第十章 船酔いに負けるな! サウノ商業国!
「オロロロロロ」
ロニアの口から、今朝食べた朝食が逆流する。
イリックは見たくもないその光景になぜか魅入ってしまう。早々出くわせる状況ではないため、眼福にはならないが、自然と目に焼き付けてしまう。
イリックはロニアの背中をさする。立ち込めるすっぱさに耐えながらさする。しかし、長時間の付き添いは危険だと既に学習済みゆえ、一旦撤収する。もらいゲロはもう勘弁してもらいたいからだ。
「さっき酔い止め飲んでましたよね?」
「え、ええ……。はぁはぁ。どうやらもっと早く飲むべきだったみたい」
言い終えるや否や、うっ! とロニアが甲板から海を見下ろす。
「オロロロロ」
イリックは撤収する。ロニア先生の青空教室は残念ながら中止だ。
定期船の進行方向に対して左には、高い岩山が大陸に沿ってどこまでも続く。これを越えられる人間などいないと断言できる程度には高く険しい。
デフィアーク共和国を出発してかれこれ二時間。定期船は太陽の日差しを浴びながら海をかきわけて進む。
定期船の進路はほぼまっすぐ東へ。途中から北東に進路を取り、最後はサウノ商業国へ辿り着く。
到着時刻は明日の朝八時。すなわち、二十四時間の長丁場だ。ロニアが最後まで生きながらえるかイリックは頭を悩ますが、そもそもどうすることもできない。
空を見上げれば眩しい太陽。
周囲を見渡せば青い海と波の音。
潮の匂いを含むぬるい風が体を撫でるため、どこか心地よい。
暇だから釣りでもしよう。そんな考えが頭をよぎるが、ロニアの看病を忘れてはいけない。
「あ、もしかして、ロニアさん、また具合悪いの?」
「あぁ。ちょい看てやってくれ」
ネッテとアジールが甲板に現れる。二人の視線の先では、ロニアが手すりに掴まり青い顔で呆然としている。
ネッテがロニアに歩み寄り、背中を撫でる。胃の中が空になったのか、青い顔のまま、横になろうとする。甲板のひんやりとした冷たさが気持ち良さそうだが、同時にみじめにも見える。ネッテはそっと太ももを貸す。
「ロニア大変そう」
アジールもこの状況には同情してしまう。
イリックもリーダーとして救いの手を差し伸べてあげたいが、できることはせいぜい背中をさするくらいだ。
「こればっかりは慣れてもらうか克服してもらうしかないんでしょうね。ところで、アジールさんはサウノに行くのは初めてなんですか?」
「ううん。冒険者になる前に定期船で。久しぶりだから楽しみ」
「そうですね。ついでにアジールさんの買い物もしましょう。盾、けっこうボロボロですもんね」
イリックの指摘通り、アジールの青い盾は既に限界寸前だ。ガーゴイル、デーモンとの連戦で随分と損傷し、とりわけデーモンの攻撃は盾をかなり追い詰める。
小金持ちな内に新調すべきだろうとイリックは考える。
「そこまでしてもらわなくても……」
「臨時収入で今は潤ってますから、気にしないでください。んで、ロニアさんには何を買ってあげればいいんでしょう? 酔い止めとか?」
「魔力を高める指輪とか」
「あぁ、なるほど。本当は杖を買ってあげたいところなんですが……」
二人はロニアに視線を向ける。ネッテに膝枕をしてもらいながらも、死体のようにぐったりと横たわっている。
ロニアは後衛攻撃役にも関わらず、なぜか杖を持とうとしない。魔力と攻撃魔法の威力を高めるのだから持たない理由はなく、それでもロニアは持とうとしない。
ロニア曰く、かさばるから嫌。
大層な理由にイリックは涙を堪える。それを補うためにも、金がある間に魔力を高める何かの購入を検討する。
イリックとアジールはそのまま海を眺める。心地よい揺れに身を委ねていると眠ってしまいそうだ。イリックに至ってはウトウトする。
「船内で昼寝してきます。ロニアさんの介抱が必要なら呼んでください」
「わかった」
アジールに後のことは任せ、イリックは船内に戻っていく。甲板は甲板で昼寝に適しているが、ロニアがいるせいで気を使ってしまう。
サウノ商業国への船旅は始まったばかりだ。到着は明日の朝。すなわち、今日は船の上で過ごさなければならない。
時間の潰し方は人それぞれだが、イリックは睡眠とロニアの介抱に当てようと決意する。
定期船への乗船はまだ二回目。だからと言って新鮮な気分は随分と薄れている。やることがないのだから、仕方のないことだ。
◆
翌朝。
船の上で向かえる朝は思った以上に心地よい。ゆりかごの如く揺られたせいか、ぐっすり眠れたからだ。
内燃機関が響かせる低い音は、波をかき分ける音のおかげで気にならない。少なくともイリックの安眠は誰にも邪魔されずに一夜が明ける。
時間が近づき、やがて船内が騒がしくなる。甲板は既に他の乗客で賑わっており、イリックも負けじとそれに続く
