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第十三章 北の脅威

「フブキ様」


 日の差さない暗闇の中、ふわふわと漂いながら、アーリマンは最奥に佇む主に近づく。

 こんなちっぽけな洞窟に居座らずとも、立派な要塞を建設するのに。しかし、この要望には一度たりとも首を縦に振ってもらえない。


「――何です?」

「手はず通りに進んでいるようです。一旦、コットスを帰還させようかと思いますが、いかが致しましょう?」

「そうですね。私としてはどちらにせよ、これで終わりにして欲しいのですが……」

「お、お気持ちはわかりますが、これは始まりに過ぎません。どうか、ご決断を」


 洞窟に響くのは、吹雪が横切る冷たい音だけ。

 真っ暗な洞窟の中から外に目を向けると、真っ白な世界が映りこむ。


「あなた方がしたいようにすればいいのです」

「出た出た! とりあえず人を殺すのに賛成ってか! おまえも大概だよなぁ」

「元はと言えばあなたがきっかけでしょうに……」

「また俺のせいかよ、まぁ、いいけどよ。で、コットスが戻って来たら、次の作戦を実行かい?」

「そ、その予定ですが、フブキ様とモークス様次第です……」


 突然会話に割り込まれたため、アーリマンはしどろもどろだ。それでも、決定権は自分ではなく目の前の主にあることを主張する。


「やはり私は反対です」

「かぁー! 村一つ滅ぼしてよう言うわ! もう手遅れなんじゃねーの?」

「私は人がどうなろうと構いません。しかし、戦争になれば、人も部下達も大勢が死にます。それは避けたいのです」

「どっちつかずな野郎だなぁ。中立でありながら、人を殺すことに抵抗がない。人からすれば、こいつらも俺達も狩りの対象なんだろうなぁ」


 洞窟の中には二つの影。


「コットスの帰還には二日ほどかかると思われます。戻り次第、ご報告致します」

「わかりました。確認しますが、今回はジャイル村だけに留めたのですね?」

「もちろんです。パニとカバンダは言いつけを無視して出て行きましたが、コットスに関しては問題ありません」

「そうですか。我々と人……。共生の道はないのでしょうか?」

「ねーよ。そういう宿命だってことくらいは、俺にとり付いたタイミングで悟ったろう? 俺達は人を殺すために産み落とされたんだ」


 洞窟の外では嵐が吹いている。まるで泣き声のような音が洞窟に鳴り響く。

 いずれこの大陸全土を覆い尽くす勢いで、吹雪は止まずに吹き続ける。



 ◆



 ロニアの説明にゴルドは聞き入る。

 館長ともなるとそれなりに偉いのだろう。割り当てられている部屋は豪勢でしかも広い。しかし、様々な小物や本があちこちに散らばっており、歯に衣着せぬ言い方をすれば汚い。

