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第十四章 緊急会議

 サウノ商業国の中心には、丸みを帯びた巨大な建造物が存在する。外壁は灰色だが、中は清潔感溢れる白で統一されており、初めて立ち入った人間は例外なく緊張する。

 サウノ宮殿。この国の重要な施設はこの建物に全て納まっている。

 機船管理局。

 領事館。

 商工連盟局。

 ギルド会館。

 その他もろもろ。

 この国のトップである王もこの宮殿の上層に住んでおり、日々、政治を取り仕切っている。


 イリック達とゴルドは予定通り朝一番で合流し、テレポート魔法でサウノ商業国に移動する。


「ほっほ、便利な魔法じゃのう。助かったわい」


 ゴルドが心底うれしそうに感想を述べる。自分で使っておきながら、イリックも同意権だ。

 この魔法があれば生き方が変わる。

 冒険の仕方も変えられる。

 メリットはあれどデメリットはない。そんな魔法だ。

 緊急会議は夜から始まるため、イリック達は宿屋を確保し、早速観光を楽しむ。そもそもこれをしに来たのだ。会議などどうでもいい。口には出さないが。

 今回はゴルドがいる。魔法を研究する火の図書館の館長。その肩書きは伊達ではない。豊富な知識を脳に詰め込んでおり、イリックは立ちは会議までの時間、様々なことを教えてもらう。今日の先生はロニアではなく、ゴルドということだ。


 先ず、サウノ商業国の周辺について授業が始まる。

 サウノ商業国の東にはクルル原野が広がる。緑の少ない枯れた土地だが、手ごわいモンスターが多い。オーク戦争の際にも利用された遺跡が存在する。今ではモンスターの巣になっているため、誰も寄り付かない。宝が眠っているわけでもないため、行く必要はないが、冒険者として一度は探検するのもありかもしれない。少なくとも、腕を磨くには悪くない場所だ。


 西にはロロ平原が存在する。こちらは農作物を育てられるほどの豊潤な土地であり、そのせいかモンスターの生息数が近隣の土地と比べてずば抜けて多い。ここには洞窟があり、腕の立つ冒険者が時折クエストのため潜る。


 時間はいくらでもある。ゴルドの授業は食事中も続いた。


「ネレネン王国を知っておるか?」


 海鮮丼を半分ほど食べた頃、ゴルドが話を切り出す。

 イリックとネッテは首を左右に振る。


「東のアリカ大陸に存在するでっかい国じゃよ。すさまじい軍事力を誇ってのう。それこそ、一国で三大大国の二つ分くらいには匹敵するかもしれん。モンスターと戦争中で、その戦争も、かれこれ百年近く続いておる」

「百年……。随分とかかってますね。普通ならどっちかが負けてさっさと終わりそうですが」


 ゴルドの説明にイリックが首を傾げる。

 この大陸でもモンスターとの戦争は何度も起きている。

 しかし、どれも一年ほどで決着しており、百年も続く戦争は人類史上他に見当たらない。


「相手はオークとリザードマンじゃ。オークは北の大陸から無尽蔵に戦力を送り込める。一方のリザードマンも、オークほどではないがかなりの戦力を保持しておるようじゃ。それを相手に一国でやりあっておるんじゃから、ネレネンはすさまじい国力を誇るようじゃのう」


 ゴルドは背もたれに寄りかかり、ギシッと音を鳴らす。


「なぜモンスターはいっきに攻め込まないんですか?」

「それなんじゃがな……。何度もそれに近いことをやられたらしいのじゃが、ネレネンはそれらを全て返り討ちにしたそうじゃ。どんな方法を用いたのかまでは知らんが。国が残っていることが、それを証明しておるしのう」


 百年も続く戦争だ。イリックの思いつくことなど、オークとリザードマンはとっくに試している。それでも滅ぼせない国。それがネレネン王国だ。すごい国があるものだ、とイリックは感心する。


「東ときたら次は西じゃな。イダンリネア王国は知っておるか? まぁ、名前くらいは知っておろう?」

「名前だけなら。そこのメニューにも載ってますし」


 ゴルドの問いかけにイリックは視線を動かす。食堂の壁にかけられているメニューの一つに、イダンリネアスープ十五ゴールドと書かれている。コンティティ大陸の海草を用いた熱いスープだ。


「その国はジャイアントと戦争中らしいのじゃが、謎の多い国でのう。貿易はかろうじて続いておるが、他のことはからっきし……。我らとしては加勢することも辞さないのじゃが、それすらもきっぱりと断ってくる。まぁ、こちらはこちらでいつオークが再び攻めてくるかわからん以上、無闇に戦力を散らすわけにもいかんのじゃが……」


 ゴルドの授業はためになるなぁ、とイリックは聞き入る。知らなかった知識がどんどん増えていくことを実感する。なお、全てを覚えきれている自信はこれっぽっちもない。

 こういう話はネッテにもきちんと聞いてほしいのだが、そのネッテは途中で飽きたのか、アジールと他愛のない雑談で盛り上がっている。途中まで聞いていたのでそれでよしとする。


「ロニアさんも前言ってたような気がするんですが、そろそろオークが攻めてきそうなんですか?」


 オークとの戦争。それは誰もが恐れている、しかし、避けられようのない悪夢でもある。

 トリストン大陸の北東には巨大なシーブル大陸が存在する。大昔にそこの占領を終えたオークは、そこを基点に次々と別の大陸に侵攻を開始した。

 シーブル大陸の南に位置するアリカ大陸、南西のトリストン大陸には現在進行形で軍を送っている。

 重きはアリカ大陸らしく、トリストン大陸への攻撃は七十年から百年周期でしか行われていない。

 それでも三大大国はその都度甚大な被害を被るのだから、オーク達が本腰を入れたらどうなるのか、誰もが戦々恐々としている。


「前回は真歴479年じゃから……、七十一年前か。いつ来てもおかしくないのう」


 ゴルドの言う通り、オークがこれまで通りに攻めてくるのなら、その時期に突入している。この大陸の人間は、オークの襲撃に備えなければならない。


「なるほど。用心に越したことはないんですね」

「そういうことじゃ。ところで……」


 サウノティーを飲み始めたイリックに、ゴルドが小声で話しかける。


「お主、女子を三人も連れておるが、一人くらいには手を出したんか?」


 ゴルドがそっと語りかける。


「一人は妹ですし、残りの二人も仲間です。そういうのはないです」

「なんじゃ、つまらん。おっぱいくらいは触らせてもらったんか?」

「そ、それもないです……」


 イリックは涙を堪える。本当は触らせて欲しいのだ。理想はロニアのたゆんたゆんな果実を。贅沢を言ってはいけないのなら、アジールの適度な膨らみでも構わない。どちらかに一度は触ってみたい。しろと言うなら土下座も辞さない。