丸みを帯びた大きな建物が遠くに見える。灰色のそれは小さな山のように君臨しており、近づくにつれ、国の形が見え始める。
周囲には石造りの街並みが広がっている。その規模は、遠目からでもデフィアーク共和国と同等くらいには見える。少なくとも、サラミア港とは比較にならない。
イリック達は北上している。すなわち、サウノ商業国を南から眺めている。
とてつもなく巨大な建築物を中心に、町が東西に展開している。否、南にも伸びている。まさにT字の形だ。
定期船がズンズン進む。それに伴い、輪郭がはっきりとしたことでイリックは察する。東西への広がりだけならデフィアーク共和国を上回っている、と。
大きいからどうこうというわけではないのだが、広いことにはそれ相応に意味がある。
人口が多い。
店が多い。
家が多い。
事実、サウノ商業国は最も人が多い国と言われている。
大陸の中心に位置するということは、それだけで利便性をもたらす。
イリックは甲板から眺めながら考える。一番目立っているあれは何だろう? 自分一人だけでは答えにたどり着けない。
「サウノ宮殿よ」
「おはよー!」
ロニアとネッテが甲板に現れる。アジールはゆっくりと朝食を食べている最中だ。定期船には寝室の他に食堂も完備されており、少々値段は高いが味は絶品だ。魚料理が多く、イリックはそれだけで幸せを感じる。
「おはよう。サウノ宮殿?」
「ええ。お偉いさんがあそこで政治を取り仕切ってるわ。領事館や機船管理局のような重要な施設もそこに入ってるの。ちなみに、ギルド会館もそこの一フロアに存在するわ。一番下の階層だけどね」
「おぉ~」
ロニア先生の授業はイリックとネッテに新たな知識を与える。
「そういえば、今日は体調良さそうですね」
「ええ。やっと薬が効いてきたのかしら? 昨日は助かったわ」
「いえいえ」
一つ新発見があった。キュアは船酔いに有効らしい。思い込みや気のせいかもしれないが、少しだけ気分が楽になる……ような気がする。少なくともイリックとロニアにはそういった影響をもたらした。
「船は港区に到着するわ。まっすぐこちら側に伸びてる町が港区。東に伸びているのが東区で、西が西区」
「宿屋はどこにあるんですか?」
「どこにでもあるわよ。港区にもあるからそこに向かいましょう。店も比較的散らばってるから、今日はあっちこっちを歩くはめになるわね。案内するわ」
ロニアはつい先日、サウノ商業国を訪れた。広い街並みの構造はある程度できており、その事実がイリックを安心させる。
やがて、定期船が進路を微調整し始める。到着が近いからだ。それを裏付けるように、サウノ商業国の港が目の前まで迫っている。
こうして、三大大国の二つ目、サウノ商業国に到着する。湧かなかった実感が、港が近づくにつれてズンズンと湧き上がってくる。
夢にまで見た場所が、手を伸ばせば届きそうだ。
◆
茶色い建物を抜けると、直線的な街並みがどこまでも広がる。はるか前方には巨大な宮殿が人間を見下ろしている。大通りの左右には様々な店が立ち並ぶ。
ここは港区の始まり。もしくは終わり。今は正面を目指し歩くしかない。
思っていたよりは人が少ない。そんな考えは、あっという間に払拭される。町の中心に近づくにつれ、男性や女性、大人や子供が増えていく。それもそうだろう、船着場には定期船に用がある人間しか立ち寄らないのだから。
行き交う人々は商人が多い。やがて、町民も増えていき、冒険者もじわりとその数を増していく。
右手に宿屋が現れる。ロニアがそれを指差したため、今日の寝床が決定する。
ネッテが嬉々として四人部屋を押さえる。イリックは抗議するも、誰にも賛同されずにこの話題は終わる。
現在の時刻は午前八時半。さすがにまだ店は開店前だ。四人は大人しく予約した部屋に移動し、ゆっくりとくつろぐ。
四人もいれば話題は尽きず、時間はあっという間に過ぎ去る。
そして十時過ぎ。イリック達は宿屋を飛び出す。
「それじゃ、先ずはネッテちゃんの買い物からかしら?」
「はい、お願いします」
「何々ー? 何買ってくれるのー?」
「良いもの」
ロニアがハキハキと歩きだす。イリックもそれに続き、ネッテが頭の上にハテナマークを浮かべ、アジールが意味深に微笑む。
石畳の大通りはどこまでも真っ直ぐに伸びる。行き着く先には灰色の宮殿が山のように降臨しており、その周囲は大勢の人々で賑わう。その中には様々な装備を着込んだ冒険者らしき野性味溢れる大人達も多く、イリック達はその中をかき分けるように右へ折れる。お目当ての店は東区にあるからだ。