 部屋の両サイドには頑丈そうな本棚があるのだが、そこはもう満席らしく、入りきらない本が無造作に置かれている。

 机の上には書類や本、ペンが転がっており、作業スペースなどもはや見当たらない。古ぼけた本の上に置かれているコップは、ゆらゆらと湯気を発生させる。

 時刻は午後一時。

 四人はゴルドの部屋で椅子に座っている。

 まだ昼食を食べていない。風の洞窟での出来事が原因でそれどころではなかったからだ。


「なるほどの~。にわかには信じられんが、お主が嘘をつく理由もないか」


 ロニアがいくらかはしょった説明を終える。

 ゴルドは少ない髪の毛をそっと撫で、感想をもらす。

 ロニアが話した内容は次の通り。

 ミエト村で得られた証言。

 風の洞窟入り口で膨大な魔力を秘めた男とすれ違ったこと。

 風の洞窟での出来事。ただし、風の大精霊から聞いたことを全て話したわけではない。面倒な上に、そこまでする義理もない。

 そして、テレポートの習得およびそれによる帰還。


「何より、こんな短期間で戻ってきたことがそれを裏付けておるか」


 イリック達は風の洞窟から八日間で帰還を果たした。

 普通に考えてこの日数は短すぎる。当初の予定ではその三倍程度を予定していた。

 行きに十日間。

 風の洞窟調査に一日。

 帰りに十日ちょっと。

 併せて一ヶ月かからない程度。

 しかし、実際は八日間。これは帰還魔法無しでは到底不可能だ。


「すまんが、その魔法、見せてくれんかのう」

「無理です」


 ゴルドの頼みをイリックは一瞬で断る。まさかの即答にゴルドはおろかロニアも無言で驚く。


「なぜじゃ?」

「見せてあげなさいよ」


 ゴルドとロニアが食い下がる。たかだか魔法を披露することを嫌がる理由が二人には全くわからない。しかし、イリックにも事情があるのだ。


「マジックポイントが足りません」


 情けない話だが、事実なのだから仕方ない。

 イリックのマジックポイントはキュア十一回分。冒険者でありながら、十一回しか使えない。この回数は落第以下だ。

 一方、テレポートの消費量はキュア換算で七回分。ゆえに、一度しか使えない。

 マジックポイントはスタミナのように時間経過で回復する。休めばそれも加速する。しかし、現状だとまだまだ回復しきっていない。

 恥ずかしい話だが、事実そうなのだからそうとしか答えられない。


「そ、そう……。それは仕方ないわね」


 ロニアが気まずそうに視線を逸らす。イリックはこの空気を恐れていた。

 ゴルドが立ち上がり、乱雑に物が置かれた棚をゴソゴソと漁り出す。もっと整理整頓すればいいのに、と思ってしまうが、館長ともなると色々あるのだろう。


「ほれ、これを飲め」


 ゴルドが取り出したのは赤い液体が入った角ばった小瓶。美味しそうには見えない代わりに、高級そうに見える。ほこりを被っており、衛生的にはよろしくない。


「それは?」

「マジックポーションじゃよ。これで回復しきるだろう」


 そういうことなら、とイリックはそれを受け取り、匂いを嗅ぐ。無臭だ。

 腹をくだしたりはしないだろう、とグビグビ一気に飲む。まずくはない。野菜でも果物でもない不思議な味だ。もちろん、肉や魚のそれでもない。

 しかし、量が多い。実に五百ミリリットルだ。一度に飲み干すには少々重たい。それでも飲むしかない。なぜなら、全員が視線でそう訴えかけてくる。案外スパルタな仲間達にイリックは根性で答える。

 マジックポーションは伊達ではない。みるみるマジックポイントが満ちていく。これでテレポートが使える。


「じゃあ、ゴルドさん、一緒に飛びます?」

「おう、頼むわい」


 イリックは詠唱を開始する。テレポートの詠唱には十一秒もかかるため、妙な間が生まれる。イリックは詠唱に集中すればいいが、運ばれる側は暇で仕方ない。

 十一秒後、イリックとゴルドがその場からフッと消える。

 残された三人は、出されたお茶をズズズと味わう。

 一分後、イリックとゴルドは部屋に戻ってくる。テレポート先は火の図書館の裏であり、すなわち、この建物の裏側だ。ゆえにさっさと帰還できる。


「やれやれ。腰が抜けるかと思ったわい」

「そうそう。この魔法について調べておいて。私は別のことを調べたいから」


 驚きのあまり少し老け込んだゴルドに、ロニアは鞭打つように言い渡す。

 館長でありながら筋肉隆々のゴルドをここまでこき使えるのは、ガーウィンス連邦国に数人しかいない。ロニアと氷の図書館のススリリはその内の二人である。


「お、おう……。それにしても、誰がどうやって風の結界を破り、モノケロスを呼び出したんじゃ? それに、大精霊の結界に穴を開けた理由は何じゃ?」


 ロニアはまだあの男について詳しく話していない。なぜなら、本題であるため、他の説明を先に済ましておきたかった。


「ガーウィンスの結界を破れる黒いローブの男……。間違いなくどこかの研究機関の人間よ。誰だかわからない?」

「黒いローブなど普通に売ってるしのう」


 ロニアはじらすように真相を話さない。悪気はないのだが、じっくりと攻めたくて仕方がないのだ。


「その男の目的は、風の大精霊から漏れ出た魔力を吸収し、自分の中に、もしくはどこかへ運んで溜め込むことよ」

「――!?」


 ゴルドがごくっと喉を鳴らす。ロニアの今の説明はゴルドにだけわかる衝撃の事実だ。実はロニアも薄々気づいているのだが、そもそもその人物のことを詳しく知らないため、ゴルドの口から言わせるつもりでいる。

 魔力の吸収。そして魔力の貯蔵。こんなことができる人物は歴史上いない。しかし、ゴルドは知っている。生まれもった才能でそれを行う人物を。


「ウーディ……。生きておったんじゃな」

「そう、やっぱり知り合いなのね?」

「そうじゃ……」


 ロニアの推測は確信に変わる。

 火の図書館に通い始めた頃から、ロニアはゴルドと話すようになった。その際、ゴルドは以前、とある人物に魔力を半分奪われ、それ以降、体を鍛え斧で戦うようになった、と聞かされていた。

 ロニアはそれを覚えており、そもそも筋肉モリモリな体を見せられれば忘れたくとも忘れられず、風の大精霊が魔力を奪われたと説明してくれた時から関連性を疑っていた。

 予想が的中したことを内心では喜んではみるものの、沸き起こる感情はせいぜいそれくらいだ。ここから先はガーウィンス連邦国、とりわけ火の図書館の問題だ。ロニアはそう結論付け、思考を停止する。