「ケチな連中なんじゃな」

「聞こえてるわよ」


 ゴルドの口から飛び出した悪口にロニアが反応する。

 その後、ゴルドは公衆の面前で水浸しにされたが、その顔はどこか満足気だった。


 昼食を終えた一同は午後もサウノ商業国を満喫し、少し早めの夕食を食べ、サウノ商業国の中心にそびえ立つ巨大な宮殿へ向かう。

 鎧を来た衛兵のような人物に案内された部屋は中層の一室であり、白い石で作られたその部屋はピカピカと輝いて若干眩しい。

 広い部屋の中央には円形の白いテーブルが置かれており、その周りには立派な背もたれを備えている高そうな椅子がずらっと置かれている。

 部屋の入り口から見て、右側がガーウィンス連邦国。左側がデフィアーク共和国と決まっている。奥はサウノ商業国だ。この構図は、トリストン大陸における三国の位置関係を真似ている。

 イリック達は入り口付近に座ればいいらしく、四人は無作為に座る。

 右からネッテ、イリック、アジール、ロニアの順で落ち着く。ネッテのすぐ右隣にはゴルドが座ってくれたため、いざとなったら助け舟を出してもらえる。


「いつ始まるのかなー?」

「皆が揃ってからじゃな。もうちょっとかかるじゃろう」


 ネッテが両足をバタバタさせる。落ち着きのなさがハッキリと見て取れる。兄として注意すべきか悩むも、こんなことでブーブー言うのもどうかと思い、今は沈黙を選ぶ。


「あれだけくつろいだのに私達が一番乗りなのね」

「まぁ、当然じゃろ。ワシらは反則技を使ったのじゃから」


 ロニアの発言をゴルドはあっさりと受け流す。

 あーだこーだと雑談を繰り広げてながら待つこと数十分。雰囲気のある大人達が、扉を開けてぞろぞろと現れる。

 赤い軍服を着ている女性。

 軽そうな銀色の鎧を身に付けた男性。

 身軽さを重視した茶色い鎧をまとうウェイク。

 青く輝く重鎧をあっさりと着こなすミヤ。

 ウェイクとミヤはデフィアーク共和国で会っている。デーモン討伐の報告を行った軍人だ。

 全員が左側に座る。この四人はデフィアーク共和国の軍人だ。


「久しぶりだな」


 茶色い髪をオールバックで整えているウェイクがイリック達に右手を挙げる。

 それに続くように、灰色の長い髪を揺らしながらミヤが小さくお辞儀をする。

 イリックとしては、軍人でありながら人当たりが良いウェイクにすっかり親近感を抱いており、既に知り合い気分だ。


「先日はどうも。なんで私達が呼ばれたか知ってる?」

「いや、そこまでは聞かされていないな」

「そう。大人しく待つしかないようね」


 ロニアの問いかけに、ウェイクは渋い顔で答える。


「ほう、こいつらかい」

「そうです。腕は確かですよ」

「あなたがそう言うのならそうなのでしょう。でも、一人子供がいるわよ?」


 身軽そうな銀色の鎧を着た男と赤い軍服を着た女が、イリック達を品定めする。さすがにネッテが座っていることに驚きを隠せないようだ。それもそうだろう。どこからどう見ても子供なのだから。


「お恥ずかしい話なのですが、うちのミヤを打ち負かしたのは彼女です」


 ウェイクの暴露にミヤは顔を赤らめる。男と女はさらに驚く。しかし、ウェイクがこの場で冗談を言うとも思えず、ますますネッテを凝視する。


「こんばんは! ネッテです!」


 突き刺さる視線に反応して、ネッテが立ちあがり挨拶をする。


(うむ、礼儀ができてて大変よろしい。だからさっさと座りなさい。見てるこっちが恥ずかしい)


 ネッテが真っ直ぐ成長してくれたことを喜びながらも、イリックは心の中で座れと念じる。


「あんなに小さい子がエースでリーダーなのかい?」

「いえ、リーダーは隣に座っている兄の方です。どちらが強いのかは、私も知りません」


 ネッテとは違い、自分に向けられる視線を無視しようかと思ったが、どうやらそうもいかないらしい。イリックは渋々自己紹介を始める。

 その後、アジールとロニアも続き、デフィアーク共和国側への顔合わせは完了する。


「私は第二陸軍軍長のエミリア。君達のことは聞いているよ。今日はよろしく」


 エミリアと名乗った女性がイリック達に笑顔を向ける。年は三十代後半。赤い軍服と肩まで伸びる黒髪がマッチしている。四人の中ではもっとも偉そうなオーラを醸し出しているが、立場もその通りだ。もっとも、階級だけならウェイク達と変わらない。


「俺はマッカス。第五陸軍第一部隊隊長。戦いに興味あるならうちに来るんだな」


 マックス。三十代。ウェイクと同じ年だ。装甲の薄そうな鎧は銀色に輝いており、高級感も一流だ。灰色の髪は非常に短く、これといった手入れを不要としている。二枚目な顔立ちは男女問わず魅了する。


「ところで、ゴルド殿しか見当たらないのはなぜですか?」


 ガーウィンス連邦国からの出席者は現在のところゴルド一人。エミリアがそのことを疑問に思うのは当然だ。冒険者と火の図書館の館長が仲良く座っている構図は、不思議を通り越して若干不気味でしかない。