東区もまた、一本の大きな大通りによって構成される。その両脇には多くの店や建物が並んでおり、それは地平線の彼方まで続く。脇道のような道も左右に多く見受けられ、そこに一歩踏み込めば、そこから先は別世界に繋がる。
木造の白い店。
茶色い家。
レンガで作られた壁のような建物。大小様々な建築物が街並みを彩る。
ここまで来ると潮の香りは届かないらしく、それがイリックには少しだけ物足りない。そんなことを考えながら呆けている暇はない。行き交う人達にぶつかってしまうからだ。それほどに人が多い。
サウノ宮殿にギルド会館があるためか、町の中心に近づくほど冒険者を見かける。それ以上に町民が多いのだが、冒険者はどうしても目立ってしまう。
鎧やローブを着こみ、剣や斧、杖を持って武装しているのだから異彩でしかない。
物騒な人物は冒険者だけではない。警備隊もまた鎧を着込んでおり、彼らは町の平和維持のため日々活動している。
人間同士のトラブル。
モンスターの接近。
そういったことに対処すべく、彼らはこの広い町を練り歩く。
どれほど歩いたろうか? 広さを痛感した頃にロニアが足を止める。
「ここよ」
指差した建物はどこか古臭い。年季の入った雑貨屋だと、外壁の汚れ具合が物語っている。
茶色い木造の小さな店。看板にはこう書いてある。
マジックバッグ専門店。
窓から見える店内がそれを裏付ける。
イリックはロニアに続いて店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませー」
一同は甲高い女性の声に出迎えられる。
店員はカウンターに一人。ロニアよりは年上に見えるが、声は随分と高い。茶色い髪が後頭部で一つに束ねられており、小さな眼鏡が瞳の大きさを際立てる。
店員を眺めに来たわけではない。イリックは高い買い物に少し緊張しながら、店内を練り歩く。
狭い店内には様々な鞄が並べてある。形のレパートリーは少なく、せいぜい数種類だ。色は白、グレー、茶、オレンジ、赤、と華やかであり、色と大きさの組み合わせで何を買うのか決めることになる。
冒険者はほぼ全員背負っているのだから、この店に何があるのかは既に想像できている。イリックはじっくりとそれらを見比べる。
イリックのマジックバッグは父のお古だ。元は茶色だったが、今ではすっかり色あせており、茶色だったのだろうと想像することしかできない。
アジールは白いマジックバッグ、ロニアはグレーのマジックバッグを愛用しており、一目でどれが誰のかわかるようになっている。
イリックはぐるりと一周し終わる。
(なるほど、色々あってよくわからん!)
コンセプトはネッテに似合いそうな鞄。冷静に考えたらネッテ自身に決めさせればいいのだが、高い買い物ゆえ、ついでしゃばってしまう。
イリックは値札を眺める。
十万ゴールド。
(ふむ……、高い!)
知ってはいたが、震える。
月一万ゴールドも稼げなかった見回り時代では、こんな高級品は決して買えない。しかし、今は違う。デーモンのおかげで手元には四十万ゴールド以上もあるからだ。マジックバッグが買えてしまうのだ。
このパーティでは、ネッテだけがマジックバッグを持っていない。本人はそれを気にしておらず、むしろ手ぶらなことを満喫している。それはそれでずるい、と変な感情を抱かないわけではないが、主たる理由は別にある。自分用を所持しているか否かでは、やはり利便性は段違いだ。
水筒を取り出す時、ネッテはいちいちイリックに頼む。
食器や食糧も全て兄が持っており、着替えも当然そこに収まっている。
兄としては、やはりネッテにもマジックバッグを買ってあげたい。
ということをアジールとロニアに相談したところ、あっさりと賛同を得られる。むしろ、兄としてきちんと考えてるのね、と褒められてしまう。
そんな背景からネッテ用のマジックバッグを買いに遥々るここまで来たのだが、やはり少しだけ怖気づいてしまう。
(鞄ごときに十万って……)
イリックはぐぬぬと唸る。ただの鞄ではなくマジックアイテムの鞄だ。
「お兄ちゃんのと違って、どれもピカピカだね~」
棚に陳列されている新品のマジックバッグに負けじとネッテが目を輝かせる。イリックの背中には色あせたよれよれのマジックバッグ。年代ものであり、ボロボロなのは仕方ない。イリックとしても気にしていない。
ネッテはここに来た理由をまだ知らない。ゆえに、とりあえず眺めている。
イリックはそっと近寄る。
「ネッテ。欲しいの一つだけ買ってやるぞ。選べ」
「え?」
二つ、三つと買おうと思えば買えるが、マジックバッグに関しては一人一つで十分過ぎる。
マジックバッグの中には体積以上の荷物を収納できる。それこそ、片手剣程度なら五十本以上は入れられる。初めての旅においても相当の荷物を放り込んだが、マジックバッグは全てを飲み込んでみせる。