「深く追求したりはしないわ。あなたにも事情があるのでしょうし。それじゃ、報酬ももらったし私達は帰らせてもらうわよ」

「ん……。あぁ、わかった」

「死にかけたし疲れたしで、さっさと宿屋に戻りたいわ」


 ロニアは大きく息を吐き、立ち上がる。ロニアの意見には三人とも完全に同意であり、部屋を後にする。

 肉体的にも精神的にも疲れ果てており、今は死んだように眠りたい。

 モノケロスとの戦いは想像を絶する戦いだった。

 思い出すだけでもゾッとしてしまう。あそこまで痛めつけられたことはない。四人が四人共、そう振り返る。

 重い体を引きずってイリック達は宿屋に到着する。

 なぜか当たり前のように四人部屋だが、もう気にしない。

 女性陣は風呂に入ってから寝る。しかし、イリックはそれをしない。今日だけは、さっさと寝かせて欲しい。

 モノケロスとの戦いで死にかけた。

 右腕をポッキリ折られた。

 実はそんなことはどうでもいい。

 風の大精霊の話を聞いていたら眠くなった。寝たらロニアに起こされた。

 ロニアとゴルドの話も難解すぎて眠くなった。しかし、今回は耐えた。

 ゆえに、今は壮絶的に眠い。

 なんで難しい会話を聞いていると眠くなるのだろう? 後でロニアにでも教えてもらおう。そう思いながら、昼食も食べず、イリックはそのままベッドと一つになる。



 ◆



 翌日は完全な休日とした。

 長旅の疲れを癒すため。これも重要なことだ。

 昨日の戦いは悲惨だった。激戦ゆえに疲労も大きい。しかし、それ以上に女性陣三人が受けたショックは相当大きかった。

 それもそのはず。イリックが死んだと思ったのだから。

 よっぽど堪えたのか、ネッテは普段以上にベッドの中で兄にくっついた。

 現在の時刻は午前八時。部屋の窓からは心地の良い朝日が差し込んでいる。

 三人共仲良く寝坊中。それだけ精神的に参ったということだ。


(臭いだろうに、よく一緒に寝られるな)


 結局、昨日は風呂に入らなかった。夕食だけは手短に済ませたが、さっさと寝直した。

 いつかロニアが言っていたことを思い出す。

 女の子は兄や父親の体臭を毛嫌いする、と。

 しかし、ネッテの場合、何ともないらしい。もしかしたら我慢しているのかもしれないが。

 ということで、イリックは朝一番の風呂に入る。

 今日やることを考えながら、頭や体を洗う。

 今日の予定。

 服を一着買う。なぜなら、モノケロスに上着を破られた。

 ついでに武器屋で片手剣を見せてもらう。アジールが使っているブロードソードの切れ味に愕然とした。上等な武器は金額に見合った性能を誇ると痛感した。ハイサイフォスに満足できているが、そもそもこれは先端が砕かれている。

 その二つが済んだら釣りを満喫する。

 ガーウィンス連邦国はあちこちに川のような、湖のような場所が存在する。

 釣り人としての血が騒ぐ。

 イリックが風呂からあがるとアジールだけは起きていた。

 眠いのか、うつらうつらしながら、目をぼんやりと開いている。


「おはようございます。俺はこれから朝食に行きますが、アジールさんはどうします?」


 返答次第では待ってもいい。そういう意味もこめてイリックは声をかける。

 アジールはゆっくりとイリックに視線を向け、そのまま動かない。

 白い薄着ゆえ、実に目の保養になる。胸はロニアほど大きくないが、きちんと膨らんでおり、真っ白なシャツを持ち上げている。


「私も行く」

「んじゃ、待ってます」


 もそもそと顔を洗いに行くアジールを他所に、イリックは換気のため窓を開ける。

 鮮度の良い柔らかなな外気が部屋に入り込む。

 窓の外ではすっかり人の往来が出来上がっている。ガーウィンス連邦国の一日は既に始まっている。


「お待たせ」


 着替えを終えたアジールが背筋を正して現われる。

 薄い赤色のノースリーブニットを着ており、やはり先ほど同様、胸の膨らみがきちんと表現されている。肩から先は露出しており、女性にしては少しだけ太い腕が顕わになっている。下は普段通りの茶色いミニスカートを履いており、膝上まで伸びる黒いソックスがどこか扇情的に見えてしまう。

 二人は寝息の聞こえる部屋を出て階段を下りる。

 朝食を食べるなら食堂が一番手っ取り早く、何より美味い。携帯食糧を食べてもいいのだが、それは昨晩の内にモリモリ食べてしまった。ネッテに報告しておかないと怒られてしまうだろう。


「すぐ近くの店でいいですか?」

「うん。何でもいい」


 アジールが首を縦に振ってくれたため、イリックは最初から寄るつもりでいた食堂に向かう。早朝からやっているありがたい店であり、味も値段も悪くないため、これで三度目の入店となる。店内に入るための扉は表と裏に存在し、建物自体は細長く、丸みを帯びた屋根が建物の形に沿って続いているため、遠目からはロールケーキのような形に見えなくもない。

 席に座って早々、パンやサラダ、フルーツといった、これぞ朝食的なものを注文し、二人は料理が届くまでしばらく黙り込む。


(しかしあれだ。考えてみたら、アジールさんと二人っきりってあんまりなかったな。この沈黙がちょっとだけ息苦しい)


 イリックの目が泳ぐ。無意味に店内の壁に貼られているメニューを眺める。

 普段のアジールは、どういうわけかネッテにべったりだ。妹のような存在ができてうれしいのだろう、とイリックは推測している。ネッテも姉のような存在に憧れを抱いていたらしく、ワシーキ村で一回夕食を共にしただけですっかりなつく。

 アジールが小さくてかわいいものを好むのは誰が見ても明らかだ。旅の際、いつも腰に白いウサギのぬいぐるみをぶら下げている。

 アジール曰く、コレクションの中で一番気に入っている子らしい。冒険者仲間を求めてサウノ商業国を目指した際、このぬいぐるみだけは連れて行くことにした。実家の自分の部屋には、他にもぬいぐるみ達が仲良く鎮座している。