「ワシはこやつらと一足先に着いたんじゃよ。さっきまでサウノを闊歩してたとこじゃ」


 ゴルドはがっはっはっと笑い飛ばす。

 その笑い声をかき消すように、会議室の扉が開かれる。


「どこかで聞いたことのある嫌な笑い声だと思ったら、あなたでしたか」


 先頭を歩くのは氷の図書館で会ったススリリ。今日も茶色い服と茶色い帽子が似合っている。イリック達とはデーモンの左手を渡して以来だ。


「ガキがいるわよ」

「ちょ!? オホホホホ……」


 ガーウィンス連邦国側の出席者がぞろぞろと続く。

 入室早々ゴルドに毒を吐いたススリリだったが、その上をいく毒を身内に吐かれ、慌てて乾いた笑い声を響かせる。

 ガーウィンス連邦国側の出席者はゴルドを入れて五名。

 奥から、氷の図書館館長ススリリ。お淑やかな雰囲気を醸し出しているが、案外毒舌だ。

 その隣は、誰かのことをガキ呼ばわりした女の子。身長はネッテとほぼ同じ。真っ黒いローブには黄色の幾何学的な模様が書かれており、高級だと周囲に知らしめる。灰色の長い髪はツインテールで整えられており、その髪型がより一層年齢を若く見せる。

 その隣はヨールモール。土の図書館館長。ゴルドに次ぐ年長者であり、白髪の混じったやや長い黒髪を頭の後ろでまとめている。しわの多い顔と落ち着いた雰囲気からも、年長者であることがうかがえる。男性用の茶色い正装をピシャリと着こなしている。

 最後はガラハ。水の図書館館長。灰色の髪は男性らしく適度な長さで切り揃えられている。ヨールモールが茶色い正装なのに対し、緑色の色違いな正装を身にまとっている。やさしいことで有名な館長であり、表情も見るからにやさしそう。ゆえに女性職員から人気なのだが、本人はそのことに困惑している。


「みなさん、お久しぶりです」

「ええ。元気そうで何よりだ」


 一番奥に座ったススリリとエミリアが挨拶を交わす。偉い者同士、何度も顔を合わしており、今更自己紹介は必要ない。

 ススリリの隣に座った小さな女の子はどこか不機嫌そう。急な呼び出しに腹を立てているのか、異物がこの部屋にいることが気に食わないのか、はたまた両方か。

 ススリリとエミリアが会話を続ける中、サウノ商業国からの出席者が扉を開けて現れる。

 白を基調としつつ、灰色と黄色が混ざった鎧をカチャカチャと鳴らしながら、衛兵のような男が二人、一礼して部屋の奥を目指す。


「本日はお忙しい中、遠いところからお越し頂き、誠に感謝致します」


 先に入ってきた男が会議室の奥で再び頭を下げる。

 黒髪のオールバックでバリッと決めているこの男はサウノ防衛隊の隊長、ブライン。年は若いが優秀であり、部下からも王からも信頼は厚い。


 サウノ商業国も防衛に特化した軍事力を保持している。オークを筆頭に、この世界は人間を襲うモンスターで溢れ返っている。軍隊や冒険者がいなければ人間などあっという間に滅びてしまう。それが人間達の置かれた立場だ。

 そのための軍隊がサウノ商業国にも存在する。戦力としては他国よりも劣ると言われているが、そもそも人間同士で争うことはないため、戦力を競う必要はどこにもない。


 ブラインの隣には、茶色い髪を一九分けにしている年上の男が背筋を正して並ぶ。ヘイキット。サウノ防衛隊の副隊長を務める凄腕の男だ。口数は少なく、仏頂面だが隊長からは実力を高く評価されている。


「先ず、あちらにいらっしゃるのが先のデーモン討伐を成し遂げた冒険者の方々です。今回の件においてもアドバイスがもらえるかもしれないため、お越し頂きました」

「あぁ、こいつらがそうなんだ。弱そう」


 ブラインの説明を聞いて女の子が吐き捨てる。

 自分でもそう思うため、イリックは沈黙を選ぶ。

 それもそうだろう。イリックはただの町民にしか見えない。そういう服装なのだから。

 アジールとロニアはバリバリの冒険者に見える。しかし、足を引っ張る存在がもう一人いる。ネッテだ。かわいいだけのただの女の子にしか見えない。

 今の所持金なら、高級品は無理だがスチール系の防具くらいなら購入できる。それを着込むことで、イリックもネッテもいっぱしの冒険者に早変わりだ。しかし、そんなことはしない。全財産が消し飛んでしまうという理由もあるが、ネッテはともかくイリックは現状で事足りていると思い込んでいるからだ。

 防具は武器以上に高額だ。用いられる素材の量が違うのだから当然だ。武器よりは消耗しにくいため、長く装備できるという点から経済的ではあるものの、やはり値段がネックとなる。

 スチールバゼラードを購入したばかりということもあり、次の買い物には抵抗を感じてしまうという思考も働く。


「緊急招集ということですが、何かあったのですか?」


 ススリリが物静かにたずねる。

 緊急招集など滅多にあることではない。そして、それがある時はえてして緊急事態であり、重大な事件が起きた時くらいだ。

 誰もがそのことを自覚しており、早く聞いて心の中のもやもやを晴らしたい。


「はい。昨日、ジャイル村が未確認のモンスターによって壊滅しました」


 ブラインの発言が部屋の空気を凍らせる。しかし、誰も慌てる様子はなく、その発言を真正面から受け止める。

 もっとも、ネッテはジャイル村がどこにあるのかわからないため、驚きつつも、他人事のように感じている。

 他の三人は、自分達が呼ばれた理由を完全に把握する。未確認のモンスター。それが何を意味するのか、わかってしまった。


 トリストン大陸は、北の地以外はほぼほぼ足を踏み入れられている。一部、洞窟や遺跡の奥までは辿り着けていないが、奥に行ったところでモンスターの生態が大きく変わるわけではない。

 すなわち、未確認のモンスターは消去法で変種か北の地のモンスターに限られる。


「未確認と言いますが、全く未知のモンスターなのですか?」

「いえ、そういうわけではございません。報告によると、ジャイアントのようなモンスター一体と、空を浮く目玉のモンスター十数体によって、たちまちジャイル村は滅びたようです」