折りたたんだテント。
数日分の食事。
いくつもの調理器具や食器。
折りたたみ机。
寝袋。
その他もろもろをつっこんだが、容量としてはまだまだ余裕だ。
店内には大中小と大きさにもレパートリーがある。もちろん大きい方が高価だ。
イリックのマジックバッグは中サイズ。背中からはみ出さない程度の大きさだ。
そんな中、イリックは見つけてしまう。明らかに異質な鞄がこじんまりと陳列されている。サイズで言えば極小だろうか。
新商品のウェストポーチ型。ベルトのように腰にまわし、そこで固定するタイプのマジックバッグだ。かわいくてネッテに似合いそうだ。そう思わずにはいられない。
何より身に付けたままでも動き易さを損なわない。とっさの戦闘にも対応できるその利便性がイリックの心を鷲掴みにする。
問題は値段だ。イリックは視線をずらす。十五万ゴールド。小さいが妙に高額。
それでも購入できてしまう。問題は収容量だ。小さい分、あまり荷物が入りません、ではマジックバッグの意味がない。
店員がイリックの様子に気づく。真剣にウェストポーチを眺めているのだから、声の一つくらいかけたくなってしまう。そっと歩み寄り、マニュアル通りの対応を始める。
「お客様、何かお困りですか?」
「あ、そのう……」
店員の声にネッテ達もぞろぞろと集まる。
「あら、今ってこんなのあるんだ。かわいいじゃない」
「ほんとだ~」
ロニアが白いウェストポーチをひょいと持ち上げる。ネッテもオレンジ色のウェストポーチを手に取る。
「これって、小さい分、あまり収納できないんですか?」
「いえ、新しい技法が用いられておりまして、サイズは中サイズとほとんど変わりありません。その分、お値段は少々はりますが」
「なるほど……。ありがとうございます」
イリックが抱いていた疑問はあっさりと払拭される。やはり値段だけが障害となる商品らしい。しかし、それも今なら問題ない。
「ネッテ、欲しいの決めたら言ってくれ。俺もとりあえずブラブラ見てるから」
「本当にいいのー? すごい高いよ?」
「いいのよ。お兄ちゃん、お金持ちになったから」
ロニアが余計なことを言い出したが、イリックはフォローと受け止める。その甲斐あって、ネッテが本気でマジックバッグを物色し始める。
「この小さいのでもいいのー?」
「おう。というか、その中から選ぶがいい」
「ネッテに似合う」
アジールも考えていることは同じらしい。背の低いネッテには、ウェストポーチが似合う。
ふと、イリックも欲しくなってきたが、似合わないような気がするため考えを改める。大人しく父のお古で我慢する。
「ネッテちゃんには何色が似合うかしら?」
「ん~」
ロニアとネッテがまじまじと棚を眺める。
(やばい、女の買い物は無駄に時間がかかるのを忘れていた)
イリックは思い出す。女性が買い物を済ませる間待つだけだが、それがなぜか男を疲れさせる。
「白」
「ほほ~」
アジールが白いウェストポーチをネッテに押し当てる。
イリックとしてもその意見には同意だが、そんなことよりもさっさと決めて欲しい。
「グレーなんかもどう?」
「ほほほ~」
ロニアがグレーのウェストポーチをネッテに押し当てる。
(あんたら、自分が背負ってるマジックバッグの色選んでるだけじゃん)
イリックはあっさりと見抜く。
「お兄ちゃんは何色がいいと思う?」
「オレンジ」
なんとなくそんな気がした。
兄の意見を参考にして、ネッテがオレンジ色のウェストポーチを手に取る。
「あら、ほんとね。さすがお兄ちゃん」
ロニアから褒められながらネッテに視線を向けると、オレンジ色がネッテと一体感を醸し出している。今日の服装は普段通りのラフな薄着であり、薄茶色の上着と黒のショートパンツを履いている。単純にそれとマッチしているだけかもしれないが、一同は首を縦に振って納得する。
「んじゃ、それにするか?」
「うん!」
一つ目の買い物はこれにて終了。イリックにとってはありえない散財だが、これも冒険者の特権なのかもしれない。
買い物はまだ終わらない。四人はそのまま防具屋へ向かう。
次ぎのお目当てはアジールの盾だ。逆三角形のいかにもな盾は、今ではすっかりボロボロだ。デーモンの攻撃を受ければこうもなってしまう。片手剣を握り潰すほどのモンスターは伊達ではない。
アジールは遠慮するが、今回は無理にでも買わせるつもりでいる。
「親父、上等な盾を見せてくれ」
「それなんかどうだい?」
店の扉を開けると、顔のしわを隠そうともしない年配の女性が座っていた。それは別に構わない。店員の性別を当てに来たのではない。盾を買いに来たのだ。