 ふと、イリックはアジールの目を見て思い出す。

 黒目の外周近くに存在する赤い線の円。普通の目と異なるのはそれの有無くらいなのだが、それだけのことでグッと特徴的になる。

 目は魔眼だ。そして、昨日の戦いの最中、さらなる力の開放に成功した。


「その目でできること増えたんですよね?」

「うん。魔法の効果を打ち消せるらしい」

「それはすごい。おかげで昨日は助かりました」


 モノケロスは体に冷気の鎧をまとい、イリックやネッテの腕を凍らせ破壊した。

 アジールが魔眼でその効果を消さなかったら負けていたかもしれない。つまり、紙一重の勝利と言っても過言ではない。

 イリックはじっとアジールの目を見る。男も女も惹き付ける綺麗な目だ。その上戦闘で役立つのだから、才色兼備とはまさにこのための言葉かもしれない。

 男と女が見つめ合いながら座っている。傍から見れば良い雰囲気かもしれないが、二人は空腹にさいなまれている最中だ。早く料理来い、早く食べたい、頭の中ではそのことしか考えていない。

 やがて、二人の目の前に朝食が運ばれてくる。

 イリックとアジールは競うように食べる。急ぐ理由はないが、あまりに腹が減っているため、無意識に食べるペースを速めてしまう。

 良い雰囲気な男女が、途端に急変する様子は傍からはどう映ったのだろう? そんな疑問すら抱かず、イリックは胃を満たしていく。

 あっさりと朝食を終え、二人は腹をさすりながら宿屋に戻る。さすがにネッテとロニアも起きていた。そして、ネッテは頬をぷりぷりと膨らませていた。


「二人でどこ行ってたの?」

「メシ」

「ずるい!」

(ずるいと言われても……。むしろ、気持ち良さそうに寝てたから気を使ったののに)


 だからと言って、これ以上邪険にするわけにもいかない。イリックは渋々下手に出る。


「午前中は買い物でも何でも付き合ってやるよ。俺も買いたいもんあるし」

「ならよし!」


 商談は成立する。そのちょろさに、イリックは妹の将来を危惧する。

 今日は完全な自由行動。明日の予定も完全に未定。もちろん、誰からも反対の声はあがらない。

 むしろ、ロニアに至ってはそれを望んでいた。何やら調べ物をしたいらしい。朝食後、さっさとどこかへ向かってしまう。

 イリック達は宿屋で少し雑談し、三人で買い物に向かう。

 先ずは衣服屋へ。

 モノケロスに蹴られて上着がダメになった。何でもいいよ、とネッテとアジールに選んでもらう。男としてダメな気もしたが、この兄妹にとってはこれが普通であり、ネッテは意気揚々と陳列されている上着を眺める。


「はい、これ!」


 ネッテが選んだ服は、灰色を基調として、端々が黒く縁取られている洒落てるのかそうでないのかよくわからないベストのような上着。イリックは何でもいいため、サイズを確認してこれに決める。

 次は武器屋へ。買いはしないが、下見と情報収集を兼ねて足を運ぶ。

 三大大国ということもあり、店内はハイサイフォスと同等もしくはそれ以上に高価な武器で溢れている。サウノ商業国の方が品揃えはいいのだが、それでも参考にはなる。


 武器や防具の元となる鉱石には次のような順位付けが存在する。

 カッパー。

 ブロンズ。

 アイアン。

 スチール。

 シルバー。

 ゴールド。

 ミスリル。

 ダーク。

 これ以降も続くが、多少例外はあるものの、ランクが上な鉱石で作られた武器や防具ほど、高額かつ高性能だ。

 イリックが愛用しているハイサイフォスはアイアンに属する片手剣だ。

 今までカッパーソードを愛用してきたイリックにとって、ハイサイフォスは夢のような武器と言える。デーモンにあっさりと砕かれてしまったが、それは相手が悪かった。


「アジールさんのって何なんですか?」

「ブロードソード」

「へ~」

(聞いたことないな……)


 教えてもらったものの、予想通りわからない。

 イリックは今でも忘れられない。アジールから借りた片手剣の切れ味には心底震えた。武器とはこうあるべきなのだと思い知ると同時に、いつかこんな片手剣を手にしたいと願ってやまない。

 その単語を手がかりに店内を探してみる。しかし、見当たらない。

 次いで姿形を思い出して探してみる。厚みはないが、幅広の刃をした銀色に輝く剣。

 似たようなものはあるもの、アジールが愛用しているブロードソードはやはり見当たらない。

 となると考えられる可能性は三つ。

 特注。

 非売品。

 サウノ商業国でしか取り扱っていない高級品。

 真相はいかに。


「父さんがサウノで買ってきた」


 金持ちだからこそできる芸当だ。イリックはぐうの音も出ない。

 再び店内を見渡す。ここで取り扱っている武器はスチール製までだ。

 それより上等な素材を使っている武器はサウノ商業国に行かなければ手に入らない。

 シルバーやゴールドは武器防具にはあまり使われないため、アジールのブロードソードはミスリルかダークで作られた片手剣なのだろうと想像できる。

 イリックは片手剣以外の武器も含め、いくつかを手に取る。やはりしっくりくるのは片手剣と短剣だ。そして思い出す。ここ最近、短剣を携帯していなかった。

 デーモンとの初戦闘の際、イリックのブロンズダガーは完膚なきまでに刃が痛めつけられた。一時的に装備し続けたが、使い道もないため結局捨ててしまう。売却すらできないほど痛んでいたからだ。