 モンスターの研究に尽力する氷の図書館代表として、ススリリが質問と推測を始める。

 ブラインは手元の書類をチラッと眺めてからテキパキと返答する。


「それは、ジャイアントとアーリマンの混合部隊という認識でいいのでは? それなら未確認でもなんでもないと思うのだが」


 ウェイクがモンスターを特定してみせる。

 身長が四メートルを越える人型のジャイアントと類似するモンスターなど、他には存在しない。

 空を浮く目玉のモンスターはタイミング的にもアーリマン。

 これで決まりである。


「それが、ジャイアントの肌は灰色のはずですが、報告では茶色らしいのです。それに、黒い兜を被っていたらしく……。アーリマンについては、ウェイク殿の推測で間違いないと思われます」


 ブラインは冷や汗を流しながら手元の書類を読み上げる。

 色違いのジャイアント。そんなモンスターの目撃例は過去になく、一同は息を飲む。


 ジャイアント。それは、ゴブリンやオークのように、知能の高いモンスターだ。

 背丈は高く、人間の倍以上が当たり前。体つきもがっしりしており、手足は巨体に相応しい太さを誇る。顔はどことなく人間のそれに近いが、目、鼻、口といったパーツを一個一個観察すれば、そんなことは決して言えない。

 ゴブリン同様、西の小さなクルル島に生息しており、サラミア港の西にあるゴブリンの通り道が封印されるまでは、ゴブリン同様この大陸に進出し暴れまわった。

 その後、この大陸のジャイアントは全て討伐されたため、今では姿を見ることはできない。

 クルル島、もしくはそのさらに西のコンティティ大陸ではかなりの数が今なお生息している。

 人間の倍以上の巨体はそれだけで凶器であり、オークの次に人類にとって脅威な存在と言われている。

 デフィアーク共和国がクルル島を攻めきれない理由は、ジャイアントの戦闘力の高さが原因だ。もっとも、今のクルル島は孤島であり、急いでそこのモンスター達を殲滅する必要もないのだが、近場の島にそれだけの脅威が潜んでいること自体が恐ろしいため、デフィアーク共和国は虎視眈々とその機会をうかがっている。


「つまり、そやつらは北の地からやってきたんじゃな。地理的にもそれを証明しておる。じゃから、こやつらも呼んだのか」

「はい」


 ゴルドの推測にサウノ商業国からの出席者二人は小さく頷く。


 ジャイル村はサラミア港の北東に位置する。サウノ商業国からは北西に向けばいずれ辿り着ける。すぐ北のネイン渓谷とルークス洞窟を抜ければ、そこはあっという間に北の地だ。

 地理的にも、そしてジャイル村を襲ったモンスターの種類からも、北の地からの訪問者が犯人だと容易に推測できる。

 相手は北の地のモンスター。そうなれば、つい先日それらを倒したイリック達にも声がかかってもおかしくはない。現状、最もそれらを知りうる人間なのだから。


「は! こんな弱そうな冒険者でも倒せるのなら、北の地のモンスターは雑魚ばっかなのね。今すぐ攻め込んで滅ぼしちゃったら?」

「シャ、シャル!」


 ススリリが慌てて隣の女の子をたしなめる。

 シャルロット。風の図書館館長。年齢は十八歳だが、容姿は非常に幼い。本人もそのことを気にしている。もっとも、このことでシャルロットをからかえる人間はこの世に数人しかいない。

 ツインテールが子供っぽいって気づいてないのだろうか? とイリックは観察するが、喧嘩腰な相手に喧嘩を売っても誰も得をしないとわかっており、またも押し黙る。見た目だけはかわいいが、そもそもイリックはかわいい系より美人系が好みなため、ストライクゾーンからは外れている。そういう意味でも、イリックはシャルロットを構うつもりになれない。


「しかも一人はガキよ! 笑っちゃうわ」

「シャルロット殿、彼女の腕は確かです。レッドエクスを兄とたった二人で倒したという経験の持ち主です」


 ご機嫌斜めなシャルロットにウェイクが補足をする。しかし、その行為は火に油を注ぐことになってしまう。


「あぁ、あのゆでガニ? あんな雑魚にあなたの部隊はやられかけたんだっけ? 情けない! 私なら一人で瞬殺だわ!」


 シャルロットは鼻で笑う。しかし、見栄を張っているわけではないとイリック達以外は重々承知している。

 シャルロットはガーウィンス連邦国において、二番目の実力を誇ると言われている。

 圧倒的な魔力量。

 あらゆる攻撃魔法を自在に操れる天性の才。

 頭の回転の速さ。

 全ての面で突出しており、レッドエクスの単独討伐も嘘とは思えないだけの実力を兼ね備えている。

 ちなみに一番の実力者は神の名代だと言われているが、二人が戦ったことはないため、本当の意味での最強はまだ明らかになっていない。

 ウェイクはシャルロットの発言を軽く受け流すが、隣のミヤは到底我慢できない。怒気を越えた殺意をシャルロットに向け始める。


「ミヤ。押さえろ。本当のことだ」

「し、しかし!」


 ウェイクがミヤを落ち着かせようとするが、ミヤの怒りは収まらない。

 そんなやり取りを他人事のように眺めていたイリックは、いよいよ帰りたくなってきた。


(仲良くすればいいのに……。まぁ、国が違うと色々あるんだろうな~。それにしても、この子、赤ガニを一人で倒せるとか言ってるけど本当なんだろうか? だとしたらとんでもないな)