女性が指差したのは丸みを帯びた黒い盾。今までの盾よりも面積は幾分減少してしまう。防御性能よりも動き易さや頑丈さに比重を置いた防具だ。
「そういえば、どんな盾がいいですか? 大きいやつ? 軽いやつ?」
「考えたことない。これも、父さんが買い与えてくれたから」
アジールの父親がどれほど娘に甘いか、今の発言で証明される。単なる過保護にしては高額過ぎる金額を娘に投入しているからだ。
「私も盾装備した方がいいのかな?」
「ネッテちゃんには合わないような気もするけど……」
短剣二刀流を主体に戦うネッテが突拍子もないことを言い出す。ネッテは盾を持ったことがない。そもそも両手が塞がっているのだから、持ちようがない。何もわかっていないがゆえに、他人の常識では測れないことをあっさりと言う。
イリックとしては杖を持ちたがらないロニアにこそ盾を携帯してもらいたいが、叶わぬ願いなのだろうと既に諦めている。
「アジールさん、盾ちょっと貸してもらっていいですか?」
「うん」
片手剣は宿屋だが、盾だけは念のため持ってきてもらっている。イリックはそれを受け取り、店員に見せる。
「ほう、随分くたびれてるね~」
「これよりいい盾ありますか?」
「もちろん」
ぼろぼろの盾を眺め終えた店員が、カウンターから盾の棚まで移動する。その中から、白い盾を手に取る。青い縦線が二本走っており、形はやはり逆三角形だが、そもそも棚のほとんどをその形が占有している。
「サウノシールド。この国でしか売られてない盾さ。まぁ、デフィアーク製だけど」
店員が元も子もないことをばらす。
デフィアーク共和国は金属加工の分野で他国より一歩抜きん出ている。その結果、武器や防具の生産を独占しており、できあがった品物の多くは他国に輸出される。この盾もその一つだ。
デフィアーク共和国で作っているのだからデフィアーク共和国でも多くの装備を購入できる。しかし、ランクの高い、すなわち性能の良い装備はサウノ商業国に輸出される。なぜか? 腕の立つ冒険者ほどサウノ商業国を拠点としており、高額な装備を購入するのも自然とそういった冒険者に限られる。
自分の国で売ろうとするより、サウノ商業国で売ってもらった方が速く売りさばけるため、デフィアーク共和国はランクの高い装備はほぼ必ず輸出している。
白い装甲の上に走る二本の青い線。アジールの白とオレンジが織り成す鎧には似合いそうだとイリックは納得する。問題は値段だけだ。
「八万ゴールドだね」
「わーお」
ネッテが驚くのも無理ない。見回り時代の年収に匹敵するからだ。
それでも、アジールが納得するなれこれにする。少なくともイリックはそう考える。
「もっと安いのでいい」
「それじゃ意味ないので、デザインや重さがオッケーならそれにしましょう。これでみんなを守ってください」
「わかった」
アジールにはこれくらいの押しが必要だとイリックはわかっている。というわけで、防具屋での買い物もこれで完了だ。
所持金が半分近く減ったが、もう一人分の買い物が残っている。イリック達はそのまま次の目的地、アクセサリー店へ向かう。
イリックには全く縁のなかった場所だ。そもそもサラミア港にはこんな煌びやかな店は存在しない。
狙いはロニアの魔力を上昇させるアクセサリーだ。杖を持ちたがらないロニアのために、戦力向上を目的とした買い物をここで済せる。
店内に入った途端、イリックは帰りたくなる。
あっちこっちが光り輝いている。まぶしいくて目が痛い。
指輪、ネックレス、ピアス。どれも小さい割りにとても高い。無知なイリックにはぼったくりにしか見えない。
しかし、ここには冒険者のための装備が陳列している。何の効果もないただのおしゃれ用なアクセサリーに紛れて、何らかのマジックアイテムとして機能するものが混じっている。
赤い透明な石がちょこんと付いているこの指輪は、指にはめると腕力が上昇する。値札にはゼロが大量に書かれており、イリックは数える気すら起きない。
イリックが弱る一方、ネッテは目を輝かせる。その姿がイリックをさらに追い詰めるが、そもそもここはそういう場所だ。
今日はここで一つは何かを買わなければならない。興味なさげにアクセサリーを眺めるアジールを横目に、イリックはよろよろとロニアに近寄る。
「いいのありました?」
「高いわね~」
「いや、ほんとに……」
名札に目を向ける。
一万。
五万。
十万。
ありえない金額にイリックは眩暈を感じる。
「魔力上昇だとこれかしら?」
ロニアが指差したのは、白いのか透明なのか判別のつきにくい石っころが小さくポツンと付いている指輪。説明文には魔力上昇と書かれている。名札には七万ゴールドと書かれている。
(ぐはっ! ありえない!)
