!」


 イリックの視界が突然暗くなる。ネッテが顔に飛びついたからだ。


「聞いてなかったのか? 契約だよ契約」


 契約の意味などこれっぽっちもわかっていないが、イリックは堂々と言い切る。


「だからってなぜおっぱい!」

「それは知らん」

「コノ部位ニ触レナガラ魔力ヲ送ルト契約ガ完了スル仕組ミニナッテイマスデス」


 そういうことだ。


「胸じゃないといけないの?」


 ロニアの問いかけにイリックは青ざめる。余計なことは言わないでと心の中で叫ぶ。


「ハイ。詳細ハ知リマセンガ、私ハソウ作ラレテイマスデス」


 この発言でイリックは理解する。

 トゥルルガーディアンは美人だ。身長は妙に高いが、スタイルは良く、眺めているだけでもどこか扇情的だ。

 そして、契約方法は胸を触る。

 古代人も自分も変わらない。男なら追い求めて当然だ。それが機械であろうと、そうすることができるのなら、そうしない理由がない。

 時代は移ろうとも、男は男。そういうことだ。


「ふ、考えるまでもなく当然の帰結だな。これこそ男のロマンだ」

「うわ、なんとなくわかっちゃった」


 ロニアがドン引きするが、イリックは怯まない。顔に張り付くネッテを引き離し、むんずと穏やかな曲線を描く山脈に手を伸ばす。


(あぁ、やわら……硬い! カッチカチ! 明らかに設計ミスだぞこれ! この部位は柔らか素材を使わんかーい!)


 ビックリするほど硬かった。


「魔力ヲ送ッテクダサイデス」

「ど、どうやって?」

「キュアを使えばいいんじゃない?」


 イリックはロニアのアドバイス通り、キュアを唱えてみる。なぜか発動しない変わりにマジックポイントがみるみる吸われていく。


「ぎゃー! 帰りのテレポート分がいっきに消滅した!」

「認証完了。コレデアナタ様ヲ正式ナマスタート認識デキマスデス」

「そ、そうですか……。ところでその行為に何か意味はあるんですか?」


 トゥルルガーディアンの前でイリックは崩れ落ちる。マジックポイントの急激な消耗はスタミナ切れのような症状を引き起こす。全力疾走後のような脱力感がイリックを襲う。


「今後ハマスターノ命令ニ従イマスデス」

「へ~」


 そう言われてもよくわからない。イリックはマジックバッグからマジックポーションを取り出し、チビチビと飲み始める。先ほど飲んだばかりであり、非常にしんどい。

 ふと違和感を感じる。頭の中を覗きこむと、コネクトに異変が起きている。さらに凝視すると、それが何なのか、すぐに気づかされる。

 効果時間がさらに延びている。百二十秒から百八十秒へ。どういうことだ? なぜこのタイミングで成長する? 考えたところで到底わからない。きっかけがあるとしたらトゥルルガーディアンとの契約くらいだ。


「イリック、何か命令してみたら?」

「ん? じゃあ、ジャンプしてみて」

「ハイ」


 ピョーン、ドスン! トゥルルガーディガンの上半身が、硬そうな天井に突き刺さる。下半身だけぶらさがっているこの光景はシュール過ぎてもはや何も言えない。


「おもしろーい」


 ネッテは笑っているが、他の三人は呆れる。


「契約なんかしちゃったけどどうするつもりよ?」

「え? 別に」


 ロニアが当然のことを口にするが、イリックは未だに状況を飲み込めていない。胸を触りたかっただけだ。


「とりあえず降りてきたらー?」

「降リラレマセンデス」


 ネッテとアジールが下から引っ張って引っこ抜こうとするも、なかなか困難のようだ。


「契約がどこまでの効力を持つのかはわからないし、それももう少し訊いてみましょう」

「お願いします」


 小さく息を吐くロニアを尻目に、イリックは座り込んだままちびちびと今日三本目のマジックポーションを飲む。リンゴ味と言えども、一リットル以上は普通にしんどい。

 ドシーン! ギャー! そして抜ける。

 ネッテとアジールが下敷きになったが、二人共死んでいないため、トゥルルガーディアンはそれほど重たいわけではないらしい。

 

「重さ何キロ?」

「百七十キログラムデス」

(あぁ、重いね……)