(短剣……、買っちゃうか)


 イリックは悩む。

 片手剣と短剣、どちらを買うか。

 片手剣はハイサイフォスを持っている。しかし、そろそろ限界だ。

 短剣は持っていない。

 この二択なら短剣だろう。しかし、そうなるとさらに二択が発生する。

 自分用の短剣を買うか、ネッテ用を買ってあげるか。

 ネッテは短剣を二本持っている。

 エイビス。リンダから譲り受けた業物。その性能は目を見張る。デーモンを倒すならこれで十分なほどだ。

 ビーニードル。マリィから譲ってもらったコルコルのお古。切れ味はさほど良くないが、非常に軽くネッテは気に入っている。

 ネッテが選ぶ短剣を買い、今使っているどちらかを譲ってもらう。もしくは、最初から自分用を買う。イリックにとってはなかなか悩ましい二択だ。


「ネッテ。短剣一本買っていいって言ったら欲しいのあるか?」

「えー、何でー?」

「俺もそろそろ短剣補充しておきたくて。欲しいのあるならそれ買っていいから、代わりにどっちかくれ」


 ふーむ、とネッテは短剣を見定めていく。自分で決められないならネッテに決めさせる。グッドアイデアだとイリックは胸を張る。

 サウノ商業国の方が品揃えはいいが、そもそもそこの商品は高くて買えない。世知辛い話だが仕方ない。

 ネッテはじっくりと商品を品定めする。しかし、武器の良し悪しなどわかるはずもなく、結局匙を投げる。


「わかんない」

「あ、そう……」


 結局イリックが悩むハメになる。


「アジールさん、スチールバゼラードとネッテのビーニードル、どっちが良い短剣だと思います?」


 イリックは良さそうな短剣に目を付ける。

 スチールバゼラード。その名の通り、スチール製だ。短剣でありながら片手剣のように手を守る鍔が付いている。柄は黒く、それ以外は黒がかった灰色をしている。

 値段は六万ゴールド。一つ下のランクであるアイアンダガーの実に三倍だ。

 今の所持金なら買えてしまう。むしろ今しか買えない高級品だ。

 スチール製の装備は冒険者にとって最低ラインであり、それは同時に合格点でもある。スチール製の武器なら多くのモンスターと渡り合える。少なくとも、三大大国で活動するのなら、スチールバゼラードで問題ない。

 そもそもこの金額はポンと支払える範疇を越えている。大金持ちなら眉一つ動かさないのかもしれないが、平均的な冒険者なら普通に躊躇してしまう。

 アジールはスチールバゼラードをまじまじと見つめる。短剣のことはわからずとも、比較くらいはできる。

 アジールは無言で目の前の短剣を指差す。ビーニードルよりこちらが良品だと訴える。


「ネッテ。左手用のビーニードルとこれ、どっちがいい?」

「どっちかな~?」


 イリックに手渡されたそれを、ネッテは右手で持って上下に振る。軽さが取り得のビーニードルと比べれば随分重いだろうが、それ以外の面ではスチールバゼラードが勝る。


「こっちでいいや!」


 ネッテが選んだのはビーニードル。軽さを重視したからだ。切れ味を重視するならエイビスがある。そういう背景もあり、ネッテは武器の多様性を優先する。

 消去法でスチールバゼラードはイリックの相棒となる。予想外の出費だが、これも冒険者の宿命だ。片手剣も買い換えたいが、それはさすがに我慢する。

 こうしてイリックの目的は果たされる。後はネッテ達に付き合うだけ。行きたいところはあるのか? とたずねると、ネッテは迷わずとある店を指す。

 甘味処。イリックには縁のない店だが、これも経験だと諦める。

 三人はぞろぞろとその店に吸い込まれ、各々デザートを堪能した。



 ◆



 イリック達とは別行動中のロニアは、大量の本に囲まれている。広めのフロアにはビッシリと本棚が並んでおり、全ての棚には年代を感じさせる古書で溢れかえっている。

 深みのある緑色のローブをまとった職員達が、あちこちを忙しそうに駆け回る。そんな中、ロニアは誰よりも熱心に一冊の本を読み進める。

 ここは風の図書館。歴史や遺跡について研究している研究機関であり、ロニアはある目的でここに足を運んだ。

 風の大精霊は言っていた。

 古代人は神の領域に近づいた。

 神は存在する。

 神の扉から、神界に辿り着ける。

 神の扉を見つけたい。自分の手で見つけたい。

 ロニアはこれを人生の新しい目的と定めた。ゆえに早速行動を開始する。

 何から手を付ければいいか? これに関しては迷うことはなかった。

 この大陸にはいくつもの遺跡が存在する。

 ガーウィンス連邦国の周辺に広がるスムルス平原にもそれは存在する。

 サハハ遺跡。

 しかし、今は立ち入りを禁止されている。

 過去にサハハ遺跡が暴走を引き起こし、ガーウィンス連邦国そのものが消滅しかけたからだ。この事件をきっかけに、ガーウィンス連邦国は結界でこれを封印する。それ以降、誰も足を踏み入れることはできない。