 居心地の悪さはイリック以外も感じている。

 ネッテは会議室の空気におろおろしており、いてもたってもいられない。

 アジールは完全に他人事だと聞き流す。

 ロニアはミヤほどではないがイライラしている。だからと言ってそのことを口にしたりはしない。


「あの女の子って、いつもあんな感じなんですか?」

「ん? あぁ、まぁ、そんな感じじゃ」


 イリックの小声にゴルドも小声で答える。


「あの子、そんなに強いんですか?」

「少なくとも、ワシやロニアよりは格段に強いのう。あちらの軍人さん達と比べることはできんが……」

「攻撃魔法で戦うんですか?」

「そうじゃ」

「へ~。まぁ、後衛攻撃役は攻撃を当てられない相手には成す術ないですもんね」


 イリックはシャルロットとミヤが本気で戦った場合、ミヤに軍配が上がると予想する。一瞬で距離を詰められる戦技を持っている以上、ミヤが魔法で戦う相手には負けるはずがない。もっとも、多数のモンスターを多く倒すことにかけてはシャルロットが勝るだろう。

 別に悪気があったわけではないのだが、イリックの発言はシャルロットの耳に届いてしまう。

 ウェイクとミヤをからかっていたシャルロットはピタリと動きを止め、標的をイリックに向ける。ここにいること自体がむかつく存在に、そんなことを言われれば我慢などできるはずもない。


「あんた、今何て?」

(あぁん、聞かれちゃった……)


 シャルロットの視線を無視して、イリックは明後日の方向に視線を泳がせる。我ながらぎこちないことをしているという自覚はある。


「シャル、お止めなさい」


 ススリリが状況の沈静化に動くも、今のシャルロットは止まらない。席から立つと同時に、ふわっとその場で浮き始める。


(浮いた!)


 空中に浮く。男の子なら誰もが憧れてしまう行為だ。イリックとしてもそれは例外ではない。

 ふと考えてしまう。ロニアも浮けないのだろうか? 浮いてくれないだろうか? そして、下からじっくり眺めたい。


「攻撃を当てられない相手には……何ですって?」

(近寄ればパンツ見えそうだ)


 自分を睨みつける相手であろうと、イリックは冷静に観察を続ける。その推測通り、長いローブはひらひらと揺れており、近くに座るススリリやヨールモール、ガラハからは中身が丸見えだ。二人は見ようともしないが、ヨールモールだけはチラチラと堪能する。

 ヨールモール以外に、もう一人ローブの中を覗く存在がいた。テーブルに前のめり、隣に座るガラハを押しのけるように下から覗きこむ。


「ほう、白か。お主はてっきり黒や赤を履くもんかと……」

「な、エロじじい!」

「ぐふっ!」


 身を乗り出しすゴルドに、シャルロットは渾身の踵落としをおみまいする。


(でかした、じいさん。俺もちょっと見たかった!)


 イリックは心の中で親指を立てる。


「わ、わしだけじゃないぞ! ヨールモールも見ておったぞ!」

「ちょ、ゴルぐえっ!」


 ゴルドの告げ口により、もう一人にも天誅がくだる。パンチラ一つにも命をかけなければならない相手、それがシャルロット。

 その事実がイリックの中でシャルロットの評価を高める。おもしろそうだな女の子だ、そんな感想を抱いてしまったからだ。


「もういいわ。冷めちゃった」


 暴力を振ったことで満足したのか、シャルロットがやっと落ち着きを取り戻す。

 この場を取り仕切らなければならないブラインは、やっと話し合いが続けられそうだと胸を撫で下ろす。

 一方、実はウェイクだけ、イリックとシャルロットの動向に目を光らせていた。

 ネッテの実力はミヤとの戦いで把握できている。では、兄の方はどうなのか? ずっと気になっており、シャルロットとの小競り合いでそれがわかるのでは、と期待していた。


(残念。まぁ、一つだけわかったな。あのプレッシャーを前に一切動じない胆力。やはり相当の実力を隠し持っていそうだな)


 イリックはパンチラに集中していただけであり、ウェイクの過大評価でしかないのだが、実力を隠しているという点は的中している。

 コネクト。そのことは仲間にしか言っていない。あまりに突拍子もない魔法ゆえ、今は他人に打ち明けることができない。


「え~、話を戻しますと、ジャイル村が壊滅したとは言え、もしかしたらまだ生存者がいるかもしれません。もしくは、モンスターが村を占拠している可能性も考えられます。それらを踏まえて、討伐隊を送りたいと考えております」


 ブラインは周囲を見渡しながら本題に入る。

 ジャイル村の状況把握。

 生存者がいるなら救出。

 モンスターがまだ残っているようなら殲滅。

 どれも重要だ。さすがのネッテも理解したらしく、うんうんと頭を縦に振る。


「それは当然だな。生存者に関しては絶望的だろうが、せめてモンスターの殲滅とエレメンタルフォンの回収くらいはさっさとやろうぜ」


 今まで黙っていたマッカスが口を開く。これ以上生産できないエレメンタルフォンは非常に貴重なため、ジャイル村のギルド会館に設置していた分の回収も可能なら行いたい。


「では、本件は我がデフィアーク共和国が対応致します。それでよろしいか?」


 エミリアがピシャリと言い切る。

 ジャイル村に最も近いのはサウノ商業国である。しかし、防衛力に優れた軍隊しか保持しておらず、このような遠征には不向きだ。

 次に近いのはデフィアーク共和国であり、船でサラミア港に移動してしまえば、サウノ商業国と比べそう変わらない期間で辿り着ける。


「提案なんじゃが、こやつらにもやらせてみてはどうじゃ? 機動力だけならここの誰にも負けんぞ」


 ゴルドが口を挟むように提言する。もちろん、こやつらとはイリック達を指している。テレポートを習得している人間には持って来いの案件だ。

 機動力だけと言いながら、実力に関しても折り紙つきだ。ジャイル村にモンスターが残っている可能性もある。しかし、よっぽどの大群でもなければイリック達だけで片づけられると踏んでの提案だ。