 イリックは自分で訊いておきながら、その重量に小さく震える。

 そして、再びロニアとトゥルルガーディアンの質疑応答が始まる。

 契約はトゥルルガーディアンにとって必要な認証行為らしい。

 今までは、トゥルルの警備と質問への受け答えしか行動を許されていなかった。

 主を見つけ、契約を成立させることでトゥルルガーディアンはより多くの行動を可能とする。

 本来ならば、ここに住む古代人から警備以外の雑事を任されることを想定して作られたのだろうが、残念ながら彼らの多くは既に滅んでいる。少なくとも、ここにはいない。モンスターが徘徊していることからも、何よりトゥルルガーディアンがまだ主を見つけられていなかったことからもそう予想できる。

 契約が成立した今、このトゥルルガーディアンはイリックを主と認識し、イリックの命令なら何でも従う。


「ふーん。おっぱい触らせてとか言っなんでもないですごめんなさい」


 女性陣からものすごい形相で睨まれた。


「でも、あなたってここから出られないんでしょ?」

「イエ、魔力ヲ供給シテモラエルナラ、ドコヘデモツイテイキマスデス」

「あら、それはすごいわね。ちなみに魔力ってどれくらい? さっきイリックから吸った量で事足りたりするの?」


 そう。トゥルルガーディアンは魔力供給、正確にはマジックポイントさえ供給してもらえれば、人間のようにどこにでも行ける。


「マスターカラノ供給量ハ四十八時間ノ稼動ヲ可能トシマスデス」

「あんなに吸っておいて二日分って……」


 その重たさにイリックは呆然とする。百七十キロという意味ではない。


「この子の名前はなんて言うの?」


 ネッテが話の腰を折る。


「トゥルルガーディアンよ。ここ、トゥルル遺跡を守る者って意味なんでしょうね」


 ロニアの説明にネッテはおお~と声をあげる。

 ちなみにここはトゥルル遺跡ではなくトゥルルなのだが、ロニア達にとっては遺跡でしかないため、ここの名称はトゥルル遺跡として伝わることになる。


「じゃあ、トゥルルちゃんね!」

「あら、かわいいわね」

「それで」


 ネッテの提案にロニアとアジールも賛同する。


「トゥルル……。アリガトウゴザイマスデス」


 トゥルルガーディアンもうれしそうだ。


「それで、イリックどうするの?」

「え? 何がです?」

「この子を連れていくかどうかってことよ」


 ロニアの問いかけにイリックは目を丸くする。そんなことは考えもしなかった。なぜなら……。


「トゥルルはここを守るんじゃないの?」

「ハイ」


 そういうことだ。やるべきことがあるのだから連れ出すつもりは毛頭ない。


「そう。それが一番かもしれないわね」

(だけど、ここに守るべきものが残っているとは思えないけれど……)


 ロニアは納得しつつも内心では疑問視する。トゥルル遺跡は既に機能していないように思える。何より、古代人はもう残っていない。モンスターが徘徊しているだけの遺跡を守ることに意味があるのだろうか?

 そんなことを考えてしまうが、古代人やトゥルルの価値観などわかるはずもなく、今回もイリックの決断を尊重する。


「それじゃ、命令する。君はここに残って今まで通りここを守るんだ」

「カシコマリマシタデス」


 立ち上がりそう指示するイリックにトゥルルははっきりと答える。これでいいのだ。そう疑いもせずイリックはテレポートを唱え始める。


「またねー」


 ネッテが手を振る中、その場から四人の姿は消えてなくなる。

 一人残されたトゥルルは、四人の残像をしばしの間眺めるも、来た道をゆっくりと戻っていく。

 初めて経験する喧騒はあっという間に過ぎ去り、トゥルル遺跡は今まで通りの静けさを取り戻す。


 トゥルルにとって、ここは物足りない空間になってしまう。

 それでもマスターの言いつけを守り、ここを守るために警備を再開する。理由などない。そうしろと指示されたからだ。



 ◆



 もはや日課となったサウノ宮殿での報告においても、その後の夕食でも、話題の中心はトゥルルだ。

 サウノ防衛隊のブラインもイリックのように両手を挙げて降参する。この件は俺には理解できない、と

 煉獄のモンスターに見つかり、戦いに発展したことについては仕方ないだろうと納得してもらえた。

 酒場でも四人はトゥルルについて話す。

 自分達のようにご飯を食べるのだろうか?