 ゆえに書物で調べるしかなく、ロニアは風の図書館で古い本のページをめくる。


(ふ~ん。確認されてる限り、もう一つ存在するのね。エムム遺跡……)


 エムム遺跡。ガーウィンス連邦国のはるか南に存在するサファ樹林にひっそりと佇む遺跡だ。古代人が建造したと言われており、未だに建造物の素材については明らかになっていない。


(とは言え、遺跡に行ったからって、はい発見ってわけにもいかないでしょうし、そもそも手がかりを見つけたとしても、それが何なのかわからなかったら意味ないわ。根本から勉強し直しね)


 古代人が遺した遺跡を探検したとしても、手がかりをそうだと認識できなければ意味はない。仮にそれらしいものを見つけたとしても、使い方、操作の仕方がわからなければやはり結果は同じ。

 ゆえにロニアは考える。その手段を。ぱっと思いつくのは三つ。

 一つ。古代人と会い、教えてもらう。

 二つ。ひたすら勉強し、自分で身に付ける。

 三つ。運に任せてひたすら遺跡を探る。

 現状はこれくらい。しかし、どれも難しい。

 風の大精霊は言っていた。古代人は生きている、と。冷静に考えれば、この事実は人類にとって相当な大発見だ。もっとも、こんなことを誰かに話したところでバカにされるだけだとわかっており、他人に話すつもりは毛頭ない。

 どこかにいる古代人に会う。これが手っ取り早いのは間違いないが、そもそも古代人を見つけ出すのが大変だ。

 神の扉を探すよりは楽かもしれないが、五十歩百歩に思える。

 独学で知識を身に付け、それから遺跡を調べる。これが一番懸命かもしれないが、その勉強も大変だ。何ヶ月かかるか検討もつかない。その程度で済めば良い方かもしれない。

 見切り発車でエムム遺跡あたりを調べまわるのはありかもしれない。論理的ではないが、冒険者らしいとも言える。

 その後もロニアはエムム遺跡について記されている書物を読み漁る。

 そして午後、ロニアは火の図書館に出向く。ゴルドに頼んでいた案件を確かめるためだ。

 テレポート。転送魔法。古代人が編み出した、一瞬で離れた場所への移動を可能とする魔法。

 遥か昔に存在したと言われており、そして現代には存在しない魔法。

 ほとんどの人間はその存在を知らず、知っている人間も本で読んだ程度だ。

 しかし、その魔法は実在した。しかもイリックが習得してしまった。さすが我らがリーダーと褒め称えるのは構わないが、その前にきちんとこの魔法について把握しておきたい。


「あの魔法について何かわかった?」

「相変わらず唐突な奴じゃのう」


 ロニアはノックも無しに館長室の扉を開け、開口一番問いかける。

 ゴルドはデフィアークティーを飲みながら書類に目を通していた。突然の来客に一瞬驚いたが、それがロニアなら驚き損だ。ゴルドはずり落ちた眼鏡を冷静に戻す。


「良い匂いね。で、どうなの?」


 ガーウィンスティー派のロニアも、この匂いには太鼓判を押す。良い茶葉を使ったデフィアークティーなのだろうと香りから察する。


「言われた通り、少し調べてみたぞ。と言っても、わかることなどほとんどなかったのう。真歴二百年頃に神の名代様が使用しただの、古の時代に存在した魔法だの、何ともはっきりとせん。つまり、少なくともこの時代には存在せん魔法じゃ。今となっては、過去系になってもうたがのう」

「そうね。ちなみに昨日言わなかったけど、この魔法は古代人が編み出したそうよ。風の大精霊がそう言ってたわ」


 ロニアからもたらされた事実にゴルドは吹く。そういうことは昨日のうちに言え、と反論したかったが、そもそも目の前の巨乳はそういう性格だと知っている。いまさら慌ててもエネルギーの無駄でしかない。


「ワシも同行すればよかったのう。普通は会っても口など聞いてもらえんのじゃぞ」

「へ~、そうなんだ。確かにケチだったわね。話はまだ途中だったのに、質問は後一個まで、とか抜かしやがったし。まぁ、色々知れたから今は満足だわ」

「お主、絶対全て話してないじゃろ?」


 ゴルドがじっとロニアを見る。

 ロニアは澄ました表情でやり過ごす。


「そうそう。もう気づいてるでしょうけど、うちのパーティに魔眼持ちがいるわよ」

「あぁ、それはわかっとる。背の高い子じゃろ? 今はどの形態じゃ?」

「さぁ? 多分二段階目なのかしら? パージみたいなことをできるみたいよ」


 パージ。相手の強化魔法を消去する弱体魔法。

 魔眼の第二形態はこれの上位互換だ。


「そうか。それでも神の名代様ほどではないのう……」

「へ~。そいつってそんなにすごいんだ」

「そ、そいつ!? まぁ、ええ。聞かなかったことにしよう。確か、第三形態らしいぞ。ワシも見せてもらったわけではないがな」

「魔法の才能はこの国一番で、その上魔眼まで使いこなせる……。いよいよ化け物ね。歴代で一番強いんじゃない?」


 神の名代。

 ガーウィンス連邦国の国家元首だ。すなわち、政治を取り仕切る国のトップであり、その選出方法は一風変わっている。

 その時点で最も高い魔力を持つ女性が選ばれる。ガーウィンス連邦国出身であれば、地位や年齢などは不問であり、魔力の高さだけで選ばれる。

 その時点、つまりタイミングはまちまちだ。神の名代が生存中に跡継ぎとして指名することもあれば、死後、国が総力を挙げて探し出すこともある。

 歴史を遡れば、周りの村をまとめ、ガーウィンス連邦国を建国したのは初代神の名代だ。自分は女神から力を授かったと宣言したことからこう呼ばれるようになったと言われている。