「そんな冒険者に何ができるのよ?」

「こら、シャル」


 まるで母親のようにススリリがシャルロットを叱りつける。年齢だけなら間違いなく親子だ。あまり似てないが。


「我らとしては構いませんが……。マッカス、どう?」

「構わないぜ」


 エミリアの問いを受け、マッカスは踏ん反り返って答える。

 実はマッカスもイリック達のことを認めている。なぜなら、親しいウェイクから話は十分聞かされている。

 デーモンを倒し、レッドエクスも倒し、ついにはミヤまで倒したのだから、認めない道理がない。強い奴が好き、という性格もそれを後押しする。


「では、共に向かうということで」

「いや、そうではなく、こやつらはこやつらで勝手に行かせてくれんかのう。イリック、お主らなら何日でジャイル村に辿り着ける?」


 エミリアの返答を遮り、ゴルドがイリックに視線を向ける。

 ジャイル村まで何日で行けるか。イリックは頭の中で数えてみる。

 サラミア港にテレポートし、アイール砂丘を縦断するのに丸一日。

 ルイール平原からジャイル森林まで一日半から二日。

 ジャイル森林に突入してからジャイル村までおよそ二日。

 すなわち……。


「四日から五日です」


 ざわっと会議室の空気が揺れる。


「そういうことじゃ。しかも、こやつらは今すぐにでも旅立てる。これだけの機動力、なかなかのもんじゃろ? 先行させる価値はあると思うのじゃが」


 ゴルドが話を進める。

 そんなゴルドを眺めながら、イリックはこの状況に軽くうろたえる。誰も行くとは言っていないのだが、自分達が行く流れになっていることにいささか戸惑いを感じてしまう。とは言え、人命に関わる事態だと承知しており、反論する気などさらさらない。ただ働きになりそうだが、それも仕方ない。


「俺達の半分くらいで着いちまうのか……。さすが冒険者だ」


 マッカスは驚きつつもイリック達を舐めるように眺める。

 軍隊の派遣には時間を要する。そもそもデフィアーク共和国に戻るまでに一日、サラミア港までの移動に半日かかるのだから、テレポートで移動できるイリック達の方が圧倒的に速い。


「あぁ、俺も彼らの実力は知っている。問題ないだろう」

「では、イリック殿にも協力してもらおう」


 デフィアーク共和国は意見を一致させる。

 イリック達に先行してもらい、続いて軍隊を派遣する。

 この作戦にはガーウィンス連邦国からも反対意見は出ず、それはすなわち、イリック達の新たな旅が始まることを意味する。

 北の地の手前にあるジャイル村への遠征。ただし、そこにはモンスターがいるかもしれない。

 一筋縄ではいかないだろう。イリック達は気を引き締める。ネッテはいつの間にかウトウトしている。


「サラミア港やマーム村の防衛も必要だろう? それらについても、順に軍を派遣するってことでいいかい?」

「はい、お願い致します。ミリリン村はこちらで対処致します」


 身を乗り出すマッカスに、ブラインは首を縦に振る。

 ジャイル村が滅ぼされた。もし、モンスターがそのまま進軍する場合、次に狙われる場所は地理的にマーム村かサラミア港かミリリン村ということになる。

 マーム村はジャイル村とサラミア港の中間にあるため、可能性は非常に高い。

 もしモンスターが南西に向かわず南東に向かった場合、ミリリン村が狙われることになるのだが、そちらについては近いという理由から、サウノ商業国だけで対処できる。


「私達にも何かできることはありませんか?」

「なら、こやつらに旅の支度金でも用意してやればええじゃろ」


 ガラハの提案にゴルドは思いついたことを口にする。しかし、イリック達にとってはありがたい話だ。食糧を買うにも金がかかる。多少の手持ちはあるが、金は無限ではない。スチールバゼラードを購入したため、手持ちがガクンと減ってしまったのも痛い。


「そうですね。会議が終わり次第、用意しましょう。デーモンを倒したあなた達なら、きっと困難にも打ち勝てるはずです」


 ススリリもそれに賛同する。ガラハ同様、やさしい笑顔を見せてはくれるが、ゴルドをエロじじい呼ばわりする人間だとわかっているため、素直に喜べない。


「お主ら、いつ出発するつもりじゃ?」

「この後、食糧の買出しが間に合えばすぐにでも。それでいいですよね?」

「ええ。ジャイル村にモンスターがいたらそいつらを全部倒して、エレメンタルフォンで連絡すればいいのね?」


 長旅の予定など立てておらず、ゆえに手持ちの食糧は空っぽだ。旅立てるかどうかは買出しが間に合うかどうかにかかっている。イリックはそのことをロニアに確認する。

 間に合えばすぐにでも出発。もう夜だが、少しくらいは進める。

 間に合わなければ明日の朝、食糧を買ってから出発。それでも十分早いが、イリックとしては今日中に出発したいと思っている。人命に関わるのだ。可能性はほとんどゼロだが、それでもそれに賭けてみる。


「ねえ? 何でこんな弱そうな連中に頼るの? なんなら私が行ってあげてもいいわよ」


 シャルロットがついに口を挟む。この案件に冒険者が関わるだけでも我慢ならない。その上、冒険者がでしゃばろうとしていることがより一層気に食わない。


「ほう、お主が行ってくれるか。じゃがな、ジャイル村まで一人で行けるか?」

「地図さえあれば行けるに決まってるでしょ」

「何日で? こやつらは五日かからんぞ」


 ゴルドのつっこみにシャルロットは言葉を飲む。遠征経験は豊富にあるが、だからと言ってジャイル村までの日程をすぐに数えられるほど地理に長けていない。


「そもそも、お主一人を行かせるわけにもいかん。軍の到着を待って出発するにしてもやはり一日はかかる。そして、軍を率いて向かった場合、どう考えても十日以上はかかるじゃろう。お主の魔力は確かにずば抜けておる。じゃがな、体力では冒険者に敵うはずもない。彼らは一日十時間以上歩けるんじゃぞ」


 そんなに歩けるかなぁ、と思いながらイリックはゴルドの話を聞く。過去の経験からそれ以上を当たり前のように歩いていた。

 ふと、ロニアは自分の太ももを触ってみる。大陸横断を成功させたせいか、イリック達のペースで歩き続けたせいか、いつの間にか随分と筋肉のようなものが足に付いている。太ももの感触が昔とは随分異なる。