 案外強かった。

 自己回復できるのだから倒すのは困難かもしれない。

 そして、一人で寂しくないのか?

 アジールとロニアは疑問を抱いている。なぜイリックはトゥルルを仲間に引き入れなかったのか?

 自分達の時のように、あっさりとパーティに加えると思っていた。

 トゥルル遺跡を守るという使命があるためそれを尊重した? 確かにそうなのだろう。しかし、それだけとも思えない。

 そんなことを考えながら、二人はイリックとネッテのやり取りを眺める。


「トゥルルが強かったのはわかるけど、もうちょっと戦いようがあったろうに」

「だって強かったじゃーん」

「才能だけで戦うなって言ってるんだよ。結果的に倒せなくてよかったんだけど、もうちょっと考えて戦うように」

「もう、すぐそれ言うー」


 兄妹の見慣れたやり取りだ。

 イリックはことあるごとにネッテの戦い方を批判する。

 ネッテは才能にあぐらをかいた高い方をしているとイリックは見抜いており、これはあながち間違いではない。ネッテの戦闘経験はイリックと比べると非常に少ない。それが原因で、イリックにはネッテの戦い方は危うく見える。

 自分とは違い人間離れした才能を持っているのだから、もっと戦えるだろうとネッテに過度な期待を寄せている。


「ネッテはよくやってたと思うよ。私はすぐやられちゃったし」

「ほらー、アジールさんも言ってるよー」


 うぐぅ。アジールかロニアが加わるとイリックは黙るしかない。女性に口で勝てるとは到底思っていない。ネッテは別だが。

 ロニアは前々から不思議に思っていた。

 なぜ、イリックはネッテの戦い方に腹を立てるのか?

 イリックは基本怒らない。イラつくことも少ない。しかし、この件に関してだけはほぼ毎回指摘する。

 アジールとロニアから見て、ネッテのパフォーマンスは抜群に優れている。イリックの言う通り、人並み外れた才能の持ち主だからこそできる戦い方をしているように見える。

 二人からすれば、それでいいと思えてしまう。しかし、イリックにはそれが気に入らない。

 なぜか。嫉妬している? それはない。なぜなら、こういう言い方をするとイリックは反論すると二人は知っているが、ネッテよりもイリックの方が強い。ゆえに、嫉妬する必要はない。

 ネッテのような戦い方はできないらしいが、堅実な強さでネッテを上回っている。

 では、どんな理由があるのか? 単純にネッテを心配しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。それはまだわからない。


「寂しがらないように、たまにトゥルルちゃんに会いに行こう!」

「うん」


 ネッテの提案にアジールが頷く。

 え~、とイリックが嫌がると女性陣はビックリしたような顔を向ける。その反応は想定していなかったからだ。


「イリックってトゥルルちゃんのこと嫌いなの?」

「そんなことはないですけど……」


 ロニアはつい訊いてしまう。なぜトゥルルを仲間に加えなかったのか、それについても確認したい。

 言い淀むイリックだったが、三人の視線に観念したのか、再び口を開く。


「だって人間じゃないんですよ? モンスターでもないとしても、どちらかと言えばそっち側みたいですし」


 そう。イリックはモンスターやそれに近い存在に心を開くつもりはさらさらない。風の洞窟で助けてくれたピクシーやテレポートをくれた風の大精霊は特別だが、それ以外の存在は敵か敵ではない何か程度にしか思えない。

 しかし、イリックは矛盾した考えを内包しており、本人も若干戸惑っている。

 それは、デーモンやトゥルルのような、外見が女性に近い存在には、おもいっきり劣情を抱いてしまう。

 デーモンの適度な膨らみの胸は今でも目に焼きついている。

 トゥルルの胸にもドキドキした。硬かったが。

 親しくなれる自信はないが、性の対象としてなら見ることができる。ダメな男だとイリックも自覚している。


「ふ~ん。案外普通だったわね。まぁ、確かにそれが普通なんでしょうけど」


 ロニアも我に帰る。

 女性の顔。

 女性らしい体つき。

 そして、きちんとした受け答え。

 そういったことから、トゥルルを受け入れかけていた。しかし、イリックの言う通り、あれは人間ではない。せいぜい、生を伴った人形でしかないのだろう。そう結論付ける。


(でも、感情のようなものを持ち合わせていそうなのよね……。テレポートで帰る際、どこか物悲しげに見えたのは、気のせいだったのかしら?)