しかし、これを買うしかない。
金は足りるのだから。
そう決めたのだから。
仲間のためにここは俺が払う! イリックは気合を入れる。なお、これは全員の金だ。
「いいな~。私もこういうの欲しいな~」
兄が血反吐を吐いている横で、ネッテが本音をポロリと漏らす。
(そうか、ネッテも女の子だもんな。今までおしゃれなんてさせてやれなかったもんな)
イリックはしみじみと過去を振り返り、ゆっくりと口を開く。
「俺、こういうの欲しがらない女の子が好きなんだよな~」
「いらないです!」
兄として最低な作戦を行使する。しかし、後悔はない。
イリックは泣きながら店員を呼び、そのまま清算を済ませる。
知力の指輪。指にはめることで魔力が上昇するマジックアイテムだ。ロニアの火力が向上するのだから、それはすなわちパーティの攻撃力が増すと言える。
今日の出費は合計で二十五万。所持金がいっきに半分以下まで落ち込む。まだまだ小金持ちと言えなくはないが、デーモン討伐の報告さえ済ませてしまえば、そこから先は自由に冒険ができる。
それまでの活動資金としては十分過ぎる金額が残っている。ゆえに、問題ないと言い切れる。
ネッテは不自由なく冒険ができるようになった。
アジールは盾役としてより一層活躍できるようになった。
ロニアは攻撃魔法の威力を上昇させた。
出費に見合う成果を得られたと自分に言い聞かせ、イリックは仲間達とぶらり歩き始める。
せっかくのサウノ商業国。買い物ついでに歩き回るにはもってこいの場所だ。
◆
サウノ商業国で迎える初めての夜。
イリック達はギルド会館で夕食に舌鼓を打つ。
周りには溢れんばかりの冒険者達で満たされている。むさくるしい男から、色気を漂わせる美女まで、何ともレパートリー豊富な冒険者見本市。
その一団をイリック達も構成しているのだが、今はとにもかくにも料理にむしゃぶりつく。
新鮮な食材が集まるサウノ商業国では、出される料理も一品だ。
肉と野菜で炊いた米料理、ピラフ。
サウノ商業国近隣に生息するモンスター、コカトリスの肉を焼いただけのコカトリスステーキ。
サウノ商業国の近海で釣れる魚、サウノソールの刺身。
サウノソールを小麦粉で包み、バターで焼いたソールムニエル。
サウノソールに塩をまぶして焼いたサウノソールの塩焼き。
サウノ商業国の近隣で取れるフルーツから作ったドレッシングをかけたサウノ風サラダ。
ジャイル森林に生える数種類のキノコをバターで炒めたジャイル風ソテー。
テーブルの上には既にこれだけの料理があり、急いで食べないと次が来てしまう。魚料理が多い理由は、もちろんイリックのせいだ。
「そんな急いで食べなくていいじゃない。子供みたいなことして」
ロニアが冷めたことを言い出す。それも当然。イリックとネッテが、鬼の形相で料理を口に放り込んでいる。
「あ! それ俺のだぞ!」
「私にもちょうだい!」
ネッテがわずかに残っていたサウノソールの刺身を全て口に放り込む。イリックがそうであるようにネッテも魚は大好物だ。時折こういう口論が発生する。
「それにしても、ここは活気がすごいわね。あてられちゃいそうだわ」
「次から次に来る」
ロニアとアジールが周囲を見渡す。
食事を終え、冒険者が席を立っても、その空席は瞬く間に次の冒険者で埋まる。それの繰り返しは全く終わる気配がしない。ギルド会館の食堂は満席を維持し続ける。
「イリック、そこの掲示板見た?」
「ええ。貼り出されてるクエストの数がはんぱないですね。しかも、けっこう高額なのも多かったです。花だかなんかを取ってきて欲しいってクエストの報酬が一万だか二万もしてましたし」
ロニアの問いかけに、イリックは口の中を素早く空にして答える。
夕食前、イリックはクエスト掲示板をささっと見て周る。
モンスター討伐用。
ウォンテッドモンスター用。
アイテム収集用。
その他用。
四種類の掲示板はどれも大賑わいだった。
デフィアーク共和国も似たような状況だったが、ここの掲示板はデフィアーク共和国のそれよりも一回りは大きい。
こういったことからも、サウノ商業国がいかに栄えているか、イリックは実感する。
「周囲に生息するモンスターはけっこう強いから、クエストの報酬も自然と高額になるのよ。私も前にここを訪れた際に挑んでみたけど、けっこう大変だったわ」
ロニアの言う通り、サウノ商業国の近隣は、凶暴な、それでいて手ごわいモンスターで溢れかえっている。
このことからも、デフィアーク共和国もしくはガーウィンス連邦国で腕を磨き、それからサウノ商業国に移動する、という図式が冒険者の間にできあがっている。
(俺達もいずれはここを中心に活動することになるのかな?)