 アジールの足は言わずもがな。

 ネッテもひょろひょろしている割には、そこそこ筋肉質だ。

 言われっぱなしでいられるほどシャルロットは穏やかではない。ゴルドの説得を遮るように反論を開始する。


「こんな貧弱そう奴らを向かわせて、それでモンスターに殺されでもしたらどうするのよ? まぁ、モンスターの戦力を推し量ることくらいはできるでしょうけど、私が行けば死人なんか出さずに必ず勝てるのよ!?」


 シャルロットの言い分を聞き、イリックは若干混乱する。バカにされているのか、心配されているのか、わからなくなってきた。


「彼らは強い。私が保証する」

「あんたみたいな雑魚に用はないの」

「はい」


 ウェイクの反論は二秒で却下された。しょんぼりしているウェイクをミヤは痛々しく眺める。


「先ほども言うたろうに。お主では遅すぎるんじゃ」

「だからって先に行かせて死なせていいってことにはならないでしょ」

「頑固じゃのう」

「あんたもね!」


 ゴルドとシャルロットがにらみ合う。どちらも食い下がらない。シャルロットに食い下がれる人間はこの世に数人しかいない。その一人であるゴルドも、この場をどう収拾するか頭を痛める。

 イリック達を先行させることは最善手である。これは間違いない。

 一方で、イリック達がジャイル村のモンスターに全滅してしまう可能性も確かに存在している。

 しかし、実際はテレポートで離脱も可能なため、それに関しては考慮する必要がない。そのことを説明できれば解決なのだが、さすがにそれをイリック達の許可なしで話すわけにもいかない。コネクト同様、テレポートも多分に漏れず極秘にしなければならない魔法だ。


「お取り込み中のところ申し訳ないんですが、準備を進めたいのでもう行ってもいいですか? お金は成功報酬って形でも構いませんし」

「ちょ、待ちなさいよ!」


 立ち上がるイリックをシャルロットはピシャリと止める。そして、再び魔力で浮き始め、イリック達を見下ろす。

 シャルロットは膨大な魔力を使い、浮力を発生させて自身を浮かせることができる。この技法は強化魔法ではないのだが、魔眼には強化魔法と判断されてしまうらしく、ゆえにこれを妨害できてしまう人物がいるということになる。

 こんなことは初めてなため、シャルロットは自身に何が起きたのか飲み込めない。突如体が落下する。そのまま椅子の背もたれに背中をぶつけ、反動で前のめりに倒れたかと思いきや、顔面をテーブルに打ち付ける。

 うぎゃっ! という小さな叫び声が響いたが、誰も聞いていない振りをする。


(や、やっちゃったわね)


 ロニアはすぐに察する。隣に座っているアジールがわざとらしく目をつぶっている。魔眼を使ってシャルロットの浮力を消し去った張本人だ。


(あぁ、アジールさんの仕業か。まぁ、気持ちはわからんことないけど……)


 イリックも察する。ピーピーうるさいシャルロットに一泡吹かせたかったのだろうと推測する。

 アジールの仕業だと気づけたのはもう二人いた。

 デフィアーク共和国のウェイクとマッカスだ。二人は魔眼のことを詳しくは知らない。それでも、シャルロットが落下する瞬間、アジールの目が青く輝いていることを見逃さない。具体的に何をしたのかはわからないが、アジールがシャルロットを落としたのだと核心する。


「いった~い。な、何をしたのよ!?」


 赤くなったおでこを押さえながらシャルロットが怒り始める。


(どうしよう、素直に言った方がいいのだろうか? って言えるか!)


 諦めにも似た心境で、イリックはそっと口を開く。


「いえ。俺達は別に……」


 苦しい言い訳をしてみる。ふと、右に座っているネッテが小さく震えていることに気づく。

 イリックはネッテの横顔を覗く。必至に笑いを堪えていた。シャルロットの今の動きはさぞおもしろかったのだろう。浮いて落下して背中打っておでこを打つ。見事な連携だ。


「お、お兄ちゃん……。この子、おもし……ろいね」


 笑いを堪える妹は大層かわいいが、今はそれどころではない。


「それでは、急ぎますんで……」


 イリックは反転して扉に向かう。アジールとロニアも席を立ち続こうとする。ネッテは相変わらず笑いを堪える。


「ま、待ちなさいって言ってるでしょ!」

「う!?」


 シャルロットの叫び声と共に、強烈な力に押されてイリックが壁に叩きつけられる。死にはしないが、そこそこ痛い。


(あ、あの小娘……。加減してくれてるのはわかるけど、ならもうちょっとやさしくしてくれ……)


 本気ではない風圧からイリックは察する。


「な!?」


 次の瞬間、シャルロットの眼前にネッテが現れる。テーブルの上で中腰になり、目の前の細い首に短剣を突き立てる。

 この動きを目で追えたのはデフィアーク共和国の出席者四人だけ。他の面々は、何が起きたのかすぐには飲み込めない。喉元に短剣を押し付けられているシャルロットもそれは同様だ。


「……あんた、何してんのよ?」

「お兄ちゃんに何したの?」


 それでも引かないシャルロットと、凍りついた表情で目の前の獲物に尋問を開始するネッテ。この状況はさすがにまずいと全員理解したが、かと言って手に余る存在がぶつかり合おうとしており、手の出しようがない。


「いい度胸じゃない。先に殺してあげる」

「うるさい」


 互いに相手を黙らせるため動き始める。

 シャルロットは瞬時に魔力を練り上げる。唱えるのはただのフレイム。しかし、シャルロットの魔力をもってすれば、人間など簡単に丸焼きにできてしまう。詠唱時間はたったの一秒。すなわち、次の瞬間に決着がつく。