 運ばれてきた魚料理にがっつくイリックを見ながら、ロニアは思考の海に沈む。

 一方、ロニアとは全く違うことを考えているのがアジールだ。トゥルルとの戦いで、アジールは予想以上に貢献できなかった。足を引っ張ったとさえ思い込んでいる。


「イリックはトゥルルとの戦いで、ネッテに何点付ける?」


 無口なアジールに突然話しかけられると、イリックは今でも硬直してしまう。そろそろ慣れたいのだが、まだ時間はかかりそうだ。


「う~む、四十点くらい?」

「ひくーい!」


 辛口な採点にネッテがブーブー言い出す。やかましい、と骨付き鶏肉を口に突っ込んで黙らせる。


「それじゃ、私は?」


 アジールの問いにイリックは黙り込む。

 ロニアは気絶していたため、戦いの様子を知らない。傍観者を決め込んでサウノ風サラダを口に運ぶ。

 トゥルルとの戦いにおいて、アジールがしたことは限られる。

 ネッテをサポートするため、ウォーシャウトを使って注意を引き付けた。

 迫り来るトゥルルの攻撃を盾で何発か防いだ。

 最終的には打撃で吹っ飛ばされる。そしてイリックに回復してもらう。


「うーん……、六十点?」


 とりあえずネッテより高い点数を付けてみる。根拠はない。


「私より高ーい! いいな~」

「どうして六十点?」


 鶏肉を食べ終えたネッテが再びブーブー言い出す。

 アジールはアジールで追求する。

 イリックは冷や汗を流しながらそれらしいことを言おうと頭を捻る。


「盾役として、攻撃のチャンスをきちんと作ってくれたから、かなぁ」

「でも、すぐにやられた。ネッテはずっと戦って、私より活躍してた」


 アジールが珍しく食い下がる。

 ネッテは状況を理解できずブーブー言うだけだが、さすがにロニアは気づいてしまう。


「ネッテはまぁ、攻撃役ですし、あれくらいはできて当然ですから……」


 イリックの笑顔がドンドン引きつる。


「私は期待されてないの?」


 ロニアは悟る。イリックは地雷を踏んでしまった。自分達はここまでかなり和気藹々と過ごせてきたが、ついにこの空気を経験することになってしまった、とこの状況から察する。


 冒険者はパーティを組む。組まない者も少なからずいるが、多くはパーティを組む。そして、最終的には喧嘩、意見の食い違い、誰かの脱退等の理由で解散する。

 これは避けられないことだ。パーティは家族ではない。他人の集まりだ。家族ですらバラバラになることは珍しくない。他人ならなおさらだ。


 アジールは考えていた。もっと強くなって三人に貢献したい、と。

 しかし、まさか期待されていないとは思ってもみなかった。

 イリックのつけた六十点は、ネッテのそれよりも高い。ほとんど活躍していないにも関わらず。

 ネッテはもっとやれるんだからがんばれ。

 アジールは何もできないんだからウォーシャウト使ってくれればそれだけでいい。

 まるでそう言われていると解釈する。


「き、期待とかそういうのは……」


 イリックは困惑する。

 期待する。すなわち、仲間をあてにすること。成長を見越して応援すること。

 そもそもイリックは仲間に対して期待などしたことがない。

 そんなことをしていいのだろうか? 今できることをできる範囲でしてくれればいいと思っている。これがイリックの自論だ。

 例外はネッテくらい。妹な上、実力や可能性を十分わかっている。ゆえに、期待してしまう。

 アジールやロニアの実力は把握できているつもりだ。しかし、将来性までは掴めていない。

 何より、仲間である以上、現状に満足できていればいいのではないか?

 今の実力には満足できないけど成長したらここまで強くなるだろう、ということを見越してパーティを組む冒険者などいるのだろうか?