イリックは料理を頬張りながら考える。しかし、料理の美味さが脳みそをあっという間に塗りつぶす。
「明日はどうするのー?」
「あ」
ネッテの問いかけにイリックはハッとする。まだ決めてなかった。とはいえ、やるべきことは定まっており、ゆえにそれを実行するまでだ。
「朝一の定期船に乗ってガーウィンスへ?」
「そうしましょっか」
ロニアの提案にイリックは首を縦に振る。
ここでの用事はもう済んだ。となれば、次の目的地へ向かうしかない。
冒険者達を眺めながら、イリックはふと思い出す。
「そういえば、デフィアークでマリィさん達に会いそびれちゃったな~」
サラミア港でマリィ達を見送った際、明確に会う約束をしたわけではないが、てっきり会えるものと思っていた。ギルド会館に入り浸っていれば会えたのかもしれないが、そのことをすっかり失念しており、気づけばここはサウノ商業国だ。
「私達は会ったよー」
「うん」
「二人共元気にやってたわよ」
女性陣は出会えていた。それならそれでいいか、とイリックは納得する。会えたところで胸を揉ませてもらえるわけでもない。イリックは記憶の中でマリィの姿を反芻して満足する。
そして次の料理が運ばれてくる。兄妹は当たり前のように取り合う。
「それ、私が頼……、まぁ、いいわ」
ロニアが黙るほど、今の兄妹はたぎっている。
食事時は大人しいイリックすら豹変させる国、それがサウノ商業国。
◆
ギルド会館での夕食を終え、一同は港区の宿屋に戻る。夜もすっかり深まっており、太い一本道を歩く人々の数も心なしか減っている。少なくとも、部屋の窓から見える暗い景色は、昼間と比べると少しだけ大人しい。
四人用の少し広い部屋で、三人はそれぞれのやり方でくつろぐ。
イリックだけは急がしそうに、マジックバッグからごそごそと大量の荷物を取り出す。
「ネッテ、そっちにいくつか移すぞ」
「お~?」
ネッテ用のマジックバッグを購入した。マジックウェストポーチと表現した方が正しいが、とにかくそこへネッテ用の荷物を移さなければならない。
ネッテは状況を理解していないが、イリックは構わずテーブル上にポンポンと中身を並べていく。
「ほれ、ネッテのに入れてけ」
「おお~」
ネッテ用の水筒、着替え、財布、その他もろもろが、オレンジ色のウェストポーチに移されていく。
「買ってもらえて良かったわね」
「うん!」
ロニアが兄妹のやり取りを眺めながら微笑む。
せっせと荷物を自分の鞄に放り込むネッテの姿がかわいいのか、アジールに至っては手をワキワキさせながらネッテに近づく。
移し変えが終わったら好きにしていいですよ。イリックはさらりと言ってのけ、遠まわしに今は邪魔するなと牽制する。
当たり前だが、大量の荷物を収納できるマジックバッグにも、入れられる大きさには限界がある。鞄の口より大きな物は入らない。
ゆえに、ウェストポーチの口より大きな調理器具や皿はイリックが持つことになる。今になって気づかされたが、これくらいは構わない。今までがそうだったのだ。
移し作業も終わり、四人は順番に入浴を済ませる。コネクトを使って悪事を働きたかったが、ネッテの監視の目がそうさせてくれない。
そんなこんなで夜も更け、時刻は静まり返った午後十時。それでも隣の大通りでは人々の往来が止まらない。
イリックとアジールは椅子に座り、サウノ商業国の夜景を眺める。
ロニアはベッドに入り、難しそうな本を読む。
ネッテは当たり前のように、イリックが狙っていたベッドに入る。まだ寝るつもりはないが、ゴロゴロするにはうってつけの場所だ。
「そうだ、少しお勉強しましょうか」
静かな室内にロニアの少しだけ低い声が響き渡る。
「うん!」
「それじゃ、せっかくだからサウノ商業国と真歴について学びましょう」
サウノ商業国。トリストン大陸の中心に位置する三大大国の一つ。
実は、サウノ商業国が国となったのは最近のことだ。真歴で言うと丁度500年がそれに当たる。
真歴。
現在は真歴550年。つまり、サウノ商業国は五十年前にできたばかりの新しい国だ。
しかし、真歴とサウノ商業国には深い関係があり、それはサウノ商業国がまだサウノ村だった頃まで遡る。