 ネッテは躊躇なく短剣を突き刺す。既に先端は刺さっており、ミヤやウェイクでさえももう間に合わない。


「やめい」


 しかし死者は出ない。両者の間にイリックが割り込む。

 シャルロットの顔にはイリックの右手。

 ネッテの顔にはイリックの左手。

 両者共に、イリック渾身のアイアンクローを絶賛堪能する。


「いたたたた!」

「いたーい! いたーい!」


 二人の姿はまさに子供のそれだ。

 痛がる素振りを見せようと、イリックは両手を緩めない。


「子供同士波長が合うのはわかるけど、もっと子供らしいじゃれ方をせい。わかったか?」

「ガッテン! いたーい!」

「いたたた! は、離しなさい!」


 ネッテは物分りがいいが、もう一方は思ったよりも頑固だ。さらに強める。


「なんでー!? いたーい!」

「わ、わかったわよ! 離してー! 頭蓋骨がくぼむー!」


 シャルロットを懲らしめるつもりが、誤ってネッテの頭まで強く握ってしまう。しかし、反省はしない。

 この場を収拾してみせたイリックだったが、その行為は誰の目から見ても異常だ。

 全員が固唾を呑んで凝視していた二人の間に、何の前触れもなくイリックが割って入る。たったそれだけのことだが、誰もその動きを見切れなかったことがそもそもありえない。


「ミヤ、見えたか?」

「い、いえ……」

「俺にも見えなかったぞ」


 ウェイクの問いかけに、ミヤとマッカスが答える。三人はデフィアーク共和国を代表する実力者であり、自分だけが見落としたわけではないと知り、より一層イリックの行動に驚かされる。


「ヘイキット、兄妹の動き追えたか?」

「申し訳ありません、全く見えませんでした」

「謝るな。悲しくなるだろ」


 ブラインとヘイキットも目を丸くする。二人はサウノ防衛隊の隊長と副隊長であり、実力はこの国でトップクラスを誇る。


「なーるほど。エロじ、ゴルドが目を付けるだけのことはあるってことね」

「今、何か言ったかのう」


 痛がるシャルロットを微笑ましく眺めながら、ススリリはそっと微笑む。ゴルドはさりげなく悪口を言われたことにショックを隠せない。

 アイアンクローを解いたイリックは、シャルロットにキュアをかける。ネッテのせいで喉から血が流れている。さすがにそれは兄の責任として治さなければならない。


「わかったろう? 俺やネッテでもこれくらいのことはできるんだ。俺より強い冒険者は腐るほどいる。もう少し広い視野と寛大な心を持とうな?」


 プルプルと振るえるシャルロットにやさしく語りかけ、イリックはさっと反転する。テーブルからピョンと降りたネッテもそれに続く。


「それでは、ジャイル村に行ってきます」


 イリック達一同はさっと会議室を退室する。

 残された面々は黙ってそれを見守り、その後、それぞれの行動を開始する。

 額の汗をぬぐう者。

 小さく息を吐く者。

 肺の空気を全て出し切りそうなほどの息を吐く者。

 考える者。


「妹の方は単なる超スピードだ。もっとも、戦技も使わずにあれなのだから、それはそれで恐ろしいのだが」

「戦技無しで!?」


 ウェイクのつぶやきにブラインが驚く。


「はい。私もあのスピードに翻弄されて、模擬戦でやられました」

「はっはっは! 納得だぜ!」


 ミヤの暴露にマッカスは声を上げて笑う。


「確かに、我々のような魔法が使えるだけの人間など相手ではないのでしょうね。私もあそこまでとは思ってもみませんでした」

「ワシは体鍛えてるからな!」


 ガラハが緑色の服で手汗を拭きながら感想を述べる。

 ゴルドは意味もなく反論する。


「妹の動きは私にも見えた。しかし、兄は何をした?」


 これは誰にもわからない。大統領直属の、まさにエリート中のエリートであるエミリアでさえもイリックの動きは目で追えなかった。


「シャル。あなた、何か気づいた? あら、何で顔赤いの?」

「あ、赤くなんかなーい!」


 ススリリがシャルロットの顔を覗きこむと、ゆでガニのように赤くなっていた。トマトの方が近いかもしれない。


「どうせアサシンステップとか猛進の極みでしょ!?」


 アサシンステップは身体能力を向上させずにスピードだけを高める戦技。

 猛進の極みは狙った場所に瞬間移動の如く移動できる戦技。

 どちらもウェイク達からすれば見えないほどの速さではない。

 しかし、見えなかった。その上、移動だけでなく、二人に対してアイアンクローまで決めていた。

 すなわち、移動とアイアンクローへの移行動作がすっぽり抜けているのだ。


「だとしたら、ミヤやエミリア隊長が見えないのはおかしい」

「俺をさりげなく無視するなー」


 ウェイクの発言にマッカスが食い下がる。

 なお、エミリアは隊長ではなく軍長だが、ウェイクとマッカスだけはエミリアを隊長と呼ぶ。


「ほっほ、言うたじゃろ。あやつらなら大丈夫じゃと。具体的なことは何も知らんけど」

「知らんのなら偉そうに言うでないわ」


 笑うゴルドにヨールモールがつっこみを入れる。同じ年長者として恥ずかしい。


「デーモンを倒したのは兄の方だと報告を受けたが、ミヤと戦わせたのは妹の方だったな。それはなぜだ?」

「妹の方が強い、妹は天才だ、と兄自身が語っていたので……」


 エミリアの鋭い問いかけにウェイクが縮こまる。


「ミヤちゃんを倒した妹よりも兄の方が強いかもしれないってか? いや~、おもしろいパーティじゃねーか」


 マッカスがクククと小さく笑う。


「まるで七年前に突如として行方をくらましたあの二人を思い出してしまう」

「そんなに経つのね」


 ヨールモールがやや大きな声でつぶやく。

 ススリリもその意見に同意する。


「この兄妹については忘れてはいかんな。イリックとネッテと言ったか?」

「はい。他の二人はアジールとロニアです」


 エミリアの問いかけにウェイクが素早く答えを差し出す。

 そして、この場にいる全員がその四人の名前を胸に刻む。

 イリック達への考察が続く一方、顔を真っ赤にしながらシャルロットは悶々と震える。

 腹が立つ。兄に対しても、妹に対しても。

 むかつく。兄に対しても、妹に対しても。

 仕返しをしたい。あの男に。

 まだ頭がズキズキする。あの男のせいだ。

 去り際にかけられたキュアの暖かさが忘れられない。あの男が余計なことをしたからだ。

 この胸の高鳴りが止まらないのも、きっとあの男のせいだ。


 むかつく男の名前はイリック。もう、忘れない。


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