 彼女の名はラミラ。この女性の高いカリスマ性と常軌を逸した魔力が人々の心をまとめあげ、巨大な国の礎を作り上げる。

 二人目、すなわち一代目の後を継いだ女性の名はリイン。まだ幼い彼女は、周囲の希望に答えるかの如く、与えられた使命を牢獄のような塔の中で尽力する。


「神の名代様は人前に出ることも戦うこともせん。そんなこと考えたこともないわ」


 神の名代はガーウィンス連邦国の中心に存在する宮殿に住んでいる。身の回りの世話は全て才女が執り行う。そして、代々、そこから出ることは決してない。


「一度でいいからお手合わせ願いたいわね」

「またバカなことを……。そんなことできるはずもないし、仮にできたとしてもお主が敵うはずもなかろう。魔力が根本から違うわい」


 ロニアの魔力は相当高い。しかし、ロニア程度の魔力を持つ冒険者は探せばすぐに見つかる。

 魔力の低い人間はそもそも冒険者など目指さない、もしくは諦める。冒険者になれたとしてもモンスターに殺され淘汰される。

 残酷な話だがつまりはそういうことだ。

 イリックのような例外もいるが、例外はあくまで例外である。


「いい線はいくと思うのだけど」

「手も足もでんわい。あの方はそういう存在じゃ。そういうことはシャルロットに勝ってから言うんじゃな」

「あれはもう人間じゃないわ。まぁ、それでも、イリックなら勝てるかもしれないわね」

「ほう、そこまで言わせる男か……。それともあれか? 惚れたか?」

「惚れた惚れないは関係な……あら?」


 ロニアとゴルドの会話を遮るように、ドンドンと館長室の扉が激しく叩かれる。

 ゴルドが返答すると、灰色のローブを着た職員が慌てた様子で扉から顔を覗かせる。


「緊急招集です! 至急、サウノ商業国のサウノ宮殿へ!」


 ロニアとゴルドは顔を見合わせる。



 ◆



 釣り。楽しい。

 釣れる。うれしい。

 釣れた。コンティティバス。

 イリックは湖を眺めながら一心不乱に糸を垂れる。

 昼食後、イリックはネッテ達と別れ、当初の予定通り釣りを楽しむことにした。

 ここは様々な店が立ち並ぶ商店区。ガーウィンス連邦国の北西部分であり、ネッテ達と買い物のために訪れた店もここに存在する。

 このあたりには湖の水が流れ込んでおり、人の往来が少ない場所に移動すればそこは絶好の釣りスポットとなる。

 かれこれ二時間はここにいる。

 釣果は数え切れないほどのコンティティバスだ。しかし、この国に我が家はない。宿屋に持って帰ってもネッテに調理してもらえるわけではないため、今日はキャッチアンドリリースだ。それでも楽しい。

 コンティティバスは簡単に釣れる。どんな餌にも食いつく食い意地の強さがそうさせる。そういう意味では味気ないが、釣れないよりは釣れる方が楽しいに決まっている。

 体は緑色に似た茶色をしており、比較的大きい魚だ。雑食なため、育ちが良いのだろう。それこそ、三十センチを越えるのもザラであり、今日釣れた分に関しても、半分以上はそれより大きかったと思われる。

 世間では生臭いと言われているが、きちんと調理すればそれも全く気にならない。以前、ネッテがそれを証明してくれた。

 コンティティバスをあっさりと三枚におろすネッテには脱帽だ。ネッテのような嫁が欲しいが、それはネッテではない。そこを間違えてはいけない。

 釣り始めてかれこれ二時間。そろそろ戻ろうかどうか悩んでいた頃だった。東の方角が慌しい。研究機関の職員らしき人達があっちへ走ったり、こっちへ走ったり、てんやわんやの大騒ぎだ。

 黒いローブをまとった男性が小走りで去っていく。

 灰色のローブを押さえながら若い女性が駆ける。

 小麦色のローブを着た眼鏡の男性は前だけを見て歩く。

 共通していることは、皆忙しそうだ。

 何かが起きている。そう考え、イリックは釣り糸を手繰り寄せる。どうやら宿屋に戻った方がいいようだ。何となく、そう思えた。

 宿屋に戻ると、予想外に三人共部屋に戻っていた。まだ夕方ですらない時間。夕食の相談をするにしても若干早い。


「サウノに行くわよ」


 ロニアが開口一番、用件を伝える。

 イリックは当然状況が飲み込めず、頭をかしげる。


「招集がかかったのよ。どういうわけか私達にも」

「誰が呼んでるんですか?」


 なぜ自分達が? それはもっともな疑問だが、それよりも誰が呼んでいるのかが気になる。それがわかれば用件も推測できると踏んだ。


「各国のお偉いさんよ」


 聞いてもさっぱりだった。

 とは言え、呼ばれた以上、サウノ商業国に行かなければならない。以前なら渋ったかもしれないが、今は別に構わない。隣の食堂にパンを買いにいくようなノリでサウノ商業国に行けてしまう。