 イリックの場合、実力がどうこうでアジールとロニアを仲間に引き入れていない。縁があったから。それだけだ。強い弱いはどうでもいい。

 ゆえに、期待しない。現状のままでいい。今で満足できてしまう。

 このことを見抜いているのはネッテくらいだ。ゆえに、このやり取りの意味が把握できていない。


「私もやさしくして欲しいな~」

「どういう意味?」


 ぽろっと本音を漏らしたネッテに対してロニアが質問を投げかける。イリックはネッテに対してやさしく接しているように見える。ゆえに今の発言は意味がわからない。


「お兄ちゃんは今のロニアさんとアジールさんを受け入れてるけど、私だけはまだダメって言うんだよー。いけずー」

「それは私達を戦闘では当てにしてないってことじゃないの?」


 ロニアの辛口さが今はひたすら痛い。イリックはもそもそとサラダをつまむ。そういうことじゃないんだけどな~、と弁明できる空気ではない。


「お兄ちゃんは他人に頼れないから、そうなるのかな~。あ、でも! ご飯とかは任せっきりだよねー! 変なの」


 自分で言っておきながら、ネッテはアハハと笑う。


(も、もう少し! もう少しでいいからフォローしなさい!)


 しかし、ネッテの発言は二人に気づかせる。

 イリックもまた、不器用な男なのだと。


 通常、冒険者はリーダーとなる存在が仲間を集める。そして、多くの冒険者は他人同士でパーティを組む。

 盾役。

 攻撃役。

 補助役。

 回復役。

 これらの役割を考慮し、リーダーは仲間をバランスよく集める。

 募集を行う際は、可能な限り具体的な条件を示す。

 ウォーシャウトとキュアを使える盾役。

 スチール製以上の武器を所持している前衛攻撃役。

 回復魔法を五種類以上使える回復役。

 等々……。

 そして、仲間を集め冒険に出発したとしても、実力が伴わないと判断すればリーダーはその仲間を解雇することがある。

 なぜか? 一見すると厳しい行為だが、仕方のない側面もある。

 リーダーは仲間の命を預かっている。想定していた実力を持ち合わせていない仲間のせいで誰かがモンスターに倒され、終いには命を落とすようなことになったら、それは最悪の状況だ。この世界には回復魔法は存在するが、蘇生魔法は存在しない。死んだらそれで終わりだ。

 ゆえに、リーダーは仲間のために、仲間を切り捨てる。残酷な話しだが、それが全員にとっての最善手と言える。


 しかし、イリックはそれをしない。

 アジールとロニアは他人だ。

 アジールはウォーシャウトしか使えない二流の盾役。魔眼という唯一無二の特技を持ち合わせているが、盾役としての貢献には繋がっていない。

 ロニアは水をあやつる優れた後衛攻撃役。それでも、イリックとネッテという優れた攻撃役がいるこの状況では霞んでしまう。遠距離攻撃というメリットは存在するものの、それだけでは補えていない。

 それでもイリックは二人を見捨てない。できることをやってくれればいい。できないことまで要求しない。

 なぜなら、自分が補うから。自分が庇うから。自分が守るから。

 実は誰よりも熱い意思を秘めてはいるが、それが周りに伝わらないのがイリックという男だ。

 アジールは思い出す。本来なら、自分はパーティに加われないおちこぼれであることを。

 それでも、イリックは手を差し伸べてくれた。今の自分を受け入れてくれた。そのことを失念していた。

 強くなりたいと焦ってしまった。なぜか? もっとイリック達の役に立ちたいから。

 ロニアも気づく。自分達は冒険者仲間というよりは仲良し四人組だ。普通のパーティでは当たり前なことも自分達には当てはまらない。

 自分達はこれでいいのだ。

 イリックを中心に寄り添っていればそれでいい。らしくない表現だが、そう思えてしまう。

 先ほどまでの険悪な雰囲気は、酒場特有のバカ騒ぎに飲み込まれていく。

 周りからは、楽しそうな笑い声や話し声が波のように絶え間なく押し寄せる。


「ごめん。もっと強くなるから、気長に待ってて」

「あー! お兄ちゃんがアジールさん泣かせた!」

「ちょ! 違うか」

「せっかん!」

「ブフゥ!」

「あなた達、本当にそのパターン好きね」


 イリックはこのパターンは嫌いだ。なぜなら、普通に痛いから。そして、最近は気を失うから。


 アジールは涙を流しながらも、そっと笑ってくれた。

 そういうことなら、これも悪くない。そう思いながら、イリックは意識を失う。ぐふっ。


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