トリストン大陸の北東には、それ以上と言われている広大な大陸が存在する。
シーブル大陸。
そこに住む人間の一部がトリストン大陸に渡り、小さな村を作る。
それがサウノ村であり、後にサウノ商業国と呼ばれるまでに発展する。
トリストン大陸には他にもいくつかの村が存在していたが、暦のようなものは存在しておらず、後に、サウノ村設立を元年として真歴を策定することになる。
その後、デフィアーク共和国、ガーウィンス連邦国が建国され、それから遅れること約四百年後、サウノ村はサウノ商業国となり、三大大国という図式が完成する。
それが真歴500年であり、五十年前の出来事だ。
「なるほど~」
「へ~、真歴ってそういう風に定義されたんですか」
兄妹にはとてもためになる授業だった。イリックも感心する。
「ええ。ちなみにここは王政よ。王族は滅多に姿を現さないけど」
「王政?」
ロニアの説明にネッテは首を傾げる。頭の上には当然のようにハテナマークが出現する。
「王様が国を統治するってこと」
「なるほどー」
王様はわかるわよね? と言いかけたがロニアは寸でのところで耐える。ネッテと言えども、そこまでバカではない。
「ちなみに、デフィアークは選挙で一番偉い人を決めるわ。ガーウィンスは、ちょっと変わってるから、また今度ね」
「はーい」
それがいいだろう、とイリックは一人でうなずく。ネッテの頭から煙が出ているからだ。ハテナマークを出したり煙を吹いたり、ネッテは何かと忙しい。
「そういえば、ガーウィンスで報告したら、またお金もらえるんですか?」
イリックは思い出したように疑問を口にする。デフィアーク共和国ではデーモン討伐に関する報告で十万ゴールドももらえてしまった。ガーウィンス連邦国でも同じことをするが、どうなのだろう、と疑問を抱く。所持金が減ってしまったため、もらえるのならありがたい。
「報告に関しては難しいでしょうね。今頃、デフィアークから情報が伝わってるでしょうから、ガーウィンスでの報告は案外簡素かもしれないわよ。デーモンの左手を提出するから、それの報酬はもらえるでしょうけど」
なるほど、とイリックはロニアの説明に納得する。エレメンタルフォンがあるのだから、情報の伝達も素早く行われて当然だ。
ロニアの授業も終わり、ゆっくりと時間が過ぎていく。
することも話し合うこともなく、イリックは空いている四つ目のベッドに入る。当然のように、ネッテが隣のベッドから移動してくる。
「ノンノン」
「何がのんのんだ。戻れ」
「恥ずかしがっちゃって~」
イラッとしたが、イリックは我慢する。これから寝るのだ。いや、まだ寝るつもりはないが、ベッドでくつろぎたいのだ。ネッテ相手に腹を立てて疲れたくはない。
仲睦ましい兄妹のやりとりを微笑ましく観察しつつ、ロニアがついぽろりと言ってはいけないことを漏らしてしまう。
「兄妹でなければ、そんなこともし放題だったのにね。それとも、兄妹だから許されてるのかしら」
なかなか味のある発言だとイリックは感心するが、とりあえず今はネッテを隣のベッドに押し戻したくて仕方ない。
「落ちるー」
「落ちろ。もしくは戻れ」
「やだー」
(ぐぬぬ、なぜそこまで頑なに……)
ふと、イリックは思いつく。アジールのベッドに行け、と。しかし、出かかった言葉をぐっと飲み込む。万が一ネッテが、嫌だ、と言い返しでもしたら、アジールがショックで寝込んでしまうからだ。
「ふふ。たまには私と一緒に寝る?」
「おっぱい揉んでいい?」
「いいわよ」
「やったー! それじゃ、今日だけは勘弁してあげる」
(久しぶりに一人で寝られるのか。ありがたい話だ。さて……)
ネッテがそうしたように、イリックもロニアのベッドに歩み寄る。
「兄上はダメ!」
「ですよねー」
ドロップキックをおみまいされた。
こうしてサウノ商業国での一夜も過ぎ去っていく。
明日は朝から出発しなければならない。ガーウィンス連邦国に出向く必要があるからだ。
賑わう大国をもっと満喫したかったが、悲しむ必要はない。冒険は始まったばかりなのだから。