「それじゃ、テレポートでさくっと行きましょっか」


 イリックが習得したテレポートには、行き先を十一箇所記録できる。厳密に言えば大精霊が存在する洞窟や遺跡も十一箇所とは別に登録されるが、そこには別段移動する理由はない。

 現在記録されている、サラミア港、デフィアーク共和国、サウノ商業国、そしてガーウィンス連邦国、この四箇所が今後の主な移動先となる。


「待って。行くのは明日の朝一で構わないわ。それと、今回はゴルドも同伴する予定よ」

「へ~。何やら大事そうですね」

「何しに行くのー?」


 ロニアとイリックの会話にネッテが飛び入り参戦する。

 サウノ商業国に急いで向かう。その事実がネッテを不思議がらせる。

 

「私も聞かされてないわ。三国のお偉いさんを集めてる時点で……。いえ、そもそも何で私達まで? もしかして、デーモンがらみかしら?」


 ロニアがぶつぶつと考え込む。


「ロニアさんがそれに出席してる間、俺達はサウノを観光するか」

「わーい!」

「うん」


 イリックの提案にネッテとアジールが賛同する。サウノ商業国は人も店も多い。そこにいるだけで楽しめてしまう。目的もなくブラブラするだけでいくらでも時間を潰せてしまう。

 それがサウノ商業国だ。


「イリックも出るのよ」

「なぜ!?」


 ロニアが非情な現実を叩きつける。寝耳に水とはまさにこのこと。


「あなたをご指名なんだから」

「え~。ロニアさん代わりに出てくださいよ~」

「あなた、ほんとこういうことは嫌がるわね。しかも、なんで毎回私に押し付けるのよ」


 渋るイリックにロニアは呆れる。


「あ、ネッテ出てみるか!」

「いいの?」

「いいぞいいぞ~」


 兄妹の間で商談が成立する。

 一方、ロニアは想像する。

 デフィアーク共和国、サウノ商業国、ガーウィンス連邦国の代表が集まる中、ネッテがニコニコとその輪に加わる。

 デーモンに関することで質問をされた場合、お兄ちゃんがバシッとやっつけました! お兄ちゃんは無敵です! などと発言したらどうなるだろうか? つまみだされそうだ。


「仕方ないわね。四人全員参加させてもらいましょう」

「わーい!」


 ロニアが妥協案を提示する。

 ネッテは喜ぶが、イリックは心底嫌そうな表情を浮かべる。アジールはいつも通りの無表情だ。


「ところで、何で明日移動するんですか? 急いでるなら今日中の方が……」


 テレポートでの移動は明日の朝でいい。急いでいる割には悠長だと思えてしまう。イリックはその疑問をロニアにぶつける。


「普通は定期船で一日かけて移動するのよ。なのに招集をかけたその日に到着してたらおかしいでしょ? ゴルドも支度があるようだし」


 なるほど、とイリックは納得する。普通はテレポートなど使えない。三大大国は離れており、呼ばれたからといって一時間二時間で到着可能な距離ではない。


「てっきりもう少し長居することになるかと思ってましたが、ガーウィンスともあっという間にお別れになるんですね。まぁ、今となっては感傷に浸る必要なんてないですけど」


 来たいと思った時に一瞬で来れるのだ。もはやイリック達にとって三大大国は隣り合っているに等しい。


「そうね。やり残したことがないかだけ確認して、明日に備えましょう」


 この場はロニアが締める。

 やり残したこと。

 イリックとネッテ、アジールにはない。

 ロニアはもっと調べ物をしたかったが、いざとなったらイリックに連れてきてもらえば済む。

 テレポートの有り難味を痛感しながら、ロニアは窓の外を眺める。

 空はまだ青く、それでも故郷はゆっくりと落ち着き始めている。

 子供達は満足そうな表情を浮かべて家に帰る。

 商人は額の汗をぬぐいながら目的地を目指す。

 冒険者は仲間達と笑いながらギルド会館を目指す。


「夕食はどこで食べる? 近場でよければ今朝のお店にしようかと」

「ガッテン!」


 イリックの提案に、先ずはネッテが賛同を示す。アジールも無言で頷く。

 残るはロニア。そのロニアはゆっくりと振り返りながら、思い出を解きほぐしていく。


「少し歩くけど美味しいお店知ってるわよ」

「じゃあ、そこで」


 こうしてガーウィンス連邦国での冒険は締めくくられる。

 ゴルドとの出会い。

 風の洞窟を目指す旅。

 風の洞窟での戦い。

 そして、大精霊との遭遇。


 明日は久しぶりのサウノ商業国。

 今後の自分達の身の振りについて考える良い機会になるだろう。

 そんなことを考えながら、イリックはロニアの後をついて土の道を踏みしめていく。

 空はゆっくりと暗く染まっていく。

 行き交う人々からも、夜の訪れを歓迎するように笑顔がこぼれている。

 ガーウィンス連邦国の夜が始まろうとしている。

 新たな冒険が始まろうとしている。


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